キーワード 姚蘇蓉 が含まれる動画 : 80 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
何日君再來vol.1【作業用BGM】
いろいろな人の「何日君再來」その1……①Richard Clayderman(鋼琴演奏)②周璇(國)③松平晃(日)④渡辺はま子(日)⑤李香蘭(國)⑥夏目芙美子(日)⑦山口淑子(國、日)⑦胡美芳(國、日)⑧姚蘇蓉(國)
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版1…許冠傑「愛你三百六十年」
1970年代香港の「歌神」許冠傑(サミュエル・ホイ)といえば、「北京語では歌わない」「日本のカバーは歌わない」で有名でしたが、唯一の北京語かつ日本のカバーソングが74年の「愛你三百六十年」。内容は冒頭で♪キミを365日愛するのはイヤだし、365年愛するのもイヤだ♪とタイトルを否定。その訳は♪365日=1年じゃ物足りないし、365年も生きられるわけがないから、キミを60年愛するのが丁度いい♪というオチで、コミカルっぽい表情で歌ってます。「愛你三百六十年」はもともと71年に台湾の姚蘇蓉が少し違う歌詞で歌い(sm23406221)、マレーシアでも夏心&張明麗が夫婦漫才のようなセリフ入りで歌ったりと、中華圏では有名な曲でしたが、原曲は弘田三枝子の69年の代表作『人形の家』のB面。
森進一『港町ブルース』北京語版1…鄧麗君「誰来愛我」
森進一の『港町ブルース』は1969年の大ヒット曲ですが、鄧麗君(テレサ・テン)が台湾で北京語のカバーソング「誰来愛我」を歌ったのは71年。でもその前からこの曲の北京語カバーは存在していて、69年に美黛が「愛的四季」、70年に姚蘇蓉が「失去的夢(sm23271558)」、陳芬蘭が「風花雪月不了情(sm23602818)」など、当時の人気歌手(いずれも女性)がカバーを競っていました。結局、現在でもテレビで歌われたりするのはテレサの「誰来愛我」(もちろん本人は亡くなっているので他の歌手が歌う)。また『港町ブルース』のカバーには、北京語の新しい「多情追夢女(sm23602859)」や最高視聴率97%というテレビ人形劇のテーマソングになった台湾語の「苦海女神龍(sm23275611)」、マレーシアで出た潮州語の「媽媽你在那里(sm23602640)」もあります。
森進一『港町ブルース』北京語版2…姚蘇蓉「失去的夢」
台湾で北京語版が5つに台湾語版が1つと、計6種類にもカバーされた『港町ブルース』。70年に「失去的夢」を歌った姚蘇蓉は、1960年代から70年代にかけて大人気の歌手ですが、69年に「放送禁止の歌を歌った」という理由で台湾政府から歌唱を禁止され、やむなく香港に拠点を移したら東南アジアでも人気になった人。放送禁止と言ってもワイセツというわけではなく、当時の台湾では「退廃的」「不道徳」「共産主義的」「日本語が入っている」…等々の理由で、禁止された歌が大量にあったのです…。『港町ブルース』のカバーは翌71年にテレサ・テンが「誰来愛我(sm23270790)」を歌い、今ではこちらが北京語カバーの代表として定着しています。
内山田洋とクールファイブ『長崎は今日も雨だった』北京語版02…姚蘇蓉「今夜又是雨」
『長崎は今日も雨だった』の中国語(北京語)カバーソングというと、1970年に台湾の青山が歌い、その後台湾や香港の多くの歌手が現在まで歌い続けている「涙的小雨(sm31237432)」が定着していますが、他にも「今夜又是雨」「台北今日又是雨」「台北今夜還是下著雨」「我失去了你」「我們見面又分手」などのバージョンもありました。「今夜又是雨」は70年に台湾で大人気だった姚蘇蓉が歌い、こちらもいろんな香港やシンガポールの歌手が歌っていましたが、「涙的小雨」に押されていつしか歌う歌手がいなくなってしまったようです。
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版2…芳方「愛你三百六十年」
