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広島 花巡り1(shidare sakura)〜 天然記念物のしだれ桜(大虫)R4
2022.4大虫の枝垂れ桜 (廿日市市指定天然記念物)廿日市虫所山の大虫地区に元禄時代からある、樹齢三百年越えの古木です。
(周辺に幾本かこれより若い枝垂れ桜が点在する)旧佐伯町津田から県道295号線〜293号線に入りすごい山奥で途中険道(名勝・万古渓あたり)素晴らしいけど行くのが大変です。
今年は2回行っています。花前と最盛期を過ぎた頃。タイミングは難しい。
花前の映像は車載動画した時のもの。
この後、湯来町をこえて阿刀明神社の桜を見に行きました。
半年以上経ってやっと手をつけた・・^^; よ〜 木の雰囲気がなかなかすごいでしょ?
その二は予定では神原のしだれ桜巨樹です。
山口県の神社巡り 清流の町錦町 府谷・須川 河内神社三社巡拝編 岩国市錦町
清流錦川流域錦町の神社巡りと日本の風景 河内神社三社の紹介。
前回は旅動画・・今回は神社編です。二ヶ所の画像データ追加しました。
府谷の河内神社 川沿いの道の駅ピュアラインにしきにあり。明るくひらけている。
須川 河内神社 社殿も古いが彫刻もいい。大杉が多い 手水鉢がも面白い。
江龍寺 俊道様 下の病を癒す徳のある寺院。俊道大和尚の墓所へお酒を供えて祈願する。
上須川 河内神社 宇佐川沿いの上須川にある渓流沿いの御社。境内に岩国市重要文化財指定の大杉がある。スズメバチが飛んできたので本殿の写真は無しです。国道から少しだけ入った場所でちょっとだけわかりずらいです。
領主(開拓者?)讃井清原兼道により創建されたと伝わるらしいです。神木の高さなどデーターがサイトにより違いがあるが岩国市のHPを参照しています。
西国街道〜広島市草津 神社巡り 「幸(こう)神社」〜「龍宮神社」 広島市西区草津
庚申信仰・猿田彦命の幸神社、漁民の守護神 龍宮神社
草津は漁業で栄えていた町でした。今は埋立で都市化された。
旧山陽道(西国街道)が通り間宿(補助的な宿場で休憩に主に使われた宿場)でもあった。
草津には=草津八幡、龍宮神社、幸神社、鷺森神社、住吉神社、幸福稲荷などがあるね。
住吉神社(以前画像が消えたんで)をまだ再撮影しとらんな・・。
真宗王国広島【廿日市市重要文化財】永泉山 教専寺 山門(元禄時代建立・茅葺の鐘楼門)と山里〜広島県廿日市市津田〜
山間の風景と寺院の山門。元禄時代に建立の鐘楼門で珍しい茅葺の屋根を載せている。
廿日市市の重要文化財指定。
安芸国は真宗王国だったので真宗寺院が断トツ多いです。なかなかいい造りの寺院もありますね。
旧佐伯郡の山間部にある 廿日市市津田 県道293号(以前渓流の動画話あげている)沿線にある 浄土真宗寺院の山門である。
前で参拝し茅葺の珍しい鐘楼門を見学してきました。
なかなか美しい山門でした。周囲は勝成山が眺められ、季節の合歓の花が咲いて いい風が吹いていました。この後県道を少し遡り渓流を見に行きました。
訂正→県道293号は本多田佐伯線でした。県道295と間違えた。
小瀬川流域紀行(二)美しい神殿のある「前飯谷・河内神社」広島県大竹市前飯谷
またローカルな話題です。自然の家やさかの上にある鎮守 河内神社の映像です。
小瀬川を遡ると弥栄ダムがあるそのバス停から渓流沿いに山へ入るとある山間の古い集落。
弥栄ダムバス停〜国道186号を少し遡ると上流の山側に以前動画をうpした後飯谷がある。
周りの山が迫り独特な景観をしている。
河内神社〜御祭神=大山津見命 水波能売命 山や水、川の神様ですね。
集落の成立にはいくつか説があるらしい 平家軍落人 松前(正木)進五左衛門 説、伊予正木城主渡来説など
(大竹歴史研究会HP記事より)
平家落人松前7兄弟が小瀬川を遡り飯谷川へいったった。川から箸(または柄杓)が流れてくるのを発見し上流に集落があるのを知ったとも言われる。
また松前氏を探しにきた源氏の五人の武者を接待し隠れていた松前(正木)進五左衛門が弓矢で倒したとも言われ進五左衛門の墓と(討手の墓もあるらしい)は今でも自然の家やさかの裏山に祀られているそうです。
