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【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第199回:平家打倒の檄「一ノ谷の戦い 平氏軍」】
気高き武士よ、今こそ立ち上がる時ぞ!
平安中期、土蜘蛛退治、酒呑童子退治の伝説を持つ武将:源頼光。
そしてその源頼光の直系の玄孫にあたる武将が源頼政である。
頼光が没してから80年ほど時が流れて平安後期に入った頃
宮中に鵺(ぬえ)という妖怪が出現した為、鵺退治を源頼光の直系の玄孫:源頼政が担った。
頼政は源氏家宝の雷上動という弓を用いて鵺を撃ち落とした。(頼政の鵺退治伝説)
源平合戦の前日譚となる保元の乱では後白河天皇側に付き勝利。
続く平治の乱では源氏側の源義朝には従わずに、平清盛側に付いて(※)勝利。
(※頼政は尊王派である為、天皇・上皇に対して貴族を担いで乱を起こした義朝に従う義理が無い)
平氏の世になった状態で、当時としては長寿の75歳になった頼政は源氏が賜った位としては
史上初の従三位へ昇格して源氏初の昇殿を許される身分となった為、「源三位」の通称を得た。
平清盛の信任を得たことでこの身分にまで登りつめたのだが、問題が発生する。
朝廷(天皇)に仕える身分であるはずの平氏が法皇を幽閉して
完全に朝廷を牛耳り(治承三年の政変)明らかに天皇を軽んずる姿勢を取ったのである。
これに対して頼政は激しく怒った。(ただし、これは反平家となった説の一つである)
(平治の乱では平家に従ったわけではなく。「天皇に味方する」のが頼政の行動理念に見える)
平家によって得た身分という恩よりも源氏の使命を重く見た頼政は、後白河法皇の第三皇子・以仁王と結託。
平家打倒の令旨を全国の諸勢力に送る計画を実行していたが、これが露見してしまう。
平家の討伐軍を察知した頼政は以仁王と合流して、宇治川にて平家軍と対峙。(宇治川の橋合戦)
平家物語での兵力記述では源頼政1000に対して平家軍28000。
戦力差30倍近くでは戦にならず、頼政は以仁王の脱出を最優先として奮戦するも追い詰められ自刃。
以仁王も軍勢に追いつかれて討ち取られる結果となった。
しかし、この事件を発端にして日本各地での反平家諸勢力の武力蜂起が開始され
後の世で「源平合戦」と呼ばれる内乱が発生し、頼政の平家打倒の檄を発端にして平家は滅ぶこととなった。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第197回:夢幻の都「一ノ谷の戦い 平氏軍」】
無常というならば、滅びたものを蘇らせてください・・
日本初の武士政権を確立させた平清盛。
その清盛と正室:時子の間に生まれた女児:平徳子。院号を建礼門院という。
日本史上、戦乱によって命を落とした唯一の天皇である安徳天皇の母である。
清盛と時子の間に(正室にとっては)長男である宗盛が誕生して
さらに(長男が誕生した後の状況では)女児の誕生が切望される中で徳子が誕生。
長男スペアの次男三男よりも天皇の后となれる娘の誕生の方が平氏の政治立場向上の意味で大きく
平徳子の入内によって、皇女でもなく貴族でもない「武士:平氏」の血筋が朝廷に入ることになった。
しかし、以仁王の令旨に端を発する日本各所での反平氏勢力の一斉蜂起が発生。
平氏の首領とも言える清盛の病死、挙兵した源義仲による平氏の京からの排除、
さらには後白河法皇による平氏追討令によって平家は賊軍に転落。
最後は壇ノ浦の敗戦によって滅亡の憂き目に陥った。
壇ノ浦にて、母:時子と、息子である安徳天皇は入水自殺を行い
同じく徳子も入水自殺を図ったが源氏方将兵によって確保され
平家将兵の生き残りと共に護送されたが、天皇の母であり女性であった徳子は助命された。
その後は出家して直如覚尼となり、平家一門の菩提を弔ったという。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第181回:河内源氏「破天荒争奪戦」】
戦うために戦う修羅よ・・この私に力を貸せ!
天に二つの月はなく、地に二人の王はいない・・・!
九郎ぉ~・・・言うこと聞いてよぉ・・・おい義経ぇ!貴様だよ!!
