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クリシュナムルティのことば
クリシュナムルティの本は仏教コーナーに置くべき。なぜブッダは無我を説き、般若経は認識を否定し、禅は非思量を目指すのか。捉えようのない仏教哲学の答えを指し示す指標として、クリシュナムルティの存在はあまりにも大きい。「おそらくこの人は生まれる前に預流果にはなっていたのだろう。預流果にならないと、これは分かるはずがないのだ。」(アルボムッレ・スマナサーラ 「ブッダの実践心理学 第二巻」より)「クリシュナムルティの真理のことば」→sm21246335
覚者と物理学者の対話 「時間の終焉」
渡辺充(わたなべ・みつる)1950年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。曹洞宗、原田祖岳禅師門下、佐藤正真老師より印可証明を受ける。訳書、クリシュナムルティ&デヴィッド・ボーム対話集「時間の終焉」と仏教のお話。「クリシュナムルティ 時間の終焉」→sm22423980
クリシュナムルティと禅
クリシュナムルティのキャッチフレーズ、「観察者は観察されるものである」とはどういうことなのか。K自身の言葉と、KB会、渡辺充さんの解説で明らかにする。主体も客体も葛藤も、すべては思考の自作自演だったのか。Kの言明は真実かオカルトか。確かめるのは、あなたです。続けておすすめ→覚者と物理学者の対話 「時間の終焉」sm23064808
Krishnamurti - Who am I 講話の映像
インド生まれの宗教的哲人、クリシュナムルティの講和の映像。知ってる人すらほとんどいなそうだけど、一応あげてみた。 wiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/クリシュナムルティ TwitterのクリシュナムルティBOT( ´∀`)σ →http://twitter.com/#!/krishnamurtibot
5分で知るクリシュナムルティの教え (「変化への挑戦」より)
ジッドゥ・クリシュナムルティ(Jiddu Krishnamurti, 1895年5月12日 - 1986年2月17日)は、インド生まれの宗教的哲人、教育者。既存の宗教や哲学によらず、生を通しての十全な気付きにより、精神をあらゆる条件付けから解放することを説いた。 洞察による脳細胞の変容などを指摘した彼の教えは、その現代的なアプローチから宗教という枠にとどまらず、幅広い支持者を獲得した。続けておすすめ→sm25310922
クリシュナムルティ 「瞑想と自然」
「脳とその思考および感情を伴う精神の全体性が空っぽだった。そしてそれが空っぽだったので、そこにはエネルギー、果てしなく深まり、そして広がっていくエネルギーがあった。すべての比較、測定は、思考、それゆえ時間に属する。その『他なるもの』は、時間のない精神だった。それは純真無垢と無限性の息吹だった。言葉は現実ではない。それらは意思疎通の手段にすぎず、純真さと不可測なるものではない。『無』がただひとりそこにあった。」(「クリシュナムルティの神秘体験」より)
クリシュナムルティの真理のことば
「絶えず人生の目的を探求するということは人間が陥りやすい奇妙な逃避のひとつです。つまり、なぜ私たちは思考を崇拝するのでしょう? 誰が悟ったかとか、神とは何かと訊ねたりせずに、なぜあなたのすべての注意力と意識を、あるがままのものに向けないのでしょうか。」 徹底した自己観察の教えは釈迦を彷彿とさせつつ、老子に説教されているような気分にもなる。「クリシュナムルティ 自我の終焉」→sm21261364
クリシュナムルティ、瞑想を語る
「あなたが花を見るとき、そこには空間があるのです。物理的にだけではなく心理的にも。その空間があるときには葛藤があります。その空間というのは、思考によって、観察者によって作られるのです。空間なしに観察したことがありますか?観察者と観察されるものとのあいだの空間なしに、とても美しいものを観察したことがありますか?(『あなたは世界だ』)」続けておすすめ→sm23064808
クリシュナムルティ 「自由とは何か」
「言葉が私たちを駆り立て、私たちを使うことに気づいたことはありませんか?『思考から自由にならなければならない』という発言を初めて聞いたら、みなさんは『彼は正気の沙汰ではない』と言うかもしれません。しかし、本当に傾聴し、書かれたことを読んだなら、みなさんは、語られつつあることがとてつもない活力、鋭い真理を持っていることを知るでしょう。」『自由とは何か』に収録された講話の一部→sm30409712
クリシュナムルティ 「あなたは世界だ」
仏教論理学派によれば、直接知覚は概念作用を含まないものである。「これはリンゴだ」という認識は名称を物体に結びつける概念作用を含むゆえに直接知覚ではない。仏教論理学派の大成者、ダルマキールティは、真に存在するものとは名称・言葉で指し示される以前のそのものであり、概念の対象は実在しないと主張した。(立川武蔵「空の思想史」)続けておすすめ→「クリシュナムルティと禅」sm25075645
