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初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden) 長尺版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園 長めです 記録用として。
古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
レストランと入浴施設はコロナ禍で廃業になりました。メインの料亭のみになりました。
県名勝「千葉家住宅」江戸期中期改修の「泉庭」と重要文化財「座敷棟」
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時1774年改修のお庭(江戸初期築庭)部分中心に編集。
広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
庭と座敷棟はセットなので残した。曇りでやや暗め。
植栽が茂っているので緑は濃い。
ただ、築山などがややわかりにくい感じ。築山には石が置かれ、妙見社の祠がある。
植木をいい具合に刈り込んだらもっと姿がよくなるかもしれませんね。
千葉家の歴史=平氏の流れの関東武士団中の房総で威を振るった豪族千葉氏の一族である。安芸国へ移住したのち戦国期 大内、毛利(小早川隆景)などに仕えた。
毛利が防長二州に移封後、武士をやめてしまい「神保屋」と号し広島藩で商人となる。西国街道の宿場として整備された海田へ移住し酒造業などを営む傍、宿場の要職を務めた。
また、天下送り、宿送り(幕府や藩の書簡、文書、荷物の継ぎ送り)の業務を担う。
家紋が蔵などにありますが=月星紋(げっせいもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
音声修正。
周防安国寺遺跡 臨済宗 日照山 高山寺と庭園(江戸期築庭のようです) 秋
高山寺は 元応二年(1320年)周防の豪族 理性居士に招かれ棊山賢仙により開山された古刹 賢仙和尚は夢窓国師の学弟にあたる名僧 没後 勅命にて照普済禅師の号を送られた名僧。
室町初期足利尊氏、夢窓国師らが図り南北朝期の戦死者の追善と国家安泰の祈祷場として一國一ヶ寺 安国寺が設置された。周防國では高山寺が充てられた
しかし旧安国寺の建物は江戸時代に記録、寺宝などとともに火災で焼失したそうです。
現在の本堂は平成元年再建。
本堂の御本尊は参拝したとき拝見ましたが千手観音様に見えました?どうなんだろう。
庭園は江戸期のものらしい 柳井市名勝指定。大きなモクセイの木は同市の天然記念物指定。花は9月〜10月らしいですが10月の終わりもうありませんでした。
古 庭園は心字池(今は水は張られていない)にかつては小さな滝組石から落水させ、背後の周防富士〜 氷室がヶ岳を大きく借景にしており大きな空間を生かしてあるようです。今も借景側にはほとんど建物もない(わずか見えますが)ので雄大な感じがします山がいい。植栽が剪定されて水があれば美しいでしょうね。
youtubeでリスナーさんに教えていただいたのですが本堂横の開山堂に釈迦如来像と阿難像などが安置されているのは焼失前の本堂の本尊だそうです。
追記:2021.1.2開山堂(1月1〜3日開放らしい)参拝してきました。釈迦如来像〜端正なリアルな感じの坐像(蓮華座に座して黄金の後背が大きなもの)右が阿難像、左に摩訶迦葉像がありました。リアルな感じの像で鎌倉時代らしいというんでしょうかね。
近くに古くは氷室ヶ岳の八合目あたりにあったという氷室亀山神社があるので合わせて参拝したいものです。歴史もあり小さい神社ですが静かに参拝できます。御朱印の書き置きもありました。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