清和天皇を祖とする清和源氏。後に妖魔退治の伝説を残す源頼光を輩出した源氏である。
その清和源氏から派生し、当初は河内国を拠点とした一流:河内源氏。初代当主:源頼信。
(その後、初代頼信の時代に関東を基盤に栄えたことが、頼朝たちの拠点が関東にある理由である)
河内源氏の血脈を継いできたのが源義朝であり、その子たちであった。
平家の世となった後、以仁王の令旨を発端にして日本各地での反平家諸勢力蜂起が開始され
河内源氏嫡流:源頼朝を旗印として、後の世で「源平合戦」と呼ばれる内乱が勃発する。
源義経・源範頼ら頼朝の弟たちは「壇ノ浦の戦い」にて平家を滅亡へと追い込むことに成功。
しかし、義経の独断専行を危険視した頼朝は義経を糾弾し、奥州合戦にて義経を自刃に追い込んだ。
さらに範頼に謀反の疑いを掛けて流刑、一説ではその後、誅殺した。
その後、日本史上初の武家主体での政権組織「鎌倉幕府」を完成させたが
頼朝が自身の身内を始末していたことが原因となり、源氏以外の家臣団による政権闘争が発生。
将軍の地位は軽んじられ、源氏将軍は僅か三代で絶えた。
将軍の実権に至っては頼朝のたった一代だけで終わっていたのであるーーーーーー
英傑大戦ver1.6平安時代
源平合戦と呼ばれる戦いを描いたver終結。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第179回:武士の指揮「幕末の風雲児争奪戦」】
我が辣腕、ここに示す!
保元の乱:朝廷の後継争いに端を発すこの戦いで、為義とその嫡男格:義賢は、義朝と対立。
義賢は義朝の長男である義平に攻められ敗死してしまう。
義賢の遺児である駒王丸(当時2歳)は斎藤実盛の手によって助け出され信濃国豪族:中原兼遠に預けられた。
この駒王丸こそが後の源義仲である(信濃国木曽谷の地名から木曽義仲を名乗った)
それから25年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布した際
これに誰よりも早く呼応して攻め上がったのが木曽義仲であり
その忠臣が手塚太郎金刺光盛(てづか/たろう/かなさし/みつもり)。通称:手塚光盛である。
源平合戦における大規模戦闘「倶利伽羅峠の戦い」において
一説では十万にも及ぶ平氏軍は、数千騎の木曽軍に大敗を喫してしまう。
平氏軍は体勢を立て直すべく篠原に陣を敷き休息を取ったが木曽軍が襲来。
4万対5千とされるこの「篠原の戦い」でも平氏軍は大敗を喫した。
平氏軍が総崩れになった後、一人の武将が大将鎧を借りて殿軍を引き受け奮戦。
追撃を行っていた手塚光盛はこの殿軍と交戦するも、相手は名乗りを上げずに戦い続けた。
衆寡敵せずとうとう平氏殿軍は討ち取られたが
大将鎧を着ていながら後に続く兵も無く、見捨てられたような状態であったことから
不信に思った光盛は、この武将の首を木曽義仲と共に改めた。
黒髪であったこの将の髪は、水で洗うと白髪へと変わり、老将であったことがわかった。
突如、この首を見た義仲はその場で号泣しだしてしまう。
この殿軍を引き受けた勇将は、義仲の命の恩人:斎藤実盛であった。
手塚光盛もそうとは知らず、義仲の心情を思い涙を流した。
光盛はその後、義仲が破滅に向かった後も、最期まで付き添って討死にしたという。
ちなみに漫画の神様:手塚治虫氏の先祖。彼がベレー帽を被っているのはそれが由来。
(手塚治虫氏も自身の漫画「火の鳥」で手塚光盛を出した際、自分の姿を模させている)
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第172回:忠臣の昂陣】
父上、我ら平氏は朝廷をお護りする家です。お目覚め下さい!
我ら平氏が敵を平らげる!
