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【LAUGH DiAMOND】野崎小唄【やまだかのん・こむらさきももか】
カバー曲です。
これまでとは趣向を変えて、かのんさんの跳ね上げる歌い方をそのままでやってもらいました。
○楽曲情報
「野崎小唄」 作詞:今中楓渓 作曲:大村能章 創唱:東海林太郎 昭和10年
ボカロ動画→mylist/18930419
その他の動画→mylist/1378467
第1回『本来の「豊かさ」とは?』ねこささやなぎの閑話休題 season11「文化」についてふんわり考える(全4回)
語られざる日本文化を問い直し、日本人の本質に迫る小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIAL 日本人論』の発売を機に、ここで「文化」について考えてみよう!
といっても肩ひじ張った考察ではなく、あくまでも自分の生活実感などから「ふんわり」考えるというのが今回のコンセプト。
第1回は、3月26日の笹さんブログ「民俗学の資料から。」をきっかけとして語り始める。
https://www.gosen-dojo.com/blog/45954/
今の感覚では昔の家具と思われている「ちゃぶ台」だが、実は昭和10年代くらいまではまだ家庭に定着していなかった「未来の家具」だったことなど、普通の生活の歴史の中にも意外なことはいっぱい。
特に近年激変したのは通信手段。今ではスマホで何でも済ませてしまうが、ちょっと前までは「手紙」だった。
確かに便利にはなったのだろうが、それは「豊か」になったと言えるのだろうか?
NHK-FM 伊集院光の百年ラヂオ 2024年02月18日
幻の鳥・ブッポウソウ!生態放送の歴史
初回放送日: 2024年2月18日
今回は、【生態放送の歴史】と題して、
ラジオで放送された動物の鳴き声の特集です!
▽戦前のラジオで大ブーム!ラジオから
毎日野鳥の声が聴こえるぞ!?
▽正月に鳴り響くコケコッコ~~~!
▽昭和10年、幻の鳥・ブッポウソウに
日本が歓喜!?不可能を可能にした
放送マンの意地
▼ご意見・ご感想は番組ホームページから
お送りください!
出演:伊集院光、礒野佑子
ハチ公
忠犬ハチ公(ちゅうけんハチこう)は、日本の忠犬。大正末期から昭和初期にかけて、
東京市の渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわた
って通い続けて飼い主の帰りを待ったという逸話を残す。
犬種は秋田犬(あきたいぬ)で、性別はオス。名前はハチ。ハチ公の愛称でも知られる。
ハチが飼い主を待ち続けた渋谷駅の出入り口の前にはハチの銅像が設置されており、
この「忠犬ハチ公像」は渋谷のシンボルともなっている。観光名所としても有名である。
ハチの飼い主は東京帝国大学の教授である上野英三郎であった。彼は大変な愛犬家であり、出
かける時には渋谷駅までハチを伴うことも多かった。しかしながらハチを飼い始めた翌
年にあたる1925年(大正14年)に上野は急死した。
上野英三郎の死後も渋谷駅前で亡くなった飼い主の帰りを毎日待ち続けたハチの姿は、
新聞記事に掲載され、人々に感銘を与えたことから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになった。
さらに、1934年(昭和9年)には渋谷駅前にハチの銅像が設置されることとなり、その除
幕式にはハチ自身も参列した。
渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を
受けたり、子供のいたずらの対象となったりしていた。
一方、上野を迎えに渋谷駅に通うハチのことを知っていた日本犬保存会初代会長の斎藤