☆日帰り旅行祭★ 山口県最古の庭園へ行こう!→【松江山(ずんごうざん)宗隣寺 龍心庭】 山口県宇部市(2019夏)
宇部市小串 松江山(ずんこうざん)宗隣寺 臨済宗東福寺派の古刹 2019訪問
写真等調整し庭園への旅動画として全部作り直してた^^;>間に合った。
ゆっくりのナレーションをつけた。
00:00〜宇部へ宇部線 電車風景、小串通りの彫刻など
02:20 宗隣寺参道〜境内風景〜如意輪観音堂
04:45 龍心庭拝観
元は宝亀八年(777年)唐からの渡来僧の為光和尚が 普済寺として創建〜寛文十年(1670年) 毛利藩の家老で宇部を領した福原氏の福原広俊が父の号からとり 福原氏の菩提寺 「宗隣寺」として再興した。
中国観音霊場 の一つで如意輪観音十八番札所。山陽花の寺 御朱印もある。
本堂北面の庭園は普済寺の庭園を基にした(築庭は古く南北朝時代650年前に遡る)築山 泉水庭園です
夜泊まり石風な石組みや浅瀬の干潟様の古風な趣向が残されています。
夜泊り石=蓬莱島へ向かう宝船が夜停泊している様子を表現した庭園の守護石の一種らしいです。
干潟様(ひがたよう)=池の水際を小石などを敷いて、池泉の水が増減しますとまるで、干潟のようになる趣向の意匠。平安期の策庭記という書物にも記載されている。
ただ、現在確認できるのは平泉毛越寺と宇部宗隣寺だけだそうです。
本堂は平成十年再建だそうで、庭園も昭和四十三年に古庭園の研究 修復専門家の 重森三玲(みれい)氏により調査修復されています。
そんなに広い庭ではないのですが綺麗な庭です。鑑賞時にはご住職がテープで解説を流していただけるのでわかりやすいです。
築山の奥には旧領主 福原氏墓所があり幕末の家老福原越後さんのお墓もある。年に一度公開され参詣可能。
山口県最古層の庭として国の名勝指定され歴史的庭園であります。
ニコニ・コモンズ のるさまの曲
ゆくも!を利用させていただきました。
まいにちいっしょP 庭・3回アップデート後
今更ですがアップデート後の庭。
花がないのは別のPSPで起動させるために全て回収したから
(ちなみに5月29日放送分が見られなかった時に別のPSPで起動させたら育ってた花が全て消滅した)。
この不具合直してくんないかなぁ。
ちなみに今回の見所?は最初の1分までです(それ以降はタネを植えるだけです)
庭・初日:sm6831408
周南 清流通り 漢陽寺 重森三玲作庭の「曲水の庭」と藩政時代の灌漑史跡「潮音洞」(平成の名水百選)
中国山地な只中 山口県 周南市鹿野(かの)のローカールな話題で。臨済の古刹鹿苑山 漢陽寺境内にある。潮音(ちょうおん)洞〜山口県、周南市等HP文化財などによると・・・・・・。
元毛利家臣であった鹿野の住人 岩崎惣左衛門が私財を投げ打ち(後に鹿野の民衆も協力)寺の裏山をくりぬき隧道を掘り、清流 錦川の支流 渋木川から取水路を作り引き込み開通させたもの。
藩政時代の記念碑的灌漑施設のひとつ。長州藩政時代 灌漑用水の史跡 潮音洞の清流(灌漑隧道の県重要文化財指定 史跡)
此の用水は江戸時代 萩毛利藩領の都農郡 鹿野において台地のため水が少く田が開けないので新田開発及び生活用水のため開かれた。これにより多くの新田が開かれたそうです。
後に岩崎は藩士の籍に復帰した。
2019.12 初旬 曇天のたまに小雨の降る寒い日 漢陽寺 参詣時の庭園拝観記録動画。
漢陽寺はちなみに明で禅の修行したという名僧 用堂妙機禅師 開山で大内盛見(もりはる)公 建立 の 臨済の名刹で大内氏祈願所として建てられた。
庭園〜山門脇の1曹源一滴の庭(宋代の玉澗の山水画のイメージを取り込んだ桃山様式の庭。実はここ石組があるなあくらいしか知らず^^;さらっとしか写りません)本堂前の2曲水の庭(曲水の宴をおこなう平安様式の庭に蓬莱山、枯れ滝を表す枯山水の組み合わせ)3祖師西来の庭(達磨大師による禅の招来をイメージしているそうです苔と石組みの庭、本堂側には水路が流れる)
庭園=1、2は重森三玲氏の作庭、3は御弟子さんの斎藤忠一氏の作庭。
字幕訂正〜祖師西来の庭の部分=「達磨大師が禅をもたらした故事に因む」
