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BANDAI Zeon mobile scout set U.C. Hard graph 1/35 バンダイ ジオン公国軍 機動偵察セット 機動浮遊機 ワッパ 第908機動偵察中隊 クワラン曹長機
Unboxing and assembling video
BANDAI
Zeon mobile scout set
U.C. Hard graph
Mobile suit GUNDAM
Scale:1/35
バンダイ
機動戦士ガンダム ハードグラフシリーズ
ジオン公国軍 機動偵察セット
機動浮遊機 PVN.4/3 WAPPA ワッパ
第908機動偵察中隊 第2小隊1番機 クワラン曹長機
【WILD HEARTS】つくもを率いし者 トロフィー取得
26/4/3 和風狩りゲーやっていきます
灯台下暗しとはコレのこと
合作単品 キワミで/え/ー/り/ん/
AOC「えーりん下濃すぎる…(´<_`Wvノ」
sm46374961 ←参加した合作
この動画に使用されている/る/ろ/う/に/剣/心関連の画像、および動画はすべて有志の方による手描きです。
合作は初参戦でした!なんか面白かったです。
それと今年もキワ雪記念日に備えてMAD作ってます。
いろいろと今年は忙しくなってきました…てぇへんだぁ…
ちなみに完成日は4/3でした。
字幕アリ版はこちらをどうぞ→https://youtu.be/Yn6vT6-pJ-8?si=qNEH9mGdkVg6DJhz
【車載動画】つむひまドライブ#40 関宿城さくらまつり【VOICEVOX】
VOICEVOXの春日部つむぎと冥鳴ひまりがお送りする車載動画です。
2026/4/3に千葉県我孫子市から利根川沿いを西進して野田市の関宿城まで行き、桜を見に行ったときの動画です。
ひまひまウォーク③(sm45090373)では関宿城の西側を歩いていますが、今回は東側と裏側を散策しています。
栃木県民の歌
栃木県HP
https://www.pref.tochigi.lg.jp/index.html
動画内に出た動画紹介のリンク
【車載動画】つむひまドライブ#28 利根川沿いの千葉茨城の県境【VOICEVOX】
sm44792515
【徒歩動画】ひまひまウォーク③ 利根川沿いの千葉茨城の県境 その②【VOICEVOX】
sm45090373
─────クレジット
VOICEVOX
https://voicevox.hiroshiba.jp/
・春日部つむぎ
・冥鳴ひまり@VOICEVOX
春日部つむぎ
https://tsumugi-official.studio.site/rule
冥鳴ひまり
https://meimeihimari.wixsite.com/himari/terms-of-use
立ち絵
akihiyo様
イラスト
エンドカード
たぬざか様:user/124788874
X(旧Twitter):https://x.com/tanuzaka
BGM
ニコニ・コモンズ
https://commons.nicovideo.jp/
「緑色の木漏れ日」
「青空の下」
DOVA-SYNDROME
https://dova-s.jp
「indie-romance」
効果音ラボ
https://soundeffect-lab.info/
アイコンアニメ素材
スタジオデムサト
https://demsato.booth.pm/items/3122939
その他各種素材
ニコニ・コモンズ
https://commons.nicovideo.jp
慕容徳死亡! 晋は空白【夕刊シチ 5月13日号 405年06月】
通鑑1492文字(270/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メイン
4/3-慕容徳▲
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年、晋での出来事があまりにも薄いです。司馬休之の荊州統治が当を得ていないと言うことで左遷、その後任が赴任直後に死亡したため劉道規が荊州に。一面には劉裕の権勢拡大ですが、一面には情勢を見越して軍略的に信頼のおける人物を配した、とも見ることができます。ただ謝安のときもそうですが、身内びいきはどうしても批判が混じることでしょう。この人事に関する批判が驚くほど史書に載らないのは不自然だよな、とは感じます。このあたりのについて「ちょっと宋書では載せることができなかった」と憶測しているわけなのですが、そのように考えないとつじつまも合わないよな、と感じています。
このとき荊州で粛清された太原王氏の生き残り、王慧龍が決起を目論みますが失敗して後秦に亡命します。あと一度書いておきましょう、大詩人陶淵明が「帰りなんいざ」と官職を蹴って故郷に引きこもったのがこのあたりです。
東晋北辺を攻めていた北魏軍でしたが、晋軍により撃退されています。また柔然も北魏を攻めており、北魏、不安定です。
後燕では契丹や高句麗を襲撃するも成果が上がらず、頻繁な宗族処刑が載ります。南燕では慕容徳が慕容超を皇太子と定め、死亡。慕容超は腹心であった公孫五楼を補佐に置き、これまでの南燕功臣らを疎外し暴政を開始。臣下の封孚から「あなたは桀か紂のたぐいですね」と言われるほどでした。
後秦が仇池を攻撃。この攻撃に耐えかね、後秦に臣従の使者を送ります。一方で後秦は晋からの要請を受け、奪っていた雍州北部を返却しました。この措置に臣下らは反対しましたが、姚興は「劉裕の義挙は賞賛されて然るべきもの」と聞かなかったそうです。
西涼では李暠が北涼への対立姿勢をはっきりとさせ、その上で臣下らに清廉な統治を貫くよう戒めました。その内容は司馬光さんにしてみれば「これを五胡十六国のすべての君主が守っていれば戦乱もひどくならなかっただろうに……」と言ったもので、とても素晴らしいものです。ええ墨守さえできていれば。この当時の情勢を見ていると名目論は強かったものが唱えることで初めて実施されるものであり、弱者が唱えても鼻息で吹き飛ばされる程度の効力しか発揮しないのです。それで勝てるなら、西涼が覇権を取るはずですからね。
劉裕体制! 不安なスタート【夕刊シチ 5月12日号 404年07月】
資治通鑑3310文字(135/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
陶淵明-6/5
・準メイン
4/3-慕容徳-5/13
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
桓玄の一派には刁氏がいました。この刁氏が資産にあかせてあくどい真似をしていたとのことで劉裕はこの一族を解体、資産を民に分配します。これにより民は潤ったそうですが、刁雍に深く恨まれました。
散々に劉裕に打ちのめされた盧循は会稽周辺を諦め、南方に脱出。広州を占拠しました。当時中央の再編に忙しかった劉裕ですから討伐に兵力を回すのも難しく、いったん盧循の実質支配を追認します。言ってみれば臨時同盟のようなものです。
桓氏追撃戦は桓振の奮闘によりなかなか進みません。しかしここで、襄陽に配置されており、後秦とのにらみ合いを続けていた人物、魯宗之が桓振討伐に合流。これで形勢が確定し、桓振は討ち取られました。なおこの抵抗には苻堅のもと太子、苻宏も参加しており、戦死しています。
安帝は無事奪還され、建康に帰還。劉裕らの決起が「皇帝の勅命ではない」どころか勅命を偽称したため少し問題になりましたが、ともあれ救国の英雄として顕彰され、劉毅が淮南、何無忌が会稽、司馬休之が荊州に配されました。しかし直後蜀で乱が起き、地元の名士である譙縦が担がれ自立、さらに後秦に臣従を申し出ます。すぐさま討伐の軍が編まれましたが、この第一回遠征は統制に欠けており、すぐに頓挫しました。またこのどさくさをつき、後仇池が漢中を、北魏が引き続き北辺を攻撃しています。