弘吉は1932年(昭和7年)、渋谷駅周辺で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチの事を
新聞に寄稿した。
その内容は人々の心を打った。ハチについては翌1933年(昭和8年)にも新聞報道され、
さらに広く知られるようになり、有名となったハチは「ハチ公」と呼ばれ、かわいがられるようになる。
ハチに食べ物を持参する者も多く現れるようになり、またその人気から渋谷駅はハチが
駅で寝泊りすることを許すようになった。
上野が死去してから10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、ハチは
渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口(現在の渋谷ストリーム駐車場
入り口付近)で死んでいるのを発見された。満11歳没。ここは渋谷駅の反対側で、普段
はハチが行かない場所であった。
ハチの死後、渋谷駅では12日にハチの告別式が行われ、上野の妻・八重や、富ヶ谷の
小林夫妻、駅や町内の人々など多数参列した。また、渋谷・宮益坂にあった妙祐寺の僧
侶など16人による読経が行われ、花環25、生花200、手紙や電報、更には180,200円を超
える香典など、人間さながらの葬儀が執り行われたという。
星の界_初出歌詞版
事故での怪我を理由に、千葉の山奥に住まわされたお金持ちの息子の元へ
借金のため売られた娘が、30町(約3.3km)の雪道を、星を見上げながら歩くときに口ずさむ感じの間を入れて、当時の歌詞で制作してみました。
コーラスを入れたのは、歌詞に
無窮の遠(おち)に
いざ其の星の界(よ) 究めも行(ゆ)かん
と、
果てしない宇宙のその縁へ真理を探しに旅しようと唄う子を
独唱すなわち一人でネットの宇宙に送り出すのは忍びないなと。
歩き出しは独りでも、サポートを付けたかった。
というのも、
果てしない宇宙の縁なんて行けるはずがないことは分かっている。
なのに歩き続けるんだと唄っているように聞こえるから。
そんなこと無駄じゃんと迷い歩き出せない僕らへ届くように。
そう聞こえたから、自分もいくよ・・ということでコーラスを。
星の界は詩人杉谷代水の作詞で1910年(明治43年)に発表された。
しかし今に歌われる歌詞は、1935年(昭和10年)から1950年(昭和25年)の間に一番の4行目 ”いざ其の星の界” が ”いざ其の星影” に変えられている。
理由は不明だが、その間 1941/12/8-1245/8/15は太平洋戦争があった。
そのため一番内に同じ言葉を繰り返すという詞の構造を損ねてまでの改変が、単純な間違いではなく、何かの意図があるとすれば、戦勝国の国旗に見られる”星”とその”世界”に抵抗したのではないか?
と自分は邪推する。ここは 星の界 と唄うほうが意味が通じるし、
代水の想いを曇りなく伝えることになると信じる。
2番の銀河のよみは、初出では”ぎんか”と読む。
この読み方は今でも名前で使われることがあるらしい。
このほうが響きがキラキラしていて(ギラギラでなく)良きと思う。
動画の最後は広島大学図書館教科書コレクション画像データベースからの
初出本の画像です。当時の色使い、フォント等の雰囲気をお楽しみください。
NHK-FM 伊集院光の百年ラヂオ 2023年09月24日
大人気!“マイクさん”とはいったい何者!?
アンコール 学校放送 マイクの旅
初回放送日: 2023年5月21日
今回は、【学校放送】の歴史を振り返りながら、
貴重な音源の数々をご紹介します。子どもに
戻った気持ちで番組をお楽しみください!
▽超貴重音源!昭和10年、アノ政治家が語る
子どもたちへの訓話
▽大人気!“マイクさん”とはいったい何者!?
▽71年前の仙台でござりす!
▼ご意見・ご感想は番組ホームページの
メッセージフォームからお送りください!
