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令和二年 吉香公園と紅葉谷の紅葉を訪ねて 山口県岩国市
本日昼間に吉香公園と紅葉谷の紅葉が最盛期を迎えようとしているので訪ねた。
今週から来週くらいが最盛期かな? いい色ですよ。
吉香公園〜紅葉谷〜目加田家住宅(コウゾ、ミツマタ、ハッサクかな?)〜御堀から吉香神社周辺
新しくロープウエイ駅前に地元食材などを使うレストラン「わたぼうし」リニューアルしてました。 お弁当、ソフトクリーム、カフェなどテイクアウトもできます。カフェオレ飲んでぶらぶらと。
昼過ぎ〜岩國阿品の弥山へ行った帰りによる(すごい紅葉綺麗でした)15時ごろかなと。
秋の紅葉前の錦帯橋と吉香公園など(1)sm37700712
紅葉谷と奥の東屋のある池 (2)sm37703606
対比しますと季節のうつろいが見れます
十六日再訪しましたさらに色が増してきているようでした。田中瑞穂像のところで
でかい蜂を見た一目散に離れた。注意。温暖化恐るべしです。
最新
岩国の弥山赤滝神社紅葉点描 = sm37831263
廿日市市 宮内天王社の黄落= sm37844897
<自販機>冷た〜い もみじ饅頭 (紅葉堂)
先日宮浜温泉(廿日市市西端)に日帰り湯治へ〜ベニマンサクの湯と言うラドン温泉の日帰り施設に、もみじ饅頭の自販機ができて居たので小腹を満たすのに購入して試食してみた。ただそれだけです。
最後に宮島海峡の景色をちょいと写しておりやす。最近は宮島以外にもあちこちにあるみたい。
ちなみにその他のおすすめのもみじ饅頭のお店
岩村(大聖院へ向かう滝町小路入り口にある現存の店では1番古いらしい老舗昔ながらの佇まい、風味が良い饅頭です国産小麦、ザラメ、北海道あずき使用らしい)
藤い屋=(参道商店街にある。ここもなかなか古いお店。店の雰囲気もいい。つぶあん、抹茶、チョコ、カスタードなどもあるいつもここでは、こし餡を買います)
にしき堂(宮島にはないが・・・広島市内のお菓子屋。宮島口駅前コンビニに置いてあった、広島駅ビルなどでも売っている生もみじというのが美味しい。すこやか紅葉というのは米粉で小麦不使用です)やまだ屋(参道商店街が本店、工場は対岸にある。種類が多い、企画ものの限定紅葉などが毎年出ている・・チョココーティング、ヨーグルト、栗や桜餅、レモン、みかんなどいろいろ 好みとして僕には餡子がやや甘すぎるかな)
山陽自動車道の傍の側道から 晩秋の厳島の海峡の眺め 広島県廿日市市
旧山陽道付近〜宮島の眺め。錦帯橋へ行くので、国道2号線から阿品台を抜け旧道に入り〜廿日市市の西にある宮浜温泉を過ぎ、大竹市玖波へ抜ける 迂回路からの眺め。抜け道は狭いのだが車の交通は結構多いです。真後ろの少し上には山陽自動車道が走ります。
この辺は大雑把に言いますと旧山陽道(西国街道)が走っていた場所の近くです。
「大野浦を これかととえばやまなしの かたえの紅葉色に出つつ」 今川了俊
<室町時代初期九州探題の今川了俊がこの辺りを九州へ向かう途中詠んだという歌らしいです
南朝方を殲滅し九州を鎮圧する室町幕府の最高司令官でした>
大野浦駅近くを通過した時よく見えそうな場所から大内氏の門山城跡の山をしたから眺めて写真を撮ったのでまたあげます。昔何回か登山で行きました。
旧吉和村 総鎮守「速田神社」(延喜式内名神大社速谷神社 勧請) 広島県廿日市市吉和田中原 地区
このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。アップできるぎりぎりの高品質書出版。
速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。木がすごいです。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
廿日市市虫所山〜吉和周辺 車載 散策
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
車載は一瞬しかないです(^^; 速田神社を側面から撮影した時だけです。
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和
県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
車載 広島県道471号 所山潮原線線 西中国山地 廿日市市四和地区〜吉和 魅惑の里まで 全長版
西中国山地県道295号助藤津田線の四和小学校跡前〜四和郵便局前分岐で471号線へ入り渓流沿いにのぼり樹林帯で高度を稼いでいきます。太田川源流の森表示のある峠までが前半。
峠の太田川源流の森の標識が記憶に残っていおいて再訪しました。
いくつか修正をしました品質重視で書き出し直しこれで完成とします。
