キーワード 厳島神社 が含まれる動画 : 511 件中 97 - 128 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
令和二年晩秋編 吉川氏の歴代の神霊を祀る〜「吉香神社」山口県岩国市(吉香公園内)
吉香神社 吉川氏歴代二十八柱神霊を祀る 社殿は享保十三年(1728年)建立 国の重要文化財指定
歴史
元は安芸国新庄の龍山八幡(広島で厳島神社についで古い社殿で吉川元春再建)にあった峰垂明神(吉川興経公が祭神)が始まりで社号は光明大明神〜霊社大明神〜峰垂明神と改号された。
正徳年間岩国へ勧請、さらに享保十三年(1728年)になり白山比咩神社内に社殿が造営され峰垂大明神と号した(この社が今の吉香神社の社殿)→さらに治功大明神と改号された。
その後に吉川経義(駿河の吉川氏の祖)を祀る「高秀社」、吉川広家を祭神とする「鎮昭社」が同所に建立された。
明治になり吉川氏が東京へ移住を命じられたため三社は廃社となる所、岩国の旧士民が吉川氏に要請しこれを受けて三社を合祀しさらに吉川元春、経幹(幕末に活躍した正式に諸侯に列した岩国藩初代藩主)を祭神として+され計五柱の吉香神社が誕生した。
さらに明治十二年郷社昇格、吉川友兼(駿河吉川氏二代)、経基(安芸吉川氏十一代で鬼吉川と呼ばれた)、元長(元春の長子)を祀り八柱の祭神とした。
明治十八年遷座しさらに県社に昇格した。昭和二十五年 吉川広嘉(錦帯橋をかけた領主)を祭神に加えた。 昭和三十九年吉川家正統十九柱を祭神に加えて計二十八柱を祀る神社となる。
紅葉間近で十月の終わりに訪問 神社の歴史・山口県〜文化財の解説 HP参照。初めて知りました^^;
使用音楽 のる様作ニコニコモンズより
鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~
蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノ
戦艦大和のボトルシップ作ってみたよ。
戦艦大和のボトルシップです。
3dsmax及びVrayで制作。海はphoenixFDを使用しています。
ツイッター
https://twitter.com/zozi009
潜水空母 伊400浮上
伊400潜水艦の動画です。
冒頭はもちろん広島県呉市のアレイからすこじまでの撮影です。
3dsmax及びVrayで制作。海はphoenixFDを使用しています。
うちのマシンi9-9980XE、メモリ128Gじゃこのあたりが限界。
水の一粒が7cmもあるし、泡も3000万粒までしか出せないので、もっと速いマシンが欲しいなり。
1カットの計算が全部で1~2週間くらいかかったりする。
海の守護神 「塩屋神社」と大慶の大欅の神木 晩夏 佐伯区海老山
「塩屋神社」 御祭神 塩土老翁 猿田彦命
調べた限りでは(いくつかググっただけですけど^^;)創建は平安時代と言われるが詳しくは不詳らしい。
神社内の由緒には推古天皇の時代と記載あり厳島神社創建の頃だが社伝があるのであろう。
神社参拝と大欅を見てきた記録。
大欅は大慶の木と呼ばれ(シャレであろうが、木木の枝がOKをしたようになっていて面白い)木自体はなかなかの古木で大樹 枝ぶりや姿雰囲気は印象的。それだけでも利益(りやく)であろう。
五日市の沖は昔々塩田が広がっていたのでその絡みもあるんでしょう。
海で働く人々や塩田の守護神的なものだったのかもしれませんね。
境内社
湯蓋道空社〜ゆぶたどうくうしゃ〜
この地の先住者で信仰篤い有徳の人と言われた=海人〜あまびと〜湯蓋道空夫妻の木造が発見され江戸時代から元は相殿に合わせて祀られていいたが近年小社が建立された。
広島に伝わる津久根島のあまんじゃく説話の人物。これは広島地区あたりでは結構知られていると思う。昔々「人の考えの逆をいくという道空の子供の道祐にかねてから困り、道空さんは臨終時に津久根島へ葬るよう遺言した(実は本土の山に埋葬して欲しかったのであえて、へそまがりな後継者にあえて逆を言い残した)道祐さんは、流石に遺言ゆえ希望に沿うよう沖合の小島に葬ったとさ・・」
