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Voicepeak 防長路史跡巡り 長州藩 維新への先駆者!「勤皇僧 月性・清狂」点描 柳井市遠崎 2023.7
長州藩維新への先駆者 月性清狂師の点描。2023・7 玖珂島の帰りに3度目の参拝です。第3稿修正版。
(サムネは妙円寺の手水であった猫)
幕末の国防(海防)の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、浄土真宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰に先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年(32歳の時)〜安政元年までの七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開き志士を育てた。漢詩に優れて、詠んだ漢詩は千編を越えると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などなどがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
農兵隊 構想=士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、富海の入江石泉、浄土真宗で影響を受けたものでは浄土真宗の大洲鉄然(1箇所鉄年になってました訂正します)、などなど。
激動の幕末を駆け抜けた勤王真宗僧。
現在の草堂=明治後、生き残った弟子たちが師の三十三回忌に月性和尚を記念のため再建したもの。
注)月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
基本=妙円寺境内案内板、以前展示館で聞いたお話のメモ、山口県文化財HPなどの記事を参考にしました。
Voicepeakの朗読した漢詩の現代語訳は詩碑の解説板、大畠観光協会HP掲載の訳文等を元に引用しました。
https://kanko.oobatake.net/gessho/
他コトバンク、wikiも確認に参照しています。
一度食べたら病みつき!中華そば 洋RUN【犬連れ夫婦旅 周防大島町編①】
動画本編はこちらから
https://youtu.be/KiLEwNe5ChM
■店舗情報■
中華そば 洋RUN
山口県柳井市南町2丁目7
0820-22-8868
食べログ
https://tabelog.com/yamaguchi/A3506/A350602/35008582/
<山口県の神社>周防富士氷室ヶ岳の麓 旧氷室大権現 氷室亀山神社 柳井市伊陸
柳井市の内陸の地域。周防富士と呼ばれる氷室が岳の麓にある氷室亀山神社。
氷室が岳8合目あたりに昔はあったが1500年代くらいに氷室池があった現在地に遷座。氷室池(遷座の後しばらくして埋められてない)
今は静かな田舎の神社。昔は氷室大権現として信仰を集めたらしい。
氷の貯蔵庫の氷室が、氷室がヶ岳にはあったと言われている。創建の伝説では修験道が縁起に関係しているらしいです。
山頂には石のほこらがあります。
氷室神社と亀山神社が合祀されて居ますので現在の社号になっています。天満宮も合祀されており
伊陸天神祭などもあるようです。
今回行くと 御朱印もありました(書き置きですが入れ物の箱に御朱印料を入れておけばおk)
10月24日 行ってきた。5回目?w
柳井市 普慶寺!
柳井市にある普慶寺に行ってきました!
神社巡り→series/251647
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<山口県の神社>石造の参道が美しい 鎮座九百年 旧郷社「賀茂神社」 山口県柳井市 伊保庄( UonoSyou)
周防国旧熊毛郡 伊保庄(うおのしょう)の賀茂神社。
賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は柳井市の重要文化財指定。
阿月の領主=乃美元貞(後の浦元種)が願主として寄進したものという。
本殿は明治時代の再建ながら地元山口県の名工の差配によるもので見事な造りである。
大変趣のある境内で参道の石畳などがよい。神社の向こうに島陰や海も見える。
初秋ながら境内は名残の蝉時雨 聞こえた。
900年前に創建され古社で、京都の賀茂神社の神霊を勧請して奉斎したもの。
由緒=寛治7年宮中の武陵伝の行事〜競馬会(うまくらべえ)が、京都賀茂神社にて催されることになった時に20箇所の荘園が寄進されたがその一つがここ伊保庄。その縁で分祀されたお社。
背後の森は市の天然記念物指定で植物の種も多く大木も多いという。
延喜式内社熊毛神社論社にもなっている、これは当社へ合祀されている古社の祭神が熊毛大神なのでその古社の関係らしいです。
令和2年9月初秋に訪問した。この後 大星山へ向かった。
<山口県の神社>小早川水軍の後裔 浦氏の奉斎した 阿月 神明宮(東 西二社) 山口県柳井市阿月( Azuki)
阿月は江戸時代に小早川氏の庶流で小早川水軍司令官 浦宗勝の後裔=浦(うら)氏が上関から異動となり阿月領主として治めた所である。
神明宮=浦就昌(なりまさ)により建立された御社。
西神明宮=豊受大神宮を祀る神社(克己堂から少し西側に行った所にある)
東神明宮=天照皇大神宮を祀る(公民館の少し先にある)
神明祭=天照皇大神宮、豊受け神宮の依代20mの御神体(大きな鉾)を東西二本たてて行われる奇祭。一度見てみたいと思っています。所謂とんど(宮中行事の左義長が民間化したもの)と小早川氏の軍神祭が融合したもののようです。
現在は毎年2月11日に行われる(元来は旧正月14、15日であったらしいです)
幕末領主浦氏の開いた〜維新の志士を輩出した私塾 克己堂 跡があり史跡になっている。
克己堂を開いたのは長州藩家老 浦靱負(うら・ゆきえ〜家老・国司家からの御養子である)である。
軍神祭は柳井商工会の観光HPによると〜文禄の役のおり小早川隆景以下浦宗勝などが、伊勢神宮へ祈願をして朝鮮半島へ渡航し、戦いで勝利を得たのでそれ以来始められたとありました。
ちなみに少し北に位置します伊保庄の古社 賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は
第九代 浦元種が願主として寄進したもの。
あと、広島の三原には神明市というのがありやはり町にある神明宮の祭りがあるらしいです小早川隆景時代からのようです。隆景の居城三原城跡もあり小早川氏ゆかりでしょう。
防長路シリーズ〜 https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=pc_watch_description_series
維新の先駆者月性(げっしょう)の寺〜「浄土真宗 妙円寺」 と私塾「清狂草堂」 新編集版
寺院の山門の修が復完了したので編集しなおしたもの。サムネ=月性像と妙円寺の在る遠崎の海
幕末の国防(海防)の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、 浄土真宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰の先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年(32歳の時)〜安政元年までの七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開きさまざまな志士を育てた。漢詩に優れて、詠んだ漢詩は千編を越ええると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
農兵隊 構想=士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、真武隊・第二奇兵隊の芥川義天など、浄土真宗で影響を受けたものでは大洲鉄然、赤松連城、島地黙雷・・・などなど
激動の幕末を駆け抜けた勤王真宗僧。
現在の草堂=明治後、生き残った弟子たちが師の三十三回忌に月性和尚を記念のため再建したもの。
注)月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
ちなみに よく月照と混同されやすいが月照=京都清水寺の勤皇僧で西郷と海上で入水した僧侶。
熊毛半島スライド 阿月、伊保庄
熊毛半島 動画作成中
この日は長島・竈八幡宮と阿月・神明宮(赤根武人の邸跡が集落の一角に草に覆われていた)〜伊保庄賀茂神社へ回る。最後の大木は竈門神社っす。
大畠の瀬戸と周防大島
山陽本線JR大畠駅から近い 大畠瀬戸の海の風景。 大畠の漁港から釣り船の行き交う瀬戸の海と島影を撮影したもの。
周防大島は正式には屋代島といい山口県最大の島。本土の大畠側と大島大橋で接続される。現在橋は、無料化されている。