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「防府天満宮」 防府天神と本地観音堂の西方の夕焼け(抜粋版)
松崎天満神とともに発展した商業のまち。今も賑わう防府天満宮へ。
防府天神境内〜本地堂前からの夕陽。
珍しいことに今も近代以前の神仏混淆時代本尊である本地観音堂が境内に残る。
日本で最初に菅原道真の霊を祭神とした神社とされる。当時の国司が土師氏で菅原氏と同族だったことと太宰府に流される前に立ち寄りもてなされてしばし滞在された歴史もあるようです。
大専坊=旧神宮寺別当坊(全国でも現存する遺構は少ない)
かつては酒垂山 萬福寺=社坊の筆頭として 松崎天神(防府天満宮)を管掌していた
社坊【大専坊、千蔵坊、乗林坊、等覚坊、圓楽坊、会所坊、密蔵坊、東林坊、西林坊】の九坊が在った
最近はできるだけ天神さんへ参拝したら必ず 観音堂へも参拝するようにしております 人
音楽(ニコニ・コモンズより拝借)
のる様作
やさしいひととき。.*:+☆ジャズ風・優しいピアノソロ
防府天満宮参拝本編 sm39845891
旧山陽道 防府市富海(二)旧山陽道散策 富海漁港、本陣跡など sm39780333
旧山陽道 富海(一)橘坂とて手懸岩の海の眺め sm39772962
【三滝観音】三滝名水と幽明の滝 編 広島市西区三滝山
幽明の滝、三滝名水の落水の画像をいくつか追加して再編集まとめ直した。
第一の滝(雌滝)幽明〜ゆうみょう〜の滝=落差45尺 13.5m(鎮守堂前にある)
三滝名水=本堂裏にあり三滝寺を詠んだ詩の書が壁にかけられている。名水は上の滝の落水が流れてきて滝のように落ちている。原爆投下の日八月六日の平和記念式典にて七つの献水の一つとして供えられる。
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。
「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
広島市の寺院【三滝観音】龍泉山「三滝寺」(二)本堂と三滝名水〜鎮守堂と幽明の滝 広島市西区三滝山
広島市西区三滝山にある真言宗の古刹。江戸時代から三滝観音として信仰され親しまれてきた。
風光明媚な渓流や滝のある境内は夏の避暑や秋の紅葉などもある。「中国観音霊場」「廣島新四國88ヶ所霊場」の札所でもあり参詣者が後をたたない。
その2= 本堂、三滝名水〜鎮守堂、幽明の滝〜三鬼堂まで(猫も出ます)その3は下山しながら茶堂、庭園と十六羅漢像、多宝塔。こちらは見どころが多いので三回くらいに分割してます。
その1sm39657016
久々の(以前登山の時だから五年ぶり?)散策時に綺麗なので写真沢山撮りましたので活用してみました。秋の午後で曇り加減だった。寺の裏山は宗箇山と言われ 上田宗箇が縮景園から借景として大きな松を山頂に植えた故事からその山名がついた山。
大同四年(809年)空海の開基と伝わる古刹で江戸時代後期に入山した明禅僧正により六十年の期間にわたり再興された。その後鞍馬寺で修行された四廣四鬼神和尚により復興が継承されたという。弥山の寺にて住職も兼ねていたので、宮島の弥山に祀られていた三鬼大権現(追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神からなる弥山 山岳信仰の守護神)の三鬼神権現堂が勧請され建立されている。
現在の場所にある弥山の三鬼権現堂(御堂は江戸期までは現在の御山神社のある岩盤の上にあったようです)建立したのもこの和尚だということです。
原爆の被害を受けおり当時の建物で現存するのは 鎮守堂、三鬼権現堂、稲荷社、鐘堂、想親観音堂。
本堂は原爆と風水害の被害を受けたため昭和四十九年に古い日本の様式で総檜、寄棟、瓦葺にて再建。
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)忘却の都~ノスタルジックなBGM~ あとは沢音。
