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VOICEPEAK ♪♪ 【城郭登城祭】広島県の寺社巡り「忠海・小早川水軍 浦宗勝ゆかりの賀儀城跡と古寺社巡り」 広島県竹原市忠海
「城郭登城祭」 寺社巡り編 増補版 わしの中では賀儀城跡と床浦神社、勝運寺はセットなので^^
忠海(竹原市) 小早川水軍武将 浦宗勝の居城〜賀儀(かぎ)城跡、海の神=床浦(とこうら)神社
浦宗勝建立の菩提寺勝運寺へ。1週間も寝込んだため再訪叶わず いずれまた行きたいですが。
前回は日帰りの旅動画にしましたが、城郭登城祭のおかげで、本編ようやく仕上げました 寺社巡り編です。
浦宗勝は厳島合戦で村上水軍を味方につける交渉とかしたらしいね 水軍の司令官です。
当分食事制限とかあるのでグルメ系とかはなしですので寺社オンリーです。
[プレイ動画] 戦国無双4の厳島合戦をあきらでプレイ
みなさん、こんばんは、tadakatsuです。今回は二本立てでお送りします。では、厳島合戦をあきら(本多忠勝)でプレイします。よろしくお願いします。戦国無双2猛将伝→mylist/38621432 戦国無双猛将伝→mylist/38548192 戦国無双3猛将伝→mylist/38621435 無双OROCHI2→mylist/38621421 無双OROCHI2 Ultimate→mylist/38965213 戦国無双4→mylist/42797478 戦国無双4-Ⅱ→mylist/50350135 戦国無双4(2)→mylist/66303176 戦国無双4(3)→mylist/6880302
[プレイ動画] 戦国無双4の厳島合戦をそらでプレイ
みなさん、こんばんは、tadakatsuです。今回は、厳島合戦をそら(前田慶次)でプレイします。よろしくお願いします。戦国無双2猛将伝→mylist/38621432 戦国無双猛将伝→mylist/38548192 戦国無双3猛将伝→mylist/38621435 無双OROCHI2→mylist/38621421 無双OROCHI2 Ultimate→mylist/38965213 戦国無双4→mylist/42797478 戦国無双4-Ⅱ→mylist/50350135 戦国無双4(2)→mylist/66303176 戦国無双4(3)→mylist/6880302
初夏の禅刹「松巌院’(しょうがん いん)」参拝と寺院庭園 山口県岩国市藤生
5月の夕方ごろに3度目の参拝(コロナ以来久しぶり)
吉川氏の武将 二宮佐渡守俊実(としざね)により慶長二年1547年建立の寺院。
二宮佐渡守俊実(としざね)
吉川氏家中の勇将で、厳島合戦に置いても吉川勢の主力として勇戦した。
厳島では小早川隆景の危急を救い、陶氏の重臣を討ち取るなど武勲を挙げた。
また陶晴賢の捜索にて首級を見つけ出したのも二宮俊実である。
*境内奥の林間の墓地には二宮佐渡守の墓碑と並んで陶晴賢供養塔がある
また毛利の石見攻略時の本城常光攻めなどでも活躍した
その後無常感を深く感じ、仏教に帰依していったという。
庭園は安政6年(1859年)頃の今北洪川(いまきたこうせん)著「松濤軒記」〜
江戸時代の天保15年(1844年)以前に当時住職の中谷月渓 和尚が作庭したとものと記載され作庭者や作庭時期が記録して残る庭園は資料としても価値がある。(日本庭園学会誌1966巻4号抄録記事参照)
1平庭の枯山水(蘇鉄、苔に石組の庭になっている)
2池泉庭園
斜面を利用した?築山の石組が滝のように配され橋がかかる。
水流があるようで石組下に小さな池を作っている。庭には大きな宝篋印塔がありますね。
今度石組なお参詣時には詳しくみてみたい。樹木などの植栽は多い感じです。
築山上には観音堂があります(地蔵尊も確かあった)
注)今北洪川(いまきたこうせん)元儒者で25歳で相国寺で出家した臨済僧。幕末〜明治期の代表的な禅僧と言われる。安政5年〜明治初め頃まで岩國の永興寺に住したらしい。明治後東京 麟祥院へ移る。さらに鎌倉円覚寺管長となる。雲水、在家にも禅を指導したという。wiki参照。
麓の火力発電所は2020年廃止されたようですね。
*広告恐れ入ります^^;人
今回は祖生新宮神社、長宝寺の帰り夕方近くだったので 疲れててささらっとしかみていませんがまた
機会があればゆっくり拝見したいです。
追加版予定。
追加情報7/2
本日スズメバチを見たのだが本堂と接続する茶室?の柱あたりに消えた隙間から内部へ?
