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(3/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む(1) 【2013/12/07 収録】
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
(2/2)福嶋亮大×安藤礼二「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #2 折口信夫から井筒俊彦へ――日本的な「物語」とその彼方」【2014/08/22 収録】
連続講座「物語と観客の日本文明論ーー『復興文化論』の先へ」(全三回)開講に寄せて
福嶋亮大
昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。
本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。
7月4日開催の第一回目では「日本の〈物語〉とポップカルチャー」と題して、私(福嶋)が『復興文化論』とそれに関連するアクチュアルな問題をお話します。8月22日の第二回はゲストに安藤礼二氏をお招きしての対談、9月の第三回は東浩紀氏との対談と続きます。講義全体を通じて、日本文明の姿を多角的に議論することを狙いとします。
第一回の講義「日本の〈物語〉とポップカルチャー」では、日本の物語が伝統的にどういう仕事を果たしてきたのか、それは東アジアのコンテクスト(文脈)においてどんな意味を持つのか、さらにその伝統は今日のポップカルチャーといかに接続されているのか……といったテーマをお話します。たんにポップカルチャーの流行に右往左往するのではなく、むしろそれを日本的な〈物語〉の系譜に位置づけること。それはかえって新鮮なヴィジョンを私たちに与えてくれるはずです。
第二回の講義では、文芸批評家の安藤礼二氏をゲストにお迎えして、第一回の議論をより深めていきます。安藤氏はデビューから一貫して民俗学者・折口信夫の研究に取り組んできた一方で、近年では井筒俊彦の再導入にも積極的に関わってきました。折口にせよ井筒にせよ、近代合理主義には収まりきらない「危険」な著述家であるばかりでなく、質量ともに圧倒的な仕事を残したということもあって、その思想を見極めるのは容易ではありません。しかし、安藤氏は彼らの「毒」を殺さず、しかもあくまで理性的な筆致によって彼らを現代社会によみがえらせるという難しい仕事にチャレンジし続けているのです。
今回はひとまず折口の文学論を踏まえながら、彼の弟子にあたる角川源義、さらには今日のKADOKAWA—DWANGOの合併問題なども視野に入れて、折口民俗学のアクチュアリティを探ります。と同時に、慶應義塾大学出版会から全集刊行中の井筒についても、その現代的可能性の一端を安藤氏にうかがっていきます。もっぱら日本をフィールドとしながら、神や物語の意味を問い続けた折口信夫。イスラーム神学からロシア文学、さらには言語哲学から神秘思想に到るまで、グローバルな思索を繰り広げた井筒俊彦。この両者の「出会い」にご期待ください。
安藤礼二氏のレジュメはこちら(https://shop.genron.co.jp/user_data/upload/save_image/nihonbunmeiron_2.pdf)からご覧いただけます。
(3/3)高山明「演劇を拡張する #1——いま、高山明が語る演劇原論」【2014/05/07 収録】
演劇=舞台、この図式から自由になったとき、演劇にはいろんな可能性がでてくる。
演出家高山明は、建物としての劇場も、客席と段差や境界線で仕切られた舞台も用いない。高山の演劇では、観客は、あるツアーコースに仕組まれた「できごと」の場を地図を片手に自らの足で巡ったり、歴史や社会の声に耳を傾け、それにリアクションする何らかの仕組みに巻き込まれたりする。およそ、一般的な演劇とはかけ離れて見える彼の作品は、それでも演劇であり続けている。
演劇は、数千年もの間、国や都市や社会やコミュニティといったものを考える道具であり続けてきた。私たちがその知恵や技術を活かすにはどうすればよいか。
連続講座「演劇を拡張する」(全3回)では、観光ツアーや都市プロジェクトへの応用という観点を軸に、「演劇を考える/演劇で考える」技術を探っていく。
第1回(5/7)は、「いま、高山明が語る演劇原論」。演劇とは何か、演劇を拡張するとはどういうことなのか、どのような方法があり、どんな可能性が開けるのか、高山自身の作品および国内外の演劇史から具体例を挙げつつレクチャーする。
演出家・高山明はいかに演劇と出会い、演劇をはじめるに至ったのか。古代ギリシャから脈々と続く演劇史を彼がいかに捉えているのか。演出家の世紀であった20世紀を終えたいま、21世紀における演劇の可能性をどこに見ているのか。西洋演劇史を踏まえた上で、グローバル社会における日本演劇の力はどこにあるのか。
高山の活動を考える上でも、芸術ジャンルの混交する現代におけるアートの可能性を探る上でも、さらに社会における芸術の役割を問い直す上でも、根源的な問題提起がされるトークとなるだろう。
第2回(6/4)、第3回(7/9)では、演劇以外のジャンルで活躍するゲスト講師を招き、社会に対する演劇の可能性についてディスカッションする。
