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【車載】 広島県道471号所山潮原線 晩秋の西中国山地を走る 〜前編〜
広島県廿日市市 県道471号線を四和(廿日市市虫所山)から吉和(高原のリゾート魅惑の里)へ向けて走る。
wikiで県道の項目を見ますとこの県道は元々は林道を整備したものらしいですね。
前半=四話小学校跡〜四和郵便局の始点(県道295号助藤湯来線の分岐)〜山中へ〜峠の太田川源流の森の表示まで。
後半=峠の太田川源流の森の表示〜山を下り〜源流の森石碑〜魅惑の里〜国道186号合流〜少し吉和を東へ。sm39641852
音楽を足して調整一部1.5倍速化して少し短くなった 基本ほぼ(ごく一部カットあり)カットは無し。
音楽 のる様作 自転車に乗って。.*:+☆爽やか&明るい シンプルなピアノソロ
BGMがない部分は音が小さかいかも適当に音量あげてください。
この県道では好きなんですが初夏と昨年車載にあまり成功してないので今回は撮影も完走^^
車載 広島県道471号所山潮原線 晩秋の西中国山地を走る後編 (記録版)
音楽などなしで記録として。広島県廿日市市(虫所山~吉和) タイトル間違えてる。
県道471が正しいです・・・初歩的なミス^^; 。
車載 広島県道471号所山潮原線 晩秋の西中国山地を走る前編 (記録版)
広島県廿日市市(虫所山~吉和)
タイトル打ち間違えてる 県道471号が正しいです。
【安芸の宮島】島の対岸から晩秋の青い海と島の美しい眺め 広島県廿日市市
宮島口の上にある青葉台の展望の良い公園から&阿品海岸 火立岩(ほたていわ) 近くのから。
小枝に似た昆虫〜「ナナフシ」(七節もどき) 極楽寺山にて。
ナナフシモドキの映像。広島県廿日市市の極楽寺山中の寺の駐車場で見つけました。小枝に似ています。
一部脚がないのは自切して(足などを切り離して逃げる習性)逃げたためかと思われます。
真言宗の古刹 「上不見山 極楽寺」 広島県廿日市市(極楽寺山山頂付近)
廿日市市の極楽寺山693m山頂付近にある古刹。1200年を超える歴史がある。
本堂は毛利元就の寄進で再興されたもの。天明年間大きな修理が行われているらしいので、現存する本堂建立時の永禄年間の木材は少ないという。
周囲はモミの原生林があり大変自然豊かな場所。時に野猿の姿もある。
正規の参道は登山道であります。この日も登山客が何組かいましたね。
残念なのはよく知らないため寺務所横の赤樫の巨樹を見忘れたこと^^; 何度来てるかダメだね。
境内展望所からは広島湾の島々が見える。
他に蛇の池があり、睡蓮が夏には咲いて綺麗です。周りを散策できます。
阿弥陀大仏様 は今期は参拝せず。
同山にいたナナフシsm39550620
音楽
のる様作 ニコニコ・モンズより
「雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~」
紅葉谷公園入口 〜厳島神社末社〜「四宮神社」令和3/8
【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
参拝記録
編集し直して歩き部分をカットしてスッキリした感じにできた^^紅葉したらまた参拝に行きたいな。
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
鎮守の森に囲まれた 末社 四宮神社 夏の終わりに。
【宮島の自然と神社】 もみじ道〜四宮神社と 紅葉谷公園へ 広島県廿日市市宮島町
厳島神社末社 四宮神社 創建年月不詳 御祭神未詳 大正4年南町の秋葉社を合祀したため迦具土神一座を加える。
御社殿=一間社流造 檜皮葺
祭礼は旧暦八月一日 民間行事たのもさん=手製の小舟船(たのも船)に団子の人形、果物、おはぎ、お賽銭などをいれ農作物を作っている対岸の大野のお稲荷さんへ向けて海へ流す
昔は農耕が禁止され お稲荷様も禁止されていた
音楽=のる様(ニコニココモンズ)
自転車に乗って。.*:+☆爽やか&明るい シンプルなピアノソロ
雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】
サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
地御前(じごぜん)西向寺 境内 大樹「蓮華松」〜名木〜 廿日市市地御前
