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日本庭園の名匠重森三玲の作 冬の「聚花山(しゅうかざん)の庭」記録(広島市南区本浦町)
広島市南区本浦にある「半べえ庭園」かつてこの地で果樹園を経営していた事業家の 金井半(なかば)氏が全国からツツジの苗を集め植えたことから始まる。戦後は広島遊園地と呼ばれツツジの名所であった。
昭和四十五年 古庭園の研究家重森三玲氏により聚花山(しゅうかざん)の庭が築庭されており多くの石を使い立石が庭一面に林立している様は壮観です。
現在は「半べえ庭園」として料亭、結婚式場、レストランに日帰り温泉を運営し、施設利用者は自由に 庭園を拝観できる。
現在では300種10万本のツツジがあると言われている(筆者は今回初めて行ったので花は未見です)
ツツジ山の聚花山を借景にした聚花山の庭、林泉の庭(江戸時代からある庭を改修)、水車の庭(重森完途 作)があり紅霞亭という茶室もある。温泉と併設されたレストランきすいからは輝水の庭が鑑賞できる。
レストランは予約制の本格的会席~ミニ御膳(2000円前後)、定食や単品のうどんそばなど1000円未満のリーズナブルなメニューもある。なかなか美味しいです 鯛釜飯は美味でした^^
レストランと日帰り温泉は2020年コロナ禍の中廃業。料亭は従来通りのようです。
場所は広島市南区本浦 広電バス仁保車庫行き4番で爾保姫神社入口で下車すぐ。
この辺りは、かつては仁保島と呼ばれた島であった場所。近くの丘に爾保姫神社が鎮座する。神功皇后にゆかりの神社で八幡神も勧請されている。
平成になり古い社殿が焼失し、近年新しい社殿が再建されていた。余り神さびた雰囲気はないです。車で上がれます。御朱印は大きな朱印が朱肉つけすぎで濃厚でした隣のページに色が・・・(^_^;)
2020年1月 雨上がりに訪問 記録
変なおじさんとこの 鶏さん37 南国の雪
雪の光景がものめずらしいので 撮影してみました mylist/19682579
西中国山地 加計の町並みと名勝吉水園の紅葉と巨樹筒賀の大銀杏〜 記録 第二稿
西中国山地 広島県県北 旧山県郡=安芸太田町(加計町、戸河内町、筒賀村が合併した)まず向かったのが旧筒賀村国道186号線沿いにある大歳神社大銀杏がある〜旧山県郡の西部の中心の加計の街並みや鎮守長尾神社、紅葉真っ盛りの名勝吉水園などへ日帰り旅。
安芸太田出身の山仲間に案内してもらいました。
広島県の北部旧山県郡=安芸太田町と北広島町(地域の中心は千代田あたり)に現在なっている。
大歳神社=樹齢1100年の大銀杏(近隣では紅葉で名高い)やや時期を外してしまいましたがみてきました。神社いい感じです。
加計町=旧山県郡の西の中心的な町。広島の三角州を作った太田川に沿った所。たたら製鉄でも有名だった。有力な鉄山師で豪商の隅屋(佐々木氏・今の加計氏)があった。現在も加計氏屋敷や旧かけ銀行の建物である新日林業事務所がある。まず車載で加計の本通り商店街を通り抜けて、その後ゆっくり散策しました。
吉水(よしみず)園=隅屋16代の造園した吉水園は庭園と吉水亭が建つ山荘。県の名勝指定。個人庭園のため初夏・秋2回の公開のみ。紅葉の江戸モミジが見事す。亭から見える大田川や山並みが借景だそうです。
長尾神社=加計の商店街の端にある鎮守。創建不詳・安芸国神明帳では古くは素盞鳴命が祭神だったらしい。
焼失し社殿を失い明暦に再建後、御祭神は厳島明神を勧請している。明治後近隣の13社を合祀した。 色づいた大銀杏が見事なのですが枝が刈り込まれてました。
境内は宮司さんもおられ整っている。大木もあり色づいた感じがいい。本殿は三間社春日造だそうです。社殿左手に愛宕社、右手に招魂社(だと思うんですが)がありました。拝殿の天井絵、特に江戸時代の絵馬は保存は良く見事なものでしたまた見にいきたいですね。