弘田三枝子の『あなたがいなくても』と言っても、知ってる人はほとんどいないでしょうが、1969年のヒット曲『人形の家』のB面曲です。日本ではほとんど無名の曲ですが、その北京語カバー「愛你三百六十年」は台湾や香港、東南アジアの中華圏では往年の大ヒット曲として、現在でも現役の歌謡曲。もともと台湾の人気歌手・姚蘇蓉が71年に香港でレコーディングしたのが最初で、いろんな歌手が歌い続けてますが、マレーシアで出た男女掛け合いバージョンと、許冠傑(サミュエル・ホイ)が74年に出したバージョン(sm22941303)は歌詞が異なっています。この映像は2009年にシンガポールのお盆恒例の歌謡ショー(歌台)で、芳方が歌ったもの。芳方はおそらくシンガポールやマレーシアのドサまわりの歌手でしょう。
森進一『港町ブルース』北京語版3…徐小鳳「風花雪月不了情」
森進一の『港町ブルース』は1969年の大ヒット曲ですが、鄧麗君(テレサ・テン)が台湾で北京語のカバーソング「誰来愛我(sm23270790)」を歌ったのは71年。でもその前からこの曲の北京語カバーは存在していて、69年に美黛が「愛的四季」、70年に姚蘇蓉が「失去的夢(sm23271558)」、陳芬蘭が「風花雪月不了情」など、当時の人気歌手(いずれも女性)がカバーを競っていました。香港でも72年に徐小鳳(ポーラ・チョイ)が「風花雪月不了情」を歌っていました。結局、現在でもテレビで歌われたりするのは、テレサの「誰来愛我」(もちろん本人は亡くなっているので他の歌手が歌う)だけです。最近になって台湾で北京語の新しいカバー「多情追夢女(sm23602859)」も出ています。
加山雄三『君といつまでも』北京語版1…余天「夕陽西沉」
加山雄三の『君といつまでも』は1965年の曲ですが、台湾では北京語版がいくつか出ていて、「夕陽西沉」はいろんな歌手が歌っていますが、おそらく最初に歌ったのは60年代末から70年代初めにかけて人気だった女性歌手の姚蘇蓉。しかし「夕陽西沉」はタイトルは同じでも、歌う歌手によって歌詞が異なっていて、これは白冰冰(バイ・ピンピン)が歌ったバージョンの歌詞。余天は70年代から歌っている息の長い歌手ですが、今では国会議員もしてます。
加山雄三『君といつまでも』北京語版2…費玉清「夕陽西沉」
加山雄三の『君といつまでも』は1965年の曲ですが、台湾では北京語版がいくつか出ていて、「夕陽西沉」はいろんな歌手が歌っていますが、おそらく最初に歌ったのは60年代末から70年代初めにかけて人気だった女性歌手の姚蘇蓉。しかし「夕陽西沉」はタイトルは同じでも、歌う歌手によって歌詞が異なっていて、これは姚蘇蓉が歌ったバージョンの歌詞。他に白冰冰(バイ・ピンピン)が歌ったバージョンの歌詞のもの(sm23910756)もあります。
森進一『女のためいき』北京語版1…姚蘇蓉「負心的人」
『女のためいき』は1966年の森進一のデビュー曲。台湾では3種類の『負心的人』や『春夢無蹤』『可恨的人』『僥心的人』『失意的男性』『失落的夢』『尚愛的人』『女人吐大気』、香港では『痴心女子』、シンガポールでは『負心的人』など12種類のカバーが出ましたが、最も代表的なのが姚蘇蓉が67年に歌った「負心的人」。姚蘇蓉は60年代後半に涙を流して歌うステージが評判となって一世を風靡した女性ですが、あまりの熱唱ぶりが「退廃的」だと台湾政府は「負心的人」を禁止。それでも姚蘇蓉はステージで客のリクエストに応じて「負心的人」を歌ったため、69年に台湾政府から芸能活動を禁止され、香港に拠点を移す羽目に。映像は80年代の香港のテレビ番組ですが、姚蘇蓉のトークは北京語と広東語がチャンポンw
森進一『女のためいき』北京語版2…桜花(サクラ・テン)「負心的人」
桜花(サクラ・テン)は1950年代から歌い続けているマレーシア出身のシンガポールの歌手。なぜ「テン」なのかというと、本名が鄧彩英だから。つまり鄧麗君(テレサ・テン)のテンと同じということ。中国語(北京語、広東語)のみならず、英語、マレー語(=インドネシア語)や日本語でも歌うという、テレサ・テン同様に多芸な人ですが、桜花がシンガポールで出した「負心的人」は、姚蘇蓉のバージョン(sm24185307)とは出だしの歌詞が異なり、さらに日本語でも熱唱するというもの。映像は95年のテレビ番組ですが、別に森進一の物真似をしてるわけじゃありません。。。
