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【遊戯王】ラッシュデュエルっぽいルールでマギカロギアGO2 / 12話[サイクル3]【ゆっくり】
【前回:sm45925347】【次回:作成中】
【マイリスト:mylist/76672419】
【1作目:mylist/68284057】【2作目:mylist/71717431】
【3作目:mylist/74197976】
クライマックスに向けて。
【歌ってみた】サイコ - 超学生 / すりぃ【LueRu】
YouTube2024/2/12投稿の歌ってみたをこちらでも投稿させていただきました!!
初投稿は憧れの超学生さんの曲って決めてました😆
よかったら聴いてください! かっこよく歌えてたらいいななのだ🔋💫
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⌖°⌖本家様⌖°⌖
https://www.youtube.com/watch?v=9m8oYzrAHeE&t=0s
◆Vocal : 超学生様 https://twitter.com/tyougakusei
◆Music : すりぃ様 https://twitter.com/iii0303_8
⌖°⌖REC&MIX⌖°⌖
Studio TFS 様
https://x.com/studio_tfs?s=21&t=Ea-7ENDAWm12XJ6EqwPG1g
X : 旧twitter https://twitter.com/Studio_TFS
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Battlefield bad company 2 PS3 SV98 4X Recon Gameplay 2021/2/12
# Conquest LAGUNA PRESA
ハードディスクを整理していたら懐かしいやつがあったので投稿してみました。
【UTAUカバー】Habit【怪子奇】(shorts)
2023/2/12 投稿
■曲/「Habit」- SEKAI NO OWARI 様
https://youtu.be/8OZDgBmehbA
■inst/おうちカラオケクリエーターズ 様
https://youtu.be/lWwshbzo-9M
■UST/東狐ユウ(ぴーまんP) 様
https://nico.ms/sm40998105
■うた/怪子奇-薄暮-(※未配布)
■その他/わたし
試験終わった!とっても疲れたね(無料ギフトまってます 2026/2/12(木) 19:10開始 ニコニコ生放送
しらいっ各種リンク https://lit.link/shiraiccham
まめ。「めじろうに似てるって言われます♡ありがとうございます♡めじめじしてきた♡」【2026/2/12】
2026/2/12ニコ生
【作業用】ニコニコ VOCALOID(ボカロ)曲ピックアップ(2026年2月投稿分)
ニコニコ動画に2026年2月に投稿されたボカロ楽曲を一部ご紹介!
全20曲となっていますので、作業用BGMとしてもお楽しみください。
【投稿楽曲一覧】
投稿タイトル:月が綺麗ねと言われたい!/初音ミク
投稿日:2026/2/3
投稿者:カササギ
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45906405
投稿タイトル:東京真中 - ブレインロット feat. 重音テト
投稿日:2026/2/21
投稿者:東京真中
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45971012
投稿タイトル:DECO*27 - 愛言葉V feat. 初音ミク
投稿日:2026/2/12
投稿者:DECO*27
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45938997
投稿タイトル:デロスサントス / 重音テトSV
投稿日:2026/2/21
投稿者:山本
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45973015
投稿タイトル:罰して光 / 初音ミク
投稿日:2026/2/6
投稿者:なきそ
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45915754
投稿タイトル:ディスクローズ・フリック / 重音テトSV
投稿日:2026/2/6
投稿者:柊マグネタイト
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45916939
投稿タイトル:∴煮ル果実「ブラフマン」with 梵そよぎ
投稿日:2026/2/11
投稿者:煮ル果実
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45919615
投稿タイトル:ハーモニー - 初音ミク (+原口沙輔, 初音ミク)
投稿日:2026/2/21
投稿者:椎乃味醂
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45973617
投稿タイトル:『花びら哀歌』/ feat. 重音テトSV
投稿日:2026/2/21
投稿者:MIMI
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45968109
投稿タイトル:スプリットダンス / 初音ミク・重音テト
投稿日:2026/2/13
投稿者:えいぷ
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45942069
投稿タイトル:『 柔く、ほどいて 』 / feat.初音ミク&重音テトSV
投稿日:2026/2/10
投稿者:MIMI
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45930882
投稿タイトル:ハムパチーノ・キンタロキャンディ
投稿日:2026/2/21
投稿者:ハムパチーノ
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45976849
投稿タイトル:一億年恋してる - ついなちゃん
投稿日:2026/2/20
投稿者:いのうつはSA少女終末旅行見てP
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45966776
投稿タイトル:nice dog/初音ミク - ぬゆり
投稿日:2026/2/19
投稿者:ぬゆり
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45960504
投稿タイトル:Sell a Friend / 重音テト
投稿日:2026/2/9
投稿者:Azari
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45928458
投稿タイトル:私たちの距離
投稿日:2026/2/21
投稿者:nyanyannya(大天才P)
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45950299
投稿タイトル:前へ! feat. 宮舞モカ・Ryo・Mai・フリモメン・花隈千冬・重音テト
投稿日:2026/2/21
投稿者:OSTER project
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45957440