クリシュナムルティ 「時間の終焉」
「移動や技術を学ぶために時間が必要なのは明白です。私はそのような時間について話しているのではありません。私は時間を経て進化してきた精神について話しているのです。心理的時間こそが意識の中身を作り上げた要因だということです。この運動全体に対する洞察が、脳に変容をもたらすのです。」「時間の終焉」に収録された討論の一部→sm25285705
クリシュナムルティ 「花のように生きる」
「ウパニシャッドは私の言うことと一致しているとか、『あなたはまさしくブッダ、キリストが言ったことを言っています』と言われます。ですが、それはすべて理論です。あなたは、これについて本当に考えなければなりません。一つの観念、一つの信念に強固に取りすがる狂人は、誠実です。取りすがることにおいて誠実であろうとしています。真理を見つけるには、父も母も、立ちはだかるものも、関係も、責任もあってはなりません。ですが、どうか対極を捕らえて『私は自分のすべての責任を捨てましょう』と、言わないでください。それはあまりに安易で卑怯なやり方です。完全に行動するなかで、あなたは見出すでしょう。どんなものごとも、境遇も、あなたの行く道に立ちはだかりえないのです。」
クリシュナムルティ、ザーネン、1981
「講話の間、Kはずっと烈しい胃の痛みに苦しんだ。集会が終わるとすぐ、パルチュリ博士は彼を連れてザーネンの病院に行き検査してもらったが、痛みの原因となるものは何も見つからなかった。七回のザーネン講話はKの教えの全てを包含しており、出版されて本になったものは全体として読まれなければならない。」(「クリシュナムルティ・開いた扉」より)続けておすすめ→「覚者と物理学者の対話、時間の終焉」sm23064808
クリシュナムルティ 「生と覚醒のコメンタリー」
「今の中に一切の時間があり、今を理解することが時間から自由になることなのです。『なること』は『あること』を含みません。『あること』は常に現在であり、変容の至高形態なのです。何かになろうとすることは、時間、悲嘆を持続させるのです。」
クリシュナムルティ 「生の全体性」
「思考は全くスピリチュアルなものではない。思考は脳細胞に保持された記憶に基づく物質的な過程である。人は死後に何が起こるのかと尋ねる。では、私は別の質問をしてみよう。死の後に何があるのかではなく、死の前には何があるのか?」
クリシュナムルティ、ブロックウッド・パーク、1976
Kとデヴィッド・ボーム、精神分析医のデヴィッド・シャインバーグの間で行なわれた討論は、専門技術者たちによってカラー・ビデオに収められた。この企画は成功し、クリシュナムルティ財団はビデオ・レコーダーを持つべきだということになった。それ以来、Kのヨーロッパでの講話のすべてと、アメリカやインドのいくつかの講話がビデオに収録されるようになった。(「クリシュナムルティ・実践の時代」より)デヴィッド・シャインバーグの弟、ローレンス・シャインバーグの自伝が面白いのでおすすめです。クリシュナムルティ「生の全体性」→sm23217421
クリシュナムルティ 「生と出会う」
「思考が本当に知っているのは昨日だけです。脳が自由になり、全く異なった次元で機能させることはできるでしょうか?つまり、毎日あなたが寝るとき、あなたが取り集めてきたすべてを拭い去るのです。一日の終わりに不要なすべてに向かって、傷つけられた記憶、自分の信念、恐怖、心配、悲しみに向かって死ぬことは可能でしょうか?」「生と出会う」に収録された講話の一部→sm25246246
心理的な葛藤の根源
渡辺充(わたなべ・みつる)1950年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒。曹洞宗、原田祖岳禅師門下、佐藤正真老師より印可証明を受ける。140528KB会からの抜粋。「人類の未来」復刊されないかなぁ。覚者と物理学者の対話 「時間の終焉」→sm23064808、スマナサーラ長老が説く貪瞋痴の対処法→sm19143626
クリシュナムルティ 「自己の変容」
「明確にしておきましょう。私には信奉者などいません。私の話を聞く人々に対して責任などありません。私はどんなグループにも属しません。ひとりひとりが自分自身の光でなければならないのです。これは教義でも信条でも説得でもありません。私たちが出会うとき、理解しあえるか、しあえないかのどちらかです。」
クリシュナムルティ 「既知からの自由」
「私はあなたに信じることは要求しません。自分自身についてあなたが知っていることすべて、あれこれ考えてきたことすべてを忘れなさい。あなたは人が価値がある、必要として受け入れてきたものすべてを問い直さなければならないのです。」精神世界の必須科目、クリシュナムルティの代表的名著。
クリシュナムルティ 「知恵のめざめ」
