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シーイーの古都京都巡り022上御霊神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回から中古ながら新調したカメラでの写真で、
若干比率が異なってます。
今回はちょっと長めでの
「上御霊神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その6
「京都十六社朱印めぐり」の対象神社でもあります。
主祭神:
・早良親王
・吉備真備
・橘逸勢
他5柱
摂社/末社:
・福寿稲荷
ほか多数
桓武天皇は平城京からの遷都を決心しました。
遷都のプロジェクトとして、
藤原種継と実弟の早良親王をプロジェクトのトップとして、
山城国乙訓の長岡村に派遣しました。
「立地はよい」との判断により場所が決定し、
さっさと内裏の建築が始まりました。
突貫工事もあいまって、半年後には内裏の外郭と大極殿が完成。
桓武天皇はさっさと居を移して「遷都」となりました。(長岡京遷都)
そんなある日、
現場状況の確認でぶらぶらしていた種継に、
流れ矢が命中!即死してしまいました。
犯人はヤス「大伴家持」と裁定され、
事件の前に没していたことから官位剥奪、親類が悉く逮捕。
早良親王も関与との讒言があり、
実弟の早良親王を幽閉・流罪に。
早良親王は無実を訴え続け断食するも、まもなく死去。
まもなくに河川氾濫と疫病発生となり、皇后と実母が病没。
「早良親王のタタリである!」
とされて建都が中断。
現場の責任者の「和気清麻呂」は、
新天地でのやり直しを進言、桓武天皇も承諾。
建都・遷都に先立って、
早良親王に「崇道天皇」の地位を与えて神号とし、
八瀬に「崇道神社」
新都の北東(鬼門)に「上御霊神社」と「下御霊神社」を建立
これがこの神社の成り立ちです。
室町期には、畠山家の家督相続の衝突で、畠山政長が陣を置いて、
そこに畠山義就が突っ込んできて合戦に。
「上御霊神社の戦い」と呼ばれる、応仁の乱の前哨戦となりました。
そこから「応仁の乱 勃発の地」とされている神社です。
江戸末期には、
天皇家で皇女が誕生すると、胞衣が奉納される神社となりました。
こんな神社です。
シーイーの古都京都巡り016吉祥院天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第二段
「吉祥院天満宮」
の紹介になります。
写真は、緊急事態宣言の解除の後の、
好天な日に撮りました。
天台宗を創設した最澄
真言密教を提唱した空海
彼らと遣唐使として大陸に渡った
「菅原清公」とその父親である「土師古人」が、
長岡京遷都~平安京遷都の頃にこの地へやってきました。
一行の船は海難事故にあい、
一命をとりとめました。
その時に吉祥天のご加護があったので、
菅原家は吉祥天の信者となり、自宅で祀り、
清公の子「是善」
その子「道真」
彼らも吉祥天の信者でもありました。
その信仰となったお堂が発端らしいです。
道真生誕の地と推測される地の一つであり、
また19歳の頃まで住んでいた事から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第4番目となっております。
シーイーの古都京都巡り037北野天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「北野天満宮」
です。
多治比文子さんが神託に従って建立した天神さん。
創建の工事の為に、わざわざ西ノ京へ引越ししてまでの大仕事。
その文子さんの新居も、後に「文子天満宮」となり、
現在は北野天満宮の境内摂社として、境内北側に鎮座。
室町末期では、豊臣秀吉の大茶会が行われたり、
豊臣秀頼が本殿をはじめ色々と修築しており、
その本殿が現在に至っております。
シーイーの古都京都巡り033錦天満宮・歓喜光寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「錦天満宮」と「歓喜光寺」
の同時紹介です。
神社と寺院ですが、
800年を超える期間ドッキングされていた二か所なんで、
合わせてます。
お寺は京都府八幡市にあった「歓喜光寺」と、
菅原家のお屋敷から改築された「歓喜光寺」が、
六条河原町にドッキング・移設建立 という形で移ってきて、
