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都はるみ『大阪しぐれ』北京語版5…龍飄飄「秋雨濛濛」
『大阪しぐれ』は都はるみが1980年に出した歌ですが、日本以上に演歌ファンが多い台湾ではたちまち無数のカバーソングが出現。台湾語版が「夜雨思情(sm23362981)」「夢中人(sm23363126)」「盲人的心声(sm23367202)」「大阪之雨(sm23367265)」「飮酒消愁愁更愁(sm27507478)」「異郷夜雨(sm27507457)」に、北京語版が「夜雨(sm23367866)」「濛濛秋雨(sm23367959)」「秋色慕情(sm23367987)」「只要你心裡有我(sm23368011)」「秋雨濛濛(sm27507531)」と、11種類確認しましたが、他にもまだあるかも。。。龍飄飄は台湾人ですが、マレーシアのレコード会社を拠点にもっぱら台湾語の演歌を共通語の北京語でカバーし直して活躍した人で、いわば東南アジアに演歌を広めた功労者。
細川たかし『北酒場』北京語版3…岳雷「愛的小路」
『北酒場』は細川たかしが1982年に歌った大ヒット曲。中華圏でも台湾では「愛的小路(sm27044833)」「北酒場(sm27044881)」などの台湾語カバーが出て、香港ではなぜかテレサ・テンが広東語版の「遇見你(sm24686086)」を歌い、マレーシアやシンガポールでは北京語版の「層層相思(sm27582055)」「曽聴説(sm27584251)」「愛的小路(sm27582174)」などが出ました。シンガポールでは80年代から「北京語普及政策」によって広東語や台湾語の曲がすべて放送禁止になったため、台湾でヒットした台湾語ソングの北京語版が続々と出てましたが、この曲も台湾語カバーの「愛的小路(sm27044833)」を北京語で再カバーしたもの。岳雷は80年に歌手オーディション番組で優勝しデビューしたシンガポールの歌手ですが、2011年に鼻腔癌で亡くなってます。
八代亜紀『女心は港の灯』北京語版…岳雷「粉紅色的腰帶」
『女心は港の灯』は1981年の曲。台湾では台湾語カバーの「粉紅色的腰帶(sm27886889)」がテレビ人形劇の挿入歌となりヒットしましたが、シンガポールでは「北京語普及政策」の一環で台湾語や広東語などの方言ソングは放送禁止。そこで北京語でカバーし直した「粉紅色的腰帶」が出たという次第。
中森明菜『銀河伝説』北京語版…黄小琪「是你」
1980年代に香港はじめ中華圏で大ブームを巻き起こした中森明菜。シングルのみならずB面やアルバム曲まで片っ端から中国語でカバーされてましたが、『銀河伝説』は82年に出したファーストアルバムに入っていた曲で、明菜が『少女A』でブレイクする前の曲。なぜこんなマイナー曲が香港や台湾ではなく、マレーシアで中国語カバーされたんでしょう??
『黄色いさくらんぼ』北京語版2…南虹「不知道」
♪若いむすめが、ウッフ~ン♪って、1970年にデビューしたゴールデン・ハーフの歌かと思っていたら、それより前の59年にスリー・キャッツが歌っていたそうで…。台湾でカバーが出たのは台湾語版「黄桜桃(sm24882485)」が62年、北京語版「黄色的小桜桃(sm24882431)」が66年なので、スリー・キャッツのカバーと言うことになりそう。一方マレーシアで出た「不知道」はゴールデン・ハーフのカバー。南虹は70年代に活躍したマレーシアの歌手。
『真っ赤な夕陽が燃えている』北京語版1…王詩惠「愛人,快回来吧」
『真っ赤な夕陽が燃えている』はセメントミキサーズが1989年に『いかすバンド天国』に出場した時に歌った曲。セメントミキサーズは翌90年に、この曲も収録されたアルバムを1枚出したきりで解散してしまいましたが、91年に香港で李克勤(ハッケン・リー)が出した広東語版「護花使者(sm28507064)」が大ヒット。その後マレーシアで出た北京語カバーが「愛人,快回来吧」。マレーシアでは他に客家語カバーの「見人講鬼話(sm28507203)」や福建語カバーの「福建Rock & Roll(sm31159689)」も出てます。
