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コロナと空気と日本軍~あらためて『「空気」の研究』を読む 『笹幸恵の軍事トリビア』#45
新型コロナウイルスをめぐって、日本中が異様な「空気」に支配されている。
自粛すること、家にいることこそが正義と疑いなく信じ込まれ、異論が言えない。
レジャーに外出する人、営業中のパチンコ店などは、人々が通報し、つるし上げる。
データに基づいて「コロナはインフルエンザと大差ない」と言っても、感情的な反発を生むだけで、聞き入れられない。
とにかく、この空気に逆らう者は「非国民」! という状態。
これではまるで戦時中と変わらない。
戦前も戦後も変わらない、日本人が逆らえない「空気」の正体は何か?
ここで改めて山本七平の名著『「空気」の研究』を読んでみよう。
そこに書かれていたことは、まるで今起きていることを観察して、分析したような内容だった!
艦名のナゾに迫る!~戦艦「大和」はなぜヤマト? 『笹幸恵の軍事トリビア』#28
旧日本海軍の軍艦といえば、「大和」「武蔵」「長門」等々。重巡洋艦は「妙高」「足柄」等、航空母艦は「蒼龍」「飛龍」等…
実はこれらの名前には、艦の種類によって命名の基準が決まっている。ただしそこには例外もあり、そこにはその艦の建造の経緯が現れるという。
それでは、現在の自衛艦の艦名はどうだろうか?
こちらにも基準は定められている。とはいえ、種類が限られているために、そこには苦労もあるようで…
モリカケ問題と大本営発表 お偉いさんは軍部にそっくり!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#24
モリカケ問題で、加計学園の理事長がどさくさ紛れの記者会見を行ったが、あれを見て納得した人などいるだろうか?
むしろ、なぜあんな嘘を平気で言えるのだろうと呆れかえった人ばかりだったはずだ。
エリートのはずの官僚からも続々出てくる嘘、嘘、嘘…
「忖度」「隠蔽」「強弁」がまかり通り、真実が葬り去られる。
なぜ、こんなことになるのか?
ここで連想するのが、戦時中に行われ、今では嘘の代名詞となっている「大本営発表」
どんな嘘が発表され、どんな真実が隠されたのか、その実例を見つつ、今日まで続いているかもしれない「エリート軍人」教育の弊害について考える。
ソロモン・ニューギニア戦線 知っておきたい3人の指揮官 『笹幸恵の軍事トリビア』#38
今回は、語り伝えたいソロモン・ニューギニア戦線の3人の指揮官の話。
日本陸軍の指揮官には、作戦のミスやその責任を取らなかったことなどで、後世まで非難し続けられている者も少なくない。
そんな中で、この3人に関しては悪評がほとんど伝わっていない。
第8方面軍司令官「人情将軍」今村均中将(のち大将)
第17軍司令官「暗号の権威」百武晴吉中将
第18軍司令官「愛の統率」安達二十三
その人となりは?
クエゼリン玉砕 マーシャル諸島の戦いと今 『笹幸恵の軍事トリビア』#41
中部太平洋戦線、タラワ・マキンで多大な犠牲を強いられた米軍は、次に日本の信託統治領だったマーシャル諸島・クエゼリン環礁の攻略を目指した。ここは米軍にとっては中部太平洋に進攻する足掛かりとなる場所だった。
対する日本軍は、南部のクエゼリンに司令官秋山門造少将以下約6000名、北部のルオットに山田道行少将以下約2900名。戦闘能力としては非常に貧弱な状態で米軍を迎え撃たざるを得ない状態だった。環礁という陣地構築に向かない場所で、増援部隊も間に合わず、戦闘は凄惨を極めた。
もっと多くの人に知ってほしい、今では知る人も少ない小さな島における戦闘。
そして、現在の島の模様もご紹介。
ポジティブリストとネガティブリスト 自衛隊の【交戦規定】について 『笹幸恵の軍事トリビア』#22
早稲田大学教授で、今日の憲法学者の第一人者ということになっている長谷部恭男氏が、新刊『憲法の良識』(朝日新書)で、こんなことを言っている。
〈自衛隊のできることを「ポジティヴリスト」として、一つひとつ憲法に書き込もう、そのほうが明確になる、と主張する政治家やグループがいます。代表的なのが、立憲民主党の山尾志桜里さんです。〉
ここで言う「グループ」とは、ゴー宣道場以外に考えられないが、山尾氏もゴー宣道場も、そんな主張は一切していない!