鎮守社として敷地内に天満宮が設けられました。
これが六条河原町歓喜光寺と錦天満宮の始まりです。
六条河原町ってのは、
菅原道真の上司だった「源融」のお屋敷があり、
道真の実父の師事で学問を学んだ融ゆえに、
道真とは兄弟弟子の様な間柄だったようです。
源融は嵯峨天皇の息子なので、公家としての待遇は最大限であり、
宇多天皇の政権では、左大臣を務めていた。
住居と身分から「河原左大臣」の愛称があり、
詩は百人一首に選定されてます。
陸奥の しのぶもぢずり 誰故に
亂れそめにし われならなくに
源融は部下&兄弟弟子である道真の非凡を見抜いていたので、
宇多天皇には「大臣候補」として推挙した一人との云われです。
シーイーの古都京都巡り007本能寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
本応寺(本能寺) その2
本能寺の歴史のうち「本能寺の変」からを紹介。
三文芝居が最初にあるのはお愛嬌で(汗)
明智光秀が本能寺を急襲し、
本能寺がまた焼け落ちました。
そして
天下人となった秀吉の京都再建政策により、
寺町で最大の規模の敷地で、賑々しく伽藍を建立。
信長の廟所のほかに、
嫡男の信忠、京都所司代の村井貞勝、
森蘭丸や毛利新介といった変で討死した面々の
供養塔もあります。
シーイーの古都京都巡り038平野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平野神社」
です。
北野天満宮からするとすぐ北隣にあります。
最初は平城京の宮中に作られた神社だそうで、
平安京遷都に伴って、現在の場所に来たそうです。
最初はかなり大きな敷地だったらしく、
現在の鹿苑寺付近から、白梅町付近までが、境内だったそうですが、
天災・人災の毎に小さくなっていったようです。
※なんとかデータ復旧ができました。
諭吉さん21人という被害でしたが…
無事に動画が創れました。
シーイーの古都京都巡り011鹿苑寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は室町幕府三代将軍「足利義満」が建立した禅寺
「相国寺」の山外塔頭「鹿苑寺」
のピックアップ紹介です。
京都の三大閣と呼ばれる楼閣になります。
・鹿苑寺(金閣)
・慈照寺(銀閣)
・新世界(通天閣);
・西本願寺(飛雲閣)
金ぴかな舎利殿は、昭和末期に大修復されており、
日の当たる方角には、厚めの金箔が貼られています。
ユネスコ世界文化遺産ですが、国宝ではありません。
シーイーの古都京都巡り068梨木神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「梨木神社」
です。
幕末の人物でお好きなのは?
と聞かれたら、
坂本龍馬 や 西郷隆盛 大久保利通 伊藤博文…
などとは答えず
「三條実美さん」とシーイーは答えます。
その実美さんとその父である実万さんが祀られています。
明治時代に創建されて、実美さんは大正時代に合祀されていますので、
比較的に浅い歴史の神社です。
シーイーの古都京都巡り012慈照寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回も前回に続き
「相国寺」の山外塔頭である」
「慈照寺」のピックアップ紹介です。
室町幕府八代将軍「足利義政」が建立するも、
観音殿(銀閣)の棟上げのタイミングで死去したので、
完成が見れてないんですよ。
京都の三大閣と呼ばれる楼閣になります。
・鹿苑寺(金閣)
・慈照寺(銀閣)
・新世界(通天閣);
・西本願寺(飛雲閣)
観音殿と東求堂が国宝になっているのと、
慈照寺の全体がユネスコ世界文化遺産となります。
シーイーの古都京都巡り071木嶋坐天照御魂神社(木嶋神社 / 蚕ノ社)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「木嶋坐天照御魂神社」
です。
地元でも本名で呼ぶ人はいないそうです。
愛称の「蚕ノ社」が駅名にあるほどで、
この表記・発音が超メジャーの神社です。
※シーイーは「きじまさん」と呼んでます。
諸説ある中で、飛鳥時代創建が有力で、
推古天皇と聖徳太子関わってるようですが…
広隆寺の建立と同じ頃と云われるも、
広隆寺は聖徳太子の供養で建立説が根強いので、
