タグ DV-7 が登録されている動画 : 426 件中 161 - 192 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
「歌ったみた」の作り方、ローランドDV-7Gの場合
歌唱を録音、音声・動画を加工して、DV-7G搭載「ニコニコ動画へのダイレクトアップロード」機能で簡単投稿まで。
ロシア・バルト3国 お旅17「ヴィリニュスの朝」
朝食後、ホテルの近くを散策しました。ホテルの近くに湖があり、水車小屋などがありました。
ロシア・バルト3国の旅16「カウナス寸描」
カウナス城はドイツ騎士団に備えて13世紀に造られました。現在も、その一部が残っていました。第二次世界大戦中、カウナス領事館の杉原千畝は、ナチス・ドイツからユダヤ人を守るため、6000人を国外に脱出させました。現在、杉原記念館として残っています。
ロシア・バルト3国の旅15「トラカイ城」
リトアニアのトラカイ城は、ガルフェ湖のトラカイ島にある城で、14世紀~15世紀初頭に造られました。湖に浮かぶ赤い美しいお城が印象的でした。
ロシア・バルト3国の旅11「トウライダ城」
トウライダ城は、ラトビア中部のガリヤ国立公園にある城で起源は13世紀です。赤レンガの美しい丸い塔がありました。
ロシア・バルト3国の旅10「エストニアからラトビアへ」
エストニアとラトビアの国境は、単に「門」があるだけの簡単なものでした。
ロシア・バルト3国の旅8「カトリオルク公園・歌の原」
カトリオルク公園は、ロシアのピョートル大帝が皇后エカテリナのために造った離宮カトリオルク宮殿の庭園で、近くに可愛いカトリオルク宮殿もありました。歌の原は、大きな野外音楽堂でした。
ロシア・バルト3国の旅6「国境の城」
ロシアのサンクトペテルブルクから、エストニアの首都タリンに行くため、ロシアとエストニアの国境を超えることになりました。国境はナルヴァ川という小さな川で、この川を挟んで、互いに相手国に向けた城がありました。
ロシア・バルト3国の旅4「ピョートル大帝 夏の宮殿」
サンクトペテルブルクにあるピョートル大帝の夏の宮殿はバルト海に面し、大帝は船で来ることもありました。宮殿の内部を見た後、庭園に出ると、夏の宮殿にふさわしく、素晴らしい噴水がありました。
フランスの旅16「ルーアン寸描」
ルーアンはオンフルールの東、パリの北西にあります。ジャンヌ・ダルクはルーアンで処刑されました。処刑された場所には、高い慰霊塔が建てられ、近くにジャンヌ・ダルク教会がありました。街は、上の階にいくほど壁が迫り出している、特有の家並になっていました。これは税金対策です。税金は1階の建築面積に応じてかけられるからです。
フランスの旅12「シュノンソー城」
シュノンソー城は川の上に建っている変わった城です。城の周囲には広大な庭園が2つあり、1つはカトリーヌ王妃、他の1つはヘンリー2世の愛人ディアーヌ・ド・ポワティが作った庭園です。
フランスの旅11「シャンボール城」
シャンボール城は、古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れた、フレンチ・ルネサンス様式が特異な城です。ロワール渓谷最大の威容を誇りますが、元はフランソワ1世の狩猟小屋を始まりとした城です。
フランスの旅8「アヴィニオン法王庁」
1309年から1377年まで7代にわたる教皇のアヴィニョン捕囚時代にアヴィニオンに法王庁ができ、ローマ教皇庁と対立、分裂していました。
フランスの旅7「アルル・アヴィニオン寸描」
アルルの近くに世界遺産のローマ時代の二重水道橋があり、私たちは歩いて渡りました。アヴィニオンには有名な「アヴィニオンの橋」(サン・ペネゼ橋)があります。
フランスの旅4「カンヌ寸描」
カンヌは、丁度カンヌ国際映画祭の前で、その準備をしていました。会場へのアプローチには、俳優や監督の手形とサインがあり、黒沢明のサインもありました。会場近くの海岸にある広場には、数多く、白いテントが張られていました。
フランスの旅3「モナコ・エズ寸描」
モナコは、モンテカルロ・サーキット前でバスはサーキット・コースを通りながら、サーキットの観覧席設営状況などを見せてくれました。エズはモンテカルロの近郊にある高地の要塞の中にある村で、植物園がありました。
フランスの旅2「シャガール美術館」
シャガール美術館はニースにあります。シャガールの絵は旧約聖書の世界で、アダムとイヴの誕生、エデンの園からの放逐の様子がものがたり的に描かれていました。
フランスの旅1「ニース寸描」
フランスの旅は最初にフランスの最東南端ニースからのスタートです。ニースは世界的リゾート地で、海岸コート・ダジュールには高級リゾートホレル、高級リゾートマンションが数多くありました。
ドイツの旅20「ケルン寸描」
ケルンは、ローマ帝国によってローマ植民市として建設されたライン川中流の古い町です。ケルンは古代から現代に渡って交易と地域政治の中心として栄えてきました。現在では国際的な見本市や展示会が行われる産業都市の側面も持っています。ユネスコ世界遺産に登録されているケルン大聖堂が町のシンボルです。
ドイツの旅19「ライン川下り」
貸し切りの小舟に乗ってライン川を下りました。沿岸には数多くの古城がありました。そして、ローレライの像もありました。
ドイツの旅18「「リューデスハイムの朝」
朝食前に、「リューデスハイムの町を散策しました。石畳の小路を行くと、小さな広場に出て、石造りの古い教会がありました。さらに行くとライン河畔に出て、古い見張りの塔がありました。
ドイツの旅17「リューデスハイムの夜」
「リューデスハイムはライン川に沿った小さな町でした。レストランでは音楽にあわせてみんなでダンスをしたり楽しい1夜でした
ドイツの旅16「ワイマール寸描」
ゲーテとシラーゆかりの街、ワイマールを訪問しました。市庁舎の鐘楼の鐘はマイセンのマークがついた陶器でした。街には15世紀に建てられた古い建物も残っていました。
ドイツの旅14「ドイツの夜」
夕食後、久しぶりに早い時間ホテルに帰って休息しました。ホテルにはフィットネス・ルームなど、今まで気づかなかった設備がありました。
ドイツの旅13「世界遺産 ツェツィリンコフ宮殿」 ポツダム
ポツダムにあるツェツィリンコフ宮殿は、ウイリヘルム皇太子のために1917年に建てられました。この宮殿で、ポツダム会談が行われました。
ドイツの旅12「ベルリン寸描」
ベルリンの壁は1989年に崩壊しましたが、歴史の保存と観光用に一部残っており、私たちは、残っている壁に沿って歩きました。
ドイツの旅11「世界遺産 ペルガモン博物館」
ペルガモンはトルコの地名です。ペルガモンにあった古代遺跡を、ナチス・ドイツ時代、ベルリンに運び出し、ペルガモン博物館を作りました。トルコのペルガモンには、今は何ものこっていません。
ドイツの旅9「世界遺産 ドレスデン寸描」
ドレスデンはエルベ川に沿って街が開かれています。第二次世界大戦で、徹底的に空爆を受け、現在ある建物は、戦後復元されたものです。マイセン・タイル25000枚で造られた「兵士の行列」のモザイクは、長さ201mもあり、圧巻でした。