タグ アニタ・ムイ が登録されている動画 : 74 件中 33 - 64 件目
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西城秀樹『抱きしめてジルバ』広東語版1…梅艷芳「夢幻的擁抱」
西城秀樹の『抱きしめてジルバ』は1984年のヒット曲ですが、原曲はワム!の『Careless Wisper』。郷ひろみも『ケアレス・ウィスパー』としてカバーして、日本では珍しく同時期に2種類のカバー曲が出ていました。一方、香港では85年に「夢幻的擁抱(sm24908484)」「忍痛說謊(sm24909840)」「無心快語(sm24909923)」と、3つの広東語カバーが出現。「夢幻的擁抱」は梅艷芳(アニタ・ムイ)が歌ったものですが、アニタの声質が曲に合っていて、一番ヒットしていました。
『Drスランプ主題歌』広東語版…梅艶芳(アニタ・ムイ)「IQ博士」
「香港の山口百恵」というフレコミで1982年にデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)。ハスキーボイスが魅力のツッパリ路線で、曲ごとに違った派手な衣装やフリでド肝を抜き、実生活では恋人はマッチ(近藤真彦)と、その実態は限りなく「香港の中森明菜」でしたが、得意芸にしていたのは「アラレちゃんの声の物真似」。そういえば明菜もテレビでたびたび「アラレちゃんの声の物真似」を披露していましたが、たいてい「んちゃ!」の一言だけ。それに比べてアニタは本格的ですが、それもそのはず、実はアニタのデビュー曲はアニメ『Drスランプ』の広東語主題歌だったという次第。
山口百恵『赤い衝撃』広東語版…梅艶芳(アニタ・ムイ)「赤的衝撃」
中国に加えて香港でも大人気だった山口百恵主演のテレビドラマ「赤いシリーズ」。赤い疑惑→「赤的疑惑」に続いて、赤い衝撃は「赤的衝撃」。広東語の主題歌を歌ったのは、当時「香港の山口百恵」として売り出していた梅艶芳(アニタ・ムイ)ですが、81年に歌手オーディション番組で優勝しデビュー、低音が魅力だが「アラレちゃんの声の物まね」も得意、貧困家庭出身で影がある、曲ごとに派手な衣装やフリで80年代歌謡界のトップスターに…と、実態は限りなく「香港の中森明菜」。実生活でも近藤真彦と付き合って明菜と三角関係になったり、破局したら『難破船』の広東語カバー(sm23621397)を歌ったりしてました。ところでシブがき隊が『処女的衝撃』を歌ってましたが、タイトルは「赤的衝撃」を参考にした?
近藤真彦『夕焼けの歌』広東語版2…梅艷芳(アニタムイ)「夕陽之歌」
明菜とともに1980年代の香港で大人気だったマッチ。マッチの代表曲といえばギンギラギンあたりを連想しますが、中華圏ではアイドルとしての人気は過ぎた89年に出した『夕焼けの歌』。北京語、広東語、台湾語合わせて10種類(もっとあるかも)のカバーが誕生してます。最もヒットしたのは陳慧嫻(プリシラ・チャン)が歌った広東語の「千千闕歌(sm22741867)」で名曲としての評価も高く、「カラオケの締めの曲」として定着してますが、明菜とともにマッチの恋人だった梅艷芳(アニタ・ムイ)も「夕陽之歌」を出し、2003年にアニタが亡くなってから再評価されてるようです。映像は03年秋のアニタの最期のコンサート。ラストの曲がウエディングドレス姿での「夕陽之歌」ですが、それほどマッチに思い入れがあったようで。。。
中森明菜『駅』北京語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「冬眠的愛情」
『駅』って竹内まりやの歌かと思いますが、最初に歌ったのは明菜で、1986年発売のアルバムに収録。87年に竹内は『駅』をセルフカバーしますが、梅艶芳(アニタ・ムイ)はその前に広東語カバーの「装飾的眼涙(sm22797604)」を歌っているので、これは明菜のカバーということに。この頃、アニタと明菜は近藤真彦を巡って三角関係にありましたが、装飾的眼涙(飾りの涙)というタイトル自体、明菜の『飾りじゃないのよ涙は』に当てつけたつもりだったようですが、88年に『駅』の北京語版を歌った時はすでにマッチと破局した後だったので、当てつけのタイトルは変更して「冬眠的愛情」に。映像の字幕は青字が広東語版の「装飾的眼涙」で、白字が北京語版の「冬眠的愛情」です。
中森明菜『難破船』広東語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「無人願愛我」