事歴に関しての歴史事項は、広島市西区役所作成配布の三滝散策マップ境内、参道周辺地図の記事を参照しています。https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/nishiku/226361.html(ここで地図が見れます)お近くの方は気が向かれたら是非参詣ください。
河内神社の紅葉と冬姿の 明神原の風景 岩国市美和町滑
岩国市の山間部にある美和町。
山里の神社 周辺の紅葉風景と社地下の谷にある 冬姿の自然の中の公園「明神原なごみ広場」
神社の周辺の紅葉と冬姿の自然の映像写真。 21・11・23
音楽 のる様作(ニコニコモンズ)mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~、
雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【後編】(西向寺〜釈迦堂〜外宮 地御前神社まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
行程=〜西向寺参拝(見事な蓮華松)〜正行寺〜釈迦堂、大歳神社や大銀杏〜地御前神社境内と国道開鑿碑。長くなってしまった・・。
明治維新後、旧西国街道に替わり交通の利便性の高い新しいみちが求められ開削され。小己斐峠(井口)〜地御前〜大竹へかけて今の海岸沿いの国道2号線が作られた。それまでは海岸沿いの道路はなく宮内から 峠、山越えのある険しいみちであった。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもあり、生活道として使われた(今も現役)
参考資料=地御前コミュニティセンター地御前の史跡、広島大百科、wikiを参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようです。現在もまだまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
前編行程=藤掛橋、宮内別れ〜宮内串戸・道の始まり〜御手洗川〜新広島四国八十八ヶ所5番智秀山 観音堂〜真宗 西向寺山門まで。長すぎるのでとりあえずここまでで。
厳島神社外宮「地御前神社」と「地御前本道(ほんみち) 」【前編】(〜西向寺門前まで)
西国街道から宮内串戸あたりで西へ分岐した古い道で、宮内〜地御前へ抜ける。地御前=じのごぜんの意で、本宮厳島神社が御前、本土側が地の御前という意味。
地御前神社のところまで続く。昔の地御前神社へ至る参詣の道でもある、生活道として使われた(今も現役)。(サイト〜広島大百科を参照しています)
20年くらい前は古い街並みなど残っていたようだが近代化で多くが失われたがまだ幾らか町家やその風情が残っている。絵を残しておこう。古い道標なども残っていたり、御堂、お寺、神社、大木などいろいろある。
最近参拝に行くと新しくなった家が増えていますね時代です。
余談〜昔、海側の宮島街道が開かれるまでは、西へ行く道は宮内村から四郎峠(今山陽自動車道がそばを走る)を越えて行く(今も迂回路として交通量が多い)旧山陽道(西国街道)しかなかった。
ただ、厳島に参詣し、その後 地御前から旧山陽道のおおの中山へ抜けた話が、室町初期の九州探題=今川了俊の道行ぶり(紀行文)にもあり迂回路も存在したようです。山越えですが。
行程
前編=藤掛橋(御手洗川)~宮内交差点~西国街道~地御前本道へ~御手洗川/御手洗橋~古い道標~地御前コミュニティセンターと道標~観音堂~
後編=西向寺と蓮華松~正行寺~古い町家など多いエリア~(洋画家)小林千古生誕地碑~地御前小学校/大銀杏~大歳神社と釈迦堂~地御前神社境内へ(国道開鑿碑、楠巨樹、地御前神社社殿、皇威輝八紘碑・寺内正毅書、絵馬、鳥居、狛犬など)→sm39369835
安芸のお伊勢さん〜原の伊勢神社(葛の花と境内から見る広島湾)絵馬なども。R3初秋
廿日市市原 極楽寺へお参りと涼を求めてドライブがてら出た帰りに立ち寄り参拝と境内から海を眺めた。秋の七草の一つクズの花が咲いて秋の気配が濃厚な境内。人気はなく寂しい感じだった。
拝殿の絵馬が古くて武者絵がたくさんありました。明治以後の兵隊さんの絵もあったね。