出演:伊集院光、礒野佑子
苗栗にある震災慰霊碑と君が代少年の墓をボロボロ日本語で探訪する【VOICEROID 結月ゆかり】
2023年08月11日、金曜日、天氣:晴れ。
明日の朝から清泉崗空軍基地で行われる航空祭を参加するために、今日は台湾中部の台中に一泊する予定です。途中苗栗を通るので、ついでに前回の動画で言った君が代少年のお墓や昭和10年震災の慰霊碑・記念碑を探訪しようと思います。
前回の動画を参照してください
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42556960
●動画リンク:
Youtube→https://www.youtube.com/watch?v=6Z4ETyh6aeM
Niconico→https://www.nicovideo.jp/watch/sm42622399
●立ち絵、挿し絵:
TPS視点ゆかり(blueberryさん)
カンペきりたん(デムサトさん)
いらすとや
●音楽、効果音:
Bonfire(An Joneさん)
Sunset Dream(Cheelさん)
効果音ラボ
●検索用タグ:台湾、日本統治時代、君が代少年、国歌少年、詹徳坤、詹德坤、新竹・台中地震
震災での犠牲が美談になった君が代少年をボロボロ日本語で語る【VOICEROID 東北きりたん】
「日本統治時代の内地旅行をボロボロ日本語で語る」の動画で、1935年(昭和10年)4月21日午前6時2分に起きた「新竹・台中地震」にちょっとだけ言及しました。その3,000人以上の犠牲者が出た大震災で、ある12歳の少年詹徳坤(せんとくこん)が犠牲になった後、「君が代少年」として一躍有名になった。
国立国会図書館『初等科国語 第3』
https://dl.ndl.go.jp/pid/1277105
●動画リンク:
Youtube→https://www.youtube.com/watch?v=2V0FY2X4_2s
Niconico→https://www.nicovideo.jp/watch/sm42556960
●立ち絵、挿し絵:
東北きりたんデフォルメ立ち絵(Nonameさん)
いらすとや
●音楽、効果音:
Birdseye Blues (Chris Haugenさん)
●検索用タグ:台湾、日本統治時代、君が代少年、国歌少年、詹徳坤、詹德坤
|ボロボロ日本語シリーズ|
mylist/69207343
尾瀬―山小屋三代の記 1984/04 by 後藤 允 (著)【アラ還・読書中毒】長蔵小屋に暮らし尾瀬を守った平野家の記録・水力発電(ダム)、道路建設計画を阻止。今の風光明媚は努力によって維持されてきた
平野長蔵 親子三代はつつましく
自然と共生する道を探してきた
四県の県境に尾瀬はある
水郷
願わくばあるがままの尾瀬の姿を維持したい。
長蔵・柚物乱獲、水力発電と激しく戦う 60才
二代目、長英·.明治36年~山守
三代目、長靖(ちょうせい)
自動車道陶止 三平峠で凍死 36歳
戰争
学者が実は賛成して(武田久吉)
利根発電:群馬県側を買収
県は道路建設
環境庁長官が歩いて、止めた
首一枚つながった
昭和10年 尾ヶダム計画
長英 出征
昭和46年大石長官
沼山も今はバスでしか入れない
鳩待峠も同じく
大石長官:国立公園にドライブウェイが通るのは良く無い。
国立公園の自然保護行政は弱い面があった。
田中角栄通産相
村は推進、国に散らばっている保護派を
尾瀬の自然を守る会
尾瀬の自然はかろうじて破壊から最後の一線で守られた。
マイカー規制:沼山峠側がゆるやか
後記
58年から3ヶ月74回の連載
「尾瀬 ひとと自然」
三代90年
東京の「江古田」植物化石層
長靖君とは高校以来の友人だった。
次男:大学生の時に水死
長男:北海道新聞に勤めるも、尾瀬に帰る。
お父さん以上に尾瀬を愛している。
沼渡船
尾瀬の熊はめったに襲ってこない
(熊目撃情報があった)
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Twitter
覗いてみてください
https://twitter.com/machigoma
戦前のご飯「かつおのたたき」(昭和10年(1935年))【レトロめし】
月曜見たのはコレです。
音楽:げきばん http://soundjewel.symphie.jp/product/...
おとわび https://otowabi.com/
NHK-FM 伊集院光の百年ラヂオ 2023年05月21日
学校放送 〜マイクさん登場〜
初回放送日: 2023年5月21日
今回は、【学校放送】の歴史を振り返り
ながら、貴重な音源の数々をご紹介します。
子どもに戻った気持ちで番組をお楽しみ
ください!
▽超貴重音源!昭和10年、アノ政治家が
語る子どもたちへの訓話
▽大人気!“マイクさん”とはいったい何者!?