今回は、「ポジティブリスト」と「ネガティブリスト」とはどういうものかを解説し、「憲法にポジティブリストを書き込もう」などという主張などするわけがないことを明確にする!
終戦後のソ連軍侵攻 占守島の戦い~北海道の命運を分けた5日間『笹幸恵の軍事トリビア』#69
ロシアのウクライナ侵略が始まってから、2ヶ月以上が経過した。
その間に明らかになったのは、民間施設への攻撃や虐殺、強姦、略奪など、あらゆる国際法を無視してどんな非道な行為も平然と行ってしまう、ロシアの無法ぶりだ。
この様子を見て、日本人ならば思い起こさなければならない歴史がある。
千島列島の最北端・占守島において繰り広げられた「終戦後の戦争」である。
ソ連がまだ有効だった日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告したのは、1945年8月9日。
そして、ソ連軍が占守島を侵攻したのはなんと、日本がポツダム宣言の受諾を公表した後の8月18日だった!
占守島の防衛に当たっていた第91師団は既に武装解除と帰国の準備に入っていたが、この事態に一転、ソ連軍の上陸・南下を阻止すべく徹底抗戦の死闘を繰り広げた!
もしこの戦闘がなかったら、北海道の半分はソ連に占領され、今もロシア領になっていたかもしれないにもかかわらず、「戦後」の出来事だったためか、このことを知っている人はそう多くはない。
だが、ロシアがどういう国なのかを理解するためにも、この歴史は決して埋もれさせてはならない!
軍隊めしたき物語(陸軍編)~腹が減っては戦はできぬ!『笹幸恵の軍事トリビア』#33
軍隊の食事事情は、陸軍と海軍では全く違っていた。
というわけで、前回の「海軍編」に続いて今回は陸軍について。
陸軍は海軍と違って調理専門の兵はいない。
部隊には炊事班があり、炊事班長はたいてい、古参の軍曹が務めた。その理由は?
さらに陸軍が海軍と特に違ったことは、食事を作る以前の問題。
戦線を拡大するにつれ、そもそも食糧を調達すること、第一線に届けること自体が難しくなったのだった。
戦争末期になると、それは惨憺たるものとなり…
ちゃめの人 山本五十六~軍人紹介シリーズ(1)~ 『笹幸恵の軍事トリビア』#17
軍人紹介シリーズ、その第1弾は連合艦隊司令長官・山本五十六。
真珠湾攻撃を成功させて英雄とされた山本五十六だが、本人は米国駐在日本大使館付武官を長く務め、国力の差も熟知しており、日米開戦には反対していた。
真珠湾攻撃の成功後も、反撃の大きさを予期して「勝って兜の緒を締めよ」と言い続けたが、戦勝ムードに酔いしれる人々は聞く耳を持たなかった。
そして皮肉なことに、航空戦力の重要性を見せつけた真珠湾攻撃の後、米軍はいちはやく航空戦強化に舵を切ったのに、当の日本軍には改革ができなかった。
悲劇の軍人、山本五十六の生涯にスポットを当てる!
陸軍の編成と略号~兵団文字符はもはや暗号!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#5
各戦場の具体的な戦闘の経緯や作戦などについて説明する際に、理解がしづらいのが部隊の編制。そこで一般的な陸軍の平時および戦時の編制についてご説明。
さらにそれらにどういう略号が付されていたかを説明していく。
その略号の他に、防諜上の点からつけられたのが「兵団文字符」というもので、これを覚えておかないと戦史を読んだときにわけがわからなくなるというのだが、これがほとんど暗号!
でも知っておいたらぐっと戦争の話がわかりやすくなる基礎知識です。
今回も、質問コーナーあります!
祖父はシベリア帰りだと思っていたら全然違っていた件~大陸における日本軍最後の攻勢作戦に参加『笹幸恵の軍事トリビア』#76
第65回「身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!」
https://www.nicovideo.jp/watch/so39888282
から始まった、親族の軍歴を調べてみるシリーズ。
その後、視聴者の方やスタッフ・時浦の祖父の軍歴について扱ってきたが、今回は満を持して、笹さん自身の祖父の軍歴を調査、報告!