巣がある可能性もあるかな?冬までは注意だね。多分もう寒くなるまでは行かない。
旧厳島神社兼帯社 「大頭(おおがしら)神社」と豪快な妹背の滝 広島県廿日市市大野
厳島神社摂社として推古天皇の時代に創建(603年)された古社。
江戸時代までは厳島神社の(兼帯七社の一つ)兼帯社であった。祭祀や修築の用材提供などを厳島神社が全て行っていた。
大正2年に周囲の開発化が進んだため元宮のあった桑原というところから城山の東の麓にある昔から景勝地で知られた妹背の滝のある現在地へ遷座した。
インター近くの朱の両部鳥居の扁額は東久世熾仁親王の筆。
昔は厳島神社の神事である烏喰式なども境内で行われていたようですが最近はやってないみたい。
この辺りは〜西国街道にあたり長州征伐の時、長州軍VS幕府軍の激戦地の一つ。千人塚も残る。
妹背の滝
雄滝と雌滝の二つがあり雌雄滝、めおと滝とも呼ばれていた。神社遷座の頃か妹背の滝と命名された。
雌滝=落差50mの優雅な滝である。雄滝=落差30mの岩のすごい豪壮な滝である。
城山=厳島と本土の間の海峡を睨んだ大内氏の城で門山城があった山。厳島合戦前に毛利が攻め落として廃城となる。妹背の滝の上の公園から登山道がある。また大野浦駅近くからも登れる。戦国時代などは妹背の滝あたりから敵が攻めてきたり合戦なども行われたようである。
行き方
山陽自動車道の大野インターを降りて、右折します(左へ行くと国道2号線方面や新幹線高架沿いに阿品台団地やバイパス方面へ抜ける)
神社前に市の借りているらしい駐車場があるのでそこへ止めましょう。
国道2号線からインター方面への道を(大野中央)抜けてもいけます。
山陽本線の電車だとJR大野浦駅から30分くらい東へ歩くことになるかな。駅から駅前通りを東へと 向かいスーパー藤三のところを左折して山の方へ両部鳥居を抜けて、大野インター前を過ぎたらすぐ。
戦国無双5 Part106【堅城演武】第三十話『月山富田城連携戦』毛利元就・小早川隆景 プレイ動画【難易度_地獄】
次の動画:【堅城演武】第三十一話『観音寺城大激戦』sm39836942
前の動画:【堅城演武】第二十九話『越前連携戦』sm39786092
戦国無双5 シリーズ:series/235354
◆【堅城演武】第三十話『月山富田城連携戦』概要
多数の陰陽師が拠点を狙う。
二手に分かれ、拠点を防衛せよ!
◆勝敗条件
終了条件:拠点の防衛または制限時間の経過
敗北条件:拠点の陥落
◆ランクスコア
S:24000 A:18000 B:13000 C:9000
◆使用武将について
●毛利元就(1497~1571)
安芸の戦国大名。元就は国人の一人にすぎなかったが、権謀術数を駆使して勢力を拡大。一代で中国地方10ヵ国の主となった稀代の謀将。
厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。この戦いはのちに「日本三大夜戦」の一つとして評価された。
元就はさらに謀略を発揮し、難攻不落と謳われた月山富田城を攻略、尼子家を滅ぼした。兄弟の結束を訴えた「三本の矢」の逸話は有名。
●小早川隆景(1533~1597)
毛利元就の三男にしてその知才を最も濃く受け継いだ賢人。兄・吉川元春と並んで毛利両川と呼ばれた。
小早川家に養子に入り、粛清など謀略の限りを尽くして小早川家を統一した一方、その時めとった小早川家の娘のみを終生の妻として愛する一面もあった。
兄・隆元の早世により、若くして家督を継いだ甥の輝元を補佐し、毛利家の繁栄に貢献した。
戦国無双5 Part94【堅城演武】第十八話『木津川口撃退戦』毛利元就・小早川隆景 プレイ動画【難易度_地獄】
次の動画:【堅城演武】第十九話『本能寺局所戦』sm39710149
前の動画:【堅城演武】第十七話『備中高松防衛戦』sm39710007
戦国無双5 シリーズ:series/235354
◆【堅城演武】第十八話『木津川口撃退戦』概要
船より多数の敵が押しよせる。
戦局を見極め、敵を撃退せよ!