判断が難しいところです。
当時は松尾大社と同じく、秦さんの領地であり、
養蚕のテクニックを広め、実践した場所でもあり、
当地で作られたシルクは上質で、朝廷への献上品の一つだったとの事。
シーイーの古都京都巡り024護王神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回はCMがあります
「護王神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その8(ラストです。)
主祭神:
・和気清麻呂
・和気広虫(清麻呂の実姉)
摂社/末社:
・祖霊社
ほか
こおうじんじゃ または ごおうじんじゃ と読みます。
清麻呂は清らかな都市作りをした事から、孝明天皇は濁らない発音にした模様。
現在の読みから「ごおう」が一般的ですが、シーイーは「こおう」としています。
長岡京建都と平安京遷都のキーパーソンである
「和気清麻呂」を主祭神とする神社です。
猪に縁ある人物ゆえに、
狛猪がお出迎えし、手水舎では猪から水がでてきたりし、
あちこちに猪のオブジェがあったりします。
皇居の竹橋付近に彼の像があったり、
拾円紙幣の肖像が清麻呂で、当社舞殿が描かれていたりから
明治天皇は清麻呂を崇拝している感じですね。
最初は清麻呂だけでしたが、
大正天皇も影響を受けていたようで、
清麻呂の実姉である「広虫」を合祀。
近年、京都のローカルテレビ局(KBS京都)では
当社のCMが流れたりします。
(動画の途中で流れます。 CMはYouTubeの公式から)
昨年は亥年だったので、かなり賑わっておりました。
シーイーの古都京都巡り018菅原院天満宮神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第四段
「菅原院天満宮神社」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その2。
主祭神:
・菅原道真
・菅原是善
・菅原清公
摂社/末社:
・梅王神社
ほかいくつか
菅原清公は、嵯峨天皇時代に天皇の側近となり、
唐の文化をきちんとしっかり伝えた事から、
親王(天皇の息子)の教育係(家庭教師)となったので、
内裏にほど近いこの地が与えられて住んでいました。
是善もここに住んで、同じく親王の教育係に。
道真もここで生まれたとの云われがあり、
産湯で使った井戸があります。
母親が産後の日立ちが悪かったようで、
吉祥院の祖母と乳母に預けられたと続きます。
室町時代では、
管領家の武衛(斯波)家の屋敷で、
越前(現在の福井県)
遠江(現在の静岡県西部)
尾張(現在の愛知県)
を治めていた一族。
応仁の乱では東西どっちにもつかず、中立だったようで、
その影響か、乱の被害が軽かったようです。
そのために足利義輝が京都に戻るにあたり、
住まいとして提供されて、
「二条城」ないし「二条御所」と呼ばれていました。
しかし、義輝が謀殺されると、
足利家の家臣「三淵藤英」・「細川藤孝」兄弟が、
義輝の実弟で、奈良の興福寺に出家していた覚慶をつれてきて、
還俗させました。
さらに織田信長が上洛により、将軍宣下が受けれた場所とのこと。
天神さまの三代でゆかりがある点から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、筆頭の第1番目となっております。
シーイーの古都京都巡り006元本能寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
明智光秀が大河ドラマで主人公となり
第一回目の放送記念投稿。
本応寺(本能寺) その1
本能寺の歴史のうち「本能寺の変」までを紹介。
法華宗本門流のお寺の大本山で、
開山は日蓮宗の僧「日隆」によります。
破却されたり、焼かれたり、応仁の乱で潰されて…
ある意味 京都の歴史を知るお寺。
シーイーの古都京都巡り067満足稲荷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「満足稲荷神社」
です。
かの豊臣秀吉が、伏見城内に稲荷神社を祀ることにし、
朝鮮出兵の開始まもなくの時であり、
最初の調子がいいタイミングで建立したので、
満足稲荷
と命名したが…創建後から戦局が酷くなった。
秀吉の没後に発生した「伏見城の戦」では、
城内に移築されいた御香宮と同様に、相当な被害があった。