花満開!令和4年6月 岩国 吉香公園〜 城山 花菖蒲園(とモリアオガエル卵) 〜 山口県岩国市横山
吉香神社の北側の山麓にある花菖蒲園。6月のシーズン最後あたりでした。
ひと気なしで静かに見てまわれました。
花菖蒲園鑑賞
日本庭園へ、トンボ産卵、池と滝、モリアオガエル卵
菖蒲園の上の方には日本庭園が造園されています。
ただ整備があまりされていないのか精彩は欠きます。城山は自然が保たれているので
いいんですけどねえ。
モリアオガエルの卵がまだありました。
高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)
一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^
晩春の 大竹 疫神社・大治社大竹市元町
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおし)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
桜のころも撮影したので桜模様はまたうpします。
大竹地域の言い伝えでは=ここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる流刑中の佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。厳島明神鎮座伝説中では所の翁とも呼ばれる。疫神社境内の 山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
注)この時は上までは行かなかったのですが、推古桜(途中で折れてる)が見えるところまで上がりました。そこから見た感じでは楕円形の石がいくつか据えてありちょうど墓所に花筒にシキミが供えてあるように見えたもんで。写真は失敗してた。
もしかしたら所塚自体はさらに奥かもしれません。墓の可能性も機会があればまた見てみようかな。
大瀧神社 宮司家=所 氏ですからね 佐伯氏の系譜か?
大治(し)社=田心姫を祭るお社。恵比寿様も合祀されているようです。
疫神社(やくじんじゃ)
大国主命、少名彦命(字幕=打ち間違えてます訂正します^^; 動画はこのままにします)、素盞嗚命〜祭神は元は牛頭天王なんでしょうね。
所の翁=伝説ですが、厳島明神が厳島へ来た時、海上で出会った釣りをする翁。どこのものかと問えば
所のものですと答えたという伝説で(この土地のものです意味)厳島神社創建の佐伯鞍職である。
佐伯鞍職(大竹の説話では)、または別の人物とも・・。
歴史的なものは大竹歴史研究会のHP記事を参照しています。
晩春の周防山代地方・土日だけ営業のカフェと阿賀(あか) 速田神社巡り 2022.4
晩春の周防山代地方・土日だけ営業のカフェと阿賀 速田神社
4月初め 岩国市美和町 山間の里で長閑な風景が広がる場所。
カフェで一休みして神社参拝。
前回のメガソーラーの山里の動画の同日風景だが(別角角度から映像追加して編集)
桜や菜の花が咲き乱れる時期に美和町阿賀の古社 速田神社へ行くため山越えをした。
土日だけの花いっぱいのカフェの風景〜秋掛の菜の花、立岩地区の桜、桜の阿賀の古社「速田神社」
字幕訂正=祭礼は(厳島管絃祭と同じですから)旧暦6月17日です(7日は誤り)
今日は選挙 昔と変わったネオリベ自民圧勝で国はどこへ漂流していくのだろう。神に祈りたい。
*広告誠に恐れ入りますです
〜外資メガソーラー建設で揺れる〜岩国市美和町秋掛 長閑な春(桜・菜の花咲く)里模様と建設現場
4月初め 岩国市美和町 山間の里で長閑な風景が広がる場所。
桜や菜の花が咲き乱れる時期に美和町阿賀の古社 速田神社へ行くため山越えをした。
基本山里の景色の動画です 秋掛の菜の花、立岩地区の桜、阿賀へ抜ける途中の風景写真などで構成。
今この里は外資系が入り込んだ大規模メガソーラー事業で揺れている。(上海電力)
元々旧美和町時代ゴルフ場開発予定が頓挫しその後メガソーラー発電の事業者が参入したようだ。
山上は大規模旗切り開かれハゲた状態になり、発電施設設置をへ向けて工事が爆進中。
