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【くずし字】徒然草 石清水を拝まざりければ【Kuzushiji】Essays in Idleness
同志社大学図書館荒木英学文庫の元文二年版本『徒然草』から、「石清水を拝まざりければ」の章段(52段)をくずし字で読みます。
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【初心者向】くずし字勉強法【ひらがな】
https://youtu.be/4Z0GPqjMJ8s
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【今回読んだテキスト】
つれつれ草 2巻
荒木文庫
刊本 菊屋喜兵衛 元文2 [1737]
同志社大学デジタルコレクション 29コマ
https://dgcl.doshisha.ac.jp/digital/collections/MD00000656/?lang=0&mode=0&opkey=R167687514943441&idx=1#?c=0&m=0&s=0&cv=28&r=0&xywh=1960%2C828%2C4757%2C2324
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【参考文献】
永積安明校注訳(1995)『徒然草』(新編日本古典文学全集44)
安良岡康(1967)『徒然草全注釈 上巻』(日本古典評釈・全注釈叢書)角川書店
桑原博史(1977)『徒然草の鑑賞と批評』明治書院
三木紀人(1982)『徒然草(ニ)全訳注』講談社学術文庫
稲田利徳(2008)『徒然草論』笠間書院
島内裕子(2010)『徒然草』ちくま学芸文庫
久保田淳校注(2016)『徒然草』(新日本古典文学大系 39)岩波書店
宮下拓三(2021)『徒然草全読解 : 助動詞の徹底考察にもとづく新評釈』右文書院
河北騰(2013)『今鏡全注釈』笠間書院
能勢朝次 著『徒然草』,研究社,昭和23.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1129773/1/128
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OtoLogic
兼好法師の自慢話「徒然草気まま読み」#163(最終回)
長らくお楽しみいただいた「徒然草気まま読み」、今回が最終回となります!
最後に扱うのは、第二百三十八段。
一部を紹介すると…
一、賢助僧正に伴ひて、加持香水(かうずゐ)を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外(ほか)まで僧都見えず。
ある人物が七か条にわたって自慢話を書きとどめたことがあったことに倣って、それなら自分もとばかり、兼好法師が七つ挙げた自慢話の数々。
一条から五条までは自分の教養・知識をひけらかす類の話なのだが、六番目にちょっと不思議な話が出てくる。さらに最後の七番目の自慢話がまた可笑しい。
3年3か月にわたって気ままに読み続けた徒然草、何かの折にものを考えるヒントになれば幸いです!
ある貴族の逸話「徒然草気まま読み」#162
今回扱うのは、第百九十六段。
前半部分を紹介すると…
東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮より歸座のとき、源氏の公卿參られけるに、この殿大將(たいしゃう)にて、先を追はれけるを、土御門相國、「社頭にて警蹕いかゞはべるべからむ。」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候。」とばかり答へ給ひけり。
前段の百九十五段にも登場する、久我通基内大臣の逸話。
最初に出てくる「東大寺」は石清水八幡宮の誤り。
この時代の「神輿(しんよ)」とはいまのお神輿(みこし)とは性格が異なるものなのだが、これを移動させる際、これに伴う神事について通基と別の貴族、土御門相國定實公の間で意見が分かれた。
当時の貴族の教養や、神についての観念などがうかがえる、興味深い一段。
手近なことをきちんとすべし「徒然草気まま読み」#161
今回扱うのは、第百七十一段。
最初の部分を紹介すると…
貝をおほふ人の、わが前なるをばおきて、よそを見渡して、人の袖の陰、膝の下まで目をくばる間(ま)に、前なるをば人に掩はれぬ。よく掩ふ人は、よそまでわりなく取るとは見えずして、近きばかりを掩ふやうなれど、多く掩ふなり。棊盤のすみに石を立てて彈くに、むかひなる石をまもりて彈くはあたらず。わが手もとをよく見て、こゝなるひじり目をすぐに彈けば、立てたる石必ずあたる。
最初は当時行われていたゲームの話から始まる。