復興されたのが、徳川幕府が五代綱吉になってからで、
寺院の建立に際し、鎮守社で移設によります。
近年では、2021年に屋根の修復工事が行われております。
シーイーの古都京都巡り026西院春日神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
オープニングの背景がかわりました。
今回は
「京都春日神社」
です。
主祭神:
・春日権現
摂社/末社:
・稲荷社
ほか
元々は嵯峨上皇のお屋敷で、
淳和天皇が異母兄の嵯峨上皇に面会し、
引退を申し出たことで、淳和へ譲られました。
引越しとあわせてに、奈良春日大社の春日権現を勧請し、
屋敷内でお祀りされておりました。
淳和上皇が崩御の直後に正式な神社となったそうです。
「十六社朱印めぐり」と「西大路七福社めぐり」の対象神社です。
※後者の紹介予定はありません。
シーイーの古都京都巡り019文子天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第五段
「文子天満宮」
の紹介になります。
文月にちなんだ訳ではないですがね。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その3。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・相殿
・文子殿
これらは多治比文子が祀られている。
・稲荷社
他。
社号の通り、多治比文子がメインの神様になります。
文子の人物史としては、生没年不明。
道真に関する資料では「乳母で巫女」とあるも、
当社の由来からすると、「巫女」という感じです。
神社史と道真の歴史を突き合わせると、
文子は120才以上生きた人物となってしまいます。
そこで真相を推理。
動画内でシーイーの大胆な推測を披露。
※素人の生兵法です( ̄▽ ̄;)
シーイーの古都京都巡り064御金神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「御金神社」
です。
はじめに…
日中は人がゴッタガイしている神社だったりするので、
仕事が終わったタイミングで撮影したものの…
手振れがひどくて…( ̄▽ ̄;)
息を止めて撮影して成功した写真を使ってます。
事務所から徒歩圏内の場所で助かりましたw
元々この神社は一般人のお家にあった社だったが、
近隣住民からの嘆願により一般の神社にグレードアップした処。
歴史的な見解としては、
平安時代では陶器などの生産地区で、
江戸時代になると金座・銀座(現在の造幣局に相当)があった辺りで、
そういった職人さんの町でもあった。
ために金属の神である「カナヤマヒコ」が祀る社があるのは、
容易に想像ができます。
シーイーの古都京都巡り039,040本願寺と真宗本廟
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「(京都)本願寺」と「真宗本廟」
です。
今回は多層建てで紹介します。
前者は「西本願寺」 後者は「東本願寺」
とガイドブックには載ってます。
戦国時代に各地で起こった「一向一揆」の最高総司令官である
本願寺の「浄土真宗本願寺派第11世宗主」光佐(顕如)は、
公家の三条家から妻を迎え、甲斐の武田信玄と義兄弟となり、
長男の光寿(教如) 三男の光昭(准如) 他を授かった。
その長男が東本願寺 三男が西本願寺の初代住職となります。
シーイーの先祖は、伊勢長島一向一揆の関係者だったとかで、
400年遡ると、密接な関係があるお寺となる為に、
説明の内容はオブラートに包んだつもりです。
シーイーの古都京都巡り036霊光殿天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「霊光殿天満宮」
です。
道真さんから数えて6代となる末裔の方が、
現在の東大阪市の若江に建立した天満宮が、
平安京に遷ってきました。
元寇・応仁の乱と波乱に満ちてますが、
徳川家康が関与したことで、
江戸時代では特別な扱いとなってます。
コラム2 京洛八社めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
前回に続きシーイーのコラムです。
いつになったら、本格的に撮影にいけるやら・・・
過去の写真を使っているので、