81年に歌手オーディション番組で優勝。「香港の山口百恵」としてデビューし、一躍80年代を代表するトップシンガーになった梅艶芳(アニタ・ムイ)。ハスキーボイスが魅力ながら、実は「アラレちゃんの声の真似」が得意で、80年代後半は曲ごとに派手な衣装や振りで人気を集め…と、実態は限りなく「香港の中森明菜」でしたが、現実に恋人はマッチで、明菜と三角関係になり、『オールナイトフジ』のレギュラー出演を口実に、週末ごとに日本へ。しかし「明菜とは1年以内に別れる」という約束は守られず、破局した後に歌ったのは『難破船』のカバー「無人願愛我」。タイトルを訳せば「誰も私を愛してくれない」。♪なぜもとから私を愛してくれなかったの♪♪長い道のりを駆け抜けてきたけど、あなたの愛は得られなかった♪
山口百恵『曼珠莎華』広東語版1&2…「蔓珠莎華」と「淡淡的小野花」
中華圏で絶大な人気だった山口百恵。香港では82年に「香港の山口百恵」なるフレコミで梅艷芳(アニタ・ムイ)がデビューし、百恵の歌を相次いでカバー。『曼珠莎華』も85年に「蔓珠莎華」として広東語(sm22759498)と北京語(sm22759594)でカバーしましたが、それより先に79年に「淡淡的小野花」のタイトルでカバーしていたのが羅文(ロマン・タム)。そこで2人が2つのカバー曲を同時に歌ったというのがこの映像。ちなみにこれ、「ガールスカウト設立70周年」の記念イベントだそうですけど、ずいぶん艶めかしいステージですねw
杏里『オリビアを聴きながら』広東語版2…梅艷芳「幾多」
『オリビアを聴きながら』は1978年の杏里のデビュー曲ですが、なぜか10年以上経って香港で3つの広東語カバーが相次いで出現。89年の關淑怡(シャーリー・カーン)の「再会(sm23417451)」と、91年の梅艶芳(アニタ・ムイ)の「幾多」、94年の陳松齢(ナディア・チャン)の「花嫁的清晨」です。「香港の山口百恵」としてデビューし、派手な衣装やフリで実際には「香港の中森明菜」的に80年代にトップシンガーとなったアニタは、91年に歌手を引退して女優に専念すると宣言。この映像は91年の「さよならコンサート」のものですが、結局いつしか歌手に復帰していました。2003年に子宮頸癌を告知されると、改めて「さよならコンサート」を開き、それは本当にさよならになってしまいました。。。
近藤真彦『夢絆』広東語版…梅艷芳(アニタ・ムイ)「夢伴」
「香港の山口百恵」としてデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)。86年頃からマッチと付き合うようになり、香港で人気絶頂のトップスターなのに、毎週末は日本で『オールナイトフジ』にレギュラー出演して、司会の松本伊代の横でCM前に広東語で一言しゃべるという変な役をすることに。。。マッチに逢いに行ってたということでしょうけど、明菜との三角関係は1年足らずで破局して、『難破船』を広東語で歌う(sm22727454)ことに。その後のアニタはいろんな男と付き合っていましたが、2003年に子宮頸癌で余命は長くないと告げられると日本へ向かい、マッチの誕生パーティーに参加。そして香港でさよならコンサートを開き、12月に逝去と、実はマッチに一途な女性でした。マッチとの「二ヵ国語デュエット(sm22834544)」も。1985年
喜多郎『歓喜』広東語版…梅艷芳(アニタ・ムイ)「似水流年」
喜多郎の『歓喜』は音楽だけなので、日本語版や英語版はありません。でも広東語版は存在します。一体どういうことかと言うと、喜多郎は1984年に香港映画『似水流年』の音楽を担当しましたが、途中で香港側が「ついでに主題歌も作ってもらおう」と発想。しかし喜多郎にはスケジュール的に余裕はなく、香港側で喜多郎の制作した映画音楽を独自にアレンジして歌詞をつけることになり、出来上がった歌が「似水流年」で、梅艷芳(アニタ・ムイ)が歌ったところ大ヒット。一方で、喜多郎が作った映画音楽は『歓喜』というタイトルが付けられ、86年のアルバム『西方』に収録されてます。つまり作られたのは『歓喜』が先だったけど、発売されたのは広東語版の「似水流年」が先だったという次第。ちなみに映像はアニタ本人。
中森明菜『OH NO, OH YES!』北京語版1…梅艶芳「両個愛」
『OH NO, OH YES!』は中森明菜が1986年に出したアルバムの曲ですが、翌87年に梅艶芳(アニタ・ムイ)がタイトルそのまま「OH NO, OH YES!」で広東語カバー(sm23352295)、さらに88年に北京語でもカバーしたのが「兩個愛」。歌詞の内容はそれぞれ違っていて、原曲:不倫の恋に悩む女が男の待つホテルの前で躊躇し涙する→広東語版:浮気男に愛想を尽くした女が別れを決意→北京語版:三角関係に陥った女が自分の心の整理がつかずに悩む…という感じ。86~87年にかけては実生活でも明菜とアニタはマッチを巡って三角関係にあり、アニタによれば「マッチは明菜と1年以内に別れると言ってたのに別れなかった」ので、自分から別れたとか。。。この映像は台湾のテレビ番組のものですが、当時の香港スターには珍しくアニタの北京語はGood!