現在ドイツで進行中の複数のプロジェクトや福島でのプロジェクトについても、詳細が語られるだろう。
【出演者紹介】
高山明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。演出家。演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)主宰。『サンシャイン62』、『東京/オリンピック』(はとバスツアー)、『個室都市』シリーズ、『完全避難マニュアル』、『国民投票プロジェクト』、『光のないⅡ(福島−エピローグ?)』、『東京ヘテロトピア』など、ツアー・パフォーマンスや社会実験的なプロジェクトを現実の都市空間で展開している。2013年9月に「一般社団法人Port(ポルト)観光リサーチセンター」を設立し、観光事業にもその活動を広げつつある。対談集に『はじまりの対話– Port B国民投票プロジェクト』(現代詩手帖特集版/思潮社)がある。
(2/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む#3【2014/4/5配信】 @hazuma
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
MDL特別企画 中島岳志 連続講座「利他的であることvol.7」
【出演】中島岳志 (#MDLとは?) MUSIC DON'T LOCKDOWN! 音楽に関わる人々を「封鎖」せず、 音楽を楽しむ人々同士を「封鎖」しないために、 自宅で各自がプレイします。 どうか音楽関係者のために投げ銭 (クラウドファンディング)を! http://mdlfes.tokyo
MDL特別企画 中島岳志 連続講座「利他的であることvol.4」
【出演】中島岳志 (#MDLとは?) MUSIC DON'T LOCKDOWN! 音楽に関わる人々を「封鎖」せず、 音楽を楽しむ人々同士を「封鎖」しないために、 自宅で各自がプレイします。 どうか音楽関係者のために投げ銭 (クラウドファンディング)を! http://mdlfes.tokyo
MDL特別企画 中島岳志 連続講座「利他的であることvol.5」
【出演】中島岳志 (#MDLとは?) MUSIC DON'T LOCKDOWN! 音楽に関わる人々を「封鎖」せず、 音楽を楽しむ人々同士を「封鎖」しないために、 自宅で各自がプレイします。 どうか音楽関係者のために投げ銭 (クラウドファンディング)を! http://mdlfes.tokyo
(1/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む#3【2014/4/5配信】 @hazuma
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
(2/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む(2) 【2014/01/15 収録】
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
(1/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む(2) 【2014/01/15 収録】
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
(2/3)高山明「演劇を拡張する #1——いま、高山明が語る演劇原論」【2014/05/07 収録】
演劇=舞台、この図式から自由になったとき、演劇にはいろんな可能性がでてくる。
演出家高山明は、建物としての劇場も、客席と段差や境界線で仕切られた舞台も用いない。高山の演劇では、観客は、あるツアーコースに仕組まれた「できごと」の場を地図を片手に自らの足で巡ったり、歴史や社会の声に耳を傾け、それにリアクションする何らかの仕組みに巻き込まれたりする。およそ、一般的な演劇とはかけ離れて見える彼の作品は、それでも演劇であり続けている。
演劇は、数千年もの間、国や都市や社会やコミュニティといったものを考える道具であり続けてきた。私たちがその知恵や技術を活かすにはどうすればよいか。
連続講座「演劇を拡張する」(全3回)では、観光ツアーや都市プロジェクトへの応用という観点を軸に、「演劇を考える/演劇で考える」技術を探っていく。
第1回(5/7)は、「いま、高山明が語る演劇原論」。演劇とは何か、演劇を拡張するとはどういうことなのか、どのような方法があり、どんな可能性が開けるのか、高山自身の作品および国内外の演劇史から具体例を挙げつつレクチャーする。
演出家・高山明はいかに演劇と出会い、演劇をはじめるに至ったのか。古代ギリシャから脈々と続く演劇史を彼がいかに捉えているのか。演出家の世紀であった20世紀を終えたいま、21世紀における演劇の可能性をどこに見ているのか。西洋演劇史を踏まえた上で、グローバル社会における日本演劇の力はどこにあるのか。
高山の活動を考える上でも、芸術ジャンルの混交する現代におけるアートの可能性を探る上でも、さらに社会における芸術の役割を問い直す上でも、根源的な問題提起がされるトークとなるだろう。
第2回(6/4)、第3回(7/9)では、演劇以外のジャンルで活躍するゲスト講師を招き、社会に対する演劇の可能性についてディスカッションする。