後半〜下りで綺麗な森林帯を魅惑の里へ降っていきます。
元は林道だっとかで結構カーブが多く狭い道です。太田川源流の森の表示が峠かな?途中にあります。
旧佐伯町四和あたりから吉和まで。吉和魅惑の里(キャンプ、宿泊、温泉など自然林に囲まれた観光施設)が終点です。峠までの道がきついですね。
前半は作り直しで書き出しなおしてあげ直しです。画質をより滑らかにしました。容量を超えるので一部カットしてます。
基本樹林帯の画面の速いところはあまり速いと画像が見づらかったので1.5倍速、後半はそのままにしてます。
やはり峠までの前半は険道の部類に入るんじゃないかとおもます。小枝に小石とかいろいろ落ちてんだからねw
四和〜魅惑の里 なかなかいい道おつでした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series
車載 広島県道471号 所山潮原線線 魅惑の里の少し手前 高画質テスト
西中国山地 廿日市市吉和の魅惑の里へ出る少し手前から魅惑の里の奥にあった太田川源流の石碑手前までだとおもいます。
素材を間違ってあげてしまいましたw。テスト用動画を改めて。
元は林道だっとかで結構カーブが多く狭い道です。太田が源流の森の表示が峠かな?途中にあります。
旧佐伯町四和あたりから吉和まで。吉和魅惑の里(キャンプ、宿泊、温泉など自然林に囲まれた観光施設)が終点です。
どんな感じか挙げてみました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道おつでした。涼しい秋の気配がした。
初秋の宮島散策(3)分割版 後編 大聖院から厳島神社参道、夕暮れの御笠浜の海
サムネ 荒胡子神社と五重塔 ~ 宮島港の先から始まるうぐいす歩道を途中で外れ〜光明院前〜塔の岡〜大聖院へ至ってからの続き。 すこし増補しています。
その3ルート=大聖院〜厳島神社裏〜塔の岡下の御文庫〜末社 荒胡子神社〜神社参道の夕暮れ前の海辺まで。
訂正=大聖院観音堂御本尊は〜千手観音菩薩ではなく →十一面観音菩薩です。
思い違いをしてしまいました^^; ちゃんとお姿見てるんですけどね
夕暮れ前の海が綺麗でした。初秋の風情を味わいました。
分割版その(2) sm37641634
宮島・厳島関係 https://www.nicovideo.jp/series/82780?ref=user_series
秋の宮島巡り「光明院前〜滝町小路〜大聖院〜神社参道」と「夕暮れの御笠浜」
宮島港の先から始まるうぐいす歩道を途中で外れ〜光明院前へ出てた後からの続き
(2)〜(3)分割前の長さそのまま。
ルート=光明院前〜坂道〜塔の岡へ〜厳島神社裏を抜け〜街並みもいい滝町小路を歩く〜大聖院〜厳島神社裏〜塔の岡下の御文庫〜末社 荒胡子神社〜神社参道の夕暮れ前の海辺まで。
初秋の風情を味わいました。
訂正=大聖院観音堂御本尊は〜千手観音菩薩ではなく →十一面観音菩薩です。
思い違いをしてしまいました^^; ちゃんとお姿見てるんですけどね
厳島、宮島関係映像= https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/82780
友田 「速田神社」初秋8月末 再訪 廿日市市友田
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町友田)にある速田神社。お盆過ぎの21日再訪記録。
蝉時雨と猛暑の境内。
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されているが天王神社だから素盞鳴命と思われる。 ただし由緒書がないので推測ですが速谷神社なら安芸国造系の祖神のはず。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
もし行かれる方がいたら友和公民館が近くにあります(Pあり)
温泉の帰り折角なのでどこか寄りたくてお参りしました今度は涼しい時に行きたいな。
広島県の神社 はつかいち 旧佐伯町 日本の風景 神社動画 御神木 の巨樹がみごと
令和二年 厳島神社管弦祭(一)祭礼当日 外宮社「地御前神社」の様子
厳島 管弦祭当日の地御前神社参拝。今年は自粛開催でした。
例年は御座船、広島市江波と呉市阿賀伝馬船がでて賑やかなのですがことは中止。多くの人が1日船で同乗して漕ぐわけですからやむなしということでしょう。
普段は訪れる人も少ないですが厳島神社関連記録として。
この後宮島にわたり管弦祭で例年は御座船が寄港する長浜、大元神社と厳島神社(神事あり)参拝がてら見学しました。
*厳島神社で当日の変更された神事の進行予定は知らなかったんですが、御朱印所で十六時から神事だということで他の参拝客と一緒にまちました。