広島市に津久根島という天ぷら屋さんがあり道空さんの子孫だという話です。もう平成半ばの頃か連れと一度食べにいったことがある。宮島にも出店ができていたのでいつかいってみたい。
龍宮神社(玉依毘売命などをまつる 鎮座は明治二十六年と新しい海の神様、縁結びの神ともされるらしい)
最近は海の埋めてが進み道路や住宅が開発されて周囲が大きく変わったね。昔は拝殿と繋がる渡り廊下で結婚式用の朱色の建物が付属していたんですがね。老朽化して解体されたみたい。
御朱印あり。
佐伯区五日市の海老山の麓にある古社。
手持ちの本には出ていないもので聞き知っていたこと以外〜たまに読んでいた「広島ぶらり散歩」(広島寺社や文化など紹介のサイト)は詳しいですので神社由緒など不明な点は参考にしました。
紅葉谷公園入口 〜厳島神社末社〜「四宮神社」令和3/8
【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
参拝記録
編集し直して歩き部分をカットしてスッキリした感じにできた^^紅葉したらまた参拝に行きたいな。
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
ざつサイpart07 レトロライド
まだまだ、暑い日が続きますが、サイクリストの皆様は熱中症に十分気を付けてください。
今回はレトロっぽいものを探す企画ですが、完全にうぷ主の独断と偏見によってチョイスされています。
こういうのもレトロだぞというのがあれば、コメントをお願いします。
前回→ざつサイpart06 厳島神社/sm39126253
次回→ざつサイpart08 庭園ライド【ニコニコ自転車動画祭2021秋】
/sm39556504
鎮守の森に囲まれた 末社 四宮神社 夏の終わりに。
【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社と 紅葉谷公園へ 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
自転車に乗って。.*:+☆爽やか&明るい シンプルなピアノソロ
雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】
サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835
廿日市総鎮守 篠尾山「廿日市天満宮」からの夏の展望 風景
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
快晴より多少雲がある方が変化があり景色は面白いですね。
創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任。wiki参照。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良・動画あり)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに
宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロ
【夏越しの祓の日】 安芸総鎮守「速谷神社」(延喜式内名神大社・旧国幣中社、別表神社)
安芸国の「阿岐(あき)国造」の祖を祀る神社。まさに安芸国の総鎮守である。
古代の安芸王国の王ともいうべき祖神を祀るわけだ。
参拝の神事まちの合間に〜写真と動画が少し。たまに参拝するがいいですよ。
平安末期に厳島神社が平氏により大興隆するまでは、安芸と備後国で最高の社格を誇り延期式神名帳=名神大社に列した。(ちなみに厳島神社も名神大社である)
厳島信仰の興隆の陰で二ノ宮 速田神社と呼ばれ長い歴史を辿る。
