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3月27日は「さくらの日」
「さくらの日」は日本さくらの会が1992年に制定しました。
さくら、の語呂合わせで3と9、3と9をかけると27日になることと、七十二侯のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから今日の日になったそうです。
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日となっています。
普段あまり花に興味のない人でも、桜の季節になると、なんだか浮き浮きしてしまいますよね。
春には、入学、進学、就職、退職など、その人の人生の大きな節目があります。
そして、その背景にはいつも桜の花が咲いています。
皆さんが今年出会う桜が、去年よりも綺麗に見えるよう、ウメ子も応援しています!
3月26日は「カチューシャの唄の日」
1914年のこの日、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術座が、トルストイの『復活』の初演を行いました。
この中で歌われた「カチューシャの唄」が大流行したために、カチューシャの唄の日と言われています。
カチューシャは、ロシア語などによく見られる女性の人名、エカテリーナ(エカチェリーナ)の愛称形です。
ウメ子はカチューシャときくと、やっぱり頭に付けるアクセサリーを思い浮かんでしまいます。
弾力を持ったC字型の金属やプラスチックで作られたヘアバンドのことを日本では「カチューシャ」と呼んでいますね。
3月25日は「電気記念日」
電気記念日は、1927年に日本電気協会が制定した記念日です。
1878年3月25日、日本で初めて電灯が灯された日を記念しています。
この電灯の点灯式は、銀座に開局した中央電信局の開局祝賀会にて行われました。
点灯の会場は工部大学校で、これは現在の東京大学工学部の前身にあたります。
式典は大学校の大ホールにて行われました。
それからさらに4年後の1882年11月に、ようやく一般市民も初めての電灯を銀座で目にすることができました。
高さ15メートルの街灯は、ろうそく4000本分の明るさであったそうです。
ただ、当時は現在のような送電設備がない時代ですので、街灯もバッテリーを使って点灯させるという、非常に効率の悪いものでした。
しかし、この電灯という夜を照らす最先端の技術は、未来を感じさせる出来事であったようです。
3月20日は「上野動物園が開園した日」
上野動物園は1882年、農商務省所管の博物館付属施設として開園した、日本で最初の動物園です。
面積は1ヘクタールほどで、公開された動物はスイギュウ、キツネ、タヌキ、ワシ、水鳥、小鳥など、日本産の動物が主体でした。
現在、上野動物園では約500種3,000点もの動物を飼育しています。
これから4月にかけては春のイベントも盛りだくさん!
繁殖期に入ったために展示中止となっていた上野動物園のシンボル、ジャイアントパンダも19日から公開が再開されています!
この3連休の間に、上野動物園に足を運んでみるのもいいかもしれませんね。
3月19日は「ミュージックの日」
ミュージックの日は「ミュー(3)ジック(19)」の語呂あわせに由来しています。
音楽関係者の労働団体の日本音楽家ユニオンが1991年に制定しました。
その主旨は音楽の素晴らしさや楽しさを音楽家の立場から訴え、音楽を聴いてくれる人たちと共有したい、ということなのだそうです。
毎年この日には全国各地でさまざまな音楽イベントが開かれます。
音楽を聞くとリズムを聴いて体が動いてしますよね。
人間の脳は音楽を「音」でも「言語」でもなくちゃんと「音楽」として認識しているから自然と音楽にのってしまうのだそうです。
また、好きな音楽に身をまかせることで体の緊張が解け、皮膚の温度が上昇し、筋肉がほぐれるとも言われます。
ミュージックの日の今日はゆっくり音楽を聴く時間を取り入れてみてはいかがでしょうか。
3月17日は「漫画週刊誌の日」
1959年の今日、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』と『少年サンデー』が創刊されたことに由来しています。
