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シーイーの古都京都巡り004方広寺と豊国神社
2018年 あけましておめでとうございます。
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
かの豊臣秀吉が大仏を建立しましたが、
秀吉の居城の伏見城も大破する大地震で倒壊。
秀吉の没後に神社となり、豊臣政権の象徴でしたが、
江戸時代に一旦壊されてしまいます。
明治時代になって、明治天皇により
やっと再建されました。
※新日吉神宮を「再建」という表現にしておりますが、
豊国廟の建立で部分的に移築となっているので、
この表現としております。
シーイーの古都京都巡り016吉祥院天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第二段
「吉祥院天満宮」
の紹介になります。
写真は、緊急事態宣言の解除の後の、
好天な日に撮りました。
天台宗を創設した最澄
真言密教を提唱した空海
彼らと遣唐使として大陸に渡った
「菅原清公」とその父親である「土師古人」が、
長岡京遷都~平安京遷都の頃にこの地へやってきました。
一行の船は海難事故にあい、
一命をとりとめました。
その時に吉祥天のご加護があったので、
菅原家は吉祥天の信者となり、自宅で祀り、
清公の子「是善」
その子「道真」
彼らも吉祥天の信者でもありました。
その信仰となったお堂が発端らしいです。
道真生誕の地と推測される地の一つであり、
また19歳の頃まで住んでいた事から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第4番目となっております。
シーイーの古都京都巡り005南禅寺塔頭の金地院
2020年 あけましておめでとうございます。
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
人災や天災、シーイーの身内で不幸などにより、
約2年ぶりとなってしまいました。
今回は臨済宗南禅寺派の金地院の紹介です。
久能山東照宮 日光東照宮 と並ぶ「東照三社」である
「京都東照宮」があります。
無論「徳川家康公」が祀られています。
庭は小堀遠州が、襖絵などは狩野派や長谷川等伯が担当。
室町建築や桃山文化の集大成なり。
シーイーの古都京都巡り067満足稲荷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「満足稲荷神社」
です。
かの豊臣秀吉が、伏見城内に稲荷神社を祀ることにし、
朝鮮出兵の開始まもなくの時であり、
最初の調子がいいタイミングで建立したので、
満足稲荷
と命名したが…創建後から戦局が酷くなった。
秀吉の没後に発生した「伏見城の戦」では、
城内に移築されいた御香宮と同様に、相当な被害があった。
復興されたのが、徳川幕府が五代綱吉になってからで、
寺院の建立に際し、鎮守社で移設によります。
近年では、2021年に屋根の修復工事が行われております。
シーイーの古都京都巡り065火除天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「火除天満宮」
です。
織田信長が上洛したことで、
京都の町は平穏となっていたし、
足利義昭が追放されたのもあって、
さらに平穏となっているときに、
大宰府から道真の像が、避難してきたことが始まり。
信長・光秀が創建に関わっています。
シーイーの古都京都巡り061今宮神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「今宮神社」
です。
船岡山からすこし北に鎮座する、
元々は「疫社」があったらしく、それを平安初期に拡張されたとの事。
応仁の乱では、西軍の本陣が目の前ゆえに。大災害となってしまうも、
復興されたのが江戸時代になってから。
徳川家光の側室「おたま」がこの辺りの出身とか、
この神社の氏子だったとか他説があり、
結果的に五代将軍の生母となって、綱吉が修築してます。
※町娘のおたまが将軍の母となった事から、「玉の輿」の語源ともある。
シーイーの古都京都巡り049瀧尾神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「瀧尾神社」
です。
唯一無二の氏子が「大丸百貨店」という神社です。
応仁の乱とか豊臣秀吉の大仏建立とか…
引越しが続いた神社になります。