史上初の武家政治を作り出した平清盛。その長男:平重盛。
清盛と清盛の最初の妻との間に出来た長子であり保元の乱/平治の乱に従軍し武功を上げた。
特に平治の乱では、源義朝の長男である義平軍と交戦。
※清盛vs義朝の互いの長男である重盛vs義平の状態。敵軍側に義平がいる場合は開幕特殊台詞となる
また、その際の特殊台詞は平治の乱で義朝軍の鎮圧にあたっての史書での発言
「年号は平治、都は平安、我らは平氏、ならば敵を平らげよう!」を元としており
本文冒頭の計略台詞(「平」氏が「平」げる)もセガが勝手にダジャレを言わせてるわけではない。
重盛は、清盛の長男(=嫡男)として本来はその跡目を継ぐ最有力者である人物である。
しかし、母方の家格がそれほど高くはなく、それに引きずられる形で冷遇。
そんな肩身の狭さでも清盛-朝廷間の仲の取り持ちに心を擦り減らしていたが
自身と親密であった朝廷との取り次ぎ役が打倒平氏の首謀者であった事件(鹿ケ谷の陰謀)が発生し
平家一門内での立場が完全に無くなってしまう悲劇に陥ってしまう。
こうした心労が重なり、重盛は清盛よりも先に病死してしまう。
その後、清盛は完全に暴走状態に陥り、朝廷から政治の実権を奪い取る「治承三年の政変」が発生。
これらの朝廷を蔑ろにした平氏の横暴は、後の平氏打倒の号令「以仁王の令旨」に繋がっていく。
・・・重盛という朝廷との調整役を失ったことが、平家滅亡の始まりとなったのである。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第157回:奉武の飛翔】
我が飛翔より、この戦は始まるぅぅ!!
相模国豪族:三浦義明の末子にして十男:三浦義連。
佐原城を拠点としたことから佐原義連と称され、三浦義澄の弟にあたる。
平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
三浦氏は早速、挙兵した頼朝軍に合流しようとしたが暴風雨により合流が遅れ
源平合戦緒戦「石橋山の戦い」に間に合わず、源氏はこれに大敗を喫してしまう。
その後、再起を図った頼朝にすぐに合流して平家打倒を周辺豪族に呼びかけた。
身内であろうと疑わしきは罰するほど猜疑心の強い頼朝は寝所護衛者を厳選。
佐原義連はその武勇と誠実な人柄から寝所警護の十一人に選出され近衛衆となった。
後に源義経軍に従い参戦した一ノ谷の戦いの勝敗を決定付けた急襲作戦「鵯越の逆落とし」では
崖の急さに怖気づく坂東武者を鼓舞するため真っ先に駆け下り、勝利を引き寄せたという。
治承・寿永の乱、奥州合戦で武功を上げた義連は陸奥国会津四郡を与えられた。
没年は正確には不明だが、少なくとも75歳まで生きたとされており兄と同じく長寿であった。
後に三浦一族は鎌倉幕府内の政権争いで滅亡することとなるが
この佐原氏の血筋は残っており会津蘆名氏として戦国時代にも残る大名となった。
(佐原義連の孫の代から蘆名氏となり、15代ほど後にKNGM兄貴が活躍する)
三浦一族の例に漏れず非常に神仏に対する信心が深く、自ら満願寺を創建。
観世音菩薩立像・地蔵菩薩立像・不動明王立像・毘沙門天立像等が安置されており
現在でも国家指定の重要文化財、市指定の重要文化財となっている。
これがイラスト内の佐原義連の背にある千手観音菩薩の腕群の由来である。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第155回:義仲四天王】
義仲様、最期まで供を致します!
来い!弓矢がお待ちかねだ!
お前たちの相手は俺だ!
地獄谷へ落ちたな!あとは狩るだけだ!!
木曽の選ばれし剛勇!義仲四天王!!
力を合わせて、敵をぶっ倒すぜぇぇぇ!!
平治の乱から25年。「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布した際
木曽地方から破竹の勢いで京へ攻め入り平氏を四散させた英傑:木曽義仲。
義仲の義父:中原兼遠の実子である中原兼平(今井兼平)。
その兄にあたる中原兼光(樋口兼光)。
僅か300の兵で義経軍2万5千人に立ち向かった根井行親。
同じく父と共に戦った行親の六男、楯親忠。
木曽義仲挙兵から付き従い、倶利伽羅峠の戦いの劇的勝利を初めとした義仲軍の快進撃に貢献。
そして義仲と共に死を迎えた4人。彼らを称して「義仲四天王」と後世に伝えられる。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第139回:奉武の指揮】
三浦の加護を!君たちにも授けよう!!