後燕では慕容熙が妃としていた苻氏姉妹のために暴政乱政を繰り返しています。 南燕では慕容徳の兄の子、慕容超が後秦に母と妻を残して脱出、慕容徳のもとに現れました。慕容徳は自分の息子達を既に戦乱で失っていたため、この近親の子の到来を大いに喜びました。慕容超もまた慕容徳によく仕え、また周辺のものにもうやうやしく応じたため評判を鰻登りとしました。ところで先に結論を言ってしまっておきましょう、慕容超のこれは、凶悪な猫かぶりでした。
さて、長安にこの人物が到着します。鳩摩羅什。中国仏教界におけるウルトラチートです。もともと仏教に帰依していた姚興でしたから、ここから一気に長安で仏教文化を花開かせることになります。ただし資治通鑑はこのあたりをほぼ扱いませんし、十八史略に至っては完全スルーです。本当に宋ころの史家たち、仏教のこと嫌いですねえ。
劉裕立つ! 飛躍の初年【夕刊シチ 5月11日号 403年07月】
【403年07月】
資治通鑑原文9145文字(13/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メインキャスト
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄▲
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年は資治通鑑でもトップクラスの文字数が割かれる年ですが、何があったか。前回紹介したとおり、桓玄の簒奪及び劉裕の決起です。司馬光さんの意向を汲み、可能な限り劉裕に文字数を割いておきましょう。
晋を牛耳った桓玄。もはやその簒奪を止める者はいません。安帝より皇位を奪うと、その安帝については南方の尋陽に移します。デブだった桓玄が玉座につくと床が陥没したそうです。皆が顔面蒼白になる中、殷仲堪の親戚である殷仲文が「帝の徳の重さ故ですな!」と言ったそうですが、まぁフォローになっていません。
即位の儀式がつつがなく(?)終了すると、劉裕は古傷がいたんだ、と言い出して故郷である京口に戻りました。そしてここで、かねてより水面下で進めていた桓玄打倒の軍を立ち上げます。ほとんど迎撃の準備も整いきれないまま桓玄は建康より脱出し、途中で安帝をさらうと、自身の拠点であった江陵に逃れます。ここで劉裕は建康にとどまって体制の刷新に動き、決起の同朋であった何無忌及び劉毅、そして劉裕の弟の劉道規に桓玄を追撃させます。またこのタイミングで劉裕のもとに劉穆之が合流。この人物は劉裕にとっての荀彧として、この後の劉裕を大いに支えます。また、ここで太原王氏の主筋が処断されます。以降の太原王氏は南朝では微妙な格の家になります。もっとも北朝ではトップ家門として君臨し続けるのですが。
追撃軍の猛追を受け、桓玄は更に蜀に逃れようとしましたが、その途中で殺されました。しかし桓玄軍の残党は親族の桓振を旗印に抵抗。追撃軍は思わぬ苦戦を強いられることになります。
同じ頃、北魏では拓跋珪が臣下を処刑したり古のしきたりにのっとっていない礼制を定めたりと書かれていたりしました。あと拓跋嗣がここで皇太子に任じられます。また北涼と南涼がこぞって旧後涼を攻撃するも後秦に跳ね返されて臣従を誓わされています。南燕では亡命をしてきていた司馬休之らよりの嘆願もあり、桓玄の簒奪を好機として侵攻が計画されましたが、これは慕容徳の病の悪化により中断せざるを得ませんでした。
南で大きな花火が打ちあがる中、北では各国の軋みがいよいよ強くなっているのでした。
柴壁の戦い! 魏秦対峙す【夕刊シチ 5月10日号 402年08月】
資治通鑑原文2166文字(212/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メイン
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
北魏にとり後燕が南東の蓋であったなら、後秦は南西の蓋でした。それにしても前秦後秦の戦いによってその南西にさして注力せずに済んでいたのは、北魏にとりまこと幸いと言うべきだったのでしょう。こうして満を持して出撃、前年に取られた乾壁を落とすと、その南にあった柴壁城を包囲。救援に出てきた姚興を寄せ付けず陥落させてのけ、失意のもとに撤退する姚興軍を大いに追撃、北魏が并州の覇権を得ます。ただ柔然が後背を突く動きを見せたため、撤収しました。これが柴壁の戦い。ただこの戦いは詳細が魏書に載るものの、その後の時代に編まれている晋書にはほぼ載りません。チーム晋書はどうも、この戦いの推移を北魏側に都合良く盛られているのではないか、と疑っているようです。実際のところ柴壁における拓跋珪の軍略の冴えはあまりにも完璧すぎるので、本当にここまであざやかな完勝したのかよ、とは疑いたくなる気持ちもわかります。
なお拓跋珪は司馬休之が北魏でなく南燕に亡命したのが拓跋珪による漢人官僚いぢめによるものらしいと聞き凹み、以降漢人いぢめの件数を減らしたそうです。
晋では、人臣の極みとなった桓玄がその権勢を楯に自身の親族を次々と顕職につけます。ここでは旧北府軍についてのみ紹介しておきましょう。粛清によってメインの将軍が掃除されたあと、その長には桓沖の息子である桓修がつきました。劉裕はその下で盧循、及びその副官である徐道覆の軍を次々に撃破します。そして会稽に出たとき「ここで決起すべきではないか」と考えましたが、地元の名士である孔靖に「十分な準備をし、桓玄が簒奪したところで喉元から決起すべきである」とたしなめられています。なお宋書武帝紀には会稽決起を主張する何無忌を劉裕が同じ理路でたしなめた、と書かれています。たぶんたしなめたのは事実なのでしょうけれど、その内容については孔靖の言葉で盛っていそうです。
後燕は即位した慕容熙が放蕩の限りを尽くし始めますが、どうも国の規模に対してやっている工事が大きすぎるので、おそらくは慕容雲や馮跋による潤色でしょう。南燕では慕容徳の母らが既に死亡していると知らされ慟哭、以降病に臥せります。南燕の繁栄、早くも翳り始めました。
登るものも、沈むものもあり。翌年、ついに劉裕が桓玄打倒のため、決起します。
劉牢之自殺! 三反の末に【夕刊シチ 5月9日号 401年09月】
【401年09月】
資治通鑑原文5620文字(52/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メインキャスト
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
孫恩の乱は、桓玄の勢力を拡大させる契機となりました。建康からの命令を無視して、確実に地盤を固めます。堪忍袋の緒が切れた司馬元顕は、ついに桓玄討伐の軍を立ち上げました。しかし、その先鋒は劉牢之。劉牢之にとって司馬元顕は、王恭以上のくそ上司でした。このため桓玄から「お前あいつの下にいてもじり貧じゃね?」と言われます。これを甥の何無忌、そして劉裕が諫止しますが、聞きません。そして三反の二件目、桓玄軍に合流。逆に司馬元顕を捕らえます。こうして司馬元顕および司馬道子が殺され、桓玄は建康に載り込み、一気に人臣の極み、丞相となります。劉牢之はこの功績から「会稽守備」の任に。劉牢之は桓玄に切り捨てられたのだと遅まきながらに気付き、反桓玄の軍を立ち上げようとしましたが、配下から「三反の将に付き合うものなどいませんよ」と見捨てられました。一応決起しますが到底勢力とは呼べずに逃亡、自殺。残された主要将もまた粛清されました。桓玄に敵対していた司馬休之や息子の劉敬宣は南燕に亡命。そうした中、劉裕らはむしろ、その武勲の高さを買われ、桓玄の軍事機構に組み込まれます。一方で孫恩は晋軍に追い詰められ、自殺。娘婿の盧循が勢力を継承します。
北では呂隆が後秦に降伏しました。ここに後涼が滅亡します。ただそれは飽くまで「守ってもらう」ための措置でした。ここで姚碩徳は最終的に「こいつらに守備を任てたらだめだ」と判断、呂隆らを長安に送り込み、旧後涼領を「ただの領地」化します。あと南涼と北涼がバチバチですが省略。そのなかで禿髪利鹿孤が死亡、弟の禿髪辱檀が立ちました。