【Voicepeak 防長路巡り】香山 常栄広利禅寺と大内文化の遺構「雪舟庭」(リメイク版)山口市宮野下
真夏の山口散策リメイク版 毛利隆元菩提寺 臨済宗・常栄寺 雪舟築庭といわれる池泉と枯山水の庭を回遊して拝観しました。旅の記録として。
懐かしいなあ また行きたいけど 前よりよくなった自分で何回も見ちゃう^^
元の親作品は二本の動画でしたが。メインの雪舟庭の動画(保存していた)をベースにして作成した。
枯山水「南溟」と善生寺古庭園のUp済み動画は保存していませんでしたので一部素材しか利用していない。
元動画
枯山水「南溟」と善生寺古庭園https://www.nicovideo.jp/watch/sm35616440
禅の庭!真夏の西の京 香山・常榮廣利禅寺・・https://www.nicovideo.jp/watch/sm35951179
OP追加、EDの短い映像追加
冒頭に南溟庭の動画の素材が残っていたので新たに挿入しました。
基本筆者の記録用なので庭園詳細がよく確認できるようにしてあります^^;が、気になる部分をいくつか
カット修正しました。元動画よりちょい長めになった。
完成動画をベースにしているので、何ヶ所か元の素材映像と入れ替えました。
字幕追加
Voicepeakガイドと立ち絵を少しだけ追加 フル音声付きにしています。
音楽はニコニコモンズから入れ替えています。字幕で紹介を忘れたけど(余裕があれば上書きでなおすかも?) 親登録しています。
上書き後気づいてラストに南溟庭の案内板の写真消し忘れましたが再上書きできなかったのでまあいいか^^
撮影は2018年夏盆過ぎあたり。
元々は大内弘之(ひろゆき)が別邸であったものを母堂 妙喜殿の菩提寺 妙喜寺とした。そこへ雪舟に命じて築庭されたらしい。
関ヶ原以後、山口出身の毛利隆元夫人の菩提寺妙寿寺と合寺となっていた。
さらに幕末に現在山口市内の洞春寺のある場所から常栄寺が移転してきたという。
池を中心に回遊式の庭園は広く三方の山林も取り入れられた、
大規模な石組みがある大きなものです。
境内には他に円形の枯山水 前庭「無穏」があります。
*また、本堂の南側には古庭園研究修復や築庭家の重森三玲氏築庭の枯山水「「南溟Nanmei」もあります。ちなみに重森さんて元々日本画や生け花のの方をされてて庭園の研究は独学で開拓した人だそうです。
初夏の吉川氏城下町 吉香公園・紅葉谷 禅の古刹への旅 (山口県岩国市)
山口県の西の端 岩国市 毛利一門吉川氏の城下町 紅葉谷 寺院と庭。
岩国の禅宗の古刹 永興寺(ようこうじ)、洞泉寺(とうせんじ)を訪ねて。
6月と7月紅葉谷に残る寺院へ新緑とお庭を拝観に参詣しました。
紅葉谷はちょっと庭園風な公園、石や苔 木々に囲まれている。昔は(江戸時代?)寺谷と言われ寺院がたくさんあったそうで、昔のお寺の庭などの跡を公園に利用しているらしい。
永興寺=臨済宗天龍寺派。大内弘之(幸)公が仏国国師を招いて開山し建立した。その後七堂伽藍も建立され官寺にもされた寺格の高かった大寺。大内義隆や陶晴賢が安芸へ進軍の折や毛利が防長攻略で、ここに陣を張るなど歴史の舞台にもなる。
関ヶ原以後吉川広家により寺は解体され境内地は城郭や居館、武家屋敷などに転用された。現在の吉香公園の大部分は境内地だった。
のちに旧境内一部の現在地に再建されたが、明治の廃仏毀釈で寺領も失いさらに規模も小さくなり存続したそうです。
室町期の小規模な枯山水遺構が裏にあります(一応整備され市の名勝指定を受けた)山門から本堂あたりにかけてもみじの多い寺で以前は木立のあったエリアが墓地になっているそれでもまだまだは美しいので新緑紅葉時期が良いかなと。山門脇には近年再建の薬師堂と枯山水庭園があります。猫ちゃんもたまにいますよ。
