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2021年の京都十六社朱印めぐり
2021年 新年あけまして おめでとうございます。
今年も「京都十六社朱印めぐり」が行われ、
本日につつがなく満了いたしました。
成功を寿ぎまして、動画といたしました。
世間の状況から、
各神社さんはディスタンスの対応でご苦労様でございます。
今年こそ 平穏無事な一年であることを願いたいものです。
シーイーの古都京都巡り030養源院
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「養源院」
です。
山号は「南叡山」
開山が「成伯」で戦国大名の浅井家に縁がある方で、
開基が「浅井茶々」となり、
まさに「浅井家の菩提寺」と言えるお寺です。
成伯が延暦寺の僧であったため、建立当時は天台宗のお寺でしたが、
昭和期に浄土真宗に改宗されてます。
大坂の陣の後は、徳川秀忠の正室である浅井江(徳川江/崇源院)が、
豊臣秀頼、姉の茶々および浅井家先祖の供養をすべく、
江戸幕府主体での法要が大々的に行われました。
まもなくに火事で焼失しますが、
江が秀忠に懇願して再建されました。
再建には解体された伏見城の廃材がリサイクルされて、
伏見城の戦いで戦死した、徳川方の将兵の血が多数付着しており、
主に天井板に使われている事から、「血天井」の異名があります。
この件は、
大河ドラマ「葵 ~徳川三代~」の第37回で、
秀忠と江の夫婦の会話に出てきております。
上述の通り徳川家の先祖に当たる事から、
葵の御紋の使用が許可されております。
シーイーの古都京都巡り012慈照寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回も前回に続き
「相国寺」の山外塔頭である」
「慈照寺」のピックアップ紹介です。
室町幕府八代将軍「足利義政」が建立するも、
観音殿(銀閣)の棟上げのタイミングで死去したので、
完成が見れてないんですよ。
京都の三大閣と呼ばれる楼閣になります。
・鹿苑寺(金閣)
・慈照寺(銀閣)
・新世界(通天閣);
・西本願寺(飛雲閣)
観音殿と東求堂が国宝になっているのと、
慈照寺の全体がユネスコ世界文化遺産となります。
シーイーの古都京都巡り 特別編 勝龍寺城
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は特別編で 第27回小倉神社の外伝で
「勝龍寺城」
です。
大河ドラマがいよいよクライマックス!
それを寿いで「お城」を主体での紹介です。
キーワードとしては・・・
明智光秀が最後に出陣を行ったお城です。
シーイーの古都京都巡り054六孫王神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「六孫王神社」
です。
2022年の一回目の動画になります。
清和天皇にも沢山の子供がいました。
そのうち六男に男の子が生まれた。
為に「六番目の皇子の系統の孫」から
「六孫王」のあだ名がついた。
最終的に臣籍降下となったので、「源氏」の姓を名乗りました。
彼のフルネームは「源経基」で
武家政権でキーとなる「源」の創設者となりました。
頼朝・義経の先祖であり、
足利家 今川家 新田家 といった源氏の元祖となるので、
当神社では「源氏発祥の地」となります。
シーイーの古都京都巡り011鹿苑寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は室町幕府三代将軍「足利義満」が建立した禅寺
「相国寺」の山外塔頭「鹿苑寺」
のピックアップ紹介です。
京都の三大閣と呼ばれる楼閣になります。
・鹿苑寺(金閣)
・慈照寺(銀閣)
・新世界(通天閣);
・西本願寺(飛雲閣)
金ぴかな舎利殿は、昭和末期に大修復されており、
日の当たる方角には、厚めの金箔が貼られています。
ユネスコ世界文化遺産ですが、国宝ではありません。
シーイーの古都京都巡り033錦天満宮・歓喜光寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「錦天満宮」と「歓喜光寺」
の同時紹介です。
神社と寺院ですが、
800年を超える期間ドッキングされていた二か所なんで、
合わせてます。
お寺は京都府八幡市にあった「歓喜光寺」と、
