キーワード 姚蘇蓉 が含まれる動画 : 80 件中 1 - 32 件目
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何日君再來vol.1【作業用BGM】
いろいろな人の「何日君再來」その1……①Richard Clayderman(鋼琴演奏)②周璇(國)③松平晃(日)④渡辺はま子(日)⑤李香蘭(國)⑥夏目芙美子(日)⑦山口淑子(國、日)⑦胡美芳(國、日)⑧姚蘇蓉(國)
森進一『女のためいき』北京語版3…湯蘭花「負心的人」
森進一のデビュー曲『女のためいき』の北京語カバー「負心的人」は、1967年に台湾の姚蘇蓉が涙を流して身をよじる熱唱で(sm24185307)、台湾政府から「退廃的だ」と禁止されるほどに大ヒット。69年には『負心的人』のタイトルで映画化もされました。で、その映画に主演し、主題歌「負心的心」も歌って一躍人気スターになったのが、台湾の先住民(ツォウ族)出身の歌手・湯蘭花(ユルナナ・ダニブ)ですが、姚蘇蓉が歌った「負心的心」とは、タイトルは同じでも歌詞は全く違うというもの。まぁ、姚蘇蓉の「負心的心」は政府から禁止歌曲に指定されちゃったので、別の曲ということにしたんでしょう…。映像は90年に湯蘭花が香港のテレビに出演した時のものですが、続いて流れる曲は…。
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版3…「愛你三百六十五年」
弘田三枝子の『あなたがいなくても』は、1969年のヒット曲『人形の家』のB面曲です。日本ではほとんど無名の曲ですが、その北京語カバー「愛你三百六十年(sm23406221)」は台湾や香港、東南アジアの中華圏では往年の大ヒット曲として、現在でも現役の歌謡曲。もともと台湾の人気歌手・姚蘇蓉が71年に香港でレコーディングしたのが最初で、いろんな歌手が歌い続けてますが、マレーシアで71年に夏心と張明麗が出したバージョンが「愛你三百六十五年」で、延々と浮気性の夫と威張ってばかりの妻が延々と掛け合いを続ける広東小唄風の曲。
森進一『港町ブルース』北京語版1…鄧麗君「誰来愛我」
森進一の『港町ブルース』は1969年の大ヒット曲ですが、鄧麗君(テレサ・テン)が台湾で北京語のカバーソング「誰来愛我」を歌ったのは71年。でもその前からこの曲の北京語カバーは存在していて、69年に美黛が「愛的四季」、70年に姚蘇蓉が「失去的夢(sm23271558)」、陳芬蘭が「風花雪月不了情(sm23602818)」など、当時の人気歌手(いずれも女性)がカバーを競っていました。結局、現在でもテレビで歌われたりするのはテレサの「誰来愛我」(もちろん本人は亡くなっているので他の歌手が歌う)。また『港町ブルース』のカバーには、北京語の新しい「多情追夢女(sm23602859)」や最高視聴率97%というテレビ人形劇のテーマソングになった台湾語の「苦海女神龍(sm23275611)」、マレーシアで出た潮州語の「媽媽你在那里(sm23602640)」もあります。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版07…阿吉仔「新愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版では代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」ですが、郭金発とシブい歌声が似ている阿吉仔(アゲァー)が2000年に出したのが「新愛你入骨」。「愛你入骨」が水商売の女を命を懸けて救い出すという時代がかった内容だったのに対して、「新愛你入骨」は別れたお前をずっと忘れないというライトな歌詞。