▽71年前の仙台でござりす!
▼ご意見・ご感想は番組ホームページの
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出演:伊集院光、礒野佑子
どことなくノスタルジックなA列車で行こう9 #7【A列車で行こう9】
※この動画はテクスチャ改変MODを導入しています。※
お待たせしました。町の見せ方分かんないよぉ…。場合によっては来週もお休みしてしまうかもしれません…。
解説も入れる予定だったけどちょっと尺が余んなかったので別途動画にしようかとも考えたけど…なんか面倒なのでここで解説しますね。
まずはクハ68形。
これは、戦前の昭和10年代に製造された、20m級3扉セミクロスシートの旧型電車です。
所謂、51系電車と呼ばれるグループの車両ですね。
今回の塗装は、主に新潟地区で運用されていた塗装になります。
続いてモハ70形。
これは所謂70系と呼ばれるグループの電車で、戦後の昭和20年代後半から30年代前半に製造された3扉セミクロスシートの旧型電車です。
モハ70形は、このグループの中間電動車です。
この車両の塗装も、新潟地区で活躍していた頃の塗装です。
詳しく知りたい方は各自調べてみて下さい。
次⇒sm42273831
前⇒sm42149096
使用素材(敬称略)
立ち絵
さとうささら:めじろーす
GUMI:風絵/ハトモドキ
BGM・効果音
神隠しの真相:しゃろう
効果音ラボ:https://soundeffect-lab.info/
テクスチャ
吹田統合車両所
J.K.ハック
cAL-cAL
自作
公開中のテクスチャ:https://ux.getuploader.com/tifunea_texture/
Misskey:https://misskey.io/@tifunea
Twitter:https://twitter.com/tifunea_Vtuber
【民法、判例】大判昭和10年10月5日民集14巻1965頁(宇奈月温泉事件)【ゆっくり解説】
みなさん こんにちは。
宇奈月温泉!1回行ってみたいです!
※動画中に示す条項で特に言及のないものは民法のものです
☆チャンネル登録お願いします!
※お断り
・うp主は法律の実務家ではないので、実用性が低く内容の薄い理論的な話が多いです。予めご了承ください。
・なので、法律を既に学んだことのある方が見てもあまり有益ではありません。
・しかし法律を学んだことのない方の興味や関心をひくことができれば嬉しく思います。
・なお動画の内容の正確性を確保することに努めてはいますが、誤りがありましたらご指摘いただけると幸いです。
【略語】
大判→大審院判決
民集→最高裁判所民事判例集
※ただし、昭和20年以前のものについては、大審院民事判例集
【参考文献】
山田卓生、河内宏、安永正昭、松久三四彦「民法Ⅰ総則[第4版]」(有斐閣 2018年)
28~30頁
潮見佳男「民法(全)[第2版]」(有斐閣2019年)
5、6頁
大村敦志「権利の濫用(1)ー宇奈月温泉事件」(別冊ジュリスト237号:民法判例百選Ⅰ[第8版])4頁
田中實「権利の濫用ー宇奈月温泉事件」(別冊ジュリスト77号:民法判例百選Ⅰ[第2版])10頁
幾代通「宇奈月温泉事件ー権利の濫用」(別冊ジュリスト2号:判例百選Ⅰ[第2版])72頁
宇奈月温泉旅館協同組合HP
https://www.unazuki-onsen.com/
なお条文の検索は、e-gov(下記リンク)が便利です。
https://www.e-gov.go.jp/
【BGM】
「柔らかな嘘」
フリーBGM・音楽素材MusMus より
https://musmus.main.jp
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第54回・谷口雅春と生長の家(その①)