本宮での神事が終わると神官さんの列が西回廊を出て大元公園前を通り網野浜港へ向かわれました。大鳥居で待ちますと遊漁船を借りて幕を貼り最少人数で(ほぼ神官だけで)御神幸の神事を行なったようです。
大鳥居沖で祝詞と管弦を奏した後は、船は三度周り東に向かいましたので火立岩、地御前〜長浜浜〜大元浦と廻られたと思います。
来年は御座船出るかなあ 伝馬船の木遣唄が聞きたい。
はつかいち 地御前 厳島神社外宮の映像。
令和コロナ禍 夏の記録として
<広島の神社巡り>厳島神社外宮社〜地御前神社(JIgozenJiinjya) 令和二年 梅雨時の様子
厳島神社外宮社。御祭神、創建も本社と同じ頃という古社。令和二年 再訪。
本土側にあるもう一つの厳島神社です。地の御前=じごぜん。
一般的観光ルート外なので観光で訪れる方はまずいない。地御前神社ひっそりとしています。
南側に国道の車や社殿真後ろは電車の音がしますけどね。
時折散歩や車で立ち寄り参拝の方がいます。歴史はは古いんですよ。秋はイチョウや桜が紅葉します。
神社から線路を渡り小学校前を〜宮内串戸方面へ抜ける道が東へ走りますがこれが昔の参道で寺(浄土真宗西向寺、正行寺など)、墓地、お堂(釈迦堂 大きな金色の釈迦像がある)、町屋がいくらか残る。
近くの海のそばに(フジグランへ抜ける海沿いの小道、広電阿品東電停があるあたり)火立岩(ほたていわ)跡の標識が立つ。毛利水軍がこの辺りに集結して包が浦へ渡航した場所でもあり、管絃祭の御座船が地御前へ入港するまで潮待ちする海でもある。
延喜式内名神大社旧官幣中社「厳島神社」(五)静寂の紅葉谷から町屋通りへ 令和二年五月
延喜式内名神大社 厳島神社5 もみじの名所=紅葉谷から町屋通り(裏通りで昔のメインストリート)散策。紅葉谷へ(新緑のもみじ)〜岩惣前〜誓真井戸〜町家通り〜青い海と宮島港。
令和二年五月・・・紅葉谷は今はもみじの多い林ですが江戸時代までは寺院が多くあった場所だそうです。四宮神社を過ぎ、紅葉谷の新緑のもみぢ谷〜町家通りを散策しながら桟橋へ。
今掲げてある町屋の隠し文字のある「愛」の文字の献灯の様子を見て歩いたりした。
次は本宮周辺の摂社末社を等を纏めようかなと。ぽちぽち回る。
中国地方5件は移動自粛要請が解除されて早々訪問。人がほぼいません。
老舗旅館岩惣あたり(紅葉谷入口)も無人で寂しいものです。
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以前の宮島、厳島神社関連動画
*御島廻り(宮島の七つの浦にある末社めぐり)
海上ツアーぐるっと宮島再発見 総集編 =sm34086960
*対岸の外宮社で御旅所でもある〜地御前(じごぜん)神社=sm37384152
*2019年厳島管絃祭(大祭)夜の大元神社で御座船で管弦を奏でる様子 = sm35662094
2020年は中国初のコロナ流行のため、伝統的な御座船や伝馬船は中止〜遊漁船に飾りをして神官さんだけ御神体をお乗せして回ったようです。
延喜式内名神大社 「厳島神社」(四)末社 四宮神社と緑の道を 多宝塔〜大聖院門前
その(4)厳島神社 多宝塔と末社・四宮神社へ
大元公園横にある国民宿舎 杜の宿の前から大聖院前まで続く「あせび道」を行く。あせび道は途中一部舗装もしてあるが基本未舗装の道。モミやツガ、楠などの大木、楓などの植物が多い静かな散策路。
桜の多い桃林(斜面に桜が多い)を通り、多宝塔へ 朱の多宝塔に初夏のもみじが青々としている。多宝塔奥から石段があり下の道路へエスケープして降りれます風情があるのでこの道もいいですよ。
散策路から〜大聖院門前に下り、少し滝小路を下るとすぐ淡島神社がありその向かい側の未舗装の道からもみじ道へ入る(紅葉谷へ抜ける道である)藤棚のあるあたりなどを過ぎ〜四宮神社 まで。
このあたりは例年はそこそこいるんだけど人がいませんでした。
末社 四宮神社 もみじ谷入口あたりにありますので、紅葉谷やロープウェーへ行く方は横を必ず通るはず。石鳥居、木々の緑が映えて捨てがたいですがこの辺は観光でも訪れる人は結構いる場所かと思いますよね普段は。紅葉谷近くへ来たら必ずよりますw
次へ設定してもジャンプがうまくいかないので記載しときます。
その(5)初夏の紅葉谷の青もみじと町屋通りへ5月参拝時の最後に行った場所
もみじ谷は紅葉が有名ですが、青い若葉の紅葉もいいもんですよ。人は全くいませんでした。この時期ありえないですね。明治の廃仏毀釈までは寺院が林立した場所だそうです。
→ sm37311632
その(3)境内外摂社 大元神社(大祭の管弦祭でも神事がある、御島廻り神事でも最後の拝所になっている結構重要かも)→ sm37100895
宮島関係動画 https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602