投稿タイトル:再現.leaper / 星尘Infinity
投稿日:2026/2/20
投稿者:奏(kanade)
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45968663
投稿タイトル:特別救済委員会 / 初音ミク・GUMI・IA・Flower・可不・重音テトSV
投稿日:2026/2/19
投稿者:サツキ
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45876576
投稿タイトル:あの子みたいに / 重音テト&知声
投稿日:2026/2/21
投稿者:柏木カレキ
動画URL:https://www.nicovideo.jp/watch/sm45962260
【夕刊シチ3月11日号 345年09月】殷浩登場! 世代が進む
【345年09月】
資治通鑑原文1984文字(230/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
・準メインキャスト
2/12-張駿▲
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
王敦蘇峻が現れれば温嶠が支え、庾氏が台頭すれば何充が整える。こうした系譜は、次の世代の謝安にもつながる気がします。ともあれ、ここで何充が死亡しました。何充の一門はここで有名人が止まるので先に書いておきます。「にもかかわらず」劉宋に、何充の一族が多く婚姻を結んでいます。これはおそらく仏教絡みのつながりなのですが、具体的なところはよくわかりません。
残された司馬昱らは、ここで新たな支柱を求め、この当時に最も高い名声を誇っていた人士を朝廷に召喚します。殷浩。この当時の人々からは管仲よ諸葛亮よと讃えられていました。ただそうした中殷浩は父親の墓所でいわゆる三年喪をも遙かに上回る期間喪に服していました。そこに司馬昱をはじめとした東晋人士らの再三の説得があり、ようやくこの年に立ち上がったのです。こうした人物の参与は、朝野より大きな歓迎を受けたそうです。またこのタイミングで、桓温が漢討伐の承認を得ます。東晋の勢力地図、激変の兆しです。
前燕は扶余を大破し、独自年号を打ち立てるようになります。もはや東晋の権威はいらない、とでも言わんばかりです。また対後趙の最前線に慕容覇を配備。後趙将を縮み上がらせました。そんな後趙では石虎の暴走がいよいよ甚だしくなる中、姚弋仲がその剛直さで石虎を感服させたり、蒲洪が命をかけての諌言をなすなど、のちのビッグネームたちがその輝きを際立たせる様子が描かれます。が、今回はこの程度の紹介にしておきます。特記されなかった、すなわち安定の続いていた涼州の状況が激変するのです。
張駿は死亡が近くなると、ついに仮王を名乗り始めました。そろそろ我々は晋からも独立しますよ、という意思表示です。そして、死亡。張重華が即位し、引き続き涼の仮王と名乗りました。ならばもう、ここからは前涼と呼んでしまっても良いでしょう。これを好機と見たか、後趙の猛将、麻秋が攻めてきます。しかしこの軍は、無名の将によって撃退されました。彼の名は謝艾といいます。その名は、この先の前涼で、鮮やかな輝きを示すことになるのです。
【ミュートさん】日本国歌を歌ってバハムートが飛んだ後、おかわりした結果…【2026/2/12】
2026/2/12ニコ生
【夕刊シチ3月10日号 344年09月】康帝崩御! 誰が幼帝を
【344年09月】
資治通鑑原文2528文字(176/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
・準メインキャスト
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
康帝、崩御。新たに立てられた司馬聃、すなわち穆帝が政務を執れるはずもなく、主に三人の人物が穆帝を支えることになります。母親の褚太后(とは言え当時22才でしたが)、大叔父の司馬昱、そして何充です。前日にも語った通り、庾氏が完全に中枢から押し出された感じです。そして折悪しく、ここで庾翼が死亡。庾翼は自分の率いていた軍府を息子に継承させようとしましたが、これを何充が反対。庾翼の下にあった実力者、桓温をその後継に指名しました。いよいよ表舞台に桓温が立ちますので、ここで予告をしておきましょう。はじめの大武勲、漢撃滅が347年のことです。
ここから東晋の軍事的強盛化が進むのですが、それを迎え撃つ形となる後趙はどうだったのでしょうか。引き続き石虎のオモシロムーヴが続いています。三万人もの女性を強制的に後宮に召し上げる際、それに反対する夫を殺害するだとか、連行してきた人数によって爵位を与えたりだとか、もう何がしたいのかよくわかりません。まあ息子のひとり石鑑が配下の髪の毛を引っこ抜いて自分の冠の結び紐にしたりなどをやらかしていたので、現状の息子たちにのきなみ不安を覚えていた、ということなのかもしれません。これは既に、この段階でこの言葉を言えそうですね、「もう遅い」。
そして後趙を挟んで北にある、前燕。こちらはもともと強権的であった慕容皝が臣下よりの諫めの言葉を聞き入れ、重税の取りやめ、土地の解放、教育の拡充などに乗り出します。ここから前燕の国力が飛躍することになるわけです。
更には、三年後に滅ぶ漢。李勢はその弟が聡明であり、よく政を支えていたが、だからこそその弟に疑いの目を向けるようになっていました。しかもその弟が「自分をあなたの後継者に据えてください」と言い出したものですから大変です。李勢、弟を処刑すると言いだし、更にはなんとか処刑を止めようとする臣下も、家族もろとも殺し尽くしました。その上で弟には自殺を強要します。やってしまいましたなあ!
後趙と漢、なんというか、運命を揃えすぎな気がします。
【夕刊シチ3月9日号 343年10月】康帝危篤! 庾氏も危うい
【343年10月】
資治通鑑原文1373文字(281/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
昨年の石の虎移動事件で気を良くしたのでしょうか、石虎が軍勢を集めて南征の準備を開始します。その兵力、公称百万。さすがに盛り過ぎとは言え、大軍勢であったのは間違いがないのでしょう。しかしながら、この招集は「石虎の目の前に突然白い雁が集まり、しかも追い散らすことが出来なかった」ことから中止となりました。どういうことなんだぜ。そんなことで解散など、招集された人々にとってはたまったものではありません。よくそのまま暴動が起きなかったものです。
その後も石虎の迷走は止まりません。占い師によって「この先に起こる不幸を止めるには王姓の貴人を処刑せねばならない」と言われたため大臣のひとりである王波に無実の罪を着せ、処刑しました。なおこの話にはオチがあり、石虎太子の石宣と王波の折り合いが悪かったため、石宣が占い師と繋がって王波を排除するための讒言をもたらした、というものです。ちなみにこれが明らかになったからと石宣になんらかのおとがめがあった、とは書かれません。
さて、突然よくわからない勢いで北土に大軍が現れて霧散した東晋はこの頃、どうだったでしょうか。康帝がさっそく危篤に陥りました。健康でなさすぎる。このため朝議が立ち上がり、誰を太子に据えるか、の議論が起こりました。ここで庾冰は康帝を推したのと同じロジック、すなわち「この危急の折には年長のものを人主に据えるべき」という理由で司馬昱を推しましたが、何充をはじめとした大臣らは猛反対。正嫡を据えるべき、ということで、当時生まれたばかりであった康帝の嫡子司馬聃を推薦します。康帝もまた司馬聃の太子推戴を承認しました。