菅原家のお屋敷から改築された「歓喜光寺」が、
六条河原町にドッキング・移設建立 という形で移ってきて、
鎮守社として敷地内に天満宮が設けられました。
これが六条河原町歓喜光寺と錦天満宮の始まりです。
六条河原町ってのは、
菅原道真の上司だった「源融」のお屋敷があり、
道真の実父の師事で学問を学んだ融ゆえに、
道真とは兄弟弟子の様な間柄だったようです。
源融は嵯峨天皇の息子なので、公家としての待遇は最大限であり、
宇多天皇の政権では、左大臣を務めていた。
住居と身分から「河原左大臣」の愛称があり、
詩は百人一首に選定されてます。
陸奥の しのぶもぢずり 誰故に
亂れそめにし われならなくに
源融は部下&兄弟弟子である道真の非凡を見抜いていたので、
宇多天皇には「大臣候補」として推挙した一人との云われです。
シーイーの古都京都巡り021水火天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第六段
「スイカ水火天満宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その5。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・六玉稲荷
ほかいくつか
醍醐天皇は菅原道真を太宰府の責任者とする降格人事を実施。
太宰府で道真が亡くなると、京都では天変地異が続発。
大臣の藤原時平が急死したり、醍醐天皇の皇子が若くして亡くなったり、
挙句に、十和田湖で火山が大爆発し、日本国中に灰が降った。
禁裏でも民衆も「道真のタタリや~!えらいこっちゃ~!」と騒ぎ、
道真の鎮魂のムードが高まった。
そんな時に比叡山の僧正である「尊意」が、
「私の自宅で供養しましょう。」
言ってくれたので、
「水火の社」の社号と
「天満自在天神宮」の神号を用意して祀ったのが始まり。
つまり「道真=怨霊」の方程式が確立した処になります。
シーイーの古都京都巡り019文子天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第五段
「文子天満宮」
の紹介になります。
文月にちなんだ訳ではないですがね。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その3。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・相殿
・文子殿
これらは多治比文子が祀られている。
・稲荷社
他。
社号の通り、多治比文子がメインの神様になります。
文子の人物史としては、生没年不明。
道真に関する資料では「乳母で巫女」とあるも、
当社の由来からすると、「巫女」という感じです。
神社史と道真の歴史を突き合わせると、
文子は120才以上生きた人物となってしまいます。
そこで真相を推理。
動画内でシーイーの大胆な推測を披露。
※素人の生兵法です( ̄▽ ̄;)
シーイーの古都京都巡り037北野天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「北野天満宮」
です。
多治比文子さんが神託に従って建立した天神さん。
創建の工事の為に、わざわざ西ノ京へ引越ししてまでの大仕事。
その文子さんの新居も、後に「文子天満宮」となり、
現在は北野天満宮の境内摂社として、境内北側に鎮座。
室町末期では、豊臣秀吉の大茶会が行われたり、
豊臣秀頼が本殿をはじめ色々と修築しており、
その本殿が現在に至っております。
シーイーの古都京都巡り066安井金比羅宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「安井金比羅宮」
です。
今回からレギュラーのオープニングが、
八幡さんバージョンとなり、BGMも 協奏曲「八幡」 となります。
本編は相変わらずの 組曲「天神 第二楽章」です。
金比羅宮と言いながらも、実は寺院の歴史の方が長い処で、
かの中臣鎌足が建立した「藤寺」が始まり。
鎌足の藤好みが発揮され、境内のあちこちに藤があったそうですが、
応仁の乱などで、本殿前の藤棚だけとなってしまいました。
それを見た中大兄皇子(天智天皇)は、
鎌足が藤を好んでいると察したことで、
「藤原」の姓を与えたとの説が、近年出てきました。
明治になって神社となり、
昭和期に「安井金比羅宮」として神社庁に参加より、