そこから話は一気に政治の正しいあり方を説き、医学書の話、遠征の話にまで行く。
小さなことから大きなことまで、大切なことは共通しているというのだ。
ジャンルにとらわれず、その本質を見極めようとする兼好の柔軟な発想がよくわかる一段。
矢の練習をしたい東北きりたん【Voiceroid/Voicevox劇場】
ずんだもんは可愛いなぁ
いいねのお礼コメントにすんだアローについての疑問点を書いておきます
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落馬の相「徒然草気まま読み」#160
今回扱うのは、第百四十五段。
全文を紹介すると…
御隨身秦重躬(しげみ)、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よく\/愼み給へ。」といひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願馬より長じぬる一言、神の如し。」と人おもへり。さて、「いかなる相ぞ。」と人の問ひければ、「極めて桃尻にて、沛艾(はいがい)の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる。」とぞいひける。
上皇の側近・秦重躬という人物が、北面の武士・下野入道信願に、「あなたには落馬の相がある。十分用心なされよ」と忠告した。
そんなことあるかと誰も信用しなかったが、実際に信願が落馬して死んでしまったため、人々はまるで神のお告げのようだ、落馬の相とは、いかなる相が表れていたのかと問うたところ…
種明かしを聞くと、思わず笑ってしまうようなことだった。
神にしか言えないかと思われるような真理も、実は当たり前のことのなかに潜んでいたりするものだという、兼好のメッセージ。
求道一徹「徒然草気まま読み」#159
今回扱うのは、第百四十四段。
前半を紹介すると…
栂尾の上人道を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、「あし\/〔足を洗ふため足と云つたのを阿字と聞いた〕。」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執(しゅくしふ)開發(かいほつ)の人かな。阿字々々と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは。」
兼好法師が何に感動し、何を高く評価するかという価値観がよく表れている段。
ここで兼好が紹介するのは、華嚴宗中興の祖と仰がれた明惠上人にまつわる、普通の感覚では全くの笑い話としか思えないエピソード。
ところが兼好はこれを全く滑稽な話だとは思っていない。明惠上人の、仏道を一途に追及する姿勢を端的に表した逸話として、感動を以て紹介しているのである。
さて、この感覚に同感できるかどうか?
人の臨終の有様「徒然草気まま読み」#158
今回扱うのは、第百四十三段。
全文を紹介すると…
人の終焉の有樣のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、「靜かにして亂れず。」といはば心にくかるべきを、愚かなる人は、怪しく異なる相を語りつけ、いひし言(ことば)も擧止(ふるまひ)も、おのれが好む方に譽めなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覺ゆれ。この大事は、權化の人も定むべからず、博學の士もはかるべからず、おのれ違ふ所なくば、人の見聞くにはよるべからず。
人の臨終の様子を語り伝える時に、たとえほめそやすつもりでも、話を盛って伝えることは決してその人の本位に沿うことではないとたしなめる兼好。
そもそも、人がどのように訪れるかなどは、誰にも予想することはできない。ただその人の日ごろの心がけに違わぬ形で迎えられれば、それでいい。
常に死が自分の身近に、しかも後ろにあるという捉え方をしている兼好の考えがよく表れた、短いながらも味わい深い一段。
京の人、吾妻の人「徒然草気まま読み」#157
今回扱うのは、第百四十一段。
冒頭を紹介すると…
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそいひつることは頼まるれ。都の人は言受けのみよくて、實なし。」といひしを、
東国の武士であった尭蓮上人のもとを訪れた郷里の人が、「東国の人は言ったことは守るから信頼できるが、京の人は口先だけで約束を守らない」と言った。
それに対して尭蓮上人は、自分も最初はそう思ったが、長く住んでいるうちにそうとも言い切れないと思うようになったと答える。
その理由を聞いて、兼好法師は尭蓮上人を大きく評価する。
そうは言ってもやっぱり京都の人は難しいという、高森師範の痛い体験談もついてます!