創刊号の表紙を飾ったのは、いずれも当時の子供たちが最も関心を示していた人気スポーツの相撲と野球で、『少年マガジン』は第46代横綱・朝潮太郎。『少年サンデー』は長嶋茂雄(ながしま しげお)選手でした。
しかし、このころの『少年マガジン』と『少年サンデー』は漫画中心と言うよりも、少年向けの読み物が中心で、漫画は少ししか載っていなかったそうです。
価格は当時、『少年サンデー』が30円で、『少年マガジン』が40円と10円高かったのですが、薄い漫画本を付録につけていたそうですよ。
1950年代は、「少年」「冒険王」「ぼくら」「少年ブック」「少年画報」などの月刊誌が、毎月競ってマンガを載せ、別冊付録やオマケを付けて山のように本屋に並んでいました。
「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などの人気作は、このような月刊誌で連載されていたんですよ。
3月14日は「ホワイトデー」
ホワイトデーは、バレンタインデーにチョコレートなどを貰った男性がそのお返しとして、キャンディ・マシュマロ・ホワイトチョコレートなどのプレゼントを女性へ贈る日。
この習慣は日本で生まれましたが、中国・台湾・韓国など一部の東アジアでも定着しています。
日本でバレンタインデーが定
着するに従って、お菓子業界でそれにお返しをする日を作ってはどうかという案が出されました。これを受けたお菓子業界では、昭和40年代に入って以降、個々に独自の日を定めビスケットやマシュマロ、キャンディ等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになりました。
ところで、あまり知られていませんが、ホワイトデーの二ヶ月後の5月13日は「メイストームデー」。
別れ話を切り出すのに最適な日、別れ話を切り出していい日、とされているんです。
バレンタイン・ホワイトデーをトントン拍子に過ごしてきたのに二ヶ月後アララ…なんてことにならないよう気をつけないといけませんね。
3月13日は「サンドイッチデー」
3月13日を数字だけであらわすと「313」。
「3(サン)」が「1(イチ)」を挟んでいるというのがサンドイッチデーの理由なんだそうです。
サンドイッチ、という名前は、18世紀イギリスの貴族で海軍大臣などを歴任したサンドウィッチ伯ジョン・モンタギューにちなんでいる、と言われています。
彼はトランプ遊びが大好きで、食事にかける時間も惜しむ程でした。
そこで、ゲームの合間に片手で食事が取れるよう、パンに具を挟んだものを用意させていた事から、いつしかこれがサンドイッチと呼ばれるようになったのだそうです。
ただ、これは彼を「貴族のくせに、庶民の食べ物で済ませる」だらしない人物だと印象付ける為に彼のライバルが流したデマである、という説もあるんだそうです。
サンドウィッチ伯をサンドイッチの発明者としているお話もありますが、パンに具を挟むという料理自体は古代ローマのオッフラ、インドのナンなど、古くからありました。
サンドウィッチ伯は、あくまで「サンドイッチ」という名前が付けられるきっかけだったようですね。
名前の由来としては、「サンド」つまり砂と、「ウィッチ」魔女以外、どんなものでもパンにはさんで食べられるということから、サンドイッチと名づけられたとする説もありますが、ウィッチのつづりが異なるので、これは言葉遊びのようなものみたいですね。
3月11日は「東日本大震災が起きた日」
東日本大震災は、2011年3月11日午後2時46分に発生しました。
発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震です。
東北地方太平洋沖地震に伴って発生した津波と、その後の余震により引き起こされた大規模地震災害です。
地震の規模を表すモーメントマグニチュードは9.0を記録し、最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7となっています。
茨城県でも震度6強を観測しており、沿岸部を中心に大きな被害を受けました。
3月10日は「砂糖の日」
「砂糖の日」は、「3」月「10」日の語呂合わせから作られた記念日です。
みなさん御存知の通り、砂糖は甘みを持った調味料ですね。
主な成分は「フルクトース」と「グルコース」が繋がってできた「スクロース」という成分からできています。
皆さんは、砂糖がどんなものから作られているか、ご存じですか?