BGM=のる様作(ニコニココモンズ)雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
【西国街道】 広島山口県境 〜小瀬川ながれと吉田松陰の故郷決別の歌〜 岩国市小瀬
古代山陽道の石國駅家に比定される山陽道は中世には一時荒廃したが近世になると 整備され江戸時代には参勤交代の道などとして用いられました。
関戸〜小瀬へ かつての国境の川 秋の気配がする流れを眺める。
車載が少し。小瀬川の日本の風景。定点観測。初秋。
歌碑は岸信介氏の揮毫であり、吉田松陰が安政の大獄で江戸へ送られるときこの渡し場付近を詠んだ歌らしい。
悲壮な感じですね。
川と山が綺麗だったので満足であります。
ただ惜しいのは錦帯橋で一時停止違反の切符を切られました< (^_^;) 気をつけます。
〜巨樹の風景〜 県天然記念物「津田の大カヤ」巨樹 広島県廿日市市津田 真幡(まはた)神社内
佐伯地区の津田にある真幡神社の社殿に傘を差しかけたようにそびえる御神木。
たまに行きたくなる。久しぶりの参拝記録。
樹高35mもある常緑針葉樹カヤの巨樹。県下同種で最大の木である。
モミに似ているが葉の先や果実の形状がが違う(もみの木=葉は先が割れ、果実は球形)
カヤの木は用材としては碁盤や将棋盤に用いられることが多い木でもある。
また、カヤの木の実は、楕円形で果実は鮮やかな緑の肉質の仮種皮に覆われているが熟すと紫褐色となる。熟すと割れて種子を落とすようです。
種子=食用になり アク抜きをして そのまま炒る、餅につき込みなどなどして食すようです。
また油が多いので、昔は灯火用の油(灯明)や食用油などに使われたといいますが見たことはないですよね。探偵ナイトスクープでお寺に保存された油で天ぷら?したのを見た記憶がある(曖昧だけど)
カヤの実、自体をあまり見る機会がないので初めて見ました。綺麗な色をしている。
2021 真夏
*文化財の詳細は県の広島大百科サイト津田の大カヤの項を参照しています。
【はつかいち御手洗川の河口】 広島の牡蠣 棚(カキ養殖)の広がる 〜磯の風景〜
地御前漁港そばの 御手洗川河口の磯。宮島や広島湾を望む。野鳥が多いのでバードウオッチングやカメラを抱えてくるものも多い。散策路にしている人もいるみたいだ。
左に広島市西区井口あたりの鈴ヶ峰山(万葉の山として知られる)〜木材港(ゆめタウンの建物が大きい)〜島々(似島や能美島など)〜宮島へかけてよく見える。
廿日市天満宮、地御前神社の帰りに立ち寄り。
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」補遺〜 Usuayama Hachiman (師走 紅葉最盛期記録) 広島市佐伯区石内
令和二年12月 もみじの紅葉が盛りになったと思われた頃訪れた。
やや曇り気味でしたがだいぶ色付きが進んでおりまあまあ雰囲気は出てるかなと。宮島辺りは混雑しているというので避けてこちらへ再訪した。この辺りは古代山陽道でもある。
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
境内は結構広いです。石段したのもみじの古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています.。また社殿右手の境内隅に永井建子(けんし)の記念碑が建つ。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。現社殿はなかなか大きく造りどっしりしている。境内は大木が多くある境。昭和になり 皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
その1(紅葉はじめ頃〜社殿及び境内 動画 sm38073703
令和2年12月
水晶ケ城跡の麓 「臼山八幡神社」Usuayama Hachiman (自然豊かな境内と紅葉の始まり) 広島市佐伯区石内
平安末期に始まり戦国時代厳島合戦の前まで 水晶ヶ城という大規模な山城があり厳島神主家藤原氏や大内氏の支配下にあったが厳島合戦前に毛利軍により落城後に廃城となった。城砦が大規模すぎて守るのに難しい故とも云われる。