南燕では慕容徳が臣下らに直言を収めるよう求めています。また後秦に母と同母兄を残してしまっていたため、その消息を求める使者を後秦に飛ばしました。
この頃にもなると北魏が再び拡大戦略に転じます。するとよろしくないのは後秦、および柔然です。両者はよしみを通じ、対北魏シフトを組みます。姚興は北魏に対抗するため、ひとまず息子の姚泓を太子に据え、その上で進軍、乾壁城を落としました。この南にあった城の名前が、柴壁。北魏と後秦の立場の逆転する戦いが、まもなく始まります。
各地政変! 劉裕の武勲【夕刊シチ 5月8日号 400年09月】
【400年09月】
資治通鑑原文5197文字(63/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メインキャスト
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
孫恩の第二次侵攻は、各地で北府将を打ち倒すほど。ただし劉牢之自身が出向けばたちまち海に逃れます。ここで劉裕の武勲がまた生き生きと書かれるのですが、残念ながらこれは陽動でした。劉牢之を始めとした主力を会稽周辺に縫い付け、船で建康を直接叩く、が孫恩の目的だったのです。そうとも知らない建康では司馬元顕が直言を繰り返す車胤を自殺に追い込み、我が春を謳歌します。そこに孫恩急襲です。風に妨げられているうちに劉牢之らも建康に帰還したため攻撃は果たせず撤収するのですが、その行き帰りで、長江沿岸部には甚大な被害が出ました。ここで劉裕は撤収する孫恩軍を追撃。やはり大きな武勲を挙げています。なお、こうした状況を好機と見たか、北魏が晋の北辺を襲撃しています。
後燕では慕容盛が謀反を喰らい、腹を刺されます。動揺する臣下らに落ち着くよう命じ、後事を託してから死亡するさまはやたらとかっこいいのですが、「そもそもあなたさぁ」とはどうしても思わずにおれません。多事のさなかということで「強い将を王に」と慕容熙が立てられました。じごくのはじまりです。
一方南燕では慕容徳が皇帝となります。このとき「徳」ではあまりに諱として厳しいということで自身の名を備徳に改め、この二字が重なることのみを避けるように、と命じました。このひと、やっていることがどこまでも名君過ぎます。
北涼では沮渠蒙遜がいとこの沮渠男成とともに謀反をたくらむも、直後段業に沮渠男成を売り、誅殺させます。そして「その仇討ち」と決起、段業を討ち果たし、代わって北涼を統べました。あくどすぎる。また西秦はいったん滅亡とはいっても乞伏乾帰は長安で厚遇、その子の乞伏熾磐は南涼にとらわれるも無事、そして両名は間もなくして旧西秦領に配下ともども帰還します。ここで後秦随一の名将、姚興の叔父に当たる姚碩徳が後涼軍と戦い、大破。その武威を示し、各国は後秦に臣属の使者を送りました。そうした中、後涼では再びクーデターが起き、呂纂が殺され、呂隆が立ちます。この動きを見て後秦が後涼に大軍を派出。それを聞き、呂隆は降伏を考えるのでした。
北魏も、後秦も、内部拡充から外征に転じているのが見て取れますね。ということは、ということなわけです。
劉裕登場! 晋はズタボロ【夕刊シチ 5月7日号 399年10月】
通鑑6514文字(32/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
劉裕-5/30
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
突然ですが筆者は劉裕推しです。というわけでこの年は画期です。晋を揺るがす三つの大事件、すなわち洛陽失陥、殷仲堪敗死による桓玄西方制覇、そして孫恩の乱。司馬道子の策略に加え、司馬元顕は会稽周辺を搾取しており、民の恨みを買っていました。孫恩の立場から五斗米道の乱と書かれますが、その内実は現地の郡守も巻き込んだ大規模反乱です。これまで戦乱に巻き込まれることのなかった会稽周辺はあっさりと孫恩の手中に落ちますが、そこに北府軍、これまで後燕と戦ってきた劉牢之らが動員されれば、あっという間に追い払われます。ここで司馬光さんは熱量高く劉裕の出自や武勲を語ります。このひと劉裕が中下層士族の出身と理解しておきながら庶民出身の英雄と演出しているくさくて、ちょっとその書きぶりに引いています。
なお第一次孫恩侵攻を退けたあと会稽を謝琰が守ったのですが、部下を軽んじていたため第二次侵攻の際に殺害されました。第二次侵攻はより周到、より大規模であり、翌年以降にも続きます。
後燕では、慕容盛が自身の称号を皇帝から庶人天王に格下げしました。徳少なきゆえ、という感じでしょう。あれだけ処刑を乱発していれば、という感想です。直後に高句麗に背かれており、討伐の軍を派遣しています。この軍の総大将は慕容盛の叔父、慕容熙。将才「は」すごい、と評される人物です。フラグですね! なお南燕及び北魏に特に動きはありません。
西方のカオスはこの年がひとつの極点です。呂光が死亡し呂紹が立つと「当日に」そのいとこの呂纂が簒奪。そこから南涼に攻撃を仕掛ければ、逆に南涼将の禿髮傉檀に直接攻め込まれます。また北涼に仕えていたもと前涼の名士、李暠は段業の統治を嫌い西方に脱出、勢力を固めました。のちの西涼のおこりです。さらに、勢力拡張を目論んでいた吐谷渾視羆は逆に西秦に攻め込まれ、そのさなかに死亡。弟の吐谷渾烏紇堤が立ちましたが、その実権はその妻である念氏が握っていました。
そして西秦ですが、後秦に圧迫され降伏。滅んでいます。あれっ!? しかし後秦、ぜんぜん書かれていないのに洛陽獲得したり西秦獲得したりで、なにやら領土だけ広がってますね。資治通鑑だけで追っているとこの当時の動きが掴みづらく、なかなかに不気味な存在だと思いました。
拓跋珪皇帝に! 北朝誕生【夕刊シチ 5月6日号 398年10月】
【398年10月】
資治通鑑原文5015文字(69/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
南北燕で先に書いてしまいましょう。北は慕容盛が帝位に即くのですが、その後資治通鑑は異常な数の処刑の話を持ち出します。このひと有能だったのかもしれないですけど猜疑心がとんでもなかったようです。
南は慕容徳が内乱を鎮めるため滑台から出陣すると、滑台でクーデターが起き、その隙を北魏にかっさらわれ根無し草に。しかし慕容徳はめげません。琅邪を占拠したのち各地を攻撃して回り、ついには青州一帯を獲得、広固を都と定めました。この辺りの慕容徳の強さは正直異常です。
北魏の拓跋珪は崔宏を筆頭として国内の礼制楽制を中原式に整えさせた、と書かれます。一方で漢人官僚を多く罷免、追放したとも書かれています。どうもこの辺り、魏書が漢人官僚の政争を「拓跋珪の好み」でまとめている気がしてなりません。そして395年で帝位に就いたと書いてしまいましたが、この年で即位した、が正解でした。失礼しました。また後秦が晋軍の守る洛陽を攻撃したため救援の軍を送っています。ここで晋は「北魏とは親密に付き合っている」と述べます。両国の交易史はかなり面白そうなのですが、その様子は史書からだとなかなか見出しきれません。なお洛陽を攻撃した後秦は、それ以外だと内政を充実させていた、くらいしか書かれていません。
晋では二回目の決起を経て殷仲堪と桓玄の関係が破綻していました。またこの政争に巻き込まれ郗恢が殷仲堪に殺されます。そして司馬道子に重んじられていた五斗米道の教主、孫泰が会稽で巨万の富を蓄えていたため疑われ、司馬道子によって殺されました。甥の孫恩は海上の島へ逃げ込み、復讐を誓います。一方でそんな司馬道子は司馬元顕に完全に見切られており、酔っ払っていたところを失脚させられ、その官位を司馬元顕に奪われます。もう何が何だか。
涼のカオスは南涼を視点に見るのが良いのでしょう。禿髮烏孤はこの地の制覇をするために後涼を潰すのが得策と考え、北涼を援助。 よしここから覇業だ! となったところで、しかし禿髪烏孤が落馬して死亡しました。このとき禿髪烏孤は「自分から呂光を喜ばせる真似をしてしまったわい」とうそぶいたそうです。その後、弟の禿髪利鹿孤が立つのですが……打ち切りエンドかな?