相模国三浦郡、現在の三浦半島を拠点とした豪族武士:三浦氏。
平安時代末期に源氏に仕えるが、源流は平氏であったとされる。
その三浦氏第五代当主:三浦義澄。第四代当主、三浦義明の次男である。
平治の乱にも源義平軍に属して参戦していたが、河内源氏当主:義朝が敗れ討たれると関東まで落ち延びた。
その後、兄が戦傷が元で死去した為に次男である義澄が家督を継いだ。
平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
三浦義済は早速、挙兵した頼朝軍に合流しようとしたが暴風雨により合流が遅れ
源平合戦緒戦「石橋山の戦い」に間に合わず、源氏はこれに大敗を喫してしまう。
その後、再起を図った頼朝にすぐに合流して平家打倒を周辺豪族に呼びかけた。
以降の一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いにも参戦して武功を上げ、頼朝の家臣として確固たる地位を築いた。
鎌倉幕府完成後は鎌倉殿の13人メンバーの一人に数えられ、梶原景時の鎌倉追放に加担。
その後まもなく病死したが、当時としては非常に長寿な74歳の生涯であった。
(だが、鎌倉幕府の政権争いで残念ながら三浦氏はその後、滅亡してしまう・・)
英傑大戦内では「三浦」に非常に強い誉れを感じているふしがあるが、これは三浦半島に
源氏ゆかりの寺社(大椿寺、本瑞寺、見桃寺、海南神社、三浦三十三観音等)が多数存在している為
三浦にはそれら仏や神々の加護があることに由来していると思われる。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第138回:与一の目覚め】
与一、一世一代の戦いだ。風よ!黙って矢を運べ!!
平安時代に名を起こし、後に明治士族にまで歴史を残す下野国那須郡:那須氏。
一世一代の偉業を成し遂げ那須氏の興隆を果たした弓の名手:那須与一宗隆(なすの/よいち/むねたか)
(与一とは名前というよりも「余一」を指す。十一男を指す通称である)
平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
源平合戦と称される治承・寿永の乱に兄:那須十郎為隆(名の通り十男)と共に源氏方として参戦。
その他9人の兄は平氏方に属した為に兄弟間で争う形となった。
与一の名を日本最高の弓使いとして後世に名を知らしめたのは「屋島の戦い」での出来事。
一時休戦中であった源平軍であったが、戦乱であっても貴族的な催しを重んじる平家側は
突如、小船から美女を出して、棒に立てた扇子を掲げさせた。
「源氏が神の加護を受けた強兵と言うならば当ててみよ」という挑発である。
義経は戦の吉凶を決めるこの挑発に対して那須十郎為隆を射手に選出するが戦傷を理由に辞退。
自分以上の弓使いであると弟を推挙し、この一世一代の大役を那須与一が担うこととなった。
これに失敗すればその場で自害する覚悟のもと南無 八幡大菩薩と祈り
扇子に向けて弦を引き絞り、矢を放った。結果は・・・見事一射で命中。
源氏側は当然として平氏側もこの神業を敵ながら天晴れであると大盛り上がりとなった。
あくまで戦争中であることを忘れて船正面に出てきて舞い踊った平氏軍兵士もいたが
義経の命令による与一の第二射によって討ち取られたという。
「我が軍は精鋭強兵、そして神の加護がある」と確信した源氏軍はこの後、平氏軍を散々に打ち破った。
この大役を見事に果たした与一には5ヵ国に跨っての恩賞地が与えられ
さらには平氏側についた九人の兄たち全員に特赦が掛けられた。
与一は総勢十名の兄を差し置いて那須家当主となり、那須氏隆盛の礎となった。
屋島の戦いでのたった一射・・ただし神業的な一射によって那須氏勃興を果たし
「日本最高の弓使い:那須与一」の名が残ることとなったのである。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第136回:赫焉の旭】
皆にもらった命の炎!
ここで燃やさず、何処で燃やせってんだよぉ!!