その後再度,復興され元の社号に復し速谷神社として明治以後国幣中社にも列し現在へ繋がっている。
昭和後期に焼失したため社殿は再建。付属の建物はそう古くはなく新しく建立されたモノであろう。
昔、今の神門の場所にはかつては鳥居があたったらしい。
江戸時代=厳島神社兼帯社だっ(速田大明神と呼ばれ本来の名前が忘れられていた)
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ のる様 作
初夏の風と鎮守の森〜広島県の神山・三倉岳山麓【宮久保神社 社叢】
広島県大竹市栗谷 三倉岳(ミクラダケ)の麓 宮久保神社と社叢&山と里の風景動画..初夏の頃の撮影で残っていた写真から作成。
宮久保神社=元々は山口県美和町の河内神社を勧請したもので、天御中主神が主祭神(+倉山津見神 大山津見)相殿〜大歳神、伝説があるらしく神武天皇、地元の神さま三倉神などを合祀している。他境内社には稲荷社がある。
大竹市栗谷町広島県大竹市栗谷。広島の西部の山である岩峰「三倉岳(みくらだけ)」(夕陽岳、中岳、朝日岳=福・徳・寿を表す信仰の対象)山麓からの遠景。三本槍と言われる鋭鋒。
山仲間と2回、一人で1回登りましたが、急な上に二箇所かな?鎖場があり(まあ慎重に行けば危なくはないんですが)結構ハードな山。修験者が好みそう。
広島近辺のロッククライミングのメッカでクライマーの事故もあったと聞きます(で・・ビビリなもんでもう十年以上いってません^^; 登山道はそうでもないんだけどね)
三倉大明神とも言われる山岳信仰の絡んだ山のようです。室町期までは厳島神社神主家の神領であったそうですので弥山の密教、修験信仰との絡みもあるかもしれません。
旧佐伯町方面友和から山間部をぬけ大竹方面に抜けようと栗谷を通過したとき久々に見て見事な姿に撮影記録した。
神社庁HP記事、三倉岳の案内所でもある〜三倉岳休憩所サイトの解説(縁起関係にに詳しい)を参照しています。
三倉岳絡みで2本目です。
広島市佐伯区の古社 臼山八幡神社 sm39195340
周防山代の山里と古社 生見八幡 sm39152180
津田の大カヤ巨樹 sm39209336
BGM利用=鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~ ねる様 作
題材にちょうどぴったりのテーマ曲でした。また使わせていただきます^^
ざつサイpart06 厳島神社
やっと梅雨明けして夏本番を迎えました。
うぷ主は暑さに弱いので、早朝ライドに勤しんでいます。
サイクリストの皆様は熱中症に気を付けてサイクリングに励んでください。
前回→ざつサイpart05 ナイトライド /sm39051301
次回→ざつサイpart07 レトロライド/sm39405584
<令和三年度> 厳島 管絃祭 夏の海ノ神事・記録編 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀・海峡の海と干潟】
記録として。本編とほぼ同じ。後半は長い記録ようなので撮影したデーターはほぼ残しました。
満ち潮が迫る浜辺の様子と神事の様子と管弦の音や潮騒、夕方の太陽。
淡々と伝統的神事が続くのみ(これも部分的ですが長いので全て撮れませんので)
派手な面白みは全くないです。
詳細〜
厳島神社 夏の風物詩「管絃祭」平安京の貴族の水上に船を浮かべる管弦のあそびを移したた祭りである。平清盛により始められたと云われている。日本三大船神事の一つに数えられる。
今年は去年より天気が良く海が青くて綺麗に写真など撮れたので良かったですゎ。猛暑に参拝できてお陰様ですね。
内容=参拝・社殿や境内の飾り付け〜御笠の浜〜大鳥居沖へ、御座船と夕方の浜の風景です。
管絃祭の由来
元来は六丁の櫂のついた和船により自力航行して対岸の外宮「地御前神社」へ渡御していたと云われるが、江戸の頃元禄4年 暴風雨に遭って遭難しかけたところ 江波(えば・広島市)の伝馬船と阿賀(あが・呉市)の鯛網線に救助された。これ以後この二つの地域の氏子が御座船を曳航(引いて)サポートしていくようになる。