南北燕! 袂を分かつ【夕刊シチ 5月5日号 397年11月】
資治通鑑原文7339文字(22/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
ここからは南北燕を別に語ったほうがいいでしょう。後燕と北魏。このころ慕容徳は滑台に南下していたため、中山に引き続き、鄴も北魏の手に落ちます。拓跋珪が一度旧後燕領の民を引き連れ、平城に帰還しました。こうなると北魏軍の統制が甘くなります。慕容宝はそこを狙ってリベンジを目論みますがむしろ臣下に乱を起こされ、慕容農を殺されます。そこから慕容徳との合流をねらいましたが、き既に慕容徳は自立の意思を固めていました。このため龍城に戻りましたが、宗族に殺されました。ただし慕容宝の息子、慕容盛が即座に乗り込み、彼らを撃滅。慕容盛が帝位を継ぎます。
北魏はこの頃内部調整や乱鎮圧に忙しく、外部にあまり手が回っていません。その中でひとつ特記をしておきます。爾朱羽健という人物を取り立てています。姓が示す通り、あの爾朱栄の祖先です。
そして、南燕です。後燕や北魏から追われた慕容麟が慕容徳のもとにやってき、滑台への移動、王への即位を訴えます。慕容徳はその提言こそ受けたものの、その後慕容麟を誅殺しました。かしこい。空いた鄴は北魏が獲得。そんな慕容徳ですから、いまさら慕容宝に来られても迷惑です。殺害を計画しましたが、上述の通り慕容宝には察知され、叶いませんでした。と言うわけで、ここに燕が南北に割れました。
晋では司馬道子と外鎮の懸隔が加速してきたため、司馬道子が名声高い宗族の司馬尚之、休之兄弟を引き入れて対抗姿勢を示します。これが却って外鎮らを刺激、王恭と桓玄が決起しました。このとき劉牢之が王恭の副官になっていたため挙兵を諌めましたが、聴きません。今度は実際に戦いが行われ、桓玄が司馬尚之を打ち取るも、劉牢之が寝返り、王恭は敗死します。なおこの離反劇の影には司馬道子の子、司馬元顕がいました。当時十代でありながら父の弱腰に苛立ち、独自で戦局を生み出すとは、化け物以外の言葉が思いつきません。これによりこの決起も中断されました。そして北府の長に劉牢之が付きます。なお劉牢之は謝安より「あの者に大局眼はあるまい」と評されています。
後涼は二国離反に加え、内乱まで頻発。もはやメチャクチャです。ただ、中央が大賑わいを続ける今、なかなかここにまで文字数をさききれません。「ぜひ皆さんで調べてください」と逃げ文句を打たせてください。
【タイムラプス】夜桜と月【ワンドロ】
主催しているワンドロで描いたやつです。
アカウント:https://x.com/otokaYuru1
4/3が「ヨミの日」だったのでヨミさんを描きました!
完成したイラストはコチラ
https://www.pixiv.net/artworks/117994274
使用した楽曲はコチラ
https://youtu.be/YpKQCrXuUvo?si=wOeDV2qjswf3Elax
安帝即位! 各地混沌【夕刊シチ 5月4日号 396年12月】
資治通鑑9176文字(12/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
沮渠蒙遜-6/12
馮跋-6/8
【できごと】
北魏、中山の衛星都市と言える信都と鄴を攻撃。信都はなんとか落とすものの、途中で慕容宝の逆襲を受けあわや大敗、という瀬戸際にまで追い込まれますが、そこから逆転。ただこのピンチが北魏本国に届くと、拓跋珪の実力を疑った諸部に叛旗を翻されています。拓跋珪の強さは凄まじいですが「強くなければ食い殺される」という現実も背負わされていたのを感じます。
後燕はグダグダです。慕容麟が慕容宝に対して非恭順的な態度を貫いたり、才能こそあったが慕容宝から愛されていなかった息子、慕容会が慕容宝に対して命令違反を繰り返したり。中山に逃げ込んだ慕容宝でしたが、瞬く間に北魏軍による包囲を受けます。ただし、ここからの中山攻めの進行は遅々としたものでした。後燕兵は降伏したら参合陂の時のように虐殺される、と恐れていたのです。この話を捕虜から聞いた拓跋珪は、思わず参合陂での虐殺主導派であった臣下の顔に唾を吹き付けました。
とは言え徐々に追い詰められ、慕容宝もじり貧です。ついに包囲の隙をついて中山を脱出、龍城に引きます。追撃してきた北魏軍は、慕容会が迎撃。これにより慕容会は驕り高ぶるようになりました。そこに慕容農らから「もう少し王に忠誠を尽くせ」と言われたので怒り、慕容農を襲撃、大けがを負わせます。これに怒った慕容宝は慕容会を攻め殺しました。この戦いで活躍した中には、のちに北燕を建てる高雲や馮跋がいました。
慕容徳はこのとき鄴で北魏の侵攻を跳ね返し続けていましたが、慕容宝が龍城に脱出したことで、完全に分断を受けていました。
晋では孝武帝の息子であった司馬徳宗が即位。安帝です。ただしこのひとは白痴レベルで意思疎通がきかなかったとされています。その上で側近のひとりに王国宝がつけられました。外地を守る王恭や殷仲堪が危ぶむのも当然でしたし、実際に王国宝誅殺の計画も練り、決起しました。この動きを受けて司馬道子は焦り、王国宝に責任をすべてなすりつけて誅殺。さらに官位で王恭らを懐柔しました。このため王恭らは、ここで兵を引きます。ただ、火種はくすぶったままでした。
後涼は西秦と戦うも失敗。この事態を受けて禿髪烏孤が王として自立。そして段業もまた周囲の推戴を受けて自立しました。この段業の陰には、のちの涼州を席巻する奸雄、沮渠蒙遜がいました。
慕容垂死亡! 復讐の末【夕刊シチ 5月3日号 395年12月】
通鑑4052文字(98/365位)
【登場人物】
・メイン
3/4-慕容垂▲
4/7-拓跋珪-5/17
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
参合陂の敗戦は、後燕にとり致命的な権威の沮喪でした。リベンジを図るため平規という重臣に兵力集めを任じれば、その平規が出先で反旗を翻します。自らが出向いて平規を南方に追いやると、慕容垂、そのまま北魏に、速やかに、静かに進軍。一気に北魏の都であった平城を陥落。この事態を拓跋珪がどう認識したかは不明ですが、司馬光さんはここで拓跋珪が慌てふためき、恐れ錯乱していてほしい、という願望をだだ漏れとしています。なので、そう書いてます。司馬光さんは偉大だと思うんですが、時々やらかす願望に基づいた史料選定にはちょっと冷静になったほうがいいんじゃないかなって思います。
去年までの病はどうした、という感じの慕容垂ですが、実際のところガソリンは底をついていました。平城を陥落させたところで帰還、途上で参合陂に寄り、未だ葬りきれないままであった燕軍兵の死体を見て慟哭、危篤に陥り、そのまま死亡します。なおその後を継いだ慕容宝でしたが、慕容垂の当時の正妃からは素質を疑われていました。なので慕容宝は即位したそばからこの正妃を自殺に追い込みます。うーんこの。その後慕容宝は乱政を連発し、民心が一気に離れたと書かれますが、ここはまぁ北魏側からのプロパガンダも多少は疑っていいところでしょう。そんな北魏では、拓跋珪が皇帝に即位。さらに拓跋珪は後燕への侵攻を開始。并州を落とし、太行山脈を越え、各地を攻撃。そしてこの過程で崔宏を獲得しています。余談ですが拓跋珪の即位直前にその母である賀氏が死亡しています。偶然ですね!