河内源氏第5代棟梁:源為義。その長男であり嫡男格であった義朝と為義の仲は芳しくなく
代わりに次男:源義賢を嫡男格待遇としていた。
後に保元の乱にて為義・義賢は義朝と対立。義賢は義朝の長男である義平に攻められ敗死。
義賢の遺児である駒王丸(当時2歳)は何とか難を逃れ信濃国豪族:中原兼遠を頼った。
この駒王丸こそが後の源義仲である(信濃国木曽谷の地名から木曽義仲を名乗った)
それから25年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布した際
これに誰よりも早く呼応して攻め上がったのが木曽義仲であり、各地の源氏軍の救援に成功。
そして源平合戦における大規模戦闘「倶利伽羅峠の戦い」において
大勢の牛の角に松明を付けて突進させる「火牛の計(戦国大戦に於いての代表的ダメ計の元ネタである)」
を用いて平氏軍を大混乱に陥れて勝利を収めたとされる。さらに続く篠原の戦いにおいても戦力差8倍を覆し大勝。
大軍を失った平氏軍は義仲軍の進撃を止められずに京を脱出する憂き目にあった(平家の都落ち)
平家追討を成した義仲は「朝日将軍(旭将軍)」と称され一時期は持て囃されたが
義仲は田舎育ちの武士であった為に、公家社会での処世術を持たないままであった。
さらに皇位継承問題に介入して後白河法皇との関係が劣悪となり、公家の悉くから嫌われてしまう。
加えて新宮行家らを匿ったことで頼朝との関係も悪化していた。
焦った義仲は朝廷に自身を征夷(東)大将軍に任命させたが、頼朝軍に包囲されてしまう。
この頃になると既に人心を失っており、義仲に付き従うのは郎党のごく僅か。
頼朝軍5万以上に対して僅か400で立ち向かうが、対平氏で見せた奇跡的な勝利は起きず
最後は数騎にまで追い込まれた末に、矢を射ち込まれて討ち取られたという。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第135回:冥冥たる戦】
冥冥たる戦の先には、再生が待っておるぞぉ!
河内源氏五代目棟梁:源為義。その十男:源行家。母は不明。
六代目棟梁:義朝や鎮西八郎:為朝の弟にあたり、源頼朝や源義経の叔父にあたる。
現在の和歌山県:熊野新宮に住んでいたため新宮十郎と呼ばれ、後に新宮行家を名乗った。
平治の乱にて義朝が破れ、河内源氏は大きく衰退。
非参戦者であれば罪に問われる者は少なく、行家は平氏の隆盛をただ見続ける立場にあった。
(平家物語では平治の乱にて義朝側として参戦していたとされているが、具体的な活動内容が無く
参戦者の戦後処刑を考えると、行家が処刑されない理由が不明。恐らくは平家物語の創作である)
平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
この際、平家追討の令旨を日本各地の源氏及び反平家勢力に配り挙兵を促したのが新宮行家である。
各地での挙兵を促した後に、自勢力からも挙兵するも、緒戦で連敗を喫してしまう。
甥の頼朝を頼るが所領問題で間もなく不仲となり対立した為、甥の木曽義仲を頼り
(禁断の甥頼り二度打ち)
義仲と共に入京するも、義仲との序列問題で不仲となった為に対立。後に京を脱出した。
(禁断の甥不仲二度打ち)
脱出先で平氏軍に遭遇して敗走。さらに義仲からの追討軍に遭遇してさらに敗走した。
頼朝の命によって義仲軍が討たれると、これを好機として帰京するも
頼朝傘下とはならずに独立勢力となって平家討伐にも加わらなかった。
(これにより元から不仲であった頼朝の不信感ゲージがMAXになるのは言うまでもない)
源氏でありながら鎌倉傘下とならない行家に対して、頼朝はとうとう討伐軍を編成。
行家は頼朝と不仲であった義経側に協力するが徐々に戦力を削がれて潜伏。
しかし、地元民から密告によって捕縛され、長男・次男と共に斬首となった。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第134回:興隆の軌跡】
平家の誇りを守りたくば、この知盛に続け!!
武士として異例の太政大臣まで上り詰めた平清盛。その四男:平知盛。
平時子の息子としては次男にあたり、同父母の兄は平宗盛。
源平合戦における源氏側の武を担ったのが源義経だとすれば
平家側の武を担ったのが平知盛であるとされ、共にERでの登場となった。
平治の乱後、平家の興隆はその極みに達して清盛の子であった知盛は従二位:中納言まで昇進したが
「以仁王による平家打倒の号令」が発布されると日本各地で反平家勢力が挙兵。
その最中で総合指揮を取るべき清盛が病死した為に
時子長男の宗盛は政治、知盛は軍事の中枢として平家一門の旗振りを行った。
(平家物語の中で宗盛は武士の棟梁の器ではない愚物として扱われ
その後の軍記でも捕虜になった後の命乞いの醜さなどから全く評価されていないこともあり)
実質的に平家一門を連れて各地で戦ったのは知盛であるとされている。
(その関係から2コスERの知盛に対して、宗盛は1コスNと、平家大将としての格差が大きい)
勢いに押された平家は京を追われ、各地での連敗によってとうとう本州最西端の壇ノ浦まで追い詰められる。
そこで知盛は総大将の一角として奮戦するが、周辺各地の豪族が源氏側に付き
どうあがいても勝ち目が無いことを悟った知盛は兵士へ停戦を命令。
「源氏側兵士にも平氏側兵士にも家族がいて、勝敗の決まった無駄な戦闘で死ねばその家族が悲しむ」と。
その後、平家一門の入水自殺を見届け、自身も二層の鎧と錨を体に巻きつけ
「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して一族の後を追って入水して自害。
敗れはしたものの、武に長け指揮に長け、勇ましくそして優しい英傑の死であった。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第128回:混然たる号令】
私の号令を聞いてくれぇ・・・聞けったら聞けよぉぉぉぉぉ!!