友田 速田神社(速田大明神)と広島県天然記念物 ツクバネガシの巨樹 広島県廿日市市友田
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されている天王神社の素盞鳴命と思われる(由緒記載が無いので推定ですが)
拝殿は吹き抜けで、絵馬が多く奉納されている。拝殿右側から本殿そばまでいけますが猛暑前だと地面に苔が生えて足裏の触感がこころもちふわふわします。社殿は小ぶりながら立派なもので雰囲気もよろしいです。また行きたなと思いました。
前回 岩国市美和町阿賀の速田神社へお参りしましたが久々に広島県廿日市の速田神社へ行ってきた
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町の友田)にある。昔の佐伯郡という名称は厳島神主家佐伯氏の名から来ている。
この辺りは津和野街道に沿うように走る県道30号線を廿日市市街から折敷畑〜明石峠(毛利vs大内軍の明石、折敷畑合戦の舞台)を越え少し走ったあたりにある。旧佐伯町ができるまでは友和(ゆうわ)村といったらしい。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
車なら友和公民館で周辺の散策資料をもらい徒歩がいいでしょう。バス利用なら岩組バス停がそばある。ちなみにこの辺に乙丸という広島ラーメンのお店がある一回行きましたがおいしいです。小さめの餃子がよかった。昔々舟入でよく行った、しまいの餃子みたいで懐かしい。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて
山口県美和町阿賀 速田神社 sm37182811
<車載>自然いっぱい 山口・広島県道2号線佐伯岩国線 (廿日市市浅原〜美和町 程野まで)第2稿
山口、広島県道2号線 今回車載は2号線終点廿日市市浅原〜秋掛〜北中山 程野まで。
深い山の間を抜けます。
県道2号線=国道187号線との交点(起点 岩国市天尾)〜美和町〜生見〜北中山〜秋掛〜廿日市浅原を結ぶルート。
光で白っぽいので画像フィルター処理を行った。
周防 山代地方の古社 阿賀 「速田神社」(Hayata JInjya) 山口県岩国市美和町阿賀
美和町の阿賀(aka) 。里の鎮守 速田(hayata)神社。山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今なお年2回御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
県道130号線で美和町阿賀 まで行き130号線の雲照寺峠方面は行かず、秋掛方面への道を進んですぐ。
また祭礼も旧暦6月17日(厳島 管弦祭の日と同じ)であるそうです。
御烏喰式=元来は宮島で御島廻りの巡拝で養父崎海上 小さな筏に団子を供え御烏がそれを取りにくるというもの)御烏(おがらす)は厳島明神の鎮座伝説に関わりがあり佐伯鞍職(くらもと)らを先導して鎮座地へ導いたとも。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。こんど美和町史でも図書館で調べてみますかね。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えたというものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により 厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性もあるかもしれません〜廿日市市友田や吉和などにもやはり速田神社があります。友田は参拝したことがあります大きなツクバネガシの木がある。また行ってみますかね。でも駐車場がないんですよねえ。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて
<広島県の神社> 天照大神を祀る 廣田神社 廿日市市串戸
広島県の西部にある廿日市串戸 藤掛山の山腹に鎮座する 廣田神社。西国街道沿いの宮内村下組の氏神だった古い神社。広島藩の通史芸藩通志に記載されている。
御祭神=天照大神 鉄筋コンクリート製で吹き抜けの拝殿が再建されていました。
境内には稲荷社 御免石(藤掛山遷座したとき社頭にあった岩で参拝者は昔から「御免なさいませ」などと挨拶して 通った故事による)などある。
桜が植えられている境内から広島湾、宮島などが眺められる。
元は御衣尾山の山麓にあり、宮内〜地御前へ流れる御手洗川の瀬替えでこの山の谷に移転(現在そこには御旅所跡の石碑が残る川のそばで山のようなものは現在はない)さらに宝暦年間社殿焼失したために宝暦十二年藤掛山の現在地へ遷座した。
