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南方戦線とトイレの話~便所の数で兵力判定!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#37
今回はちょっと趣向を変えて、題材を「トイレ」に絞ったお話。
南方の戦跡取材に行く際、もちろんそこにトイレなどない。
だからといって、水分をとらずに我慢していたら、熱中症で倒れてしまう。たいていは汗で流れるけれども、時にはどうしても催してしまうことがある。そういう時は…もちろん、外の適当なところで済ますしかない。
ところがある時、現地の人に、うちにはトイレがあるから使うといいと勧められた。しかしそれが大変なことに…
その他、南方戦線・タラワにおいて、米軍が便所の数から日本軍の兵力を判定していた話や、飛行機乗りはどうやって済ませていたのか? という話など、戦場だろうがどこだろうが、避けては通れないトイレの話あれこれ!
軍法会議ってなあに? 『笹幸恵の軍事トリビア』#21
ゴー宣道場でも憲法についての議論が進んでいるが、その際にときどき話題になる「軍事裁判所」、またの名を「軍法会議」。
自衛隊は「軍法会議」を開くことができないから、一人前の軍隊の機能を満たしていない…といった具合によく言われるわけだが、そもそも「軍法会議」って、何?
今回は、そんな基礎知識をお届けする。
歯医者と「グンレイショウコウレイ」 『笹幸恵の軍事トリビア』#3
ある時、歯の治療に出かけた笹さん。するとその歯医者がたまたま戦史マニアで、話が通じると見るや、どんどん戦史の話をしてきた。
ところがその歯医者さん、戦史マニアはいいのだが、知識をひけらかしたがる厄介なタイプで、そのうち治療もそっちのけで言い出したことが、「君、グンレイショウコウレイって知ってるか?」
・・・そんないきさつで調べてみた、「グンレイショウコウレイ」とは、一体、何?
大好評の質問コーナーもあります!
又も負けたか八連隊~大阪第4師団は強かった?弱かった?『笹幸恵の軍事トリビア』#35
日本陸軍、特に歩兵は「郷土連隊」といって、各地域ごとに組織され、同郷の者によって隊を組んでいた。そのため連帯感があり、それが強さにつながったとも言われる。
また、そのためそれぞれの「地域色」があったということも伝えられている。
そんな中で、「日本軍史上最弱」という有難くない評価をもらっていたのが大阪第4師団。
いったいどう言われていたのかを、伊藤桂一著『兵隊たちの陸軍史』に引用されたエピソードから紹介する。
そして、その弱さはまさに大阪の「お国柄」によるものだという、後に有名になる陸軍軍人の分析も紹介。
さて大阪府民の皆さん、この分析、当たってますか?
アッツ島の戦い~「玉砕」第一号となった山崎部隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#26
日本軍の戦況が不利になって以降、部隊が全滅する事態は既に起こるようになっていたが、大本営がこれを「玉砕」という言葉で表したのは、昭和18年5月のアッツ島の戦いが最初だった。
大本営はアリューシャン諸島の放棄を決定、その際、アッツは全滅させる一方、隣のキスカは全員撤退させるという、正反対に命運が分かれることとなった。
その際、北部軍司令官・樋口季一郎が送った悲痛な玉砕命令の電文と、それに対する山崎保代部隊長の、毅然とした返電。そして、最後の突撃を迎え撃った米軍中尉が語った、部隊の壮絶な最期の様子が胸を打つ。
兵は手足で将校は頭脳 では下士官は? 『笹幸恵の軍事トリビア』#2
新番組第2回!!
今回は軍隊の「階級」について。
軍隊組織について語るうえで「階級」は基礎中の基礎。
陸海軍の階級は大きく「兵」「下士官」「士官」に分かれ、さらにそれぞれが細かい階級に分かれている。
徴兵によって入隊すると、最初は全員「兵」の一番下の「二等兵」。半年ほど後には「一等兵」になるが、その後はその人次第。
戦争映画でよく出てきた「古参兵」ってどういう人?「星の数よりメンコの数」ってどういう意味? 「士官」と「将校」ってどう違うの? などなど、聞けば納得のトリビア満載!