河内源氏六代目棟梁:源義朝。その六男:源範頼。
母は義朝の側室:遠江国池田宿遊女(正確な身分等は不明)。
源頼朝(三男)の異母弟にあたり、源義経(八男)の異母兄にあたる。
平治の乱で没落した源義朝率いる河内源氏。
戦いには加わらなかった非戦闘員の義朝の息子たちは清盛の恩情によって死罪を免れ
後白河法皇近臣:藤原範季の下で養育。名を一字もらい「範頼」となった。
平治の乱から20年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
義朝の息子として、そして頼朝の弟として頼朝挙兵に呼応して参戦。
頼朝と不和が発生した木曽義仲に対して、義経と共に討伐に向かい宇治川の戦いにて圧倒的兵力差によって義仲軍を叩き潰した。
続く平氏との戦いとなる「一ノ谷の戦い」においても大将として出陣。
奇軍を担当する義経と、正軍を担当する範頼の連携によって快勝を収め
最終戦となる「壇ノ浦の戦い」においても
水軍を担当する義経と、陸軍を担当する範頼の連携で勝利を収めた。
戦後、頼朝は武家による中央政権の確立に動き、諸将の独断行動を禁止とした。
一説では頼朝は平氏との戦いの時点で義経の独断専行を危険視していた為に義経を処断したとされる。
これを見た範頼は頼朝からの目付役に行動を逐一相談して対応を仰いでいたが
源頼朝が暗殺されたという誤報が彼の運命を狂わせた。
源範頼が北条政子(頼朝正室)に宛てた励ましの手紙に
「兄がいなくても私がいるので源氏は大丈夫です(要約)」と書いていたことで
源氏を乗っ取ろうとしている謀反疑惑が浮上してしまう。
範頼謀反の疑いは頼朝の中で徐々に膨れ上がりついには範頼を伊豆流刑に処し
範頼は流刑先で誅殺されたとも自刃したとも伝わる。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第126回:賢尼の後ろ盾】
さぁ行ってこい!お前たちがこの国を護るんだよ・・!
源義朝の時代、坂東武者の統率に成功。武蔵国にもその勢力を伸ばしていた。
武蔵国代官:比企遠宗(ひき とおざね)。別名:比企掃部允(ひき かもんのじょう)。
その正室、比企尼(ひきのあま)。源頼朝の乳母の一人である。
※比企尼の父母および出自、さらに本名に関しては不明。
源義朝が平治の乱にて破れ死亡。その嫡子である源頼朝は平清盛継室:池禅尼の助命嘆願もあり
死罪は免れるものの伊豆への流罪となった。
かつて坂東武者を統率した義朝の縁から比企尼は伊豆への援助を20年間続けた。
(平氏の世となっている状況で、これを理由にして何らかの嫌がらせや処罰が
下ることも十分に有り得る状況で20年間にも渡って頼朝への援助を続けたのである)
後に「以仁王(もちひとおう)」から平家打倒の号令が発布されると
瞬く間に日本各地から反平家の軍勢が一斉蜂起を開始。
それまで栄華を誇っていた平家は約5年後に滅亡することとなる。
比企家の「源氏を影からずっと支え続けていた恩義」に報いる形として
男児に恵まれなかった比企尼の娘や孫娘を源氏重役の正室として迎えさせ
比企家の断絶対策として頼朝は自身の甥を養子に取らせた。
それが後の鎌倉殿の13人の一人、比企能員(ひきよしかず)である。
(ただし、この後の比企能員がどうなったかというと・・・後のカード追加にて主役足り得るかもしれない)
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第125回:姫武者の敬慕】
無双の剛力で!あなたを支えてみせるッ!!