ここでの問題は、司馬聃の母親が庾氏ではないことです。康帝皇后の褚氏は褚裒の娘でしたが、ここで褚裒は娘が皇后になったそばから中央から退き、権勢を拒否しました。これが大臣や官僚たちにどう映ったことでしょうか。つまり司馬聃即位により、庾氏はいよいよ外戚の座から滑り落ちるのです。庾翼の北伐は「功績によって地位を保つ」側面もありました。しかし、実際に興された軍は大敗、桓宣は敗北を恥じて病死しました。これは、庾氏の権勢が実質挫折した、と言うしかないのです。
【鳴花ヒメ・鳴花ミコト】気まぐれマスターデュエル6【遊戯王マスターデュエル】
aviutl2
対戦日 2026/2/12
音声
A.I.VOICE
鳴花ミコト
A.I.VOICE2
鳴花ヒメ
立ち絵
鳴花ヒメ 鳴花ミコト
im11401412 / 一止月サノツキ
【BBEE】すずきさんはFINISHしたい3【CeVIO】
2/12アプデ以降の初クリアしたラン
なんかてきとうなこと喋りながらボスシバくだけ
E75
マイ=ナツメ
---使用ソフト等一覧---
・BlazBlue Entropy Effect(steam)
https://store.steampowered.com/app/2273430/BlazBlue_Entropy_Effect/
・CeVIO CS:すずきつづみ
------------------------------
【夕刊シチ3月8日号 342年10月】桓温登場! 庾氏の婿
【342年10月】
資治通鑑原文2599文字(170/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
3/4-慕容垂-5/3
桓温-4/9
・準メインキャスト
2/10-李寿▲
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
この年、ついに桓温が登場します。その立場は明帝の娘の婿。つまり、庾氏にとっては娘婿です。蘇峻の乱で配下の裏切りにより無念の死を遂げた父、桓彝を死に追いやったその配下を単独で殺し、その激しい気骨を庾翼に惚れ込まれ、立身。存在感を高めました。なおその庾翼は兄が成し遂げられなかった北伐を再度提唱。拠点を武昌から襄陽へと移し、先鋒に桓宣を据えます。なお桓温と桓宣はかなり遠い親族ではあるようです。また武昌には庾冰が庾翼の後釜としてつき、中央には何充が復帰しました。
昨年おとなしかった前燕と後趙、この年は大忙しです。前燕は高句麗、次いで宇文部を徹底的に大破しました。この戦いによって高句麗は王の家族が前燕にさらわれています。以前書いたこともありますが、このあたりの前燕を三国史記で追うとマジで魔王です。そして宇文部は、この戦いによってほぼ滅びました。段部と違い前後燕の皇后に宇文の姓も見えません。一応この当時の大人であった宇文逸豆帰の五代子孫が北周の実質的建国者である宇文泰、ということになっています。ともあれ高句麗、宇文部の大破で大功を挙げた慕容翰でしたが、傲慢になってきた、ということで誅殺されました。うーん狡兎尽きたかー。
後趙は石虎祭です。40万人以上を動員して、鄴から襄国を繋ぐ巨大な回廊だとか、宮殿の建築だとかを強行することによって餓死や自殺者などが出たり、その骸が獣に食いあさられたりしていました。更に徴発を息子たちに任せていたところそれぞれの勢力が増大、兄弟同士での権勢争いが激化します。そうした中済南にあった石造りの虎が南に動いた、と言う報告が届きました。石虎はこれを「わしが南方を支配するきざしに違いない!」と大喜びしたそうです。
そしてこの年、漢で李寿が死亡、李勢が後継として立ちました。漢、いよいよ最終章という感じになってきました。
【夕刊シチ3月7日号 341年11月】成帝崩御! 庾氏不穏
【341年11月】
資治通鑑原文963文字(317/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
3/4-慕容垂-5/3
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/8
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
庾亮が死亡して、家の繁栄を危ぶんだのでしょうか。この年はやけに庾氏の不穏な動きが目立ちます。たとえば庾亮の一番上の弟である庾懌が琅邪王氏の王允之を暗殺しようとして失敗、自殺を命じられています。こうした事態を受けて成帝は「大舅が天下を乱したと言うのに、小舅までその真似をしようというのか!」と悲嘆に暮れました。
こうした事態が成帝の心労として大きくのしかかってきたのは想像に難くありません。この年、成帝が崩御。わずか二十二歳でした。生まれてすぐに王敦の乱を目の当たりとし、即位しては伯父の暴走による蘇峻の乱で側近を殺され、更にその一族による不穏な動き。あまりにもいいところのなさすぎる生涯でした。
成帝の跡を継ぐ皇帝としては、はじめ産まれたばかりの息子である司馬丕、のちの哀帝が候補となりましたが、赤子ではまずい、とのことで庾冰が成帝の弟、司馬岳をゴリ押しし、即位させます。康帝です。継承周りでは議論に庾氏を混ぜ込むな、といった讒言もあったりはしたのですが、結局の所、庾氏の意見が通っているわけです――あんなことがあったにもかかわらず。なおこのとき康帝の後見として、元帝の末子、つまり康帝の叔父に当たる司馬昱がついています。のちの簡文帝です。また後見人のひとり、何充は庾氏の権勢に巻き込まれるのを嫌い、京口、すなわち北府軍の駐屯地への移鎮を願い出ました。
なおこの年、前燕後趙の話はありません。その代わりに、後趙の使者から鄴の様子を聞いた李寿が石虎の豪奢な宮殿の建造や厳罰統治に憧れ、漢の統治にも取り入れ始めます。これによって処刑されるものが急激に増えました。もちろん臣下にはこうした動きによって国が衰退してしまう、と憂い、李寿を諫めるものもいました。しかし李寿、こうした人物もまた処刑してしまいます。なんと言うか、またいつものやつが始まった感じです。こうした中、李寿は息子の李勢を太子に据えます。
まぁ、比較的静かな年とは言えるのでしょうけれどもね。
【夕刊シチ3月6日号 340年12月】前燕遷都! 中原を睨む
【340年12月】
資治通鑑原文1502文字(269/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
3/4-慕容垂-5/3
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
着実に国土を広げる慕容皝は、いよいよ都を遼河平原より西に進出。龍城という城を建て、新たな都とします。とは言え、既に燕王を自称していたわけですが、これを晋に認めてもらわないことには話になりません。そこで劉翔という人物を使者として送り込み、交渉させます。晋側は異民族に王の爵位を与えることに渋りました(慕容廆のときも陶侃がお茶を濁し、朝廷そのものは回答していませんでした)が、劉翔はそこに「忠臣の心をへし折るおつもりですか!?」と迫ります。更に慕容皝は別途手紙を飛ばし、成帝には「庾氏は何を企んでいるかわかりませんぞ」と言い、反対派の筆頭であった庾冰に対しては謎の手紙にて脅しをかけました。内容は不明です。こうして一年近くの評議を経て、最終的には慕容皝が燕王となることが承認されます。
その間、劉翔は江南をつぶさに見て回り、あまりにも晋が戦いに備えていないことに愕然としました。このため宴席に参加しては「このまま北族をのさばらせた状態で安逸を貪られるおつもりか!」を大臣らを叱咤、恥じ入らせたり、晋からの返礼の使者とともに燕に帰還する際にも「いま、漢と趙とがお互いを食らいつくさんとしていますが、ならばこそ速やかに漢を討つべきにございましょう」と提言しています。劉翔は燕に仕えてこそいますが、晋の朝廷に姻戚を持つ、れっきとした晋人でもあります。燕にあるからこそ、晋のふがいなさが耐えきれなかったのかもしれません。