調べてみたところ、祖父はシベリア抑留から帰還したものと思い込んでいたのが、軍歴にはシベリア抑留を示す「ソ満国境通過」という記載がないことが判明。
代わりに記載されていたのが、聞いたこともなかった陸軍の作戦「湘西作戦」に参加したという軍歴。
果たしてこの作戦はどういうもので、どういう経緯でこの作戦に参加し、どのような経験をしたのか?
調べてみると、生前の祖父が語らなかった苛酷な参戦経験が浮かび上がってきた…
戦場と性~伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』より 『笹幸恵の軍事トリビア』#44
小林よしのり著『慰安婦』(幻冬舎)発売中!
そこで今回は、実際の兵隊の目を通した慰安婦とはどういうものだったのかを、笹さんの「バイブル」だという名著、伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』から紹介する。
「軍の関与」というけれど、軍は一体どういう関与をしていたのか?
そして、戦場における兵隊たちの性欲について、先入観を全く覆す現実の有り様。
これぞ極限状態に置かれた人間のリアル!
「性奴隷」だの「女性の人権侵害」だのというイデオロギーで語っている者は、このような人間のリアルを全く見ようとしていない。そういう者たちこそが、兵隊はもちろん慰安婦も侮蔑し愚弄しているのである!
ダンピール海峡と魔のサラワケット ~東部ニューギニア 苦難の51連隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#36
今回お届けするのは、東部ニューギニア戦線のごく一部の戦闘経過。
ごく一部でありながら、そこに端解されるのは悲惨に次ぐ悲惨!
ラバウルから東部ニューギニアに送られた51師団は、輸送船が空襲によってわずか20分で壊滅する「ダンピール海峡の悲劇」に遭遇。半数が海の藻屑と消える。
ほうほうの体で上陸を果たした3000名ほどの兵を待っていたのは、さらに過酷な運命、「魔のサラワケット越え」だった。
だが、まだそれでも彼らの味わう苦難はまだ序の口だったのである……!
「墓島」と呼ばれたブーゲンビル島~北部ソロモン、孤立無援の島『笹幸恵の軍事トリビア』#31
今回は、悲劇の戦史シリーズ。
ソロモン諸島北部のブーゲンビル島は、戦時中はドイツ語読みで「ボーガンヴィル島」、略して「ボ島」と呼ばれていた。
この島では75年前の3月に激闘が行われた。この時点で既に日本軍は壊滅的な大敗を喫していたのだが、悲劇はまだこれからだった。補給の一切ない見捨てられた島で、日本軍撃滅の執念を燃やす豪軍を相手に絶望的な「持久戦」が継続され、「ボ島」が「墓島」と呼ばれるようになるほどの惨状が繰り広げられていったのである…
楽器を持つ手を○○に変え… 陸海軍「軍楽隊」 『笹幸恵の軍事トリビア』#51
NHKの朝ドラ『エール』でも、主人公の音楽家が戦地へ慰問に行くシーンが描かれたが、今回は陸海軍に設置された「軍楽隊」のお話。
軍楽隊は明治に軍隊が発足するとほぼ同時期に、近代軍隊には軍楽隊が必要というイギリスの軍楽隊員で『君が代』の最初の作曲者としても知られるフェントンの進言によって誕生した。
その仕組みは、陸軍と海軍とでは、全く違う。
戦局が悪化して、音楽どころではなくなった時期の軍楽隊員たちは、どうしていたか?
そして、日本の軍歌を今も受け継いでいる、意外なところとは?