ここもそうですが広島県西部や山口東部の山間の集落で中小のメガソーラーが激増していますしかも、耕作地にまでです。コロナ前にはなかった物・・・最近あまりに多いのでびっくりするやら心配になります。
他の地域はどうなんだろう。
山里 湯来町多田・大きな枝垂れ桜と山里の風景 R4.4 広島市佐伯区湯来町多田(本多田)
湯来町の県道293号の起点 湯来町多田字本多田で県道の起点 吉和の森から水内川が流れこみ リアル案山子があちこちに立つ里。
酷道488狭隘部分の入り口でもある。あまりに狭い道なのでバイパスがつけられ雲でトンネルから迂回できるようになっている。トンネルを抜けた先の写真も少しとった。
枝垂れ桜の見事な株がああったのでしばし休息して眺めて帰るった時の映像。
小瀬川周辺をめぐる「小川津 河内神社」 岩国市小瀬
小瀬周辺の風景 関ヶ浜(妙見山には檜の巨木がある)、小川津(いい風景です)、山間部の集落 写真、弥栄ダム
川でカジカガエル?鳴いてたよ。
【小行司〜こぎょうじ〜】多賀山海抜330mに鎮座「多賀神社」 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地
神社編・多賀山330m山頂には多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
小行司は、熊毛郡田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
一つ謎が神殿の真下にミニチュアな小さいオヤシロがあるんですが北?の方を向いています。云われ不明です。
田布施のHPに毎月20日が祭礼だとか書いてありましたが行けたら聞いてみようかのう。
アクセス
県道138号線沿いに登山口がある。
柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して県道を少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと峠に多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。地図で見たら別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。山桃の神木や木漏れ日、森が私はいいと思います。南側の眺めも良い。今年2回目。
境内がいいんですよ。雰囲気が清々しい聖域の感じがします。木漏れ日のさす晴れた日に行ってほしいですね。地面は箒の掃きめがあって踏むのが申し訳ない感じ。
登りとか特に縦揺れしちゃんうんだよね スタビライザーいいけどチャイナ製のいろんなソフト入れるの好きじゃないんだよなぁ。
頑張って編集した。動画部分の素材がイマイチなのは反省です。車で行った時の前回の写真消しちまったからなあ。タイトルがズレてた ミスがw このまま行きます^^
沼八幡宮 山口県熊毛郡平生町
沼八幡宮。熊毛半島付け根あたりにある平生町の神社。
おそらく創建は7〜800年前のようです。神輿庫の横に石柱があったのですが写真を忘れました。
参道が長く木立の中を登ります。15年ぶりくらい2回目。
社頭からは大星山など熊毛半島の山が見えています。またこの辺の山麓には大野毛利氏の墓所などもあったりするらしいです。
常夜灯が巨大でしたね。
長い参道の木漏れ日がいいっす。天候の良い明るい日に行きたい。
田布施町との境、田布施川が近い辺りにあります。たぶん山は赤子山だと思います。登山サイトにも出てた。気になってましたできれば一度登りたい。山の北側は柳井あたりらしい。
史跡 浅原 / 早春の「岩船の水」武将・茶人「上田宗箇」ゆかりの地 広島県廿日市浅原 (サムネ=氷の手水鉢)
上田宗箇=戦国から江戸初期の武将で浅野藩の家老 上田宗箇(そうこ)ゆかりの場所。
廿日市市の史跡。宗箇はここ廿日市市北部の浅原で草庵を結び数年間 茶事三昧に生きた。
藩内の揉め事が原因らしい。その後、藩主に呼び戻された。
佐伯郡(大竹や大野、廿日市あたり〜旧佐伯町)辺りは上田家の一万二千石の領地であった。住民にも慕われたらしい。