劉翔出立後の晋では「土断」という政策が施行されました。これは土地を断つ、の意味で、八王以来中原から江南に流れ込んできていた人々を流寓の身から、正式に江南の戸籍に組み入れる、というものです。この政策は、以後も定期的に実施されることになります。
このほか北では拓跋什翼犍が鉄弗の劉虎を、慕容皝が後趙軍を、そして慕容恪が高句麗を撃退しました。なおここで劉淵の時代ころから現役であった劉虎が死亡、子の劉務桓、すなわち赫連勃勃の祖父が継承します。
世代交代の波が、各地でうねっています。
【夕刊シチ3月5日号 339年12月】陽狂の慕容翰! 陰なる支柱
【339年12月】
資治通鑑原文1930文字(238/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
3/4-慕容垂-5/3
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
段部の壊滅を受け、宇文部に逃れていた慕容翰。ここで慕容翰は自分が警戒されていたことを察し、狂人を偽って(陽狂の陽は陽動の陽と同じ意味です)宇文部の領内を徘徊、こっそりと宇文部の地理を把握しました。その上で、前燕に帰還します。慕容皝はこの勇猛な弟の帰還を大いに歓びました。
そんな前燕に対する怒り、苛立ちがマックスな、石虎。過日の大敗の恨みをはらさんと大規模な徴発をなし、軍備を整えます。しかし石虎が一生懸命かき集めた大軍が別の場所に集まった隙をつき、慕容皝は後趙の重要拠点の一つであった薊を強襲。瞬く間に陥落させました。もうこうなってしまうと石虎の面目など丸つぶれです。以降の石虎は、ちょっとでも気に食わないことがあると息子であっても殺害するくらいの猜疑心マシーンと化します。こうした状態で何が起こるか。劉聡の時代の再来、と言った腐敗、堕落の顕現です。
こうした覇権者の堕落は、周辺からどう受け止められるでしょうか。
李寿は晋に奪われた巴東を奪回、更に後趙からの使者が来ると手を組みたいと言い出しました。すると臣下らは「石虎は人の皮を被った獣です、あれに晋を滅ぼさせたらどうなることやら!」と止められ、断念。その後後趙に送った手紙では石虎のことを「趙の石どの」、つまり対等の存在かのごとく扱います。これに怒った石虎はなんとか威厳を示そうとするも失敗しました。
張駿もまた石虎に対して傲慢な内容の手紙を送り、石虎を怒らせています。石虎はここで涼を攻めようと言い出しますが、これは「いまの情勢で晋に背中を向けられると思いますか?」なる諫言により却下されました。
こうした中、晋では庾亮が死亡。なんというか、お疲れ様、と言う感じです。ただし二人の弟、庾冰が中央の政務運営に、庾翼が西方軍務の取り仕切りに当たったため、もう少し庾氏の権勢は続きます。
――そう、桓温が現れるまでは。
【夕刊シチ3月4日号 339年01月】退場! 東晋第一世代
【339年01月】
資治通鑑原文3174文字(142/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/26-王導▲
2/3-石虎-3/14
3/3-冉閔-3/18
慕容垂-5/3
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
後趙が決定的敗北を被った! これは東晋にとってはまたとないチャンス、に見えかけます。そこで庾亮が西方から、今こそ北伐を敢行すべき! と言い出しました。この北伐廷議に反対したのが、東晋が誇る必殺諫言マン、蔡謨。先日石虎の手腕評価で紹介した人物です。この人物は庾亮の北伐廷議を聞くなり以前紹介した通り「石虎の手腕のどこに隙を見ることが出来るのか」と述べ、その上で「あんたがここで下手に動いたらそんな石虎が本気で襲いかかってくるんですけど、あんた祖逖よりも強いんですか? あの祖逖ですら満足に防ぎきれなかったのが石虎なんですけどその辺理解してます?」とガン詰め。この意見が採用され、庾亮の廷議は却下されます。
しかし、間もなくして王導、及び郗鑒が死亡。東晋第一世代とも言うべきこの二人は庾亮の重石的な役割を担っていましたから、この両名がいなくなったところで、結局庾亮は手始めに漢を攻撃して寧州及び漢中奪還などの武功を挙げた上で北伐をゴリ押ししました。邾城と言う、過去に陶侃が「この場所を拠点にしたらむしろ災禍をもたらすぞ」と警告していた場所を拠点として。またやってるよこのひと。
すると、誰が出てきたか。
石閔です。
石閔をはじめとした後趙軍は凄まじい勢いで邾城を攻撃、陥落させてしまいました。そして城周辺を盛大に略奪して回り、撤収。こうして陶侃の予見は庾亮の致命的失敗という形で顕現します。
北方では前燕と代が通婚し、後趙の北の脅威としての存在感を高めます。また宇文部との戦いの中で、ついに慕容覇、つまりのちの慕容垂が将軍としてのデビューを果たします。
西方では李寿は改めて臣下から王号を捨てて晋に臣従すべきだと勧められますが却下、むしろ諫めてきたものを殺しさえしました。うーん、破滅へのカウントダウン。
【夕刊シチ3月3日号 338年01月】慕容恪と冉閔! 竜虎相討つ
【338年01月】
資治通鑑原文4697文字(74/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/26-王導-3/5
2/3-石虎-3/14
冉閔-3/18
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
鮮卑段部は、後趙にとっても北の患い。このため慕容皝と手を組み、連合しての撃滅を申し出ます。しかしその直前に、慕容皝は前燕単体で段部主力を撃滅しました。段部に寄寓していた慕容翰は、北方の宇文部に逃れます。
さて、こうなると後趙の北上は単純に災いの襲来にしかなりません。しかも、ともに段部を攻めるはずが、後趙軍到着時にほぼ趨勢が決まっています。一番うまいところを先に食われた、と石虎は激怒し、そのまま進軍。あっという間に前燕の都である棘城に肉薄しました。ここで慕容皝は撤退を考えましたが、臣下らの「守りを固め、隙を突けば勝てる」という励ましに応じ、踏みとどまります。
実際に石虎は長期戦を想定していなかったようで、しばらく攻めあぐねたのちに撤退を開始しました。ここに、後に前燕の武の象徴として名を轟かせることになる慕容恪が追撃を仕掛け、後趙軍は総崩れとなります。しかし石虎を捕らえることはできませんでした。後趙最強の武、石閔に守られていたためです。なおこの石閔こそが、のちの冉閔です。慕容恪と冉閔と言えばまさしくこのあとの主役と言っていい存在ですので(全体の流れという意味で慕容恪をメイン級には据えられませんでしたが)、まさかそのデビューまで一緒とは、司馬光さんも割とこの二人の対決のことが好きそうです。
成では李寿を警戒する李期が、結局李寿の襲撃を受け捕まり、退位させられました。ここで李寿が「諸侯となるなら百代、天子となるなら数年」なる予言を受け、天子となることを選んだりもしていますから、ではどっちが悪いのか、みたいなのは下手に詰めようとしても仕方がなさそうです。なお、このときの李寿が漢王(つまり漢中を確保している諸侯)であったため、即位したそばから国号を漢に変更しました。成から漢に変わったため、まとめて成漢、と紹介されているわけです。
また代では拓跋翳槐が死亡、弟の拓跋什翼犍が後趙から帰還し即位、そのあとを継ぎます。いよいよ代が「北魏の前身」としての存在感を示すのです。
【夕刊シチ3月2日号 337年02月】棺の定員 一人まで!