源義仲の愛妾にして怪力強弓の女武者:巴御前。
河内源氏第5代棟梁:源為義。その長男であり嫡男格であった義朝と為義の仲は芳しくなく
代わりに次男:源義賢を嫡男格待遇としていた。
後に保元の乱にて為義・義賢は義朝と対立。義賢は義朝の長男である義平(義賢から見ると甥)に攻められ敗死。
義賢の遺児である駒王丸(当時2歳)は何とか難を逃れ信濃国豪族:中原兼遠を頼り
後に源義仲(木曽義仲)となった。
それから25年後「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布した際
これに誰よりも早く呼応して京に攻め上がり、平家を京都から追い出した男が源義仲であり
巴御前は平氏討伐に従軍。そして、頼朝による義仲追討令が出た後も共に行動を続けたが
最後はとうとう残り5騎にまで追い詰められてしまう。
義仲は巴御前に「最後まで女を従軍させていたとすれば後世の恥だから逃げろ」と促し
自分を生かすための方便だと気付きつつもその場を離脱・・するのだが
その際に敵小隊の方に向かっていき敵兵士の首を捻りきっていったとされる。
一説ではその後、尼となり91歳もの天寿を全うしてこの世を去った。
※ちなみに巴御前は平家物語以降の記録にしかその存在が確認できず、おそらくは架空の人物である。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【英傑大戦】気まぐれにデッキ変えつつ英傑【第123回:武皇の大恩命】
源氏の旗に集いし武者たちよ!我らの力を示す時は来たッ!!
河内源氏六代目棟梁:源義朝。その三男:源頼朝。幼名:鬼武者。
母は義朝の正室:由良御前。源平合戦の英雄:源義経は彼の異母弟にあたる。
源義朝と由良御前の間に生まれ、兄が二人(義平・朝長)いるものの
貴族出身の正室の男児であった為に最有力世継ぎ候補として英才教育を施された。
後に平治の乱で父:義朝が朝敵として討たれ、さらに自身の兄2人も討たれた為に名実ともに嫡男格となった。
平清盛はこの河内源氏の次期棟梁になるであろう男児に、可能な限りの慈悲を与えて伊豆への流刑とした。
伊豆へ流されて20年後、「以仁王(もちひとおう)」が平家打倒の号令を発布。
これに呼応して父:義朝の時代から配下に置いた坂東鎌倉周辺の豪族武者に決起を呼びかけた。
さらにここで源氏に朗報が入る。「平家の総大将たる平清盛が病死した」と。
最高権力者の病没の混乱の中で源義仲(木曽義仲)が平家を京から追い出すことに成功するも
頼朝との敵対者を庇護した為に対立。頼朝は従兄弟でもある義仲を軍勢を以って討ち取った。
さらに平家追討を行い、最後は壇ノ浦にて義経・範頼軍が平家を滅ぼした。
それから源氏の世になり、1185年幕府を設立後も頼朝は義仲への処遇同様に同族への警戒を怠らず
壇ノ浦の英雄であった義経・範頼に謀反の疑いを掛けて誅殺。
1192年に征夷大将軍に就任し、封建制度を作り出して武家による統治を行えるようにしてからこの世を去ったが
独裁を防ぐ目的で設立された13人の合議制(鎌倉殿の13人)によって将軍の実権はその後無くなった。
長兄の英傑大戦:mylist/73130055
【鎌倉殿の13人】以仁王は何故挙兵した…その内実に迫れ!!
こんにちは、こづちと申します。YouTubeで、古銭などの動画をあげているものです。
いよいよ『鎌倉殿の13人』で欠かせることができないのが、源平の争いの激化です。その発端の以仁王の挙兵はなぜ起きたのでしょうか?