洞泉寺=曹洞宗。吉川市の菩提寺として、1450年広島の新庄大朝で盤目山洞仙寺として創建 1603年吉川氏が岩国移封の時に移転寺号を洞泉寺と改めた。樹齢三百年の臥竜梅や梅の古木もあり参道が、御庭風でいいです。山門がなかなか風情がある。やはり一番梅の頃がいいかもしれません。
サムネは薬師堂前の新しく築庭された枯山水
柴犬奈々とオリーブの実
庭の端っこからオリーブの実を見つけた奈々。芝生の上に持ち出して来て、匂いを嗅いだり、咥えてみたり。
家族と庭 ~My Grandmother's Garden~
植物。それは写真撮りにとって避けて通れない存在。カメラを趣味にし始めた頃から、家族が育てた庭の植物をよく撮影してました。その懐かしい写真も今回動画の中に入れてみたんですが・・・、下手だったなぁ。当時。それにしても、庭に生えた花や樹を見ると、世話をしている人たちの人生が形になっているんだなと思わせてくれますね。真面目なことを言ってみました。投稿動画一覧→mylist/31323234
圓光寺の庭
京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺院紹介文⇒http://www.enkouji.jp/grounds.html
園芸愛好家・西口一希の寄せ植えコレクション11
寄せ植えコレクション。センスが光るお庭やガーデニングを紹介。
(寄せ植え(よせうえ)とは、園芸・盆栽用語で、異種ないしは同種の植物を同じ鉢やプランター、またはじか植えの場合に株元を近接して植えることをいいます。)
今日は庭の寄せ植えの例をご紹介します。
園芸愛好家・西口一希
重森三玲作庭の庭 漢陽寺庭園(蓬莱山池庭〜地蔵遊化庭〜九山八海庭)山口県周南市鹿野町
鹿苑山漢陽寺=明で禅の修行したという名僧 用堂妙機禅師 開山。大内盛見(もりはる)公 建立の臨済の名刹で大内氏祈願所として建てられた。末寺200ヶ寺を有する一大門派だったそうですがいまは昔です。
寺院の三つの庭を拝観
潮音道洞〜蓬莱山池庭(書院裏)〜地蔵遊化の庭(中庭)〜九山八海の庭(書院東側、書院内から硝子越しに観る)
昔、鹿野の莇ヶ岳 登山の帰りに山仲間と来て以来二回目の参拝でした。江戸時代に開削した潮音洞の流れが庭を通り町へ流れて行っています。
参拝のついでに記念撮影したものから再構成。
野菜と妹が零~月蝕の仮面~を実況してみた Part20
今回、テンションが酷いことになっています。
13:00~19:20までgdgdと戦っているだけなので、嫌な方はとばして下さいm(_ _)m
前回→sm6308205 次回→sm6345793 マイリス→mylist/10384534
ブログ→http://seroritoimouto.blog56.fc2.com/
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden)ショート版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園〜古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
ちなみにレストランきすいは半べい温泉と同じ場所にあります。リーズナブルなメニューからミニ懐石まであります。
2020.11.8武漢発コロナウイルス拡大と恐慌により温泉とレストラン部門は廃業されました。政府がきっちり保証してあげないからです・・・これからこういう事案増えるぞ!::
西国街道 海田宿 <広島県重要文化財、名勝>千葉家住宅と泉庭園(初稿)
安芸郡海田町。江戸時代芸州浅野藩の東へ最初の宿場海田宿。街道筋沿いに残る千葉家住宅は宿場町の要職を務め、御茶屋、脇本陣に次いで要人の休泊にも利用された。