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
庭でワニ肉を焼くオトコ 【NIWA #1】
サーブルス
ワニ舌のがうまいんで興味ある方は是非。
↓基本はこっち↓
https://www.youtube.com/channel/UCy-MLi0o8f1z-PWEPg-mDBQ?view_as=subscriber
【Voicepeak 】〜御朱印祭2023〜臨済宗 漢陽寺 重森三玲作庭の「曲水の庭」と潮音洞 山口県周南市鹿野
御朱印祭2023参加 ラストです^^; ギリ間に合う。令和4年11月28日の記録をまとめた。
中国山地 山口県 周南市鹿野(かの)
臨済の古刹鹿苑山 漢陽寺 中国33観音霊場15番札所。御本尊=聖観世音菩薩。
歴史=周防太守大内氏の大内弘世が鹿苑庵を建立し明で禅の修行したという名僧 用堂明機禅師 を招き開山。大内盛見(もりみ/りはる)公が大内盛見が伽藍を建立した臨済の名刹で大内氏祈願所とされた。
かつて十刹に数えられ明治以前は200ヶ寺の末寺を持つ臨済宗用堂派を形成したほどの寺院であった。
漢陽寺の案内板を再度確認するとどうも 用堂明機禅師(ようどうみんき ぜんじ)と読むようですね。
境内、潮音(ちょうおん)洞〜山口県、周南市等HP文化財などによると。
鹿野の住人 岩崎惣左衛門が私財を投げ打ち(後に鹿野の民衆も協力)寺の裏山をくりぬき隧道を掘り、錦川の支流 渋木川から取水路を作り引き込み開通させたもの。
藩政時代の記念碑的灌漑施設 長州藩政時代 灌漑用水の史跡 潮音洞の清流(灌漑隧道の県重要文化財指定 史跡)
江戸時代 萩毛利藩領の都農郡 鹿野において台地のため水が少く田が開けないので新田開発及び生活用水のため開かれた。崎は藩士の籍に復帰した。
2022.11.28初旬 紅葉の頃漢陽寺 参詣時の庭園拝観記録動画。
庭園 七つの庭園がある
1曹源一滴の庭(宋代の玉澗の山水画のイメージを取り込んだ桃山様式の庭。)
2本堂前の2曲水の庭(曲水の宴をおこなう平安様式の庭に蓬莱山、枯滝を表す枯山水の組み合わせ)
3祖師西来の庭(達磨大師による禅の招来をイメージしている苔と石組みの庭、本堂側には水路が流れる)
4蓬莱山池庭 鎌倉様式 築山、豪快な石組、潮音洞から流れを引いた池が前面を巡る。
5地蔵遊化の庭=平安様式 地蔵菩薩がこらと遊ぶイメージを表す。
庭園=1、2は重森三玲氏の作庭、3は御弟子さんの斎藤忠一氏の作庭。
他に瀟湘八景の庭(通常は非公開)
九山八海の庭(書院の室内からガラス越し見ます。写真が失敗していたため取り上げていない)
周辺の見所 二所山田神社 杉の大木の多い式内社二俣神社論社、弾正桜(龍雲寺のところにある)
歴史詳細〜漢陽寺パンフレット及びサイトと境内掲示、コトバンク、wiki、臨済ネットHP、wiki漢陽寺、大内氏等ページ等参照。
防府天満宮 茶室芳松庵(平成三年建立)と暁天楼 山口県防府市
防府天満宮の旧圓楽坊跡地にへ平成三年建立された茶室芳松庵と庭園、幕末史跡「暁天楼」(移築されていた 防府宮市の大旅籠藤村屋の遺構を老朽化で解体後、古絵図面通り再建)
ちょうど天満宮へ上がる石段の途中にあり、向かい側が旧別当寺の「大専坊」跡にあたる。1月の冬枯れの季節であいにく曇り。閑寂な感じでした。
茶室は玄関で受け付け後、大広間で一服、薄茶を点て出していただけます。
独りなので茶会ではお正客さんが座るであろう場所で頂戴しました^^
広間には 青竹の結界 炉に御釜、長板に建水、勺立、などが飾られていました。
二階と離れに茶室があり見学もできます。二階からの眺めもよろしい。
茶室を出てから小雨が降り始めて庭の拝見はまたの機会にしました。緑や花の頃がいいでしょうね。
暁天楼=宮市(むかし社前の商家など並んだ繁栄の中心)にあった大きな旅籠「藤村屋」遺構を移築してあったが、老朽化で解体後、子孫の方が昔の絵図面通り再建寄進された。参道脇庭の片隅に建つ。