現在ドイツで進行中の複数のプロジェクトや福島でのプロジェクトについても、詳細が語られるだろう。
【出演者紹介】
高山明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。演出家。演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)主宰。『サンシャイン62』、『東京/オリンピック』(はとバスツアー)、『個室都市』シリーズ、『完全避難マニュアル』、『国民投票プロジェクト』、『光のないⅡ(福島−エピローグ?)』、『東京ヘテロトピア』など、ツアー・パフォーマンスや社会実験的なプロジェクトを現実の都市空間で展開している。2013年9月に「一般社団法人Port(ポルト)観光リサーチセンター」を設立し、観光事業にもその活動を広げつつある。対談集に『はじまりの対話– Port B国民投票プロジェクト』(現代詩手帖特集版/思潮社)がある。
(1/3)高山明「演劇を拡張する #1——いま、高山明が語る演劇原論」【2014/05/07 収録】
演劇=舞台、この図式から自由になったとき、演劇にはいろんな可能性がでてくる。
演出家高山明は、建物としての劇場も、客席と段差や境界線で仕切られた舞台も用いない。高山の演劇では、観客は、あるツアーコースに仕組まれた「できごと」の場を地図を片手に自らの足で巡ったり、歴史や社会の声に耳を傾け、それにリアクションする何らかの仕組みに巻き込まれたりする。およそ、一般的な演劇とはかけ離れて見える彼の作品は、それでも演劇であり続けている。
演劇は、数千年もの間、国や都市や社会やコミュニティといったものを考える道具であり続けてきた。私たちがその知恵や技術を活かすにはどうすればよいか。
連続講座「演劇を拡張する」(全3回)では、観光ツアーや都市プロジェクトへの応用という観点を軸に、「演劇を考える/演劇で考える」技術を探っていく。
第1回(5/7)は、「いま、高山明が語る演劇原論」。演劇とは何か、演劇を拡張するとはどういうことなのか、どのような方法があり、どんな可能性が開けるのか、高山自身の作品および国内外の演劇史から具体例を挙げつつレクチャーする。
演出家・高山明はいかに演劇と出会い、演劇をはじめるに至ったのか。古代ギリシャから脈々と続く演劇史を彼がいかに捉えているのか。演出家の世紀であった20世紀を終えたいま、21世紀における演劇の可能性をどこに見ているのか。西洋演劇史を踏まえた上で、グローバル社会における日本演劇の力はどこにあるのか。
高山の活動を考える上でも、芸術ジャンルの混交する現代におけるアートの可能性を探る上でも、さらに社会における芸術の役割を問い直す上でも、根源的な問題提起がされるトークとなるだろう。
第2回(6/4)、第3回(7/9)では、演劇以外のジャンルで活躍するゲスト講師を招き、社会に対する演劇の可能性についてディスカッションする。
現在ドイツで進行中の複数のプロジェクトや福島でのプロジェクトについても、詳細が語られるだろう。
【出演者紹介】
高山明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。演出家。演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)主宰。『サンシャイン62』、『東京/オリンピック』(はとバスツアー)、『個室都市』シリーズ、『完全避難マニュアル』、『国民投票プロジェクト』、『光のないⅡ(福島−エピローグ?)』、『東京ヘテロトピア』など、ツアー・パフォーマンスや社会実験的なプロジェクトを現実の都市空間で展開している。2013年9月に「一般社団法人Port(ポルト)観光リサーチセンター」を設立し、観光事業にもその活動を広げつつある。対談集に『はじまりの対話– Port B国民投票プロジェクト』(現代詩手帖特集版/思潮社)がある。
(2/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む(1) 【2013/12/07 収録】
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
(1/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む(1) 【2013/12/07 収録】
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
(2/3)高山明×今野勉「演劇を拡張する #3 『思想としてのテレビ』から演劇へ――接続と展開」【2014/07/09 収録】
連続講座「演劇を拡張する」、第三回は日本初の独立系テレビ制作会社「テレビマンユニオン」の創設者、TVディレクターの今野勉をゲストに迎える。長野オリンピックのプロデューサーも勤めた今野とともに、演劇とTVの関係、その歴史と未来について議論する。
今野勉さんからのコメント
テレビはナマ放送で始まりました。テレビドラマは、演劇の中継と同じでした。
テレビドラマはその後、記録(録画)の機能を持つようになり、演劇よりは映画に近いメディアになっています。
当初のテレビは、1回性、ハプニング、消えるもの、持続する時間、リアルな時間、など演劇と共通する要素が多くありました。今はそれらが失われています。