【337年02月】
資治通鑑原文1191文字(296/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/26-王導-3/5
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
慕容対段の戦いが最終局面に至ります。石勒にズタボロにされたり、慕容皝にズタボロにされたり、本当に鮮卑段部は立ち位置的に地獄としか言いようがありません。とは言え面白いことに、その後の前燕や後燕を見ると、段部出身の皇后がめちゃくちゃ多いです。鮮卑の中でも段部はかなり高位の存在だったのではないか、という仮説を見たことがありますが、これについては、わりと賛同したい気持ちでいっぱいです。
あまり記述量の多いわけではないこの年、主役は誰でしょうか。石虎です。ここでも楽しい虐殺タイムを決めていて、これをどう紹介したものかで迷います。そこに呻吟した結果が今回のタイトルなのですが、放蕩の結果親殺しまで言い出した嫡子の石邃に「対応」した結果定員一名の乗り物に二十八人を押し込みました、と書くのがいいでしょうか。そんなひどいこと、通勤ラッシュ時間帯の都心部ですらやらないですよ、ねっ!
ここで改めて、石勒死亡時の話を蒸し返さねばなりません。もう少し言えば劉邦即位、でもいいです。天下を治めるには二段階があります。武での制圧と、文武での服従です。石勒は、残念ながら第一段階を達成できませんでした。だから石虎を殺せませんでした。そしてこの流れは、結局のところ後趙の後継体制を石勒の時代以上にグズグズにしてしまいます。と言うわけで、明日誰が出てくるかをここで予告してしまいましょう。冉閔です。
一方で慕容皝は、ここでついに燕王を自称。なのでここからが「前燕」と呼べるようになります。東晋からの許可は、もう待ちませんでした。しかし一方では東晋への「臣従」を継続もしています。もちろん東晋もいつまでも臣従し続けるとは思ってもいなかったでしょうし、このあたりの綱引きは、実にスリリングです。
後趙は拓跋翳槐を代に送り返し、再び統治させることに。拓跋紇那は前燕に逃げ込みました。この辺りは内紛とばかり認識していたのですが、こうして周辺国との関係から見ると、完全に外の都合に振り回されていますね。既に繰り返し紹介する通りこの国はのちの北魏の前身なのですが、なかなか腰が定まりません。その雄飛はもう少し先にならざるを得ないようです。
【夕刊シチ3月1日号 336年03月】石虎豪遊! 慕容が迫る
【336年03月】
資治通鑑原文1226文字(292/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/26-王導-3/5
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
2/28-慕容儁-3/26
【できごと】
慕容仁が段部や宇文部とも結んでいたため、慕容皝は引き続き段部を攻撃。このときの慕容皝は両軍の心理状態を的確に読み切り、弟の慕容評を始めとした配下将を巧みに操り、大破をしてのけました。これにより、これまで遼河沿岸地域にのみ勢力圏のあった慕容部がいよいよ中原に向け進出を開始します。これはつまり、後趙との正面衝突が近づいてきた、ということでもあります。
その後趙。始まりました、石虎豪遊祭。石勒が思いとどまった鄴の都市機構拡充を、石虎が、悪い意味で亢進します。ここで資治通鑑に載る贅沢ぶりが既に凄まじいんですが、鄴中記という本における記述がさらにその数倍。もはや笑うしかありません。黄河に石を積んだ橋を渡そうだとか、どでかい灯籠を作ったはいいが倒れて二十人を焼き殺したとか、微妙にリアリティのあるラインでその狂乱ぶりが示されてしまい、いつもみたいにどうせでっち上げでしょ、とも言いきれない感じなのが、こう。また後宮では一万人からなる女性に官僚組織を編ませたりもしており、もう何なんだか訳がわかりません。ここにそっと飢饉が起きたという記述もあり、まるで石虎が起こしたかのような書きぶりです。まあ、そういう論調になるのは必然なのでしょうけれど。
東晋では「政情がようやく安定した」とのことで太学、すなわち教育機関の復興が提唱されました。しかしこの頃建康宮中には清談のもとである老壮の言葉が飛び交っており、儒の言葉は隅に追いやられ、満足な設立、拡充が叶いませんでした。なお資治通鑑では載りませんが、この頃仏教もかなり東晋に流れ込んでいます。仏教は老壮と合体するような形で始め伝えられもしたそうですので、この時期は思想体系についても大きな転換期になっていたのかもしれません。そうしたことが世説新語における、このあたりのぶ厚い扱いにもつながったのかもしれないです。
あと成ではこのときも李期が臣下殺しに忙しかったみたいです。一方で李寿は漢中に進撃してきた東晋軍を撃退、そのまま駐屯。国内の輿望、果たしてどのようだったのでしょうか。
姫路の闇 その2〜闇が始まったのはこの人から〜
庫11区 自民党の新人『山田基靖』が初当選しました。 彼は外務省出身の方です。外務省と言えば、今まで日本の文化伝統を破壊してきた代表的なお役所です。そこから、姫路に派遣されてきたのが、山田氏です。そして、この度引退したのが、民主党で元外務大臣だった松本剛明です。中国人が日本で土地を買うきっかけを作った人です。 私は、何か繋がりがあるように思えます。
▼ 「私たちは松本党」揺れた姫路の衆院選 制したのは43歳の前副市長 (2/12 朝日新聞) https://www.asahi.com/articles/ASV2C13S7V2CPIHB00QM.html