本格的な神社となってます。
コラム2 京洛八社めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
前回に続きシーイーのコラムです。
いつになったら、本格的に撮影にいけるやら・・・
過去の写真を使っているので、
季節感がバラバラなのはご了承ください。
お題は「京洛八社めぐり」
前回に続きスタンプラリーものです。
年がら年中のいつでもスタートと完了ができます。
北から順番に
御霊神社
水火天満宮
白峯神宮
護王神社
菅原院天満宮
下御霊神社
菅大臣神社(菅大臣天満宮)
文子天満宮
カンのいいひとは、列挙だけで気がつきましょうが、
半分が菅原道真さんを祀っている天神さんで、
二か所が早良親王(崇道天皇)を祀っていて、
一か所が崇徳天皇を…
「怨霊フィーバーだぜ!」
とまでは言いませんが、
護王神社もあわせて、
政治的に追い詰められたことのある偉人が
祀られている神社ばっかりです。
シーイーの古都京都巡り035崇導神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「崇導神社」
です。
桓武天皇の実弟である「早良親王」を祀る神社。
上御霊神社 下御霊神社 藤森神社 などは
他の神様と一緒に本殿で並んで祀られてますが、
当社は早良親王を単体で祀っている唯一の神社です。
上御霊神社/下御霊神社と時期を同じく、
平安京遷都のタイミングで創建されてます。
大正時代に、小野妹子を祀る神社などが引越により、
境内に遷ってきました。
明確な歴史が数少ない神社だったりします。
シーイーの古都京都巡り018菅原院天満宮神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第四段
「菅原院天満宮神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その2。
主祭神:
・菅原道真
・菅原是善
・菅原清公
摂社/末社:
・梅王神社
ほかいくつか
菅原清公は、嵯峨天皇時代に天皇の側近となり、
唐の文化をきちんとしっかり伝えた事から、
親王(天皇の息子)の教育係(家庭教師)となったので、
内裏にほど近いこの地が与えられて住んでいました。
是善もここに住んで、同じく親王の教育係に。
道真もここで生まれたとの云われがあり、
産湯で使った井戸があります。
母親が産後の日立ちが悪かったようで、
吉祥院の祖母と乳母に預けられたと続きます。
室町時代では、
管領家の武衛(斯波)家の屋敷で、
越前(現在の福井県)
遠江(現在の静岡県西部)
尾張(現在の愛知県)
を治めていた一族。
応仁の乱では東西どっちにもつかず、中立だったようで、
その影響か、乱の被害が軽かったようです。
そのために足利義輝が京都に戻るにあたり、
住まいとして提供されて、
「二条城」ないし「二条御所」と呼ばれていました。
しかし、義輝が謀殺されると、
足利家の家臣「三淵藤英」・「細川藤孝」兄弟が、
義輝の実弟で、奈良の興福寺に出家していた覚慶をつれてきて、
還俗させました。
さらに織田信長が上洛により、将軍宣下が受けれた場所とのこと。
天神さまの三代でゆかりがある点から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、筆頭の第1番目となっております。
シーイーの古都京都巡り024護王神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回はCMがあります
「護王神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その8(ラストです。)
主祭神:
・和気清麻呂
・和気広虫(清麻呂の実姉)
摂社/末社:
・祖霊社
ほか
こおうじんじゃ または ごおうじんじゃ と読みます。
清麻呂は清らかな都市作りをした事から、孝明天皇は濁らない発音にした模様。
現在の読みから「ごおう」が一般的ですが、シーイーは「こおう」としています。
長岡京建都と平安京遷都のキーパーソンである
「和気清麻呂」を主祭神とする神社です。
猪に縁ある人物ゆえに、
狛猪がお出迎えし、手水舎では猪から水がでてきたりし、
あちこちに猪のオブジェがあったりします。
皇居の竹橋付近に彼の像があったり、
拾円紙幣の肖像が清麻呂で、当社舞殿が描かれていたりから