宗箇は毎日ここへ清水を汲みに来ては、民家でやすんで庵へもどったという。
水は今も守られ茶に合う名水として親しまれている。
東屋に囲炉裏があり休息できるようになっている。水量は絶えないが余り多くはない感じです。
上田重安(浅野へ仕えた時に剃髪して宗箇と号した)従五位下主水正。
尾張星崎村出身で元小笠原氏を称し、重安の時代に上田と改めたらしい。
祖父の時代から丹羽長秀の家臣であった。武勇にも優れていたようです。長秀なき後、秀吉直参で1万石の大名となった(豊臣姓と官位を授かる)関ヶ原で西軍に与し改易。
蜂須賀家の客将〜さらに浅野家(妻が秀吉の正室 高台院の従兄弟の娘で浅野との関係も深かったらしい)に乞われ1万石で家老となり浅野とともに芸州へ移った。
茶道(利休〜古田織部に師事)作庭に優れた文化人でもあった。和歌山城西の丸、粉河寺庭園、名古屋城二の丸庭園、広島の縮景園(初期の作庭は宗箇で後に改修)など作庭がいまものこる。
死後今の廿日市の串山で荼毘にふされ遺灰は砕かれ大野瀬戸(宮島の海峡狭隘部)に流された。墓には遺髪と一本松が植えられているそうです。wiki記事参照した。
関連=浅原 亀山神社 sm39289520
iPhone写真にて作成。音楽は自動的に入るのでそのままです。自動でついてくる音楽は削除できないそうでアップロード等は問題ないとアップルサポートで確認済みそのまま上げる。
紅葉が美しい境内/素盞嗚命と神武天皇を祀る 旧村社 宮内天王社〜黄落と大銀杏 (旧・厳島神社兼帯社) 2021
2021年 R3三年。初冬。今年最後の参道大イチョウの黄落が鮮やかな境内風景。定点観測。紅葉時期 今年は1週間あけて2回参拝したのでまとめ。
場所
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには吉賀町の柿木村アンテナショップがある)駐車スペースは細長く社前の道は意外に車が来るので注意。ゆっくり待ってバックでいれるのが吉か?すぐ近くのスーパー(買い物でもして)に止める手もある。
廿日市駅近くに廿日市天満宮があり(低い山だがかつての城跡)廿日市のそう鎮守でここの祭祀もしている。展望が良い。合わせてわせて参拝をお勧めする。
歴史
元来は広田神社の元鎮座地の麓にあったが、天正年間に海の近くなので津波災害で現在の宮内へ遷座した。元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だった。
祭神=素戔鳴命、神武天皇など
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
名称は長い神仏習合時代の牛頭天王の語感を生かしたか神武天皇伝説の絡みからなどと言われる。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社の一つだった(祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った神社)境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体山陽道にあたるらしい。
「防府天満宮」 防府天神と本地観音堂の西方の夕焼け(抜粋版)
松崎天満神とともに発展した商業のまち。今も賑わう防府天満宮へ。
防府天神境内〜本地堂前からの夕陽。
珍しいことに今も近代以前の神仏混淆時代本尊である本地観音堂が境内に残る。
日本で最初に菅原道真の霊を祭神とした神社とされる。当時の国司が土師氏で菅原氏と同族だったことと太宰府に流される前に立ち寄りもてなされてしばし滞在された歴史もあるようです。
大専坊=旧神宮寺別当坊(全国でも現存する遺構は少ない)
かつては酒垂山 萬福寺=社坊の筆頭として 松崎天神(防府天満宮)を管掌していた
社坊【大専坊、千蔵坊、乗林坊、等覚坊、圓楽坊、会所坊、密蔵坊、東林坊、西林坊】の九坊が在った
最近はできるだけ天神さんへ参拝したら必ず 観音堂へも参拝するようにしております 人
音楽(ニコニ・コモンズより拝借)
のる様作
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