私達が普段使っている砂糖は、「サトウキビ」から作られているのは有名ですよね。
他にも、サトウカエデという樹木の樹液を煮詰めた「メープルシュガー」や「メープルシロップ」。
「オウギヤシ」というヤシの木の樹液から作られる「パームシュガー」。
トウモロコシの仲間、サトウモロコシから作られる「ソルガムシュガー」があります。
3月7日は「消防記念日」
昭和23年、「消防組織法」が施行されました。
消防組織法は、日本の消防の任務範囲・消防責任を市町村が負うことや、消防機関の構成などについて規定する法律です。
この消防組織法が施行されたのを記念して、2年後の昭和25年の今日が消防記念日となりました。
合わせて、今週は火災予防運動週間です。
春季は毎年3月のこの時期、秋季は毎年11月、年二回行われる火災予防運動は火災予防思想の普及を図り、火災の発生を防止することを目的としています。
市町村はこの期間に関係団体と協力・連携のもと各種広報活動を行うとともに、消防訓練等を実施するものとされています。
また、ひとりひとりが火災予防に対する意識を持つことにより火災による悲惨な焼死事故や貴重な財産の損失を防ぎ、放火されにくい、「火災に強い街づくり」のために、火災への注意が呼びかけられています。
3月6日は「啓蟄」
啓蟄は暦の二十四節気のひとつで、雨水後15日めの3月6日頃に当たります。
“啓(けい)”には『ひらく』、“蟄(ちつ)”には『土中で冬ごもりしている虫』という意味があり、文字通り地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹く と同時に地上へ這い出してくるという意味です。
実際に動物や虫が冬眠から目覚めるのは、最低気温が5度を下回らなくなってからで平均気温が10度以上になってからなのだとか。
木々などに巻かれた菰はずしを啓蟄の恒例行事にしているところも多いですね。
まだ肌寒くはありますが、少しずつ春の訪れを感じる啓蟄の頃。
春の兆しを感じながら外を散歩するのも楽しそうです。
冬の間になまってしまった身体を、少しずつ動かしてみましょう!
スーパーにも山菜や春の野菜が並び始めますから、旬の食材を食べて、元気いっぱいに過ごしたいですね。
3月5日は「スチュワーデスの日」
東京航空輸送社が1931年2月5日に実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果がこの日に発表されたことに由来しています。客室常務員という表現が現在では正式とされていますが、初期には男性乗務員は「スチュワード」「パーサー」、女性乗務員は「エアホステス」「エアガール」と呼ばれていました。
最近までは「スチュワーデス」と呼ばれていましたが、1980年代以降アメリカにおける「ポリティカル・コレクトネス」という言葉や用語に社会的な差別・偏見が含まれていない中立的な表現や用語を用いることになりました。
そして性別を問わない「Flight Attendant(フライトアテンダント)」という単語に言い換えられた影響で、この和訳である「客室乗務員」という言葉が正式とされるようになりました。
3月4日は「バウムクーヘンの日」
バウムクーヘンは、ドイツ語で「木のケーキ」という意味で、樹木の年輪を思わせる切り株のような形をしたケーキです。
年輪が延々と歳を重ねる縁起の良さを連想することから、日本ではめでたい贈答品の贈り物として好まれ、結婚式や祝い事の引き出物として使われることがあります。
記念日の由来は1919年3月4日に、広島県にあった広島県物産陳列館で行われた「ドイツ作品展示会」にて、カール・ユーハイムという人物がバウムクーヘンの製造販売をしたことに因んでいます。
このカール・ユーハイムは、兵庫県神戸市中央区三宮町にて「株式会社ユーハイム」の前身である「ユーハイム」という喫茶店を開店した人物として知られています。
世界大戦や関東大震災などの被害を受けつつも、彼が残した洋菓子の味や精神は今日も受け継がれています。
3月3日は「雛祭り」
雛祭りは、女の子のすこやかな成長を祈る年中行事です。
雛人形、桃の花を飾ってお祝いをする節句のお祭り。
雛あられや菱餅を供え、甘酒を飲んだりもしますよね。
雛祭りには、祭りが終わった後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという話は昭和初期に作られた俗説があります。
