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作家の伊集院静さん 死去 73歳「大人の流儀」シリーズなど
2023年11月24日 22時56分
人生の機微を端正に描いた小説や、エッセー「大人の流儀」シリーズなどで知られる直木賞作家の伊集院静さんが、24日、亡くなりました。73歳でした。
伊集院さんは、1950年に山口県に生まれ、都内の大学を卒業後、広告代理店の勤務などを経て、1981年に作家デビューしました。
地元・山口県などを舞台にした自伝的長編小説「海峡」3部作や、瀬戸内海の島の小学校を舞台に教師と子どもたちの交流を描いた「機関車先生」など、人生の機微を端正な筆致で描く小説を数多く発表し、1992年に短編集「受け月」で直木賞を受賞しました。
その後も自身の人生観や仕事観をつづるエッセー集、「大人の流儀」シリーズがベストセラーとなるなど精力的に活動を続けてきました。
また、作詞家としても活躍し、近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」などのヒット曲を手がけています。
プライベートでは、1985年に当時の妻だった俳優の夏目雅子さんを白血病で亡くし、その後、俳優の篠ひろ子さんと結婚していました。
伊集院さんは、2020年にくも膜下出血で倒れましたがその後、復帰し、週刊誌での連載や新作の発表を続けていました。
しかし、10月初旬、肝内胆管がんの診断を受け、治療のため当面、執筆を休止することを発表していました。
妻の篠さんは24日夜、コメントを発表し、この中で、伊集院さんが24日に亡くなったことを明らかにしました。73歳でした。
篠さんは「自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。最期まで自分の生き方を貫き通した人生でした。ありがとうございました」などとコメントしています。
歌手の水木一郎さん死去 74歳 “アニメソングの帝王”
2022年12月12日 19時44分 訃報
「マジンガーZ」など数々のアニメの主題歌を歌い、「アニメソングの帝王」とも呼ばれた歌手の水木一郎さんが12月6日、肺がんのため東京都内の病院で亡くなりました。
74歳でした。
水木さんは東京都出身で、1968年に歌謡曲の歌手としてデビューし、その3年後、テレビアニメ「原始少年リュウ」で初めてアニメの主題歌を担当しました。
その後、「マジンガーZ」の主題歌を歌い70万枚を売り上げる大ヒットとなったほか、「バビル2世」「宇宙海賊キャプテンハーロック」など人気アニメの主題歌や特撮ソングを数多く歌い、ファンからは「アニメソングの帝王」「アニキ」などと呼ばれ親しまれました。
また、日本のアニメが人気のフランスや中国など海外でも活躍し、2010年には「上海国際博覧会」でライブを行いました。
所属事務所によりますと水木さんは去年4月以降、肺がんの治療とリハビリをしながら精力的に音楽活動を続け、先月27日にもライブを行ったということですが、今月6日、体調を崩して都内の病院に搬送され肺がんのため亡くなりました。
74歳でした。
ファッションデザイナーの三宅一生さん死去 84歳
2022年8月9日 19時40分 訃報
デザイン性と機能性をあわせ持った革新的な衣服を次々に世に送り出し、国際的に高い評価を受けた、ファッションデザイナーの三宅一生さんが、今月5日、亡くなりました。84歳でした。
三宅さんは1938年に広島県で生まれ、多摩美術大学を卒業後、ヨーロッパやアメリカでファッションデザイナーとして修行を積み、1970年に東京にデザイン事務所を開きました。
その後パリやニューヨークで作品を発表し、日本の伝統美と新素材との融合を図った斬新なデザインで世界的に注目を集めました。
生地を立体的に縫い合わせるのではなく、折り畳んだりくりぬいたりすることで身にまとう「一枚の布」というコンセプトでデザインされた衣服は、ファッションをアートに高めたと評され、小さく収納できるのが特徴の「PLEATS PLEASE」や、コンピューターで設計された生地から衣服を切り出す「AーPOC」などのシリーズはデザイン性と機能性を追求した作品として世界的に人気となりました。
また、みずからのデザイン事務所で次の世代のデザイナーを育成してきたほか、ペットボトルを再生した素材の活用や、デザイン文化の研究を行う財団を創設するなど活躍を続けてきました。