今回、私は、テレビ草創期に私が演出した歴史ドキュメンタリー『天皇の世紀』を観てもらおうと思っています。
この番組は、
①歴史を扱っていて、尚且つ現在進行のパフォーマンスで構成されている。
②フィルムによる撮影なのに、テレビ中継のように撮っている。
③俳優のパフォーマンスを撮っているスタッフをも撮影の対象としている。
など、過去と現在、映画とテレビ、演劇とテレビなどが混然とした内容です。
「拡張する演劇」の議論の最初の素材になれば、と思っています。
■
【出演者紹介】
高山明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。演出家。演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)主宰。『サンシャイン62』、『東京/オリンピック』(はとバスツアー)、『個室都市』シリーズ、『完全避難マニュアル』、『国民投票プロジェクト』、『光のないⅡ(福島−エピローグ?)』、『東京ヘテロトピア』など、ツアー・パフォーマンスや社会実験的なプロジェクトを現実の都市空間で展開している。2013年9月に「一般社団法人Port(ポルト)観光リサーチセンター」を設立し、観光事業にもその活動を広げつつある。対談集に『はじまりの対話– Port B国民投票プロジェクト』(現代詩手帖特集版/思潮社)がある。
今野勉(こんの・つとむ)
1936年秋田県生まれ。東北大学文学部卒業。東京放送(TBS)入社、テレビ演出部配属。ドラマ「土曜と月曜の間」で日本初のイタリア賞大賞。シリーズドラマ「七人の刑事」がギャラクシー賞大賞。1970年番組制作会社「テレビマンユニオン」創立に参加。旅番組「遠くへ行きたい」、3時間ドラマ「海は甦える」など、ドキュメンタリーやドラマで次々と新しい世界を開拓。1995年「こころの王国~童謡詩人金子みすゞの世界」で芸術選奨文部大臣賞受賞。長野冬季オリンピック開閉会式プロデューサー(会場演出)、武蔵野美術大学映像学科教授を務めた。著書に「テレビの青春」など。現在、㈱テレビマンユニオン取締役、放送人の会会長。
(1/3)高山明×今野勉「演劇を拡張する #3 『思想としてのテレビ』から演劇へ――接続と展開」【2014/07/09 収録】
連続講座「演劇を拡張する」、第三回は日本初の独立系テレビ制作会社「テレビマンユニオン」の創設者、TVディレクターの今野勉をゲストに迎える。長野オリンピックのプロデューサーも勤めた今野とともに、演劇とTVの関係、その歴史と未来について議論する。
今野勉さんからのコメント
テレビはナマ放送で始まりました。テレビドラマは、演劇の中継と同じでした。
テレビドラマはその後、記録(録画)の機能を持つようになり、演劇よりは映画に近いメディアになっています。
当初のテレビは、1回性、ハプニング、消えるもの、持続する時間、リアルな時間、など演劇と共通する要素が多くありました。今はそれらが失われています。
今回、私は、テレビ草創期に私が演出した歴史ドキュメンタリー『天皇の世紀』を観てもらおうと思っています。
この番組は、
①歴史を扱っていて、尚且つ現在進行のパフォーマンスで構成されている。
②フィルムによる撮影なのに、テレビ中継のように撮っている。
③俳優のパフォーマンスを撮っているスタッフをも撮影の対象としている。
など、過去と現在、映画とテレビ、演劇とテレビなどが混然とした内容です。
「拡張する演劇」の議論の最初の素材になれば、と思っています。
■
【出演者紹介】
高山明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。演出家。演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)主宰。『サンシャイン62』、『東京/オリンピック』(はとバスツアー)、『個室都市』シリーズ、『完全避難マニュアル』、『国民投票プロジェクト』、『光のないⅡ(福島−エピローグ?)』、『東京ヘテロトピア』など、ツアー・パフォーマンスや社会実験的なプロジェクトを現実の都市空間で展開している。2013年9月に「一般社団法人Port(ポルト)観光リサーチセンター」を設立し、観光事業にもその活動を広げつつある。対談集に『はじまりの対話– Port B国民投票プロジェクト』(現代詩手帖特集版/思潮社)がある。
今野勉(こんの・つとむ)
1936年秋田県生まれ。東北大学文学部卒業。東京放送(TBS)入社、テレビ演出部配属。ドラマ「土曜と月曜の間」で日本初のイタリア賞大賞。シリーズドラマ「七人の刑事」がギャラクシー賞大賞。1970年番組制作会社「テレビマンユニオン」創立に参加。旅番組「遠くへ行きたい」、3時間ドラマ「海は甦える」など、ドキュメンタリーやドラマで次々と新しい世界を開拓。1995年「こころの王国~童謡詩人金子みすゞの世界」で芸術選奨文部大臣賞受賞。長野冬季オリンピック開閉会式プロデューサー(会場演出)、武蔵野美術大学映像学科教授を務めた。著書に「テレビの青春」など。現在、㈱テレビマンユニオン取締役、放送人の会会長。
(1/2)福嶋亮大×安藤礼二「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #2 折口信夫から井筒俊彦へ――日本的な「物語」とその彼方」【2014/08/22 収録】
連続講座「物語と観客の日本文明論ーー『復興文化論』の先へ」(全三回)開講に寄せて