これは、旧暦では梅雨が間近にあるために、早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いやカビが生えるから、というのが理由だとされています。
ですが、地域によっては「おひな様は春の飾りものなので、季節の節できちんと片付けるなどのけじめを持たずにだらだらとしていると、嫁の貰い手も現れない」という、躾の意味からもいわれていたりするそうです。
2月28日は「ビスケットの日」
ビスケットの日は全国ビスケット協会が1980年に制定しました。
1855年のこの日、パンの製法を学ぶために長崎に留学していた水戸藩の柴田方庵(しばたほうあん)が、水戸藩の萩信之助(はぎ・しんのすけ)にパン・ビスケットの製法を書いた「パン・ビスコイト製法書」を送りました。
これが、ビスケットの製法を記した日本初の文書とされています。
また、ビスケットとはラテン語で「2度焼かれたもの」という意味であることから、「に(2)どや(8)かれたもの」の語呂合わせの意味も持たせています。
2月21日は「漱石の日」
作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると文部省が伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として、博士号を辞退する旨を書いた手紙を1911年の今日、時の文部省専門学務局長に送ったことに由来しています。
なかなか勇ましい由来ですね。
博士号を辞退した1911年8月、漱石は
「戦争以降一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかな気楽な見方をすれば出来るものだ」
と、ある講演会で述べました。
その頃、日露戦争に勝利した日本は次第に大国意識をもつようになっていました。
しかし現実は、多大な犠牲をはらい国力の疲弊化と閉塞感は大きなものでした。
かつては日露戦争を支持した漱石も、それらを感じ取り、国家を敵とする見方が芽生え始めていたようです。
2月19日は「天地の日」
ポーランドの天文学者で地動説を提唱したコペルニクスの1473年の誕生日に由来しています。
地動説とは、地球が動いている、という学説のことで天動説に対義する学説です。
15世紀に入って大航海時代が始まると、星の見え方から船の位置を知るという実用上の理由で、天文学がいっそうさかんに研究されるようになりました。
観測技術が進歩するにつれて、惑星の位置予測がずれるなどプトレマイオスの天動説では説明できない事柄も明らかになりはじめ、天動説に疑問をいだく学者も出てきました。
そんな中で、地球が宇宙の中心にあり天球が回転しているとするプトレマイオスの天動説のつじつま合わせ的な説明に疑いをもったのがコペルニクスです。
コペルニクスは、宇宙は数学的にもっと合理的な運動をしているのではないか、と考え、太陽を宇宙の中心におき、そのまわりを地球をはじめとした惑星が回転しているという宇宙の姿を考えました。これが地動説です。
2月17日は「天使の輝きの日」
「天使の輝きの日」は、1978年に北海道の幌加内町(ほろかないちょう)母子里(もしり)地区にて、非公式ながらも日本での最低気温記録となる、氷点下41.2度を記録したことに因んでつけられました。
「天使の輝き」とは、「細氷」、「ダイヤモンドダスト」のことを指します。
ダイヤモンドダストとは、大気中の水蒸気が凍ってできた、ごく小さな氷の結晶が空から降ってくること。
このダイヤモンドダスト、本来は北海道などのとても寒い地域で発生するのが一般的なんですが、実は、茨城県でも観察されたことがあるんです!
2005年2月9日、早朝のつくば市で、気温が-2℃だったにもかかわらず、短時間ではありますが、ダイヤモンドダストが出現しました。
2月10日は「布団の日」
今日、2月10日は「布団の日」です。
「2」で「ふ」、「10」で「と」とする、語呂合わせですね。
布団は日本で広く用いられる寝具のひとつ。
畳やベッドの上に敷いて、睡眠時に用いています。
主に、人が上に横たわるための敷き布団と、人の上に被せる掛け布団に分けられます。
さて、みなさんは布団をどのように手入れしていますか?