◆勝敗条件
終了条件:拠点の防衛または制限時間の経過
敗北条件:拠点の陥落
◆ランクスコア
S:25000 A:19000 B:13000 C:10000
◆使用武将について
●毛利元就(1497~1571)
安芸の戦国大名。元就は国人の一人にすぎなかったが、権謀術数を駆使して勢力を拡大。一代で中国地方10ヵ国の主となった稀代の謀将。
厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。この戦いはのちに「日本三大夜戦」の一つとして評価された。
元就はさらに謀略を発揮し、難攻不落と謳われた月山富田城を攻略、尼子家を滅ぼした。兄弟の結束を訴えた「三本の矢」の逸話は有名。
●小早川隆景(1533~1597)
毛利元就の三男にしてその知才を最も濃く受け継いだ賢人。兄・吉川元春と並んで毛利両川と呼ばれた。
小早川家に養子に入り、粛清など謀略の限りを尽くして小早川家を統一した一方、その時めとった小早川家の娘のみを終生の妻として愛する一面もあった。
兄・隆元の早世により、若くして家督を継いだ甥の輝元を補佐し、毛利家の繁栄に貢献した。
戦国無双5 Part56 光秀編 第五章『片割れ月』外伝 第三話『上月城の戦い(毛利軍)』毛利軍vs織田軍【無双演武】
次の動画:光秀編 第五章『片割れ月』第四話『播磨平定戦』sm39436340
前の動画:光秀編 第五章『片割れ月』第三話『上月城の戦い』sm39429868
戦国無双5 シリーズ:series/235354
◆光秀編 第五章『片割れ月』外伝 第三話『上月城の戦い(毛利軍)』概要
上月城を攻める毛利軍。
鹿介の猛攻を跳ね返し、尼子を討て!
◆勝敗条件
勝利条件:尼子勝久の撃破
敗北条件:毛利元就と小早川隆景と吉川元春いずれかの敗走
◆ミッション
・上月城侵攻
上月城を守る尼子氏久らを撃破せよ!
・兵は温存するに限る
平賀元相と口羽通良を救援するため、周囲の敵兵を撃破せよ!
・鹿角粉砕
山中鹿介を撃破せよ!
・飛んで火にいる織田武将
佐久間信盛らを撃破せよ!
・尼子を見捨てた織田軍
織田軍武将の脱出地点到達を阻止せよ!
・現実を教えてやろう
山中鹿介合流までに、尼子勝久を撃破せよ!
・兵站補給阻止(BONUS)
荷駄頭の北東砦到達を阻止せよ!
・南方の敵将(BONUS)
細川藤孝の進軍を阻止せよ!
・長きにわたる因縁の結末(BONUS)
毛利元就は山中鹿介を無双奥義で撃破せよ!
・徹底抗戦(SPECIAL)
明智光秀と羽柴秀吉の撤退を阻止せよ!
◆使用武将について
●毛利元就(1497~1571)
安芸の戦国大名。元就は国人の一人にすぎなかったが、権謀術数を駆使して勢力を拡大。一代で中国地方10ヵ国の主となった稀代の謀将。
厳島合戦では数々の謀略で陶晴賢を翻弄、5倍の兵力の敵を破った。この戦いはのちに「日本三大夜戦」の一つとして評価された。
元就はさらに謀略を発揮し、難攻不落と謳われた月山富田城を攻略、尼子家を滅ぼした。兄弟の結束を訴えた「三本の矢」の逸話は有名。
●毛利隆景(1533~1597)
毛利元就の三男にしてその知才を最も濃く受け継いだ賢人。兄・吉川元春と並んで毛利両川と呼ばれた。
小早川家に養子に入り、粛清など謀略の限りを尽くして小早川家を統一した一方、その時めとった小早川家の娘のみを終生の妻として愛する一面もあった。
兄・隆元の早世により、若くして家督を継いだ甥の輝元を補佐し、毛利家の繁栄に貢献した。
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
臼山八幡神社と鎮守の森 2021年 初夏の風景 広島市佐伯区石内
臼山八幡神社。広島市佐伯区に鎮座。コンパクトにBGMを追加し神社動画本編として編集した。
♪ 使用音楽=蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング&鎮守の森 和風&アンビエントなピアノソロ~
(ニコニココモンズ のる様作) 神社や自然によく合う曲です ^^人 有難う。
解説
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家 藤原氏や 大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。城は次第に拡張されていったのであろう。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も山中に城跡が現存する。
令和3年初夏
鎮守の森繋がりで= この夏豪雨前 津田の大カヤ巨樹 sm39209336
字幕訂正 =大杉の巨木w 杉の巨木です 直すの忘れました。そう大過無いのでこのままに^^;
令和2年(コロナ禍)「 厳島神社 」管絃祭 (日本三大船神事)参拝記