参道入り口の由緒書きによれば、現在の社殿は藤掛山が開発された時、再建されたものだそうです。 戦国時代は桜尾城の支城=藤掛城があった藤掛山〜現在住宅開発や道路建設で団地に大きく姿を変えています。旧山陽道の街道は藤掛山が大きく迫り出していたので海側は通行できず街道は山側を抜けて宮内へ向かっていたそうです。
また麓の東側には下平良(へら)地区の氏神 新宮神社(藤掛城の元 鎮守社)がある。
JR宮内串戸駅、広電宮内駅近く。
コロナ禍!延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(一) 参道〜回廊入口。令和二年5月
令和二年五月 新緑の厳島神社へ(広島市廿日市市 Hatukaichi City)。中国5県内は移動自粛要請解除後。普通なら人が多いので昼間でこういう絵は撮れない。
渡船〜宮島港〜参道(海岸側)〜回廊入り口まで。人気もまばらな参道を海を見ながら歩き参拝します。商店街は大半がお休みですがいくらかは開いていた。
登山者か参拝者が少しいただけ。全く密な状況はない。
自民政権の観光政策による過剰ともいえるインバウンドの外国の観光がない島は静寂です。地元広島の登山者と参拝者がわずかにいるだけした。
対岸の駐車場もコロナ騒ぎの間あまり借り手がおられないので安くしておられるところもありまし
た。
千畳閣(開いてました)の受付の方曰く・・最高でも一日1000人の拝観がほぼなしの状態でそうです。
地元の人は行こうよマスクして・・人がいるところでや、喋るときはマスク、飲食時は喋らない、目鼻口を洗わない手で触らない、手を洗い消毒(私は消毒アルコールも持参) 参拝や静かに散策ok
今回のパンデミック〜政権は過剰な観光立国インバウンドもほどほどほどに。程々にです
海外の観光の方も適度に来ていただきたいけど、何より国民が盛んに需要喚起して観光で回れるようデフレや恐慌脱却が先じゃろうね
参道がこれだけ人が少ないのも久方ぶりに見たよ、ほんと風景だけ撮れた珍しいです。
9月にも行ったんですが神社も人が少なかった たまに再開された修学旅行の一団がきましたが・・。
またあげるかな。
その(二)東回廊〜本社参拝〜西回廊出口まで。sm36957225
令和三年1月遅い初詣 sm38158915
*宮島関係動画
https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602
【1分弱登山祭】元旦の宮島弥山攻略RTA団体戦 1:54:31
お待たせしました!
1分弱登山祭 もう7つめですよ!!
団体戦オフの動画を贅沢に使用して1分弱動画にしました!
ちゃんとした動画は誰かおねがいします(他力本願寺)
今回の山 宮島弥山(広島県廿日市市厳島)
前回 sm36753363 (雲月山)
次回 sm36761378 (高谷山)
mylist/67342292
前回の1分弱じゃないRTA sm36528346
並走者 (お世話になりました!)
坊主兄貴 (sa2baさん) user/24143747
チベスナ兄貴 (きいろんさん) user/178515
山の吸血鬼兄貴(さか(サムイ)さん) user/67379054
カメラ回収兄貴(twang!!さん) user/350742 山行計画ありがとうございました!
今回twang!!さんの撮影した集合写真をお借りしましたー
さがり兄貴 (瓢箪屋さん) user/632478 1分弱登山祭企画開催ありがとうございます!
すばらしい兄貴(チャラさん) user/89887898
クマ遭遇兄貴 (どんたこすさん) user/331472
【1分弱登山祭】霜天の大峯山攻略RTA 2:57:20
お待たせしました!
1分弱登山祭の折り返し動画です
ガチ雪山は怖いので気分だけ味わいに行きました!
今回の山 大峯山(広島県広島市/廿日市市)
前回 sm36751079 (雲月山)
次回 sm36755093 (宮島弥山 団体御来光)
先駆者 までぃ兄貴 sm35440677
mylist/67342292
前回の1分弱じゃないRTA sm36528346
西国街道(旧山陽道)沿いの 旧村社 新宮神社 広島県廿日市市新宮
旧村社 新宮神社 元々は傍の藤掛山にあった桜尾城の支城=藤掛城の鎮守として祀られた御社。しかし藤掛城は陶晴賢に攻め落とされた。後に永禄年間に地元で熊野新宮から祭神を勧請され下平良の鎮守としたと言われている。今でも本地仏の懸け仏が祀られている。
平良(へら)と廿日市南東部の地域は、延喜式内名神大社 速谷神社などがあるエリアで古代山陽道の「へら」駅家があったとされるあたりでもある。
今は住宅街になっており 藤掛山も開発され団地や道路が走る(西広島バイパス〜木材港下りる道路がある)麓の海側も旧国道2号線宮島街道が通る。昔はこの山のため山陽道は海のそばを通れずやや山側を宮内村へ抜けていたらしい。