布団を日の当たる所に干し、布団叩きなどで叩いて埃を払うことをイメージすると思いますが、最近ではふとんを叩くことは中の繊維を傷め、ダニを駆除する効果もないことから、あまり薦められていないんです。
布団のお手入れをする際は、日の当たるところに干し、手でやわらかくはたき、布団の上から直接掃除機をかけることが、埃とダニの量を一番減らすことができると言われています。
2月5日は「双子の日」
2と5の語呂合わせでふたごということに由来しています。
双子並びに多胎児の育児がしやすい環境づくりを考える日として、静岡県浜松市の双子グッズの専門店「株式会社ベラミ」が制定しました。
日本では、かつて後から生まれた方を兄または姉、先に生まれた方を弟または妹として扱う慣習がありましたが、戸籍法上は生まれた順に記載する事となっています。
ふたごは、出産の時には数分程度の時間差で産まれることが多いのですが、中には数時間から数十日の間隔で生まれる場合もあり、誕生日・誕生年が異なってしまう兄弟姉妹もいるそうです。
2月4日は「立春」
立秋は二十四節気の一つです。
この二十四節気とは、紀元前の戦国時代であった頃の中国で、太陰太陽暦を元に考え出されたものです。
この立春は、冬至と春分の中間にあたる日で、節を分けると書く「節分」の翌日にあたります。
ですから今日は、「寒さがあけて春に入る日」であり、春の初日なんですね。
2月3日は「節分」
節分は、雑節 の一つで、立春や立冬など、各季節の始まりの日の前日のことです。
日本では「福は内、鬼は外」と声を出しながら炒り大豆を撒いたり、その年の恵方に向かって無言で太巻きを丸かじりする風習がありますね。
また、大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークでもあるんですよ。
恵方巻は、元々は大阪地方を中心として行われている習慣で、7種類の具材を使うとされています。
7という数字は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んでいて、福を巻き込むと意味付けされています。
1月29日は「人口調査記念日」
1872(明治5)年のこの日、日本初の全国戸籍調査が行われたことに由来しています。
当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人でした。
これは現在の約4分の1の人口です。
国勢調査は、英語のセンサス(Population Census)の訳語で、調査対象者すべてを調べることから「全数調査」とも呼ばれています。
センサスの歴史は古く、紀元前3800年代にバビロン王朝で行なわれ、紀元前3000年頃にはエジプトや中国でも行なわれたと記録されています。
1月28日は「日本初の日刊新聞が創刊された日」
1871年1月28日、神奈川県横浜市にて、日本初の日刊新聞である横浜毎日新聞が創刊されました。
当時の神奈川県令、現在でいう神奈川県知事であった井関盛艮(いぜき もりとめ)が、近代新聞の必要性を横浜の貿易商達に説明し、印刷業者の本木昌造(もとき しょうぞう)と陽其二(よう そのじ)の協力の下、創刊に漕ぎ着けました。貿易港である横浜らしく、紙面は貿易に関する情報が中心であったようです。
幕末から明治初期の頃にも新聞はありましたが、和紙に木版で印刷されたものでした。
それに対し、横浜毎日新聞は、洋紙に木製の活字を使った活版で印刷されているのが特徴です。
そして、紙面を欄で区切るという体裁は、現在の新聞とほとんど変わらないものであったそうです。
1月27日は「国旗制定記念日」
1870年の今日、太政官布告(たいせいかんふこく)第57号の「郵船商船規則」で、国旗のデザインや規格が定められました。
この規則が作られるまでは、船によってデザインの違う旗を使っていました。
日本の国旗は、法律上は日章旗(にっしょうき)と呼ばれ、日本では古くから、日の丸と呼ばれる旗です。
法律の規定では、旗の形は縦幅が横幅の3分の2で形成された長方形。
赤い円の部分、日章の直径は、縦幅の5分の3を占め、その中心は旗の中心となっています。
色地は白色、日章は紅色とされていて、旗のデザインは上下・左右対称なので方向などがありません。
日本の国旗はとても単純な形ですが、きちんと位置や大きさが決まっているんですね。