旧暦6月17日に行われる船神事。御座船にて神事 や神官 による管弦が奏される。
例年なら本宮で神事が行われ御鳳輦が伝馬船の漕ぎ手により干潮の浜を御座船へ向かう。
参考
御神幸 船の行程=大鳥居沖〜火立岩沖〜(ここから夜)地御前(じごぜん)神社〜長浜神社〜大元神社〜本宮還御。
*R2コロナ禍で神事のみ。伝統的な三艘を一つにした大型の御座船は中止でした〜曳航する江波、阿賀の漕 伝馬船も中止となる。遊漁船?を使い装飾して御座船の代用とされた模様。
この日、長浜神社へまず参拝(対岸の外宮・地御前神社から戻り最初に寄港される場所)して厳島神社へ。R2 夏の大祭時の神社風景と干潮の浜へ出て大鳥居沖での管弦船による神事の様子の点描。
〜1:48 長浜神社
1:49〜長浜神社海の鳥居
3:22〜厳島神社参道商店街〜御笠の浜の風景
4:20〜厳島神社本社内へ〜10:23〜網の浦港へ向かう神幸行列と大元神社の風景
12:10〜大鳥居沖の干潟へ 13:15〜御座船(臨時)と管弦演奏 点描
16:05〜遠景で御座船が海上を三度回る場面。
火立岩(hotate iwa)=宮島口の隣にある廿日市市のJR阿品駅の先にある(広電の電車が通り道路が作られ岩は今はない)フジグランナタリー〜海岸沿いの道を行くと木柱がその場所に立つ。毛利元就軍が厳島合戦の奇襲に出発した地がこの場所である。
この夕方近く。大鳥居おきの干潮の夏の海岸の風景が初めて行ってから好きなのでまた参拝しました。管弦は結構長い演奏していましたが昔の人はゆったりと時間を過ごしてたんだろうなと。これが手漕ぎの船だともっと進行には時間がかかるでしょう。
基本自分用 記録なので観られる方がいれば後半長いですテキトーに飛ばしてください。
音量も適当にあげてください。
データー活用できた1年ぶりに完成。
【厳島神主家の菩提寺】曹洞宗 應龍山 (おうりゅうざん)洞雲禅寺(とううんぜんじ) 広島県廿日市市
應(応)龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)。
廿日市市北口にあり前は周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける大きな道が今工事中)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある大内氏の重臣であった陶氏(すえ氏)の菩提寺で周南市にある古刹 龍門寺(りゅうもんじ)の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)→サブ垢〜小周防の渓月院=sm37215231
厳島合戦の敗者 陶晴賢の墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。
コメントありがとうございます^^
寺号読み記載しました。忘れてました(^^;;
写真そうですね傾いてますね。春にも行って桜の頃撮ったのもあったんですけど誤って消しちゃいました。残念。春も綺麗です。
臼山八幡神社参拝記 記録編 (2021年 初夏 ) 広島市佐伯区石内
臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。
厳島神主家や大内氏の支配した大規模な山城跡水晶ケ城跡。麓あたりは古代山陽道。
県道290号線旧道側にある。
境内は杉、イヌマキ、エノキなどの大木が多く鎮守の森は緑がいっぱいです。
境内に蜜蜂さんが飛んでました。
久々に参拝記録映像として。四季折々良い。
歴史的には、源平の頃 源範頼軍がかげともの道をとおり平家追討した時、この城にて佐々木国正が、平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり 麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
歴史的なことは地元石内公民館のHPにあった記事を参照しています。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
初夏の厳島海峡の海 「阿品防潮堤から」
阿品あたりから多分景色がいいだろうなと 宮島や海峡の海がどう見えるか気になっていたので、阿品方面へ来たついでに見てきた記録として。青い海が綺麗だった。
阿品=広島県廿日市市フジグランナタリーのあるあたり阿品の少し海岸を東へ行くと阿品東電停の先にには火立岩(ほたていわ)という場所があり、管絃祭でこの沖に停泊し潮待ちをする場所。また毛利元就が厳島合戦で船出したのも火立岩からと言われている
海を見たのはフジグランのやや西側の住宅がある防潮堤から。
*蓬莱島と聖崎の映像を挿入していますがやや画質がSDでアレだが2018年のものです。