旧社格は村社。八幡神を祀る。境内社=稲荷神社と新宮神社がある。
11月 終盤 紅葉が徐々に始まり出す頃。一部色付いていた。境内の木々の映像が多いですが。きれいに撮れた感じがします。境内は結構広いです。石段したの紅葉の古木のある石鳥居のところは駐車スペースになっています。また社殿右手の境内隅に永井建子(字幕訂正=けんし)記念碑が建つ。明治の軍楽隊から始まり幅広く活躍。作曲(元寇、雪の進軍など)なども行い明治の西洋音楽の先駆者の一人。あと・・・神社参拝は5分以降からです^^; 記録用なんで映像長いです、適当に飛ばしてください。
〜境内 由緒書より〜
延暦二年宇佐八幡より勧請された小祠が祀られ、後に築城された水晶ヶ城の鎮守として祀られた。
現 社殿はなかなか大きくどっしりしている。境内は大木が多くある。昭和になり皇紀二千六百年記念にて山腹を切り開き境内拡張して社殿を現在の位置へ移し祀った。
歴史
水晶ヶ城または水晶城(すいしがじょう)=wikiや石内公民館HPの古里巡りを参照。
この辺りには石道本城と新城があったとされ川向こうのバイパス側に有井城跡がある(ほとんど残ってない)古里巡り記載に従い有井城=石道本城としました。
源平の頃 源範頼軍が影ともの道をとおり平家追討した時この城にて佐々木国正が平家方と戦ったらしい。武神として次第に信仰されていく。城は次第に拡張されていったのであろう。
戦国期には厳島神主家 藤原氏領〜大内氏支配下になり麻生右衛門が城主として赴任した時に、新たに社殿を造営したと伝わる。
城は山全体を城郭化した連郭式山城で相当規模が大きなものであった。今も山中に城跡があ
る 令和2年11月
<山口県の神社>周防富士氷室ヶ岳の麓 旧氷室大権現 氷室亀山神社 柳井市伊陸
柳井市の内陸の地域。周防富士と呼ばれる氷室が岳の麓にある氷室亀山神社。
氷室が岳8合目あたりに昔はあったが1500年代くらいに氷室池があった現在地に遷座。氷室池(遷座の後しばらくして埋められてない)
今は静かな田舎の神社。昔は氷室大権現として信仰を集めたらしい。
氷の貯蔵庫の氷室が、氷室がヶ岳にはあったと言われている。創建の伝説では修験道が縁起に関係しているらしいです。
山頂には石のほこらがあります。
氷室神社と亀山神社が合祀されて居ますので現在の社号になっています。天満宮も合祀されており
伊陸天神祭などもあるようです。
今回行くと 御朱印もありました(書き置きですが入れ物の箱に御朱印料を入れておけばおk)
10月24日 行ってきた。5回目?w
坂と猫の港町 尾道の寺社巡り(五) 尾道海峡 夕暮れの船影
寺社巡り後半を振り返り総集編〜江戸時代の豪商建てた爽頼軒の庭園を塀越しに少し眺め(公開日が土日祝日に決まっているため平日は見れない)
〜本通り商店街を歩き久保八幡神社(亀山八幡神社)参道石鳥居〜海岸通り、土堂(つちどう)渡船場〜駅前渡船場〜夕方の尾道海峡の船行き交う風景。
海峡を眺めてたら飽きないです。つい時間を過ごして日暮れ間近でした。
尾道 海 船 海峡 夕暮れ 港町の風景風情 。
字幕 訂正=×浄土宗寺院ではなく〜 ○時宗寺院が正しいです。
波野 (Hano)河内神社(Kouchi jinjya)と境内社 楮祖神社(Choso jinjya) 初秋の山里
県道69号線沿いの岩国市本郷町波野地区の河内神社
境内社〜国内唯一の和紙の神様=楮祖神社
〜山代和紙は毛利藩の三白(塩、米、和紙)の一翼を担った重要産品でした
暦の上では秋なれど猛暑のなか、国道187へ接続する県道69号沿いの波野地区の河内神社と境内社楮祖(ちょそ)神社へ。今年2回目ですが季節や光天候が違うとまた雰囲気も変わる。
河内神社のカエデの紅葉が綺麗らしいのでまたみてみたいです。
河内神社境内にあり楮祖神社は日本で唯一の和紙の神様として祀られるので珍しい。普通の山間の素朴な神社なんですけどね。なんか味があります。大杉と楓の大木がある。
楮祖神社 所持の本 山口県の歴史散歩によると。
中内(ちゅうない)右馬允を祭神として祀る。河野氏の一族で永禄年間の山代地方に所領を持ち楮(こうぞ)栽培と和紙の製造広めさせた先駆者。この恩を徳として神社が創建された。