御座船は三艘の和船を舟組して1艘とした装飾された大型和船を使う。御座船には御神体を御移しした御鳳輦(ほうれん)が乗り込み御神幸がなされる。
例年の実際の行程=発輦祭(大体16時〜)〜大鳥居前の儀〜火建岩沖(潮待ち)〜地御前神社(夜 満潮時)〜長浜神社(宮島港東側)〜大元神社〜本宮の火焼前(ひたさき)〜客神社前〜本殿 還御(深夜)
【MMD刀剣乱舞】刀ミュ 白衣装テスト2【三日月宗近】
刀ミュ、厳島神社奉納公演の白い衣装、作成途中。
テスト動画のため、次の動画うp時に削除します。タグなしでお願いします。
物理の耐久性確認用。一発録画での成功率は5回に1回くらい
曲「ELECT」:niki様 sm22587884
歌:EVO+様 sm22757927
モーション:yurie様 sm26674854
カメラモーション:や行様 sm31949820
<令和三年度> 厳島 管絃祭 本編 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀】〜日本三大船神事〜
厳島神社 夏の風物詩「管絃祭」平安京の貴族の水上に船を浮かべる管弦のあそびを移したた祭りである。平清盛により始められたと云われている。日本三大船神事の一つに数えられる。
今年は去年より天気が良く海が青くて綺麗に写真など撮れたので良かったですゎ。猛暑に参拝できてお陰様ですね。*
見る方がいれば音量は適宜調整してください。
内容=参拝・社殿や境内の飾り付け〜御笠の浜〜大鳥居沖へ、御座船と夕方の浜の風景です。
管絃祭の由来
元来は六丁の櫂のついた和船により自力航行して対岸の外宮「地御前神社」へ渡御していたと云われるが、江戸の頃元禄4年 暴風雨に遭って遭難しかけたところ 江波(えば・広島市)の伝馬船と阿賀(あが・呉市)の鯛網線に救助された。これ以後この二つの地域の氏子が御座船を曳航してサポートしていくようになる。
御座船は三艘の和船を舟組して1艘とした装飾された大型和船を使う。御座船には御神体を御移しした御鳳輦(ほうれん)が乗り込み御神幸がなされる。
実際の工程=発輦祭(大体16時〜)〜大鳥居前の儀〜地御前神社〜長浜神社(宮島港東側)〜大元神社〜本宮の火焼前(ひたさき)〜客神社前〜本殿 還御(深夜)
しかし昨年からの某国発の迷惑なコロナパンデミックにより。
伝統的和船の御座船および伝馬船、鯛網船のサポートは中止されており。臨時の動力を使ったチャーター船により神事のみ行われている現状。
2018年=豪雨で中止。2019年h例年通り(ただし2時間遅れて進行)、2020年2021年は神事のみ開催で伝統的な御座船等中止。
2021年記録としてうPします。通常開催にならなければ来年は参拝とのんびり見学だけにします。
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」<中国五県移動制限解除後>令和二年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ(広島市廿日市市 Hatukaichi City)。中国5県内は移動自粛要請解除後。以前うPしたもののまとめ編集版。
渡船〜宮島港〜参道(海岸側)〜回廊入り口まで。人気もごくまばらな参道を海を見ながら歩き参拝します。商店街は大半がお休みですがいくらかは開いていた。
登山者か参拝者が少しいただけ。全く全然 密な状況はない。
緊縮財政を続けるア○な自民政権の観光政策による過剰ともいえるインバウンドの外国の観光がない島は静寂です。地元広島の登山者と参拝者がわずかにいるだけした。
対岸の駐車場もコロナ騒ぎの間あまり借り手がおられないので安くしておられるところもありまし
た。
千畳閣(開いてました)の受付の方曰く・・最高でも一日1000人の拝観がほぼなしの状態でそうです。