廿日市天満宮hp記載の縁起によれば江戸時代廿日市天満神(旧天神坊)が廿日市の鎮守とされ新宮社の祭神も勧請し、ここを御旅所としたそうです。今も廿日市天満宮が祭祀を続けているようです。
いつお参りしても綺麗に箒の掃き跡があり 手入れがされ花が植えられ公園のようになっている。いこいの空間的な旧村社である。古木にはしめ縄がされ神木として鎮守の森も守られております。
近くへ行ったので花の頃でもあり参拝しました。初夏の匂いがもうしています。
帰る前に近くの 厳島神社外宮のある地御前の海から宮島を眺め帰りました。
<車載>広島県道295号線助藤津田線 大虫の樹齢三百年のしだれ桜まで。広島県廿日市市虫所山大虫
広島県道295号線助藤津田線〜(293号線本多田佐伯線経由)広島県廿日市市虫所山(むしところやま)大虫(おおむし)地区へ。
廿日市市津田の岩倉あたりから〜県道295へ〜四和からLeve4の万古渓方面へ曲がり険道エリアへ〜県道293号線へ合流し大虫へ(後半 枝垂れ桜の映像を掲載)
万古渓=県道を降りて行くと渓流沿いに遊歩道がある(一応は整備されているw)沢、大きな淵や滝などがありなかなかです真夏に1回行ったことがあります。
渓流釣りが盛んで(295線を走ると七瀬川周辺には釣り人もいました ルアー、フライフィッシングの盛んな所)
四和あたりには、渓流にヤマメなどの釣り堀や、養魚場などもありますよ。
大虫のしだれ桜 市の天然記念物 樹齢三百年の古木。
去年行ったんですがわざわざ福岡から一本桜を巡りここまでこられたご夫婦がおられました^^。
静かに見ることができます。
今年はいけるかなあ・・・。
字幕(20秒あたり)訂正=津田地区の中心地を過ぎたあたり。
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series
2019.4 記録です
広島県廿日市市女子高生殺害事件|解決した未解決事件
「広島県廿日市市女子高生殺害事件」
事件から14年の月日を経て、解決した未解決事件。
時効成立まで、残り1年の時であった。
山口県百名山 周防岩国藩 吉川公の祈願所 阿品弥山の紅葉と山並み 2019
午後から思い立ち 広島県廿日市市へ向かい県道30号に入り国道186号線へ〜浅原(この辺には浅野家家老で武家茶人上田宗箇が隠棲した場所があり 茶用の岩舟の清水がある)ここで県道2号線へ入る。
秋掛集落を抜け県境を越えいくつか集落へて美和の生見(しょうみ)八幡宮のところに出て〜山口県岩国市美和町の中心へでた。
美和町から県道59号へ入りました(実はこの道が険道とも知らずに)車載を撮りましたがメモリ容量が少ないのと激しく揺れるのでしっぱいした。
杉の枝や落ち葉の積もる延々と続くつづら折とほぼガードレールもない山道に・・・。
感想・・・車で行くのもハードルが高い!
*峠に出ると道路改修碑があり林道が分岐していた。(これが日宛地区へのもう一つの道と思われる)
弥山=役行者(新四郎坊)創開とされる山。江戸時代吉川広家公が巡視で、ここの御堂を訪れ幽玄なる地であるとし祈願所と定め堂宇を建立して再興したと言われる。神仏を祭り神仏習合の聖地であった。勝軍地蔵を吉川公が寄進したと言われます。岩国城下及び領民も含めての安寧を祈る場所とされた。
萩 東光寺の仰宗禅師を招き開山したので黄檗宗の寺院となる。御本尊=弥山大権現至聖護国善神
明治以後神仏分離で麓の阿品、瓦谷、日宛各村境界山のため 三分割され各村の管理で弥山本堂長楽寺、赤滝神社(弥山本宮)、日宛神社(弥山本社)とされたと言われています。
登山に手ごろで車で登山口までアクセスでき、景観が大変良いので良く登山者が訪れるところでもある。
柏木山へ縦走もできる。登山口は下阿品、杭名、県道59号経由(車利用可ただし道は狭い)などがある。後日 日宛集落から市道経由で走ってみたらw また県道59号の道・・やばそうなところへ出たwまあ走れるんですけど。
日宛からの道は途中地図で見ると2本に分かれており 帰宅後gogleマップで見ると左側の別ルートは、道路改修石碑のところに出る林道だと思われた(2020.3走る〜早くてこの道が一番良い)
県道59号は美和町側はかなり離合困難な場所多し注意〜(^_^;)
山中篤巳氏(登山家で医師、文化面も含め身近な里山なども詳しく紹介されている)の「山口県百名山」の中で百名山の一座に選ばれている。
後日
車載もしてきて弥山本堂長楽寺にまた行ったのですがこれはまたの機会に、ぜひ登山道を登ってみたいものです阿品道、杭名道2箇所山道ルートがあるのでまたいずれ。
<廿日市市の神社>厳島神社鎮座伝説の七浦神社 海上参拝 その二 腰少浦神社〜山白浜神社まで
今回のは年四回くらい行われる観光協会のクルーズ巡拝ツアー。