晋では孝武帝が寵愛していた夫人に「ババアお払い箱にするねwww」と放言、恨まれた夫人により殺された「と言うことになっている」事件が起こっています。ここの資治通鑑の記事はうっすらと司馬道子による暗殺を疑っているふいんきですが、敢えて直言はしていません。「真相は明らかとならなかった」で濁しています。ともあれここから晋は旧孝武帝派と司馬道子派の対立が激化します。つまり、劉裕登場のマエフリです。
中央があまりに賑やかすぎる年でしたが、ここでついに呂光が涼王を名乗りました。ただ禿髪烏孤は「いややばいでしょこの国」と独りごちていたりもします。段業の北涼と共に、南涼も、確実に萌芽の時を待っています。と言うか呂光さんの振るまい、錯乱しているようにしか見えなくて悲惨です。
参合陂の悪夢! 後燕斜陽【夕刊シチ 5月2日号 395年01月】
【395年01月】
資治通鑑原文2201文字(207/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
時代、変わります。後燕と北魏の直接対決。桓温のときと同じように、決定的敗戦が生じた箇所の地名をもってその名が呼ばれます、すなわち参合陂の戦い。既にここまで書いてきた通り後燕と北魏はその拡張路線がバッティングしていました。後燕内部では「戦うべきではない」という声も大きかったのですが、慕容垂としては到底放置できる相手ではありません。ただし、自分はもう満足に動けない。そこで慕容宝を総大将として北魏に攻め込ませます。その補佐に慕容徳、慕容農、慕容麟までつける、完全撃滅体勢です。
拓跋珪はこの軍容を見てまずは引き、自国内深くにまで後燕軍をおびき寄せました。そして遠征が長引き、後燕兵が疲弊し始めたところで「慕容垂が死んだ」と虚報を流します。既に慕容垂が病を得ていたのは周知のこと、そこにこの虚報です。将兵らは不安に陥りますし、慕容宝と慕容麟が猜疑しあうにまで至ります。これ以上の遠征が不可能だと悟った後燕軍は撤退しますが、このとき既に拓跋珪は後燕軍の退路に自軍を潜ませていました。そして、後燕軍がなんとか参合陂まで無事に逃れて安心しかけたところで、初めて襲撃。十万いたとされる後燕軍は数千騎しか残らないほどの大惨敗を喫しました。ここで拓跋珪は後燕軍の人士のうち才ある者を取り立てようとしましたが、臣下らの「すべて殺すべきである」という声に押され、捕虜すべてを穴埋めで殺しました。
晋はこの頃から孝武帝と司馬道子の不和が露見しはじめ、孝武帝が名族出身の人士を取り立てれば、それに逆らうように司馬道子は王国宝のほか、家門によらない抜擢人事で周囲を固めます。ちなみに資治通鑑は書いていませんが、司馬道子が用いた人物をあとひとりだけ特記しておきましょう。孫泰。孫恩、この数年後に会稽を中心として乱を立ち上げることになる人物の叔父です。
西秦はこの年姜乳と言う群雄に翻弄されたり、後涼から臣属を求められたりしてだいぶ屈辱的な期間を送っています。その後涼では禿髪烏孤が将軍として各地を撃破して回り、勢力拡大。こうした内容を見るに、後涼はなんというか、ずいぶん危うい拡張路線をとっていたようです。
前秦西燕 同時滅亡!【夕刊シチ 5月1日号 394年02月】
【394年02月】
資治通鑑原文2114文字(217/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
苻登、姚萇の死を受け、喜び勇んで最終決戦に向かいますが、残念ながら姚興は英主でしたし、それ以上に姚興を支える宰相の尹緯ができものすぎました。尹緯は前秦軍の補給線が乏しいことを見て取り進軍ルート上の水源を封鎖。これで前秦軍は尹緯を倒さねば水を確保できない状態となり、恐慌状態となりました。ここで尹緯は突撃を仕掛け、大破。苻登は単騎乞伏乾帰のもとに逃れ、再起を図りますが、姚興軍本隊と衝突し、敗死。弱り目に祟り目と言いますか、残された息子の苻崇は、今度は乞伏乾帰に命を狙われます。そこで苻崇は仇池の楊定のもとに逃れましたが、乞伏乾帰の軍は両名を打ち破り、殺害。ここに前秦が滅亡しました。いきなり王を失った仇池は楊盛が後を継ぎます。これがいわゆる後仇池。なお前秦を滅ぼした乞伏乾帰はここで秦王を名乗ります。西秦です。
東では西燕も最終局面に陥っています。鄴に出てきた慕容垂を防がんと備えた慕容永は、しかし後燕軍が敢えて「どのルートから進軍しているか」を盛大にアピールしながら進んできたため本命を見出しきれず、翻弄されるがままとなりました。こうなっては恥も外聞もありません。「このまま後燕が大きくなったらこまるでしょう?」と、北魏や東晋に救援依頼を飛ばしますが、然したる援護も得られないまま包囲され、滅ぼされました。このとき西燕の主要将はのきなみ殺され、長安より持ち運んでいた天子の車や装束、楽 隊、珍宝がことごとく後燕の手中に収まりました。こうなると後燕の勢いは止まりません。青州一帯もあわせて攻撃、陥落させ、最大版図を築きます。こうした事態を受け、姚興からは和親の使者が遣わされました。中原二大国の結託とか、周辺国にとっては悪夢としか言いようがありません。なお主要将がのきなみ殺されたとは言いますが、その中で馮安という西燕将はむしろ厚遇を受けています。この人物は、そう。のちの北燕、馮跋の父親です。
この年柔然の郁久閭社崙が柔然王国を正式に立ち上げたり、晋では劉裕の義理の兄に当たる臧燾が皇太后追尊の議論で発言したりもしています。このあたりはおまけの話ですが、ともあれ劉裕最底辺説いい加減にしろよってことです☆
姚萇死亡! 苻登歓喜【夕刊シチ 4月30日号 393年02月】
【393年02月】
資治通鑑原文1180文字(298/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
前秦対後秦の戦い、いよいよ最終局面です。前年より病がちであった姚萇が容態を悪化させました。この頃両国の境目あたりで独立勢力がうごめいていたのですが、前秦に攻められたため後秦に救援依頼をしてきます。ここで姚萇は臣下の言葉を受け入れ、姚興に援軍の将として向かわせ、武勲を立てさせました。また晋が洛陽と長安を結ぶ重要拠点である潼関にまで攻め寄せましたがこれは撃退。こうした状況を受けて安心したのでしょうか、姚萇は姚興の支援体制を確立した上で「こいつらを誹るやつがいても聞く耳は持つな、恩・礼・信・仁をもって臨め」と言い残し、死亡。ところで資治通鑑は姚萇の死に様を美しく描いていますが、死亡直前に姚萇は苻堅に襲われる夢を見てキンタマを腫れ上がらせて「だーから! 陛下を弑したのは兄貴であって俺じゃありませんってば!」とうわごとを言っています。ダメでしょ司馬光さんそれスルーしちゃ。
そして姚萇死亡の報を受けて苻登は「やったぜ、これで勝った!」と言いだしています。苻登さん、それはいけない。フラグ台詞にすぎます。
後燕では、慕容垂が慕容永討伐を決意します。臣下らは慕容永に然したる落ち度がないこと、兵らが連戦に疲弊していることなどを理由に反対しましたが、この中で慕容徳のみが賛成意見を唱えます。慕容垂は「わしの子孫に禍根を残すわけにはゆかぬのだ」と慕容徳の言葉を歓迎し、出征。慕容永のいる長子と太行山脈を挟んだ向こう側である鄴に陣取り、向かい合います。
西方では鮮卑禿髪部の禿髪烏孤が勢力を広げる中、ひとまず呂光に臣属を誓ったりをました。だいぶ落ち目のような気もしますが、誓ったそうです。なお、この禿髪烏孤がのちに南涼を建てることになります。ゆっくりと五胡十六国時代の最大カオスポイント、四涼乱立の時が近付いていますね。また乞伏乾帰が子の乞伏熾磐を太子に立てています。この国も周辺が戦乱に次ぐ戦乱の中、したたかさが際立っている印象です。乞伏はここからの動向が面白いので、要注目です。
【お城ニュース】箕輪城本丸に新たな門が開門 日本のお城新報 2026年4月号
最近取り上げられたお城に関するニュースをご紹介
○今回取り上げたニュース(2026年4月)
2026/4/3 長野放送
フランスの世界遺産「シャンボール城」と国宝・松本城が姉妹提携 共に16世紀に建築 フランス側の提案で提携が実現 長野・松本
http://news.yahoo.co.jp/articles/c6ef3f6960f806c4f9a4da984f2f9cfedd4bf13d
2026/4/11 東京新聞
国史跡・箕輪城跡「本丸西虎口門」が復元 日本百名城の重要な出入り口 開門と通り初め「大切に受け継ぐ」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/481162
2026/4/6 第5回日本城郭協会大賞
【お城TOPICS】発表!第5回日本城郭協会大賞は「日本古城友の会」!