季節感がバラバラなのはご了承ください。
お題は「京洛八社めぐり」
前回に続きスタンプラリーものです。
年がら年中のいつでもスタートと完了ができます。
北から順番に
御霊神社
水火天満宮
白峯神宮
護王神社
菅原院天満宮
下御霊神社
菅大臣神社(菅大臣天満宮)
文子天満宮
カンのいいひとは、列挙だけで気がつきましょうが、
半分が菅原道真さんを祀っている天神さんで、
二か所が早良親王(崇道天皇)を祀っていて、
一か所が崇徳天皇を…
「怨霊フィーバーだぜ!」
とまでは言いませんが、
護王神社もあわせて、
政治的に追い詰められたことのある偉人が
祀られている神社ばっかりです。
シーイーの古都京都巡り017菅大臣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第三段
「菅大臣神社」
の紹介になります。
今回から
「京洛八社集印めぐり」の対象神社の紹介になります。
平安京遷都のタイミングでは、
健都のベースキャンプだったそうで、
建築作業員が寝泊まりしたり、
建築資材を置いたり加工したりの場所だったそうです。
嵯峨天皇(桓武天皇の次男)時代に建都が落ち着くのですが、
その頃から役宅(役人の宿舎)に平行活用となったみたいです。
菅原道真も同様に、文章生(役人になる資格を取得してる人)時代に寝泊まりしたのと、
右大臣時代では、文章生の相談や指導を行っていたそうです。
そんな歴史から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第3番目となっております。
シーイーの古都京都巡り013賀茂別雷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は松尾大社に続いて「王城鎮護」の神社
「賀茂別雷神社」
の紹介になります。
通称の「上賀茂神社」の方が有名ですかね。
全国の神社に摂社や末社などにおいて、
鎮座する「加茂社」の総本宮になり、
「賀茂御祖神社」(通称 下鴨神社)とセットで
山城国一宮になります。
5月15日はメインのお祭である「葵祭」が行われます。
※2020年の葵祭は、残念ながら中止となりました。
ここもユネスコ世界文化遺産となります。
タイマーがズレてて54分ほど、
投稿が遅れちゃいました(テヘ
2024年新春参詣
2024年 無事に新年を迎えれし事、慶賀至極と存じます。
しかしシーイーは喪中にて、残念この上なく。
さてこそ、
今年も元日そうそうから、いろんな神社を参拝してきました。
今年は去年に知り合った「のん」という女性が同行しております。
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
を二人でスタコラサッサと実施してきました。
最後の最後で事故があったのですが…
中々レアな経験です。
シーイーの古都京都巡り055教王護国寺と西寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「左大寺(教王護国寺)」と「右大寺(西寺)」
前者は「東寺」の別称が有名すぎるお寺。
です。
平安京の建都のタイミングでは、
桓武天皇は建立する気はなかったらしい。
唐から帰国した最澄が「本場の仏教」についての報告により、
奈良の都の「西大寺」と「東大寺」を規模縮小の形で、
羅城門の両サイドに五重塔だけを建立させたのが始まりとも。
度重なる災害で、双方ともに幾度と修築や再建がされるが、
最終的には、西寺は再建されずとなり、現在は「西寺跡公園」に。
東寺は各幕府が関わった事により、令和の現在にも残っています。
シーイーの古都京都巡り015長岡天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第一段
「長岡天満宮」
の紹介になります。
写真は、天満宮近くの総合病院に向かうにあたり、
通り道ついでで撮影したものになります。
コラムの第一回目で名前が出てきましたが、
平安時代中期に、菅原道真さんの幼馴染である
中小路宗則さんが、彼を祀る社殿を建てたのがはじまりです。
現在もその末裔の中小路さんが、
神社の管理をされております。
余談ですが、2020年5月現在の市長さんも、この苗字だったり。
そして、
「菅公聖跡二十五拝 5番目」
でもあります。