生長の家の開祖・谷口雅春は、1893年〈明治26年〉11月22日、兵庫県八部郡烏原村東所(現在の兵庫県神戸市兵庫区烏原町)に、新田義貞の血筋を引くと言われた谷口音吉と妻・つるの間に6子のうちの次男として生まれたが、4歳の時に、同じ谷口家の叔父の家に養子として引き取られ、優秀な成績のもと、大坂の旧制大阪府立市岡中学校を出た後、上京して早稲田大学英文科に進むが、女性のトラブルの為に途中退学し、神戸に帰省後、摂津紡績(現ユニチカ)の木津川工場で働き、そこでも付き合っていた遊女から性病を移され、また女性のトラブルで退職した後、紡績工場勤務時代の資本家に搾取される女工たちを見た体験や、性病で一命を落としそうになった体験から社会変革や神霊治療に興味を持ち始めたことがきっかけで、大正7年、大本教の本山である綾部を訪ね、その教えに心酔した上で翌年綾部に移住し、大本信者として入信した。
谷口雅春が大本にいたのは約3年間だったが、大正10年の第一次大本弾圧事件をはさみ、出口王仁三郎の側近の一人として霊界物語の朗読聞き取り記述を手伝ったり、大本系列の愛善新聞の出版局長を行ったりと、精力的にその宗教活動に協力した。
しかし、大正10年世界立替え説と言う、大正10年に世界が滅亡するという大胆な予言が外れ、その煽りがもとで第一次弾圧を受けることになった大本に失望し、一次弾圧事件の翌年の対象11年に大本で知り合い結婚した妻・輝子とともに大本をさることとなった。
その後、同じく大本を脱会した浅野和三郎の主宰する「心霊科学研究会」に一時期席を置いたが、その後は、神戸の養母の家に夫婦で居候しながら宗教雑誌への投稿と自費出版の執筆の日々にあけくれた。しかし、大量の投稿の内容が多くの読者に支持され、とうとう昭和5年には自主出版で月刊誌「生長の家」を創刊し、読者数も急増する中、5年後の昭和10年には宗教団体「教化団体生長の家」を創立し、それが今日に繋がる宗教法人「生長の家」へと発展していくのであった
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第50回・岡本天明と日月神【前編】
岡本天明は、1897年(明治30年)12月4日 - 岡山県浅口郡玉島(現、倉敷市玉島)で豪農であった家に、父岡本藤太郎、母弥栄の三人兄弟の二男として生まれたが、父親が酒造のビジネスに失敗した為に天明が17歳の時に神戸に移転し、その後、上京して明治大学の夜学に通ったが、学費を自分で稼ぐ為に栃木の足尾炭鉱や北海道の炭鉱で働いたが、生活が続かず、東京に戻った後、無一文であった為、神戸まで無銭旅行で帰る事となった。神戸に戻るとたまたま開かれていた大本の神戸講演会に参加し、そのまま大本に入信することとなった。大本に入ると、彼の画家としての美術的才能が認められ、大本が買収した大正日日新聞の美術記者として働くこととなり、その後、同社の系列の金沢の北国夕刊新聞の記者となり、一時期名古屋で大本とは無関係の名古屋新聞の記者となるが、その後、昭和5年1930年に東京に大本の世界愛善新聞社が出来ると出口日出麿の強い勧めで記者として入社することとなり、天明の東京生活が始まった。その後、天明は大本と提携した中国の道教系慈善団体・世界紅卍会にも入会し、フーチーという卜占法を学び、その中で天日津久神が千葉の麻賀多神社の境内で祀られてるという神示を得、同地に向かい、その神社を発見すると同時に初めての日月神示という自動書記現象を体験した。時は昭和10年の大本第二次弾圧事件を過ぎ、既に太平洋戦争末期の昭和19年になっていた。大本で自動書記を行った出口なおは艮の金神が憑依した時も記憶があったが、天明は自動書記が行われた時の記憶は無く、完全に天日津久神に体も意識も乗っ取られた状態で自動書記が行われた。しかし、日月神示は意味不明の文字記号の集合体で天明本人にも解読出来ず、天明の三番目の妻・三典による解析で解読は進むこととなった。天明が大本から独立して「ひかり教会」を創立し、日月神示の示す「大立て直し」の活動を始めたのは戦後2年後の昭和22年1947年になってからであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第37回・大本教と朝鮮半島
出口王仁三郎は、昭和10年1921年の第一次大本弾圧事件の後の入蒙以後からの5年間と、昭和10年1935年の第二次大本事件の2年前の1年間のトータル7年間に渡って自らが瞑想の中で見た霊界の様子を綴った