西向寺=浄土真宗 樹齢三百年以上といわれる大松。境内を覆う屋根のように広がる美しい松の木。
ただ松の樹齢等を確定する資料がないため県や市の天然記念物には指定されていないらしい。
地御前神社門前の 古い町 地御前散策の史跡スポット〜蓮華松部分のみをカット編集。
音楽=のる様作(ニコニコモンズ)
蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノ
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835
安芸のお伊勢さん〜原の伊勢神社(葛の花と境内から見る広島湾)絵馬なども。R3初秋
廿日市市原 極楽寺へお参りと涼を求めてドライブがてら出た帰りに立ち寄り参拝と境内から海を眺めた。秋の七草の一つクズの花が咲いて秋の気配が濃厚な境内。人気はなく寂しい感じだった。
拝殿の絵馬が古くて武者絵がたくさんありました。明治以後の兵隊さんの絵もあったね。
BGM=のる様作(ニコニココモンズ)雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
【廿日市 天神 山麓界隈散策】〜真宗 蓮教寺と大蘇鉄 (はつかいち市天然記念物)
天満宮の山麓界隈を散策。本陣後の楠と石碑〜JR駅側からの風景〜西側山麓の浄土真宗 古刹 蓮教字と県下第4位ソテツの古木、境内風景。広島県歴史散歩に出ていたのでお参りしてきた。結構風情があります。
注)三業惑乱(さんごうわくらん)=浄土真宗で江戸時代本山学頭 功存により 意(心)口(言葉) 身(身体活動)の三業を通して弥陀仏に救済を求め全てに信心帰命の姿が伴わねばばらぬとした自力要素のあるものだった。これに対し批判が起こり 安芸の学僧大瀛(だいえい)らはその資料を集め団結、批判を展開した。宗派内では解決できず幕府の寺社奉行の前で討論がなされ古義派の安芸学僧らが勝って異安心(異端説)が正された。しかし騒動中に死者や獄死者や遠島、本山の閉門100日間の沙汰も出るほどの騒動となり真宗史上の大事件であった。wiki参照
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
廿日市総鎮守 篠尾山「廿日市天満宮」からの夏の展望 風景
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
快晴より多少雲がある方が変化があり景色は面白いですね。
創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任。wiki参照。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良・動画あり)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)
サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに
宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロ
〜巨樹の風景〜 県天然記念物「津田の大カヤ」巨樹 広島県廿日市市津田 真幡(まはた)神社内
佐伯地区の津田にある真幡神社の社殿に傘を差しかけたようにそびえる御神木。
たまに行きたくなる。久しぶりの参拝記録。
樹高35mもある常緑針葉樹カヤの巨樹。県下同種で最大の木である。
モミに似ているが葉の先や果実の形状がが違う(もみの木=葉は先が割れ、果実は球形)
カヤの木は用材としては碁盤や将棋盤に用いられることが多い木でもある。
また、カヤの木の実は、楕円形で果実は鮮やかな緑の肉質の仮種皮に覆われているが熟すと紫褐色となる。熟すと割れて種子を落とすようです。
種子=食用になり アク抜きをして そのまま炒る、餅につき込みなどなどして食すようです。
また油が多いので、昔は灯火用の油(灯明)や食用油などに使われたといいますが見たことはないですよね。探偵ナイトスクープでお寺に保存された油で天ぷら?したのを見た記憶がある(曖昧だけど)
カヤの実、自体をあまり見る機会がないので初めて見ました。綺麗な色をしている。
2021 真夏
*文化財の詳細は県の広島大百科サイト津田の大カヤの項を参照しています。