中森明菜『OH NO, OH YES!』広東語版…梅艶芳「OH NO, OH YES!」
「香港の山口百恵」でデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)。当初は百恵カバーを歌っていましたが、80年代半ばからは恋人だった近藤真彦をカバーするようになりました。マッチといえば明菜じゃないの?と思うでしょうが、アニタは恋敵・明菜に対抗意識を燃やして、「似火探戈(火のようなタンゴ)」を歌ったり、砂漠の女風衣装(sm22846568)をしてみたり。そして明菜のカバーも歌いましたが、「OH NO, OH YES!」はタイトルこそ同じですが、内容は原曲が不倫の恋に涙する女の歌なのに対し、アニタ版は浮気男に愛想を尽くす女の歌。これはマッチへの当てつけ?結局、マッチとは1年足らずで破局し、アニタは明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)して歌います。なお、この映像は台湾のテレビ番組で北京語版(sm23354024)を歌った時のもの。
近藤真彦『大将』北京語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「何必在意」
mvは広東語版の「愛将(sm23326469)」のもので、音声は北京語版「何必在意」。字幕は上が「愛将」で、下が「何必在意」の歌詞。「愛将」は♪世界中、戦火に満ちているけど、私の愛で戦争なんかやめなさい。軍隊なんてイヤになっちゃう!♪という反戦歌で、1986年に香港で大ヒットしましたが、当時の台湾は、共産匪賊(中国政府のこと)に占領された大陸を奪還すべく、戒厳令下で国民党の独裁政権の時代。♪軍隊なんてイヤになっちゃう!♪なんて歌は売り込めないので、北京語版の「何必在意」では♪クールなフリしてるけど、本当はあなたに抱かれたいのよ♪というフツーの歌になりましたw。同じ歌手が歌っても北京語版と広東語版でまったく違う歌詞になることは一般的ですが、政治的配慮というのはさすがに珍しいケース。
近藤真彦『大将』広東語版…梅艶芳(アニタ・ムイ)「愛将」
近藤真彦の『大将』は1985年の曲ですが、翌86年に香港で梅艶芳(アニタ・ムイ)が広東語でカバー。この頃マッチと言えば明菜のはずでしたが、マッチが香港のマスコミに語ったところによれば、アニタとも付き合っていたそうな。結局1年足らずで破綻して、アニタは『難破船』のカバー(sm22727454)を歌うことになりますが。。。さて、「愛将」の歌詞ですが、♪世界中、戦火に満ちているけど、私の愛で戦争なんかやめなさい。軍隊なんてイヤになっちゃう!♪という反戦歌。香港で大ヒットしましたが、5年後に歌っていたら世界的に話題になったかも。天安門事件に加えてソ連やユーゴの崩壊で、一気に戦火が広がってた頃ですからね。バックコーラスの3人組は、2年後に草蜢(グラスホッパー)としてデビュー(sm23178808)。
山口百恵『イミテイション・ゴールド』広東語版…梅艶芳「不必想我」
「香港の山口百恵」を自負して1982年にデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)。特徴的なハスキーボイスとビブラートがウリで、曲ごとに派手な衣装やフリで人気を集めるなど、実際には「香港の中森明菜」でしたが、86~87年にかけては近藤真彦を巡って明菜と三角関係になり、破局した後は『難破船』の広東語カバー(sm22727454)を歌っていました(哀)。さて、82年の初アルバムは半分が百恵の歌のカバーで、この曲も収録されていますが、アニタの声はなんかアニメ声みたい?実はこの頃、アニタは『Dr.スランプ』の広東語主題歌「IQ博士(sm24696464)」を歌って、注目され始めた時期。そういえば明菜も歌番組でよく披露していた得意芸は、「アラレちゃんの真似」でしたねぇ。。。で、歌の内容は「早く私のことなど忘れて」というもの。