シーイーの古都京都巡り082飛鳥田神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「飛鳥田神社」
です。
横大路に鎮座なので、数回前に紹介の「横大路田中神社」からすぐだったりします。
西暦653年に創建ということで、
京都市内でもトップクラスの古さになります。
桂川の真横なので、水害被害はそれなりにあったと思われますが、
これと言った被害記録や、水害が元での修築などの情報は乏しく、
具体的な事は謎の状態です。
あとがき
紹介にあたり、極力直近の写真にしようと7/29か7/30に撮影を予定していましたが、
去る7/28に身内の不幸により黒不浄となりて参拝できなくなり、
2016年に撮影したものを使用しています。
シーイーの古都京都巡り053熊野若王子神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「熊野若王子神社」
です。
2021年の最後の動画になります。
後白河天皇の熊野好きが最高潮のタイミングで、
新熊野神社と合わせて京都に建立された、本家熊野からの勧請。
白河天皇が建立の聖護社(熊野社)と合わせると
「京都熊野三山」なるように設定されました。
本家熊野とあわせるように本宮、新宮、那智、若宮があったが、
明治期の大修築で、3つの殿が連続した造りで、
全てがその殿に集約される形となり現在に至ってます。
シーイーの古都京都巡り038平野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平野神社」
です。
北野天満宮からするとすぐ北隣にあります。
最初は平城京の宮中に作られた神社だそうで、
平安京遷都に伴って、現在の場所に来たそうです。
最初はかなり大きな敷地だったらしく、
現在の鹿苑寺付近から、白梅町付近までが、境内だったそうですが、
天災・人災の毎に小さくなっていったようです。
※なんとかデータ復旧ができました。
諭吉さん21人という被害でしたが…
無事に動画が創れました。
シーイーの古都京都巡り074羽束師神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「羽束師神社」
です。
西暦477年に創建といわれるも、ごく地方神社だったが、
長岡京遷都により都の東側を鎮護するお役目が与えられたことで、
格式が上がったといわれており、延喜式では「大社」扱いとなっており、
乙訓地区の筆頭神社となってます。
シーイーの古都京都巡り060京都熊野神社 衣笠分社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「京都熊野神社 衣笠分社」
です。
衣笠地区に鎮座する創建は明治維新後の近代で、
等持院と平野神社のちょうど真ん中くらいにあります。
孝明・明治・大正天皇の専属医師の福井さんが、
京都熊野神社から勧請で、自宅に建立しちゃったのがはじまり。
衣笠地区では新しい神社なので、
ついでで「衣笠」の由来も紹介しています。
シーイーの古都京都巡り059大将軍八神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「大将軍八神社」
です。
平安京の四方八方を守護の目的で建立された建物になります。
※東西南北は神式で、北東 北西 南西 南東の斜めの方角は仏式の建物だったようです。
その北西が当社だったとの事です。
奈良の都は仏教が主体で、方位も仏式で守られておりました。
例外的に平安京にも用いられたと推察されます。
シーイーの古都京都巡り070田中神社(京都市左京区元田中)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「田中神社(左京区元田中)」
です。
創建時期については、神社史や各文献がばらばらなので、
どれが正しいのか全く不明になります。
北の洛外に鎮座し、比叡山から御所へ向かう道の道中でもあることから、
僧兵の一団がよく暴れた場所でもあることや、
応仁の乱で甚大な被害だった場所でもあるので、
幾度と潰れているそうですが、
鴨御祖神社(下賀茂神社)の遷宮で中古の社殿がやってくることから、
再建が定期的に行われているとい状況から、
比較的楽に再建されているし、鴨社の御紋があちこちにあります。
明治3年の「苗字制度」が発令の時は、
周辺の住民かつ氏子の方々が「田中」の姓を選んだことから、
「田中姓の発祥の神社」
とも言われております。
