タグ 迷列車(北陸)の人 が登録されている動画 : 219 件中 33 - 64 件目
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迷旅客機列伝「マクドネル・ダグラスはなぜ消えたのか」第2章 DC-9(後編)
※この動画はシリーズ物です。まだ第一章をご覧になっていない方はこちらをどうぞ→sm39816964
今更ですが明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
DC-9の好調を横目に、ボーイングも短距離ジェット市場に参入するべく、ボーイング737の開発に取り掛かります。現在でこそ世界で最も売れたジェット機として君臨する737ですが、投入当初はトラブルやパイロット組合の抵抗で販売は低迷し、お荷物扱いされてしまいました。
一方のダグラスはDC-9やDC-8-60シリーズの好セールスで絶好調なように見えましたが、その増えすぎた受注がダグラスを破滅に追い込みます。詳しくは本編で。
迷旅客機列伝「マクドネル・ダグラスはなぜ消えたのか」第2章 DC-9(前編)
※この動画はシリーズ物です。まだ第一章をご覧になっていない方はこちらをどうぞ→sm39816964
ダグラスとボーイングが次に狙ったのは欧州の航空機メーカーが先行していた中短距離の小型ジェット機市場。ボーイングは主要都市間用の727を、ダグラスは中小航空会社向けのDC-9を開発します。
727は大ヒット機となってボーイングの経営改善に貢献し、DC-9も当初は迷走したものの、シンプルな設計と効率の良さでこちらも大きなヒット作となります。しかし、この成功が後にダグラスを窮地に追い込む事になるとは、ダグラス自身も気づきませんでした。詳しくは本編で。
そしてこれが年内最後の投稿です。皆様どうぞ良いお年を。
後編できました→sm39873800
迷旅客機列伝「マクドネル・ダグラスはなぜ消えたのか」第一章 DC-8
今回から久しぶりに長期シリーズをやります。
今回のテーマはレシプロ機時代の絶対的王者であり、ジェット時代初期はボーイングと並ぶ世界の二大航空機メーカーだった「マクドネル・ダグラス」が、なぜボーイングやエアバスとの競争に敗れ、消えていったのかを解説していきます。
第一章で取り上げるのはダグラス初のジェット旅客機・DC-8。DC-8自体はボーイング707と互角の争いを演じた名機ですが、その裏ではよく言えば保守的、悪く言えば優柔不断でリスクを恐れるダグラスの体質や資金難と言った、ダグラス消滅の兆候が見え隠れしていました。詳しくは本編で。
第二章前編→sm39836583
裁判所猫と学ぶ航空経営者列伝「ゴードン・ベスーン」後編
※この動画は前後編になります。前編がまだの方は先にこちらをどうぞ→sm39578221
後編は後にコンチネンタル航空でも盟友となるジュン・ツルタの誘いで転じたピードモント航空時代とボーイング時代を中心に、コンチネンタル航空再建につながるゴードンの活躍をご紹介します。
・・・ところでアメリカって銃絡みのジョークって普通なんでしょうか?
