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【けんけん動画】広島県道247号線《廿日市材木港》
広島港廿日市地区材木港と国道2号上平良(かみへら)交差点を結んでいる、全線片側2車線の港県道(廿日市港線)を、国道側から走った動画です。
県道走破後、広島はつかいち大橋まで足を伸ばしています。
●撮影日:2010/ 5/ 3
●BGM:eucalyptus.さん(Dempa Music:http://dempamusic.com/)
◆うpリスト その6:mylist/18536475/車載動画以外:mylist/16971374
西国街道 大野中山 疣観音堂と今川了俊歌碑 広島県廿日市市
西国街道(旧街道の山陽道)の廿日市の宮内〜四郎峠を西へ下ったところにあるお堂。弘法大師のイボ取り伝説のある御堂である。端正な石仏の観音像である。
川のの合流点にありここよりやや下った場所が一里塚の松があった場所らしい。
今川了俊は貞世と言い遠州今川氏であるらしい足利義満に仕え九州探題として赴任、大内氏や九州大名の力を糾合し南朝方と戦を繰り広げた。
文化人としても優れ 和歌、紀行文(道ゆきぶり)、歴史書(難太平記)などを残す
今川了俊公の歌碑(後2箇所)歌碑の歌は道ゆきぶりに書かれているようだね。
JR大野浦駅、宮浜温泉に近い向原石畳道の上の方にあり
防府市の鞠生にもあるらしいんだけど(老松神社参拝の後に探したが迷ってしまい)いまだ行けてない。
この旧山陽道(高速建設などもあり大体この辺りだが)四郎峠(この辺りを昔大野氏とかいう兄弟が入植開拓したとか言われ大野四郎が開拓したことからその名があるらしい)はさみしいところなので昔は追い剥ぎなんかも出ていたらしい。
今川了俊は地御前神社、厳島参拝後 地御前あたりから山に入りおおの中山へ抜けたと何かで読んだ(HPか本だか忘れたんだが)
「癒しの☆渓流と無名の滝」 清々しい沢音 【広島・山口県道2号線】岩国市秋掛〜廿日市市浅原付近・市野川支流
R4/7.20 険道部分にある渓流と滝の散策映像。
広島山口県道2号線天尾・佐伯線途中の山中にある渓流(険道的な区間)
〜小瀬川水系の市野川へ流れていくおそらく支流〜
山口県美和町秋掛と廿日市市浅原境界あたりから少し散策してみて歩いた。
昔の長州の山代街道付近ですね。
市野川あたりにはまだまだ滝のようになったところがあるらしいです。
〜8分7秒前後の部分は廿日市市浅原を流れる市野川へ合流するあたりの橋からの映像ですね。
市杵島姫伝説の 湯船の滝 広島県廿日市市
大竹市松が原に隣接する場所で、県道289号線沿いにある滝。
雨量がまとまった後でないと迫力はないだろうな。
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
風にそよぐ花。.*:+☆ゆったり優しい ピアノソロBGM
〜ニコニ・コモンズより 作者名:のる様
厳島神社境外摂社 外宮社 【地御前神社】 御陵衣祭(馬飛ばし) 広島県廿日市市地御前
2022・6・3 廿日市市 厳島神社外宮社 地御前神社祭礼 編集がんばったぉ
厳島神社境外摂社 地御前神社は島の本宮と同時に創建された古社。
厳島本社=島の御前 地御前=地の御前
00:00 地御前〜町家、寺院、御堂、大歳神社
03:36 地御前神社境内色々
04:40 拝殿内〜神事〜厳島神社神官による舞楽
07: 38 境内模様〜流鏑馬(馬は走りません)
09:08 釈迦堂と丈六釈迦坐像
平安末期には十九の神殿や殿舎が並んだと言われます(wiki参照)
最盛期と比べ規模縮小している。
神事〜お祓いを受け後〜舞楽奉納〜流鏑馬(拝殿前〜釈迦堂前)
釈迦如来坐像 丈六佛で坐像だが立てば4.8mになるサイズで作成された大きなもの。
坐像の象高さ2.9m膝張2.3m
広島でも最大級の釈迦如来坐像。
定説=地御前神社の神宮寺のにあった仏像が廃仏毀釈を免れて祀られている。彫刻の様式から製作は室
町時代とも言われる。
地元で詳しい氏子さんに聞いた説=以前 京大の教授が調査。玉眼が用いられていないタイプの仏像でおそらく製作は平安末期ではないか?との説があるようです。
