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柳井市 茶臼山古墳!
茶臼山古墳の上からの風景!
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柳井 三ヶ岳稲荷大明神!(パワースポット編)
パワースポット巡り!始動!
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【周防 安国寺】日照山 高山寺(新春の静かな風景) 臨済宗天竜寺派 第2稿
新春の三が日開山堂が解放されると伺い参詣に。曇天の小雨が時折降る一日だった。
身が引き締まる寒気の中、正月飾のされられた山門〜開山堂へ。
開山堂には焼失まえの周防安国寺(高山寺)の本尊であったと言われる釈迦如来像が安置されている。
写真は遠慮しておきました。格子窓から普段でも遠目には拝見できますが。
釈迦如来の大きな坐像で金箔がありました。その光背は大きく見事なものであった。
左右には阿難陀像と摩訶迦葉像が立っておられた。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。
由緒や歴史はすこぶる深い。
第2稿で推敲して昨年秋の明るい境内の映像を最後に挿入して終わります。
字幕訂正=タイトル後のところ〜山門や田園が広がる→ ○山や田園が広がる
<山口県の神社>周防富士氷室ヶ岳の麓 旧氷室大権現 氷室亀山神社 柳井市伊陸
柳井市の内陸の地域。周防富士と呼ばれる氷室が岳の麓にある氷室亀山神社。
氷室が岳8合目あたりに昔はあったが1500年代くらいに氷室池があった現在地に遷座。氷室池(遷座の後しばらくして埋められてない)
今は静かな田舎の神社。昔は氷室大権現として信仰を集めたらしい。
氷の貯蔵庫の氷室が、氷室がヶ岳にはあったと言われている。創建の伝説では修験道が縁起に関係しているらしいです。
山頂には石のほこらがあります。
氷室神社と亀山神社が合祀されて居ますので現在の社号になっています。天満宮も合祀されており
伊陸天神祭などもあるようです。
今回行くと 御朱印もありました(書き置きですが入れ物の箱に御朱印料を入れておけばおk)
10月24日 行ってきた。5回目?w
<山口県の神社>小早川水軍の後裔 浦氏の奉斎した 阿月 神明宮(東 西二社) 山口県柳井市阿月( Azuki)
阿月は江戸時代に小早川氏の庶流で小早川水軍司令官 浦宗勝の後裔=浦(うら)氏が上関から異動となり阿月領主として治めた所である。
神明宮=浦就昌(なりまさ)により建立された御社。
西神明宮=豊受大神宮を祀る神社(克己堂から少し西側に行った所にある)
東神明宮=天照皇大神宮を祀る(公民館の少し先にある)
神明祭=天照皇大神宮、豊受け神宮の依代20mの御神体(大きな鉾)を東西二本たてて行われる奇祭。一度見てみたいと思っています。所謂とんど(宮中行事の左義長が民間化したもの)と小早川氏の軍神祭が融合したもののようです。
現在は毎年2月11日に行われる(元来は旧正月14、15日であったらしいです)
幕末領主浦氏の開いた〜維新の志士を輩出した私塾 克己堂 跡があり史跡になっている。
克己堂を開いたのは長州藩家老 浦靱負(うら・ゆきえ〜家老・国司家からの御養子である)である。
軍神祭は柳井商工会の観光HPによると〜文禄の役のおり小早川隆景以下浦宗勝などが、伊勢神宮へ祈願をして朝鮮半島へ渡航し、戦いで勝利を得たのでそれ以来始められたとありました。
ちなみに少し北に位置します伊保庄の古社 賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は
第九代 浦元種が願主として寄進したもの。
あと、広島の三原には神明市というのがありやはり町にある神明宮の祭りがあるらしいです小早川隆景時代からのようです。隆景の居城三原城跡もあり小早川氏ゆかりでしょう。
防長路シリーズ〜 https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=pc_watch_description_series
防長あれこれ〜明治維新史跡〜 阿月「 克己堂」跡と浦氏奉祀の「神明宮 」 山口県柳井市阿月( Azuki)
歴史散策〜伊保庄の賀茂神社の後、夕方に本土から南へ突き出した室津半島 東側の南部にある阿月地区へ。
阿月は江戸時代に小早川氏の庶流で小早川水軍司令官浦宗勝の後裔=浦(うら)氏が上関から異動となり阿月領主として治めた所である。
領主浦氏の開いた〜維新の志士を輩出した私塾 克己堂 跡があり史跡になっている。
克己堂を開いたのは長州藩家老 浦靱負(うら・ゆきえ〜家老・国司家からの御養子である)である。
ただし小学校が立っているので現存するのは表門と浦靱負さんの顕彰碑。
現在は毎年2月11日に行われる 神明祭が有名である(元来は旧正月14、15日であったらしいです)東・西神明宮=皇大神宮、豊受け神宮の依代20mの御神体(大きな鉾)を東西二本たてて行われる奇祭。一度見てみたいと思っています。所謂とんど(宮中行事の左義長が民間化したもの)と小早川氏の軍神祭が融合したもののようです。
軍神祭は柳井商工会の観光HPによると〜文禄の役のおり小早川隆景以下浦宗勝などが、伊勢神宮へ祈願をして朝鮮半島へ渡航し、戦いで勝利を得たのでそれ以来始められたとありました。