裁判所猫と学ぶ航空経営者列伝「ゴードン・ベスーン」前編
今回は以前の配信でお披露目した裁判所猫さんと財務担当さんのイラスト初使用です。作成した経緯については以前生放送でお話ししましたが、ニコニコの方は既に消えているのでYouTubeのアーカイブをご参照下さい→https://youtu.be/oVjEjYSVs7c
今回裁判所猫さんと学ぶのは倒産寸前のコンチネンタル航空を再建させた名経営者、ゴードン・ベスーンの半生。前半は幼少期から海軍時代、最初の航空会社勤務となったブラニフ航空時代までをご紹介します。
それにしてもこの人も若い頃は結構やりたい放題でしたね。
迷航空会社列伝「一度『消えた』後にまた潰れました」フィリピン航空・後編
この動画は前後編になります。まだの方は先に前編をどうぞ→sm39401946
突然の廃業宣言からどうにかして運航再開にこぎ着けたフィリピン航空はその後定期的に黒字を出すまでに業績を回復させます。しかし、ライバルとなるLCCの台頭に、フィリピン航空当局のやらかしによる乗り入れ禁止、財閥支配による癒着や労使紛争がフィリピン航空を蝕んでいきます。
そんな満身創痍のフィリピン航空にあのパンデミックを耐えるだけの体力は残っておらず、裁判所猫のお世話になることに・・・
迷航空会社列伝「一度『消えた』フラッグキャリア」フィリピン航空前編
今回取り上げるのは先日「2度目」の経営破綻をしたフィリピン航空。
実はこの会社、経営破綻したのはこれが初めてではなく、1998年のアジア通貨危機の際にも経営が行き詰まり、経営陣が廃業を宣言して一時運航停止に陥ったことがありました。前編は一度目の経営破綻に至った経緯と復活まで。2度目の経営破綻に至った経緯は後編でご紹介します→sm39473046
迷航空会社列伝Lite「伝説になり損ねた『伝説の』航空会社」レジェンド航空
今回ご紹介するのは「テキサス州と隣接する州以外の路線は56席以下の旅客機以外は開設できない」という制約があったダラス・ラブフィールド空港の抜け穴を突いて全米各地に定期路線を飛ばそうとした「伝説の」航空会社・レジェンド航空。長い法廷闘争の末に就航を勝ち取ったレジェンド航空でしたが、その伝説は長くは続きませんでした。詳しくは本編で。
迷旅客機列伝「自分、不器用ですから・・・」ステータス全振りした旅客機たち
今回は747SPのように、航続距離や座席数など特定のステータスに全振りし、特殊な路線や用途に使用された不器用だけど愛すべき航空会社の機材をご紹介します。調べてみたらこの他にも特徴的な全振り機材がありそうなので、好評だったらそのうち調べて第二弾やりたいですね。
747SPについてはこちらもどうぞ→sm39121186
迷航空会社列伝「フラッグキャリアだけどフリーダム」カメルーン航空
今回は何気にアフリカ初の迷航空会社です。
今回取り上げるのは中央アフリカにあるカメルーンのフラッグキャリア、カメルーン航空。2002年の日韓ワールドカップの時のカメルーン代表の大遅刻事件の原因を作った会社でしたが、その内実は一国のフラッグキャリアらしからぬトンデモフリーダム会社でした。詳しくは本編で。
・・・多分アフリカの会社は某オリエントタイ級の会社がゴロゴロいそうで怖い。
迷旅客機列伝「747SPを欲しがった航空会社の事情」
今回は久々の迷旅客機シリーズです。紹介するのはボーイング747シリーズの短胴・長距離型の747SP。と言っても機体そのものではなく、その機体を買った航空会社の裏事情をご紹介します。
747SPを買った航空会社の事情は単純に長距離路線を飛ばしたかった会社、政治的理由で長距離性能が必要だった会社、路線を買ったらセットで無理矢理付いてきた会社と様々であり、意外にも様々なドラマがあったのです。詳しくは本編で。
迷航空会社列伝「F1レジェンドの空へのリベンジ」ニキ航空・ラウダモーション
この動画はラウダ航空編の続編になります。まだご覧になっていない方は先にこちらをどうぞ→sm39013766
自分の会社を追われたラウダは一度はF1の世界に戻りますが、やはり航空事業への思いを捨てきれなかったのか、今度はLCCの「ニキ航空」を設立して航空ビジネスに再参入します。ビジネスモデルが似ているエアベルリンと手を組んだもののの、そのエアベルリンのしくじりのせいでニキ航空は存続の危機に陥ります。しかしそのニキ航空を救ったのは意外な人物でした。
果たしてニキ航空、そしてラウダの航空ビジネスの結末は・・・?