厳島明神社のどこかに(宮島)にあったものを廃仏毀釈から守るため伊予国へ預けた〜後に返され寺子屋だった建物に祀った。
広島県の小瀬川温泉〜湯来ロッジの満開の桜めぐり 2022
本多田、美和に続いて、令和四年のお花見がてら見て歩いた記録 廿日市と湯来町
国道186号沿線 広島山口県境の川〜小瀬川沿いの小さな温泉の桜
この時期は人出が多い・・。うどん屋さんの丸忠さんがやってるのでおうどんが美味しい。
名水や温泉水(ラドン水)も汲める。
ここは鉱泉の源泉のやや上の巨岩を神体に小瀬川神社も建立しておられますなかなかすごい岩です。
雰囲気があります。
湯来ロッジの桜
広島市佐伯区湯来町多田 湯来温泉にある国民宿舎 掛け流し
夏は蛍、春は桜がいいですね。
この日は他に神原の枝垂れ桜巨樹へも行きました。
【天神さまの〜観梅】西国街道 廿日市天満宮境内&初春の広島湾の眺め
梅の花がちょうど見頃で(一部まだ蕾の木もあった)ちょいと山登り(わずか)して散策した。場所は宮島も近い旧廿日市の中心部で旧道の旧山陽道(西国街道)が 社前を通っている。宿場町跡である。
廿日市天満宮(すぐ横が旧別当坊の正覚院)
創建は厳島神主家に就任した藤原親実により荏柄天神を勧請した桜尾城の鎮守として建立されたもの。
山は開発で峰続きがなくなっているが、桜尾城の支城〜篠尾城があった。墓地などがありそれが山の名残かなと思う、裏からも道があるようです。
江戸時代までは天神坊と呼ばれた神仏習合の寺社。
小高い山上からは極楽寺山、野貝原山(のうが高原)、舟倉、権現、経小屋の山々、
宮島〜能美島、似島、広島市方面の広島湾の島々が一望である。
音楽 ニコニ・コモンズ
のる様作
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
donさま作
halfway through one's journey
廿日市総鎮守 篠尾山「廿日市天満宮」からの夏の展望 風景
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
快晴より多少雲がある方が変化があり景色は面白いですね。
創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任。wiki参照。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良・動画あり)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
車載 広島県道471号 所山潮原線線 西中国山地 廿日市市四和地区〜吉和 魅惑の里まで 全長版
西中国山地県道295号助藤津田線の四和小学校跡前〜四和郵便局前分岐で471号線へ入り渓流沿いにのぼり樹林帯で高度を稼いでいきます。太田川源流の森表示のある峠までが前半。
峠の太田川源流の森の標識が記憶に残っていおいて再訪しました。
いくつか修正をしました品質重視で書き出し直しこれで完成とします。
後半〜下りで綺麗な森林帯を魅惑の里へ降っていきます。
元は林道だっとかで結構カーブが多く狭い道です。太田川源流の森の表示が峠かな?途中にあります。
旧佐伯町四和あたりから吉和まで。吉和魅惑の里(キャンプ、宿泊、温泉など自然林に囲まれた観光施設)が終点です。峠までの道がきついですね。
前半は作り直しで書き出しなおしてあげ直しです。画質をより滑らかにしました。容量を超えるので一部カットしてます。
基本樹林帯の画面の速いところはあまり速いと画像が見づらかったので1.5倍速、後半はそのままにしてます。
やはり峠までの前半は険道の部類に入るんじゃないかとおもます。小枝に小石とかいろいろ落ちてんだからねw
四和〜魅惑の里 なかなかいい道おつでした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series
初秋の宮島散策(3)分割版 後編 大聖院から厳島神社参道、夕暮れの御笠浜の海
サムネ 荒胡子神社と五重塔 ~ 宮島港の先から始まるうぐいす歩道を途中で外れ〜光明院前〜塔の岡〜大聖院へ至ってからの続き。 すこし増補しています。