森進一『女のためいき』北京語版1…姚蘇蓉「負心的人」
『女のためいき』は1966年の森進一のデビュー曲。台湾では3種類の『負心的人』や『春夢無蹤』『可恨的人』『僥心的人』『失意的男性』『失落的夢』『尚愛的人』『女人吐大気』、香港では『痴心女子』、シンガポールでは『負心的人』など12種類のカバーが出ましたが、最も代表的なのが姚蘇蓉が67年に歌った「負心的人」。姚蘇蓉は60年代後半に涙を流して歌うステージが評判となって一世を風靡した女性ですが、あまりの熱唱ぶりが「退廃的」だと台湾政府は「負心的人」を禁止。それでも姚蘇蓉はステージで客のリクエストに応じて「負心的人」を歌ったため、69年に台湾政府から芸能活動を禁止され、香港に拠点を移す羽目に。映像は80年代の香港のテレビ番組ですが、姚蘇蓉のトークは北京語と広東語がチャンポンw
『朝日のあたる家』北京語版3…葉璦菱「日昇之屋」
『朝日のあたる家』は誰が最初に歌ったかわからないアメリカの曲ですが、日本でもちあきなおみや浅川マキ等いろんなバージョンのカバーがありました。台湾ではテレビ布袋戯(人形劇)に登場する大節女(sm27015537)というキャラクターのテーマソングになって有名に。一方、北京語版もいくつか出て、72年に姚蘇蓉が「帯走了我的心(sm27465082)」を出しましたが、86年に葉璦菱が出したのがタイトルを英語から直訳した「日昇之屋(sm28809394)」。
『朝日のあたる家』北京語版1…姚蘇蓉「帯走了我的心」
『朝日のあたる家』は誰が最初に歌ったかわからないアメリカの曲ですが、日本でもちあきなおみや浅川マキ等いろんなバージョンのカバーがありました。台湾ではテレビ布袋戯(人形劇)に登場する大節女(sm27015537)というキャラクターのテーマソングになって有名に。一方、北京語版もいくつか出て、72年に姚蘇蓉が歌ったのが「帯走了我的心」。姚蘇蓉はセクシー歌唱が風紀を乱すと問題になって、台湾政府から一時歌唱禁止を命じられ、香港に拠点を移したこともある人。
水原弘『君こそわが命』北京語版2…姚蘇蓉「熱情已冷」
『君こそわが命』は1967年に水原弘がカムバックを果たしたヒット曲。台湾では北京語版の「唯一愛的人(sm27822671)」や台湾語版の「你是我的生命(sm27822630)」も出てます。
『乙女の涙』北京語版1…姚蘇蓉「心声涙痕」
謎の曲です…。原曲は『乙女の涙』ということになってますが、いつ誰が歌ったのか不明。原曲タイトルは『姑娘よもう泣かないで』だという説もあります。台湾のテレビ番組では「日本曲」というクレジットが出てますが、実は韓国の曲だとも。いずれにしても、台湾語カバーの「可憐的小姑娘(sm26860848)」や北京語カバーの「心声涙痕」は台湾や東南アジアの中華圏では有名な懐メロで、香港でも「心声涙痕」「你軽呼我」「台前幕后」と3種類の広東語カバーが出てました。北京語版の「心声涙痕(sm26860860)」は1970年に台湾の姚蘇蓉が歌いましたが、シンガポールやマレーシアの歌手が歌ってる「心声涙痕(sm26860868)」とは、ほんのわずか歌詞が異なります。
小畑実『ロンドンの街角で』北京語版3…「因為我愛你」
『ロンドンの街角で』は1952年のヒット曲ですが、70年に台湾をはじめ香港や東南アジアの中華圏で大ヒットした北京語カバーが「因為我愛你(sm26125101)」。当時、台湾で人気だった青山や姚蘇蓉、陳芬蘭などいろいろな歌手が歌いましたが、なぜか鄧麗君(テレサ・テン)のバージョン(sm26125166)だけは歌詞が違いました。さらにテレサ版には一部の歌詞が異なる変形バージョンもあるようで、わずか数文字の違いでも意味が逆だったりしてます。それにしてもこの女性、誰でしょう?