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名航空会社列伝「不屈のF1レーサーの空への挑戦」ラウダ航空
今回取り上げるのは1970年代から80年代にかけて活躍し、生死をさまよう大事故から生還して通算3度のワールドチャンピオンに輝いたF1レーサー、ニキ・ラウダが作った航空会社「ラウダ航空」
その道のりは平坦ではなく、1991年の大事故で会社存続の危機に陥った事もありましたが「不屈の男」はその逆境も自らはねのけます。しかし最終的には同じ国のフラッグキャリアに身売りし、やがてラウダ自身も会社を追われてしまいました。小規模ながらも着実に規模を拡大し、ユニークなサービスで人気を集めた航空会社が生き残れなかった理由とは?
・・・あ、これで終わりじゃないですよ?もうちっとだけ続くんじゃ→sm39054366
迷航空会社列伝 エアアジア・ジャパン 最終章
※この動画は以前投稿した二代目エアアジア・ジャパンの続編です。まだの方は先にこちらをどうぞ→sm33714397
当初の予定からはかなり遅れたものの、中部~台北線や仙台線を開設し、ようやく経営拡大フェーズに入ったエアアジア・ジャパン。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大がその希望を打ち砕きます。元々就航遅れや規模拡大の遅れによる大幅赤字が続いたエアアジア・ジャパンにコロナ禍を耐えるだけの資金はなく、エアアジア本体も支える余裕はありませんでした。
そしてクビが回らなくなったエアアジア・ジャパンは裁判所へ・・・
迷航空会社列伝「イースタン航空は乗っ取り屋が美味しく頂きました」後編
この動画は前後編になります。前編がまだの方は咲にこちらをどうぞ→sm38843969
一見すると順風満帆に見えたイースタン航空。しかし実際はつかの間の繁栄でしかなく、航空自由化で競争が激化すると元々収益性や労使関係に問題があったイースタン航空はあっという間に行き詰まってしまいます。
そして、いくつものボタンの掛け違いから国内線ビッグフォーの一角はあの乗っ取り屋の手に落ち、破滅への道をひた走ることになるのです。
・・・あとロ〇ンツォはやっぱりクソだわ。
迷航空会社列伝「生き残れなかったビッグフォー」イースタン航空 前編
今回取り上げるのはかつてのアメリカ国内線ビッグフォーのひとつ、イースタン航空。同時代にビッグフォート呼ばれたユナイテッド、アメリカン、デルタが現在も世界を代表するメガキャリアとして君臨するのに対し、イースタン航空はアメリカ航空自由化サバイバルの波に呑まれて消滅しました。前半は航空自由化前のイースタン航空の歴史とつかの間の栄光を満喫するまで。
後編はこちら→sm38912049
迷航空会社列伝「どうしてこうなった・・・落ちぶれたフラッグキャリア」オリンピック航空
今回ご紹介するのはかつてのギリシャのフラッグキャリア・オリンピック航空。
北米やオーストラリアに路線網を広げ、一時は日本にも就航していた名門会社でしたが、現在はギリシャ近辺をプロペラ機で運航する地域航空会社になってしまいました。
・・・どうしてこうなった。
迷航空会社列伝Lite「日本の会社が生んだタイクオリティ」アジアアトランティックエアラインズ
今回ご紹介するのは日本の大手旅行会社・H.I.S.がタイで設立したチャーター会社・アジアアトランティックエアラインズ。日本と東南アジア双方向での定期チャーター路線で規模を拡大させようとしたのですが・・・
結果はいつものタイクオリティで短期間であっさりと行き詰まって消えてしまいました。詳しくは本編で。
迷航空会社列伝「迷航空会社欲張りセット」アンセット・オーストラリア航空
今回取り上げるのはかつてのオーストラリア第二位の航空会社、アンセット・オーストラリア航空。同時多発テロが原因で潰れたと思われがちですが、破綻に至った原因は20年以上前からの様々なマイナス要素が重なっており、迷航空会社しくじりの原因の詰め合わせとも言えるものでした。詳しくは本編で。