「感受は正常で、健康的で、活発です。そうでなければあなたは死んでいます。感受を抑圧することは、あなたが死んでいるという意味です。思考がどのように感受に作用しているのかを、ただ見るのです。欲望はどのように生まれるのかを見るのです。」
クリシュナムルティ 「人類の未来」
デヴィッド・ボーム「私たちが記憶から活動する場合、コンピュータとあまり変わりません。逆も言えるでしょう。コンピュータは私たちとあまり変わらないと。ですが、あなたはプログラムから自由で創造的な英知という考えを持ち込もうとしています。」クリシュナムルティ「ええ。その英知は記憶と知識には何の関係もありません。思考によって触れられていない活動。その活動は存在し、それは英知の最高形態です。」続けておすすめ→「覚者と物理学者の対話 時間の終焉」sm23064808
ブッダへの挑戦 8分でわかる龍樹
「釈迦は何を悟ったか」→sm18534878、「スマナサーラ長老、龍樹を語る」→sm23020521、「見聞覚知」→sm24376089
クリシュナムルティ、ブロックウッド・パーク、1980
「Kの長兄は医者になったが、その子息のG・ナラヤンがリシ・バレーのクリシュナムルティ学校の校長であった。彼は以前英国のルドルフ・シュタイナー学校の教師であった。デヴィッド・ボームはアインシュタインの友人で、ロンドン大学の理論物理学の教授であった。彼は1961年以来、ヨーロッパやカリフォルニアでほとんどすべてのKの講話に参加し、何回も討論を重ねていた。80年には4月に8回、6月にブロックウッドで5回の対話があり、『時間の終焉』という本にまとめられた。」(「クリシュナムルティ・開いた扉」より) 動画の9分頃、なぜかクリシュナムルティが笑い出す場面があります。「旅行しすぎたりせず」とは講話のために世界中を飛び回っていた自分自身を指すクリシュナムルティ流のジョークです。
クリシュナムルティ、瞑想を問う
「意識的な瞑想は少しも瞑想ではありません。意図的な瞑想はビジネスにおける達成のようなものです。どちらも望みのものを追求しているのです。一方を霊的と呼び、他方をビジネスと呼んでいるだけです。そしてそのどちらも私たちは渇望しているのです。意識的でも意図的でもない瞑想があります。その瞑想には完全な静寂があります。それは思考の静寂ではありません。その静寂は思考の産物ではないのです。」(「神話と伝統を超えて」第6章、瞑想について)続けておすすめ→「時間の終焉」sm22423980
クリシュナムルティ 「英知へのターニングポイント」
「例えば、私が真理を知りたいと思ったとき、それは要求であり、願望です。そのとき、私が『真理だと考えているもの』が投影されるのです。世論や他人の見解や、聖人の言葉に随順していく心の過程を理解すること。精神が信念に引き寄せられる理由を理解したとき、そこに驚くべき自由が生まれるのです。精神は記憶と認識を通して対象に接近します。私たちは今を完全に知ることがないのです。精神は『新しいもの』を経験することが絶対にできないのです。」(「自我の終焉」より)「英知へのターニングポイント」に収録された講話の一部→sm25265427
エックハルト・トール 「ニュー・アース・シリーズ」
DVD三部作を一冊の本にしたらいいと思う。エックハルト・トールに興味があればクリシュナムルティもお勧め→sm25285705
クリシュナムルティ 「学びと英知の始まり」
「『考えてはだめだ』と言わないで思考の果てまでたどってそれを終わらせ、持ち越さないのです。一度に一つの思考を追うようにして別の思考が割り込んだら「待て、それは後回しだ」と言えばいいのです。思考が秩序を持ち、精神が静まると、本当の美が現れ、物事の神秘が開示されはじめるのです。」
クリシュナムルティ 「私は何も信じない」
質問者「意識のなかに葛藤があるかぎり、権威が精神を支配するかぎり、体験、記憶にもとづいて内面的な権威を作るかぎり、回避、自己規律、啓示、いかに高尚でも理想があるかぎり、分析して自分を知ろうとするかぎり、イメージ、シンボル、観念に固執するかぎり、さらに一歩進めて、思考があるかぎり変容はありえない、ということですね?」K「そのとおりです」質問者「変容とは、いかなるものですか?」K「条件づけの根底部自体の爆発、時間の打破です」
クリシュナムルティ、ザーネン、1979
「その年はテントの中で騒ぎがあった。聴衆の中の三人がKに無礼な振舞いをし、彼は『秘密を公開すべき』なのに、隠しているとは何事だとつめ寄ったのである。その間中、Kは非常に冷静で、騒ぎがおさまるのを静かに待っているだけであった。」(「クリシュナムルティ・実践の時代」より)続けておすすめ→「クリシュナムルティと禅」sm25075645
クリシュナムルティ 「明日が変わるとき」
「実験していただけるでしょうか。私が質問しても、答えを見つけようとしないでください。問いを理解したのかを見出してください。なぜなら、問い自体が答えを含んでいるからです。あなたがそれを花開かせるならです。真理にはそれ自体の力があります。それを放っておくならば、です。考案すべては知識に基づき、必然的に制限されるのです。」K愛読者は善勇猛般若経おすすめです。