坂本九『上を向いて歩こう』広東語版1…梅艶芳「願今宵一起酔死」
1960年代から無数の中国語カバーが出たSukiyakiこと『上を向いて歩こう』ですが、梅艶芳(アニタ・ムイ)が1989年8月に出した広東語カバーが「願今宵一起酔死」。今は他の人のものになっている女だけど、今宵はあなたと一緒に酔い潰れたい…という内容です。そういえば、アニタの恋敵だった中森明菜がマッチの家で自殺を図ったのは7月ですが、レコーディングはその前に終わってましたよね?この映像は95年のコンサートのものですが、アニタはだいぶ痩せてしまいました。ところで『上を向いて歩こう』の広東語カバーは、1977年に許冠英(リッキー・ホイ)が「你我人人知」のタイトルで歌っていました。♪嘆吓漢堡飽、你歓喜我楽意(ハンバーガーを味わって、キミが喜び、ボクも楽しい)♪という部分だけ覚えていますw
堀内孝雄『君のひとみは10000ボルト』広東語版…梅艶芳「発電一千VOLT」
『君のひとみは10000ボルト』はアリスの堀内孝雄が1978年にソロで発表したヒット曲ですが、梅艶芳(アニタ・ムイ)が84年にカバーした広東語版は「発電一千VOLT」。なぜ1万ボルトから1000ボルトに格下げされたのでしょう?中華世界では伝統的に、1万=大きな単位(万里の長城など)という概念がありますが、香港はイギリスの植民地統治下で、1000=大きな単位という西洋的な概念が入り込んでいたのかも…。なんて話はさておいて、この映像は当時香港のテレビで流れていたものですが、こんなにフラフラしていたらテレビを観ている人の目が回るのでは?棒を担いで雲に乗るアニタは孫悟空のイメージなのか知りませんが、どう見てもヤンキーで怖いです。。。
田原俊彦『ジャングルJungle』広東語版…梅艶芳「欲望野獣街」
1991年の曲。「香港の山口百恵」としてデビューし、80年代半ばに妖艶路線に転じた梅艶芳(アニタ・ムイ)のいわば総仕上げ。アニタはこの年に歌手をいったん引退して、女優に専念します。それまでマッチのカバーを多く歌っていましたが、気分一新でトシちゃんをカバー。「妖女(sm22846568)」のMVでもそうだったけど、アニタって蛇と戯れるのが趣味なのか?♪Jungle、Jungle、Jungle♪が繰り返された後、トシちゃんの原曲では「そうさ」の部分を、「欲望野獣街」では♪suicide♪(自殺)と歌い、さらに「シューサイ!」は広東語ではサッパリしたとかスッキリしたの意味にも取れます。そういえば近藤真彦を巡ってアニタの恋敵だった中森明菜は、89年に自殺未遂を起こして、この頃は一落千丈の状態でしたね。。。女ってコ・ワ・イ。
欧陽菲菲『ラヴ・イズ・オーヴァー』広東語版1…梅艶芳「逝去的愛」
83年から84年にかけて、欧陽菲菲が日本語と北京語で歌った『ラヴ・イズ・オーヴァー』=「逝去的愛」が大ヒットすると、香港では相次いで3つの広東語カバーが登場した。梅艶芳(アニタ・ムイ)の「逝去的愛」と、甄妮(ジェニー・ツェン)の「再度孤独」、葉麗儀(フランシス・イップ)の「情尽於此」だが、当時まだ新人だったアニタの「逝去的愛」がピカイチ。アニタの特徴的な低音やビブラートがよく生かされた曲で、本家・欧陽菲菲の北京語版sm22872617を凌ぐほど。しかし当時、香港ではある事件によって、一番売れたのは甄妮の「再度孤独」だったのでした。。。映像は86年のもの。
アン・ルイス『立ちっぱなしのBad Boy』広東語版…梅艶芳「妖女」
「香港の山口百恵」と言われた梅艶芳(アニタ・ムイ)。80年代半ばから曲ごとに異なる派手な衣装や振りで「百変梅艶芳」と称し、香港人の度肝を抜きました。例えば砂漠の女風やタンゴのドレスなど…。日本でも当時、そんな感じで君臨した「歌姫」がいましたが、実際マッチを挟んで三角関係にあったわけで、アニタは「アキナに絶対負けられない!」だったのでしょう。後にマッチと破局した後、明菜の『難破船』の広東語カバー「無人願愛我」を歌いますが、明菜が自殺未遂を起こすとトンでもない曲を歌うことに(sm22927658)。。。で、砂漠の女風?が86年の「妖女」ですが、近場の砂浜で撮ったMVはあまりにショボいし、ヘビやカニが出てきて不気味だし。『AL-MAUJ』『SAND BEIGE』を歌う明菜の艶めかしさのほうが芳しいです。