酒造業の傍ら「天下送り」や「宿送り」〜幕府や芸州藩の文書や荷物の継送を受け持った。
現在は酒蔵などは残らないが、座敷棟は数奇屋の趣向で作られたもので玄関の間〜次座敷〜書院座敷へと三つの座敷が続いている。江戸中期に建てられ現在も残り広島県重要文化財指定。
庭園は、泉庭園で江戸前期に造られ、座敷棟がつくられた江戸中期改修されたらしい。解説をきくと 広島城下の縮景園を模しているらしい。広島県名勝指定。
千葉氏は戦国期までは武士で(詳しい説明も聞いたんですが失念w)関東武士の千葉一族の流れをくみ江戸時代に商人として海田宿へ土着したらしい。蔵などに家紋月星門が印象的。庭園に氏神の妙見社が祀られている。この家紋は妙見大菩薩信仰に絡んだ「月星紋」
受付は住居棟側の裏側にあり、千葉家の住居跡が残され様々な生活用具が再現され昭和初期の生活なども垣間見れる。奥はパネル展示と座敷棟〜泉庭園と続く。2020年秋
うP後ライブラリー探したら追加画像が出てきたので追加版を作成します。
カメラ担いで ♪♪ 1分弱で巡る 防長路1「宇野千代先生のお庭2023」 〜紅葉の始まり〜 岩国市川西
岩国市川西。古い町並みの路地にある女流作家、宇野千代先生の生家の楓と苔の庭 紅葉の始まりですね。
macソフトの写真で自動生成してみたらまあみれるのでとりあえずあげます。
動画も撮ったけどメモリムービーの自動生成ではだめなので後半カットした。
少し錦帯橋から離れてるけどおすすめスポット。
本編はぼちぼち・・榊山八幡も神社編を増補しなくては。
広告御礼申し上げます ^^;人
しづ 様
龍休宗庵 様
ビーバップ八戒 様
初夏の禅刹「松巌院’(しょうがん いん)」参拝と寺院庭園 山口県岩国市藤生
5月の夕方ごろに3度目の参拝(コロナ以来久しぶり)
吉川氏の武将 二宮佐渡守俊実(としざね)により慶長二年1547年建立の寺院。
二宮佐渡守俊実(としざね)
吉川氏家中の勇将で、厳島合戦に置いても吉川勢の主力として勇戦した。
厳島では小早川隆景の危急を救い、陶氏の重臣を討ち取るなど武勲を挙げた。
また陶晴賢の捜索にて首級を見つけ出したのも二宮俊実である。
*境内奥の林間の墓地には二宮佐渡守の墓碑と並んで陶晴賢供養塔がある
また毛利の石見攻略時の本城常光攻めなどでも活躍した
その後無常感を深く感じ、仏教に帰依していったという。
庭園は安政6年(1859年)頃の今北洪川(いまきたこうせん)著「松濤軒記」〜
江戸時代の天保15年(1844年)以前に当時住職の中谷月渓 和尚が作庭したとものと記載され作庭者や作庭時期が記録して残る庭園は資料としても価値がある。(日本庭園学会誌1966巻4号抄録記事参照)
1平庭の枯山水(蘇鉄、苔に石組の庭になっている)
2池泉庭園
斜面を利用した?築山の石組が滝のように配され橋がかかる。
水流があるようで石組下に小さな池を作っている。庭には大きな宝篋印塔がありますね。
今度石組なお参詣時には詳しくみてみたい。樹木などの植栽は多い感じです。
築山上には観音堂があります(地蔵尊も確かあった)
注)今北洪川(いまきたこうせん)元儒者で25歳で相国寺で出家した臨済僧。幕末〜明治期の代表的な禅僧と言われる。安政5年〜明治初め頃まで岩國の永興寺に住したらしい。明治後東京 麟祥院へ移る。さらに鎌倉円覚寺管長となる。雲水、在家にも禅を指導したという。wiki参照。
麓の火力発電所は2020年廃止されたようですね。
*広告恐れ入ります^^;人
今回は祖生新宮神社、長宝寺の帰り夕方近くだったので 疲れててささらっとしかみていませんがまた
機会があればゆっくり拝見したいです。
追加版予定。
追加情報7/2
本日スズメバチを見たのだが本堂と接続する茶室?の柱あたりに消えた隙間から内部へ?