トラック諸島 大空襲とその後『笹幸恵の軍事トリビア』#74
現在ではダイビング・スポットとして有名なミクロネシアのチューク島。
ここはかつては南洋群島のトラック諸島と呼ばれ、日本の委任統治領だった。
今回は、この地域が大東亜戦争中どのような経緯をたどり、戦争の前後でどのように変わったかについて語る。
トラックの現地で「戦争」といえば、昭和19年2月に米軍が行った2日間の大空襲、それだけを指すという。
それまでは、日本の敗色が濃くなってきてもなお、トラックには繁華街もあり栄えていた。
ところが、わずか2日間の空襲によって、島の様相は真っ逆さまに暗転する。
そして今のトラックでは、ところどころに旧日本軍や日本統治による遺構を見ることもできるが、栄えていた昔日の面影はほとんど残っていない。まさに、兵どもが夢の跡というような風景が広がっている。これも、一つの運命なのかも。
恐怖の島タラワ 米軍の反攻~ガルバニック作戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#39
戦況の悪化によって昭和18年(1943)9月、「絶対国防圏」が策定された。
そして同年11月、太平洋における最東端の占領地・タラワでの戦闘が行われた。
「絶対国防圏」の外にあり、補給も全く届かない、言わば「見捨てられた島」を守るのは、柴崎恵次少々以下、海軍陸戦隊約4600名。ここに米海兵隊1万7000名が来襲する。
5日間の戦闘によってタラワ守備隊は全滅するが、この絶望的な状況における守備隊の戦いぶりは、驚異的なものがあった。
そしてのちに米兵は、タラワを称してこう言った。
「恐怖の島」
戦争体験者は終戦をどう迎えたか 『笹幸恵の軍事トリビア』番外編
8月15日、終戦の日を前に送る番外編。
ジャーナリストとして数多くの戦争体験者に取材してきた笹氏は、誰にも必ず同じ質問をしてきたという。それは、「どのように終戦を迎えましたか?」である。
終戦を知った場所も経緯も人それぞれ。そして、階級が兵か将校かでも、感じ方は全く違う。死から生へ、公から私へと切り替わった瞬間に思わず湧き上がった感情とは?
高森明勅氏を聞き手として、経験者にしかわからない貴重な証言を現在に伝える!
ホントはすごい!?「憲兵」の話 『笹幸恵の軍事トリビア』#23
軍隊の話の中には、よく出てくる「憲兵」。
言葉だけは知っているけれども、よくその実態は知らない、なんとなく「怖くて威圧的な存在」といった「悪役」のイメージしかない・・・という人も多いのでは?
それは、戦時中の東条英機の「憲兵政治」のイメージの影響も大きいのだが、実際のところ、憲兵とはどういう仕事をしていて、どんな人がなるものだったのか。今回は、それを解説します!
確かに権力を笠に着た威圧的な人もいただろうが、多くの憲兵は正当な使命感を持って職務を全うしようとしていた。また、戦地における憲兵「野戦憲兵」には、さらに意外な任務があった・・・など、知られざる憲兵についてのお話!
軍隊には鉄道マンがいた~鉄道連隊と泰緬鉄道 『笹幸恵の軍事トリビア』#15
今回は、鉄道ファンにも見てほしい秘話!
日本軍には「鉄道連隊」という鉄道に特化した技術屋集団がいた。兵員・物資を輸送するための鉄道を敷設する部隊である。
未開の地にも鉄道を通すためには、歩兵、砲兵、工兵など、あらゆる兵科を超越したオールマイティーの技術が必要であり、時には戦闘に参加することもある、まさに万能の集団だった。
関東大震災の際は線路の復旧作業に力を発揮。今も訓練等の遺構が残されている場所もある。
そんな鉄道連隊が大東亜戦争中に行った最大の任務は「泰緬鉄道」の建設だった。今では「捕虜虐待」の象徴とされているが、その実態はどうだったのか?
松の「根こそぎ」動員 海軍の切実な燃料事情~「松根油」について 『笹幸恵の軍事トリビア』#55
戦争の行方を決定的に左右するのは「資源」の差。
日米の間には比べようもない資源の差があり、そもそも開戦すること自体が無謀だった。
そのことは日米開戦の4か月前・昭和16年8月に「総力戦研究所」が行ったシミュレーションでも明らかだったが、結局は楽観論に押し切られて開戦に至り、その後はシミュレーション通りの道を歩むこととなってしまった。
そして戦争末期、いよいよ燃料事情が逼迫してきた海軍がその活路を見出そうとしたのは「松根油」。
松の根っこから取れる油を使おうということで大増産の号令がかけられ、松の根を大量採掘、文字通り「根こそぎ」にしようという国策が実行されようとしたのだった。
日本が資源においてどこまで追い詰められていたかを示す、隠れた逸話。
陸軍に「船乗り」がいた!? ~陸軍船舶兵「暁部隊」のナゾ 『笹幸恵の軍事トリビア』#18
以前紹介した、「軍隊に鉄道マンがいた」にも匹敵する、日本軍のびっくり存在、「陸軍に船乗りがいた」!