幽界物語全81巻を書き上げた。
大本では、霊界で起きた事件は大本で起き、さらに大本で起きたことは世界で起きると言う雛形論思想があり、故に幽界で起きた事は、たとえそれがいかに荒唐無稽な事であっても形を変えた比喩的な方法で大本、つまり顕界と言われる現実の世界でも形を変えて起こるのだと言う。
その幽界では、スサノオは天界より霊界のコーカサス地方に降臨し、カスピ海より西の中東からヨーロッパにかけての地域を統治していたが、数多くの邪神と戦う為に決意を新たにする為、母神のいる根堅洲国、つまり朝鮮半島に向かったが、その前に姉神のいる高天原、つまり、霊界における古代の富士山である綾部の弥仙山を訪ねたが、姉神天照は弟神が襲撃に来たと勘違いし、弟神スサノオが誠意を示すために姉神天照とカスピ海にて誓約を行う事となった。その後、スサノオは、根堅洲国である朝鮮に降り立ち、その地を長く治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に向かい、その後、オノコロ島と言われる日本列島を治めたと言う。
その霊界でのスサノオと朝鮮半島の歴史を反映するように、顕界、つまり現実世界の歴史では、大本の見解では、スサノオは、朝鮮半島のソシモリ、つまり、牛頭山である伽耶山に降り立ち、江原道を中心として伽耶を含む新羅を長らく治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に移り、日本の国造りに励んだと言う。
大本では、日本の古代国家は朝鮮の伽耶からの移民により成され、日本の皇統も檀君であるスサノオから続くものであり、日韓同祖論に基づく歴史観を持っている。
出口王仁三郎は、霊界で、ユダヤ人、トルキスタン人、コーカサス人、満蒙人、朝鮮人、日本人は同じセム語族に属するとという事実を見ており、一方、アラブ人、ペルシャ人、インド人、中国人はハム語族だとしている。
このセム語族説自体は王仁三郎の、霊界で見たとする妄想であるとしても、現在、日本の古代学者の間でも朝鮮南部の伽耶と呼ばれた地域から日本列島に移民した倭人たちが日本の古代国家を築いたのだというのは定説になりつつある。
しかし、この王仁三郎の霊界物語に始まる日韓同祖論は、その後、大本より派生した多くの平田神道系カルト教団にも引き継がれて行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第35回・第二次大本弾圧事件
1935年(昭和10年)12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を急襲した。当局は大本側が武装していると信じており、警官達は決死の覚悟であったが大本の施設をいざ急襲してみると、竹槍一本見つからず、幹部も信徒も全員が全くの無抵抗であった。王仁三郎は巡教先の松江市で検挙され、罪名は不敬罪並びに治安維持法違反。6日間の捜索で5万点の証拠品を押収し、取り締まりは地方の支部や関連機関にも及び、検束や出頭を命令された信徒は3000人に及び、最終的に987人が検挙され、318人が検事局送致、61人が起訴された。
この逮捕の後、特別高等警察の激しい拷問で起訴61人中16人が死亡している。
20名の信者が獄死あるいは発狂したと伝えられ、 異端審問とも言われた。王仁三郎の後継者と目された娘婿・出口日出麿は拷問により精神的異常をていし、王仁三郎は「日出麿は竹刀で打たれ断末魔の悲鳴あげ居るを聞く辛さかな」と辛い心境を詠った。しかし、こうした厳しい取調べにも関わらず転向者は少なく、王仁三郎・すみ夫妻のカリスマと人間性が信者達の抵抗を支えた。内務省警保局長の唐沢俊樹は京都府会議事堂で全国特高課長を集め「大本教は地上から抹殺する方針である」「わが国教と絶対相容れず、許すべからざる邪教」と宣言したが、翌日二・二六事件が勃発して現地視察も祝宴も取りやめとなった。つまり、第二次大本弾圧は226事件をまたいで行われたのだ。