その3ルート=大聖院〜厳島神社裏〜塔の岡下の御文庫〜末社 荒胡子神社〜神社参道の夕暮れ前の海辺まで。
訂正=大聖院観音堂御本尊は〜千手観音菩薩ではなく →十一面観音菩薩です。
思い違いをしてしまいました^^; ちゃんとお姿見てるんですけどね
夕暮れ前の海が綺麗でした。初秋の風情を味わいました。
分割版その(2) sm37641634
宮島・厳島関係 https://www.nicovideo.jp/series/82780?ref=user_series
小瀬川ダムへ行ってきた《廿日市市・岩国市・真珠湖》
広島県廿日市市と山口県岩国市に跨がり、ダム管理も両県が共同で行なっている、小瀬川ダムへ行ってみました。
●撮影日:2012/10/18
●BGM:uminekoさん(音楽工房夢見月:http://www.yumemiduki.jp/)
◆うpリスト その12:mylist/33764785/ダム:mylist/33220341/車載動画以外:mylist/33852123
真宗王国広島【廿日市市重要文化財】永泉山 教専寺 山門(元禄時代建立・茅葺の鐘楼門)と山里〜広島県廿日市市津田〜
山間の風景と寺院の山門。元禄時代に建立の鐘楼門で珍しい茅葺の屋根を載せている。
廿日市市の重要文化財指定。
安芸国は真宗王国だったので真宗寺院が断トツ多いです。なかなかいい造りの寺院もありますね。
旧佐伯郡の山間部にある 廿日市市津田 県道293号(以前渓流の動画話あげている)沿線にある 浄土真宗寺院の山門である。
前で参拝し茅葺の珍しい鐘楼門を見学してきました。
なかなか美しい山門でした。周囲は勝成山が眺められ、季節の合歓の花が咲いて いい風が吹いていました。この後県道を少し遡り渓流を見に行きました。
訂正→県道293号は本多田佐伯線でした。県道295と間違えた。
展望の城跡 上勝成山 勝成林道 車載登山 R4.5 廿日市市津田
広島県西部の廿日市市 津田。林道勝成線 車載登山(一分弱登山動画祭参加動画の番外編)
廿日市旧市内から山間部へ向けて走る県道30号線に乗り津田というところへ(旧佐伯郡佐伯町の中心部)ここから県道293号線へ乗り上田宗箇が隠棲した地の浅腹方面へ向かうと勝成山いこいの森の看板があり橋を渡ると林道が始まる。
かつては山には大内方の陶氏の勝成山城があったと言われている。
城主の名前が陶勝成であったそうです。新緑も美しく先週は山頂まで(同行者が登山無理なんで)車にて、今回は下勝成山(ここも城跡)分岐の少し上から林道登山しました。
この近辺では山頂からの眺望はピカイチですね。
山頂の映像は車載時と後日の登山時のものです。
山の説明をしてくれているハイカーさんの声が入ってますねw
音楽 ニコニ・コモンズより
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
作者名:のる 様
【紅葉風景】厳島神主家菩提寺 曹洞宗 洞雲禅寺 広島県廿日市市
境内の大銀杏の紅葉、サザンカ、境内社の風景。
應龍山(おうりゅうざん)洞雲寺(とううんじ)初冬の銀杏など紅葉風景。
廿日市駅の北口を出て近い場所にあり以前は、周りは山林が多かったが、開発され住宅、スーパー、新しい道路(佐方へ抜ける)ができて都市化されつつあるエリア。
金岡用兼(きんこうようけん)禅師は周南市にある陶氏の菩提寺古刹 龍門寺の住職であった名僧で洞雲寺の開祖である。本山の永平寺復興などに携わった名僧だった。
金岡禅師の門下は金剛派として周防 渓月院、長門 功山寺、阿波 丈六寺などと4大道場と言われたらしい(以前参拝した渓月院の由緒書にあった)
陶晴賢の墓所、友田(藤原)興藤墓所、桜尾城主として赴任していた桂本元澄や穂井田(ほいた)元清夫妻(毛利元就の子で長府藩祖 毛利秀元の実父)の墓所もあるようです。 2020年秋頃に訪問
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【まとめ記録編】
サムネ=客人宮と大楠。いくつか画像を追加、整理 し直して記録として流れでまとめておく。
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに
宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロ
【モリアオガエルの池】(卵からオタマジャクシになりました)観察の巻
広島県西部廿日市市の山中にあるおおの自然観察の森へ再び遠征してきた。モリアオガエルの卵のその後の様子を少し観てみました。
県道30号線から旧佐伯町〜42号線〜渡の瀬貯水池〜林道〜権現山の中腹くらいでかなりな距離がある。
池生き物たち オタマジャクシ、イモリ、ミズスマシ、アメンボウ、メダカ、小さなトンボみた。
モリアオガエルの成体は見たことがないので一度実物を見てみたいものですが、先日京都の高山時のTwitterで見たけど結構大きな感じでした。
【宮島の道を行く】風情ある「多宝塔」へ石段の道を行く(名残の島の紅葉 風景)2020冬
真冬の宮島へ。清盛神社の入江〜大元浦の水族館前の紅葉〜厳島神社の多宝塔へ登る石段の道、多宝塔〜幸神社〜夕方の表参道 海側 有之浦の砂浜。
サムネは多宝塔への石段の道
多宝塔=戦国期の建立 薬師如来が祀られていた。明治以後厳島神社に付属し仏像は大願寺へ移されたようです。インドの舎利塔 ストゥーパ(卒塔婆)が原型の塔の形式だそうです。
大願寺のすぐ近くの厳島神社宝物館 横に石段の登り口がある。あせび道経由でも行ける。
幸神社=江戸時代までは牛頭天王なども祀る祇園社だったらしい。神社周りを「護王の前」町などと読んでいたらしい。現在祭神は猿田彦命などで道祖神を祀る神社(もともと一緒に祀られていたんでしょうかね?)紅葉がまだ残っていました。
有之浦=商店街の前あたりの海。商店街出口の石鳥居の近くから降りた砂浜からの景観。
その2(同日の厳島神社) sm38014495
旧村社 宮内天王社〜社叢の紅葉 (旧・厳島神社兼帯社)1
イチョウなどの紅葉が鮮やかな初冬の境内風景。1週間くらい前に一度参拝しまして再訪。
元来は天正年間に広田神社の元鎮座地の麓にあった。海の近くなので津波災害で現在の宮内へ遷座した。元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だった。
明治後は八坂神社と改称したが戦後S44年頃 宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社の一つだった。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。
1週間前と今回、今年都合3回目。
石段下のイチョウがまだ紅葉しきっていませんでした。
2018年か2017年頃に行った時は、落ち葉がまだ片付けられていない時、行きましてもう境内全て黄金色だったですね。
厳島神社外宮 地御前神社(もうひとつの厳島神社) 広島県廿日市市地御前
厳島神社の外宮 地御前神社
今はJRが社殿裏を走り 鳥居の前は広電や国道2号線が走る。
かつては島が人が住まない時代 神官や僧侶も地御前に住み 島へ通ったと言います。
祭神や創建は厳島神社と同じと言われています。
今は時に走る電車の喧騒の中佇んでいます。
社殿は朱塗りで美しいが拝殿の横からしか見えない。
御祭神は厳島神社本社と全く同じく。
地御前神社参道は 宮内別れ交差点から北へ入り旧山陽道をゆく。
宮内串戸JR駅へ入る少し先で左折 し小さい橋を渡ったところから始まる。
墓地や町家などの狭い間を抜け小学校や大歳神社、釈迦堂の前を通り 踏切を越えれば境内。
途中には真宗のお寺などもあります。 かつては境内は広かったんだろうと思われます。
行き方
JR宮内串戸から徒歩(少し遠い)宮島街道(国道2号線)沿いに西へ歩けば行けます。
または地御前参道を西へ西へ歩く(途中何箇所か分岐あり)
広島方面からならバイパスを走らず旧国道2号線(宮島街道)沿いに
漁港を過ぎたあたりに踏切がありそこを渡たっても境内に入れる。
広電地御前駅からが公共交通だと最短距離。踏切を渡り 左に入る道がある 小学校方面わずかです。
動画の道がそれ。
祭
旧暦6月17日の管弦祭 2018年は7月29日夜満潮の頃管弦船が神社前の海へきます
初夏の御陵衣祭 拝殿で間近で舞楽など拝見できます。