巣がある可能性もあるかな?冬までは注意だね。多分もう寒くなるまでは行かない。
久遠山 海蔵寺と江戸時代の作庭〜石組(いわぐみ)池泉庭園 【禅宗寺院庭園】 広島市西区草津
広島市西区草津 曹洞宗 久遠山 海蔵寺と石組庭園(池泉庭園)
米帝の原爆投下で焼けたため広島市内の古庭園はほとんどない。
江戸期庭園の遺構が残るのは=貴重なものであります。今回で3回目訪問。
本堂=天保年間建立で江戸期の寺の本堂建築を今に残す。被曝建物でもあります。
旧市内は古い寺社はほとんど焼けているため残るものが大変少ない。
本堂は方丈の形式だが通常より大きな作りになっているそうです。
西区草津
草津の旧西国街道沿いにある寺社である。周囲には草津八幡(近代に遷座している)、鷺森神社や古い蔵元、寺社、コテ絵を観れる古民家なども点在するエリア。漁師町でしたが今は都市化され埋め立てが進んでいる。現在の牡蠣養殖を盛んにしたのも草津かららしいですね。
石組庭園=元禄時代に築庭された寺院庭園。本堂北側の斜面にあり。
本堂(方丈)書院から見る形式かな。岩が多用されていて三角形に近い池がある。石組は池の護岸から池上部にかけて重厚に組まれている。
西側(向かって左)には滝石組があり落水されていた(今もわずかにあるそうですが、枯れたりもしてるみたい)この時は枯滝のようでした。
滝石の横(左)にも横石を用いた石組が築山から下の方へ組まれている。滝石と横石の石組のあたりの築山はちょうど谷のような形状になっている。庭園ガイドさんのHPを拝見すると以前の写真からしたら山からの土砂が石の間に増えていますね。
夏なので草が茂っています。
海蔵寺サイト、海蔵寺さんの御由緒書、庭園ガイド(庭の紹介HP) サイト海蔵寺の項参照しました。
音楽
ニコニ・コモンズ のる様作
春は歌う。.*:+☆軽やか&華やかなピアノソロBGM
静寂の庭。.*:+☆しっとり和風なピアノソロBGM
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
晩秋の錦帯橋 岩国城下の秋風景(2) 庭園風な美しい紅葉谷と「黄檗宗 獨立性易 禅師 一勺の水・・」
錦帯橋を建設する際のヒントや詩や文学、篆刻など文化面でも影響を与えた人物。獨立性易(どくりゅうそうえき)明から亡命した明朝の官吏(儒学と医術に秀でていた)日本で隠元禅師のもとで出家した。吉川公の病気治療の関係でたびたび岩国を訪れ滞在し吉川公と交流した。
話はこうです独立和尚が藩主と対話して、故郷の名勝の西湖の「西湖志」を所持しており見せて欲しいと頼まれ、来岩国した折藩主に見せた。その絵図に五つの島に橋がかかる絵がありこれがヒントになったそうです。
池の岸壁に詩を刻んだ、今でも一勺の文字が残るらしいが見た感じわかりませんでした。
晩秋の錦帯橋 秋の風情吉香公園西山麓しばらくしますと紅葉も始まります 周防 岩国においでませ。この後は紅葉谷へ。
長年来ていて今回独立和尚の跡を初めて詳しくみました(よくみてみなくてはと思いました)
令和二年五月の錦帯橋の様子(人気が少ないです) sm36871944
下松市の指定名勝〜旧内藤家(大内氏に仕えた)邸跡庭園 遺構 【隠れた紅葉の名所】 山口県下松市
毛利の防長制覇後に大内氏重臣 内藤氏の一族の一人が帰農してこの地で庄屋として江戸期をおくった。
庭園はそまま残るが池は水がなく、荒れ加減の廃墟感の中美しさもある。
紅葉がいい色を醸しはじめていた。
心字池、石組、出島んどが残る。
この時悔やまれるのがNikonの一眼をを忘れたことやな
整備したらよくなると思うんだけどなあ
重森さんみたいな人が修復してほしいね
旧内藤家屋敷への道 渓流 紅葉 銀杏の彩り
屋敷とへ 紅葉、庭園の様子
帰り道の風景〜滝の口河川公園の紅葉(再録)
初秋の半べい庭園 聚花山の庭(Syukazan Garden) 長尺版 広島市南区本西浦
庭園レストラン 半べい庭園 長めです 記録用として。
古庭園研究や作庭家の重森三玲氏が築庭の庭園がある。
二代目社長が重森氏に依頼して築庭したそうです。ふんだんに石が使われています。