紙の神様で国内唯一。右馬允の墓所は裏山の木立の中にあるそうです。
春先と今回で都合三回目なんだけど 手持ちの山口県歴史散歩の書き込みを確認したら 平成九年に初め来た見たいでレンタカーでドライブした時かな 懐かしい。
8月猛暑の中にて
KI: Michael Levin
カナダの写真家Michael Levin氏。
その写真に惚れ込んだ映像作家のBrad Kremer氏が、
彼の撮影に随行し、微速度撮影でまとめた映像作品。
Brad Kremer氏は「Hayaku(速く): A Time Lapse Journey Through Japan」などで
有名な微速度撮影を主体とした映像作家。
Michael Levin氏は風景写真家で、日本の風景を数多く撮影している。
映像自体は、Michael Levin氏が三脚を立てて風景を眺めているだけにしか見えない。
しかし、映像の最後に彼が撮影した写真が姿を現すと、その美しさに息を飲むはず。
西国街道〜広島市草津 神社巡り 「幸(こう)神社」〜「龍宮神社」 広島市西区草津
庚申信仰・猿田彦命の幸神社、漁民の守護神 龍宮神社
草津は漁業で栄えていた町でした。今は埋立で都市化された。
旧山陽道(西国街道)が通り間宿(補助的な宿場で休憩に主に使われた宿場)でもあった。
草津には=草津八幡、龍宮神社、幸神社、鷺森神社、住吉神社、幸福稲荷などがあるね。
住吉神社(以前画像が消えたんで)をまだ再撮影しとらんな・・。
真宗王国広島【廿日市市重要文化財】永泉山 教専寺 山門(元禄時代建立・茅葺の鐘楼門)と山里〜広島県廿日市市津田〜
山間の風景と寺院の山門。元禄時代に建立の鐘楼門で珍しい茅葺の屋根を載せている。
廿日市市の重要文化財指定。
安芸国は真宗王国だったので真宗寺院が断トツ多いです。なかなかいい造りの寺院もありますね。
旧佐伯郡の山間部にある 廿日市市津田 県道293号(以前渓流の動画話あげている)沿線にある 浄土真宗寺院の山門である。
前で参拝し茅葺の珍しい鐘楼門を見学してきました。
なかなか美しい山門でした。周囲は勝成山が眺められ、季節の合歓の花が咲いて いい風が吹いていました。この後県道を少し遡り渓流を見に行きました。
訂正→県道293号は本多田佐伯線でした。県道295と間違えた。
山里 湯来町多田・大きな枝垂れ桜と山里の風景 R4.4 広島市佐伯区湯来町多田(本多田)
湯来町の県道293号の起点 湯来町多田字本多田で県道の起点 吉和の森から水内川が流れこみ リアル案山子があちこちに立つ里。
酷道488狭隘部分の入り口でもある。あまりに狭い道なのでバイパスがつけられ雲でトンネルから迂回できるようになっている。トンネルを抜けた先の写真も少しとった。
枝垂れ桜の見事な株がああったのでしばし休息して眺めて帰るった時の映像。
【小行司〜こぎょうじ〜】多賀山海抜330mに鎮座「多賀神社」 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地
神社編・多賀山330m山頂には多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
小行司は、熊毛郡田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
一つ謎が神殿の真下にミニチュアな小さいオヤシロがあるんですが北?の方を向いています。云われ不明です。
田布施のHPに毎月20日が祭礼だとか書いてありましたが行けたら聞いてみようかのう。
アクセス
県道138号線沿いに登山口がある。
柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して県道を少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと峠に多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。地図で見たら別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。山桃の神木や木漏れ日、森が私はいいと思います。南側の眺めも良い。今年2回目。