迷航空会社列伝「55日間で剥がれた虚像」壱岐国際航空
今回取り上げるのは福岡~壱岐線に新規参入して2ヶ月足らずで運休に追い込まれた壱岐国際航空。一時は地方発の航空ベンチャーとして持て囃されたようで、就航にこぎ着けることはできましたが、すぐに失速した理由はどこかのフリーダムエアラインや飛行艇を飛ばそうとしたハマのあの航空準備会社を彷彿とさせるものでした。詳しくは本編で。
裁判所猫と学ぶ航空用語講座「航空アライアンス」後編
※先ほど前編の動画を間違えて2度アップしてしまいました。しかも今見返したらなぜか最初10秒近く画面黒いし・・・もうあげ直す気力もないのでこのままにします。重ね重ね申し訳ございません・・・
この動画は前後編になります。前編がまだの方は先にこちらをどうぞ→sm38378338
後編では前半は航空アライアンスを取り巻く環境の変化や仁義なきメンバー争奪戦を、後半では主に加盟会社の観点から日本市場で有利なアライアンスを元財務のエキスパートがご紹介します。
裁判所猫と学ぶ航空用語講座「航空アライアンス」前編
久々の航空用語解説シリーズ、今回はすっかり一般的になった「航空アライアンス」について失業した財務エキスパートが解説します。前編は航空アライアンス成立の歴史や航空会社側から見たアライアンスのメリットについて。
後編できました→sm38501247
交通機関の栄枯盛衰「貨物が消えたら用はない」神岡鉄道 後編
前編がまだの方は先にこちらをどうぞ→sm38238543
濃硫酸という特殊な貨物のために残った神岡鉄道。しかしその神岡鉄道に引導を渡したのもまた濃硫酸でした。そして濃硫酸輸送という収益源というか存在意義を失った神岡鉄道は2006年11月に廃止。しかしそれは神岡の鉄道の終わりを意味したわけではありませんでした。詳しくは本編で。
交通機関の栄枯盛衰「特殊貨物に救われた限界鉄道」神岡鉄道 前編
今回取り上げるのは2006年11月に廃止された神岡鉄道。
鉱山町として発展した神岡の地域の足として、そして鉱山輸送の要として発展しましたが旅客輸送は開業当初から壊滅的な数字で、めでたく第一次特定地方交通線に指定されてしまいます。しかし地元や神岡鉱山を運営する三井金属にとって、神岡線はまだ必要な存在でした。その理由と存続の方法とは?詳しくは本編で。
後編はこちら→sm38280241
迷航空会社列伝「フリーダム・オブ・オリエントタイ航空」最終章
2021年1月、あのオリエントタイ航空が破産したと聞いて取り急ぎ破産までの経緯を調べて動画にしました。どうやらここ2年ほどは開店休業状態だったようですね。というか消えた経緯もオリエントタイらしいフリーダムな理由でした・・・詳しくは本編で。
本編内でも言及していますが、今回は現地のニュースサイトが主なソースなので、正確性はいつもより低めです。あらかじめご承知おき下さい。
オリエントタイ航空を知らない人は先にこちらをどうぞ。→sm30895121
また、今回はタイ在住のブロガー、nisizawa様に記事の翻訳をするなどご協力頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。タイでの生活に役立つブログ「ランシット日記」というブログを運営されていますので、タイでの暮らしに興味のある方、タイ移住を考えておられる方は是非一度ご覧下さい。
ランシット日記(nisizawa様ブログ)
https://rangsit.net/
迷航空会社列伝・外伝「台湾路線のフラッグキャリア悲喜こもごも」
※この動画単独でも十分楽しめますが、この話のもとになった日本アジア航空の話を先にご覧いただけるとより楽しめます。よろしければ先にこちらをどうぞ
前編sm38052031
後編sm38096738