桜の咲いた大内氏の前進基地〜門山(かどやま)城跡の山を麓から眺めて。 広島県廿日市市
岩国方面へ抜ける途中 串山交差点から旧道へ入ろうとしたら線路脇から眺めが良さそうなので撮影。駅前の一里塚石碑と城山も見てきた。
門山城は大内氏が厳島への船の出入りなども監視できる格好の場所で、安芸国支配の出城の一つだったらしい。山の東側に妹背の滝と言う大きな滝があり厳島神社兼帯七社の一つだったという
古社 大頭(おおかしら)神社が鎮座する。大正期に滝のそばへ遷座したらしい。滝の上部の砂防ダム湖のあたりに登山口の一つがある。
太田社=大頭神社摂社。桜が多く眺めも良い。山裾を走る山陽自動車道沿いの道があり桜も多く太田社の裏を通り西へ向かう。
厳島合戦前に毛利軍により落城し廃城となる。以前も動画で一里塚の石碑は撮影したことがあるがせっかくきたので再度掲載。
【西国街道 】今に残る【廿日市 街道松】と【桜尾城趾(桂公園)】 廿日市市桜尾〜天神
西国街道旧跡〜廿日市(はつかいち)市で唯一残された文化財「街道松」。街道筋には幕府により4キロごとに一里塚(松とか木を植えてあった)さらに6mごとに街道松が植えられたという。大変なものですよね距離を考えただけでも。
訂正=文政二年の記録では五十八本→六十八本(が正しい)
桜尾城址(鎌倉初期 承久の乱の後 厳島神主家 藤原親実が築城し支配の拠点とした城)鎌倉末、室町〜戦国期は国人領主として下向して定住 神領を支配した。三方が海であり水軍もあった。
次第に衰退し神主家継承争いにつけ込まれ友田興藤の時代に大内氏により滅ぼされ〜大内氏が城代を置く〜厳島合戦前に毛利に落とされ〜桂元澄が城番〜さらには城主となる。
桂元澄死後は毛利(穂井田)元清の居城となる。関ヶ原の後、福島正則時代に廃城とされた。
元澄の子孫 元首相の桂太郎が買取、廿日市へ寄贈されて公園となる・・しかし戦後都市公園に作り替えてしまい城跡遺構は消滅した。
ちなみに上記三名のお墓は廿日市駅の北側の洞雲寺にある(陶晴賢の墓もあり)
妙見菩薩堂があるがこれは大内氏時代に大内氏の守護神 氷上山興隆寺の妙見社から勧請されたものらしい(「はつかいちぶらり」ブログHP参照)
廿日市招魂社=桂公園の山を見ながら進むと、大きくカーブした鍵型の辻の先にある。維新以後の戦没した英霊を祀る昭和十四年建立の神社。明治天皇が巡行でここにあった邸宅で休憩されたので記念碑がある。
廿日市天満宮=旧廿日市宿にある神社。江戸時代までは「天神坊」と呼ばれた神仏習合。今は分離され同じ狭い山頂に天満宮と正覚院が並んでいる。桜尾城の支城 篠尾城跡でもある(ただし遺構はない)
はつかいち宿 鍵型の辻と福佐売(ふくさめ)神社 sm38273096
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」補遺〜 Usuayama Hachiman (師走 紅葉最盛期記録) 広島市佐伯区石内
令和二年12月 もみじの紅葉が盛りになったと思われた頃訪れた。
やや曇り気味でしたがだいぶ色付きが進んでおりまあまあ雰囲気は出てるかなと。宮島辺りは混雑しているというので避けてこちらへ再訪した。この辺りは古代山陽道でもある。
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
境内は結構広いです。石段したのもみじの古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています.。また社殿右手の境内隅に永井建子(けんし)の記念碑が建つ。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。現社殿はなかなか大きく造りどっしりしている。境内は大木が多くある境。昭和になり 皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
その1(紅葉はじめ頃〜社殿及び境内 動画 sm38073703
令和2年12月
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」Usuayama Hachiman (自然豊かな境内と紅葉の始まり) 広島市佐伯区石内
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