己自身を知れ「徒然草気まま読み」#156
今回扱うのは、第百三十四段。
冒頭を紹介すると…
高倉院の法華堂の三昧僧何某の律師とかやいふ者、ある時鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌の醜くあさましき事を、餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。
山城愛宕郡清閑寺のある三昧僧は、ある時鏡で自分の顔をよく見ていて、その容貌のあまりの醜さを憂いて、以後は鏡を手に取ることもなかったばかりか、人と会うことも避けるようになった。
このエピソード、普通だったら自意識過剰と批判的に扱いそうなところだが、兼好は違う。むしろ、立派な心掛けとして評価しているのである。
人は自分自身の事を知らず、自分を知らないということは、他人を知ることなどできるわけもない。
自分自身を知らないということは、自分自身には合わないことをやっていてもわからないし、自分が何をすべきかもわからないということだ。
兼好法師の厳しい人間観、人生観がよく表れた一段。
兼好法師の教養論「徒然草気まま読み」#155
今回扱うのは、第百二十二段。
冒頭を紹介すると…
人の才能は、文明らかにして、聖の教へを知れるを第一とす。次には手かく事、旨とする事はなくとも、これを習ふべし。學問に便りあらむ爲なり。
人の学問・才芸としては、古典を学び、聖人の教えを詳しく知っていることが第一に重要で、その次は文字を上手に書くことが大事だと兼好は言う。
さらにこれに続けて、重要なものを順番に挙げていくのだが、ここに兼好らしく、しかも現代に通じる価値観が表れてくる。
普通は「文武両道」というが、兼好はこれにもう一つの道を加える。しかもその第三の道を「武」よりも上に置き、この3つのいずれも欠けてはならないと説く。
その第3の道とは?
そしてその価値観は、実は最近出た『コロナとワクチンの全貌』にも通じている!
未練の狐「徒然草気まま読み」#154
今回扱うのは、第二百三十段。
全文を紹介すると…
五條の内裏には妖物(ばけもの)ありけり。藤(とうの)大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黑戸にて棊をうちけるに、御簾をかゝげて見る者あり。「誰(た)そ。」と見向きたれば、狐、人のやうについゐてさしのぞきたるを、「あれ狐よ。」ととよまれて、まどひ逃げにけり。未練の狐化け損じけるにこそ。
現代語で「未練」とは、「未練がましい」とか「未練たらたら」といった使い方しかしないが、ここでいう「未練」は「熟練」の反対語。
まだ未熟で、人に化け損ねた狐を見たという人の話。
一方で現代人に通じる、あるいはそれ以上の合理的思考を見せる兼好だが、もう一方ではこんなおとぎ話のような出来事を疑いもせず事実扱いしているのも、面白いところ。
味噌があれば酒は呑める「徒然草気まま読み」#153
今回扱うのは、第二百十五段。
冒頭部分を紹介すると…
平宣時朝臣、老いの後昔語に、「最明寺入道、ある宵の間によばるゝ事ありしに、『やがて。』と申しながら、直垂のなくて、とかくせし程に、また使きたりて、『直垂などのさふらはぬにや。夜なれば異樣〔粗末のもの〕なりとも疾く。』とありしかば、
鎌倉幕府の閣僚クラスであった人物が、老後の昔話に語った話。
最高権力者である執権の最明寺入道からある宵の時に来るよう呼ばれた。
正式の訪問着もなかったのだが、それでもいいからすぐ来いと言われて出かけてみると…
最高権力者とその臣下の関係にある者でありながら、全く飾らず盃を交わしていたという場面が語られる、実に微笑ましいエピソード。
人生は不確実なり「徒然草気まま読み」#152
今回扱うのは、第百八十九段。
前半を紹介すると…
今日はその事をなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で來て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人はきたり、頼みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。
人生の真実を端的に言い表した一段。
人生は思い通りには行かない。あてになるものなどない。
といっても、決してネガティブにもならずニヒリズムにも陥らず、フラットな視点で語っているのが特徴。
大に慣れれば小を顧みない「徒然草気まま読み」#151
今回扱うのは、第百七十四段。
全文を紹介すると…
小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹に惡くなるといふ。大に就き小を捨つる理まことにしかなり。人事多かる中に、道を樂しむより氣味深きはなし。これ實の大事なり。一たび道を聞きて、これに志さむ人、孰れの業かすたれざらむ、何事をか營まむ。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らむや。
鷹狩りの犬の話から、大きなことに関わった者は、小さなことには目が向かなくなるという例を挙げた上で、これを兼好法師は一気に人生における仏道修行の話につなげる。
人生において、仏道よりも大きなものはないと確信する、兼好法師のある種のラジカリズムや、人生観がストレートに表されている一段。
さて、これをどうお感じになるでしょうか?