かつての建物は古の志士たちも泊まったということです。
暁天楼の奥に天満宮最大という御神木のクスノキがあります。境内の楠木いいですよね毎回見ほれます。
ちなみに庭園のみならばは無料で拝観できます。
令和元年 年末年忘れ茶会 風景 頼山陽史跡資料館内〜茶室
頼山陽史跡資料館〜茶室にて 恒例の年末年忘れ茶会(令和元年)
地元茶人グループ妙音会(濃茶の会)の方々が釜をかけられた。頼山陽の旧居の庭や茶室への路地、茶会の御道具拝見など。頼山陽の後〜そごうの新館嵯峨野庵ので開かれていた茶席(常盤会の茶席だったとお思う)へも寄りましたので拝見した棚や花、御軸などの写真も少し入れました。
毎年恒例の行事でどなたでも入れます。この頼山陽の茶室は炭火が使えるので大抵1席目は炭点前がみれます。
人がとても多いですけどね(^_^;) 席料は800円だったかな。
漢学者 詩人 日本外史の著者 頼山陽
復元された旧居のと資料館の外観紹介です。
年末に毎年開かれる御茶席で一服して見学しました。
路地の様子や茶席が終わってお道具など拝見して写真なども少し。
今回は古田織部の御茶入などがありました。
ちなみに そごう茶会(そごう新館9階にある嵯峨野庵)では土日中心に定例茶会があるので面白いです千家、武家茶、煎茶などよいろんな流派が釜をかけておられます。
そごう茶会で検索するとそごうさんのHPにスケジュールが載ってます。
お茶は詳しくないんですがですが、そごう嵯峨野庵でよく行くのは上田宗箇流とか石州流(知り合いの先生がいるので)とか武家茶系が多いかな たまに表裏千家の席も。
観光などでお近くにおよりの節は、頼山陽史跡資料館へぜひ拝観にどうぞ
街中の緑のお庭もいいですよ。
広電の本通り駅、袋町電停から歩いてすぐ。
普段は茶室公開してないけど外から庭は見れます。
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden)ショート版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園〜古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
ちなみにレストランきすいは半べい温泉と同じ場所にあります。リーズナブルなメニューからミニ懐石まであります。
2020.11.8武漢発コロナウイルス拡大と恐慌により温泉とレストラン部門は廃業されました。政府がきっちり保証してあげないからです・・・これからこういう事案増えるぞ!::
【ゆっくり解説】ゆっくりと日本庭園を学ぼう! 第1回 日本庭園とは?
解説動画としては、初めての投稿となります。
半年ぐらい前からゲーム実況動画を投稿していまして、
いつか解説動画も作りたいと思っていました。
ただ、案外勢いだけで作れてしまうゲーム実況動画と違い、
解説動画は資料収集・調査が必要で、着手するのも延ばし延ばしに。
今回は図・写真ゼロ、解説少なめ、茶番多めとなっていますが、
とにかく第1回を作って自分を追い込もうという・・・
第1回:これ、次回:sm32958514 (3/28 17:00投稿)
作ったもの一覧:mylist/61210201
変なおじさんとこの 鶏さん93 水の流れ
昨夜の大雨で 水路に水が流れてきました。 ということで撮影を敢行。 デジカメが音を拾えませんので 無音です。 環境音で小川のせせらぎをいりょうとも思いましたが実際の水量と あわなそうでしたので 無音と致しました。
日帰り旅 山口県防府「防府天満宮の門前町」2 防府天神境内〜石畳の参道周辺と茶室芳松庵の庭
松崎天満神とともに発展した商業のまち。今も賑わう防府天満宮へ。
防府天神境内〜【石畳の参道周辺と茶室芳松庵の庭園】
一ノ鳥居を抜け石畳の綺麗な参道を散策=萩狛犬、石畳、酒垂神社〜大専坊遺構〜天神さまのお茶室の庭と幕末の歴史舞台ともなった暁天楼(オリジナルは老朽化で解体され再建寄進されたもの)をまで。