後に同事件で逮捕・処刑された北一輝は大本と軍部の関係について訊問され、「大本教は邪霊の大活動」と述べて関連性を否定した。しかし、北は第二次大本弾圧の1週間前に王仁三郎にクーデター資金5億円を要求して断られており、しかも大本にも多くの皇道派将校が出入りしていたことから当局は一層大本と北の周辺を厳重に調査を進めていた。
しかし、当局が革新軍部と右翼勢力が大本事件に関係する可能性はなくなったと判断したためさらなる強硬手段を準備していた。
裁判前にも関わらず、政府は亀山城址にあった神殿をダイナマイトで爆破し、綾部や地方の施設も全て破壊、財産も安価で処分し、人類愛善会など大本関連団体も解散や活動停止に追い込まれ、出版物も全て発行禁止処分となった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第34回・昭和神聖会と昭和維新
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第33回大本教(その⑦)エスペラント語運動と王仁三郎の入蒙
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
日本統治時代の内地旅行をボロボロ日本語で語る【VOICEROID 紲星あかり、ついなちゃん】
1935年(昭和10年)4月、67歳の台湾台中人張麗俊(チョウレイシュン)が内地旅行しに行きました。旅の一部始終は彼の日記に記されて、今読んでも当時の旅を追体験できます。台湾北部の基隆から船で九州門司に上陸してから熊本・大分・広島・大阪・兵庫・京都・愛知・東京・栃木などところを巡っていた。名所を探訪したり、工場を見学したり、博覧会を回ったり、名人に会ったり、突発的な事件が起きたり、20日以上の長期旅行の期間中に喜怒哀楽なんでもありました。今回はこの旅を振り返りたいと思います。
今回は台詞の文字数が漫画一冊の量を超えて、手の疲れ具合が仕事みたいになってしまいました……
●動画リンク:
Youtube→https://www.youtube.com/watch?v=UMizzAp2EWs
Niconico→https://www.nicovideo.jp/watch/sm40879917
●立ち絵、挿し絵:
SD役ついな(しのびぃ~さん)
いらすとやさん
國立台灣大學圖書館數位典藏館台灣舊照片資料庫
國家文化記憶庫
臺灣記憶Taiwan Memory - 國家圖書館
臺灣驛站之旅
長崎大学附属図書館(中央図書館)
国立国会図書館
●音楽、効果音:
Temptation(Chris Haugenさん)
●検索用タグ:台湾、日本統治時代、張麗俊、水竹居主人日記、林熊徵、許丙、許瑛子、新竹・台中地震、近海郵船、大和丸、大阪商船、蓬莱丸、佐藤吉治郎、榊原辻太郎
|ボロボロ日本語シリーズ|
mylist/69207343
【軍歌】軍艦八雲の歌【NEUTRINO-AIきりたん】Japanese Military song ''Song of the Warship Yakumo''
昭和10年代のアルバムから発見されたという「練習艦隊 軍艦八雲の歌」の旋律と歌詞から、僭越ながら伴奏を付けさせて頂きました。
詳しくはこちらの「軍艦 浅間・八雲 艦歌復元プロジェクト!」http://kaigungunso.blog.fc2.com/blog-entry-65.htmlをご覧ください。
歌無しバージョンはこちら→https://youtu.be/cM7pwz-8dgc
1.
時維れ非常時皇国の
海上国防第一線
踏み出したる候補生
数多乗組み実習の
務は重き我が八雲
練習艦隊我が八雲
2.
出雲八重垣そのかみの
武神の功に劣らじと
日露日独戦役に
樹てし勲は輝きて
誉は高き我が八雲
練習艦隊我が八雲
3.
海国日本海軍の
選りすぐりたる丈夫は
世界の海を経廻て
艦の務めに勤しめる
武運は長き我が八雲
練習艦隊我が八雲
立ち絵 東北きりたん
アルタウ様→https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8046973?