明治天皇は清麻呂を崇拝している感じですね。
最初は清麻呂だけでしたが、
大正天皇も影響を受けていたようで、
清麻呂の実姉である「広虫」を合祀。
近年、京都のローカルテレビ局(KBS京都)では
当社のCMが流れたりします。
(動画の途中で流れます。 CMはYouTubeの公式から)
昨年は亥年だったので、かなり賑わっておりました。
シーイーの古都京都巡り026西院春日神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
オープニングの背景がかわりました。
今回は
「京都春日神社」
です。
主祭神:
・春日権現
摂社/末社:
・稲荷社
ほか
元々は嵯峨上皇のお屋敷で、
淳和天皇が異母兄の嵯峨上皇に面会し、
引退を申し出たことで、淳和へ譲られました。
引越しとあわせてに、奈良春日大社の春日権現を勧請し、
屋敷内でお祀りされておりました。
淳和上皇が崩御の直後に正式な神社となったそうです。
「十六社朱印めぐり」と「西大路七福社めぐり」の対象神社です。
※後者の紹介予定はありません。
シーイーの古都京都巡り046墨染寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「墨染寺」
です。
平安時代の初期に建立の「貞観寺」というのが元祖らしいですが、
応仁の乱で消失しております。
復旧されたのが、豊臣秀吉の晩年の時であり、
秀吉の実姉の「とも」が出家し入った事から、
日蓮宗に改宗されたのと、豊臣家の菩提寺となっております。
独特のグラデーションカラーをもつ
「墨染の桜」
はこの寺院の名物であります。
挿入BGM
「幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~Border of Life~」
作曲 zun 様
シーイーの古都京都巡り052御香宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「御香宮」
発音は「ごこうぐう」でも「ごこうのみや」どちらでもOKとの事。
です。
創建時期は全く不明であるも、
平安時代の文献に名前が出てくることから、
奈良時代にはあったと思いますよ。
応仁の乱の被害があったと思われるものの、
これまた文献はありません。
羽柴秀吉が豊臣姓になる直前に、
天皇家などに声かけしたことで修復。
菊の御紋が入った。
秀吉が伏見城築城に際し、
城の鬼門封じで移動させたので「五七桐」が入った。
秀吉の没後に家康が元に戻したり、修復したので、
「葵の御紋」が入った…
現在も其々の紋所があります。
余談ですが、参道が大手筋商店街でもあるので、
商店街のCMでは、当社本殿で参拝しているシーンがあります。
(特に京都のCATV「みやびじょん」で流れるCMです。)
シーイーの古都京都巡り078菱妻神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「菱妻神社」
です。
前回および直近に紹介の神川神社 久我神社 羽束師神社 と同じく
長岡京の東側と、水害対策として、向神社(現 向日神社)から勧請により建立されるも…
建都中の長岡京の都を壊滅状態にした、葛川(現 桂川)の大洪水で跡形もなくなったらしいです。
前々回の「久我神社」の名前がそのままですが、
桓武天皇・村上天皇の血統である源氏の末裔「久我氏」が周辺を治めており、
久我家が先述の神社の礎石を流用で建立したそうです。
ちなみに女優の久我美子さんは、この久我家の末裔にあたるそうです。
シーイーの古都京都巡り027小倉神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「小倉神社」
です。
主祭神:
・タケミカヅチ
他
摂社/末社:
・若宮神社
・天満宮
ほか
この地には古墳があり、
718年にその古墳の社をリサイクルする形で
神社になったらしいです。
桓武天皇の「長岡京遷都」に伴い、
都の逆鬼門(鬼門封じ)の神社として大々的に増築されたようで、
平安京でも同じ方角から「平安京の鬼門封じ」としても活躍。
室町末期になると、
当社から東に1kmほどの「小泉川」を挟んで
羽柴秀吉 VS 明智光秀
「山崎の戦い」 もしくは 「天王山の戦い」
と呼ばれる合戦があり、
秀吉が戦勝祈願で代理人を参詣させた記録があります。