福嶋亮大
昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。
本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。
7月4日開催の第一回目では「日本の〈物語〉とポップカルチャー」と題して、私(福嶋)が『復興文化論』とそれに関連するアクチュアルな問題をお話します。8月22日の第二回はゲストに安藤礼二氏をお招きしての対談、9月の第三回は東浩紀氏との対談と続きます。講義全体を通じて、日本文明の姿を多角的に議論することを狙いとします。
第一回の講義「日本の〈物語〉とポップカルチャー」では、日本の物語が伝統的にどういう仕事を果たしてきたのか、それは東アジアのコンテクスト(文脈)においてどんな意味を持つのか、さらにその伝統は今日のポップカルチャーといかに接続されているのか……といったテーマをお話します。たんにポップカルチャーの流行に右往左往するのではなく、むしろそれを日本的な〈物語〉の系譜に位置づけること。それはかえって新鮮なヴィジョンを私たちに与えてくれるはずです。
第二回の講義では、文芸批評家の安藤礼二氏をゲストにお迎えして、第一回の議論をより深めていきます。安藤氏はデビューから一貫して民俗学者・折口信夫の研究に取り組んできた一方で、近年では井筒俊彦の再導入にも積極的に関わってきました。折口にせよ井筒にせよ、近代合理主義には収まりきらない「危険」な著述家であるばかりでなく、質量ともに圧倒的な仕事を残したということもあって、その思想を見極めるのは容易ではありません。しかし、安藤氏は彼らの「毒」を殺さず、しかもあくまで理性的な筆致によって彼らを現代社会によみがえらせるという難しい仕事にチャレンジし続けているのです。
今回はひとまず折口の文学論を踏まえながら、彼の弟子にあたる角川源義、さらには今日のKADOKAWA—DWANGOの合併問題なども視野に入れて、折口民俗学のアクチュアリティを探ります。と同時に、慶應義塾大学出版会から全集刊行中の井筒についても、その現代的可能性の一端を安藤氏にうかがっていきます。もっぱら日本をフィールドとしながら、神や物語の意味を問い続けた折口信夫。イスラーム神学からロシア文学、さらには言語哲学から神秘思想に到るまで、グローバルな思索を繰り広げた井筒俊彦。この両者の「出会い」にご期待ください。
安藤礼二氏のレジュメはこちら(https://shop.genron.co.jp/user_data/upload/save_image/nihonbunmeiron_2.pdf)からご覧いただけます。
MDL特別企画 中島岳志 連続講座「利他的であることvol.2」
【出演】中島岳志 (#MDLとは?) MUSIC DON'T LOCKDOWN! 音楽に関わる人々を「封鎖」せず、 音楽を楽しむ人々同士を「封鎖」しないために、 自宅で各自がプレイします。 どうか音楽関係者のために投げ銭 (クラウドファンディング)を! http://mdlfes.tokyo
(1/2)福嶋亮大「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #1 日本の〈物語〉とポップカルチャー」【2014/7/4収録】@liang_da
連続講座「物語と観客の日本文明論ーー『復興文化論』の先へ」(全三回)開講に寄せて
福嶋亮大
昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。
本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。
第一回目は「日本の〈物語〉とポップカルチャー」と題して、私(福嶋)が『復興文化論』とそれに関連するアクチュアルな問題をお話します。第二回はゲストをお招きしての対談、第三回は東浩紀氏との対談と続きます。講義全体を通じて、日本文明の姿を多角的に議論することを狙いとします。
第一回の講義「日本の〈物語〉とポップカルチャー」では、日本の物語が伝統的にどういう仕事を果たしてきたのか、それは東アジアのコンテクスト(文脈)においてどんな意味を持つのか、さらにその伝統は今日のポップカルチャーといかに接続されているのか……といったテーマをお話します。たんにポップカルチャーの流行に右往左往するのではなく、むしろそれを日本的な〈物語〉の系譜に位置づけること。それはかえって新鮮なヴィジョンを私たちに与えてくれるはずです。
(3/3)東浩紀による東浩紀――『存在論的、郵便的』を読む#3【2014/4/5配信】 @hazuma
『存在論的、郵便的』の出版から15年。
そのあと『動物化するポストモダン』を書き、『クォンタム・ファミリーズ』を書き、『一般意志2.0』を書き、『福島第一原発観光地化計画』を出版し、現代思想からずいぶん遠ざかっていると思われているぼく(東浩紀)ですが、デビュー作にはすべてが入っているとの格言(?)のとおり、『存在論的、郵便的』にはその後のすべての著作の萌芽が入っています。そして、それをいちばんよく知っているのは、むろんぼくなわけです。本来ならばそれをだれかに読み解いてほしいのですが、いっこうにだれもやってくれそうにないし、自分でやることにしました。これはそんな講座です。
『存在論的、郵便的』を最初からじわじわ読んでいく不定期の連続講座になります。よろしくです!