日本で最初に菅原道真の霊を祭神とした神社とされる。当時の国司が土師氏で菅原氏と同族だったことと太宰府に流される前に立ち寄りもてなされてしばし滞在された歴史もあるようです。
大専坊=旧神宮寺別当坊(全国でも現存する遺構は少ない)
かつては酒垂山 萬福寺=社坊の筆頭として 松崎天神(防府天満宮)を管掌していた
社坊【大専坊、千蔵坊、乗林坊、等覚坊、圓楽坊、会所坊、密蔵坊、東林坊、西林坊】の九坊が在った
字幕訂正=5:05あたり〜正しくは菅原道真公と喫茶は縁が深いようです○
この後、其の3=黄昏近い防府天満宮を参拝します。
音楽(ニコニ・コモンズより拝借)
のる様作
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
don様作
halfway through one's journey
旧山陽道 防府市富海(二)旧山陽道散策 富海漁港、本陣跡など sm39780333
旧山陽道 富海(一)橘坂とて手懸岩の海の眺め sm39772962
西国街道 海田宿 <広島県重要文化財、名勝>千葉家住宅と泉庭園(初稿)
安芸郡海田町。江戸時代芸州浅野藩の東へ最初の宿場海田宿。街道筋沿いに残る千葉家住宅は宿場町の要職を務め、御茶屋、脇本陣に次いで要人の休泊にも利用された。
酒造業の傍ら「天下送り」や「宿送り」〜幕府や芸州藩の文書や荷物の継送を受け持った。
現在は酒蔵などは残らないが、座敷棟は数奇屋の趣向で作られたもので玄関の間〜次座敷〜書院座敷へと三つの座敷が続いている。江戸中期に建てられ現在も残り広島県重要文化財指定。
庭園は、泉庭園で江戸前期に造られ、座敷棟がつくられた江戸中期改修されたらしい。解説をきくと 広島城下の縮景園を模しているらしい。広島県名勝指定。
千葉氏は戦国期までは武士で(詳しい説明も聞いたんですが失念w)関東武士の千葉一族の流れをくみ江戸時代に商人として海田宿へ土着したらしい。蔵などに家紋月星門が印象的。庭園に氏神の妙見社が祀られている。この家紋は妙見大菩薩信仰に絡んだ「月星紋」
受付は住居棟側の裏側にあり、千葉家の住居跡が残され様々な生活用具が再現され昭和初期の生活なども垣間見れる。奥はパネル展示と座敷棟〜泉庭園と続く。2020年秋
うP後ライブラリー探したら追加画像が出てきたので追加版を作成します。
山口県光市 室積半島 峨眉山 普賢寺 雪舟庭園【枯山水】
伝雪舟作庭と言われる 枯山水。山口県光市 室積半島の峨眉山麓 性空上人ゆかりと言われる普賢寺 方丈前にある庭園。
周りの樹木も取り入れていて自然いっぱいです。苔がもう少し深いと感じが出るんでしょうけどね。
今回行きましたら奥の立木の枝が切られていました。
奥の三尊石(枯滝)中央 立石の存在感が半端ないです。あれは姿がいいですね。
梅雨時の中休みに訪問。
注)藪蚊が多かった・・・刺された。
記録用。
普賢寺 普賢堂 sm37230147
配置変更後のスカラバガーデンで狩してみた
RK・WL・修羅のトリオサポートメンバー セレナーデ湾・コートジェネ・オデンABRKは頭からルナティック帽、いたずらな妖精、パイプタバコ、幸運剣、アリス石盾、アンフロクレイトス、土テンドル肩、グリーンセフィロト、スノウア挿し回復の指輪×2の耐性より完全回避高めの装備で行きました。ABもコートもセレナーデも2PC操作なので移動狩が出来ない構成です。ご了承ください。ちなみにWLはクリムゾンセットを使っているのでリーチエンドで凍ってもすぐ割れるようにしています。修羅がヒールしないと死んでしまうのです。
まいにちいっしょP 庭・初日
まいにちいっしょポータブルで本日実装された「庭」の動画。
4:10ぐらいまでは庭の説明で、それ以降は何ができるのか調べながら遊んでいます。
庭・第3回アップデート後:sm7470767
吉川元春の武将二宮俊実(佐渡守)建立 禅宗寺院 松巖院と江戸期築庭の庭園 山口県岩国市藤生
松巖院は、岩国市藤生にある戦国毛利の一族 吉川元春の武将二宮佐渡守俊実の建立した禅宗寺院(臨済宗だったらしいですが 現在は単立寺院)です(動画は岩国の小瀬の渡し場跡の桜〜松巖院と進みます)