シーイーの古都京都巡り017菅大臣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第三段
「菅大臣神社」
の紹介になります。
今回から
「京洛八社集印めぐり」の対象神社の紹介になります。
平安京遷都のタイミングでは、
健都のベースキャンプだったそうで、
建築作業員が寝泊まりしたり、
建築資材を置いたり加工したりの場所だったそうです。
嵯峨天皇(桓武天皇の次男)時代に建都が落ち着くのですが、
その頃から役宅(役人の宿舎)に平行活用となったみたいです。
菅原道真も同様に、文章生(役人になる資格を取得してる人)時代に寝泊まりしたのと、
右大臣時代では、文章生の相談や指導を行っていたそうです。
そんな歴史から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第3番目となっております。
シーイーの古都京都巡り072田中神社(京都市伏見区横大路)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「田中神社(伏見区横大路)」
です。
実は神社として作られたのではなく、
天正年間の水害で流されてきた建物を、
近隣住民が神社に加工しちゃったという。
元来の建物は、平安末期の離宮のため、
内部に神殿があったかもしれないので、
一般民衆は神社と勘違いしたのかもですね。
シーイーの古都京都巡り044藤森神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「藤森神社」
です。
※主な写真は数年前の春先に撮ったものを使用。
伏見区に鎮座のこの神社は、記紀に記述の内容とリンクしている事から、
主祭神である舎人親王にかなり縁があります。
神功皇后が三韓征伐(朝鮮出兵)から凱旋で寄った。
戦争はもうしない決意と戦死者の供養のために
社の建立の意を示した事で創建されたそうです。
奈良末期になると早良親王が崇拝していたので、
合祀されております。
室町中期では、後花園天皇の勅命があって、
時の将軍足利義教が色々としております。
近年は京都十六社めぐりの対象神社となってます。
シーイーの古都京都巡り014平安神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平安神宮」
の紹介になります。
名前から平安時代に創建と勘違いされてる方がおられますが、
明治時代に創建された神社になります。
平安京遷都1100年という記念でもあり、
神社と合わせて、武道館や動物園も建設されました。
明治時代に創建ということで、国宝指定はなく、
重要文化財や登録有形文化財の建物になります。
シーイーの古都京都巡り008建勲神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
オープニングとエンディングを今回から一新してます。
今回は織田信長を主祭神としている
「建勲神社」
たていさお
と読みますが、地元では「けんくんさん」と呼ばれてます。
秀吉が建立許可を取っていたのに、
創建されたのが明治になってからという、
変に歴史がある神社です。
「信長公記」の原本や
「宗三左文字」の刀を所有しているのでも有名です。
オリジナルの朱印帳は「天下布武」と
上述の刀の模様のがあります。
シーイーの古都京都巡り087出雲大神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「出雲大神宮」
です。
丹波一宮という格式 かつ 元祖の「出雲神社」。
江戸時代の庶民に流行した「出雲参り」の目的地。
ここ数年の日本史研究では
「ヤマト政権の出雲討伐の場所」
とか
「国譲りの場所」
という説が出てきている場所になり、
神社周辺には古墳がいくつかあるほどです。
最寄りの駅からのアクセスはお世辞にも「便利」とは言えないので、
公共交通でお越しの際は、
JR山陰本線や路線バスの時刻にご注意を。
シーイーの古都京都巡り015長岡天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第一段
「長岡天満宮」
の紹介になります。
写真は、天満宮近くの総合病院に向かうにあたり、
通り道ついでで撮影したものになります。
コラムの第一回目で名前が出てきましたが、
平安時代中期に、菅原道真さんの幼馴染である