(東浩紀)
MDL特別企画 中島岳志 連続講座「利他的であることvol.6」
【出演】中島岳志 (#MDLとは?) MUSIC DON'T LOCKDOWN! 音楽に関わる人々を「封鎖」せず、 音楽を楽しむ人々同士を「封鎖」しないために、 自宅で各自がプレイします。 どうか音楽関係者のために投げ銭 (クラウドファンディング)を! http://mdlfes.tokyo
(2/2)福嶋亮大「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #1 日本の〈物語〉とポップカルチャー」【2014/7/4収録】@liang_da
連続講座「物語と観客の日本文明論ーー『復興文化論』の先へ」(全三回)開講に寄せて
福嶋亮大
昨年刊行した『復興文化論』(青土社)は一種の日本文学通史として書いたものですが、そこには日本的公共性の構想や〈物語〉の再定義、さらには美と観客の関係等々、多様な問題意識が流れ込んでいます。したがって、狭義の文芸批評というよりは文明批評に近い本です。
本シリーズではその一端を解きほぐしながら、日本文明の蓄積から今いったい何を引き出せるのかを改めて問い直します(未読の方でも問題ありませんので、ふるってご参加ください)。文化を骨董品としてではなく、アクチュアルなものとして了解すること。日本で作品を作るとはどういうことなのかを歴史的に再考すること。それが講義のテーマです。アートであれ、文学であれ、評論であれ、これから何かモノを作ろうしている皆さんのヒントになればと願っています。
第一回目は「日本の〈物語〉とポップカルチャー」と題して、私(福嶋)が『復興文化論』とそれに関連するアクチュアルな問題をお話します。第二回はゲストをお招きしての対談、第三回は東浩紀氏との対談と続きます。講義全体を通じて、日本文明の姿を多角的に議論することを狙いとします。
第一回の講義「日本の〈物語〉とポップカルチャー」では、日本の物語が伝統的にどういう仕事を果たしてきたのか、それは東アジアのコンテクスト(文脈)においてどんな意味を持つのか、さらにその伝統は今日のポップカルチャーといかに接続されているのか……といったテーマをお話します。たんにポップカルチャーの流行に右往左往するのではなく、むしろそれを日本的な〈物語〉の系譜に位置づけること。それはかえって新鮮なヴィジョンを私たちに与えてくれるはずです。
MDL特別企画 中島岳志 連続講座「利他的であることvol.3」
【出演】中島岳志 (#MDLとは?) MUSIC DON'T LOCKDOWN! 音楽に関わる人々を「封鎖」せず、 音楽を楽しむ人々同士を「封鎖」しないために、 自宅で各自がプレイします。 どうか音楽関係者のために投げ銭 (クラウドファンディング)を! http://mdlfes.tokyo
(1/3)奥泉光×市川真人「『批評空間』以降に文学は?:市川真人の現代文学講座 #1ーージャンルを超えること、文学であること」 【2014/5/17配信】 @okuizm
【ゲンロンカフェ入場券はこちら http://peatix.com/event/33682/ 】
1991年から2002年にかけて刊行された雑誌「批評空間」。思想シーンを牽引した同誌は、同時にもっとも先鋭的な文学誌でもあった(東浩紀が「ソルジェニーツィン試論」でデビューしたのもその雑誌である)。
現代日本において「小説」は生産され続け、毎日毎週のように単行本が、毎月何冊もの文芸雑誌が生産されつづけている。一方、大学生の毎月の読書時間アンケートには4割がゼロと回答し、大学生協の文芸書の販売数は十数年前と比べて半減している。
ふたつの相反して見える事象の狭間で、かつて柄谷行人と連帯した、あるいはその影響下にあったり、その手で選び出された小説家たちは、いま、なにをどのように考えているのだろうか。
それは「近代文学の終り」のあとに/以前から以後まで、「文学」はいかにありうるか、という問いにほかならない。「批評空間」時代や近畿大学などを通じ「近代文学の終り」を直近で目撃してきた奥泉光を皮切りに、現代日本文学の理論派や国際派を招いて彼らの「文学の現在」を問う連続講座。
MDL特別企画 中島岳志 連続講座「利他的であることvol.1」(2020/3/29)
【出演】中島岳志 (#MDLとは?) MUSIC DON'T LOCKDOWN! 音楽に関わる人々を「封鎖」せず、 音楽を楽しむ人々同士を「封鎖」しないために、 自宅で各自がプレイします。どうか音楽関係者のために投げ銭 (クラウドファンディング)を! http://mdlfes.tokyo
【前編】「P8 その後」vol.2 濱野智史✕宇野常寛「ポスト戦後的都市生活と『衣食住』――あたらしいホワイトカラーの誕生と情報社会」
放送日:2013年5月3日
毎回、満員御礼となっているPLANETS×10°CAFEイベント。4月からは「P8」のその後を読み解く連続講座を開催しておりますが、4/13の第一弾に引き続き、第二回目を開催します!
第二回目は、5/3(金)19:00より、盟友・濱野智史を迎え「ポスト戦後的都市生活と『衣食住』」をテーマに語ります!
■はじめに「文化」が変わり、最後に「社会」が変わる。そしてその過程では僕らの「生活」が変化する!
■もはや「サザエさん」も「クレヨンしんちゃん」も日本社会の「平均像」ではあり得ない――産業構造の変化に伴う戦後的サラリーマンの衰退と情報化の進行によるメディアの変化は、家族、産業、文化と多方面にわたってこの国の姿を変えつつある。
■共働きの前提化や雇用の流動化が消費者のニーズを変化させ、「食べログ」が「Amazon」が「Homes」がそれに応えるこの21世紀日本、僕たちは何を食べ、どこに住み、そして何をカッコイイと思うのか?
■都内在住&あたらしいホワイトカラー/フリーランスの当事者といえるアラサー論客ふたりが、新世代の生活文化の変化の最前線と、そのクリティカル・ポイントを徹底的に洗い出します。
【参考記事】
・門脇耕三×中川大地×速水健朗×藤村龍至+宇野常寛「いま東京と東京論を問い直す――首都機能から考える21世紀日本」
・「食べログ」の研究――レビューサイトがもたらした「食文化」と「都市」の風景
・蘆田裕史×千葉雅也×門脇耕三「『装い』の環境分析――身体の虚構化と僕らの資本主義」
【後編】「P8 その後」vol.2 濱野智史✕宇野常寛「ポスト戦後的都市生活と『衣食住』――あたらしいホワイトカラーの誕生と情報社会」
放送日:2013年5月3日
毎回、満員御礼となっているPLANETS×10°CAFEイベント。4月からは「P8」のその後を読み解く連続講座を開催しておりますが、4/13の第一弾に引き続き、第二回目を開催します!