https://shirobito.jp/article/2124
日本唯一の城郭関連顕彰事業 第5回日本城郭協会大賞 「日本古城友の会」が受賞
https://jokaku.jp/news/%e7%ac%ac5%e5%9b%9e%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%9f%8e%e9%83%ad%e5%8d%94%e4%bc%9a%e5%a4%a7%e8%b3%9e%e3%80%80%e3%83%97%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%83%aa%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%b9/
○お城のイベント情報
イベント情報 - 城びと
https://shirobito.jp/event
○使用ソフト
VOICEVOX(ずんだもん・春日部つむぎ音声)
aviutl2(動画編集)
苻登絶望! 姚萇神采配【夕刊シチ 4月29日号 392年03月】
資治通鑑原文1960文字(233/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/24-姚興-5/25
4/28-赫連勃勃-6/3
【できごと】
赫連勃勃は没弈干に引き連れられ、後秦に降伏。このとき姚萇は重病に伏せっていたため「何が来たのか」を把握できませんでした。いっぽう太子の姚興は姚萇の病を機会とばかりに前秦から後秦へと帰順していた将帥ら、つまり自分の時代に統御が利かなくなりそうな将帥らをひとところにまとめ、殺害。姚萇はこの措置に怒りこそしましたが、姚興を罰したとは特に書かれません。こわい。
この病を喜ぶのは誰でしょうか。そう、苻登です。ここを姚萇撃滅のチャンスと決意、進軍。この頃にもなると姚萇の病状も少し回復してきていたため、自ら防衛の指揮を執りつつ、別働隊に例によって拠点を叩かせました。苻登は慌てて引き返しますが、姚萇、そんな苻登の後を陣払いの上で追跡します。苻登が拠点に戻って改めて姚萇軍の様子を調べさせれば、そこはもぬけの殻。苻登はついに「どうしてあのような男と同じ時代に生まれてきてしまったのだ!」と叫び、別拠点に引き返しました。その様子を見届け、姚萇もまた自身の拠点に戻るのでした。
ここ最近すっかり影の薄かった慕容垂ですが、この年、ついに翟釗撃滅に動きました。翟釗は追い詰められ、西燕に逃れます。翟釗のもとにはのちに北魏の宰相となる崔宏をはじめとした前秦から亡命した漢人官僚が多くおり、慕容垂はこうした人物を吸収しました。翟釗は西燕ではじめ厚遇されましたが、間もなくして殺されました。
晋では荊州で王忱がいきなり死亡。その後任は殷仲堪、殷浩さんの親族で、孝武帝のお気に入りです。ただ政治軍事センスは微妙であったようで、誰もが「なんでこいつが西府の長なんだ?」と疑問を抱いていたそうです。こうした中、桓玄は荊州で一大派閥を築いていました。晋から提示された官位については「なんだそのけちな官位は」と一蹴。殷仲堪はそんな桓玄を大人物と見て厚遇します。胡藩と言う人物が「いやあいつヤバいですよ」と諫めましたが、気にも留めません。ちなみにひとつ未来を語っておくと、この胡藩はのちに劉裕の配下将となります。また朱序が引退、郗鑒の孫のひとりである郗恢がその後任となります。
あと呂光がこの年各方面に軍を発してのきなみ失敗したと書かれます。このひとは将軍のままでいたほうが輝いていたのでは?
【飯田市を】ぐるっと一周してみた! PART1
sm46150358の続きになります
今回より、ぐるっと一周してみた!シリーズの第三弾の舞台である飯田市をぐるっと一周していきます
今回の企画のレギュレーション
・極力飯田市の境界線に近い道を通る
・基本的に一筆書き
・県道以上の道を通る
※道路事情により難しい場合はその限りでは無い
関連動画
・【浜松市を】ぐるっと一周してみた! PART7…sm45679091
・【豊橋市を】ぐるっと一周してみた! PART4…sm46083440
・プロローグ…sm46150358
・続き…制作予定
飯田市について
・飯田市ホームページ…https://www.city.iida.lg.jp/
今回立ち寄った場所や、通ったルートに関する情報について
・矢筈トンネル…https://www.mlit.go.jp/road/koka4/3/3-175.html
(国土交通省 様)
・遠山森林鉄道…https://tohyamago.com/archives/58i i (遠山郷観光協会様)
・旧木沢小学校…https://tohyamago.com/kizawa (遠山郷観光協会様)
・道の駅 遠山郷・かぐらの湯…https://michinoeki-tohyamago.com/
・青崩峠道路…https://www.cbr.mlit.go.jp/iikoku/seibi/sanen/aokuzure.html
(国土交通省 飯田国道事務所様)
・峠の国盗り綱引き合戦 …https://tohyamago.com/tsunahiki(遠山郷観光協会様)
…https://www.misakubo.net/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88/%E5%B3%A0%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%9B%97%E3%82%8A%E7%B6%B1%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%90%88%E6%88%A6/
(水窪観光協会様)
ウナちゃんが出演していた番組について
・トキメキ浜松…https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/koho2/koho/tv-tokimekihamamatsu.html
赫連勃勃! 復讐の鬼【夕刊シチ 4月28日号 391年03月】
【391年03月】
資治通鑑原文1849文字(245/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/24-姚興-5/25
赫連勃勃-6/3
【できごと】
この年、何故か焦点が鉄弗部に集まります。前秦に協賛していた没奕干という人物が一度乞伏氏に合流するも、間もなくして離反、鉄弗部の劉衛辰のもとに逃げ込みました。その劉衛辰ですが、相も変わらず北魏を攻撃します。この頃の北魏は賀蘭部を撃破し、後燕と断交、そして北方で唯一従っていなかった柔然に攻撃を仕掛け大破、ただしのちに柔然を束ねることになる郁久閭社崙をはじめとした中核部は逃がしてしまい、これが後々の北魏をずっと蝕み続けます。とは言えいまは南。拓跋珪は西燕と連携をとりつつ、劉衛辰に攻撃を仕掛け、大破すると、さらにそのまま劉衛辰の本軍めがけて進撃しました。劉衛辰はここで臣下に殺されますが、その末の息子であった劉勃勃、すなわち後の赫連勃勃はなんとか逃げおおせ、没奕干に匿われました。ここで拓跋珪の追撃はかなり苛烈なものであったようであり、劉勃勃は北魏に対し強烈な復讐の念を抱きます。
姚萇は苻登との戦いで引き続き途轍もない人を見る目を発揮し、ある時は苻登の躊躇を衝いたり、かと思えば降ってきた勢力相手に偽装降参を疑う臣下の声を無視して単身堂々と会見したり。あるいは姚萇に加勢するふりをしてその後背を討つつもりでいた勢力の意図を読んで姚興に撃退させたり。その上宴会で臣下から「姚襄様が生きておられたら苻登なぞとっくに平定していたでしょうにな!」と当てこすられれば「そりゃそうだ、俺が兄上に勝てるわけがない、お前たちと共に策を巡らせてるからこうしてなんとか生き延びられてんのさ」と言い返し、感服させています。苻堅に対するこじらせた感情さえなければ本当にこのひと、一級の英雄とも呼べるんだろうになあ、と言う気分です。
これ以外の話をざっとまとめておきましょう。北魏の援護を受けた西燕は洛陽を攻撃するも失敗しました。翟遼が死に、子の翟釗が軍府を継承しました。また晋では謝安の息子である謝琰が宰相となりました。北が相も変わらず賑やかであるため、この年の晋まわりは引き続き控えめです。
姚萇奮迅! 自らを餌に【夕刊シチ 4月27日号 390年04月】
【390年04月】
資治通鑑原文1176文字(299/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/24-姚興-5/25
【できごと】
姚萇のまわりで別箇勢力が決起、姚萇に叛旗を翻すと、姚萇、自ら出征します。これに驚いた臣下たちは「苻登が側にいるのにどうして出征されるのですか?」と聞きました。すると姚萇は答えます。「まだやつを滅ぼしきることこそできんが、やつとて我が城を抜くこともできん。それよりも周辺勢力がみな手を組まれることの方が問題なのだ」と。そして出征すれば自身を餌にして敵軍をおびき寄せ、息子に別働隊を率いさせて打倒しました。こうした姚萇の用兵力、と言うか「相手を見る力」は本当にずば抜けている印象です。こうした中「苻堅さまを殺したお前になんぞ断固として仕えるもんか!」と別のところで謀反をくらってもいます。あっさり鎮圧しましたが、このひと苻堅の死体いじめでだいぶ割を食ってる印象です。