参道がこれだけ人が少ないのも久方ぶりに見たよ、ほんと風景だけ撮れた珍しいです。
9月にも行ったんですが神社も人が少なかった たまに再開された修学旅行の一団がきましたが・・。
自分で見返すのに不便だったので無人の厳島神社の映像 保存用として微調整して15分以下に再編集1本にし連続性を保たせた。
令和2年(コロナ禍)「 厳島神社 」管絃祭 (日本三大船神事)参拝記
旧暦6月17日に行われる船神事。御座船にて神事 や神官 による管弦が奏される。
例年なら本宮で神事が行われ御鳳輦が伝馬船の漕ぎ手により干潮の浜を御座船へ向かう。
参考
御神幸 船の行程=大鳥居沖〜火立岩沖〜(ここから夜)地御前(じごぜん)神社〜長浜神社〜大元神社〜本宮還御。
*R2コロナ禍で神事のみ。伝統的な三艘を一つにした大型の御座船は中止でした〜曳航する江波、阿賀の漕 伝馬船も中止となる。遊漁船?を使い装飾して御座船の代用とされた模様。
この日、長浜神社へまず参拝(対岸の外宮・地御前神社から戻り最初に寄港される場所)して厳島神社へ。R2 夏の大祭時の神社風景と干潮の浜へ出て大鳥居沖での管弦船による神事の様子の点描。
〜1:48 長浜神社
1:49〜長浜神社海の鳥居
3:22〜厳島神社参道商店街〜御笠の浜の風景
4:20〜厳島神社本社内へ〜10:23〜網の浦港へ向かう神幸行列と大元神社の風景
12:10〜大鳥居沖の干潟へ 13:15〜御座船(臨時)と管弦演奏 点描
16:05〜遠景で御座船が海上を三度回る場面。
火立岩(hotate iwa)=宮島口の隣にある廿日市市のJR阿品駅の先にある(広電の電車が通り道路が作られ岩は今はない)フジグランナタリー〜海岸沿いの道を行くと木柱がその場所に立つ。毛利元就軍が厳島合戦の奇襲に出発した地がこの場所である。
この夕方近く。大鳥居おきの干潮の夏の海岸の風景が初めて行ってから好きなのでまた参拝しました。管弦は結構長い演奏していましたが昔の人はゆったりと時間を過ごしてたんだろうなと。これが手漕ぎの船だともっと進行には時間がかかるでしょう。
基本自分用 記録なので観られる方がいれば後半長いですテキトーに飛ばしてください。
音量も適当にあげてください。
データー活用できた1年ぶりに完成。
【宮島の神社】厳島神社摂社 三翁社 令和三年初夏
厳島神社摂社。元来は日吉山王神社らしい。平安末に平清盛公により近江坂本「日吉山王社」から勧請された。明治維新後、いくつか神社を合祀して社号を変更したようです。
社殿は拝殿と三殿の神殿が並んで鎮座する。
神社裏を抜ける道の岩惣や紅葉谷方面へ行く道の入り口あたりにある。
御祭神
中央殿〜大綿津見命、佐伯鞍職、所の翁、岩木の翁、安徳天皇、二位尼、右殿〜大己貴命、猿田彦命、左殿〜御子内侍、徳寿内侍、竹林内侍を祀る
例祭=10月23日 舞楽が演舞される。
厳島管絃祭 当日の風景 「厳島神社摂社 長浜神社」 令和2年
厳島神社管絃祭=旧暦六月十七日(R3年は七月二十六日ですが)大潮の日厳島神社で行われる最大の祭り。日本三大船神事と言われる。
御旅所の一つ摂社長浜神社参拝と祭りを控えたその様子を参拝記録として。
神社風景は2分あたりから〜
厳島神社にて神事の後、御座船へ御神体を移し奉り、江波(広島市)、阿賀(呉市)の漕伝馬船船と鯛網船に引かれて海峡を渡り火立岩沖で潮待ちをして対岸の地御前にある、外宮地御前神社へ渡御が行われ管弦の音色を響かせる。再び島へ戻り長浜神社〜大元神社の摂社に寄港し管弦が演奏される。
大元浦から大鳥居をくぐり神社へ戻られる。
コロナ禍で伝馬船と御座船が中止。神事のみの催行でした。動力船(遊漁船)を飾り付けて神官さんのみで行われた。令和三年の大祭が間も無く御座船はやはり中止ですが行われます。大祭記念としてうPします。
字幕訂正=伝馬船は西回廊ではなく〜東回廊枡形内の海上で回ります。
日帰りの小さな参拝旅 もう1年前か・・あとでまとめた本編を作る。
ざつサイpart05 ナイトライド
今回は目的のないナイトライドに行ってきました。