近藤真彦と梅艶芳(アニタ・ムイ)が『夢絆』を2ヵ国語でデュエット
1986年に香港の音楽祭にて。当時、マッチといえば明菜でしたが、86年から87年にかけて「香港の山口百恵」こと梅艶芳(アニタ・ムイ)とも付き合っていました。アニタによれば「音楽祭で対等のアーティストとして接してくれたことに感激した」のがきっかけとか。ということは、この音楽祭で?アニタはマッチの通訳もしています。アニタはその後、『装飾的眼涙(飾りの涙)sm22797604』『似火探戈(火のようなタンゴ)』と明菜に当てつけるかのような曲を出し、「オールナイトフジ」のレギュラーにもなって毎週末は日本へ!一方で明菜は涙を流して『難破船』を熱唱しますが、アニタもマッチと破局した後は『難破船』の広東語カバー『無人願愛我(誰も私を愛してくれない)sm22727454』を歌います。。。
中森明菜『駅』広東語版…梅艶芳(アニタ・ムイ)「装飾的眼涙」
『駅』って竹内まりやの歌かと思いますが、最初に歌ったのは明菜で、1986年発売のアルバムに収録。87年に竹内は『駅』をセルフカバーしますが、梅艶芳(アニタ・ムイ)はその前に「装飾的眼涙」を歌っているので、これは明菜のカバーということに。この頃、アニタと明菜は近藤真彦を巡って三角関係にありましたが、装飾的眼涙(飾りの涙)というタイトル自体、明菜の『飾りじゃないのよ涙は』に当てつけたつもりだった?またアニタは「似火探戈」(火のようなタンゴ)という、TANGO NOIRみたいな新曲も出して対抗していましたが(この衣装は「似火探戈」のもの)、間もなくマッチと破局。翌年は明菜の『難破船(sm22727454)』をカバーして歌います。ところが明菜が自殺未遂を起こすとトンでもない曲を歌うことに(sm22927658)。。。
山口百恵『曼珠沙華』北京語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「蔓珠沙華」
80年代の香港の女性トップアイドルで「香港の山口百恵」という触れ込みだった梅艶芳(アニタ・ムイ)の1985年の曲。TV局の歌手オーディション番組で優勝し、82年にデビュー。派手な衣装や振り、特徴的なハスキーボイスとビブラートで一躍トップスターに…と、これじゃなんだか「香港の中森明菜」みたいですが、実際に86年頃から近藤真彦と交際していて、破局した後は明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)して歌っていました(哀)。映像はシンガポールのテレビ番組で、アニタはもともと「蔓珠沙華(sm22759498)」の広東語版を歌ってましたが、シンガポールでは80年から広東語の放送使用が禁止されたため、北京語で歌ってます。この時期、香港の歌手が広東語ヒット曲の北京語版を相次いで出したのは、こんな理由もあるから。
山口百恵『曼珠沙華』広東語版1…梅艶芳(アニタ・ムイ)「蔓珠沙華」
85年のカバー曲。「曼珠沙華」の部分だけ日本語で歌っています(広東語だと「マンヂューサーワー」になる)。80年代の香港の女性トップアイドルで「香港の山口百恵」という触れ込みだった梅艶芳(アニタ・ムイ)。TV局の歌手オーディション番組で優勝し、82年にデビュー。83年の「赤的疑惑sm22758400」がヒットし、80年代半ばには派手な衣装や振り、特徴的なハスキーボイスとビブラートで一躍トップスターに…と、これじゃなんだか「香港の中森明菜」みたいですが、実際に86年頃から近藤真彦と交際していて、破局した後は明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)して歌っていました(哀)。2003年に子宮頸癌で亡くなっています。享年40歳。