そして、2010年に文化勲章を受章したほか、2016年には、日本とフランスの文化交流に大きな役割を果たしたとして、フランスのレジオン・ドヌール勲章コマンドールが贈られています。
事務所によりますと、三宅さんは、今月5日、都内の病院でがんのため亡くなりました。
「金曜ロードショー」でおなじみ、水野晴郎さん死去
「金曜ロードショー」で映画を解説するだけでなく、「シベリア超特急」で主演・監督を務めた水野晴郎さんが10日に死去。
俳優の渡瀬恒彦さん死去
渡瀬恒彦さんは兵庫県の淡路島出身で、広告代理店に勤務したあと、昭和44年に東映に入りました。翌年、映画「殺し屋人別帳」の主役でデビューし、その後、「仁義なき戦い」シリーズなど東映のやくざ映画に数多く出演し、渋みのある演技で人気を集めました。さらに、やくざ映画以外にも活躍の幅を広げ、映画「事件」や「震える舌」、それに「南極物語」などに出演して、国内の映画賞を数多く受賞するなど、演技派俳優としての地位を確立しました。また、テレビドラマでも主役から脇役まで、多くの番組に出演し、このうち昭和60年から放送されたNHKの大型時代劇「真田太平記」では、真田信之の役を演じました。
左とん平さん(80)死去 「時間ですよ」など
テレビドラマや映画などの数多くの作品に出演し、名脇役として知られる俳優の左とん平さんが24日、心不全のため亡くなりました。80歳でした。
左とん平さん、本名、肥田木通弘さんは昭和12年に東京で生まれ、高校を卒業して飲食店で働いたあと、昭和32年、舞台に出演して俳優としての活動を始めました。
民放のテレビドラマ「時間ですよ」などに出演して人気を集め、とぼけた味のある演技で数多くのテレビドラマや映画に出演して名脇役として活躍しました。
昭和48年には、「ヘイ・ユー・ワッチャネーム?」というギャグが流行語になり、これに関連したレコード「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」を発売し、大ヒットさせました。
NHKでは、時代劇シリーズの「ゆうれい貸します」や江戸時代の庶民の暮らしをコミカルに再現した「コメディー道中でござる」などの番組に出演しました。
最近では、おととしに年寄りばかりで結成されたアマチュアオーケストラをテーマにした映画「オケ老人!」に出演し、その後も舞台やドラマで活躍していました。
2017年6月に急性心筋梗塞で病院に搬送され、手術を受け、入院していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180225/k10011342451000.html
所属事務所によりますと、左さんは、入院先の病院で24日午後、心不全のため亡くなったということです。
歌舞伎俳優の坂東三津五郎さん 死去
2月22日坂東三津五郎さんは九代目、坂東三津五郎の長男として東京で生まれ、6歳の時に八十助を襲名して初舞台を踏みました。平成13年には十代目坂東三津五郎を襲名し、時代物の重厚な役や世話物の人情味あふれる役まで幅広く演じる一方、テレビドラマや映画でも存在感のある演技で知られました。平成21年には歌舞伎界の発展に貢献したとして、紫綬褒章を受章しています。三津五郎さんは、おととしの健康診断ですい臓に腫瘍が見つかったため、舞台を休んで治療を受けていましたが、去年4月、7か月ぶりに歌舞伎の舞台に復帰しました。しかし、去年10月の国立劇場での舞踊公演を最後に再度、治療に専念していましたが、21日午前2時ごろ、すい臓がんのため亡くなったということです。
タレント・さん急死 山口美江自宅で親族見つける
元キャスターでタレントの山口美江さんが、自宅で亡くなっていたことが分かりました。51歳でした。
野中広務元官房長官(92)死去
自民党の元衆議院議員で、党の幹事長や官房長官などを歴任した野中広務氏が1月26日午後、京都市内の病院で亡くなりました。92歳でした。
平成4年に、当時の自民党竹下派が分裂した際、派閥の会長代行だった小沢一郎氏の派閥運営を批判し、「反小沢」の急先ぽうとして頭角を現しました。一方で、野中氏はみずからの戦争体験から、いわゆる「ハト派」の論客として知られ、引退後も憲法改正に反対する考えを発信しました。
古賀誠元自民党幹事長はNHKの取材に対し、「92年の野中氏の人生すべてが政治であり、国と国民のことを常に考えていた。また1つ、昭和が遠くなった。お疲れさまでしたと申し上げたい」と述べました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180126/k10011304151000.html