【べにまんさく湖と小さな湿地】蜻蛉や花の写真と観察 広島県廿日市市「おおの自然観察の森」再訪
権現山の中腹にある自然公園夏の訪問の最後。「八丁とんぼの湿地」へと向かうが・・八丁蜻蛉は姿なし。
野鳥がいい声で鳴きます中を湖畔などを散策した。一部BGM以外は自然音です。
湿地にはモウセンゴケ、水苔、睡蓮などまだ鷺草は見られなかった。
蜻蛉類はシオカラトンボ、糸蜻蛉などがおりました(多分ね)。
園内の樹木には夏の花が咲いていていろいろ見て歩く。
名前が分かれば楽しんだろうけど観察センターは閉まってました(閉園時間間も無くなのでもうセンターは締めましたと〜〜管理人さんに言われて慌てて帰りました)いろいろ模型、写真や図鑑もおいてあるんですよ。
遠いのでまた行けるのはいつかな・・蜂がいたから多分ベニマンサク紅葉の頃まで行かない。
武将茶人〜上田宗箇(そうこ)ゆかりの 史跡 名水「岩船の水」 広島県廿日市市浅原
戦国から江戸初期の武将で浅野藩の家老 上田宗箇ゆかりの場所。廿日市市の史跡である。
浅野家内での揉め事から3年ほど隠棲した上田宗箇はここ廿日市市北部の浅原で草庵を結び茶事三昧に生きた。
佐伯郡(大竹や大野、旧佐伯町)辺りは上田家の領地であった。住民にも慕われたらしい。
毎日ここへ清水を汲みに来て民家でやすんで庵へもどったという。
水は今も守られ茶に合う名水として親しまれている。
東屋に囲炉裏があり休息できるようになっている。水量は絶えないがそう多くはない感じです。
夏場は虫が多い(蜂もいた)
歴史=上田重安(のち剃髪して宗箇と号した)従五位下主水正。
尾張星崎村出身で元小笠原氏を称し、重安の時代に上だと改めたらしい。祖父の時代から丹羽長秀の家臣であった。武勇にも優れていたようです。長秀なき後、秀吉直参で1万石の大名となった(豊臣姓と冠位を授かる)関ヶ原で西軍に与し改易。
蜂須賀家の客将〜さらに浅野家(妻が高台院尾根の従兄弟の娘で浅野との関係も深かったらしい)に乞われ1万2千石で家老となり浅野とともに芸州へ移った。
茶道(利休〜古田織部に師事)作庭に優れた文化人でもあった。和歌山城西の丸、粉河寺庭園、名古屋城二の丸庭園、広島の縮景園など作庭がいまものこる。
死後今の廿日市の串山で荼毘にふされ遺灰は砕かれ大野瀬戸(宮島海峡狭隘部)に流された。墓には遺髪と一本松が植えられているそうです。
【宮島の道】「石畳を塔の岡への道」新緑の島風景 広島県廿日市市宮島町
サムネ=幸神社からみた町家通り。安芸の国 一宮のある宮島。私がよく参詣に行くとき、最近好むのが町家通りから幸神社〜石畳のみちを五重塔や千畳閣のある岡へぬけて神社側へ下る道。塔の岡への道。
この辺は何回か撮っているが、今回は新緑の梅雨入り前。
宮島散策にはいろんなルートがあるがよく歩くのが1海岸沿いの表参道商店街〜神社方面へ。
2町家通りを経由して歩く道
3山辺の古径が最古の参道跡で、山裾を行く道。
4山側の舗装道を行く=ウグイス歩道経由で紅葉谷方面や光明院あたりに出ることもできる。
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」<中国五県移動制限解除後>令和二年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ(広島市廿日市市 Hatukaichi City)。中国5県内は移動自粛要請解除後。以前うPしたもののまとめ編集版。
渡船〜宮島港〜参道(海岸側)〜回廊入り口まで。人気もごくまばらな参道を海を見ながら歩き参拝します。商店街は大半がお休みですがいくらかは開いていた。
登山者か参拝者が少しいただけ。全く全然 密な状況はない。
緊縮財政を続けるア○な自民政権の観光政策による過剰ともいえるインバウンドの外国の観光がない島は静寂です。地元広島の登山者と参拝者がわずかにいるだけした。
対岸の駐車場もコロナ騒ぎの間あまり借り手がおられないので安くしておられるところもありまし
た。
千畳閣(開いてました)の受付の方曰く・・最高でも一日1000人の拝観がほぼなしの状態でそうです。
参道がこれだけ人が少ないのも久方ぶりに見たよ、ほんと風景だけ撮れた珍しいです。
9月にも行ったんですが神社も人が少なかった たまに再開された修学旅行の一団がきましたが・・。
自分で見返すのに不便だったので無人の厳島神社の映像 保存用として微調整して15分以下に再編集1本にし連続性を保たせた。
