何かわけがあったか? 『徒然草 気まま読み』#99

何かわけがあったか? 『徒然草 気まま読み』#99

今回扱うのは、第十段。一部を紹介すると…家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。よき人の、長閑(のどやか)に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ちものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子(すのこ)・透垣(すいかい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。兼好の思考の柔軟さがよく見える一段。仏教の無常観から、人の住まいなど仮の宿りだと思う一方で、その中に趣のある様子を見れば、心を動かされる。とはいえ、あまりに凝り過ぎたものを見ると、それは見苦しいと感じる。そして後半ではある故事について、語り伝えられてきて評価の定まったことについても、ふとしたことから再考の必要があるのではと思いつく。固定観念に縛られずに感じ、考え続けた姿勢がうかがわれる。

http://www.nicovideo.jp/watch/so37534127