境内がいいんですよ。雰囲気が清々しい聖域の感じがします。木漏れ日のさす晴れた日に行ってほしいですね。地面は箒の掃きめがあって踏むのが申し訳ない感じ。
登りとか特に縦揺れしちゃんうんだよね スタビライザーいいけどチャイナ製のいろんなソフト入れるの好きじゃないんだよなぁ。
頑張って編集した。動画部分の素材がイマイチなのは反省です。車で行った時の前回の写真消しちまったからなあ。タイトルがズレてた ミスがw このまま行きます^^
広島市の古刹寺院「三滝寺」(入り口あたり〜鎮守社、渓流など)
編集中。序盤部分テスト投稿。参道〜観音堂〜鎮守龍神社まで〜渓流の様子。
本編以下
その1=sm39657016
その2=sm39664828
三滝寺なかなかよろしいですね。5年ぶりに参詣しました。蚊がまだいましたw
山口県天然記念物 宇佐 八幡宮「大スギ群」 岩国市錦町宇佐
宇佐八幡の大杉群 岩国市錦町宇佐の鎮守社。寂地峡近くにある神社で宇佐神宮を勧請した古社。
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
今年5月に参拝した。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
別垢の神社動画から巨木関係を整理編集し直した。
自然の中の公園「明神原なごみ広場」 岩国市美和町中垣内
大竹側から行くと国道186号線経由で弥栄湖の弥栄大橋を渡り、県道135号線へ入り山間の 岩国市美和町にある自然の中の公園。谷に沿って小川が流れ広い草原の広場、池、水車小屋などがあり、遊歩道を回り散策にちょうど良い。桜の木が多いので季節には最高でしょう。
やや上の岡には 河内神社が鎮座する。
公園から段々畑のところから上がれないみたい。県道へ美和方面へ出てやや進むと
下佐坂バス停の僅か先で右へやや狭い道をはいる御旅所がありその先にある。または大竹方面から走り中垣内バス停のすぐ先で橋を渡る前に右折して広場の谷を進むとやはり神社へ至る。
公園奥から谷を周回しする車道へ出れるかも知らないが確認していない。
浄土真宗 暁雲山 立善寺(広島県の寺院)〜はるかに宮島を眺めて 広島県廿日市市原
広島県ローカルシリーズ。伊勢神社の後に帰路にあり、佇まいが良かったので、立ち寄り 手を合わせてきた。慶長5年1600年禅宗から浄土真宗に改宗した寺院で、県重要化財指定の不動明王、天部像などを所蔵し江戸時代の真宗史研究に貴重な資料も含む芸轍(げいてつ)〜真宗教学の安芸学派とも呼ばれる〜の秘録、講述録などが整理され保存されているそうです。白壁の経蔵らしき建物がありました。
この辺りは見晴らしのいい丘陵地帯にあるお寺で極楽寺山の登り口に当たる廿日市市原にある。宮島がはるかに望まれます。
注釈 三業惑乱事件〜江戸中期、本願寺の学林で三業安心説が唱えら=三業(身、口、意)により阿弥陀へ帰命すると救われるとする説に対し、自力的な教説であると古義派(芸轍の代表大贏〜だいえい〜)など在野の学僧が大論戦し僧、門徒を含め揉めて流血事件まで起きたたと云う最後は幕府介入により論争が江戸で行われ古義派が勝利し異安心は退けられた。本願寺は100日の閉門処分を受けたと云う。また関係した何人もの僧が遠島処分や牢獄で拘留中で亡くなるなどした。
神楽山 薬師寺【広島新四国八十八箇所第4番霊場】広島県西端〜大竹市元町
広島県西端の街大竹市 (訪問は2022年春)
真言宗 神楽山「薬師寺」
小さなお寺ですが、広島新四国88ヶ所霊場四番札所となっている。後ろの山上にかつて存在したという西福寺の後継の寺院で護摩堂を麓に移し創建したと言われている。
市内でも古い宝篋印塔(なかなか大きなもの)や古い仏像も多いようです。これらは江戸時代の災害など多い頃建立されたらしい火伏せ地蔵、法華塔の地蔵尊(宝篋印塔の守護)などもある
一願地蔵尊、日限地蔵(日を決めて祈願すると功徳がある)なども祀られています。
本堂(薬師堂)=本尊は薬師瑠璃光如来(六十年ごとにしか拝めませんです)