森進一『女のためいき』北京語版3…湯蘭花「負心的人」
森進一のデビュー曲『女のためいき』の北京語カバー「負心的人」は、1967年に台湾の姚蘇蓉が涙を流して身をよじる熱唱で(sm24185307)、台湾政府から「退廃的だ」と禁止されるほどに大ヒット。69年には『負心的人』のタイトルで映画化もされました。で、その映画に主演し、主題歌「負心的心」も歌って一躍人気スターになったのが、台湾の先住民(ツォウ族)出身の歌手・湯蘭花(ユルナナ・ダニブ)ですが、姚蘇蓉が歌った「負心的心」とは、タイトルは同じでも歌詞は全く違うというもの。まぁ、姚蘇蓉の「負心的心」は政府から禁止歌曲に指定されちゃったので、別の曲ということにしたんでしょう…。映像は90年に湯蘭花が香港のテレビに出演した時のものですが、続いて流れる曲は…。
森進一『女のためいき』英語版…潘迪華 「The More I love」
1966年にヒットした森進一のデビュー曲『女のためいき』は、台湾で北京語カバーの「負心的人」が大ヒットし、身をよじりながら涙を流して熱唱した姚蘇蓉(sm24185307)は、「退廃的だ」と台湾政府に芸能活動を禁止され、香港へ活動拠点を移して熱唱し続けていたところ、香港や東南アジアでも大ヒット。そこで香港では潘迪華(レベッカ・パン)が英語カバーも出したようですが…。日本の演歌の英語カバーは、香港やシンガポールで60年代から70年代にかけて、他にもいろいろ出てたんじゃないかと思われます。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版01… 姚蘇蓉「恨你入骨」
『骨まで愛して』は中華圏でカバーソングが数多く出現。北京語版が3つの「恨你入骨」、5つの「愛你入骨」「找尋心上人」「落花流水」「生死恋」「何必當初遇見你」「刻骨相思」「深深的愛」、台湾語版が4つの「愛你入骨」と「恨你入骨」「唯一的愛」「新愛你入骨」「愛甲入髄」「愛妳甲入骨」「無情的夢癡情的人」、広東語版も「但願君休去」など数種類あって、なんと約30種類!代表的なのは姚蘇蓉が69年に香港で出した「恨你入骨=骨まで恨みます」。姚蘇蓉は泣くような歌声で評判の台湾の歌手ですが、『女のためいき』北京語版(sm24185307)の歌い方が退廃的だと台湾政府に芸能活動を禁止され、香港に拠点を移した人。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版02…黃清元「恨你入骨」
約30種類もの中国語カバーソングが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、黒縁メガネがトレードマークのシンガポールの人気歌手・黃清元(ウォン・チンユェン)も同じタイトルのカバーを歌ってました。しかし、歌詞はまったく別のもの。愛とは貢献、愛とは犠牲で、♪人生は蝋燭のように、いつも燃えて、他人を照らし続ける♪ものなのに、あなたはいなくなってしまった…そうですが、骨まで恨んでいるような迫力はありません。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版03…方逸華「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、香港の歌手・方逸華(モナ・フォン)が歌ったのは「愛你入骨=骨まで愛します」。「恨你入骨」があなたの為に犠牲にされた~という恨み節なら、「愛你入骨」はあなたの為なら犠牲になるわ~という求愛ソング。方逸華は香港最大の映画会社ショー・ブラザーズ社長の愛人で、69年に引退し映画会社の幹部に。反発した他の幹部らが辞職して作った映画会社がゴールデン・ハーベスト。ショー・ブラザーズに相手にされなかったブルース・リーを主役にして映画を撮ったら世界的に大ヒット。つまり方逸華が歌手を引退しなかったら、ブルース・リーはスターにならなかった?