1月24日は「郵便制度施行記念日」
今では当たり前のように利用できる郵便の制度は明治4年の今日、制定されました。
郵便は、江戸時代の「飛脚」をもとにしたのが始まりでした。
当時の日本国内における主要な通信手段の一翼は飛脚が担っていましたが、費用的に高価であること、天候に左右されること、また、毎日配達しないため期日に届かないことなどが多いものでした。
そこで、あらゆる面で欧米にならった近代化が怒濤のように行われた明治時代に、通信に関してもヨーロッパを手本とした仕組みが急速につくり上げられたのです。
現代ではネットやメールの普及で、手紙やはがきのやりとりだったものはずっと身近でスピーディなものになりました。
でも、大切なあの人が手ずから認めポストに投函された便りを開く喜びは、今も変わらずかけがえのないものです。
「郵便制度施行記念日」の今日は遠くに住むあの人のために思いを書き記し、便りを届けてもらってはいかがでしょうか?
1月23日は「電子メールの日」
毎月23日は2と3の語呂合わせで「ふみの日」ですが、1月23日は「良い文」という意味と、電子メールの別名「Eメール」を合わせて、電子メールの日となっています。
携帯電話やパソコンで日常的に使われている電子メール。
最初に電子メールが送信されたのは1971年のこと。
その時送信された文章は「QWERTYUIOP」という、パソコンのキーボードを左から順に押した文字列だったんです。
意外と事務的だったんですね。
手紙も電子メールも気持ちを伝える大切な手段です。
電子メールの日の今日は、普段口に出して言えない気持ちを、大切なあの人へ送ってみてはいかがでしょうか?
1月22日は「カレーライスの日」
1982年、全国学校栄養士協議会が学校給食開始35周年を記念して、1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められました。
カレーライスの日は1月22日、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことに由来しています。
1月20日は「大寒」
さて、今日、1月20日は、「大寒(だいかん)」。
大寒は、二十四節気(せっき)の24番目。最後の節気ですね。
大寒には期間としての意味もあり、今日から立春前日、2月3日までを指したりもします。
冬の季節の最後の節気で、寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時季です。
小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はその真ん中にあたります。
1月16日は「日本初のアイススケート場がオープンした日」
1876年の今日、横浜で日本で初めてアイススケート場がオープンになりました。
場所は横浜港にほど近い根岸村。
青木安兵衛という人が商売として試みたそうです。
当時の横浜新聞の記事によると、当初は10月からオープンする予定が、氷が張らず年が明けてからの営業になったとか。
ロシアやヨーロッパ諸国で流行していた遊びをいち早く日本でも、という狙いがあったのかもしれませんが、今のように屋内の製氷設備が整っているわけではない明治時代、さすがにちょっと時期が早かったみたいです。
ちなみに、当時は「スケートリンク」や「アイススケート場」という横文字の言葉ではなく「氷すべり場」という名称で呼ばれていました。
1月15日は「旧成人の日」
成人の日は、1948年に「1月15日は、おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と法律で定められました。
しかし、現在は、2000年に制定されたハッピーマンデー法に基づき1月の第2月曜日に改正されています。
成人の日は、新成人達が両親や周りの大人達に保護されてきた子供時代を終え、自立し、大人の社会へ仲間入りすることを自覚するための儀式を行う日です。
戦後物資も食料も足りない時代で一番乏しいとされていたのは「人材」でした。
良い「国家」を作っていくためには、国民自身が成長していかなくてはならないと考えた当時の役人たちは、「こどもから大人になった自覚を持ってほしい」と願ってこの日を祝日にしたそうです。