観光の中心からは外れており静かですが、観光でもしお時間があればお参りください。
武・漢発コロナ大流行禍の年(令和2年)梅雨時の様子 sm37384152
地御前漁港近くから宮島の眺め sm37993318
厳島御神能を開催中の宮島へ「晩春の宮島の新緑と桜を見ながらウロウロ 」 R 4・4.16
春の海と桜と新緑 宮島を散歩します。季節はもう初夏かって感じですね
2年ぶりに厳島神社桃花(とうか)祭御神能(ごじんのう)が通常開催された。宮島へ渡り配管へ向かう。どうせ遅刻と脇道を寄り道しながら晩春らしい景色を眺めつつ神社へさらに大聖院へ向かいました。人混みが嫌いなので商店街は通りませんでした・・^^;
春の宮島を点描風に振り返る動画。
ラストの一枚はチベット仏教の砂曼荼羅。
ちなみに梵鐘をついているのは安国寺恵瓊大好きな妖怪系生主様です。
【県道車載】 県道295号 助藤佐伯線を大虫の枝垂れ桜前まで
広島県西部の廿日市市の山間部 旧佐伯町エリアの虫所山 大虫(むしところやま おおむし)へ車載です。大虫は県道295号をたどり山中深く入った限界集落ですがいいところですね。
県道30号(岩倉から)〜 県道295号線を走る。
大虫の枝垂れ桜まで(ただまーだ咲いてまへんでした) 2019年の桜の映像を最後に入れといた。
以前走った時よりは画質はいいかなと。
県道295号の四和〜大虫 間が大型車は通行不可能なやや険道的な区間になります。この後、湯来町へ向かいました。軽自動車、普通車なら問題ない。
【夏の瀬戸内の青い海】宮島と本土の海峡 狭隘部 大野瀬戸、西端の下灘〜鳴川海岸
観光では見ない安芸の宮島(厳島)の別の顔。夏の瀬戸内の青い海と島。
1廿日市の大野瀬戸と呼ばれる厳島と本土の海峡の最短部分。島の浜辺は室浜海岸である。
2下灘〜鳴川の海岸 よくマリンスポーツや海釣りをしている人がいる国道2号線沿いの浜辺あ〜宮島の最西端部分を眺める。西側のコンビナートは隣の大竹市の重化学工業のもの。
鳴川を越えると昔でいえば旧山陽道の玖波宿である
【安芸の宮島】島の対岸から晩秋の青い海と島の美しい眺め 広島県廿日市市
宮島口の上にある青葉台の展望の良い公園から&阿品海岸 火立岩(ほたていわ) 近くのから。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835
安芸のお伊勢さん〜原の伊勢神社(葛の花と境内から見る広島湾)絵馬なども。R3初秋
廿日市市原 極楽寺へお参りと涼を求めてドライブがてら出た帰りに立ち寄り参拝と境内から海を眺めた。秋の七草の一つクズの花が咲いて秋の気配が濃厚な境内。人気はなく寂しい感じだった。
拝殿の絵馬が古くて武者絵がたくさんありました。明治以後の兵隊さんの絵もあったね。
BGM=のる様作(ニコニココモンズ)雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
【廿日市 天神 山麓界隈散策】〜真宗 蓮教寺と大蘇鉄 (はつかいち市天然記念物)
天満宮の山麓界隈を散策。本陣後の楠と石碑〜JR駅側からの風景〜西側山麓の浄土真宗 古刹 蓮教字と県下第4位ソテツの古木、境内風景。広島県歴史散歩に出ていたのでお参りしてきた。結構風情があります。
注)三業惑乱(さんごうわくらん)=浄土真宗で江戸時代本山学頭 功存により 意(心)口(言葉) 身(身体活動)の三業を通して弥陀仏に救済を求め全てに信心帰命の姿が伴わねばばらぬとした自力要素のあるものだった。これに対し批判が起こり 安芸の学僧大瀛(だいえい)らはその資料を集め団結、批判を展開した。宗派内では解決できず幕府の寺社奉行の前で討論がなされ古義派の安芸学僧らが勝って異安心(異端説)が正された。しかし騒動中に死者や獄死者や遠島、本山の閉門100日間の沙汰も出るほどの騒動となり真宗史上の大事件であった。wiki参照
廿日市天満宮 創建は厳島神主家 藤原氏の桜尾城の鎮守として建立された。篠尾山sasao yamaちょいとだけ山登りです。大変眺めが良い。都市化されてしまっていますが広島湾の島々がよく見て取れます。宮島なども指呼の間に見えて厳島神主家の支配の出城とされた場所です。
厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。