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浄土宗随一の学者僧侶「徒然草気まま読み」#150
今回扱うのは、第百二十四段。
全文を紹介すると…
是法法師は、淨土宗に恥ぢずと雖も、學匠をたてず、たゞ明暮念佛して、やすらかに世を過すありさま、いとあらまほし。
浄土宗の中でも誰にも引けを取らない学者である、是法法師。
兼好法師はこの人のようにありたいと記している。
兼好は是法法師のどのようなところを理想としているのだろうか?
それは、今どきのテレビに出てくる「学者」たちとは、正反対の生き方だったりする。
心の重大さ「徒然草気まま読み」#149
今回扱うのは、第百二十九段。
冒頭を紹介すると…
顔囘は、志人に勞を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。
現代の人間でも追いついていない人が圧倒的に多い、心身に関する兼好の先見性がうかがえる一段。
人の心を蔑ろにすることは、人の身体を傷つけること以上に害が大きいものである。
薬が身体に及ぼす影響よりも、心が身体に影響を及ぼすことの方がはるかに大きい。
そんなことを兼好は、実例を挙げて説いていく。
コロナ禍で、過剰にウイルスを怖れて人の心を踏みにじることに対して一切の配慮をせず、しかもワクチンに全ての望みをかけている現代人って、兼好から見てどれだけ遅れているのだろうか?
狆(チン)に似た僧侶「徒然草気まま読み」#148
今回扱うのは、第百二十五段。
前半を紹介すると…
人に後れて、四十九日(なゝなぬか)の佛事に、ある聖を請じ侍りしに、説法いみじくして皆人涙を流しけり。導師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日は尊くおぼえ侍りつる。」と感じあへりし返り事に、ある者の曰く、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなむ上は。」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。
いつの時代にも、決して悪気はないのだろうが、徹底的に空気が読めず、完全に的外れな発言をして場を白けさせてしまう人というのはいるもの。
故人の四十九日の法要に、ある高僧を招いたところ、その説法が素晴らしく、皆涙を流して聞き入った。
僧が帰った後も、その感動冷めやらない人々が口々にその思いを語っていたところ、空気の読めない人が一人いて…
前回紹介した話に引き続き、兼好のツッコミが楽しい。この段は後半の話と合わせてツッコミニ連発!
下手なとぼけ方「徒然草気まま読み」#147
今回扱うのは、第九十段。
全文を紹介すると…
大納言法印のめしつかひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常にゆき通ひしに、ある時いでて歸り來(きた)るを、法印、「いづこへ行きつるぞ。」と問ひしかば、「やすら殿の許(がり)まかりて候。」といふ。「そのやすら殿は、男(をのこ)か法師か。」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候らむ。頭をば見候はず。」と答へ申しき。などか頭ばかりの見えざりけむ。
この時代には同性愛に対して非常に大らかだったという文化を伝えている一段。
大納言法院というくらいの高い僧侶が、乙鶴丸という稚児を目にかけていた。
というか、はっきり言えばこの二人は男色の関係にあったわけだが、その乙鶴丸に、他に男が出来たらしく、しょっちゅう通っていくので、ある時大納言法院、そのことを問い質したら…
最後の兼好のツッコミも面白い。
頂点を極めず「徒然草気まま読み」#146
今回扱うのは、第八十三段。
前半を紹介すると…
竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はむに、何の滯りかおはせむなれども、「珍しげなし。一の上(かみ)にてやみなむ。」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相國(しゃうごく)の望みおはせざりけり。
律令国家においては、太政大臣が臣下としての最高位であった。
西園寺公衡は、恵まれた境遇にあり太政大臣の地位に就くことはほぼ確実であったにもかかわらず、左大臣でやめておこうと、自ら出家してしまった。
しかも、そのことに共感した藤原實泰も、望みのあった太政大臣の位を目指さなかった。
あえて頂点を目指さないという価値観に兼好も共感し、これを紹介しているわけだが、そこにある美学とは一体何だろう?