城卓矢『骨まで愛して』北京語版04…謝雷「找尋心上人」
台湾や香港、シンガポールで約30種類もの中国語カバーが出た『骨まで愛して』。北京語版では最も代表的なのは、69年に台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨(sm24224928)」ですが、それより先の67年に北京語版「找尋心上人」を出していたのが台湾の謝雷。しかし「找尋心上人」はほとんど売れなかったとか。姚蘇蓉の代表曲には森進一の『女のためいき』のカバー「負心的人(sm24185307)」もありますが、これも先に歌っていたのは謝雷で、姚蘇蓉が歌ってから大ヒットしたもの。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版07…姚蘇蓉「何必当初遇到你」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、姚蘇蓉はなぜか翌70年に歌詞が違う「何必当初遇到你」も発売。「恨你入骨」が私の青春を奪った男を恨む歌なのに対し、「何必当初遇到你」は別れた男を忘れられない自分を恨むという、まったく逆の内容。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版01…郭金発「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、台湾語版で代表的なのは郭金發が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる」。「恨你入骨」が女からの目線で♪私を騙して青春を奪った男を恨んでやる~♪という内容なのに対して、郭金發の「愛你入骨」は男からの目線で、ネオン街で知り合った水商売の女に対して♪トゲのある薔薇だとはわかっているが、男が真情的愛(真心の愛)で命を懸けて、お前を救い出してやる~♪という内容。で、失敗してもまたやるぞ~と、男の気概(?)を見せてますが、コワコワ…。それにしても、いい声してますねぇ。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版02+北京語版15…尤雅[愛你入骨+刻骨相思]
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版で代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」ですが、尤雅が歌う台湾語の「愛你入骨」は、郭金発版とは歌詞が一部違い、♪真情的愛(真心の愛)→痴情的愛(狂った愛)♪や、目を♪目睭(純台湾語式→眼晴(標準語式)♪が異なります。北京語版の「刻骨相思」はオリジナル。さらに日本語の原曲も披露していますが、実は彼女は73~74年にかけて「優雅」の名前で日本でアイドル歌手をしていた人。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版03…文夏「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版では代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」。文夏は60~70年代に活躍した台湾語の演歌歌手で、昭和1ケタ生まれなので日本語が堪能で、歌詞は自分で翻訳することも。だから♪あなたについてどこまでも~♪原曲に近い内容。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版04…葉啓田「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版では代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」ですが、宝島歌王こと葉啓田も「愛你入骨」を出しました。歌詞は郭金発版とほとんど同じで、ネオン街で知り合った水商売の女に対して♪トゲのある薔薇だとはわかっているが、男が命を懸けて、お前を救い出してやる~♪という内容。失敗してもまたやるぞ~と、男の気概(?)を見せていますが、、郭金発が♪真情的愛(真心の愛)で~♪なのに対して、葉啓田は♪癡情的愛(狂った愛)で~♪w
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版07…阿吉仔「新愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版では代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」ですが、郭金発とシブい歌声が似ている阿吉仔(アゲァー)が2000年に出したのが「新愛你入骨」。「愛你入骨」が水商売の女を命を懸けて救い出すという時代がかった内容だったのに対して、「新愛你入骨」は別れたお前をずっと忘れないというライトな歌詞。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版12…楊燕「恨你入骨」
30種類近い中国語カバーソングが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、台湾の楊燕が歌ったバージョンは、2番が切々とした恨みの語り口調になるというもの。そのためか、歌詞は姚蘇蓉のものと細かいところが違ってます。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版13…桜花(サクラ・テン)「愛你入骨」
台湾や香港、シンガポールで30種類近い中国語カバーが出た『骨まで愛して』。北京語版では最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が歌った「恨你入骨(sm24224928)」、次いで香港人の方逸華(モナ・フォン)が歌った「愛你入骨(sm24224974)」ですが、シンガポールで人気だった桜花(サクラ・テン)も1969年に「愛你入骨」を歌っていました。ただし歌詞は方逸華の「愛你入骨」とは別のもの。この本人出演カラオケは最近のものですが、サクラという芸名から察するように日本語も得意というのがウリで、3番は日本語で熱唱していますが、この曲をカラオケで歌うシンガポール人はどうしたんでしょう?