ここで、非常に久しぶりに吐谷渾の名前が挙がりました。この頃の王、吐谷渾視連は乞伏乾帰に臣従したのですが、間もなくして吐谷渾視連が死亡、息子の吐谷渾視羆が立ちました。「親父がヌルいことしてたからまわりに侮られたんだ!」とばかりに軍を鍛え上げ、国土を広げんと目論みます。乞伏乾帰にしてみればいい迷惑ですね。そんな乞伏乾帰は越質詰帰と言う勢力を下しています。どちらも漢人っぽさが一切なくて、同じ鮮卑でも慕容や拓跋とは大違いです。とは言えこの当時、慕容はともかく拓跋は鮮卑名も残していたのではないか、ともなんとなく感じています。
そんな拓跋は、ここで劉衛辰からの攻撃を受けています。正確には拓跋珪の母の出身部族である賀蘭部に。ここはなんとか退けたのですが、まもなく賀蘭部内で不和が起こりました。この不和を鎮めるために拓跋珪は慕容麟の援護を受け、動きます。このあたりの慕容麟は有能な拓跋の傭兵、と言った印象です。
晋では劉牢之が翟遼の息子である翟釗を打ち破ったあと更に翟遼も破るという戦果を挙げていますが、既にこれまでも見てきた通り、こうした軍役の足を引っ張るのが中央です。佞臣の王国宝が宰相クラスの権限を手に入れました。一方で桓温の副官であった王珣も立身。建康宮廷の権力争いも泥沼の様相です。
大界の戦い! 苻登に楔【夕刊シチ 4月26日号 389年05月】
【389年05月】
資治通鑑原文2477文字(182/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/24-姚興-5/25
【できごと】
苻登、この年までは基本的にイケイケです。しかし、ここで状況の覆る事態が起こってしまいました。それが大界の戦いと呼ばれます。苻登は大界を拠点に引き続き姚萇を押し込みます。しかし姚萇、ここに苻登の気の緩みを見て取ります。本陣の守りはそのまま、自身が別働隊を率い、もぬけの殻であった大界を自ら襲撃、陥落させてしまいます。ここには苻登軍の主だった軍資があったため苻登にしてみれば単純に大損害だったのですが、しかしそれ以上に、以降の苻登は常に戦いの時に後背を気にするようになりました。しかも姚萇もちょくちょくこのトラウマをえぐる攻撃を仕掛けるしで、以降、前後秦の戦いは一気に後秦有利に傾いていきます。
こうした中、乞伏氏は勢力を伸ばしますし、またここまで前秦軍に協力的であった仇池系の武将、楊定が仇池方面に勢力を移動し、隴西王を自称しました。のちの後仇池です。苻登はこうした半自立化の動きを容認するよりほかなく、その軍事力を日に日に削減させていきます。
後燕は確実に勢力を広げますが、一方で南で翟遼がわちゃわちゃしており、どうにも北に集中しきれません。太行山脈を挟んだ向こうには相変わらず西燕がよくわからない動きをしていますし。そんな西燕は洛陽を襲撃するも朱序に跳ね返されています。ただ、ここに更に翟遼も迫ってきたので、朱序自身は拠点を襄陽に移しました。
さて、前年に桓石虔が死亡すると、荊州の守り、その後任が王忱に決まります。彼は太原王氏で、その兄は司馬道子に阿諛追従することで大権を得た奸臣の王国宝。そして北府の統括には、やはり太原王氏ですが、別系統の王恭がつきます。ともに軍事的実績はほとんど載りません。この頃の孝武帝は酒と仏教に入れあげていたということで、司馬光さん、特にコメントはしませんがかなりご不満の様子です。この様子を憂う人物のひとりに車胤というひとがいました。このひとは誰あろう「蛍の光、窓の雪」のうち蛍の光のほうの元ネタの方です。学問に邁進して官途に就いた結果がこんな乱脈の只中とは、車胤さん、一体当時の朝廷に何を思っていたことでしょうか。
奇行師姚萇! 苻登ドン引く【夕刊シチ 4月25日号 388年05月】
【388年05月】
資治通鑑原文1446文字(274/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/24-姚興-5/25
【できごと】
前秦と後秦の戦いは伯仲。このため後秦側の人士で前秦側に流れてくるものも出始めました。まぁここには動勢もそうですが苻堅の死体をわざわざ辱めるような真似をしでかしたのもひとつ原因にありそうですけれど。なにせ姚萇、苻登に囲まれた際にこれ見よがしに号泣されています。ただこの心理攻撃に対し、姚萇は自分自身の軍も号泣させることで対抗、苻登を撤退させました。わけがわからないよ。このとき姚萇は苻堅の像を作って「陛下が亡くなったのは兄貴の恨みが祟っただけであってぼくに責任はないよ! なのでぼくを守ってね!」と戦勝祈願をしていたのですが、全然苻登を倒せないのでついに像の首をへし折ってそれを苻登に送りつけました。わけがわからないよ。苻登はドン引きしたのか、体制を整えるためか、大界に引き、そこを拠点にします。
両国の戦いを脇目に見ながら、勢力を伸ばすのが乞伏氏です。乞伏国仁こそ死亡したものの、弟の乞伏乾帰がその勢力を継承し、さらに体制を固めました。ここは既に紹介した通り後の西秦なのですが、前秦後秦がバトルをしているところで更にこう呼んでしまうと混乱が加速するので、当企画ではしばらく乞伏と呼ぶことにしておきます。その更に西では呂光がいよいよ王を名乗りました。この段階では三河王ですが、もうここから後涼と呼んでしまいましょう。
そして北魏と、後燕。どちらも着実に勢力を拡大していましたが、拓跋珪にしてみれば中原進出に蓋をされている感じです。このため動静をうかがうため甥の拓跋儀を使者として派遣。拓跋儀は慕容垂から威圧を受けるのですが、「あ、このジジイもう耄碌してるわ」と察知し、帰還すると拓跋珪に「あのジジイ死んだらあとは分裂待ったなしですよ」と報告しました。
さて、この年淝水の総大将のわりにぱっとしなかった人物、謝石が死亡しました。ところで過日、晋では「名に石字のある人物が苻堅を倒す」とされていましたね。こうして見ると淝水の戦いの前に桓豁が死亡したのは、本人にとってはラッキーだったのかもしれません。なんだったら桓沖もショックを受けていそうですし。そういえば桓石虔はこのとき荊州の軍府を請け負っていたのですが、やはりこの年に死亡しています。ただの偶然とは言え、この流れ、桓玄はどう見ていたんでしょうね。
死体いびり! 姚萇怒る【夕刊シチ 4月24日号 387年06月】
【387年06月】
資治通鑑原文1664文字(254/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/29-謝玄▲
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
姚興-5/25
【できごと】
秦王と名乗った姚萇ですが、まわりは敵だらけです。とは言えその戦争指導力は本物で、嫡子の姚興に拠点たる長安の守りを任せ、自身は出征し各地の敵を次々と撃破。その西では苻登が前秦の旗印のもと勢力を急拡大しますが、そのせいで動きが鈍ると見なし東方を制圧して帰還、改めて苻登と対峙します。このあたりの動きは実に神がかり的なのですが、その後姚萇は苻堅に戦勝祈願をして苻登と戦い、敗北。怒って苻堅の墓を暴き、その死体を鞭打ち、裸に剥き、墓穴にトゲを敷いてその上に安置して埋め直しましたました。えっ。
北魏は前身である代の滅亡後に旧代領を統治していた両部、鉄弗部および独孤部と対立していました。なので後燕と結び、慕容垂の有能な息子たちのひとりである慕容麟の援護を受け、まずは独孤部を徹底的に攻撃、大破。その勢力を併呑します。一方で慕容垂は病がちとなっていたため大権を嫡子の慕容宝に委譲し始めます。慕容垂の姉妹が拓跋珪の祖母という関係であり、両国は半ば親族のような関係、でした。ええ、この頃は。表向きは。なおこのタイミングで翟遼は魏王と名乗っています。国号を冉閔にかぶせてくるあたりがロックです。
西方では呂光が前涼の復興を目指す勢力をはじめとした各勢力を次々と撃滅。こうして見ると慕容垂・姚萇・呂光の揃っていた苻堅帝国って何者だよと思わずにおれません。ただ呂光は法の運用があまりに峻厳でありすぎたため、のちに北涼を起こした「と言うことになっている」段業に諫められています。ここに段業出てくるんだ。
各地、どこもダイジェストするしかない感じですね。この当時の晋では謝玄が死亡、司馬徳宗すなわちのちの安帝の立太子、朱序の洛陽鎮守、譙王司馬恬の北府統括などがトピック。とは言えどれもあまり細かく紹介する余白がありません。大づかみに言えば「謝玄の死亡を契機とし、晋でも最終幕が始まった」と見ていただくのがいいのでしょう。
なおのちの主役、劉裕ですが、このあたりで謝玄にその学識を見込まれた人物、臧燾の妹と結婚しています。
【5週連続!ウェルカムアナウンス上映中】第5弾:かぐや&彩葉&ヤチヨの一部をお届け!