二宮佐渡守は、吉川軍主力の武将だったそうです。厳島合戦や石見攻略などでも活躍した。吉川元春〜広家と仕えたそうです。
境内奥の木立の中に二宮佐渡守の御墓と陶晴賢の供養塔があるそうです(未見)
開山は真如周伯和尚と由緒書きにありました。
吉川公の要請で八十を過ぎて「二宮俊実覚書」をしたためたと言われ 陰徳太平記など軍記の基本史料となったそうです
江戸時代19世紀(文化から天保年間)に住職月渓和尚により作られた二つの庭園があり作庭者や時期の記録(安政2年の文書に記録がある)も残り貴重な遺構とされる 市の名勝指定 1山門から本堂前に蘇鉄と苔の平庭(塀越しに瀬戸の海と島が借景となる)
2本堂南側にある築山や石組み、植木、池などのある回遊式の池泉庭があります。
築山には観音堂や地蔵がある。樹木が多く植えられているお庭でした。
庭園系のサイトの意見にありましたが樹木が多過ぎて確かに石組みが少しみづらいかなとはおもいました。今でも十分いいですけどね。
*本堂南面の平庭は簡素で苔と借景もよく大変結構でした。
付記=また山門下の石地蔵は切支丹地蔵であるそうです(後で知りました)
小高い境内に海や山の息吹を感じながら手を合わせたいですね
この日行きますと本堂は閉まっていたので外からお賽銭を入れ手を合わせました。
*行かれる場合 修行寺なのでまず御参りをさせていただいてから静かにお庭など拝見しましょう
僕は、このお寺の平庭からの借景の景色はいい〜〜なあと思います またお参りしたいです。
大田川を望む「旧加計町の町散策」昭和風な街並みと名勝 吉水(よしみず)園 山県郡安芸太田町加計
国道191号線を大田川沿いに北上していく安芸太田町へ至る。安芸太田は加計町、戸河内町、筒賀村が平成の合併で平成16年誕生した町である。加計の本通り商店街などまわる。
加計は19年にも戸河内出身の山仲間と秋に一度訪れているが久しぶり。
*吉水園(よしみず園)加計氏の庭園、山荘で江戸時代天明年間に作られた。
広島市の縮景園を改修した清水七衛門により幾度か改修されたという。太田川や山並み、町を見下ろす高台で名園として知られるが加計隅屋の個人庭園なため・・・・
春秋に限定で一般公開されるが、コロナ禍でここ2年公開されていない。
期間が短いからまだ中へ入ったことがないんですよね(´-ω-`)
注)加計氏=本姓は佐々木氏で加計の豪商 隅屋と言われた。明治以後名乗りを加計氏となる。
中国筋では有数の鉄山師でたたら製鉄を行なっていた。江戸後期に藩の直営事業となり鉄山経営をやめたらしい。さまざまな事業を行っていたらしい酒造業や銀行もしていたらしいですね
今ある新日林業加計出張所の建物は一時期銀行としてとして使われたようで登録有形文化財。
(wki、吉水園サイト参照しています)
たい焼き屋よしお は美味しいです 休みにはドライブがてらの車が並んでますね。
他に寺社で着天神や長尾神社(拝殿の絵馬がいいんですよ)もあるが今回は行かなかった。
17〜8年前に訪れた頃とはだいぶ静かというか寂しい閑散とした感じになっている気がする。
散歩したのは商店街なのだがほとんど開いていなかった。平日なんだが・・。
店はやや大きなスーパーマーケットができているのでそちらへ行くようですね。
月ヶ瀬温泉というのができているらしい・・長尾神社も含めまた行ってみる。
JR可部線の一部が廃止になり今はバスのみが運行されている。
圓光寺の庭
京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院紹介文⇒http://www.enkouji.jp/grounds.html
変なおじさんとこの 鶏さん322 集中豪雨と自作の水路
集中豪雨がきました
物凄い雨です
去年から今作ってる 水路周りの様子を確認してみました
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(三)補陀落の庭と茶堂・梵音の滝〜多宝塔 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