シーイーの古都京都巡り069車折神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「車折神社」
です。
※今回の動画は6年前に撮影した写真を使用しています。
平安末期の清原頼業という学者を祀っています。
彼が祀られるようになった切っ掛けがユニークで、
後鳥羽天皇が彼の屋敷だった所を牛車で通ったら、
急に牛車が動かなくなった、ないし、牛車が破損したので、
休憩がてら参詣したところ動くようになった…
という伝承があり、
これにより拡張されたらしいです。
現在は本殿よりも、末社の「芸能神社」の方が、とてつもなく人気で、
近くに撮影施設があることから、
ドラマのヒット祈願や、芸能人が祈願で玉垣を納めに来られます。
中には声優さんやお笑い芸人さんも。
境内のあちこちの玉垣に、色々なジャンルの芸能人の名前をみかけます。
本来は、歌舞音曲などの「芸事」の事なんですがね…
「芸能神社」という名前から、芸能人さんが来られているようです。
シーイーの古都京都巡り071木嶋坐天照御魂神社(木嶋神社 / 蚕ノ社)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「木嶋坐天照御魂神社」
です。
地元でも本名で呼ぶ人はいないそうです。
愛称の「蚕ノ社」が駅名にあるほどで、
この表記・発音が超メジャーの神社です。
※シーイーは「きじまさん」と呼んでます。
諸説ある中で、飛鳥時代創建が有力で、
推古天皇と聖徳太子関わってるようですが…
広隆寺の建立と同じ頃と云われるも、
広隆寺は聖徳太子の供養で建立説が根強いので、
判断が難しいところです。
当時は松尾大社と同じく、秦さんの領地であり、
養蚕のテクニックを広め、実践した場所でもあり、
当地で作られたシルクは上質で、朝廷への献上品の一つだったとの事。
パワースポット(大本教の聖地)
大本HPhttp://www.oomoto.or.jp/Japanese/index-j.html
シーイーの古都京都巡り025京都熊野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「京都熊野神社」
です。
主祭神:
・イザナギ
・イザナミ
他
摂社/末社:
・金刀比羅大神社
・春日大神社
ほか
修験者が紀伊熊野に参詣のおり、
この地に勧請したとされる神社です。
現在の京都大学の医学部やその病院がスッポリ入るサイズの土地が
足利義満より寄進されております。
応仁の乱では、その広さから大破。
秀吉の区画整理では、鴨川の東側(洛外)から修築の対象外に。
江戸時代にやっと修築されました。
しかし義満時代の元のサイズからかなり小さくなりました。
街道(鯖街道と推定)のすぐ近くという立地から、
茶店「八ツ橋」が大繁盛。
茶店の主がなにかと寄進したことから、「八ツ橋発祥の地」となってます。
また「十六社朱印めぐり」の対象神社でもあります。
シーイーの古都京都巡り045市比賣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「市比賣神社」
です。
平安京が作られている最中、
都のフリーマーケットエリアが作られて、
そこに商売の神を祀る神社が創建されたのがはじまり。
近年は京都十六社めぐりの対象神社となってます。
シーイーの古都京都巡り056晴明神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「晴明神社」
です。
平安時代では、事の吉凶を占う専門の役職(部署)があり、
その人たちは「陰陽師」とよばれてました。
中でも「安倍晴明」はその道に長けており、
時の天皇をはじめ、大臣などは挙って彼の占いを信じました。
そんな彼は1005年(寛弘2年)に天寿を全うしており、
神格化されて、
彼の屋敷が1007年(寛弘4年)に神社に大改造された処になります。
シーイーの古都京都巡り073高瀬神社(大阪府守口市)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「高瀬神社(大阪府守口市)」
です。
奈良時代にかの行基が作った「橋」を管理する寺院として建立。
長岡京時代に桓武天皇は、実弟の供養に社殿を作ったという点から、
桓武天皇が寺院嫌いだったとも言われており、
桓武天皇の手で神社となったらしいですが、
事の真意はミステリーな施設です。
シーイーの古都京都巡り050涼森神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「涼森神社」(すずしのもり じんじゃ)
です。