城卓矢『骨まで愛して』北京語版01… 姚蘇蓉「恨你入骨」
『骨まで愛して』は中華圏でカバーソングが数多く出現。北京語版が3つの「恨你入骨」、5つの「愛你入骨」「找尋心上人」「落花流水」「生死恋」「何必當初遇見你」「刻骨相思」「深深的愛」、台湾語版が4つの「愛你入骨」と「恨你入骨」「唯一的愛」「新愛你入骨」「愛甲入髄」「愛妳甲入骨」「無情的夢癡情的人」、広東語版も「但願君休去」など数種類あって、なんと約30種類!代表的なのは姚蘇蓉が69年に香港で出した「恨你入骨=骨まで恨みます」。姚蘇蓉は泣くような歌声で評判の台湾の歌手ですが、『女のためいき』北京語版(sm24185307)の歌い方が退廃的だと台湾政府に芸能活動を禁止され、香港に拠点を移した人。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版04…謝雷「找尋心上人」
台湾や香港、シンガポールで約30種類もの中国語カバーが出た『骨まで愛して』。北京語版では最も代表的なのは、69年に台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨(sm24224928)」ですが、それより先の67年に北京語版「找尋心上人」を出していたのが台湾の謝雷。しかし「找尋心上人」はほとんど売れなかったとか。姚蘇蓉の代表曲には森進一の『女のためいき』のカバー「負心的人(sm24185307)」もありますが、これも先に歌っていたのは謝雷で、姚蘇蓉が歌ってから大ヒットしたもの。
内山田洋とクールファイブ『長崎は今日も雨だった』北京語版02…姚蘇蓉「今夜又是雨」
『長崎は今日も雨だった』の中国語(北京語)カバーソングというと、1970年に台湾の青山が歌い、その後台湾や香港の多くの歌手が現在まで歌い続けている「涙的小雨(sm31237432)」が定着していますが、他にも「今夜又是雨」「台北今日又是雨」「台北今夜還是下著雨」「我失去了你」「我們見面又分手」などのバージョンもありました。「今夜又是雨」は70年に台湾で大人気だった姚蘇蓉が歌い、こちらもいろんな香港やシンガポールの歌手が歌っていましたが、「涙的小雨」に押されていつしか歌う歌手がいなくなってしまったようです。
森進一『女のためいき』北京語版4…劉鴻雁「我悔恨対你痴心」
『女のためいき』は1966年の森進一のデビュー曲。台湾や香港、シンガポールでは当時10数種類もの中国語カバーが出ましたが、最も代表的なのは、台湾の姚蘇蓉が67年に歌った「負心的人(sm24185307)」。涙を流して歌うステージが「退廃的」だと台湾政府は「負心的人」を禁止。それでも姚蘇蓉はステージで客のリクエストに応じて「負心的人」を歌ったため、69年に台湾政府から芸能活動を禁止され、香港に拠点を移す羽目に。で、それから20年経った中国で新たなカバー「我悔恨対你痴心」が出ましたが、歌詞は「負心的人」とほぼ同じ。ただし♪櫻紅的唇 火樣熱烈的吻♪(ピンクの唇に火のように熱いキス)という出だしは当時の中国では過激すぎたのか、最初の1行は異なります。
北原謙二『夢で泣け』北京語版2…姚蘇蓉「愛与恨」
『夢で泣け』は1966年に北原謙二が歌った曲ですが、台湾ではカバーが何種類も出て、北京語版が「昨夜夢醒時(sm25265431)」と「愛与恨(sm27975590)」。台湾語版が「恨世生(sm25032754)」「夢中的愛人(sm25032841)」「愛甲恨(sm25265469)」「昨暝的夢(sm25036792)」「不幸的愛」「無縁花」。また香港では広東語版の「明日酒醒時(sm25265529)」、中国では北京語版の「夢醒(sm26840675)」が出ました。姚蘇蓉は身をよじって泣くような歌い方で、60年代末から70年代初めに一世を風靡した歌手。台湾では「風紀を乱す」と歌唱禁止処分になり、香港に拠点を移し、戦前の上海の面影を残していた国語時代曲(北京語歌謡曲)を吹き飛ばし、東南アジアでも人気が爆発した人。ハマると病みつきになる歌声です…。現在はマレーシア在住とか。
美空ひばり『大川流し』北京語版1…秦詠「水長流」
美空ひばりの『大川流し』は1959年の曲。北京語カバーの「水長流」は、69年に台湾の姚蘇蓉、陳芬蘭、鄧麗君(テレサ・テン)、青山や、香港の甄秀儀(エミー・イン)、劉鳳屏らが歌って競作になりましたが、台湾では「風紀を乱す」という理由で永らく放送禁止になっていたとか。とてもそんな歌詞には見えませんが…。現在でも台湾やシンガポールなどでは新たにカバーし続けている歌手がいて、秦詠はマレーシアの人。
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版2…芳方「愛你三百六十年」