11月 終盤 紅葉が徐々に始まり出す頃。一部色付いていた。境内の木々の映像が多いですが。きれいに撮れた感じがします。境内は結構広いです。石段したの紅葉の古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています。また社殿右手の境内隅に永井建子(字幕訂正=けんし)記念碑が建つ。明治の軍楽隊から始まり幅広く活躍。作曲(元寇、雪の進軍など)なども行い明治の西洋音楽の先駆者の一人。あと・・・神社参拝は5分以降からです^^; 記録用なんで映像長いです、適当に飛ばしてください。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現 社殿はなかなか大きくどっしりしている。境内は大木が多くある。昭和になり皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
歴史
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照。
この辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い有井城=石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。城は次第に拡張されていったのであろう。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も山中に城跡があ
る 令和2年11月
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(三)境外 摂社「大元神社」(地主神を祀る古社)
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食うけもち神。相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
観光の主たる場所からは外れているので普段は喧騒から離れ大抵いつも静か。たまに登山客が通るとか参拝の方が訪れるくらいである。鹿が木立でよく集団で寝ている。社殿以外何もないですがそこがいい。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
大元公園は弥山登山口で春は桜があり(戦前までは桜の名所米軍が伐採して駐車場にしてたとか)公園奥には、海の近くでは珍しいもみやツガなどの巨木が林立するさまは壮観です散策もよい。巨樹が好きな方は公園奥へぜひいきましょう。
令和二年五月中旬 参拝、散策。 参道〜本社〜重要な摂社まで終わり。
* あせび道散策路〜多宝塔と四宮神社 sm37264427
*宮島厳島関連https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602
水晶ヶ城の鎮守 旧村社 臼山八幡神社 広島市佐伯区石内(旧 佐伯郡石内村) 令和2年
臼山(うすやま)八幡神社。旧佐伯郡石内村(現広島市佐伯区石内)に鎮座する古い神社。
神社 後背の臼山132m は、水晶ケ城(すいしがじょう)跡の東翼郭にあたるらしい。麓あたりは古代山陽道。県道290号線旧道側にある。
字幕では臼山八幡宮としましたが扁額、由緒書を見直すと臼山八幡神社が正式名称のようです。ただ寄進された鳥居には宮とある。
最近参拝した中ではなかなかの場所、本殿も間近に見え境内社の新宮神社も良い姿でした。
延暦年間成立した石道村(江戸時代石内村となる)に延暦二年宇佐から八幡神が勧請された小祠が祀られ、後に水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現在の社殿はなかなか大きく、造りもいい。緑が多い大木が多くある境内もまたいい。昭和になり 皇紀二千六百年記念で後ろの山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀ったそうです。
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照させていただいて
見るとこの辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も城跡が残り神社などから登山も可能なようです。
尚城は厳島合戦前哨戦で開城した後、廃城とされた。
かげともの道=古代山陽道 石内あたりから五日市方面へ古代山陽道が通っていた。
永井建子(字幕訂正=けんし)=石内村出身で、陸軍軍楽隊楽長などを務めた。音楽家。軍楽、洋楽、交響曲、吹奏楽などの先駆者の一人ということです。作詞作曲も手掛けた。記念碑が建立されている。
神社の祭祀は、式内社 速谷神社が行っている模様。
【宮島の道を行く】宮島最古の参道 山辺の古径(やまのべのこみち)と町家通り 広島県廿日市市宮島
宮島最古の参道 山辺の古径(今回、やまのべこみちを抜け町屋通りを散策)、存光寺、不動堂〜乳地蔵〜宝寿院〜延命地蔵〜光明院〜五重塔〜千畳閤〜幸神社〜町屋通り。
昔現在の参道商店街や町家通りなど海沿いの道は海の底であった。山沿いの道を参詣者はあるいていたそうです。これが現在、山辺の古径と名付けられているルート。