こづち古銭ホビーチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCSbMylHhOpOUqwy7hQE6Pnw?sub_confirmation=1
柿澤勇人 大河ドラマ「平清盛」以仁王役出演
NHK 大河ドラマ「平清盛」
第46回 2012.11.25放送予定
「頼朝挙兵」
1180年、以仁王(柿澤勇人)の令旨(りょうじ)を知った平清盛(松山ケンイチ)は激怒し、以仁王、源頼政(宇梶剛士)らを捕らえ、鎮圧する。そして清盛は、安徳天皇のための都として、福原への遷都を強行する。8月、以仁王と頼政に刺激された東国武士たちの思いを受け、打倒平家を掲げ、源頼朝(岡田将生)が兵を挙げる。清盛は頼朝のことを知り、動揺・不安・怒りなどさまざまな思いがこみ上げてくる。そして「ついに頂に立った自分や平家と頼朝や源氏の武士が頂点をめぐって戦うときがやってきた」とぞくぞくする。保元・平治の乱から数十年、60歳を越えた清盛の体に流れる武士の血が、久方ぶりに騒ぎ始めたのだ。9月、清盛は頼朝を討てと全国の武士に命令。伊豆の頼朝はひるまず清盛軍との戦いに向かう。
以仁王の乱
宗盛の名馬欲しさから始まった平氏追討の乱。後にこの乱を契機に源平合戦こと治承・寿永の乱が始まるのである・・・。 11/24:黄色文字で解説字幕入れました。 平氏マイリスト →mylist/32375383
新・平家物語 総集編 後篇 6
死に場所を求めて 前sm13285579 次sm13285791 前篇mylist/22097276 後篇mylist/22097303
新・平家物語 総集編 後篇 5
以仁王の挙兵 前sm13285388 次sm13285767 前篇mylist/22097276 後篇mylist/22097303
【続歴戦文化祭】保元・平治の乱 以仁王挙兵編 ~源頼政と封獣ぬえ
「こまっちゃんマジ天使」「死神だよ」
そんな動画全5話中最終話。めっちゃ長くてごめんなさい。
ここまでお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございます。
日本史×東方ネタは色々考えてはいるので、機会があればまたお会いしましょう。
むしろプロットお譲りしますので誰か描いて
第1話 保元の乱編 → sm12836188
第2話 保元の乱編② → sm12838323
第3話 平治の乱編① → sm12896661
第4話 平治の乱編② → sm13009623
最終話 以仁王挙兵編 この動画
mylist/25966434
【追記】ヘコヘコさん、Thinkerさん、むぅさん、のこのこEXさん、MPokさん、宣伝ありがとうございます!!
【訂正】4:46 ご指摘のとおり「となう」です キャー恥ずかしい
【続歴戦文化祭】保元・平治の乱 平治の乱編② ~源頼政と封獣ぬえ
「鵺」が現われた時の天皇、近衛天皇と二条天皇はどちらも若くして亡くなっています(17歳と22歳)
でも「鵺」が退治されてるなら、この死の犯人はぬえちゃんじゃなくね?
「老獪な政治家」とされる源頼政だけど、記録に残る行動を追う限りではどう見ても典型的な脳筋源氏武士。
政治的な参謀がいたのかもね?
そんな動画全5話中4話。
お借りした素材類は最終話エンディングでまとめてクレジットします。
第1話 保元の乱編 → sm12836188
第2話 保元の乱編② → sm12838323
第3話 平治の乱編① → sm12896661
第4話 平治の乱編② この動画
最終話 以仁王挙兵編 → sm13054386
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【追記】レイさん、brainburstさん、宣伝ありがとうございます!!
【続歴戦文化祭】保元・平治の乱 平治の乱編① ~源頼政と封獣ぬえ
今回のぬえちゃん成分は前半に集中しています。
源頼政とぬえちゃんのお話全5動画中第3話。
お借りした素材類は最終話エンディングでまとめてクレジットします。
※武士が諱でお互いを呼び合ったり、天皇の諡を生前から使ってたりしますが
この辺厳密に考証すると、テキスト書いてるうp主が混乱するので
大目に見てあげてください
第1話 保元の乱編 → sm12836188
第2話 保元の乱編② → sm12838323
第3話 平治の乱編① この動画
第4話 平治の乱編② → sm13009623
最終話 以仁王挙兵編 → sm13054386
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【歴戦文化祭】保元・平治の乱 保元の乱編② ~源頼政と封獣ぬえ
なんでぬえちゃんが「源三位頼政の弓」持ってるんだろうね?
というお話の全5動画中第2話。長くなりすぎて文化祭枠に入り切れてねー!
運営さんごめんなさい。
お借りした素材類は最終話でまとめてクレジットします。
※崇徳院をパロディし奉る度胸がないので皇室関係者はあんまり出てきません。
第1話 保元の乱編 → sm12836188
第2話 保元の乱編② この動画
第3話 平治の乱編① → sm12896661
第4話 平治の乱編② → sm13009623
最終話 以仁王挙兵編 → sm13054386
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