庭の名前の聚花山の庭=花をあつめた山の庭 ほどの意味です。半べい庭園は昔は広島遊園地と呼ばれつつじの名所として有名らしいです(花の時期は未だ訪問したことがないんですが)
8月の終わりに訪問・・猛暑の終わり頃、池の水がやや濁り気味状態が悪かったです。造園業者が入っていて隣の庭は見れませんでした。料亭の庭なのでライトアップ資材など人工物ががあちこちあるのは仕方がないですね。年月が経ちますがよく保存はされています。
重森氏は元来花道の専門家でのち独学で庭園を研究し様々な古庭園の修復や新しい庭の創造を行われた。私が実際行ったところでは〜周南市漢陽寺、松尾大社なども築庭している。宇部市宗麟寺 龍心庭も重森三玲氏が修復している。
邇保姫神社前バス停が一番近いです (広電バス〜4号線仁保車庫、向洋行)車だと国道2号線を広島市中心部から走ると東雲の先で本浦交番前交差点で右折する。右手に看板が見える。案内に沿って広島市工業高校周囲を回り込むようにすすむ。一方通行が多い地域なので注意。
*レストランか料亭、入浴施設などを利用されると見学できます。
レストランと入浴施設はコロナ禍で廃業になりました。メインの料亭のみになりました。
旧浅野家 庭園 国名勝「縮景園」 その1 園内へ灌花井戸、清風館外観、大蘇鉄(明治100年記念)周辺まで。
縮景園(しゅっけいえん)=元和2年(1620年)浅野藩主 浅野長晟により造られた別邸の大名庭園。
築庭者は、武家茶道上田宗箇(そうこ)流の流祖で浅野家家老で茶人上田宗箇その人。
回遊式池泉庭園である。
その名は西湖を模したともいくつもの名勝を縮めて表現したためともいわれる。
また林羅山が浅野公の求めに応じて書いた詩文の冒頭句から名付けられたとも言われる。
元々は江戸時代以来正式には泉邸と言われていた。戦後、縮景園が正式名称となる。
築庭後、幾度か改修や拡張がなされ現在の形となる。天明年間に庭師として知られた京都の清水七衛門(加計の吉水園なども改修している)による大改修でほぼ今の原型が定まったと言われる。
そのほか文政期に行われたらしい。他に寛政年間に1度、文化年間に2度の改修が行われたようです。
1940年昭和15年に浅野家から広島県へ寄贈された。
清風館=書院風な数奇屋造りの平家建て柿葺の建物。戦後再建された。よく茶会で使われるので何度も見学しています。中でお茶を飲むといいですよぉ。上田宗箇流 武将の茶らしくて所作がかっこいいからね。今年は茶会あるらしい。
大蘇鉄=樹齢300年くらいらしいです。上田宗箇流家元の寄贈で明治100年記念に植樹されたもののようです。よくニュースなんかに出ますね春の菰(こも)はずしとか。
京橋川沿いに位置しており川から水を引いたり、井戸から組み上げている。
池(小島がいくつもある)、築山、茶室、居館、東屋、滝や流水などがありかなり広い。
今回は東側中心で撮影した・・できるだけ人が映らないように苦心しました。
築山好きなんだけど動画撮るの上手くいかないわ。平日にまたいこうお茶して帰ろうw
まーだ東屋や西側は撮影してないんだな・・・人が多くてw
原爆投下により建物等樹木なども焼失したが、戦後復興され市民に公開された。
広電白島線〜縮景園前か広島駅から至近なので徒歩でも行けるよ。
縮景園HP記事、ウィキ参照
音楽:ニコニ・コモンズ 忘却の都~ノスタルジックなBGM~
作者名:のる様
【西国街道海田宿】旧千葉家住宅の紅葉 抜粋版
西国街道の海田宿跡にある 天下送りの中継も受けた千葉家の旧住宅
座敷棟 県文化財
庭園 県名勝
ダイジェスト版
宇野千代 生家の庭園(一) 紅葉の初め頃 岩国市川西
岩国市川西の旧道筋ににある宇野千代さんの生家。宇野千代さんの残された苔と楓の多い庭と遺品などが今も守られ公開されています。
R3年の紅葉時期に二度訪問
その1回目 紅葉初めの青と赤の混じった庭園の風景。
宇野千代さん生家=登録有形文化財。庭が大変素晴らしい。苔庭です。紅葉も最高。
その」1=紅葉初め その2=紅葉終盤期の様子を少し。
岩国観光ではお薦めです、