5週連続!週替りウェルカムアナウンス上映中🌕
4/24(金)〜4/30(木)ので上映される第5弾【かぐや&彩葉&ヤチヨ】の一部をお届け!
第1弾 3/27(金)~4/2(木) :かぐや
第2弾 4/3(金)~4/9(木) :かぐや & 彩葉
第3弾 4/10(金)~4/16(木):彩葉 & ヤチヨ
第4弾 4/17(金)~4/23(木):かぐや & ヤチヨ
第5弾 4/24(金)~4/30(木):かぐや&彩葉&ヤチヨ
詳細は公式X・公式サイト等をご確認ください。
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復讐の鳳皇! 慕容沖襲撃【夕刊シチ 4月21日号 384年08月】
【384年08月】
資治通鑑原文4971文字(70/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【できごと】
淝水の戦いによって前秦は大きく言って、三つに割れました。慕容垂が苻丕の守る鄴を包囲し、東方で勢力拡大。このとき苻丕が西方に逃れられるように鄴の西方を空けていたのですが、苻丕が撤収することはありませんでした。長安の西方では姚萇が苻堅のムチャブリから逃げるように決起、新平を陥落させ拠点としました。ついでに言えばこのときの呂光は西方遠征中です。そして、長安。ここでは慕容暐の弟である慕容沖が、長安の苻堅に攻撃を開始していました。
慕容沖。絶世の美少年であったため、姉と共に苻堅よりの「寵愛」を一身に浴びていた人物です。あまりにも有り得ないので王猛による猛反対を受けて渋々晋陽に出されましたが、苻堅はずっとこの美少年への恋慕を引きずり、攻めかかってきた慕容沖に対し「再び我が元に返ってくるなら寵愛してやってもよい」と言い放つも「アホか」とあっさりあしらわれています。うーんこの。
その後苻堅は慕容沖との戦いに一進一退の攻防を繰り広げることになってしまいました。一時は華北を手中に収めていた覇王が、です。このため苻堅は怒って長安にいた鮮卑二万人を穴埋めして殺したり、慕容暐に暗殺されかけたため処刑しています。そのあげく胡乱な予言を信じて西方の山、五将山に数名の伴のみで逃亡しました。結果太子の苻宏は晋に亡命、長安も陥落。慕容沖が長安入りします。なおこの様子を見て姚萇は「そのうち慕容沖どもは東に帰ろうとするから、もぬけの空になった長安をいただくこととしよう」と言っています。
さて、前秦の大混乱は晋にとっても好都合。蜀に一気に攻め込んで奪還、さらに謝安の号令により謝玄が一気に彭城はおろか青州までも獲得します。更にここから淝水の戦いでも大活躍した猛将、劉牢之が黄河を渡り慕容垂を攻撃、いっとき鄴から北に逃げさせます。しかし、追撃したところで逆襲に遭い、大敗。ほうほうの体で撤収しました。なんか桓温と同じ目に遭ってますね。あとこの戦いの中、翟遼というよくわからない独立勢力が生まれています。
また北では劉庫仁が死亡、後ろ盾を失った拓跋珪が立ちます。北魏、本格始動です。
【5週連続!ウェルカムアナウンス上映中】第3弾:彩葉&ヤチヨの一部をお届け!
5週連続!週替りウェルカムアナウンス上映中🌕
4/10(金)~4/16(木)で上映された第3弾【彩葉 & ヤチヨ】の一部をお届け!
第1弾 3/27(金)~4/2(木) :かぐや
第2弾 4/3(金)~4/9(木) :かぐや & 彩葉
第3弾 4/10(金)~4/16(木):彩葉 & ヤチヨ
第4弾 4/17(金)~4/23(木):かぐや & ヤチヨ
第5弾 4/24(金)~4/30(木):???
詳細は公式X・公式サイト等をご確認ください。
『超かぐや姫!』大ヒット上映中!
🐰公開劇場一覧:https://www.cho-kaguyahime.com/special/detail.html?id=633
Netflixにて世界独占配信中
🦊ご視聴はこちら:https://www.netflix.com/jp/title/81756595
作品関連楽曲が各種音楽サービスにて配信中
💿アルバム「超かぐや姫!」:https://linkco.re/cyZr0VFS
💿『超かぐや姫!』オリジナル・サウンドトラック:https://lnk.to/DKo3Em
💿Ex-Otogibanashi:https://linkco.re/VqsVzyeN
💿CPK! Remix:https://linkco.re/PGh2GcGC
🎤インスト&歌詞がpiaproにて配布中
https://piapro.jp/Cho_KaguyaHime
💰オフィシャルストア
https://cho-kaguyahime-officialstore.bookstores.jp/
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公式サイト:https://www.cho-kaguyahime.com
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新時代の音楽アニメーションプロジェクト、開幕!
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【4月19日号 382年09月】前秦激論! 呂光は西に
【382年09月】
資治通鑑原文2693文字(162/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/15-苻堅-4/22
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
【できごと】
長安に西方からの使者がやって来、西方討伐の軍を興してほしいと懇願。苻堅は苻融の涙ながらの反対を無視し、呂光を西方に派出します。なお資治通鑑はこの出征の目的に鳩摩羅什があったことに触れません。これは俄かに将来の仏教まわりの描写が楽しみになって参りました。司馬光さん、政治に仏教混ぜ込むのがとてもお嫌いそうです。
あと先にこちらの話もしておきましょう。前年に前秦軍を退けた桓沖が、今度は十万の軍を率い、北伐を開始します。この動きを受け、苻堅は襄陽に慕容垂を、蜀に姚萇を配置します。二方面から荊州を締め上げる、空恐ろしい戦略です。
そして、この二点以外についてはほぼ、自ら南征に乗り出そうと言い出す苻堅と、それに猛反対する臣下たち、賛成して煽る臣下たちとのやり取りで染まり上がります。ここの内容はめちゃくちゃ面白いのですが、紹介するだけで一週間ぶんの時間をいただかねばなりません。なので泣く泣くカット。ここでは反対者と賛成者の名前を挙げるだけに留めましょう。
賛成者は朱肜、群臣たち、慕容垂、姚萇、功名を焦る良家の子弟たち。
反対者は権翼、石越、群臣たち、苻融、王猛、苻宏、釈道安、張夫人、苻詵。
さて、省略せずに書きました。ここで見てほしいのは「群臣たち」です。どのようにも書けます。主立ったメンツの名前は確かに挙がっているのですが、ではたとえば鄧羌と張蚝はどう考えていたのだろう、とか考えてみると、「本当に反対多数だったんですか?」みたいなものはちらりと考えたくもなっています。なお個人的には張夫人の諫言がずば抜けてキレッキレなのに対して苻堅が「女が口を出すな!」で封殺したところが好きです。苻堅、杓子定規のゴリ押しです。論破されたに等しい暴挙と言えるでしょう。なお張夫人は不安に駆られ、その南征に随行します。
出征に際し、苻堅は「司馬曜、謝安、桓沖らがこちらへ来る日は遠くないから、あらかじめ屋敷を建てておくように」と命じました。と言うわけで五胡十六国時代最大のギャグ、じゃなかった大決戦、淝水の戦いが幕を開けます。
