キーワード 姚蘇蓉 が含まれる動画 : 80 件中 1 - 32 件目
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森進一『港町ブルース』北京語版1…鄧麗君「誰来愛我」
森進一の『港町ブルース』は1969年の大ヒット曲ですが、鄧麗君(テレサ・テン)が台湾で北京語のカバーソング「誰来愛我」を歌ったのは71年。でもその前からこの曲の北京語カバーは存在していて、69年に美黛が「愛的四季」、70年に姚蘇蓉が「失去的夢(sm23271558)」、陳芬蘭が「風花雪月不了情(sm23602818)」など、当時の人気歌手(いずれも女性)がカバーを競っていました。結局、現在でもテレビで歌われたりするのはテレサの「誰来愛我」(もちろん本人は亡くなっているので他の歌手が歌う)。また『港町ブルース』のカバーには、北京語の新しい「多情追夢女(sm23602859)」や最高視聴率97%というテレビ人形劇のテーマソングになった台湾語の「苦海女神龍(sm23275611)」、マレーシアで出た潮州語の「媽媽你在那里(sm23602640)」もあります。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版02+北京語版15…尤雅[愛你入骨+刻骨相思]
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」で、台湾語版で代表的なのは郭金発が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる(sm24225240)」ですが、尤雅が歌う台湾語の「愛你入骨」は、郭金発版とは歌詞が一部違い、♪真情的愛(真心の愛)→痴情的愛(狂った愛)♪や、目を♪目睭(純台湾語式→眼晴(標準語式)♪が異なります。北京語版の「刻骨相思」はオリジナル。さらに日本語の原曲も披露していますが、実は彼女は73~74年にかけて「優雅」の名前で日本でアイドル歌手をしていた人。
何日君再來vol.1【作業用BGM】
いろいろな人の「何日君再來」その1……①Richard Clayderman(鋼琴演奏)②周璇(國)③松平晃(日)④渡辺はま子(日)⑤李香蘭(國)⑥夏目芙美子(日)⑦山口淑子(國、日)⑦胡美芳(國、日)⑧姚蘇蓉(國)
城卓矢『骨まで愛して』北京語版01… 姚蘇蓉「恨你入骨」
『骨まで愛して』は中華圏でカバーソングが数多く出現。北京語版が3つの「恨你入骨」、5つの「愛你入骨」「找尋心上人」「落花流水」「生死恋」「何必當初遇見你」「刻骨相思」「深深的愛」、台湾語版が4つの「愛你入骨」と「恨你入骨」「唯一的愛」「新愛你入骨」「愛甲入髄」「愛妳甲入骨」「無情的夢癡情的人」、広東語版も「但願君休去」など数種類あって、なんと約30種類!代表的なのは姚蘇蓉が69年に香港で出した「恨你入骨=骨まで恨みます」。姚蘇蓉は泣くような歌声で評判の台湾の歌手ですが、『女のためいき』北京語版(sm24185307)の歌い方が退廃的だと台湾政府に芸能活動を禁止され、香港に拠点を移した人。
ジュディ・オング『涙のドレス』北京語版3…翁倩玉「涙的衣裳」
ジュディ・オングの『涙のドレス』は1969年のヒット曲。台湾では北京語カバーの「涙的衣裳」が出ましたが、69年に姚蘇蓉(sm26888341)、70年に鄧麗君(テレサ・テン)(sm26888366)、71年に翁倩玉(ジュディ・オング)本人が歌ったもの(sm26888390)は、それぞれタイトルは同じでも歌詞が丸っきり違うもの。一体ナゼ?ジュディ・オングが歌ってるカバーは、原曲の日本語詞をそのまま訳したような内容です。
いしだあゆみ『ブルーライトヨコハマ』北京語版3…姚蘇蓉「藍夜」