シーイーの古都京都巡り052御香宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「御香宮」
発音は「ごこうぐう」でも「ごこうのみや」どちらでもOKとの事。
です。
創建時期は全く不明であるも、
平安時代の文献に名前が出てくることから、
奈良時代にはあったと思いますよ。
応仁の乱の被害があったと思われるものの、
これまた文献はありません。
羽柴秀吉が豊臣姓になる直前に、
天皇家などに声かけしたことで修復。
菊の御紋が入った。
秀吉が伏見城築城に際し、
城の鬼門封じで移動させたので「五七桐」が入った。
秀吉の没後に家康が元に戻したり、修復したので、
「葵の御紋」が入った…
現在も其々の紋所があります。
余談ですが、参道が大手筋商店街でもあるので、
商店街のCMでは、当社本殿で参拝しているシーンがあります。
(特に京都のCATV「みやびじょん」で流れるCMです。)
シーイーの古都京都巡り034正覚寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「正覚寺」
です。
宗派 浄土宗 知恩院派
山号 成等山[せいとうざん]
開基/開山 貞誉[ていよ]
本尊 阿弥陀如来
応仁の乱で荒廃している状態の都に建立されたそうで、
時期的には「桶狭間の戦い」の前年だそうです。
豊臣政権の時代に、
知恩院と誓願寺が、どちらの所属の末寺になるか、
揉めていたそうで、
1615年に徳川家の裁定でやっと確定。(知恩院派となる。)
直後に伏見城の「朱色の城門」が下げ渡されて移築。
そこから「赤門」という愛称がある寺院になります。
シーイーの古都京都巡り027小倉神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「小倉神社」
です。
主祭神:
・タケミカヅチ
他
摂社/末社:
・若宮神社
・天満宮
ほか
この地には古墳があり、
718年にその古墳の社をリサイクルする形で
神社になったらしいです。
桓武天皇の「長岡京遷都」に伴い、
都の逆鬼門(鬼門封じ)の神社として大々的に増築されたようで、
平安京でも同じ方角から「平安京の鬼門封じ」としても活躍。
室町末期になると、
当社から東に1kmほどの「小泉川」を挟んで
羽柴秀吉 VS 明智光秀
「山崎の戦い」 もしくは 「天王山の戦い」
と呼ばれる合戦があり、
秀吉が戦勝祈願で代理人を参詣させた記録があります。
シーイーの古都京都巡り041光明寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「光明寺」
です。
西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)の総本山。
平安末期から鎌倉初期にかけて活躍の
「法然」と「熊谷直実」が建立したお寺。
直実は平家物語にも出てくる人物です。
法然が初めて説法をした事でも有名です。
参考文献
・長岡京市史資料集成2 長岡京市の寺社
・シーイーの地元調査メモ
シーイーの古都京都巡り020白峯神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「白峯神宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その4。
主祭神:
・崇徳上皇
・淳仁上皇
摂社/末社:
・地主社[じしゅしゃ]
・潜龍社[せんりゅうしゃ]
・伴緒社[とものおしゃ]
明治天皇のお父さんである「孝明天皇」が、
幕府の政治不信による国内混乱を鎮静すべく、
幕府に「建立するよ」と声をかけたものの、
幕府がなかなか首を縦に振らす、
幕末になってやっと振ってくれた。
時すでに遅く、孝明天皇は崩御。
明治天皇が意志を継いで建立した神宮になります。
土地の問題から、飛鳥井家が屋敷を提供。
蹴鞠宗家の飛鳥井家が、屋敷で信仰・崇拝の精大明神を摂社として、
神宮の建立となりました。
明治天皇は白峯神宮の建立の成功に伴い、
平安神宮や明治神宮といった「神宮建立」に積極的になりました。
他にも京都では「護王神社」や「梨木神社」が建立、
全国では「靖国神社」を総本宮とする「護国社」建立のきっかけにもなりました。
本来の護国社は、
幕末の動乱や戊辰戦争などて落命した方々をお祀りしています。
いつしか諸外国との戦没者も合祀…
(ここでは説明を割愛…)