【神道シリーズ・シーズン2】第41回・大塩平八郎【前編】理論・思想編

【神道シリーズ・シーズン2】第41回・大塩平八郎【前編】理論・思想編

大塩平八郎は、大阪東町与力の家系に育ち、四書五経などの儒学の素養はもともと持っていたが、彼が陽明学に目覚めたのは与力職を引退した後の36歳の時に明代の陽明学者・呂新五の「呻吟語」という本に出合ってからで、もともと生真面目実直で愚直とも言える一徹な性格の大塩は自らの与力職体験と重ね合わせながら独自の陽明学論を形成して行った。良知と呼ばれる生来の善の心を発揮すればそれそのものが宇宙の原理だという考え方で、朱子学のようにどうしたらその善の心を発動できるかという方法が陽明学ではまったく語られていないので多くの陽明学者たちを苦悶させることとなった。確固たる方法が見つからず最終的には中国の古代神上帝の信仰に走った中江藤樹や、自説の政治改革論を藩士・藩主・幕閣に訴え続け、立場の上下無関係に彼らを批判し続けて最後は蟄居となった熊沢蕃山、そして大塩は精神的に四六時中自己の心の監視を続けるというやり方で自分を追い込み、最後は大塩平八郎の乱という大坂の約五分の一を焼き払ってしまう大火を招いた反乱を起こしたのちに自爆した。日本の陽明学者が苦悶に陥ったのは、陽明学で良知なる宇宙真理である善、つまり良き心、つまり、学習や経験によって習得したものではなく、生まれつき持ってる良心をどう発動させるかというところであるが、大塩は、眠っている時間も含めて一瞬たりとも緊張を緩めることなく自分の良心に照らして自己監視し続けるという方法を採った。その時を同じくして天保の大飢饉が訪れ、周りに餓死者たちが次々で出てくる現実に直面し、知行合一をモットーとする大塩にはクーデターを起こして幕藩体制そのものまで覆さなければならないという使命感に至り、天保8年2月19日(1837年3月25日)世に言う大塩平八郎の乱を起こすこととなった。果たして大塩は自ら確立した大塩陽明学の理論の行きつく果てとして乱を起こしたのか?それとも彼の行きついた論理破綻の上、絶望的な判断として乱に至ったのか? 今、彼の本当の心の中を知るものは誰もいないが、これは陽明学の可能性や危険性を理解する上でも大塩の陽明学理論は貴重な研究材料となる。大塩平八郎の乱自体はわずか1日で鎮圧され、大坂は火の海となり、多くの犠牲者が残されたが、もう一つ大塩が残した遺産として彼の14年間をかけた著書「洗心同さっき」は、その後、明治維新の立役者・西郷隆盛や西郷に心酔していた後の大アジア主義者の当山満らに大きな影響を与えることになったのである。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm39298148