弘田三枝子の『あなたがいなくても』と言っても、知ってる人はほとんどいないでしょうが、1969年のヒット曲『人形の家』のB面曲です。日本ではほとんど無名の曲ですが、その北京語カバー「愛你三百六十年」は台湾や香港、東南アジアの中華圏では往年の大ヒット曲として、現在でも現役の歌謡曲。もともと台湾の人気歌手・姚蘇蓉が71年に香港でレコーディングしたのが最初で、いろんな歌手が歌い続けてますが、マレーシアで出た男女掛け合いバージョンと、許冠傑(サミュエル・ホイ)が74年に出したバージョン(sm22941303)は歌詞が異なっています。この映像は2009年にシンガポールのお盆恒例の歌謡ショー(歌台)で、芳方が歌ったもの。芳方はおそらくシンガポールやマレーシアのドサまわりの歌手でしょう。
柳町洋子『最終夜汽車』北京語版3…黄鵬「何処是帰程」
元歌を歌ってる日本人が謎なら北京語のカバー曲も謎。柳町洋子の『最終夜汽車』ですが、1960年代に台湾でそういう日本語のレコードが売られていて、台湾語カバー「最後的火車站(sm23321991)」と北京語カバー「何処是帰程」や「最後夜快車(sm23322288)」「最後的夜快車(sm26902386)」ができたのですが、日本にそんな歌手はいなくて、元歌は明らかに津村謙(『上海帰りのリル』を歌った人)の『終着駅に灯がともる』。「何処是帰程」は1970年に台湾の人気歌手だった姚蘇蓉が歌ってましたが(sm26902145)、シンガポールやマレーシアの「何処是帰程」は曲やタイトルは同じでも、歌詞がまったく別(sm26902324)です。黄鵬はシンガポールの歌手。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版04…葉啓田「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版では代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」ですが、宝島歌王こと葉啓田も「愛你入骨」を出しました。歌詞は郭金発版とほとんど同じで、ネオン街で知り合った水商売の女に対して♪トゲのある薔薇だとはわかっているが、男が命を懸けて、お前を救い出してやる~♪という内容。失敗してもまたやるぞ~と、男の気概(?)を見せていますが、、郭金発が♪真情的愛(真心の愛)で~♪なのに対して、葉啓田は♪癡情的愛(狂った愛)で~♪w
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版02+北京語版15…尤雅[愛你入骨+刻骨相思]
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版で代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」ですが、尤雅が歌う台湾語の「愛你入骨」は、郭金発版とは歌詞が一部違い、♪真情的愛(真心の愛)→痴情的愛(狂った愛)♪や、目を♪目睭(純台湾語式→眼晴(標準語式)♪が異なります。北京語版の「刻骨相思」はオリジナル。さらに日本語の原曲も披露していますが、実は彼女は73~74年にかけて「優雅」の名前で日本でアイドル歌手をしていた人。
小畑実『ロンドンの街角で』北京語版1…青山「因為我愛你」
『ロンドンの街角で』は1952年のヒット曲ですが、70年に台湾をはじめ香港や東南アジアの中華圏で大ヒットした北京語カバーが「因為我愛你(sm26125101)」。当時、台湾で人気だった青山や姚蘇蓉、陳芬蘭などいろいろな歌手が歌いましたが、なぜか鄧麗君(テレサ・テン)のバージョン(sm26125166)だけは歌詞が違うというもの。現在でもシンガポールやマレーシアではカバーされ続けています。
森進一『女のためいき』北京語版2…桜花(サクラ・テン)「負心的人」
桜花(サクラ・テン)は1950年代から歌い続けているマレーシア出身のシンガポールの歌手。なぜ「テン」なのかというと、本名が鄧彩英だから。つまり鄧麗君(テレサ・テン)のテンと同じということ。中国語(北京語、広東語)のみならず、英語、マレー語(=インドネシア語)や日本語でも歌うという、テレサ・テン同様に多芸な人ですが、桜花がシンガポールで出した「負心的人」は、姚蘇蓉のバージョン(sm24185307)とは出だしの歌詞が異なり、さらに日本語でも熱唱するというもの。映像は95年のテレビ番組ですが、別に森進一の物真似をしてるわけじゃありません。。。
ジュディ・オング『涙のドレス』北京語版1…姚蘇蓉「涙的衣裳」
ジュディ・オングの『涙のドレス』は1969年のヒット曲。台湾では北京語カバーの「涙的衣裳」が出ましたが、69年に姚蘇蓉(sm26888341)、70年に鄧麗君(テレサ・テン)(sm26888366)、71年に翁倩玉(ジュディ・オング)本人が歌ったもの(sm26888390)は、それぞれタイトルは同じでも歌詞が丸っきり違うもの。一体ナゼ?