同じ道でも、時間が違うと景色って結構変わって色んな気付きがあって楽しいですよね。
皆さんも、いつもの道で試してみてください。
夜間走行は安全にお楽しみください。
前回→ざつサイpart04 わんぱくライド sm38896381
次回→ざつサイpart06 厳島神社 sm39126253
LAST MOMENT【オリジナル曲】(TRACK2)
オリジナル曲(Track2)
Lyric Video
【歌詞】
壊れた壁 見上げる歩道が 川沿いに続く 公園の側のPIER(桟橋)
あの島に渡るフェリーの中 異国の言葉が 幾つか聞こえていた
引き潮が描く情景に 旅人が集う
「忘れないで」と言って 涙浮かべた瞳
この腕を振りほどく 肩が 震えていた
「さがさないで」と言って 無理に浮かべた笑顔
この胸に突き刺さる 夜は
IT‘S THE LAST MOMENT OF OUR LOVE
穏やかな風にきらめく波 いくつかの橋が しまなみをつなぐ道
辿り着いた海辺そびえたつ クレーンの影が 醸し出す寂しさは
力なく佇むあの日の 僕を見てる様で
「忘れないで」と言って 涙浮かべた瞳
この町の静けさに 声が震えていた
「さがさないで」と言って 無理に浮かべた笑顔
背中向け歩き出す 夜は
IT‘S THE LAST MOMENT OF OUR LOVE
【 神社風景 】西ノ松原「厳島神社 末社 清盛神社」 kiyomori shrine
松と海が美しい西の松原にある清盛神社。1952年 昭和27年が(没後)770年にあたり機運が起こり、翌28年に奉賛会が組織され 摂社の三翁神社の祭神のひと柱だったが分祀され建立された。
厳島明神信仰興隆の恩人 平清盛公威徳を偲んで鎮座した新しい末社。西の松原の先端にあり海の景色が良い。
社殿=一間社流れ造 檜皮葺の屋根で丹塗の社殿に瑞垣がある。
祭神=平清盛公一座
御手洗川(紅葉谷川)沿いにあり神社そばの橋を渡り西へ行くと宮島水族館や大元公園、摂社の大元神社へと続く。
西の松原は江戸時代に川の土砂や砂浜の砂を築き固め作られ、昭和20年の枕崎台風の災害時の大量の土砂でさらに延長されたのどかで風光明媚な場所。厳島神社出口の傍から松原が始まる。
宮島へ行くと松原はよく行くが人が比較的少ないので割と静かでさらに大元神社へが自分的には定番コース。
宮島大鳥居の内側 干潟の生き物観察2 可愛い海の生き物達を観察だけです^^
厳島神社大鳥居の内側 境内干潟の海の生き物たち。
干潮になっていく海を眺めて松原へ渡ろうと待つうち、干潟へ降りて色々な生き物を見てきた。
おびただしい蠢めくウミニナ貝がいます。小蟹やヤドカリ、小魚など。他にも何かいるかもしれませんが今回は見つからなかった。砂の下にはあさり貝もいるでしょうな。
結構夢中になりますね^^:小一時間あちこち境内の干潟を見て歩きました。
ちなみに神社の場所は陸地を掘ってわざわざ海岸を広げた上で建てられているそうです。だから陸側 から小さな流れがあり水がなんか流れていますよね。土曜日なんで人は多少いました。お店は8〜9割は休みって感じです。いつもいくお饅頭屋さんはお休みでした^^;
松原の向こう側 鳥居の外も砂浜が綺麗でしたがあさり貝を掘る人がちらほらいましたね。
眺めはあちらの浜の方が砂地で綺麗だった。
日帰り参拝ミニミニ旅で干潟 観察。まあ電車で行けて近いんだけどw また見に行こう。
【 宮島の神社風景 】「厳島神社末社 荒胡子神社」(旧 大願寺子院 金剛院の鎮守社)
旧 金剛院鎮守社 「荒胡子神社」の佇まい。初夏の風景。
厳島神社は江戸時代まで神宮寺「大聖院」、造営修繕を司る「大願寺」をもとなう神仏習合の厳島明神だった。大願寺は神社のすぐそばにあり御本社と一体となり大伽藍を形成していたらしいです。
塔の岡の下あたりに真言宗の金剛院がかつてあり大願寺の子院であったそうです。五重塔も金剛院の塔だったとか。金剛院=仁寿二年(854年)建立で相当古い寺院だったそうです。