大師堂は明治期に裏山に88箇所巡拝路が設けられた時建立されたらしいです。現在のお堂は昭和14年再建の模様。本尊=弘法大師像、脇侍=不動明王、三鬼大権現が祀られている。
本堂上に浅生塚があり、芭蕉の弟子で軽みを継いだという芭蕉の弟子 志太(浅生庵)野坡(やば)の門人で、ここ大竹の芦蕗たち竹里連(俳諧を行う集まり)が野坡三十三回忌に建立した石碑。
野坡は西国方面で活動し、ここ広島藩最西端の地へも何度も訪れ連句を巻き、指導をおこなった。
以前の薬師寺映像の完全版を作成うpしました。
カメメラ担いで♪♫広島県最西端 大竹市の古社 疫(やく)神社の令和5新春と令和四年桜満開の境内風景 大竹市元町4丁目
安芸と周防の境あたりの古社の境内の新春と昨年の桜の風景。
音声解説をつけようか迷いましたがつけませんでした。サムネは疫神社と桜
大竹市は岩国市や和木町と小瀬川を隔てる広島県最西端にある。
元町たりは旧大竹村の始まりの頃からの地域の一つで古い地区。
小瀬川沿いの県道傍の一段低い場所に神社がある(道路側の堤防や土地は嵩あげされているようですね)
大竹市の総鎮守大瀧神社の元宮の場所が現在御旅所になる〜疫神社や大治社の境内である。
山上には所塚(この地域の伝承では所の翁=佐伯鞍職の形代が納めてある塚)がある。
境内は古来カンドコロと呼ばれ神の鎮まる場所とされているそうです。
*PENTAX-K70(新春風景) 桜 iPhoneSE2
古刹大聖院と〜もみぢの名所〜紅葉谷の紅葉風景 2022.11/15
宮島の紅葉の模様。
秋季大祭の大聖院の紅葉
紅葉谷公園の紅葉
もみぢ荘周辺 紅葉谷の奥を散策
四宮神社周辺の紅葉
厳島神社裏(長橋あたり)の紅葉
大鳥居と海
来年はぜひ秋の宮島へどうぞ
これで宮島の秋の風景動画は完了。総集編があった・・火渡りの・・まだまだ続く。
山口県の神社巡り 清流の町錦町 府谷・須川 河内神社三社巡拝編 岩国市錦町
清流錦川流域錦町の神社巡りと日本の風景 河内神社三社の紹介。
前回は旅動画・・今回は神社編です。二ヶ所の画像データ追加しました。
府谷の河内神社 川沿いの道の駅ピュアラインにしきにあり。明るくひらけている。
須川 河内神社 社殿も古いが彫刻もいい。大杉が多い 手水鉢がも面白い。
江龍寺 俊道様 下の病を癒す徳のある寺院。俊道大和尚の墓所へお酒を供えて祈願する。
上須川 河内神社 宇佐川沿いの上須川にある渓流沿いの御社。境内に岩国市重要文化財指定の大杉がある。スズメバチが飛んできたので本殿の写真は無しです。国道から少しだけ入った場所でちょっとだけわかりずらいです。
領主(開拓者?)讃井清原兼道により創建されたと伝わるらしいです。神木の高さなどデーターがサイトにより違いがあるが岩国市のHPを参照しています。
花満開!令和4年6月 岩国 吉香公園〜 城山 花菖蒲園(とモリアオガエル卵) 〜 山口県岩国市横山
吉香神社の北側の山麓にある花菖蒲園。6月のシーズン最後あたりでした。
ひと気なしで静かに見てまわれました。
花菖蒲園鑑賞
日本庭園へ、トンボ産卵、池と滝、モリアオガエル卵
菖蒲園の上の方には日本庭園が造園されています。
ただ整備があまりされていないのか精彩は欠きます。城山は自然が保たれているので
いいんですけどねえ。
モリアオガエルの卵がまだありました。
〜外資メガソーラー建設で揺れる〜岩国市美和町秋掛 長閑な春(桜・菜の花咲く)里模様と建設現場
4月初め 岩国市美和町 山間の里で長閑な風景が広がる場所。
桜や菜の花が咲き乱れる時期に美和町阿賀の古社 速田神社へ行くため山越えをした。
基本山里の景色の動画です 秋掛の菜の花、立岩地区の桜、阿賀へ抜ける途中の風景写真などで構成。
今この里は外資系が入り込んだ大規模メガソーラー事業で揺れている。(上海電力)
元々旧美和町時代ゴルフ場開発予定が頓挫しその後メガソーラー発電の事業者が参入したようだ。
山上は大規模旗切り開かれハゲた状態になり、発電施設設置をへ向けて工事が爆進中。
ここもそうですが広島県西部や山口東部の山間の集落で中小のメガソーラーが激増していますしかも、耕作地にまでです。コロナ前にはなかった物・・・最近あまりに多いのでびっくりするやら心配になります。
他の地域はどうなんだろう。