防府天満宮参拝本編 sm39845891
旧山陽道 防府市富海(二)旧山陽道散策 富海漁港、本陣跡など sm39780333
旧山陽道 富海(一)橘坂とて手懸岩の海の眺め sm39772962
【三滝観音】三滝名水と幽明の滝 編 広島市西区三滝山
幽明の滝、三滝名水の落水の画像をいくつか追加して再編集まとめ直した。
第一の滝(雌滝)幽明〜ゆうみょう〜の滝=落差45尺 13.5m(鎮守堂前にある)
三滝名水=本堂裏にあり三滝寺を詠んだ詩の書が壁にかけられている。名水は上の滝の落水が流れてきて滝のように落ちている。原爆投下の日八月六日の平和記念式典にて七つの献水の一つとして供えられる。
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。
「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(二)本堂と三滝名水〜鎮守堂と幽明の滝 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)その3は下山しながら茶堂、庭園と十六羅漢像、多宝塔。こちらは見どころが多いので三回くらいに分割してます。
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
河内神社の紅葉と冬姿の 明神原の風景 岩国市美和町滑
岩国市の山間部にある美和町。
山里の神社 周辺の紅葉風景と社地下の谷にある 冬姿の自然の中の公園「明神原なごみ広場」
神社の周辺の紅葉と冬姿の自然の映像写真。 21・11・23
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~、
雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
広島市の古刹寺院「三滝寺」(入り口あたり〜鎮守社、渓流など)
編集中。序盤部分テスト投稿。参道〜観音堂〜鎮守龍神社まで〜渓流の様子。
本編以下
その1=sm39657016
その2=sm39664828
三滝寺なかなかよろしいですね。5年ぶりに参詣しました。蚊がまだいましたw
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835
安芸のお伊勢さん〜原の伊勢神社(葛の花と境内から見る広島湾)絵馬なども。R3初秋
廿日市市原 極楽寺へお参りと涼を求めてドライブがてら出た帰りに立ち寄り参拝と境内から海を眺めた。秋の七草の一つクズの花が咲いて秋の気配が濃厚な境内。人気はなく寂しい感じだった。
拝殿の絵馬が古くて武者絵がたくさんありました。明治以後の兵隊さんの絵もあったね。
BGM=のる様作(ニコニココモンズ)雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
【西国街道】 広島山口県境 〜小瀬川ながれと吉田松陰の故郷決別の歌〜 岩国市小瀬
古代山陽道の石國駅家に比定される山陽道は中世には一時荒廃したが近世になると 整備され江戸時代には参勤交代の道などとして用いられました。
関戸〜小瀬へ かつての国境の川 秋の気配がする流れを眺める。
車載が少し。小瀬川の日本の風景。定点観測。初秋。
歌碑は岸信介氏の揮毫であり、吉田松陰が安政の大獄で江戸へ送られるときこの渡し場付近を詠んだ歌らしい。
悲壮な感じですね。
川と山が綺麗だったので満足であります。
ただ惜しいのは錦帯橋で一時停止違反の切符を切られました< (^_^;) 気をつけます。
山口県天然記念物 宇佐 八幡宮「大スギ群」 岩国市錦町宇佐
宇佐八幡の大杉群 岩国市錦町宇佐の鎮守社。寂地峡近くにある神社で宇佐神宮を勧請した古社。
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
今年5月に参拝した。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
別垢の神社動画から巨木関係を整理編集し直した。