第二回目は、5/3(金)19:00より、盟友・濱野智史を迎え「ポスト戦後的都市生活と『衣食住』」をテーマに語ります!
■はじめに「文化」が変わり、最後に「社会」が変わる。そしてその過程では僕らの「生活」が変化する!
■もはや「サザエさん」も「クレヨンしんちゃん」も日本社会の「平均像」ではあり得ない――産業構造の変化に伴う戦後的サラリーマンの衰退と情報化の進行によるメディアの変化は、家族、産業、文化と多方面にわたってこの国の姿を変えつつある。
■共働きの前提化や雇用の流動化が消費者のニーズを変化させ、「食べログ」が「Amazon」が「Homes」がそれに応えるこの21世紀日本、僕たちは何を食べ、どこに住み、そして何をカッコイイと思うのか?
■都内在住&あたらしいホワイトカラー/フリーランスの当事者といえるアラサー論客ふたりが、新世代の生活文化の変化の最前線と、そのクリティカル・ポイントを徹底的に洗い出します。
【参考記事】
・門脇耕三×中川大地×速水健朗×藤村龍至+宇野常寛「いま東京と東京論を問い直す――首都機能から考える21世紀日本」
・「食べログ」の研究――レビューサイトがもたらした「食文化」と「都市」の風景
・蘆田裕史×千葉雅也×門脇耕三「『装い』の環境分析――身体の虚構化と僕らの資本主義」
(2/3)奥泉光×市川真人「『批評空間』以降に文学は?:市川真人の現代文学講座 #1ーージャンルを超えること、文学であること」 【2014/5/17配信】 @okuizm
【ゲンロンカフェ入場券はこちら http://peatix.com/event/33682/ 】
1991年から2002年にかけて刊行された雑誌「批評空間」。思想シーンを牽引した同誌は、同時にもっとも先鋭的な文学誌でもあった(東浩紀が「ソルジェニーツィン試論」でデビューしたのもその雑誌である)。
現代日本において「小説」は生産され続け、毎日毎週のように単行本が、毎月何冊もの文芸雑誌が生産されつづけている。一方、大学生の毎月の読書時間アンケートには4割がゼロと回答し、大学生協の文芸書の販売数は十数年前と比べて半減している。
ふたつの相反して見える事象の狭間で、かつて柄谷行人と連帯した、あるいはその影響下にあったり、その手で選び出された小説家たちは、いま、なにをどのように考えているのだろうか。
それは「近代文学の終り」のあとに/以前から以後まで、「文学」はいかにありうるか、という問いにほかならない。「批評空間」時代や近畿大学などを通じ「近代文学の終り」を直近で目撃してきた奥泉光を皮切りに、現代日本文学の理論派や国際派を招いて彼らの「文学の現在」を問う連続講座。
【後編】「P8 その後」vol.1 堀潤✕宇野常寛「ニッポン開発委員会2013 ――社会のOSをアップデートするために」
放送日:2013年4月13日
毎回、満員御礼となっているPLANETS×10°CAFEイベント。
今週末4/13(土)からは、「P8」のその後について、
豪華ゲストを迎えて語る連続講座を開催します!
題しまして、
「夜の世界」から日本を変える
――「PLANETS vol.8」その後
3回連続講義@高田馬場10°CAFE
第一回目は、4/13(土)19:00より、
フリージャーナリストの堀潤さんと
巻末特集「ニッポン開発委員会2013」を読み解きます。
■インターネットを舞台とした「政治の季節」の激動とは裏腹に、
旧態依然とした体制が残存し続ける政治とメディアの現実――
オールドタイプの「リベラル」や「抵抗」の思想がほぼ無価値になった現在、
左翼的なナルシシズムと訣別したかたちでの社会変革の回路が求められている。
■公共放送を飛びだした元NHKアナウンサー堀潤が本誌編集長宇野と語る、
「メディアを変える」ことで「社会を変える」方法と提案とは?
