キーワード ツヒンヴァリ が含まれる動画 : 39 件中 1 - 32 件目
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グルジア軍の侵攻から一年後のツヒンヴァリ(2009/8/8)
つべより転載。2008年夏のグルジア軍による侵攻から1年目にあたる2009年8月8日、南オセチアの首都ツヒンヴァリで執り行われた慰霊祭の様子。市内の焼け跡には繊細博物館が設けられ、犠牲者の遺品やグルジア軍のロケット弾で破壊された美術館から発見された絵画などが展示されている。
トビリシでの戦没者追悼式典の模様(2009/8/7)
つべより転載。グルジア軍のツヒンヴァリ攻撃により勃発した南オセチア紛争の開戦一周年にあたる2009年8月7日に、グルジアの首都トビリシにある戦没者墓地で行われた追悼式典の模様。大統領のサアカシュヴィリも出席している。なお、グルジア政府は未だにロシアが先制攻撃を行ったと主張しており、戦没者たちは“祖国をロシアの侵略から守った英霊”という位置づけになっているらしい。サアカシュヴィリの野心に基づいた杜撰な戦略の下、貧弱な装備で前線に投入され、無意味に死んでいったグルジア兵の冥福を祈りたい。合掌。
露軍SU-25攻撃機のロケット攻撃を受けるグルジア兵
Liveleakより転載。2008年8月のロシアとグルジアの「5日間戦争」において、南オセチアの首都ツヒンヴァリ郊外でロシア軍のSU-25攻撃機によるロケット攻撃を受けるグルジア兵。兵士自身が携帯で撮ったものだと思われるが、徐々に近づいてくるSU-25の爆音が恐ろしい。そこから距離を置いてSU-25の方を撮った映像はこちら→sm4785995
ツヒンヴァリ市内で小休止中のグルジア軍部隊
つべより転載。2008年8月8日の朝ごろ、ツヒンヴァリ市内で小休止中のグルジア軍部隊。恐らく第4旅団の兵士が携帯で撮ったものだと思われる。兵士らのそばにはトルコ製の装甲車「コブラ」が何台か止まっており、背後の建物の内部は炎上している。なお、つい最近グルジア議会が「5日間戦争」について調査した結果をまとめた報告書は、グルジア側の戦争計画や具体的な戦略の杜撰さ、グルジア軍自体の練度の低さなどを正直に認めてはいるものの、それらの責任は全て国防相や参謀総長に押し付けられている。つまり、サアカシュヴィリには何ら責任は無いということ。笑止。参考;http://www.eurasianet.org/departments/insight/articles/eav122708.shtml
2008年8月8-9日頃、ツヒンヴァリ郊外の陣地で戦うグルジア兵
つべより転載。説明が無いので詳しい情報は不明だが、グルジア兵自身が携帯で撮ったものだと思われる。
アル・ジャジーラ「独立国家・南オセチアの現状 1」
つべより転載。2008/12/17、アル・ジャジーラで放映された南オセチアの現状についてのドキュメンタリーです。現時点でロシアとニカラグアの二国しか承認していない独立国家・南オセチアですが、アル・ジャジーラの取材班はそれがいかに財政と安全保障の面でロシアに依存しているか、また、国際的な支援が専らグルジアにむけられ、この地の一般人がいかに困窮しているかなどを明らかにしていきます。ちなみに、南オセチアのロシアへの依存は1990年代以来のことで、今に始まったことではありません。ただ、政府の閣僚にロシアの役人が入ってくるなど依存がさらに強まったのは、2004年にサアカシュヴィリが軍事紛争を再燃させたからだと言われています。続き:sm5620191
グルジア軍による待ち伏せ攻撃、成功の瞬間
つべより転載。2008年8月の第2次南オセチア紛争において、首都ツヒンヴァリに向けて南下中であったロシア軍第58軍の隊列は、その郊外でグルジア軍の待ち伏せ攻撃に遭遇。司令官が負傷するなどの損害を受けた。その瞬間の映像。おそらくロシア兵が撮影したものだと思われる。この攻撃の成功は、5日間にわたる戦闘でのグルジア陸軍唯一の戦果であり、グルジアのメディアでは派手に報道された。また、作戦を実行した第4旅団は「英雄」として祭り上げられ、それを題材としたTV番組も作られた。ちなみに、この旅団が南オセチアのグルジア人やゴリの防衛を放棄して逃げたことや、現地解散となった予備役兵らの悲惨な運命については報道管制が引かれ、報道されなかった模様。
2008年8月8日、夜明け直後のツヒンヴァリ市街