陸軍兵の輸送任務を行うために設けられた「陸軍船舶兵」。
陸軍は相当に本格的に、大掛かりに船舶の研究を進めていた。
上陸用舟艇の大発動艇(大発)は有名だが、そのほかにも上陸用舟艇の母船で飛行機も搭載できた特殊船や、潜水輸送船もあった。また、戦争末期には準特攻兵器であるベニヤ製のモーターボート「マルレ」も登場している。
戦史にあまり残っていない、知られざる「陸軍の船」の話をひもとく!
知られざる中部ソロモン戦線~陸海軍協同で戦ったムンダ攻防戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#16
今回は、久々の戦闘経過のお話。
大東亜戦争の海戦におけるターニング・ポイントはミッドウェーで、陸戦におけるターニング・ポイントはガダルカナルだった。
ここまでは有名だが、ガダルカナルから撤退した後、日本軍はどのような戦いをしたかということは、あまり知られておらず、注目もされていない。今回はあえてそこにスポットを当てる。
昭和18年2月にガダルカナルを撤退した日本軍は北西に300キロほど離れたニュージョージア島のムンダに移動した。
ここで佐々木登少将率いる陸軍と大田実少将率いる海軍陸戦隊は協同し、2か月余りにわたって頑強に陣地を守り、戦い続けたのである!
苦難のガダルカナル島輸送作戦 『笹幸恵の軍事トリビア』#4
先日、ガダルカナル島から帰ってきた笹さん。
西太平洋・ソロモン諸島のガダルカナル島で繰り広げられた戦いにおいては、昭和18年9月下旬から10月にかけて総攻撃が行われた後、翌昭和19年2月に撤退するまでの間、日本軍は悲惨な持久戦を強いられた。
完全に制空権を米軍に握られ、輸送が困難を極める中で、島に孤立する陸軍に補給物資を届けるために、海軍は必死の輸送作戦を展開する。その時に活躍した「ネズミとアリとモグラ」とは?
質問コーナーは「笹さんが軍事に興味を持ったきっかけは?」「八甲田山遭難事件について話を聞かせて!」に答えます!
兵站を担う輜重兵 そもそもタイトル読めますか?『笹幸恵の軍事トリビア』#72
このタイトル、読めた人はもうある程度軍事に詳しいと言っていい。
これは、「へいたんをになうしちょうへい」と読む。
「兵站」も「輜重」も、まず軍事関連以外では使われることのない言葉だから無理もない。
しかも「兵站」や「輜重兵」は戦史の中でもあまり重視して語られることのない分野だったから、なおのこと。
最前線の戦闘に当たる兵隊が「花形」であるとしたら、輜重兵はそこまでの舞台を整える「裏方」のようなもの。しかし、花形が輝けるのは、本当は縁の下の力持ちがいてこそである。
実際、日本軍の敗北の原因は「兵站の軽視」にあったというのは、定説のようになっている。
では「兵站」とは? 「輜重兵」とは? ここで解説しましょう!
軍隊めしたき物語(海軍編)~腹が減っては戦はできぬ!『笹幸恵の軍事トリビア』#32
今回は軍隊と「ごはん」のお話。
軍隊における食事事情は、海軍と陸軍では全然違う。
まず今回は、海軍のお話。
海軍の食事といえば有名なのは「海軍カレー」。
他にも「海軍グルメ」といわれる名物が今も伝えられているけれども、「陸軍グルメ」というものは聞かない。
では実際、海軍の食事は誰がどのようにして作っていたのか?
戦艦ともなると、千数百名の乗員の三度の食事を作らなければならない。
それはもう大変な重労働、スマートでカッコいいセーラー服の水兵さんのイメージとは、全然違った世界なのでした…
日本の敗戦に何を思うか 『戦中派不戦日記』(山田風太郎)から 『笹幸恵の軍事トリビア』#25
今年ももうすぐ8月15日がやってくる。
昭和20年の8月15日、人はどんな気持で過ごしたのか?