『ブルー・ライト・ヨコハマ』は1969年のいしだあゆみのヒット曲ですが、台湾では北京語カバーがいくつか出て、鄧麗君(テレサ・テン)の「寂寞的花季(sm23323895)」や欧陽菲菲の「我為你而來(sm25181518)」など。他に当時セクシー歌唱で大人気だった姚蘇蓉が歌ったのが「藍夜」。姚蘇蓉は歌い方が退廃的すぎると台湾政府によって歌唱禁止処分にされ、香港に拠点を移していた人。香港では広東語版の「新的一天新希望(sm23298896)」も出てました。
ちあきなおみ『喝采』北京語版2…姚蘇蓉「一片相想」
ちあきなおみの『喝采』は、台湾でも73年に鳳飛飛がタイトルや内容がそのまま同じの北京語版「喝采(sm26289672)」を歌って大ヒットしましたが、同じ年に「一片相思(sm26294779)」「愛你永不変」や、歌詞が違う「喝采」など北京語カバーが他にもいくつか出て、これらは忘れ去られた存在に…。姚蘇蓉は60年代後半から70年代前半にかけて身をよじって涙を流して歌う「オーバー唱法(sm24185307)」で一世を風靡した歌手。あまりに退廃的だと台湾政府から芸能活動が禁止され、一時期香港に活動を移していたほど。
加山雄三『君といつまでも』北京語版1…余天「夕陽西沉」
加山雄三の『君といつまでも』は1965年の曲ですが、台湾では北京語版がいくつか出ていて、「夕陽西沉」はいろんな歌手が歌っていますが、おそらく最初に歌ったのは60年代末から70年代初めにかけて人気だった女性歌手の姚蘇蓉。しかし「夕陽西沉」はタイトルは同じでも、歌う歌手によって歌詞が異なっていて、これは白冰冰(バイ・ピンピン)が歌ったバージョンの歌詞。余天は70年代から歌っている息の長い歌手ですが、今では国会議員もしてます。
伊東ゆかり『小指の想い出』北京語版1…姚蘇蓉「藍宝石之恋」
♪あなたが噛んだ、小指が痛い~♪は1967年のヒット曲ですが、台湾でセクシー歌唱が一世を風靡した姚蘇蓉が北京語カバー「藍宝石之恋」を歌ったのは69年。タイトルを訳せばサファイアの恋。♪あなたがくれたサファイアのイアリングを、あなたがいなくなっても愛の記念に付けてるわ~♪という感じ。香港では歌詞がビミョーに異なる「藍宝石之恋(sm28873911)」が出てました。
エミー・ジャクソン『涙の太陽』北京語版?…解淑珺「熱情的夏季」
♪ギ~ラ~ギ~ラ、太陽が~♪で始まる『涙の太陽』といえば、安西マリアの代表曲ですが、もとは1965年にエミー・ジャクソンが歌った英語の歌。もっとも作詞も作曲も日本人で、同じ年に青山ミチが歌う日本語版も出ましたが、日本語版が大ヒットしたのは73年に安西マリアが歌ってから。で、台湾では安西マリアが歌う前に台湾語版の「涙晒太陽(sm24679280)」や、北京語版の鄧麗君(テレサ・テン)「涙晒太陽(sm24679229)」、姚蘇蓉「請你緊緊抱着我(sm26799220)」などが出ていましたが、もう1つビミョーなのが解淑珺の「熱情的夏季」。「ぜんぜん別の曲じゃないか!」と言われそうですが、55秒からは…。
黛ジュン『天使の誘惑』北京語版2…姚蘇蓉 「春天在你身辺」
1970年。台湾では鄧麗君(テレサ・テン)が歌ったもう1つの北京語カバー「軽軽一個吻(sm29475500)」も出てます。
城卓矢『骨まで愛して』台湾語版01…郭金発「愛你入骨」
約30種類もカバーが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。北京語版で最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が69年に香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、台湾語版で代表的なのは郭金發が歌った「愛你入骨=骨まで愛してやる」。「恨你入骨」が女からの目線で♪私を騙して青春を奪った男を恨んでやる~♪という内容なのに対して、郭金發の「愛你入骨」は男からの目線で、ネオン街で知り合った水商売の女に対して♪トゲのある薔薇だとはわかっているが、男が真情的愛(真心の愛)で命を懸けて、お前を救い出してやる~♪という内容。で、失敗してもまたやるぞ~と、男の気概(?)を見せてますが、コワコワ…。それにしても、いい声してますねぇ。