字幕訂正=梵音の滝は字幕では落差つ90m〜90尺27mが正しいです。
その3=その3は下山しながらと十六羅漢。茶堂、梵音の滝と補陀落の庭〜多宝塔(国の重要文化財)
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)sm39664828
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)蓮の花。.*:+☆ゆったりヒーリング・ピアノあとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
晩秋の錦帯橋 岩国城下の秋風景(2) 庭園風な美しい紅葉谷と「黄檗宗 獨立性易 禅師 一勺の水・・」
錦帯橋を建設する際のヒントや詩や文学、篆刻など文化面でも影響を与えた人物。獨立性易(どくりゅうそうえき)明から亡命した明朝の官吏(儒学と医術に秀でていた)日本で隠元禅師のもとで出家した。吉川公の病気治療の関係でたびたび岩国を訪れ滞在し吉川公と交流した。
話はこうです独立和尚が藩主と対話して、故郷の名勝の西湖の「西湖志」を所持しており見せて欲しいと頼まれ、来岩国した折藩主に見せた。その絵図に五つの島に橋がかかる絵がありこれがヒントになったそうです。
池の岸壁に詩を刻んだ、今でも一勺の文字が残るらしいが見た感じわかりませんでした。
晩秋の錦帯橋 秋の風情吉香公園西山麓しばらくしますと紅葉も始まります 周防 岩国においでませ。この後は紅葉谷へ。
長年来ていて今回独立和尚の跡を初めて詳しくみました(よくみてみなくてはと思いました)
令和二年五月の錦帯橋の様子(人気が少ないです) sm36871944
【フリモメン動画投稿祭2023】フリモメンと行く宿場町海田「千葉家住宅」と江戸期中期改修の「泉庭」の紅葉2022抜粋
上書き完了。今増補改訂に入ったけど間に合えば完全版も上げます
明日から三日仕事なんだよなあw 厳しい?
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時 1774年改修のお庭(江戸初期築庭)がある。
泉庭=広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
見学は第2、第4土曜前日からの4日間(音声は正しいが、字幕間違えてた^^; )
後半プロジェクトが消失したのでこのままいく。
2022年11月に訪問時のもの(iPhoneで撮影なので画質はそれなり)。
この時iPhoneしかなかったので紅葉の写真が日陰のあたりは厳しいですね。
西国街道(旧山陽道)広島から東へ最初の海田宿。
現在も街道の雰囲気を僅かに残す町。そこには旧千葉家住宅が現存する。千葉家は元武士で上総下総国、で勢力を張った千葉氏の一族である。永正年間(1504〜42年)安芸の国へ下向した。大内氏や毛利に仕えたのち毛利氏が防長移封の時に武士を止め広島城下で商人となり神保屋を起こす。
広島藩により海田宿が整備されると海田にて神保屋は酒造業などを営む傍ら天下送り、宿送りの業務に携わるとともに宿場の重要な役を務めた。
注)天下送り=幕府の公文書や荷物も運搬 継ぎ送り(広島城下及び上瀬野まで)宿(しゅく)送り=広島藩の公文書類、荷物の継ぎ送り(尾道奉行との連絡を中心)〜
家紋が蔵などにありますが=月星紋(つきほしもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
尺とニコニコの動画祭期間の時間の関係上写真中心で短めに。
〜広告御礼申し上げます ^^;人〜
龍休宗庵 様
nanashinogonbei 様
nopposan 様
イルカッパ星人様
めし太郎 様
変なおじさんとこの 鶏さん37 南国の雪
雪の光景がものめずらしいので 撮影してみました mylist/19682579