創建は、なんと仁徳天皇の時代という、
京都でも指折りな歴史が長い神社になりますが…
無名すぎる神社でもあります。
例えば、この11月なのに七五三で来られてる家族が居ない…
とか…
元々は巨椋池の西端で、水の出口が木津川へと流出する場所で、
仁徳天皇の時代では、小島が沢山あったらしいです。
その場所に水害を封じる神社として建立されたそうです。
室町時代になると、お城が築かれて「美豆(みず)城」とよばれていました。
神社やお寺が城郭となっているのは、よくあるお話ですよね。
ここもそんな歴史があった神社になります。
シーイーの古都京都巡り047飛行神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「飛行神社」
です。
明治から昭和にかけて、飛行技術の革新を行った、
二宮忠八さんが、私財と研究施設を投入して、
神社と大改築された場所になり、
しかも初代宮司も二宮忠八さんという、
近代稀な神社になります。
航空技術に関わっていたことから、
航空関係の会社や開発や、乗務員、
宇宙技術に関する会社・団体・技術員などから
かなりの崇拝があります。
特に人工衛星打ち上げが近いと、
その関係者の方々がお参りに来られるのも有名。
京阪 石清水八幡宮駅(旧 八幡市駅)から徒歩数分なので、
石清水八幡宮の参詣と合わせての参拝をお勧めします。
ちなみに、ピカピカした鳥居なので目立ってます。
シーイーの古都京都巡り029北白川天神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「北白川天神宮」
です。
主祭神:
・スクナヒコナノミコト(少彦名命)
摂社/末社:
・日吉大神
・春日大神
・八幡大神
ほか
創建については、まったく文献がなく未解明な神社です。
足利義政の慈照寺(銀閣寺)建立に関する資料には記載があるので、
その文献と、ある程度見えている神社史からの紹介です。
そんな神社を紹介に至った訳は・・・
シーイーの古都京都巡り051敷地神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「敷地神社」が正式名称ですが、この愛称の方が有名な
「わら天神宮」
です。
創建時期は全く不明ながら、
足利家はこの神社の熱烈な信者になります。
元々は衣笠村にあったそうですが、
現在の左大文字山からさらに奥とか、
鷹峯のさらに奥とか、
高雄からさらに奥とか、
最初の鎮座についても全く不明だったりします。
応永4年
鹿苑寺の舎利殿で棟上げが実施されてますが、
その頃に足利義満がこの地に引越しさせてます。
シーイーの古都京都巡り031向日神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「向日神社」
です。
主祭神:
・向日神
・火雷神
・玉依姫命
・神武天皇
平安京の直前の都「長岡京」において、
内裏のすぐ西にある神社になり、
おそらく大将軍神社の役目だったと、シーイーの推察。
室町末期に本殿が大修築され、現在に残っている事から、
昭和初期の明治神宮再建では、参考建造物としてコピー元とされました。
長岡京の大極殿跡から徒歩数分なので、
向日市にお越しの際は、辛もの商店街と合わせてどうぞ!
阪急電鉄 西向日駅から歩いて5分位で正面の入り口に着きます。
シーイーの古都京都巡り036霊光殿天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「霊光殿天満宮」
です。
道真さんから数えて6代となる末裔の方が、
現在の東大阪市の若江に建立した天満宮が、
平安京に遷ってきました。
元寇・応仁の乱と波乱に満ちてますが、
徳川家康が関与したことで、
江戸時代では特別な扱いとなってます。
大霊能者!出口王仁三郎とは
大本HPhttp://www.oomoto.or.jp/Japanese/index-j.html
シーイーの古都京都巡り007本能寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
本応寺(本能寺) その2
本能寺の歴史のうち「本能寺の変」からを紹介。
三文芝居が最初にあるのはお愛嬌で(汗)
明智光秀が本能寺を急襲し、
本能寺がまた焼け落ちました。
そして
天下人となった秀吉の京都再建政策により、
寺町で最大の規模の敷地で、賑々しく伽藍を建立。
信長の廟所のほかに、
嫡男の信忠、京都所司代の村井貞勝、
森蘭丸や毛利新介といった変で討死した面々の
供養塔もあります。