江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。
明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)
サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。
〜巨樹の風景〜 県天然記念物「津田の大カヤ」巨樹 広島県廿日市市津田 真幡(まはた)神社内
佐伯地区の津田にある真幡神社の社殿に傘を差しかけたようにそびえる御神木。
たまに行きたくなる。久しぶりの参拝記録。
樹高35mもある常緑針葉樹カヤの巨樹。県下同種で最大の木である。
モミに似ているが葉の先や果実の形状がが違う(もみの木=葉は先が割れ、果実は球形)
カヤの木は用材としては碁盤や将棋盤に用いられることが多い木でもある。
また、カヤの木の実は、楕円形で果実は鮮やかな緑の肉質の仮種皮に覆われているが熟すと紫褐色となる。熟すと割れて種子を落とすようです。
種子=食用になり アク抜きをして そのまま炒る、餅につき込みなどなどして食すようです。
また油が多いので、昔は灯火用の油(灯明)や食用油などに使われたといいますが見たことはないですよね。探偵ナイトスクープでお寺に保存された油で天ぷら?したのを見た記憶がある(曖昧だけど)
カヤの実、自体をあまり見る機会がないので初めて見ました。綺麗な色をしている。
2021 真夏
*文化財の詳細は県の広島大百科サイト津田の大カヤの項を参照しています。
武将茶人〜上田宗箇(そうこ)ゆかりの 史跡 名水「岩船の水」 広島県廿日市市浅原
戦国から江戸初期の武将で浅野藩の家老 上田宗箇ゆかりの場所。廿日市市の史跡である。
浅野家内での揉め事から3年ほど隠棲した上田宗箇はここ廿日市市北部の浅原で草庵を結び茶事三昧に生きた。
佐伯郡(大竹や大野、旧佐伯町)辺りは上田家の領地であった。住民にも慕われたらしい。
毎日ここへ清水を汲みに来て民家でやすんで庵へもどったという。
水は今も守られ茶に合う名水として親しまれている。
東屋に囲炉裏があり休息できるようになっている。水量は絶えないがそう多くはない感じです。
夏場は虫が多い(蜂もいた)
歴史=上田重安(のち剃髪して宗箇と号した)従五位下主水正。
尾張星崎村出身で元小笠原氏を称し、重安の時代に上だと改めたらしい。祖父の時代から丹羽長秀の家臣であった。武勇にも優れていたようです。長秀なき後、秀吉直参で1万石の大名となった(豊臣姓と冠位を授かる)関ヶ原で西軍に与し改易。
蜂須賀家の客将〜さらに浅野家(妻が高台院尾根の従兄弟の娘で浅野との関係も深かったらしい)に乞われ1万2千石で家老となり浅野とともに芸州へ移った。
茶道(利休〜古田織部に師事)作庭に優れた文化人でもあった。和歌山城西の丸、粉河寺庭園、名古屋城二の丸庭園、広島の縮景園など作庭がいまものこる。
死後今の廿日市の串山で荼毘にふされ遺灰は砕かれ大野瀬戸(宮島海峡狭隘部)に流された。墓には遺髪と一本松が植えられているそうです。
<天然記念物ツクバネガシの巨樹と紫陽花> 友田「速田(はやた)神社」R3 広島県廿日市市友田
緊急事態明け今年初めて旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。天気で暑すぎず蒸し蒸しもせずいい日和でした。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種ではおそらく一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで友和公民館が近い(Pあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も一間社流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回4目かな。
今年は緊急事態で錦帯橋の紫陽花や菖蒲の花を見損ねたので紫陽花が見れてよかった。
この日は湿気も少なく紫陽花も満開で、もみじの色も新緑も上々。
令和三年梅雨の合間に