朱塗の神殿は15世紀室町期の嘉吉元年(1441年)建立。棟札には島田三郎左衛門尉宗氏が造立したと記載される同院の鎮守である〜この年は7月に足利義教謀殺の嘉吉の乱が起こった〜
明治の神仏分離政策で分離され、鎮守社は厳島神社へ属すこととなる。社殿の詳細は、広島県の文化財サイトによった。
隣が厳島神社の修繕工事などの作業場、資材置き場のようになっていた。
またその先には御文庫の蔵が立つ。
御文庫は光明院の僧が発願し建立、蔵書とともに厳島本社へ奉納されたと伝わる。蔵は景教の建築様式であると厳島神社の公式サイトの記述には記載されていた。
余談〜金剛院は佐伯区の石内へ移ったらしいです。現在もそちらに現存しています。新広島四国八十八ヶ所の遍路の札所になっているらしい。
初夏の神社風景 「名神大社 厳島神社」初夏の静かな境内の様子
厳島八景のひとつにも選ばれている厳島神社の鏡の池、後園(うしろその)の新緑などなど。末社 瀧宮へ向かう前に参拝。
後園=神仏分離後 本地堂は撤去され、現在は瓦葺の四脚門=不明門(開かずの門)があるのみ。
明治後100年以上たち樹木が茂って鎮守の森のようになったらしい。
厳島八景(八箇所の雅趣のある風景が選定されている)のひとつ
鏡池秋月(鏡の池に映る秋の月)と云われた。
「滝小路」から大聖院門前を経て「白糸の滝」と「瀧宮」へ sm38792411
とりあえずこれで R3年5月の宮島散策の記録は終わり。定点観測です^^
大聖院参道 「滝小路」を辿り【厳島八景 白糸の滝 と瀧宮神社】へ 〜世界遺産宮島の自然〜
厳島神社を出て少し戻った、久保橋あたりから柳小路を通り、滝小路へ入る。大聖院を経て、白糸川添いに進み弥山登山道に入る。R3/5/10
鳥居、懺悔地蔵などを経て、H17年の台風による土石流災害跡の復興された大きな堰堤を抜け、滝不動、瀧宮、白糸の滝へ至るまで。本編。
滝小路=厳島神社裏あたり筋違橋を渡りまっすぐ大聖院へ向けてのびる参道の道。江戸時代までは大聖院・宿坊、神官(棚守、上卿、祝師)の屋敷などが並んだエリア。緩い坂道が続き、町屋や石垣、古い町並みも残る。
瀧宮=創建は不詳、1180年高倉上皇が平清盛らとともに参詣した記録があり古い御社。厳島八景図に描かれた八景のひとつ白糸の滝の傍に鎮座。
厳島八景=江戸時代に光明院の僧が選んだ厳島の趣ある八つの風景。絵の題材などになっている。
大聖院=厳島神社の旧神宮寺で明治以後、分離した。明治時代に多くの伽藍を焼失し再建である。真言宗。長い神仏習合時代の厳島明神の本地仏「十一面観音菩薩」を今も祭祀している(観音堂にて公開されており参詣できる)
古い参道 山辺の古径を辿り塔の岡・五重塔への道 R3/5/10 sm38756633
<令和三年度> 厳島 管絃祭 本編 【厳島神社参詣と大鳥居前の儀】〜日本三大船神事〜sm39114027
宮島ってメインの厳島神社周辺の観光コース以外にさまざま歩くところがあって楽しい^^
宮島= 神社 滝 町並み 歴史 自然 をめぐる
厳島八景図は国会図書館のデジタル公開資料で著作権が切れた古書のものを利用。
宮島 「白糸の滝」 広島県廿日市市宮島町
滝の動画。新緑の梅雨入り少し前の晴れた日、宮島の大聖院の少し上白糸川にかかる「白糸の滝」へ。
厳島神社裏から滝町小路〜大聖院へは風情がある、そこから川沿いに鳥居を潜り石仏などをみながら
平成17年の台風に伴う土石流の後H19年に修復完成された護岸と登山道を進むとすぐに滝がある。
そばに古い「瀧宮神社」が再建され鎮座する。
厳島八景の「白糸の滝・瀧宮水蛍」に選ばれた場所。土石流で蛍などは今はいないらしい。
災害後に、滝の周りの様子もだいぶ変わっている。
梅雨の雨のなぐさみに滝町〜瀧宮神社 散策の様子は本編をまた作ろうかと。
観光のメインコースを少し外れると色々あります。大聖院の奥なので行く人も少ないかな。
この少し後、5・16〜 またまた 緊急事態宣言発令でした。
滝動画〜
山口県名勝「寂地峡」寂地川と竜尾の滝(日本の名水百選) sm38895900