神戸一郎『十代の恋よさようなら』北京語版2…王威翔「満天星斗的晩上」
『十代の恋よさようなら』は1957年にヒットした神戸一郎のデビュー曲。台湾では台湾語版の「可憐恋花再会吧」「悲情的相思」が出てますが、1970年に台湾で出た北京語カバーが「滿天星斗的晚上」で、オーバーな歌唱で当時大人気だった姚蘇蓉が歌ったもの(sm26049259)。その後マレーシアでは現在に至るまで同じタイトルの北京語版をいろんな歌手がカバーし続けていますが、歌詞が一部違っていて、内容が簡略化されています。王威翔のカバーは2012年に出たもの。
エミー・ジャクソン『涙の太陽』北京語版3…藍桜「帶走我的心」
♪ギ~ラ~ギ~ラ、太陽が~♪で始まる『涙の太陽』といえば、安西マリアの代表曲ですが、もとは1965年にエミー・ジャクソンが歌った英語の歌。もっとも作詞も作曲も日本人で、同じ年に青山ミチが歌う日本語版も出ましたが、日本語版が大ヒットしたのは73年に安西マリアが歌ってから。で、67年には台湾で鄧麗君(テレサ・テン)の「涙晒太陽(sm24679229)」と、姚蘇蓉の「請你緊緊抱着我(sm26799220)」という2つの北京語版が出て、その後マレーシアでは「帶走我的心(sm30981443)」も出ましたが、歌詞はどれも同じ。♪な~ぜ、な~ぜ♪の部分を♪Why Why~♪と歌っているので、エミー・ジャクソンのカバーなのでしょう。
井上ひろし『雨に咲く花』北京語版…姚蘇蓉「苦恋花」
『雨に咲く花』は1935年に関種子が歌った映画主題歌ですが、60年に井上ひろしがリバイバルして大ヒット。井上ひろしはザ・ドリフターズのメンバーだった人、と言っても『8時だよ!全員集合』が始まる10年前の話で、当時のメンバーは他に坂本九とか。。。
内山田洋とクールファイブ『長崎は今日も雨だった』北京語版02…姚蘇蓉「今夜又是雨」
『長崎は今日も雨だった』の中国語(北京語)カバーソングというと、1970年に台湾の青山が歌い、その後台湾や香港の多くの歌手が現在まで歌い続けている「涙的小雨(sm31237432)」が定着していますが、他にも「今夜又是雨」「台北今日又是雨」「台北今夜還是下著雨」「我失去了你」「我們見面又分手」などのバージョンもありました。「今夜又是雨」は70年に台湾で大人気だった姚蘇蓉が歌い、こちらもいろんな香港やシンガポールの歌手が歌っていましたが、「涙的小雨」に押されていつしか歌う歌手がいなくなってしまったようです。
エミー・ジャクソン『夢みるマイ・ボーイ』北京語版1…「孩子你聽媽説」
『夢みるマイ・ボーイ』は1965年にエミー・ジャクソンが英語で歌った曲。後に榊原郁恵が日本語で歌ってましたが、台湾では60年代後半に台湾語版の「孩子的夢(sm31135635」と北京語版の「孩子你聽媽説(sm31135681)」が出現。姚蘇蓉は『涙の太陽』の北京語カバー「請你緊緊抱着我(sm26799220)」も歌ってました。
加山雄三『君といつまでも』北京語版2…費玉清「夕陽西沉」
加山雄三の『君といつまでも』は1965年の曲ですが、台湾では北京語版がいくつか出ていて、「夕陽西沉」はいろんな歌手が歌っていますが、おそらく最初に歌ったのは60年代末から70年代初めにかけて人気だった女性歌手の姚蘇蓉。しかし「夕陽西沉」はタイトルは同じでも、歌う歌手によって歌詞が異なっていて、これは姚蘇蓉が歌ったバージョンの歌詞。他に白冰冰(バイ・ピンピン)が歌ったバージョンの歌詞のもの(sm23910756)もあります。
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版2…芳方「愛你三百六十年」