西中国山地の山里「江龍寺 」〜腰から下の病を癒す功徳〜俊道様 (しゅんどう さま) 山口県 岩国市錦町須川
1年ぶりに真夏に参拝。岩国市錦町須川地区の民間信仰「俊道様」の寺院。国道434号線沿い錦町須川にある~曹洞宗 江龍寺へ参詣。地元では腰から下の病を癒す功徳でよく知られる寺院。二回目。
俊道様
十五世俊道(しゅんどう)大和尚は名僧として知られ地域の民衆教化をし慕われていた。
晩年、下肢の痛みや腰の痛み裾の病に悩まされていた、明治15年 遷化される時にこう言い残された、
「わが墓に酒を持ってお参りしたならば腰から下の病を癒すであろう云々・・・」
以後腰から下の病平癒を祈り参詣者が絶えず〜今もなお参詣が多いようです。快癒したと云う方も多いと言われています。お堂の裏の酒瓶塀をなす様子を見てみるとわかります
自然の中清流のそばにあるお寺、何があると云うわけではないですがいい感じですよ。
夕方近く瀬音や蝉の声の中ふわあとお酒の甘い香りがしていました。
お参りの仕方=基本酒1合を2本持参します。お供えして、蝋燭や線香をつけ「南無俊道大和尚」と 三度唱えます。1本は半分ほどお墓の周りにかけたあげて下さい。残りは供える。1本はそのままお供え するか持ち帰り少しずつ飲むと良いそうです。
寺の斜め向こうには巨樹のスギなどがある須川河内神社が鎮座する。
宇佐川はカジカガエルの声もしました。清流です。
〜巨樹の風景〜 県天然記念物「津田の大カヤ」巨樹 広島県廿日市市津田 真幡(まはた)神社内
佐伯地区の津田にある真幡神社の社殿に傘を差しかけたようにそびえる御神木。
たまに行きたくなる。久しぶりの参拝記録。
樹高35mもある常緑針葉樹カヤの巨樹。県下同種で最大の木である。
モミに似ているが葉の先や果実の形状がが違う(もみの木=葉は先が割れ、果実は球形)
カヤの木は用材としては碁盤や将棋盤に用いられることが多い木でもある。
また、カヤの木の実は、楕円形で果実は鮮やかな緑の肉質の仮種皮に覆われているが熟すと紫褐色となる。熟すと割れて種子を落とすようです。
種子=食用になり アク抜きをして そのまま炒る、餅につき込みなどなどして食すようです。
また油が多いので、昔は灯火用の油(灯明)や食用油などに使われたといいますが見たことはないですよね。探偵ナイトスクープでお寺に保存された油で天ぷら?したのを見た記憶がある(曖昧だけど)
カヤの実、自体をあまり見る機会がないので初めて見ました。綺麗な色をしている。
2021 真夏
*文化財の詳細は県の広島大百科サイト津田の大カヤの項を参照しています。
山口県岩国市美和町 生見(いきみ)八幡宮(深い山間の里にて)社殿だけの映像。
貞観二年=860年以来 創建千二百年を超える古社である。ショート動画。
社殿がよく見えるのでこの場面が好き。山の上なのが惜しい。
本編 山代街道の風景と、生見八幡 sm39152180
自然の中の公園「明神原なごみ広場」 岩国市美和町中垣内
大竹側から行くと国道186号線経由で弥栄湖の弥栄大橋を渡り、県道135号線へ入り山間の 岩国市美和町にある自然の中の公園。谷に沿って小川が流れ広い草原の広場、池、水車小屋などがあり、遊歩道を回り散策にちょうど良い。桜の木が多いので季節には最高でしょう。
やや上の岡には 河内神社が鎮座する。
公園から段々畑のところから上がれないみたい。県道へ美和方面へ出てやや進むと
下佐坂バス停の僅か先で右へやや狭い道をはいる御旅所がありその先にある。または大竹方面から走り中垣内バス停のすぐ先で橋を渡る前に右折して広場の谷を進むとやはり神社へ至る。
公園奥から谷を周回しする車道へ出れるかも知らないが確認していない。
【はつかいち御手洗川の河口】 広島の牡蠣 棚(カキ養殖)の広がる 〜磯の風景〜
地御前漁港そばの 御手洗川河口の磯。宮島や広島湾を望む。野鳥が多いのでバードウオッチングやカメラを抱えてくるものも多い。散策路にしている人もいるみたいだ。
左に広島市西区井口あたりの鈴ヶ峰山(万葉の山として知られる)〜木材港(ゆめタウンの建物が大きい)〜島々(似島や能美島など)〜宮島へかけてよく見える。
廿日市天満宮、地御前神社の帰りに立ち寄り。