令和2年(コロナ禍)「 厳島神社 」管絃祭 (日本三大船神事)参拝記
旧暦6月17日に行われる船神事。御座船にて神事 や神官 による管弦が奏される。
例年なら本宮で神事が行われ御鳳輦が伝馬船の漕ぎ手により干潮の浜を御座船へ向かう。
参考
御神幸 船の行程=大鳥居沖〜火立岩沖〜(ここから夜)地御前(じごぜん)神社〜長浜神社〜大元神社〜本宮還御。
*R2コロナ禍で神事のみ。伝統的な三艘を一つにした大型の御座船は中止でした〜曳航する江波、阿賀の漕 伝馬船も中止となる。遊漁船?を使い装飾して御座船の代用とされた模様。
この日、長浜神社へまず参拝(対岸の外宮・地御前神社から戻り最初に寄港される場所)して厳島神社へ。R2 夏の大祭時の神社風景と干潮の浜へ出て大鳥居沖での管弦船による神事の様子の点描。
〜1:48 長浜神社
1:49〜長浜神社海の鳥居
3:22〜厳島神社参道商店街〜御笠の浜の風景
4:20〜厳島神社本社内へ〜10:23〜網の浦港へ向かう神幸行列と大元神社の風景
12:10〜大鳥居沖の干潟へ 13:15〜御座船(臨時)と管弦演奏 点描
16:05〜遠景で御座船が海上を三度回る場面。
火立岩(hotate iwa)=宮島口の隣にある廿日市市のJR阿品駅の先にある(広電の電車が通り道路が作られ岩は今はない)フジグランナタリー〜海岸沿いの道を行くと木柱がその場所に立つ。毛利元就軍が厳島合戦の奇襲に出発した地がこの場所である。
この夕方近く。大鳥居おきの干潮の夏の海岸の風景が初めて行ってから好きなのでまた参拝しました。管弦は結構長い演奏していましたが昔の人はゆったりと時間を過ごしてたんだろうなと。これが手漕ぎの船だともっと進行には時間がかかるでしょう。
基本自分用 記録なので観られる方がいれば後半長いですテキトーに飛ばしてください。
音量も適当にあげてください。
データー活用できた1年ぶりに完成。
宮島神の島 夏の月 尺八バージョン
宮島の見える海岸で夕方撮影。たまたま宮島街道を通過中、月が綺麗だったので駐車スペースに停車して道草して眺めた。
撮影場所 広島県の西部廿日市市から大竹へ入る手前。
月が登っているのは岩舟岳〜御床山(みことやま)への鞍部かと。
【モリアオガエルの池】(卵からオタマジャクシになりました)観察の巻
広島県西部廿日市市の山中にあるおおの自然観察の森へ再び遠征してきた。モリアオガエルの卵のその後の様子を少し観てみました。
県道30号線から旧佐伯町〜42号線〜渡の瀬貯水池〜林道〜権現山の中腹くらいでかなりな距離がある。
池生き物たち オタマジャクシ、イモリ、ミズスマシ、アメンボウ、メダカ、小さなトンボみた。
モリアオガエルの成体は見たことがないので一度実物を見てみたいものですが、先日京都の高山時のTwitterで見たけど結構大きな感じでした。
【厳島神主家の菩提寺】曹洞宗 應龍山 (おうりゅうざん)洞雲禅寺(とううんぜんじ) 広島県廿日市市
應(応)龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)。
廿日市市北口にあり前は周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける大きな道が今工事中)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある大内氏の重臣であった陶氏(すえ氏)の菩提寺で周南市にある古刹 龍門寺(りゅうもんじ)の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)→サブ垢〜小周防の渓月院=sm37215231
厳島合戦の敗者 陶晴賢の墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。
コメントありがとうございます^^
寺号読み記載しました。忘れてました(^^;;
写真そうですね傾いてますね。春にも行って桜の頃撮ったのもあったんですけど誤って消しちゃいました。残念。春も綺麗です。
<天然記念物ツクバネガシの巨樹と紫陽花> 友田「速田(はやた)神社」R3 広島県廿日市市友田