▼ 世界銀行 HP https://www.worldbank.org/ja/about/what-we-do
▼ 世界銀行国会議員ネットワーク 松本剛明 世界銀行国会議員連盟 会長 https://www.worldbank.org/ja/country/japan/brief/parliamentary-network-on-world-bank
▼ 頑張れ日本全国行動委員会兵庫県姫路支部 第2チャンネル https://www.youtube.com/@UCvIwI2RFD1Tvku0sLYcoOhA
▼ 頑張れ日本全国行動委員 会兵庫県 姫路支部HP https://ganbare-himeji.localinfo.jp
【2月28日号 335年03月】王導権勢! 帝の補佐
【335年03月】
資治通鑑原文1955文字(234/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/26-王導-3/5
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
慕容儁-3/26
【できごと】
庾亮さんの華麗なるポカのおかげで、再び王導が中央に戻ってきました。そしてここで、西晋で見た「清談」の話が戻ってきます。王導自身が清談の達人であったため、その周囲に清談を得意とする人物が集まってくるのです。劉宋の時代に編まれた世説新語は竹林七賢がフューチャーされる本として有名ですが、実際はここから淝水の戦い辺りまでが最も厚く語られています。つまりここからは、ある意味で劉宋人にとり「理想の時代」であった、と言えるでしょう。
石虎は僧侶の仏図澄を奉じ、鄴へ遷都。ここから、仏教が本格的に広まり始めます。その後石虎はわずか数十騎を引き連れ、長江を見物。立ち去りました。このニュースは見事に針小棒大となり、石虎が大軍を率いて攻めてきたことになりました。東晋は蜂の巣をつつく騒ぎになるわ、王導が最前線に出向させられるわの末、誤報であったと判明。報告者が大いに罰されています。晋人が名目で何を言おうとも、結局石虎をどう認識していたか、がありありと示されており、微笑ましいです。ただ西方では後趙軍の攻撃を陶侃の同僚であった桓宣という将軍が跳ね返したりもしています。一進一退、という感じです。
ここで北方では慕容皝が凍結した海を渡るという荒業を決め、慕容仁を撃滅。誅殺しました。こうしていきなりの窮地を脱したところで、嫡子の慕容儁を世子とします。ここで一緒に慕容儁の弟を紹介しておきましょう。慕容恪、そして慕容覇。後者は後に名を、垂と改めます。また拓跋部では拓跋翳槐が部民の粛清に失敗、後趙に亡命。拓跋紇那が大人に返り咲きます。
西方では張駿が西方諸国の制圧を果たし勢力を西に拡大、いよいよその勢力を確かなものとします。対して成では李期が早速李雄時代の遺産を食いつぶし始めるわ、忠臣を処断、追放し始めるわと、各所で見た暗君ムーヴをさっそく開始していますが、これは直後に李寿がいる以上、多少悪事を割り引いてみたほうが穏当だと思います。
とにもかくにも、どこもかしこも、笑っちゃうほど不穏な動きが続いていますね。
【夕刊シチ2月27日号 334年04月】簒奪と動乱! 継承の難しさ
【334年04月】
資治通鑑原文2054文字(222/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/26-王導-3/5
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
1/25-李雄▲
1/25-陶侃▲
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
【できごと】
次々と大物が死亡します。この年に死亡したのが、陶侃と、李雄。ともにその統治の手腕が謳われていたわけで、そうした人物が死亡すれば次は、というわけです。つくづく思うのですが、この時代の統治は「イレギュラーが多すぎるため属人化されざるを得ない」印象です。
陶侃はずっと引退を願い出ていましたが許されませんでした。これも陶侃の手腕を晋が失えなかったからこそ。ようやく許可を得て故郷に戻ろうとしましたが、その帰途にて死亡。つまり、生きて故郷の土を踏めませんでした。なお陶侃亡き後の荊州統治は庾亮が就きました。建康と荊州が手を組むのは基本的に国難が迫ったときのみ、あとはわりと反目し合います。今後の東晋を追う上で、これを拾っておくと比較的情勢がわかりやすいでしょう。
李雄はまあ、看取られての死亡です。しかし継承者たる李班は、李雄の亡骸を前に泣いているところを李雄の子、李期に殺されました。いきなりクライマックスです。ここで李寿は、すぐさま李期討伐に動かず、見を貫きました。このあたりは石虎の果断ぶりと対称的ですね。
慕容皝も引き続き慕容仁に手を焼かされています。ただ、このタイミングでは快勝を収めました。ここで慕容皝は慕容仁に従っていた者たちを穴埋めにしようと言い出すのですが、配下より「それをやったら他の者たちが従いませんよ」と説かれ、思いとどまりました。ちなみにこれは遥かな未来、396年の参合陂の戦いの伏線にもなっています。
そして、石虎です。強引に帝位につけた石弘を帝位より引きずり下ろし、殺害。自身が天王に就きました。石虎の凶暴ぶりがいよいよあからさまとなってきました。ただこのとき、長安から石虎とともに襄国に移動していた姚弋仲が「恩人の子を殺すとは何事か!」と石虎を糾弾。あの石虎を縮み上がらせています。姚弋仲は羌族の部族長であり、その背景には確かに侮れない武力もあったのでしょう。それにしたって強すぎませんか、このジジイ?