途中表参道商店街から外れて存光寺〜不動堂〜乳観音堂(通称女人坂)を経て宝寿院〜延命地蔵堂〜浄土宗光明院、誓真大徳頌徳碑〜塔の岡(五重塔、千畳閣あり)〜一旦、光明院分岐まで戻り幸神社〜参道 裏の町屋通りをたどる。
尚、山辺の古径の前半の要害山(厳島合戦時の宮尾の城跡、眺めが良い)は連れが山は嫌だというので割愛しました^^;
光明院=戦国時代以八上人の創建になる浄土宗古刹。島で最初の民衆教化のためのお寺であった。
宝寿院=真言宗で島民の祈祷を行っていた寺院だそうで馬酔木が生えていたことからあせび寺と呼ばれた
誓真大徳=光明院裏にあった浄土宗神泉寺の僧侶でを琵琶の形から考案して杓文字作りを島民に教えた。また島内に多くの井戸も掘っている。
町屋通り=昔の宮島のメインストリート。現在は表参道商店街が栄えていますが、江戸時代などは此処がまさに人の集まる繁栄の中心でした。今は、島の人の生活の場というところでしょうか。町家にホテル・旅館や商店、最近はカフェ、ギャラリーなどもある、地味ですけど静かで外国人や団体観光も少ないの 一人静かに歩きたい方はどうぞ。
今回は山辺古径と町家通りは日を変えて散策しています。厳島神社や大聖院、大元神社、白糸の滝、滝宮なども回りましたがこれはまたの機会に。
2020元旦の初詣の参道商店街など大混雑時も帰りは町家通りをワープして帰りました^^
吉川元春の武将二宮俊実(佐渡守)建立 禅宗寺院 松巖院と江戸期築庭の庭園 山口県岩国市藤生
松巖院は、岩国市藤生にある戦国毛利の一族 吉川元春の武将二宮佐渡守俊実の建立した禅宗寺院(臨済宗だったらしいですが 現在は単立寺院)です(動画は岩国の小瀬の渡し場跡の桜〜松巖院と進みます)
二宮佐渡守は、吉川軍主力の武将だったそうです。厳島合戦や石見攻略などでも活躍した。吉川元春〜広家と仕えたそうです。
境内奥の木立の中に二宮佐渡守の御墓と陶晴賢の供養塔があるそうです(未見)
開山は真如周伯和尚と由緒書きにありました。
吉川公の要請で八十を過ぎて「二宮俊実覚書」をしたためたと言われ 陰徳太平記など軍記の基本史料となったそうです
江戸時代19世紀(文化から天保年間)に住職月渓和尚により作られた二つの庭園があり作庭者や時期の記録(安政2年の文書に記録がある)も残り貴重な遺構とされる 市の名勝指定 1山門から本堂前に蘇鉄と苔の平庭(塀越しに瀬戸の海と島が借景となる)
2本堂南側にある築山や石組み、植木、池などのある回遊式の池泉庭があります。
築山には観音堂や地蔵がある。樹木が多く植えられているお庭でした。
庭園系のサイトの意見にありましたが樹木が多過ぎて確かに石組みが少しみづらいかなとはおもいました。今でも十分いいですけどね。
*本堂南面の平庭は簡素で苔と借景もよく大変結構でした。
付記=また山門下の石地蔵は切支丹地蔵であるそうです(後で知りました)
小高い境内に海や山の息吹を感じながら手を合わせたいですね
この日行きますと本堂は閉まっていたので外からお賽銭を入れ手を合わせました。
*行かれる場合 修行寺なのでまず御参りをさせていただいてから静かにお庭など拝見しましょう
僕は、このお寺の平庭からの借景の景色はいい〜〜なあと思います またお参りしたいです。
【安芸ひろしま武将隊】2017.6.18/広島城二ノ丸15:00回
【安芸ひろしま武将隊】2017.6.18/広島城二ノ丸15:00回
in広島城二ノ丸
【出陣武将】毛利元就様・毛利隆元様・吉川元春様・小早川隆景様
【忍び衆】世鬼政親様
寸劇の演目は「厳島合戦」
戦のために失われる多くの命に嘆き、平和な後の世を願う。
【安芸ひろしま武将隊】とは
中国十か国の覇者・毛利元就を筆頭に毛利隆元、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景といった毛利家の面々が、城下町広島の魅力を広く世に伝えるべく、広島城に降臨!
広島城の観光PR武将隊としておもてなし活動を行っています。
公式HP→ http://hiroshima-samurai.jp/
【安芸ひろしま武将隊】マイリスト⇒mylist/45053543
【安芸ひろしま武将隊】2017.6.18/広島城二ノ丸13:30回
【安芸ひろしま武将隊】2017.6.18/広島城二ノ丸13:30回
in広島城二ノ丸
【出陣武将】毛利元就様・毛利隆元様・吉川元春様・小早川隆景様
【忍び衆】世鬼政親様
久しぶりの寸劇「厳島合戦」でした。
政親さんと初対面の隆元さまが何やら・・・
【安芸ひろしま武将隊】とは
中国十か国の覇者・毛利元就を筆頭に毛利隆元、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景といった毛利家の面々が、城下町広島の魅力を広く世に伝えるべく、広島城に降臨!