Liveleak.comより転載。元はロシアのサイト(http://mreporter.ru)に投稿されていたもので、そこに付けられていた説明によれば、2008年8月7日の深夜から一晩に渡って続いたグルジア軍による無差別砲撃から一夜明けたツヒンヴァリ市街とのこと。撮影者は団地の上のほうの階から携帯で撮ったらしい。市内の各所で爆煙が上がっている。
ツヒンヴァリに進軍するロシア連邦第58軍
つべより転載。待ち伏せ攻撃を排しながら、南オセチアの首都ツヒンヴァリに向けて南下中のロシア連邦第58軍。撮影者は従軍していたロシアのTV局「NTV」の撮影班で、この映像自体はニュースに加工する前の素材だと思われる。
グルジア軍敗走の跡
つべより転載。2008年8月10~12日ごろ、夜間にツヒンヴァリ~ゴリ間の道路を走るジープらしき車の中から、ロシアのTV局「NTV]の取材班が撮影した沿道の風景。そこかしこにグルジア軍の戦車や軍用車が乗り捨てたままになっており、グルジア政府言うところの「撤退」が実際には「壊走」以外のなにものでもなかったことが見て取れる。
制圧直後のゴリのグルジア陸軍基地
つべより転載。2008年8月、ロシア+南オセチア軍が制圧した直後の在ゴリ・グルジア陸軍基地の映像。ここに駐屯していたグルジア軍部隊は防衛を放棄してトビリシ方面に逃げており、事実上の「無血占領」だったらしい。このゴリの陸軍基地は米国の支援の下、南オセチア攻略の拠点としてつい最近完成したもので、前半部分に出てくる作戦演習用の巨大なジオラマはそれを物語るものである。そこで再現されているのは南オセチアそのものであり、グルジア側の町・村は「青」、オセット人側のものは「赤」と詳細に色分けされている。最も大きい町が南オセチアの首都、ツヒンヴァリ。後半に出てくるのは弾薬箱の山で、説明書は英語で書かれている。
南オセチア第二の都市、ジャヴァを爆撃するグルジア空軍のSU-25
つべより転載。2008年8月8~9日ごろ、南オセチアのオセット人地域で二番目に大きな町(というか村)、ジャヴァを爆撃するグルジア空軍のSU-25。ジャヴァは南オセチアの首都ツヒンヴァリとロシア領北オセチアを結ぶルート上の要地だが、戦略的重要性はさらに北にあるルク(ロキ)峠のトンネルの方がはるかに高い。というのも、ここが大カフカス山脈で隔てられたロシア‐南オセチア間の唯一の連絡路であるためで、これを破壊すればロシア地上軍の南進を遅らせることができたのだ。実際、グルジア参謀本部はここも攻撃するつもりだったようだが、できなかった。なぜなら、そこまでの空軍力は無かったから。普通に判断力のある人間なら、それが分かった時点で開戦などしないと思うのだが....。
ロシアによる南オセチア独立承認を祝うツヒンヴァリ市民
つべより転載。2008年8月26日、ロシアによる南オセチア独立承認を祝うツヒンヴァリのオセット人たち。祝い事があった時に銃を空中に向け撃ちまくるのは、この辺から中東諸国にかけては一般的です。
絵解き 第2次南オセチア紛争
つべより転載。そこに至るまでの過程は色々と複雑なものがあるでしょうが、2008年8月の「5日間戦争」自体は結局これだけのことだと思います。ところで、今やその首も危うくなっているグルジアの大統領サアカシュヴィリは「8/7に我々はロシアの大軍がロシア‐南オセチア間の国境を越えたとの機密情報を得た。だから8/8の夜中、グルジアを守るために仕方なくツヒンヴァリに侵攻したのだ」と妙なことを言っているのですが、だったたなぜ即座に公表しなかったのか?とか、事実だとしても、なぜロシア‐南オセチア国境から遠く離れたツヒンヴァリを無差別砲撃しないといけないのか?等、あまりにつじつまが合わないため、いまや国内でも突き上げられています。先は短いかもしれません。
オセット人の愛国歌「ツヒンヴァル」
つべより転載。サビの部分で「ツヒンヴァル(ツヒンヴァリのオセット名)は我らの土地!俺たちはお前を守るぞ、ツヒンヴァル!オセット人の土地は一寸たりともグルジア人にはやらないぞ!」とひたすら連呼する南オセチアの愛国歌です。別にこの間の戦争に合わせて作られたというわけではなく、その前から流行っていたようではありますが...。歌っているのは現地の人気歌手スルタン=ウラガン。歌詞はオセット語ではなくロシア語です。一応英語の字幕付きなんですが、ロシア語を直訳したような箇所が多くてたまによくわからなかったりします。そのあたりは大目に見てあげてください。
ドキュメンタリー「南オセチアへの旅」(2006年)