飛行場を急襲!「義烈空挺隊」 読谷村の碑を訪れました。『笹幸恵の軍事トリビア』#78
今回は沖縄戦における、あまり知られていない戦史について。
沖縄県・読谷村に「義烈空挺隊玉砕之地」という碑がある。
これは昭和20年5月、米軍に占領された沖縄県の北・中飛行場に着陸し、米軍機や施設等を破壊後、ゲリラ活動を行うという「義号作戦」に参加した義烈空挺隊の碑である。
隊は伝家の宝刀のような精鋭部隊だったが、それだけに活躍のタイミングを失い、既に大勢が決していた沖縄戦に、ほとんど特攻のような状態で投入された。いわば「戦艦大和」と同じような状況だったのである。
にもかかわらず、その事実は沖縄戦の中でも語られることは少ない。
もし読谷村に行かれる際には、その碑を訪問してみてはいかがだろう?
軍旗にまつわるあれこれ~軍旗は天皇の分身だった!?『笹幸恵の軍事トリビア』#57
前回話していた通り、4月11日に新潟で行われたゴー宣道場に際して、新発田の歩兵第16聯隊資料館を訪れた笹師範。
そこで目を引いたものは数々あったが、特に目を引いたのは「聯隊旗」。それも「旗のない軍旗」とでもいうようなものだった。
そこで今回は、日本軍と「軍旗」について語る。
日本兵にとっての軍旗とは、どういうものだったのか?
それは、数百千の兵の命にも代えられないものだった!
西洋的合理主義では決して理解できないであろう、想像を絶するような、軍旗に込められた魂の物語!
軍隊符号あれこれ~私の密かな楽しみ教えます♪ 『笹幸恵の軍事トリビア』#43
「軍隊符号」とは、陸海軍のそれぞれの部内だけで使用された略号や記号のこと。
作戦上の地図などに、部隊などの正式名称をいちいち書き込むわけにはいかないので、共通して分かるように定められたもので、多くはアルファベットと数字の組み合わせになっている。
例えば「南東方面艦隊司令部」は「NTF司」、第28設営隊は「28seg」など。ローマ字表記や、英語表記の頭文字から取ったものが多いが、由来のわからないものもあるという。
さて、そこで、笹さんが軍隊符号を使って日常的にやっている、密かな楽しみとは?
「ウクライナ国民斯ク戦ヘリ」沖縄線に見る民間人の闘い~「沖縄県民斯ク戦ヘリ」大田實海軍中将の電文を読む『笹幸恵の軍事トリビア』#68
ロシアの侵略を受けたウクライナでは、一般市民を巻き込んだ熾烈な戦闘が行われている。
これに対して日本では、「戦闘で死者を増やすくらいなら、早く降伏した方がいい」などという意見まで出てくる始末である。
国を守るために、軍隊のみならず民間人までもが命を懸けるという気持ちが、今の日本人にはわからなくなってしまったのかもしれない。
しかし、そんな日本人も、かつては民間人までが国を守るために闘い、斃れていったという場面があった。それが沖縄戦である。
戦後の歴史観では、沖縄戦で死亡した民間人は単に戦いの「巻き添え」の被害者扱いにされ、しかも加害者が米軍ではなく日本軍にされてしまっているが、それは本当に正しいのだろうか?
沖縄根拠地隊司令官として海軍の戦闘を指揮した大田實中将が自決の直前に送信した決別電を読み、その実像に迫る。
そこに描かれた沖縄県民の姿は、いまのウクライナ国民と重なって見えないか?
福山聯隊と樋口季一郎中将~岡山からちょっと足を延ばしてみました~『笹幸恵の軍事トリビア』#63
10月10日、第101回ゴー宣道場が岡山で開催された。
せっかく岡山まで来たのだからと、笹さんが足を延ばしたのが、福山。
備後護国神社には立派な戦没者慰霊碑が並び、中でも「メレヨン島戦没者慰霊碑」に感激。
そして福山といえば、歩兵第四十一聯隊。
というわけで、第四十一聯隊の創設から大東亜戦争末期、「二度、玉砕した部隊」と言われるまでの歴史を語る。
歴代の第四十一聯隊長の中でも特に語るべきは第17代・樋口季一郎中将。
樋口中将は後に北方軍司令官となり、戦争末期のアッツ・キスカや占守島の戦いにおいて名を知られている。
そして実は他にも、樋口中将にはユダヤ人難民の救援に大きく尽力した功績があるのだが、これは外交官・杉原千畝の活動に比べてほとんど知られていない。
そこで、樋口中将を顕彰するための新たな動きについてもご紹介!