ちなみに少し北に位置します伊保庄の古社 賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は
第九代 浦元種が願主として寄進したもの。
あと、広島の三原には神明市というのがありやはり町にある神明宮の祭りがあるらしいです小早川隆景時代からのようです。隆景の居城三原城跡もあり小早川氏ゆかりでしょう。
<山口県の神社>(延喜式内社 熊毛神社論社) 柳井市伊保庄 「賀茂神社」
山口県柳井市伊保庄 この地は堀河天皇の時代 賀茂別雷神社(上賀茂にて宮中武陵殿の競馬会が行われることになり二十箇所の荘園が寄進されたがその一つ)の荘園とされていたところ。その頃勧請されたのもののようです。防長風土注進には下賀茂から勧請と記載されているそうですが・・・。
熊毛半島(室津半島)の東側 周防大島を望む伊保庄(いほのしょう 古い呼び方だと〜うおのしょう)にある古社。
御祭神 賀茂別雷神 玉依姫 三毛入野命(後年合祀された古社)
旧社格 郷社 延喜式内社熊毛神社論社( 他の論社は高水の大歳神社、勝間の熊毛神社、岩国祖生の岩隈八幡宮)
祭神はもともと祀られた賀茂神に後に三毛入野命(熊毛神)を祀る古社が合祀されたようです。
ここの参拝の見所は、在銘石鳥居〜参道と本殿 明治に再建された建築で姿がいい。実に見事な社殿である。社殿奥の社叢は市の天然記念物指定。
境内も広く明るいので雰囲気も良い。この日は15時くらいに訪問した。周りは田園 昔より家が増えてる気がします。初夏 間近 時々蛙の声がしていました。
境内社に貴船八幡宮がある。
室津半島に賀茂神社は伊保庄や相ノ浦などに計4箇所ほどあるようです。相ノ浦の方はそうとう昔ですが、室津半島の皇座山へ登山の時(登山口が相ノ浦)に参拝したことがあります。
室津半島の西側平生町にある古刹 般若寺の帰りに立ち寄る(賀茂神社参拝が主目的でしたが)参拝は多分3回目かな。普段は人も少ないので静かに参拝でしきます 御由緒も深い神社であります。
朱印の有無は不明(境内に記載はなかった)この後上関寄りの阿月へ向かいました。
2020.4初旬 記録
江戸時代の商家〜白壁の町並み「柳井」その2 商家博物館 「むろやの園」
西日本有数の油商人であった豪商「むろや」のあと=商家博物館 「むろやの園」を見学しました。日本現存町家の中でも最大級で南北119メートル800坪もある。
柳井は江戸時代岩國領で吉川氏の統治下にあり「吉川の御納戸」と呼ばれた港湾と商業のまち。元禄以降の建物が残るエリアは国の伝統的建造物群保存地区指定されており白壁の町柳井とよばれる。
上関へと室津半島が続く柳井水道の海に面した地域である。
金魚ちょうちん=柳井の郷土玩具民芸品で名産。幕末に創始され戦後改良され現在の形に。地元のシンボル的存在の可愛い民芸品。金魚ちょうちん祭りもあるそうです。
商家博物館むろやの園=山口県指定有形民俗文化財。国内最大級の町家遺構。西日本有数の油商小田家(むろや)の屋敷である。
様々な生活道具が残され、文書や陶磁器、掛け軸などおびただしく所蔵されている。
ほとんどが小田家の残したものだそうで壮観である。聞くところでは掛け軸だけでも200本近く残されているそうで鑑定分類などもままならないそうです。
普段は使われなかったという二階の隠し部屋なんか面白かったですよ。
今でも半閑舎(上客用の接客・宿舎)は一階の座敷は茶室になっており今でもイベント時などでは茶席の釜がかかるそうです。
今年は中止かなあ・・・
JR山陽本線柳井駅下車〜歩いて近い。駐車場も多いので車でも便利。
2020 1月(コロナ 恐慌など想像もしなかったですわ) 雨あがりにて
幕末の先駆者・勤皇僧 月性和尚の跡「清狂草堂」を訪ねて (浄土真宗妙円寺境内 墓所、草堂)旧版 山口県柳井市遠崎
白壁の街柳井市の東端に位置する遠崎地区へ まず遠崎の鎮守 松戸八幡宮へ参拝し妙円寺へ。
松戸八幡から見える景色〜室津半島(大星山や皇座山その先には上関になる)
幕末維新の海防の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、一向宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰の先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年32歳の時〜七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開きさまざまな志士を育てた。詠んだ漢詩は千編を越ええると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、、浄土真宗の大洲鉄然、赤松連城、大楽源太郎・・・などなど
激動の幕末を駆け抜けた真宗僧。
現在の草堂=明治後弟子たちが月性和尚を記念のため再建したもの。
注)
月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
ちなみに よく月照と混同されているケースがある(かくゆう私もそうでした^^; )
月照和尚=京都清水寺の勤皇僧で西郷と海上で入水した僧侶。
柳井市遠崎 国道188線の近くある 妙円寺と資料展示館。
行った時は多くの志士もくゞったであろう妙円寺さんの山門はまだ修復工事中でした。展示館を拝観しますとガイドの方が懇切丁寧に解説していただけました。映画(展示館二階のTVでDVD再生、無声に弁士の声が入ります映画)は一部しか見られなかったのでまた行きたいです。
修正版。