弘田三枝子の『あなたがいなくても』と言っても、知ってる人はほとんどいないでしょうが、1969年のヒット曲『人形の家』のB面曲です。日本ではほとんど無名の曲ですが、その北京語カバー「愛你三百六十年」は台湾や香港、東南アジアの中華圏では往年の大ヒット曲として、現在でも現役の歌謡曲。もともと台湾の人気歌手・姚蘇蓉が71年に香港でレコーディングしたのが最初で、いろんな歌手が歌い続けてますが、マレーシアで出た男女掛け合いバージョンと、許冠傑(サミュエル・ホイ)が74年に出したバージョン(sm22941303)は歌詞が異なっています。この映像は2009年にシンガポールのお盆恒例の歌謡ショー(歌台)で、芳方が歌ったもの。芳方はおそらくシンガポールやマレーシアのドサまわりの歌手でしょう。
森進一『港町ブルース』北京語版2…姚蘇蓉「失去的夢」
台湾で北京語版が5つに台湾語版が1つと、計6種類にもカバーされた『港町ブルース』。70年に「失去的夢」を歌った姚蘇蓉は、1960年代から70年代にかけて大人気の歌手ですが、69年に「放送禁止の歌を歌った」という理由で台湾政府から歌唱を禁止され、やむなく香港に拠点を移したら東南アジアでも人気になった人。放送禁止と言ってもワイセツというわけではなく、当時の台湾では「退廃的」「不道徳」「共産主義的」「日本語が入っている」…等々の理由で、禁止された歌が大量にあったのです…。『港町ブルース』のカバーは翌71年にテレサ・テンが「誰来愛我(sm23270790)」を歌い、今ではこちらが北京語カバーの代表として定着しています。
三橋美智也『おさらば東京』北京語版1…蔡幸娟「両相依」
三橋美智也の『おさらば東京』は1957年のヒット曲。北京語版の『兩相依』は60年代から70年代にかけて台湾の姚蘇蓉や鳳飛飛、香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌ってヒットしたとか。
森進一『港町ブルース』北京語版3…徐小鳳「風花雪月不了情」
森進一の『港町ブルース』は1969年の大ヒット曲ですが、鄧麗君(テレサ・テン)が台湾で北京語のカバーソング「誰来愛我(sm23270790)」を歌ったのは71年。でもその前からこの曲の北京語カバーは存在していて、69年に美黛が「愛的四季」、70年に姚蘇蓉が「失去的夢(sm23271558)」、陳芬蘭が「風花雪月不了情」など、当時の人気歌手(いずれも女性)がカバーを競っていました。香港でも72年に徐小鳳(ポーラ・チョイ)が「風花雪月不了情」を歌っていました。結局、現在でもテレビで歌われたりするのは、テレサの「誰来愛我」(もちろん本人は亡くなっているので他の歌手が歌う)だけです。最近になって台湾で北京語の新しいカバー「多情追夢女(sm23602859)」も出ています。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版04…謝雷「找尋心上人」
台湾や香港、シンガポールで約30種類もの中国語カバーが出た『骨まで愛して』。北京語版では最も代表的なのは、69年に台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨(sm24224928)」ですが、それより先の67年に北京語版「找尋心上人」を出していたのが台湾の謝雷。しかし「找尋心上人」はほとんど売れなかったとか。姚蘇蓉の代表曲には森進一の『女のためいき』のカバー「負心的人(sm24185307)」もありますが、これも先に歌っていたのは謝雷で、姚蘇蓉が歌ってから大ヒットしたもの。
森進一『女のためいき』北京語版1…姚蘇蓉「負心的人」