つべより転載。2006年の冬にEuronewsが南オセチアのオセット人地域とグルジア人地域の双方を取材して作ったドキュメンタリー。少々グルジア寄りではありますが、現在露とグルジアの間で飛び交っている諸々のプロパガンダに比べれば、かなり中立的な内容だと思います。当時、オセット人とグルジア人の関係は大分改善されていましたが、南オセチア政府とグルジア政府の関係はサアカシュヴィリが大統領となった2004年以来、悪化の一途を辿りました。この番組に出てる人の多くは、今回の戦争で命を失ったり難民になったものと思われます。なお、この中でグルジア首相は色々と建設的なことを言っていますが、実際にやったことはツヒンヴァリへの無差別砲撃と軍事侵攻という力技でした。
燃える一般住宅とグルジア軍戦車
つべより転載。2008年8月8日、ツヒンヴァリに突入したグルジア軍戦車。作戦中の兵士が携帯で撮っていたようです。本人は戦死したらしい。最初の方にでてくる字幕スーパーは、兵士らの会話をロシア語に訳したもの。
撃墜されたグルジア空軍のSU-25
2008年8月10日、南オセチアのツヒンヴァリに向かって進むロシア軍の車列にグルジア空軍のSU-25が強襲をかけるも、南オセチア軍の対空砲火により撃墜。映像は飛行機が地面に墜落する瞬間と、その残骸を調べる南オセチア兵。
南オセチア紛争の犠牲者のための追悼コンサート〔2008/8/21) その1
つべより転載。2008年8月21日、南オセチアの首都ツヒンヴァル〔ツヒンヴァリ〕の戦災で焼けた国会議事堂の前で開かれたヴァレリー=ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場管弦楽団の演奏による南オセチア紛争の犠牲者のための追悼コンサートです。ちなみに、ゲルギエフはロシア領北オセチア出身のオセット人で、現在ロンドン・フィルの主席指揮者をつとめる世界的に有名な音楽家です。曲目はチャイコフスキーの交響曲№5の2楽章~ショスタコーヴィチの交響曲№7の1楽章の抜粋~チャイコフスキーの交響曲№6の3,4楽章。演奏前のスピーチはロシア語と英語で行ったのですが、前者は長かったので省きました。その1はチャイコフスキーの交響曲№5の2楽章までです。その2は→sm4801780
南オセチアでグルジア軍陣地を攻撃するロシア軍のSU-25戦闘機
つべより転載。2008年8月10日ごろ、ツヒンヴァリ郊外のグルジア軍陣地をミサイルで攻撃しているロシア空軍のSU25戦闘機。グルジア軍が新たに導入した高価な通信システムは実戦では有効に機能せず、将校らは携帯電話でやりとりをしていました。ロシア側はその電波からグルジア軍陣地の位置を割り出して、空爆を加えたらしい。これによる死傷者は、ロシア陸軍との戦闘のそれよりもはるかに多かったようですね。というか、ロシア軍とはほとんど戦わずに逃げたんですが....。グルジア兵の側から見た映像はこちら→sm5753931
深夜のツヒンヴァリ市街にBM-21で無差別攻撃をかけるグルジア軍
つべより転載。2008年8月8日の午前2時~未明にかけて、グルジア軍が南オセチアの首都ツヒンヴァリの中心部~南部を標的に多連装ロケット砲BM-21「グラート」を撃ちまくっているところです。何だか大仕掛けの花火のようですが、寝込みを襲われた市民たちの間には死傷者が続出しました。先の戦争でのグルジア軍の戦略は全般にgdgdだったわけですが、特にこういうのは徒に非戦闘員の犠牲者を増やし、相手側の抗戦意欲をかきたてるだけですから、本当に意味がわかりせん。戦後は彼らを「自国民」として統治するつもりがあるなら、尚更です。さらには、わざわざロシアのメディアに格好のプロパガンダのネタを提供したということでもあります。ダメダメですね。この攻撃で町がどうなったかはsm4733212参照。
ロイター通信提供「グルジアのランボー」
youtubeで拾ってきました。これによれば、グルジア紛争に関するロイターの報道の中で、南オセチアの前線から首都トビリシにいたるまで「あたかもロイターの専属モデル」であるかのごとく、あらゆる写真に登場するグルジア兵がいたらしいのです。まあ、グルジア軍はツヒンヴァリ~ゴリ~トビリシと敗走してますから、偶然いいところにそいつがいたのだと言われたらそれまでなんですが...。なお、英語のキャプションが変なのは、多分、作者がロシア人だからでしょう。タイトルの「Rembo」はきっと「ランボー」です(ロシア語だと「ランボー」は「Рэмбо(Rembo)」と綴る)。しかし大丈夫か、ロイター?