ナウル守備隊 知られざる感染症の悲劇 『笹幸恵の軍事トリビア』#49
小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIALコロナ論』の第13章「インカ帝国の滅亡」には、南米大陸に白人がヨーロッパから持ち込んだ感染症が瞬く間に広がり、免疫を持っていなかった現地の住民が全滅していく様子が描かれている。
これを読んで連想したのが、ナウル守備隊の悲劇。
赤道直下にある面積約21平方キロメートルの小さな島・ナウルは、約4000人の日本軍が守っていた。
この日本兵たちは敗戦後オーストラリア軍によって武装解除されるが、悲劇はここからだった。
恨みに燃えるオーストラリア兵は、日本兵を過酷に扱い、ブーゲンビル島タロキナ(トロキナ)で「死の行軍」を強いる。
その後、日本兵はブーゲンビル海峡のビエズ島、マサマサ島に収容されるが、そこで待ち構えていたものは…
キスカ島撤退作戦~奇跡の「ケ」号作戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#27
前回紹介した「最初の玉砕」、昭和18年5月のアッツ島の戦い。
大本営はアリューシャン諸島の放棄の決定の際、アッツは全滅させる代りに、隣のキスカだけは何としても全員撤退させるという方針を採った。
キスカ守備隊5300名の将兵を救出すべく、木村昌福少将率いる第一水雷戦隊15隻の艦艇がキスカに向かう。
だが、その遂行は困難を極め、作戦は2度も中止される。
そして三度目の正直と挑んだ時、実はそれが、このタイミングでなければ成功しなかったかもしれない、幸運な偶然が重なった奇跡の時だった!
『アーロン収容書』のココが魅力!~過去と向き合うきっかけを作ってくれた本~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#20
笹幸恵さんが戦史に興味を持つきっかけとなったのは、1冊の本との出会いだった。
その本とは、会田雄次著『アーロン収容所』(中公新書)
大学時代、それまで先の戦争について学校で習った以上の知識がなく、もっと知りたいと思いながらも、買った本も読了できず挫折、ということを繰り返していた時に、初めて読み終えたのがこの本だという。
ビルマのアーロンという場所に設けられたイギリス軍の捕虜収容所に入れられた日本軍捕虜たち。そこにはイギリス人と日本人の文化の衝突があり、自由のない状況の中でもたくましく生きていく人々の姿があった。
まずは読み物として面白い、この本の魅力をご紹介!
質問コーナーもあります!
戦場で負傷した兵士の運命 映画「ハクソーリッジ」に見る衛生兵のお仕事『笹幸恵の軍事トリビア』#13
沖縄戦の前田高地における激戦を舞台にしたメル・ギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」。主人公は、この戦場で武器も持たず、負傷兵の救護に当たった衛生兵、デズモンド・ドスという実在の人物である。
今回は、この映画で注目された「衛生兵」について。日本陸軍の場合は、どうやって衛生兵になったのか?
そして、戦場で負傷した兵士はどのような扱いを受けたのか? 戦場における病院・救護施設はどのような仕組みになっていたのか? といったことを解説します!
海軍兵学校に行ってきた! 海軍の初級士官を育てたエリート校『笹幸恵の軍事トリビア』#75
第71回で紹介した軍港・呉に続く、海軍聖地巡礼シリーズ!
今回行ってきたのは、海軍最大の聖地ともいえる広島県・江田島。
ここには海軍初級士官の教育機関である海軍兵学校があり、現在は海上自衛隊幹部候補生学校となっている。
正門を入ると外とは全く違う、空気が張り詰めたような独特の雰囲気が漂う。ここは観光地ではない、明治以来の伝統を今も受け継ぐ海軍・海自の教育機関である。
今回は江田島見学の見どころやその感想、そして明治20年に築地から江田島に移転した海軍兵学校の、終戦に至るまでの歴史などについてご紹介します!