緊急事態明け今年初めて旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。天気で暑すぎず蒸し蒸しもせずいい日和でした。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種ではおそらく一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで友和公民館が近い(Pあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も一間社流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回4目かな。
今年は緊急事態で錦帯橋の紫陽花や菖蒲の花を見損ねたので紫陽花が見れてよかった。
この日は湿気も少なく紫陽花も満開で、もみじの色も新緑も上々。
令和三年梅雨の合間に
国道433号線 「廿日市市原から極楽寺山を登り、県道291号線の分岐手前まで」
車載。極楽寺山を登る国道433号線 倍速で。原伊勢神社を少し過ぎたあたりから県道291号線分岐手前まで。画質は低め。
国道433号線 七曲峠越え sm38925628
【車載】国道433号線〜「極楽寺山 難路・七曲峠越え〜峠地区」 令和3年梅雨の晴れ間
広島県廿日市市 極楽寺山中=国道433号線と県道291号線の分岐点からスート。
極楽寺山の七曲峠越え(いわゆる酷道部分です)〜佐伯区湯来町葛原〜国道433号線と県道41号重複区間=湯来・湯ノ山温泉街道に合流するまで。
多分4、5回は走ってるかな。多いカーブで車やバイクが来ることもあるのでゆっくり注意して走りたい。
字幕少し訂正=昔の仕事で湯来町のお得意の店があり行った帰りにこの峠を何度か越えたことがあり懐かしいです。
峠へ下る途中3;54=クーターと離合→スクーターと離合
葛原の峠地区あたりはまた走ってみたかったので。
当時よりは整備されてる気がする。走るのは15年ぶりくらい。
極楽寺山 国道433号線〜県道291号分岐まで(後半県道291号線)sm39319026
いくつか修正した版。
梅雨の自然公園 泡泡な!「モリアオガエルの卵」保存用 広島県廿日市市(おおの自然観察の森)
モリアオガエルの泡状の卵の観察だけに編集し直した。
wikiなどの説明だと数匹のオスが枝先で産卵を促すと、メスが来て産卵します。粘液を出しますとオス達が足で掻き回して泡立て泡の塊を作るここへ産卵していまして泡表面が固化して卵を守る。
孵化して幼生のお玉杓子になると雨の日に水に落ちていく様です。
蛙は鮮やかな緑色らしいので一度見てみたいものですが・・・通常は樹林の中 陸上生活のようですね。
お玉杓子になったらまた観に行こうかな。
国道186号線の休憩スポット「元湯小瀬川温泉」名水と池と庭 広島県廿日市市栗栖
小瀬川沿いにある元湯小瀬川温泉 西広島バイパス沿いのうどんの丸忠さんが経営している。
うどんメインの食堂に温泉が併設されている感じだ。周りは自然豊かな西中国山地の中。
うどん・蕎麦の定食だとニジマスの唐揚げがついてきます。
前は渓流、背後や周囲は山が連なり自然の景色は大変いい。裏山の小瀬川神社の巨岩もすごいです。
186号線沿いには喫茶やレストランなどドライブ客向けにいくつも店舗が点在している。羅漢渓へ向けてはドライブスポットだが坂道でカーブが多いので気をつけて運転したい。186をさらに行くと羅漢峡(道の駅と温泉あり)〜冠高原、吉和へいたる。
<車載>広島県道295号助藤佐伯線〜県道471号虫所山潮原線(七瀬川渓流釣り場の所まで)
廿日市市の北がわ旧津和野街道にあたる県道30号線から分かれて、県道295号線助藤津田線へ入り県道471号虫所山潮原線へ後半車載データがダメだったので七瀬川渓流釣り場までです^^;
テスト撮影になってしまった。
県道471号線の終わり魅惑の里〜国道186号、国道434号で冠高原まで。sm38871921
七瀬川渓流釣り場はフライフィッシングなどできる渓流釣り堀だそうです。
県道471号線ですがここから先は樹林の中をグングン高度を上げて峠までカーブなども多く落石注意の県道です。このあと走ると車2台、原チャリ1台にすれ違いました。途中3ナンバー車が駐車して虫を網で採取か何かしてましたが離合に困りました。
峠には太田川源流の森と書かれ麓には石碑もある。太田川の源流の一つ焼山川はこの森から生まれているようです。
吉和みわくのさとまえ〜冠高原 松の木峠まで sm38871921
基本対向車は近距離で鮮明にうつらないようにカットしています。