【夕刊シチ2月26日号 333年04月】二巨星墜つ! 華北が揺れる
【333年04月】
資治通鑑原文3445文字(124/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/4-慕容廆▲
1/26-王導-3/5
1/27-石勒▲
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
【できごと】
五胡十六国時代の第一世代が退場しました。慕容廆と、石勒。ここで慕容廆はまだつつがなく大人継承が叶ったのでいいのですが、問題は石勒です。死の床についた石勒を看病という名で石虎が独占、まともに遺詔も下せない状況としました。そして石勒が死亡したそばから、張賓亡き後の石勒を支え、かつ石虎を警戒し続けていた程遐および徐光を収監、殺害。さらには即位を嫌がる石弘を強引に帝位につけ、そこから石勒の皇后であった劉氏を始めとした石勒関係者を殺し、あるいは追い出し、石虎討伐に決起した諸宗族もあっという間に殲滅します。
この殲滅劇に際しては、石虎自身が洛陽や長安にまで出征しています。ここで長安でいちど大敗を喫したりもするのですが、トータルでは一方的な完勝でした。石虎の暴虐を聞いた蒲洪などはいちど張駿のもとへの帰属を願い出ていますが、石虎自身の接近を聞くとすぐさま復帰を言い出しています。それだけ石虎の武力が異常だった、と言えるでしょう。こうした軍略の鮮やかさについては、東晋官僚の蔡謨が「あの者について有能無能と論じるのも馬鹿馬鹿しい」と論じ、北伐を言い出した庾亮を止めたほどです。
では、慕容部は平穏だったのでしょうか。いいえ。継承こそ問題はありませんでしたが、慕容皝は弟たちと不和でした。上の弟の慕容翰は対立を避け段部に出奔、下の弟の慕容仁は粛清を恐れて決起。この決起には段部も呼応したりで、慕容皝、いきなり窮地に立たされます。とはいえ段部にいた慕容翰が「あまり攻め込むと罠があるかもしれませんよ」と段部の大人に囁いたことにより、決定的破滅は免れました。
西方では、このままだと本格的に後趙に圧迫されると恐れた張駿が、成を経由し、東晋に使者を派遣します。はじめこれを李雄は阻止しようとしたのですが、まっすぐに道義を説かれたため翻意、許可しました。以降涼と晋の間での使節のやり取りが欠かされなくなった、とのことですが、これが李雄死後どう変わっていくのか気になるところです。
ごきっと不安定になった華北は、再び荒れ狂ってゆくのです。
【夕刊シチ2月25日号 332年05月】成の石虎! 李寿活躍!
【332年05月】
資治通鑑377文字(352/365位)
【登場人物】
・メイン
1/4-慕容廆-2/26
1/26-王導-3/5
1/27-石勒-2/26
2/3-石虎-3/14
・準メイン
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
【できごと】
久しぶりに資治通鑑の薄い日が来ました。薄い年というのは「後世的な教訓が少ない年」となりますが、もちろんそれとは全く関係なく事態は動き続けています。つくづく思うのですが、こうして内容が薄くなっているときほど東晋内部でのできごとが面白そうです。なおこのときの東晋は陶侃に人臣の極み的な待遇を与えようとして辞退されています。あと後趙から「仲良くしようぜ!」的な使者が多くの贈り物とともに派遣されてきましたが、そうした贈り物をことごとく焼き捨てたそうです。うーん不倶戴天。とは言え後の時代、東晋末期頃の事績を魏書が綴る際には晋から国使がもたらされていた、と書かれていたりします。なので「本当は国交もあったけどプライド的に書かれなかった」可能性も捨てきれません。
この年についての内容は、とにもかくにも成まわりが非常に多いです。前年から引き続いての拡大戦略が記述され、そこの原動力が李寿であった、と書かれる。こうした流れを見ると、驚くほど李寿の立場って石虎そっくりなんですよね。ちなみに過去、敢えて資治通鑑に書かれた内容で見て見ぬ振りをしたものがあります。304年、つまり1月26日分のところで李寿、こっそりと初登場しているんです。そしてこのときの内容が母親と共に羅尚に囚われ、のちに解放された、と言うものでした。こんなところまで石虎そっくりなので、のちの伝記に「石虎のやり方を真似した」と書かれるのも、あるいはシンパシーめいたものを覚えていたのかもな、と感じてしまいます。
なお涼では、張駿が臣下より「そろそろ涼王としてお立ちになるべきではありませんか」と提案されています。これについては、あくまで晋の臣下たるべしとする張駿が却下しています。だいたいの通史本とかにおいてもそうですし、実態としてもこの時期の涼はとっくに独立国状態、つまり前涼と呼んでしまっていいんですが、もう少し当企画では晋の涼州扱いとしておきます。名目がそれなので。なおこの年張駿は、次男の張重華を後継者に据えました。ちなみに「重華」は伝説の聖王、舜の名前と同じです。この地がどうなってほしいか、の思いがダダ漏れで、ついついオメー完全に志向が王じゃねーか、とツッコんでしまいました。
【夕刊シチ2月24日号 331年06月】石勒 逐鹿を論ず
【331年06月】
資治通鑑原文1591文字(261/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/4-慕容廆-2/26
1/26-王導-3/5
1/27-石勒-2/26
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
【できごと】
この頃、石勒は鄴の都市機構を拡充します。これを続咸という人に諌められたので怒り収監、殺害といういつもの五胡君主パターンをやらかし掛けますが、なんとか踏みとどまり、むしろ続咸を忠臣として讃え、褒美を下しました。もともと石勒は軍事拠点として襄国を選んでいたわけであり、そうした軍務に倦みが出始めていたのかもしれません。
このタイミングで、有名な逸話が載せられます。臣下に対し、自身が過去の皇帝の誰に並ぶか、と問うたのです。徐光が劉邦すらしのぐとおべんちゃらを言えば、石勒は笑って「高祖をしのぐはずがない、かのお方に会えば従い、韓信や彭越らと肩を並べていただろう。光武帝とであれば中原で逐鹿を競ったであろう、寡婦や幼子をだまくらかして地位を得た曹操司馬懿なぞは問題外だ」と語りました。これは石勒の気宇を示したものとして知られていますが、ここまでの流れを追った上で読むと「そんな名目遊びを転がすようになってしまった」とも取れてしまいそうです。なにせ、統治者としての実利を拾うなら、このタイミングで石虎の切り離しをしないのはありえません。涙ながらに石虎の処分を訴える程遐に対し「そんなに地位がほしいのか!」と叫ぶ様子には、どうしても判断の衰えを見てしまいます。
一方で、後趙のこの勢いを危ぶむのが、慕容部です。慕容廆に向けて、東晋よりさらなる高官位を獲得すべきである、という議論が起こっています。ここには賛否両論が沸き起こりましたが、慕容廆は反対派をねじ伏せ、燕王の官位を東晋に求めます。これに対して答えたのが、陶侃でした。その内容は「いや送っとくけど、その正否なんて結局は実際に後趙潰したかどうかって話にしかならないからな」というものでした。それはそう。