山口百恵『ありがとうあなた』広東語版1…梅艶芳「赤的疑惑」
80年代の香港の女性トップアイドルで「香港の山口百恵」という触れ込みだった梅艶芳(アニタ・ムイ)。TV局の歌手オーディション番組で優勝し、82年にデビュー。83年の「赤的疑惑」がヒットし、80年代半ばには派手な衣装や振り、特徴的なハスキーボイスとビブラートで一躍トップスターに…と、これじゃなんだか「香港の中森明菜」みたいですが、実際に86年頃から近藤真彦と交際していて(sm22834544)、破局した後は明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)して歌っていました(哀)。2003年に子宮頸癌で亡くなっています。享年40歳。
山口百恵『ロックンロール・ウィドウ』広東語版…梅艶芳「冰山大火」
梅艶芳(アニタ・ムイ)は80年代を代表する香港の女性トップアイドルで、TV局の歌手オーデション番組で優勝し、82年にデビュー。山口百恵のカバーなどツッパリ系ソングを多く歌い、ハスキーボイスとビブラートが特徴的で、他の歌手を圧倒する派手な衣装や振りで人気を集めました・・・というと、なんだか中森明菜みたいですが、実際に86年頃には近藤真彦と交際していて(sm22834544)、破局した後は明菜の『難破船』をカバー(sm22727454)したり、明菜が自殺未遂を起こすと今度はトンでもない曲(sm22927658)を歌ったりもしました。アニタは2003年に子宮頸癌で亡くなっています。。。
中森明菜『難破船』広東語版…梅艶芳(アニタ・ムイ)「無人願愛我」
梅艶芳(アニタ・ムイ)は80年代を代表する香港の女性トップアイドルで、TV局の歌手オーデション番組で優勝し、82年にデビュー。山口百恵のカバーなどツッパリ系ソングを多く歌い、ハスキーボイスとビブラートが特徴的で、他の歌手を圧倒する派手な衣装や振りで人気を集めました・・・というと、なんだか中森明菜みたいですが、実際に86年頃には近藤真彦と交際していて(sm22834544)、破局した後、明菜の『難破船』をカバーして歌っていました(哀)。映像は映画の挿入歌として使われたもので、梅艶芳の歌声に鍾楚紅(チェリー・チェン)が口パクしてます。
アニタ・ムイ 「夕焼けの歌」
アニタムイは香港の「山口百恵」もしくは「美空ひばり」である。この動画はアニタの最期のコンサートのアンコール曲である。このコンサートを終えて、6週間後の2003年12月30日に天に召されてしまう。享年40歳。何故アニタがマッチ(近藤真彦)の「夕焼けの歌」をアンコール曲にしたのか?それは二人が一時期、恋愛関係にあったからだ。幸せな家庭を持つことが夢だったアニタ。それを果たせぬまま、余命いくばくもないことを悟ったアニタが、ウェディングドレスを着て別れた恋人のレパートリーを歌う。そのいじらしい女心に感動して、この動画をUPしました。アニタ・ムイ=梅艶芳。この名前が少しでも多くの人に知られるように…
是這樣的(「欲望の翼」主題歌) - 梅艷芳(アニタ・ムイ)
Youtubeから転載。
ウォン・カーウァイ監督の映画『欲望の翼(1990)』のエンディングに流れる曲です。
元の曲はXavier Cugat(ザビア・クガート)のJungle Drumsですが、アニタ・ムイのけだるげな歌声がセクシーで良いのです。
アニタ・ムイ This is My Trial. 梅艷芳 - 孤身走我路
アニタ・ムイは香港の「山口百恵」である。アニタは「this is My trial.」を自身のテーマソングにしていた。この動画はアニタの最期のコンサートのものである。このときアニタは癌の末期であり、コンサート後にほどなくして天に召されてしまう。彼女の告別式もこの歌がテーマソングであった。日本国内ではほとんど知名度のない山口百恵の歌がアジアの著名な大歌手のテーマソングになる。これこそ、山口百恵が偉大な「アジアの歌姫」であることを如実に示している。