それを今に伝えるのが、有名・無名様々な人が書いた、当時の日記である。
今回は、当時23歳の医学生だった作家・山田風太郎の『戦中派不戦日記』から、敗戦直後のインテリのリアルな感情を読む。
その時山田風太郎が危惧していたことは、73年後の今日、現実になっているのではないか…?
10人いたのに[九軍神]~真珠湾に突入した特殊潜航艇 『笹幸恵の軍事トリビア』#7
前回に引き続き、日本軍の真珠湾攻撃に関する話題。今回は、あまり語られないサイド・ストーリーをお届けする。
航空機による攻撃ばかりが注目される真珠湾攻撃だが、実はその一方で、海からの攻撃も行われていた。
2人乗りの特殊潜航艇5艇が出撃、湾内への侵入を試みたのである。
ところが5艇とも戦果らしき戦果を挙げることもなく沈没・行方不明となった。
翌年3月、大本営はこの攻撃で戦死した9人に感状授与、二階級特進の栄誉をもって表彰、発表した。
マスコミはこれを「九軍神」として讃え、朝日新聞は彼らを「特別攻撃隊」と呼ぶよう指導。大いに戦意は高揚された。
しかし、2人乗りが5艇なら10人いたはずなのに、なぜ「九軍神」だったのか?
THE聖地~仙台編~『笹幸恵の軍事トリビア』#79
軍事トリビア、特別バージョン!
今回は聖地巡礼、仙台編!
「仙台といえば、そう、歩兵第4聯隊です!」
ということで、かつて第4聯隊の兵営があった榴岡(つつじがおか)公園へ。
唯一残る兵舎と「聯隊之跡」の碑を感慨深く巡る。
続いては宮城県護国神社を参拝、英霊顕彰館を見学。
最後には「大好物」にも遭遇!
大満足、大興奮の仙台聖地巡りをご覧ください!
ニイタカヤマノボレ一二〇八の「ニイタカヤマ」って、どこにあるの?『笹幸恵の軍事トリビア』#77
昭和16年12月8日、大東亜戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。
日本海軍機動部隊にこの作戦実行の命令を下した電文の言葉として有名な「ニイタカヤマノボレ」だが、この「ニイタカヤマ」とは何だろう?
案外知らない人が多いが、実はこの山、当時の日本で最も高い山だった。
一方、陸軍にも作戦実行を命じる電文の文言があったのだが、これはほとんど知られていない。そこで、こちらもあわせてご紹介。
清沢冽『暗黒日記』を読む~戦時中、冷徹な観察眼を持ち続けた人『笹幸恵の軍事トリビア』#67
戦前に活躍した外交・政治評論家、清沢冽(1890-1945)の著書『暗黒日記』の現代語訳版が東洋経済から出版された。
清沢は反軍国主義の主張を貫き、戦時中は情報局から執筆禁止者に指名され、完全に干されていた。
清沢は言論発表の場を奪われた中、現在のおかしな風潮を日記に残し、後に検証する史料にしようとした。
清沢は終戦前に死去したため、自身によって時代の検証をすることはかなわなかったが、しかし清沢が遺した膨大な日記から、現在の私たちが学ぶことは無限にある。
あの時代、本物の言論人は世の中の風潮をどう見ていたのか?
そして現代の我々は、当時の日本人と比べて、少しは進歩しているのだろうか?
身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!『笹幸恵の軍事トリビア』#65
身内に軍隊経験者がいるけれども、軍隊でどういう経歴があったのか、どこの戦地へ行ったのかなど、詳しいことは知らないままという人は多い。
戦死した人ならもちろんのこと、帰還した人でもつい詳しいことを聞かないままに亡くなってしまい、悔いを残している人もいるだろう。
そういう方々から、どうすれば身内の軍歴を調べることができるのかという質問をもらうことがよくあるので、今回はこれに笹師範がお答えします!
その第一歩は「軍歴証明書」を取得すること。
難しい手続きが必要かと思われるかもしれないが、三親等以内の遺族であれば、意外に簡単。
軍歴証明書の取得の方法から、これを手掛かりにしたさらに詳しい出征状況の調べ方までを丁寧にご説明します。
これを見て軍歴証明書を取得された方は、ぜひ笹師範にお見せください!