中台関係の悪化で別会社運航を迫られたのは日本航空だけではなく、中華航空を含めた世界の航空会社が何らかの対応でやり過ごすことになります。別会社を立ち上げてブランドを分けた会社、既存の子会社で台湾路線を飛ばした会社、別会社を作ったふりをして中国の目を欺いた会社、何もしなかった会社など・・・今回はそんな台湾路線での各国の航空会社の悲喜こもごもをご紹介します。
・・・しかし今見れば滑稽だよなこれ。
名航空会社列伝「外交関係が生んだスペシャリスト」日本アジア航空 後編
前編はこちら→sm38052031
数々の紆余曲折を経てようやく運航開始にこぎ着けた日本アジア航空。創立当初こそ困難が続きましたが、次第に台湾路線に特化した航空会社としてJAL本体とは別の立ち位置を築きます。そんな台湾路線のスペシャリストも2008年3月31日を持ってJAL本体に吸収され、32年間の歴史に幕を降ろしました。日本アジア航空が消えた理由もまた、中国と台湾との外交関係の変化によるものだったのです。
迷航空会社列伝「外交問題が生んだ航空会社」日本アジア航空 前編
今回取り上げるのは、かつてJALグループの台湾路線を運航していた航空会社・日本アジア航空。今でこそ台湾路線はJAL・ANAが直接運航していますが、かつては外交的事情で中国路線を運航する航空会社が台湾路線を運航することはできず、別会社での運航を余儀なくされました。JALグループの場合、日本アジア航空が台湾路線を担当していましたが、その設立の経緯は日本と中国・台湾との外交関係や、日本の航空政策を揺るがす問題を引き起こします。詳しくは本編で。
なお、今回も設立の経緯だけで動画一本分使ってしまったので、例によって前後編になります。
後編はこちら→sm38096738
迷航空会社列伝「続・イタリアのフラッグキャリア」アリタリア航空
もうこの会社のグダグダぶりはある意味芸術ものだわ・・・
2017年5月の2度目の経営破綻後、アリタリアの再建スポンサー探しはイタリア政界のゴタゴタもあって混迷を深めます。2年たってようやく新たなスポンサーによる枠組みが決まるも、中心スポンサーになるはずだったイタリア鉄道の撤退で振り出しに。
そして、2020年に全世界を襲った危機がアリタリアの再建問題に意外な結末を迎えることに・・・
迷航空会社列伝「統合したから用はない」インターフルーク
今回取り上げるのは迷航空会社シリーズ初の東側の航空会社で、かつての東ドイツのフラッグキャリア・インターフルーク。東西ドイツの分裂に伴い誕生したのですが、その前身の経緯と言い経歴と言い消え方と言い、東側諸国のキャリアの中でも1,2を争うほど迷走した航空会社でした。詳しくは本編で。
なお、うp主が例の銀行ドラマロスになっている関係上、例の銀行ドラマネタ多めとなっております。あらかじめご了承ください。
交通機関の栄枯盛衰「廃線寸前からの倍返し」富山ライトレール
※この動画は前後編になっています。まだの方は先に交通機関の栄枯盛衰・JR富山港線編をご覧下さい→sm37402190
廃線への道を辿るように思えた富山港線ですが、JR西日本は路面電車化という思わぬ提案を行います。それは時同じくして少子高齢化、人口減少社会への対策を考えていた富山市長にとって渡りに船な提案でした。
「日本初の本格的LRT」という、公共交通再生のモデルケースとなったJR富山港線改め富山ライトレールはどのようにして劇的な復活を遂げたのか?そして富山港線が迎えた意外な結末とは?
交通機関の栄枯盛衰「そして需要は消えていった」富山港線
今回取り上げるのはJR富山港線。戦前の富岩鉄道に始まり、富山電気鉄道の買収や戦時買収を経て国鉄になった路線ですが、戦前から戦後しばらくの時期までは旅客・貨物共に工業地帯の旺盛な需要に支えられて我が世の春を謳歌しました。
しかし、JRになってからは鳴かず飛ばずで、遂には廃線の危機にまで追い込まれてしまいます。優良路線だったはずの富山港線は、なぜ廃線寸前まで追い込まれてしまったのでしょうか?