中小路宗則さんが、彼を祀る社殿を建てたのがはじまりです。
現在もその末裔の中小路さんが、
神社の管理をされております。
余談ですが、2020年5月現在の市長さんも、この苗字だったり。
そして、
「菅公聖跡二十五拝 5番目」
でもあります。
シーイーの古都京都巡り009相国寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は室町幕府三代将軍「足利義満」が建立した禅寺
「相国寺」
の紹介です。
「相国」というのが、太政大臣などの「大臣」を示す唐名で、
義満が「右大臣」の時に建立となったから、そうついたそうです。
第一位 天龍寺・・・義満の祖父である足利尊氏が建立。
第二位 ここ相国寺
第三位 建仁寺・・・鎌倉時代に臨済宗の開祖「栄西」が建立。
第四位 東福寺・・・鎌倉時代に公家の九条道家と、僧の円爾[えんに]により建立。
第五位 萬寿寺・・・平安末期に白河天皇(法王)が建立。現在は東福寺の塔中。
別格に南禅寺
の「京都五山の制度」の確定とするための目的もあった。
また、山外塔頭として
鹿苑寺(金閣)
慈照寺(銀閣)
新世界(通天閣);
が有名すぎますね。
※塔中の金閣寺と銀閣寺はユネスコ世界文化遺産なのに、
本体の相国寺はそうではなかったりする。
シーイーの古都京都巡り068梨木神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「梨木神社」
です。
幕末の人物でお好きなのは?
と聞かれたら、
坂本龍馬 や 西郷隆盛 大久保利通 伊藤博文…
などとは答えず
「三條実美さん」とシーイーは答えます。
その実美さんとその父である実万さんが祀られています。
明治時代に創建されて、実美さんは大正時代に合祀されていますので、
比較的に浅い歴史の神社です。
シーイーの古都京都巡り043善峯寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「善峯寺」
です。
※京都府に緊急事態宣言が出ている状態ですが、
幸にもシーイー宅のご近所ばっかりのタイミングでもあり。
愛車で30分以内の場所が続いています。
この寺院は平安時代に建立されてます。
室町時代にあった応仁の乱で大破しています。
その復旧は江戸幕府五代将軍の綱吉の時代になってから。
彼の実母(家光の側室)に縁がある寺院という点から、
幕府が主体で大修築されています。
※令和三年八月末時点で、いくつかの建物が修築中となってます。
また、同年八月中旬の大雨により、参道である公道でトラブルがあり、
久しく閉門の状態でした。
シーイーの古都京都巡り020白峯神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「白峯神宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その4。
主祭神:
・崇徳上皇
・淳仁上皇
摂社/末社:
・地主社[じしゅしゃ]
・潜龍社[せんりゅうしゃ]
・伴緒社[とものおしゃ]
明治天皇のお父さんである「孝明天皇」が、
幕府の政治不信による国内混乱を鎮静すべく、
幕府に「建立するよ」と声をかけたものの、
幕府がなかなか首を縦に振らす、
幕末になってやっと振ってくれた。
時すでに遅く、孝明天皇は崩御。
明治天皇が意志を継いで建立した神宮になります。
土地の問題から、飛鳥井家が屋敷を提供。
蹴鞠宗家の飛鳥井家が、屋敷で信仰・崇拝の精大明神を摂社として、
神宮の建立となりました。
明治天皇は白峯神宮の建立の成功に伴い、
平安神宮や明治神宮といった「神宮建立」に積極的になりました。
他にも京都では「護王神社」や「梨木神社」が建立、
全国では「靖国神社」を総本宮とする「護国社」建立のきっかけにもなりました。
本来の護国社は、
幕末の動乱や戊辰戦争などて落命した方々をお祀りしています。
いつしか諸外国との戦没者も合祀…
(ここでは説明を割愛…)
シーイーの古都京都巡り010松尾大社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は平安京で王城鎮護である神社
「松尾大社」
の紹介です。
まつのお たいしゃ と読みます。
四条通りの西端に位置する、
お酒の神を祀る神社なので、
全国の有名な銘柄のお酒が奉納されております。
(中身はカラの様ですがね…)