■シリーズ第1回では、巻末特集「ニッポン開発員会2013」をテキストに、
インターネット以降のメディアのあり方と、連動する新しい都市型リベラル勢力の構想を語ります。
(3/3)高山明×今野勉「演劇を拡張する #3 『思想としてのテレビ』から演劇へ――接続と展開」【2014/07/09 収録】
連続講座「演劇を拡張する」、第三回は日本初の独立系テレビ制作会社「テレビマンユニオン」の創設者、TVディレクターの今野勉をゲストに迎える。長野オリンピックのプロデューサーも勤めた今野とともに、演劇とTVの関係、その歴史と未来について議論する。
今野勉さんからのコメント
テレビはナマ放送で始まりました。テレビドラマは、演劇の中継と同じでした。
テレビドラマはその後、記録(録画)の機能を持つようになり、演劇よりは映画に近いメディアになっています。
当初のテレビは、1回性、ハプニング、消えるもの、持続する時間、リアルな時間、など演劇と共通する要素が多くありました。今はそれらが失われています。
今回、私は、テレビ草創期に私が演出した歴史ドキュメンタリー『天皇の世紀』を観てもらおうと思っています。
この番組は、
①歴史を扱っていて、尚且つ現在進行のパフォーマンスで構成されている。
②フィルムによる撮影なのに、テレビ中継のように撮っている。
③俳優のパフォーマンスを撮っているスタッフをも撮影の対象としている。
など、過去と現在、映画とテレビ、演劇とテレビなどが混然とした内容です。
「拡張する演劇」の議論の最初の素材になれば、と思っています。
■
【出演者紹介】
高山明(たかやま・あきら)
1969年生まれ。演出家。演劇ユニットPort B(ポルト・ビー)主宰。『サンシャイン62』、『東京/オリンピック』(はとバスツアー)、『個室都市』シリーズ、『完全避難マニュアル』、『国民投票プロジェクト』、『光のないⅡ(福島−エピローグ?)』、『東京ヘテロトピア』など、ツアー・パフォーマンスや社会実験的なプロジェクトを現実の都市空間で展開している。2013年9月に「一般社団法人Port(ポルト)観光リサーチセンター」を設立し、観光事業にもその活動を広げつつある。対談集に『はじまりの対話– Port B国民投票プロジェクト』(現代詩手帖特集版/思潮社)がある。
今野勉(こんの・つとむ)
1936年秋田県生まれ。東北大学文学部卒業。東京放送(TBS)入社、テレビ演出部配属。ドラマ「土曜と月曜の間」で日本初のイタリア賞大賞。シリーズドラマ「七人の刑事」がギャラクシー賞大賞。1970年番組制作会社「テレビマンユニオン」創立に参加。旅番組「遠くへ行きたい」、3時間ドラマ「海は甦える」など、ドキュメンタリーやドラマで次々と新しい世界を開拓。1995年「こころの王国~童謡詩人金子みすゞの世界」で芸術選奨文部大臣賞受賞。長野冬季オリンピック開閉会式プロデューサー(会場演出)、武蔵野美術大学映像学科教授を務めた。著書に「テレビの青春」など。現在、㈱テレビマンユニオン取締役、放送人の会会長。
【サラリーマンマンガ家×聖地巡礼プロデューサー兼編集者】「マンガは拡張する」公開収録【兼業マンガ家・兼業編集者】 Part2 Presented by マンガナイト
すでにマンガ業界で働いている人、これからマンガ業界で働きたい人向けの連続講座の第三回。これからのマンガ業界をつくっていく、新しい編集者、新しいマンガ家になるためのヒントを探ります。毎回、さまざまなジャンルの第一線で活躍するマンガ「ギョーカイ人」が対談。
第四回目のテーマは 「兼業マンガ家・兼業編集者」
84年のデビュー以来、サラリーマンの傍らでマンガを描き続けているマンガ家・田中圭一氏と、編集者としてのキャリアをスタートに、マンガやアニメの舞台となった土地を巡る聖地巡礼や、アニメイベントなどのプロデュースを手がけ、コミPo!作家の顔も持つ柿崎俊道氏の二人が、兼業マンガ家・兼業編集者について、自分たちの経験談を通じ熱く語ります! ファシリテーターは、これからの執筆・編集・出版に携わる人のためのWebメディアDOTPLACEにて、「マンガは拡張する」を連載中のマンガナイト代表の山内康裕氏。(2015年11月12日(木)開催)
【出演者】
田中圭一(たなか・けいいち)
柿崎俊道(かきざき・しゅんどう)
山内康裕(やまうち・やすひろ)
(3/3)奥泉光×市川真人「『批評空間』以降に文学は?:市川真人の現代文学講座 #1ーージャンルを超えること、文学であること」 【2014/5/17配信】 @okuizm
【ゲンロンカフェ入場券はこちら http://peatix.com/event/33682/ 】
1991年から2002年にかけて刊行された雑誌「批評空間」。思想シーンを牽引した同誌は、同時にもっとも先鋭的な文学誌でもあった(東浩紀が「ソルジェニーツィン試論」でデビューしたのもその雑誌である)。
現代日本において「小説」は生産され続け、毎日毎週のように単行本が、毎月何冊もの文芸雑誌が生産されつづけている。一方、大学生の毎月の読書時間アンケートには4割がゼロと回答し、大学生協の文芸書の販売数は十数年前と比べて半減している。
ふたつの相反して見える事象の狭間で、かつて柄谷行人と連帯した、あるいはその影響下にあったり、その手で選び出された小説家たちは、いま、なにをどのように考えているのだろうか。
それは「近代文学の終り」のあとに/以前から以後まで、「文学」はいかにありうるか、という問いにほかならない。「批評空間」時代や近畿大学などを通じ「近代文学の終り」を直近で目撃してきた奥泉光を皮切りに、現代日本文学の理論派や国際派を招いて彼らの「文学の現在」を問う連続講座。