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版01…郭金発「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、台湾語版で代表的なのは郭金發が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる」。「恨你入骨」が女からの目線で♪私を騙して青春を奪った男を恨んでやる~♪という内容なのに対して、郭金發の「愛你入骨」は男からの目線で、ネオン街で知り合った水商売の女に対して♪トゲのある薔薇だとはわかっているが、男が真情的愛(真心の愛)で命を懸けて、お前を救い出してやる~♪という内容。で、失敗してもまたやるぞ~と、男の気概(?)を見せてますが、コワコワ…。それにしても、いい声してますねぇ。
松山恵子『お恵ちゃんの婦系図』北京語版1…姚蘇蓉「我為你痴迷」
松山恵子の『お恵ちゃんの婦系図』は1959年のヒット曲。台湾では台湾語カバーの「真情放祙離(sm26536808)」「經過一年後(sm26536883)」「心砕夢也醒(sm32733857)」と、北京語カバーの「我為你痴迷(sm26537380)」が出てました。姚蘇蓉は60年代末から70年代にかけてオーバーな歌唱法で一世を風靡した台湾の歌手。あまりの色気に台湾政府から放送禁止どころか歌唱禁止処分になり、一時期香港へ活動拠点を移したほどの人。
加山雄三『君といつまでも』北京語版1…余天「夕陽西沉」
加山雄三の『君といつまでも』は1965年の曲ですが、台湾では北京語版がいくつか出ていて、「夕陽西沉」はいろんな歌手が歌っていますが、おそらく最初に歌ったのは60年代末から70年代初めにかけて人気だった女性歌手の姚蘇蓉。しかし「夕陽西沉」はタイトルは同じでも、歌う歌手によって歌詞が異なっていて、これは白冰冰(バイ・ピンピン)が歌ったバージョンの歌詞。余天は70年代から歌っている息の長い歌手ですが、今では国会議員もしてます。
森進一『襟裳岬』北京語版5…姚蘇蓉「照顧我吧!愛神」
『襟裳岬』は1973年の大ヒット曲ですが、台湾では「襟裳岬(sm24255576)」「依旧是一個人(sm24255665)」「仍旧一個人(sm22780233)」「沙灘上的歌声(sm24256466)」「照顧我吧!愛神(sm24256504)」「迎接好春天(sm32613050)」などのカバーが出て、パチモノの「我不辜負你(sm24255739)」まで出現しました。そのうち現在もポピュラーなのは鄧麗君(テレサ・テン)と鳳飛飛という台湾の2大歌姫が歌った76年の「襟裳岬」と78年の「依旧是一個人」ですが、一番最初に出たのは73年の「照顧我吧!愛神」。タイトルを訳せば、「愛の神様、面倒見て!」で、森進一のデビュー曲『女のためいき』のカバー(sm24185307)を大ヒットさせた姚蘇蓉が歌っていましたが、あまりヒットしなかった模様。彼女のオーバーな歌唱法もイイカゲンに飽きられた?