御島廻り=宮島の周囲の七つの浦(プラス4箇所)にある拝所(末社)を船で巡る巡拝の神事。
七浦=長浜、1杉の浦、鼓ケ浦、2鷹ノ巣浦、3腰少(ほそ)浦、4青海苔浦、養父崎、5山白浜、6須屋浦、7御床(ミコト)浦、大元浦。
其の二では島の裏側。腰少浦〜青海苔浦(海岸沿いにここまでは舗装された道がある)〜養父崎(七浦外だが御烏喰式がある)〜山白浜へ・・・。
10年くらい前に大砂利地蔵堂まで行き山越えで樹林の中目印テープ頼りに大砂利というころまで入ったことがありますが・・迷いかけましたw ^^; 山を振り返るとロープウエー駅のある獅子岩が獅子のような姿に見えた記憶がある。
七浦外ですが、伝説では養父崎では神烏(おがらす)が現れ佐伯鞍職(くらもと)を先導して、鎮座地を探したと言われます。其の神烏(おがらす)様の神霊が祀られている。
2018 晩秋記録として
今年は残念ながら行きませんでした・・また行きたいなとおもいます。
2020年〜今年は徒歩で青海苔浦へ行くのが目標であります。
いくつか微修正して画質上げて 再うPです。
サムネは養父崎神社と岩礁の森。
【宮島の道を行く】宮島最古の参道 山辺の古径(やまのべのこみち)と町家通り 広島県廿日市市宮島
宮島最古の参道 山辺の古径(今回、やまのべこみちを抜け町屋通りを散策)、存光寺、不動堂〜乳地蔵〜宝寿院〜延命地蔵〜光明院〜五重塔〜千畳閤〜幸神社〜町屋通り。
昔現在の参道商店街や町家通りなど海沿いの道は海の底であった。山沿いの道を参詣者はあるいていたそうです。これが現在、山辺の古径と名付けられているルート。
途中表参道商店街から外れて存光寺〜不動堂〜乳観音堂(通称女人坂)を経て宝寿院〜延命地蔵堂〜浄土宗光明院、誓真大徳頌徳碑〜塔の岡(五重塔、千畳閣あり)〜一旦、光明院分岐まで戻り幸神社〜参道 裏の町屋通りをたどる。
尚、山辺の古径の前半の要害山(厳島合戦時の宮尾の城跡、眺めが良い)は連れが山は嫌だというので割愛しました^^;
光明院=戦国時代以八上人の創建になる浄土宗古刹。島で最初の民衆教化のためのお寺であった。
宝寿院=真言宗で島民の祈祷を行っていた寺院だそうで馬酔木が生えていたことからあせび寺と呼ばれた
誓真大徳=光明院裏にあった浄土宗神泉寺の僧侶でを琵琶の形から考案して杓文字作りを島民に教えた。また島内に多くの井戸も掘っている。
町屋通り=昔の宮島のメインストリート。現在は表参道商店街が栄えていますが、江戸時代などは此処がまさに人の集まる繁栄の中心でした。今は、島の人の生活の場というところでしょうか。町家にホテル・旅館や商店、最近はカフェ、ギャラリーなどもある、地味ですけど静かで外国人や団体観光も少ないの 一人静かに歩きたい方はどうぞ。
今回は山辺古径と町家通りは日を変えて散策しています。厳島神社や大聖院、大元神社、白糸の滝、滝宮なども回りましたがこれはまたの機会に。
2020元旦の初詣の参道商店街など大混雑時も帰りは町家通りをワープして帰りました^^
西国街道行く 鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿,〜小方宿(間の宿)へ 総集編
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=廿日市市の西端 大野鳴川〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜〜玖波(くば)宿跡〜黒川を経て
小方(間の宿跡)までのロングバージョン
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
玖波宿=安芸国最後の宿場(隣の小方の休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みをまだ残している。
間の宿(あいのしゅく)=正規の宿場本陣などがいっぱいの場合、脇本陣などへ宿泊をさせたそうです。
厳(いつき)神社=厳宮(ごんのみや)大明神と呼ばれた古社。かては福島正則の亀居城本丸あたりにありましたが廃城となり妙見丸跡に遷座された。城が忘れさられても社は今に残りました。
その昔、厳島のお島周り式(島を回り七つの浦の神社で神事をする)御烏喰式(おとぐい)式というのがあり養父崎で団子を筏で流し神烏(おがらす)が取りに来るんだそうですが現れない場合は、厳宮(ごんのみや)出しといいこの宮の前まで船で漕ぎ出して拝したと言います
前の動画と玖波宿のところが被りますが、宿場と間の宿の相補的関係があり振り返りながら1本にまとめました。
西国街道行く 四郎峠〜鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=宮内から四郎峠〜中山の疣観音(今川了俊歌碑)〜JR大野浦(今川了俊歌碑)をいくつか紹介して鳴川手前まで車載。