ヒデとロザンナ『愛は傷つきやすく』北京語版2…「晴天布満了晚霞」
ヒデとロザンナの『愛は傷つきやすく』は1970年のヒット曲。翌71年に香港で北京語カバー「愛的創痕(sm28652254)」が出ましたが、80年代にマレーシアで出たもう1つの北京語カバーが「晴天布满了晚霞」。歌ってるのは魏漢文と尤菁で、デュエット形式になってます。
並木路子『リンゴの唄』?北京語版5…劉秋儀「旧歓如夢」
「南都之夜(sm28449811)」は1946年の曲で、戦後台湾で最初に流行った歌謡曲として有名な曲。北京語や広東語でいろいろとカバーされ、台湾では小学校で習う愛国歌、中国では革命歌(sm28450443)にもなりましたが、原曲と言われているのが、戦後日本で最初に流行った歌謡曲『リンゴの唄』(1945年)。♪リンゴは何にも言わないけれど♪の部分を除いたような感じがします。北京語版は台湾のすばらしさを讃える香港映画の挿入歌「台灣小調(sm28449959)」が流行りましたが、61年に出た広東語版が「旧歓如夢(sm28450471)」。92年に香港映画『92黑玫瑰對黑玫瑰』の挿入歌になってリバイバルヒットし、マレーシアではいくつもの北京語版が作られることに。
藤島桓夫『俺らは東京へ来たけれど』北京語版3…林淑容[媽媽請妳多保重]
『俺らは東京へ来たけれど』は藤島桓夫が1957年に歌った曲。日本ではとっくに忘れ去られた曲ですが、台湾語カバーの「媽媽請你也保重(sm26024542)」は、台湾では誰もが知ってる大ヒット曲。で、その北京語版としてシンガポールで黒縁メガネがトレードマークの黃清元が歌ったのが「媽媽請你多保重(sm28528568)」。一方、マレーシアでは歌詞が少しだけ異なる「媽媽請你多保重(sm28835005)」と、歌詞が丸っきり違う「媽媽請你多保重(sm28835028)」、それに「媽媽請你也保重(sm26024629)」などの北京語版が出ています。
中島みゆき『ひとり上手』北京語版4…蘇家玉「愛綿綿」
1970年代から80年代にかけて、台湾を中心に日本、香港、東南アジアと、アジアを股にかけて活動した歌姫・鄧麗君(テレサ・テン)の香港での代表曲といえば、83年に歌った『ひとり上手』の広東語カバー「漫歩人生路(sm23036626)」。テレサ・テンはなぜか北京語で歌わなかったので、中国で「快楽人生路(sm24451534)」「美麗新一天(sm24451569)」「漫歩人生路(sm24451766)」などの北京語カバーが出ましたが、マレーシアで出た北京語カバーが「愛綿綿」。歌ってる蘇家玉は中国・江西省出身の歌手で、海南島でデビューし、失恋して(?)マレーシアに拠点を移した人。
山口百恵『走れ風と共に』北京語版…黄鶯鶯「衝激」
『走れ風と共に』は山口百恵と三浦友和の主演ドラマ『赤い衝撃』の挿入歌。黄鶯鶯は台湾出身で、シンガポールに拠点を移して黄鶯鶯(トレーシー・ホァン)の名で活躍した歌手。
西城秀樹『傷だらけのローラ』北京語版5…康喬「噢!羅娜」
1970年代後半から80年代前半にかけて、中華圏で人気絶大だった西城秀樹。その代表曲と言えば♪ローラ♪ですが、カバー曲も北京語版はマレーシアで「羅拉Laura(sm24978638)」と「羅娜(sm25388535)」「噢!羅娜(sm30455736)」、中国でも「羅拉(sm25199553)」と「羅娜(sm25388504)」が出て、香港では広東語版の「羅娜(sm23104977)」が出ました。羅拉はローラですが、羅娜はローナになるはず?中国人は「ラ」と「ナ」の発音がごっちゃになるみたい…。1983年に「噢!羅娜」を歌った康喬は、70年代末から80年代にかけて活躍したマレーシアの歌手で、当時のあだ名は「舞台帯道者」、たぶんヒデキのような派手なステージで歌っていたんでしょう。現在では歌手を引退して花屋の社長とか。
上原敏+結城道子『裏町人生』広東語版3…鄭錦昌「夢裡人」
『裏町人生』は1937年のヒット曲。上原敏は後にニューギニアで戦死しています。