豆と豆殻の会話「徒然草気まま読み」#145
今回扱うのは、第六十九段。
一部紹介すると…
書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮る音の、つぶ\/と鳴るを聞きたまひければ、「疎からぬ己等しも、うらめしく我をば煮て、辛(から)き目を見するものかな。」といひけり。
兼好法師はかなり合理的な人というイメージがあるが、たまに不思議な話も書いている。
これもその一つで、仏教最高の経典とも言われる法華経を読み続け、心身全て清らかな境地に至った上人には、普通の人民にはとてもできない特殊な能力が備わるという話なのだが、その特殊な能力というのがなんと…
信心や修行についての話となると、ちょっと扱いが変わってくるところが面白い。
夜の魅力「徒然草気まま読み」#144
今回扱うのは、第百九十一段。
冒頭部分を紹介すると…
夜に入りて物のはえ無しといふ人、いと口惜し。萬の物のきら、飾り、色ふしも、夜のみこそめでたけれ。晝は事そぎ、およすげたる姿にてもありなむ。夜はきらゝかに花やかなる裝束いとよし。
兼好の独特の美意識、価値観が表れている一段。
見るもの、聞くもの、匂うもの、その全てにおいて昼よりも夜の方がいいと兼好は絶賛。
夜の魅力がわからない人は、残念な人だとまで言い切る。
もちろん当時の夜といえば、灯りはごくわずかで暗闇に近い世界。
それでも夜の方が断然いいと言い切るのはなぜか?
もしかしたら、そこには現代人が忘れている感覚があるのかもしれない。
寸陰惜しむ人なし「徒然草気まま読み」#143
今回扱うのは、第百八段。
冒頭部分を紹介すると…
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しと雖も、これを累ぬれば貧しき人を富める人となす。されば商人(あきびと)の一錢を惜しむ心切なり。刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期(ご)忽ちに到る。
ほんのちょっとの時間を無駄にしても、それを惜しむ人はいない。
しかし、人生はほんのちょっとの時間の積み重ね。
これくらいの時間の浪費くらい、大したことないと思っていたら…
「徒然草」の中でも、何度も繰り返し語られるテーマ。
それほどに重要な、それでいて、日常の中でつい忘れてしまう、だからこそ何度でも、いろんな表現で繰り返して言っておかなければならないと兼好が思っていたのであろう真理。
荒れたる宿の「徒然草気まま読み」#142
今回扱うのは、第百四段。
冒頭部分を紹介すると…
荒れたる宿の人目なきに、女の憚る事あるころにて、つれづれと籠り居たるを、ある人とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなき程に、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしく咎むれば、げす女のいでて、「いづくよりぞ。」といふに、やがて案内せさせて入りたまひぬ。
ある女性が人目をはばかって粗末な家に侘び住まいをしていた。
そこに高貴な身分の男性が、夕暮れの月あかりの中を忍んで訪ねてきた。
情景描写が非常に細かく、情感たっぷりに語られる男女の切ない一夜のお話。
この段は、兼好が伝聞等から既述した小説的なものというのが通説。
しかし泉美さんは作家の感性と探偵の分析力で、今まであまり言われていない、しかし説得力のある新解釈を披露!