さて前年巴東を獲得した成ですが、領土拡張の野望は止まりません。仇池を襲撃して主導権を奪い取ったり、南方の山岳地帯、寧州にも手を伸ばしています。東晋、次々と各所を攻められています。まだまだ蘇峻の乱の余波も落ち着かないであろう中のこれですし、なんていうか、いじめられっこみたいな印象になってきました。
【夕刊シチ2月23日号 330年06月】石勒、皇帝に! 後嗣は柔弱
【330年06月】
資治通鑑原文820文字(331/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/4-慕容廆-2/26
1/26-王導-3/5
1/27-石勒-2/26
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
【できごと】
前趙滅亡の動乱のスキを突き、張駿が領土奪回を果たします。後趙としては東晋や慕容に注力したいところでしたので張駿に官位を贈り懐柔を試みますが、失敗。ただし張駿も、後日には羌族の反乱の余波を恐れ臣従の使者を送ってもいます。張駿の絶妙な外交バランスが見え隠れしています。
後趙では、石勒がついに皇帝の座に就きました。「東晋の権威なぞもはやクソである」と改めて布告した形です。ただ、そんな石勒には重大な悩みがありました。後継者の石弘が柔弱であったことです。徐光などはむしろ「武で天下を収めたあとには文にて整える必要がある」と石弘の資質をたたえましたが、一方でこうも言います。「なお、この転換における最大のリスクは石虎です」。石勒もそこを理解してはいましたが、結局石虎を放逐はできませんでした。これがどのような結果を招くかは、未来がまざまざと示すところです。
そんな後趙ですが、軍事的には絶好調です。以前石勒が保持を諦めた襄陽に進出、獲得しています。また成の李寿が東方に進出、巴東を陥落させています。東晋が明らかに内乱の後始末に追われていて、外敵の対応にまで手を回しきれていなかったのをつかれているのが見えます。
一方で東方、呉のエリアを襲撃した後趙軍は郗鑒により撃退されているのですが、ここで撃退を果たした地域は長江を渡ってかなり南下した地点でした。というのも、このとき後趙軍は水軍を確保しており、長江渡河というリスクを負うことなく東晋の海浜エリアを襲撃することが叶っていたのです。後趙水軍がそのまま拡充されたとしたら、こちらもかなり危うい事態となったことでしょう。東晋において蘇峻の乱は、つくづく国体解体ギリギリまで追い込まれた事態だったのだ、と痛感します。この年、蘇峻討伐に当たっての論功行賞がなされましたが、功臣らが次々と栄達を果たす中、庾亮だけはこうした特典を辞退しています。まぁ、庾亮については蘇峻の乱の原因そのものとも言えますし、さすがに罪の意識が咎めた、と言ったあたりなのでしょうか。
全体的に、この年は小康状態、とは言えそうですね。
【夕刊シチ2月22日号 329年07月】前趙滅亡! 両秦の種、東に
【329年07月】
資治通鑑原文2105文字(219/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
1/4-慕容廆-2/26
1/26-王導-3/5
1/27-石勒-2/26
2/3-石虎-3/14
・準メインキャスト
1/25-李雄-2/27
1/25-陶侃-2/27
1/26-劉曜-2/22
2/10-李寿-3/9
2/12-張駿-3/12
2/14-慕容皝-3/14
2/14-拓跋什翼犍-4/13
【できごと】
劉曜が死んでも、残存勢力は健在。そこで石虎が出陣、完膚なきまでに叩き潰しました。これをもって最初の五胡国家が滅び、後趙が華北をほぼ掌握しました。ここで蒲洪および姚戈仲が後趙に帰順。ともに後趙での存在感を高めていきます。これを受け、石勒は自身の称号を王から天王に改めました。また臣下らの官位や爵位も整理しました。そして、ここで禍根を撒きます。後趙躍進の原動力である石虎を軽んじたのです。石勒と石虎は個人的な紐帯が太かったので、石勒としてはそこに甘えた形だったのでしょう。しかし石虎は言います。「王は都にいただけではないか!」と。ここで資治通鑑の記述を雑に整理すると「石勒の子孫なんぞみんなぶち殺すぞ」と石虎が叫んだ、となるのですが、これはどれだけ信じきれるのでしょうかね。
拓跋部では拓跋翳槐が勢力を盛り返し、弟の拓跋什翼犍を後趙に人質として送り込むことによって後ろ盾を得ます。また吐谷渾では……あっ、ここ、一点訂正があります。この年が国号を吐谷渾とした初年だそうです。慕容吐谷渾の孫、慕容葉延が礼記に載る「公孫の子は、祖父の字を氏とすることができる」ことを根拠にしたのだとか。つまり慕容吐谷渾の曽祖父である慕容渉帰を国公と見立て、改めて慕容の分家だがひとつの独立した家として確立した、ということですね。
蘇峻の乱がなんとか収まった東晋では、早くも次の乱が勃発しました。あのさあ。もともと塢主の一人として立ち回っていた、郭黙という人物が決起。ただこの乱は陶侃と庾亮がタッグを組み、一瞬で鎮圧します。庾亮さんにもさすがに学習の跡が見て取れます。
ところでこの年、前趙残存勢力の指導者として石虎に滅ぼされたのが劉胤で、郭黙を決起にまで追い込んだ東晋の官吏も劉胤なのですが、このあたりにまともなフォローもなく話が進み、地獄です。もうちょっとどうにかならんかったんかいな。
姫路の闇〜その1〜 この人物は要注意!
兵庫11区 自民党の新人『山田基靖』を皆さんご存知でしたか? 選挙になるまで、有権者は知らなかったと思います。 そんな知名度の低い彼が、なぜnトップ当選出来たのでしょうか?
▼ 「期日前投票でなりすまし可能」 広がる懸念 超短期決戦が影響か (2/6 毎日新聞) https://mainichi.jp/articles/20260205/k00/00m/040/300000c
▼ 参院選なりすまし「詐偽投票」摘発、3倍超に急増…SNSきっかけに「手ぶらで行ける」制度悪用も(R7/ 11/7 読売新聞) https://www.youtube.com/watch?v=G1HuUCgR19I
▼ 衆院選の投票用紙交付ミス 外国籍の別人に【知っておきたい!】 【グッド!モーニング】(2024年10月28日) https://www.youtube.com/watch?v=S96Ar326uwk
▼ 「私たちは松本党」揺れた姫路の衆院選 制したのは43歳の前副市長 (2/12 朝日新聞) https://www.asahi.com/articles/ASV2C13S7V2CPIHB00QM.html
▼ 頑張れ日本全国行動委員会兵庫県姫路支部 第2チャンネル https://www.youtube.com/@UCvIwI2RFD1Tvku0sLYcoOhA
▼ 頑張れ日本全国行動委員 会兵庫県 姫路支部HP https://ganbare-himeji.localinfo.jp