深夜のツヒンヴァリに砲撃を加えるグルジア軍
つべより転載。南オセチア-グルジアの境界線で両軍による小競り合いが続いていた2008年8月7日、グルジア大統領サアカシュヴィリは一方的な停戦を宣言しますが、その日の深夜から8月8日の未明にかけて、グルジア軍は南オセチアの首都ツヒンヴァリ市街に対し無差別的な砲爆撃を開始。そのまま侵攻を開始しました。サアカシュヴィリが大統領になって以来、境界線での両軍による小競り合いが(特に夏には)日常茶飯事であったので、大部分の市民は安心して眠っていた由。おかげで、多くの犠牲者を出す結果になりました。ここで使われているのはイスラエル製のロケット自走砲Lar-160である模様。昼間の砲撃の映像についてはこちら→sm5289562
グルジア軍撤退直後のツヒンヴァリ観光
つべより転載。グルジア軍撤退直後の南オセチアの首都、ツヒンヴァリの街並みです。8月7日の深夜から9日まで続いたグルジア軍の砲爆撃により、主だった建物はほとんど破壊されてますね。西側のメディアでさんざん非難されたロシア軍によるグルジア本土爆撃が、実は軍事拠点やレーダーを標的としながらも精度が悪いため周辺の民間人まで巻き沿いにしてしまう、といった性格のものであったのに対し、こちらは深夜に市外の中心部に無差別攻撃を行なうという、明らかに大量の非戦闘員の犠牲を前提とした軍事行動でした。どちらも無意味な人殺しである点では同じですが、一方が残虐行為として騒がれるのに対し、他方が「死者の数が誇張されてる」くらいにしか話題にされないというのはどうかと思うのです。
前線で鹵獲されたグルジア軍兵器
つべより転載。ロシアのニュース番組が、ツヒンヴァリ周辺でグルジア軍から鹵獲した兵器について短く報道しています。これを見る限り、前線で使われていた重火器や戦車類は主にソ連製だったようですね。これじゃ勝てないだろう。なお、その中で見つかった米国製やドイツ製の兵器はモスクワに運ばれて展覧会が開かれ、一般向けに公開されました。
戦う南オセチア兵
つべより転載。2008年8月11日、ツヒンヴァリに向けて南下するロシア軍がその3km手前のアチャべト村でグルジア軍の伏兵に遭遇し、反撃しているところ。兵士らは腕に白い腕章を巻いているので、南オセチア軍の兵士か民兵だと思われる。
民間人を狙撃するグルジア軍
2008年8月8日、ツヒンヴァリ市の南端に達したグルジア軍。兵士の一人が遠くを歩いていた地元民を呼び止めようとするが、逃亡。兵士は直ちに狙撃するが、外れたので装甲車が追いかけていって機銃をうちまくる。 なお、装甲車はトルコ製の「コブラ」と呼ばれるもの。側面などにはグルジア語で「ポリツィア(警察)」と書いてある。
ツヒンヴァリ市の境界標識を破壊するグルジア軍
つべより転載。ツヒンヴァリに侵攻中のグルジア軍が、南オセチア政府が建てた「ツヒンヴァル(ツヒンヴァリのオセット名)」市の境界標識を装甲車で倒しています。 sm4641196と同じものらしいのですが、こちらはカラーで鮮明です。戦車じゃなくてBTR-80装甲兵員輸送車でした。サーセン。
ツヒンヴァリを砲撃するグルジア軍
つべより転載。2008年8月8日、ツヒンヴァリの市街地を砲撃するグルジア軍。グルジア兵の携帯から出てきた映像のようです。
近接戦闘中のグルジア軍
つべより転載。2008年8月8日、ツヒンヴァリ郊外の墓地に陣地を作り、銃撃戦を展開するグルジア軍。ちなみに、この時戦っている相手は南オセチアの政府軍で、数的に勝るグルジア軍はこの日、一時は市内の大半を制圧する。しかし、翌9日に大挙して押し寄せたロシア軍により市外に駆逐。グルジア軍は予備役兵を大量に動員して反攻を試みるが、さらに戦力を増したロシア軍の敵ではなく8月10日、ついにグルジア本土へ全面撤退。実際には撤退というよりも、南下するロシア・南オセチア軍を前にしてエリート部隊はトビリシに逃げ、予備役は現地解散というほとんど壊走に近い状態だったらしい。敵軍の前に裸で放り出されたような形のグルジア系住民は、難民となる以外に選択肢は無かったという。