又五郎の凄さ「徒然草気まま読み」#141
今回扱うのは、第百二段。
前半部分を紹介すると…
尹(いんの)大納言光忠入道、追儺の上卿(しゃうけい)を務められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎をのこを師とするより外の才覺候はじ。」とぞ宣ひける。かの又五郎は老いたる衞士の、よく公事に馴れたる者にてぞありける。
宮中で大晦日に行われる重要な行事の実行責任者を務めることになった尹大納言光忠入道、滅多にあることではないので、どうすればいいのかと、その式次第を洞院右大臣に聞いたところ、又五郎に聞く以外にないとの答え。
上級貴族が一目置く、その又五郎とは誰か?
身分に関係なく、現場の人物の能力を正当に評価しているところに注目。
楽器のせいではない「徒然草気まま読み」#140
今回扱うのは、第二百十九段。
冒頭、一部だけ紹介すると…
四條黄門命ぜられて曰く、「龍秋は道にとりてはやんごとなき者なり。先日來りて曰く、…
以下、笛の構造に関するやたらと詳しい話が続く。
横笛には吹口のほか七つ穴があるが、そのひとつひとつに名前がついている。
その名を挙げつつ講釈が長々と続くのだけれども、結論は至って単純。
そのギャップが面白いかも。
素直な命名「徒然草気まま読み」#139
今回扱うのは、第百十六段。
全文を紹介すると…
寺院の號、さらぬ萬の物にも名をつくること、昔の人は少しも求めず、唯ありの侭に安くつけけるなり。この頃は、深く案じ、才覺(さいがく)〔才智、自分のはたらき〕を顯はさむとしたる樣に聞ゆる、いとむつかし〔こゝでは面倒でうるさい〕。人の名も、目馴れぬ文字をつかむとする、益(やく)なき事なり。何事もめづらしき事をもとめ、異説を好むは、淺才の人の必ずあることなりとぞ。
これもまた、兼好らしさに満ちた一段。
寺院の号にしても、人の名にしても、シンプルな方がいい!
わざわざことさらに凝った、珍しい名をつけたがる人というものは…
子供に「キラキラネーム」をつける親に聞かせてみたい。
日暮れて道遠し「徒然草気まま読み」#138
今回扱うのは、第百十二段。
冒頭を紹介すると…
明日は遠國(ゑんごく)へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事をも營み、切(せち)に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。
人は世俗のことを軽視するわけにはいかないし、それから簡単に逃れることはできない。
しかし、人生は短い。これでは、一生を些事に囚われて終わることになってしまう。
では、どう考えればいいのか?
兼好法師が我が身と人生を振り返って言っているとしか思えない、荒々しい魂の叫びを聴こう!
世間に疎くあれ「徒然草気まま読み」#137
今回扱うのは、第七十六段。
全文を紹介すると…
世のおぼえ花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く往きとぶらふ中(うち)に、聖法師の交りて、いひ入れ佇みたるこそ、さらずともと見ゆれ。さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなむ。
権勢のある人のところに、いろんな人が出入りしている中に、遁世の法師が混じっていた。
それを見て、兼好法師が思ったこととは?
一般の人と、自ら法師となることを選んだ人とは違ってあってほしい。
兼好の美意識が端的に表れた一段。
待つのは老いと死「徒然草気まま読み」#136
今回扱うのは、第七十四段。
前半部分を紹介すると…
蟻の如くに集りて、東西にいそぎ南北に走る。貴(たか)きあり、賎しきあり、老いたるあり、若きあり、行く所あり、歸る家あり、夕にいねて朝に起く。營む所何事ぞや。生を貪り利を求めてやむ時なし。
徒然草の基調を為しているといえる一段。
どんな人にとっても確実なことは、老いと死が必ず訪れることである。
この現実に向き合わずに日々を過ごしている人が、いかに多いことだろうか?
コロナ禍で初めて自分の死を意識して、パニックを起こしてコロナ脳になり、いや、死にたくない、ゼロコロナだ! と血迷っている現代の人々を兼好が見たら、どう思うだろうか?
だが一方で兼好は、決して虚無感に浸っていたわけではない。
一筋縄ではとらえきれぬ、その人生観・死生観とは?