☆台湾の民主化に尽力 李登輝元総統が死去
2020年7月30日 21時24分
台湾で初めての直接投票による総統選挙を実現させるなど民主化に尽力し、親日家として知られる李登輝元総統が、日本時間の30日午後8時すぎ、入院先の台北市内の病院で亡くなりました。97歳でした。
李登輝元総統は1923年、日本の統治下にあった台湾で生まれました。今の京都大学農学部に入学し、太平洋戦争中に旧日本陸軍に入隊して、日本で終戦を迎えました。
台湾に戻り研究者として活動したあと政治家に転身し、1988年、当時の蒋経国総統の死去に伴って、台湾出身者として初めて総統に就任しました。
在任中は議会制度の改革など民主化を推し進めたほか、台湾の国際社会での存在感を高めようと積極的な外交を展開し、アメリカも非公式に初めて訪問しました。
そして1996年には住民の直接投票による初めての総統選挙を実現させ、当選しました。
李元総統のこうした動きに対して中国は「台湾独立の動きだ」として強く非難し、台湾近海でのミサイル演習など武力による威嚇を繰り返したため、アメリカは空母を派遣し、台湾海峡の緊張は一気に高まりました。
李元総統は親日家として知られ、2000年に総統を退任したあとは、病気の治療や文化交流を目的に日本をたびたび訪問し、各地で講演などを行っています。
ここ数年は、主に台北にある自宅で政界関係者と面会するなどしていましたが、ことし2月、体調を崩したため自宅から病院に搬送され、その後入院を続けてきました。
李元総統が入院していた病院によりますと、日本時間の30日午後8時20分すぎ、亡くなったということです。97歳でした。
演出家の浅利慶太さん(85)死去 劇団四季の創設者
2018年7月18日 18時29分おくやみ
劇団四季を創設し、「キャッツ」や「ライオンキング」など海外ミュージカルのロングラン公演を日本に定着させた、演出家の浅利慶太さんが今月13日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で亡くなりました。85歳でした。浅利さんは東京の出身で、慶応大学在学中の昭和28年、俳優の故・日下武史さんらと劇団四季を創設し、数々の舞台を演出しました。
「キャッツ」や「ライオンキング」など海外のミュージカル作品の日本語版を次々と制作し、俳優を1つの役に固定させず、いろいろな役を演じさせる配役システムによって、ロングラン公演を成功させました。
また、はっきりと聞き取れるせりふを話すための発声法など、俳優の育成でも独自の方法を編み出し、劇団四季を全国に専用劇場を持つ日本最大規模の劇団に成長させました。
「ジーザス・クライスト=スーパースター」の演出で、昭和51年度の芸術選奨文部大臣賞を受賞し、平成5年にはミュージカルの文化を日本に定着させたとして菊池寛賞に選ばれています。
アジア各国との交流に力を入れ、中国や韓国の俳優を積極的に受け入れてきたほか、平成18年には「ライオンキング」のソウルでの公演を実現させました。
また、平成10年に開催された長野オリンピックの開会式と閉会式をプロデュースするなど、幅広い分野で活躍してきました。
平成26年には劇団の代表職を退きましたが、その後も舞台の演出を続けてきました。
劇団四季によりますと、浅利さんは去年9月から体調を崩して入退院を繰り返し、今月13日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で亡くなりました。
後日、お別れの会を開く予定だということです。
俳優 奈良岡朋子さん死去 肺炎のため 93歳
2023年3月29日 16時02分 訃報
舞台や映画で活躍し連続テレビ小説「おしん」などテレビドラマのナレーションでも親しまれた俳優の奈良岡朋子さんが今月23日、肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。93歳でした。
ザ・ピーナッツ 妹の伊藤ユミさん 死去
7月11日 11時43分「恋のバカンス」や「恋のフーガ」などのヒット曲で知られる双子のデュオ、ザ・ピーナッツの伊藤ユミさんが亡くなりました。75歳でした。
海部俊樹さん,今までありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
海部俊樹(1931〜2022) 日本の元政治家。第76,77代目内閣総理大臣。ペルシャ湾への自衛隊派遣などを行った。
海部さん,ご冥福をお祈りします。