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【安芸ひろしま武将隊】2016.1.24/広島城二ノ丸15:00回
【安芸ひろしま武将隊】2016.1.24/広島城二ノ丸15:00回
in広島城二ノ丸
【出陣武将】毛利元就様・毛利隆元様・吉川元春様・小早川隆景様
【忍衆】世鬼政時様・楓様・杉原盛重様・初音様
なんとかお天気も持ちこたえましたが・・・
極寒の【厳島合戦】
※【安芸ひろしま武将隊】とは
中国十か国の覇者・毛利元就を筆頭に毛利隆元、毛利輝元、宍戸隆家、吉川元春、小早川隆景といった毛利家の面々が、城下町広島の魅力を広く世に伝えるべく、広島城に降臨!
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【安芸ひろしま武将隊】2016.1.24/広島城二ノ丸13:30回
【安芸ひろしま武将隊】2016.1.24/広島城二ノ丸13:30回
in広島城二ノ丸
【出陣武将】毛利元就様・毛利隆元様・吉川元春様・小早川隆景様
【忍衆】世鬼政時様・楓様・杉原盛重様・初音様
小雪舞う中、【厳島合戦】
※【安芸ひろしま武将隊】とは
中国十か国の覇者・毛利元就を筆頭に毛利隆元、毛利輝元、宍戸隆家、吉川元春、小早川隆景といった毛利家の面々が、城下町広島の魅力を広く世に伝えるべく、広島城に降臨!
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【安芸ひろしま武将隊】2015.9.6/広島城二ノ丸15:00回
【安芸ひろしま武将隊】2015.9.6/広島城二ノ丸15:00回
in広島城二ノ丸
【出陣武将】毛利元就様・毛利隆元様・吉川元春様・小早川隆景様
【忍衆】世鬼政時様・桜様・杉原盛重様・初音様
雨天のため13:30の演舞は中止でした。
劇・【厳島合戦】初披露。
※【安芸ひろしま武将隊】とは
中国十か国の覇者・毛利元就を筆頭に毛利隆元、毛利輝元、宍戸隆家、吉川元春、小早川隆景といった毛利家の面々が、城下町広島の魅力を広く世に伝えるべく、広島城に降臨!
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公式HP→ http://hiroshima-samurai.jp/
【安芸ひろしま武将隊】マイリスト⇒mylist/45053543
戦国無双4 時系列順に実況part1
難易度地獄、初期武器(技能無し)でやっていきます。
うp主が全く日本史を知らないため、wiki等で時系列を調べながらの実況になります。
間違ってた場合はコメントで訂正してくれると在り難いです。
【予定】桶狭間→小田原城→川中島→稲葉山城→観音寺城
同時進行:怖がりな友人の初見プレイについていくダクソ2(sm24134894)
同時進行:龍が如く 維新!(sm24536645)
前作(sm25032703) 次(sm25696885)
マイリスト(mylist/49057948)
part1リスト(mylist/45381508)
【戦国無双4】地獄を味わう 中国勢1
縛り追加してみます。
・階級が一番低い武将を選択する。
阿国いるときって短いのね。初見クリアしても惜しい感じが。
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縛り内容
・難易度 地獄
・武将は一章の時点で初期能力から始める。
・敗北したらセーブせずにロードする。
・wiki等の情報を収集しない。
・よろず屋を使わない。
・道具を装備しない。
・階級が一番低い武将を選択する。
戦国無双4より厳島(毛利)
戦国無双4より厳島合戦のテーマです ゲーム音楽の作業用BGMをうpしていますmylist/12467047 無双シリーズのBGM集mylist/33951180 戦国無双4のBGM集mylist/39328805戦国無双34比較sm23082215 戦国無双全比較sm23132723 厳島オロチsm15707263
戦国無双4 part9 中国の章(1) 厳島合戦
戦国無双4 中国の章 厳島合戦
難易度 難しい
操作キャラ 小早川隆景 毛利元就
sm23256076(四国の章)←前 次→sm23257021
中国の章も難易度難しいでやります
投稿動画まとめ→mylist/41507496
戦国無双4まとめ→mylist/42797932
戦国無双4各章part1まとめ→mylist/42831998
信長の野望 創造 ムービー前編
信長の野望 創造 イベントムービーを概ね史実年代順で並べてみました。
画質に少しこだわって前編と後編に分けました。
<前編>
1.オープニング
2.川越夜戦
3.善徳寺の会見
4.厳島合戦
5.三矢の訓え
6.乱世への旅立ち
7.黒衣の軍神
8.川中島合戦
9.三方ヶ原の戦い
10.長篠の戦い
11.欲するものは
12.終わりなき野望
後編へ → sm22571952
mylist/39815421