廿日市市の西端 大野鳴川(なるかわ)〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜(からふねはま)〜玖波(くば)宿跡へ
大野向原あたりからさらに山へいくあたりから残念社(長州征伐の時、幕軍伝令で長州軍に撃たれた依田半蔵を祀る)経由の古道(四境の役の古戦場)ですがで山道でもありパスしてます。寂しい古戦場を一人では歩きたくないもんな。
山を超えた場合、鳴川手前の団地のあたりに出てきます
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
唐船浜(とうせん浜)=太閤秀吉がこの浜で外航船を作らせたとか言われます。
玖波(kuba)宿
安芸国最後の宿場(隣の小方(ogata)=休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みを一部まだ残している。
西国街道を行く 廿日市市大野 向原の石畳と九州探題今川了俊歌碑
西国街道廿日市市 大野地区にある 向原の石畳(復元)を歩いてみた。
昔の西国街道の姿を少しだけイメージできます。
宮島に一番近い温泉 宮浜温泉の駐車場に停めて歩きました。
実物の石畳遺跡は保存のため埋め戻されています。
背後の高い山は経小屋山 古代の防人が一切経を守護神に祀ったからとと云われます。
また、街道の石畳の実物ですが、ここから少し先の鳴川の鉾ノ峠ヘ向う山の入り口のところにはそのまま残っています。
今川了俊(貞世)の歌碑
遠州今川氏の祖で、足利三代義満に仕えた。九州探題として九州の南朝方を駆逐する司令官となる。
優れた歌人でもあり、九州へ赴くときに西国街道通り、各地で歌や紀行文を残している。
『道ゆきぶり』がそれです。また自らの体験を記した「難太平記」なども表した。
廿日市には今川了俊の歌碑があと2箇所有ます。
【奇襲厳島】安芸国宮尾城 令和元年(2019) 晩夏
2019年の7月、広島県廿日市市にある宮尾城跡を訪れました。
築城年ははっきりとは分かりませんが、天文24年(1555)の厳島の戦い以前から存在していたようで、同合戦では毛利方の己斐直之と新里宮内少輔が城を守備していました。
宮尾城を攻める陶軍の総大将・陶晴賢は厳島の塔の岡に陣を構え宮尾城を攻略していましたが、嵐の中、厳島の東岸の包ヶ浦に上陸した毛利元就・毛利隆元・吉川元春の本隊が博奕尾(ばくちお)の山を越え、塔の岡の本陣を奇襲し、意表を突かれた陶方が総崩れとなり、総大将の陶晴賢や弘中隆包等、多くの武将が討死にしました。厳島の合戦に勝った毛利氏は瀬戸内海の制海権を掌握し、中国地方の大大名へと大きく前進しました。
動画では宮尾城跡、厳島神社、陶軍本陣跡の塔の岡にある豊臣秀吉の命で安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が建立した千畳閣を訪れています。
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安芸国造の祖神を祀る安芸国総鎮守 旧国幣中社 速谷神社 (広島県廿日市市上平良)
御祭神は飽岐速玉命(あきはやたまのみこと)安芸国造の祖神を祀る神社。
古代には名神大社に列し鎮護国家の神として安芸一宮であった。
安芸・備後で最高の社格を誇る 安芸の国の守護神であったといいます。
別垢=最新令和3年 早春の延喜式内名神大社「速谷神社」=sm38359614
平安末期厳島明神の隆盛に伴い一宮も次第に厳島に移りいつの間にか二宮とされ社号も速田神社よばれて厳島の摂社になっていたらしい。明治後復興され社号も本来の速谷神社に復し国への運動の結果 国幣中社に昇格したという。
今でも旧佐伯郡や岩国山代地方の山間部に速田神社という社号の神社がある(勧請したものでしょうね)
現社殿、神門は昭和末期の再建 なかなか豪壮です。
江戸時代の記録には火災で焼けた本殿あとには大岩があり諸人に拝ませないよう幕を張ったとか記載されてるそうです。古墳か磐座かと言われてるらしいですね。
摂社=稲荷社、岩木社があるのみ
岩木社は地主神といわれ 岩木翁を祀る(厳島の三翁神社の祭神でもある) 神社の鳥居からわずか西へ入った住宅街の間にアパートくらいの大きさの小山があり 権現岩といい石の祠があるこの山は岩木翁の磐座とも言われるらしい また平楽地蔵堂もあり(かつての神宮寺の名残だといいます)
境内はそこそこ広い。神池や杉木立ちもある。本殿脇にある椿が結構好きです。岩木社の側にも大きな椿があったんですけど近年石鳥居が寄進されてかなり切られてしまいました。
車のお祓いは有名で新車を買ったら速谷さんと・・いわれてます。
訂正=バイパスから神社への道路は県道30号線ではなく国道433号線が正しい。