『女のためいき』は1966年の森進一のデビュー曲。台湾では3種類の『負心的人』や『春夢無蹤』『可恨的人』『僥心的人』『失意的男性』『失落的夢』『尚愛的人』『女人吐大気』、香港では『痴心女子』、シンガポールでは『負心的人』など12種類のカバーが出ましたが、最も代表的なのが姚蘇蓉が67年に歌った「負心的人」。姚蘇蓉は60年代後半に涙を流して歌うステージが評判となって一世を風靡した女性ですが、あまりの熱唱ぶりが「退廃的」だと台湾政府は「負心的人」を禁止。それでも姚蘇蓉はステージで客のリクエストに応じて「負心的人」を歌ったため、69年に台湾政府から芸能活動を禁止され、香港に拠点を移す羽目に。映像は80年代の香港のテレビ番組ですが、姚蘇蓉のトークは北京語と広東語がチャンポンw
弘田三枝子『あなたがいなくても』北京語版1…許冠傑「愛你三百六十年」
1970年代香港の「歌神」許冠傑(サミュエル・ホイ)といえば、「北京語では歌わない」「日本のカバーは歌わない」で有名でしたが、唯一の北京語かつ日本のカバーソングが74年の「愛你三百六十年」。内容は冒頭で♪キミを365日愛するのはイヤだし、365年愛するのもイヤだ♪とタイトルを否定。その訳は♪365日=1年じゃ物足りないし、365年も生きられるわけがないから、キミを60年愛するのが丁度いい♪というオチで、コミカルっぽい表情で歌ってます。「愛你三百六十年」はもともと71年に台湾の姚蘇蓉が少し違う歌詞で歌い(sm23406221)、マレーシアでも夏心&張明麗が夫婦漫才のようなセリフ入りで歌ったりと、中華圏では有名な曲でしたが、原曲は弘田三枝子の69年の代表作『人形の家』のB面。
城卓矢『骨まで愛して』北京語版12…楊燕「恨你入骨」
30種類近い中国語カバーソングが出た1966年のヒット曲『骨まで愛して』。最も代表的なのは台湾人の姚蘇蓉が香港で歌った「恨你入骨=骨まで恨みます(sm24224928)」ですが、台湾の楊燕が歌ったバージョンは、2番が切々とした恨みの語り口調になるというもの。そのためか、歌詞は姚蘇蓉のものと細かいところが違ってます。
伊東ゆかり『小指の想い出』北京語版2…張露「藍宝石之恋」
♪あなたが噛んだ、小指が痛い~♪は1967年のヒット曲ですが、香港で出た北京語カバー「藍宝石之恋」のタイトルを訳せばサファイアの恋。♪あなたがくれたサファイアのイアリングを、あなたがいなくなっても愛の記念に付けてるわ~♪という感じ。張露は60年代に香港で活躍した上海出身の歌手。台湾ではセクシー歌唱が一世を風靡した姚蘇蓉が歌詞がビミョーに異なる「藍宝石之恋(sm28873839)」を出してました。
エミー・ジャクソン『涙の太陽』北京語版2…姚蘇蓉「請你緊緊抱着我」
♪ギ~ラ~ギ~ラ、太陽が~♪で始まる『涙の太陽』といえば、安西マリアの代表曲ですが、もとは1965年にエミー・ジャクソンが歌った英語の歌。もっとも作詞も作曲も日本人で、同じ年に青山ミチが歌う日本語版も出ましたが、日本語版が大ヒットしたのは73年に安西マリアが歌ってから。で、67年には台湾で鄧麗君(テレサ・テン)の「涙晒太陽(sm24679229)」と、姚蘇蓉の「請你緊緊抱着我(sm26799220)」という2つの北京語版が出て、その後マレーシアでは「帶走我的心(sm30981443)」も出ましたが、歌詞はどれも同じ。♪な~ぜ、な~ぜ♪の部分を♪Why Why~♪と歌っているので、エミー・ジャクソンのカバーなのでしょう。
森進一『女のためいき』北京語版4…劉鴻雁「我悔恨対你痴心」
『女のためいき』は1966年の森進一のデビュー曲。台湾や香港、シンガポールでは当時10数種類もの中国語カバーが出ましたが、最も代表的なのは、台湾の姚蘇蓉が67年に歌った「負心的人(sm24185307)」。涙を流して歌うステージが「退廃的」だと台湾政府は「負心的人」を禁止。それでも姚蘇蓉はステージで客のリクエストに応じて「負心的人」を歌ったため、69年に台湾政府から芸能活動を禁止され、香港に拠点を移す羽目に。で、それから20年経った中国で新たなカバー「我悔恨対你痴心」が出ましたが、歌詞は「負心的人」とほぼ同じ。ただし♪櫻紅的唇 火樣熱烈的吻♪(ピンクの唇に火のように熱いキス)という出だしは当時の中国では過激すぎたのか、最初の1行は異なります。