森進一『襟裳岬』北京語版5…姚蘇蓉「照顧我吧!愛神」
『襟裳岬』は1973年の大ヒット曲ですが、台湾では「襟裳岬(sm24255576)」「依旧是一個人(sm24255665)」「仍旧一個人(sm22780233)」「沙灘上的歌声(sm24256466)」「照顧我吧!愛神(sm24256504)」「迎接好春天(sm32613050)」などのカバーが出て、パチモノの「我不辜負你(sm24255739)」まで出現しました。そのうち現在もポピュラーなのは鄧麗君(テレサ・テン)と鳳飛飛という台湾の2大歌姫が歌った76年の「襟裳岬」と78年の「依旧是一個人」ですが、一番最初に出たのは73年の「照顧我吧!愛神」。タイトルを訳せば、「愛の神様、面倒見て!」で、森進一のデビュー曲『女のためいき』のカバー(sm24185307)を大ヒットさせた姚蘇蓉が歌っていましたが、あまりヒットしなかった模様。彼女のオーバーな歌唱法もイイカゲンに飽きられた?
塩まさる『九段の母』北京語版4…姚蘇蓉「教我怎麼不恨你」
森進一『女のためいき』のカバー「負心的人(sm24185307)」や、城卓矢『骨まで愛して』のカバー「恨你入骨(sm24224928)」など、女の恨み節を涙を流しながら身をよじって熱唱する姿で一世を風靡した姚蘇蓉。その歌いっぷりが「風紀を乱す」と台湾政府から「歌唱禁止処分」となり、一時は香港へ活動拠点を移したほどですが、73年に歌ったのが、戦死した息子のお参りに靖国神社へ向かう1939年の母の歌『九段の母』のカバー。しかし結局、♪どうしたらあなたを恨まずにいられるか教えて~♪という女の恨み節になってしまいました。
三橋美智也『おさらば東京』北京語版1…蔡幸娟「両相依」
三橋美智也の『おさらば東京』は1957年のヒット曲。北京語版の『兩相依』は60年代から70年代にかけて台湾の姚蘇蓉や鳳飛飛、香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌ってヒットしたとか。
北原謙二『夢で泣け』北京語版1…李翊君「昨夜夢醒時」
『夢で泣け』は1966年に北原謙二が歌った曲ですが、台湾ではカバーが何種類も出て、台湾語版が「恨世生(sm25032754)」「夢中的愛人(sm25032841)」「愛甲恨(sm25265469)」「昨暝的夢(sm25036792)」に北京語版が「昨夜夢醒時(sm25265431)」。また香港では広東語版の「明日酒醒時(sm25265529)」が出ました。北京語カバーの「昨夜夢醒時」は69年から70年にかけて台湾の青山、姚蘇蓉、陳芬蘭、鄧麗君(テレサ・テン)や、香港の沈殿霞(リディア・シャム)などが歌ってましたが、現在でも台湾やシンガポール、マレーシアの女性歌手が改めてカバーをし続けているようです。
美空ひばり『大川流し』北京語版1…秦詠「水長流」
美空ひばりの『大川流し』は1959年の曲。北京語カバーの「水長流」は、69年に台湾の姚蘇蓉、陳芬蘭、鄧麗君(テレサ・テン)、青山や、香港の甄秀儀(エミー・イン)、劉鳳屏らが歌って競作になりましたが、台湾では「風紀を乱す」という理由で永らく放送禁止になっていたとか。とてもそんな歌詞には見えませんが…。現在でも台湾やシンガポールなどでは新たにカバーし続けている歌手がいて、秦詠はマレーシアの人。
神戸一郎『十代の恋よさようなら』北京語版1…姚蘇蓉「満天星斗的晩上」
『十代の恋よさようなら』は1957年にヒットした神戸一郎のデビュー曲。台湾では台湾語版の「可憐恋花再会吧」「悲情的相思」が出てますが、1970年に台湾で出た北京語カバーが「滿天星斗的晚上」で、オーバーな歌唱で当時大人気だった姚蘇蓉が歌ったもの(sm26049259)。その後マレーシアで出た同じタイトルの北京語版(sm26049355)もありますが、歌詞が一部違ってます。