<ニュース・コメンタリー>誰が既得権益の守護神としての官僚機構をコントロールするのか 「政治とカネ」論争で抜け落ちているマックス・ウェーバー的視点

<ニュース・コメンタリー>誰が既得権益の守護神としての官僚機構をコントロールするのか 「政治とカネ」論争で抜け落ちているマックス・ウェーバー的視点

 甘利明経済担当相が業者から不透明な資金を受け取ったことを認め辞任をしたことで、改めて「政治とカネ」の問題に注目が集まっている。 ビデオニュース・ドットコムでも先週のこの番組で、甘利問題の背後にある現在の「企業・団体献金」の在り方に重大な問題、かつ信義違反があることを指摘した。 リクルート事件や佐川急便事件などで政治家と企業の金権癒着ぶりが露呈したことを受けて、1994年に税金で政治活動を賄う「政党助成金制度」が導入された。その際、当然のこととして、企業団体献金は禁止されることが前提だった。その後の法改正で政治家個人に対する企業・団体からの献金は制限されたが、政党に対する企業団体献金は引き続き認められた。そのために現在でも企業・団体から「政党支部への献金」という名目で、事実上政治家個人への企業献金が続けられている。それは、毎年、政党助成金として年間320億円もの税金が投入されている現在、明らかに約束違反であるというのが先週の番組の主な論点だった。 その論点そのものは約束違反という意味では100%間違っていない。 しかし、政治資金については、それとはまた別の次元で、われわれ主権者が考えておかなければならない重要なことがある。それは、そもそも政治資金が本当に悪なのかという、先週の番組での議論をやや「卓袱台返し」するような視点である。・・・・・・ あえて誰とは言わないが、過去にも絶大な政治力を持ち、その力をもって既存の枠組みを変えようとした政治家の多くが、いやそのほとんどが、政治とカネの問題で特捜検察に摘発され、その政治力を削がれている。無論、それは偶然だったのかもしれない。しかし、今こそわれわれは上記のマックス・ヴェーバーの言葉を再確認すべきではないだろうか。 まず、われわれはアメリカ的な政治資金規正法の理念の上に立つのか、あるいは大陸法に見られる政治資金規制法の理念に上に立つのかについて、理解と議論を深める必要がある。その上で、どのような制度を構築していけば、政治活動や経済活動が歪められることなく、また税金が詐取されたり無駄になることがなく、主権者の利益が守られ、いかに官僚機構が抵抗しようとも主権者によって選ばれた政治家が必要な改革を実現できるような政治を実現できるのかを考える必要があるのではないか。 少なくとも政治スキャンダルのたびにマスコミが横並びで大合唱する「政治とカネ」の薄っぺらな議論に惑わされ、100年の計を過たないようにしたいと思う、今日この頃である。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、「誰が官僚をコントロールするのか」というマックス・ヴェーバー的視点で、政治とカネ問題に対して先週とは正反対のアングルから議論した。

http://www.nicovideo.jp/watch/so28161708