NEUTRINO ダウロードページ
→https://n3utrino.work/#library
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)
平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。
安治川トンネル
安治川で忘れてならないのが、河底トンネルである「安治川トンネル」の存在であろう。日本初の、沈埋工法によるトンネルである。
安治川の両岸は特に往来が盛んで渡船航路も多数あったが、安治川での各渡船運航は困難を極めた。と言うのも、安治川は河川舟運の重要航路で運搬船が頻繁に行き交い、渡船はその航路を横に遮るからである。一方で船舶の高さ限界との関係から、架橋も容易でない。可動橋案も出たが、やはり舟運との兼ね合いで却下となった。
このため昭和初期、全国でも類を見ない河底トンネルが計画された。特に渡航量の多かった源兵衛渡跡に1935年(昭和10年)から建設が始められ、戦時中供出された鉄材を受けてまで工事は進み、1944年(昭和19年)に竣工した。約14m下にある川面下の通路まで、両岸のエレベーターや階段で降りる方式。かつては人用の他に車両用エレベーターもあった(排ガス問題などにより1977年に閉鎖され、ゴンドラの入口が封鎖された状態で残されている。車両用エレベーターを閉鎖した後にスロープ型のトンネルに改造する計画があったものの、地元住民の了解が得られず頓挫したという説もある)が、安治川への架橋が進んだ現在では、歩行者・自転車用のみが両岸1台ずつ運行されている。歩行者・自転車用の通路は幅約2m、長さ約80mになっている。渡船と同じく無償で、朝夕のラッシュ時には1時間あたり約250人の利用者があると言われている。なお、エレベーター運行は午前6時から午後11時まで(冬季は午後10時まで)。但し階段は24時間開放されている。階段にスロープは無い。
現在、防犯面などを考慮して両岸のエレベーターには運転者がついている。しかし大阪市の財政難などから、エレベーターを無人化して代わりに防犯カメラを増設する計画が出ている。
両岸にはエレベーターのための塔がそれぞれ立っており、JR西日本大阪環状線西九条駅~弁天町駅間の安治川鉄橋からなどの遠方でもよく見える。
アクセス
最寄交通機関(北側):大阪環状線・阪神西大阪線(2009年延伸線開通後は阪神なんば線に改称)の西九条駅から南へ300~400m。
最寄交通機関(南側):安治川トンネル前バス停(幹84)すぐあるいは地下鉄中央線九条駅北西約550メートル
住所
北側:大阪市此花区西九条2-1
南側:大阪市西区安治川1-2
エレベータ運転開始時刻 夏季(5月1日~10月31日)6時00分/冬季(11月1日~4月30日)7時00分
エレベータ運転終了時刻 夏季(5月1日~10月31日)23時00分/冬季(11月1日~4月30日)22時00分
エレベータ運転間隔 随時運転
AIきりたん「瀬戸内海」文部省唱歌
昭和10年の尋常小学校5,6年生向け唱歌です。
「瀬戸内海」という文部省唱歌は他にも数種類あるようですがこれは個人的に好きなものです。
音源もあまり出回ってないのでNEUTRINOで歌ってもらいました。
日本教育唱歌研究会編『最新昭和小学唱歌伴奏』(日本唱歌出版)、
国会図書館デジタルコレクションより
西尾幹二氏 反日派を論破 字幕つき
西尾 幹二(にしお かんじ、1935年(昭和10年)7月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家。ニーチェの研究でしられる。学位は文学博士(東京大学)。
“特撮の神様” 円谷英二監督が撮影 「かぐや姫」フィルム発見
2021年7月7日 18時54分
ウルトラマンやゴジラで知られ「特撮の神様」と呼ばれた円谷英二監督が、昭和10年にカメラマンとして撮影した映画「かぐや姫」のフィルムが、イギリスで見つかりました。
長年、所在が分からなくなっていた作品で、専門家は「特撮で知られる円谷英二のルーツをうかがい知るうえで欠かせないフィルムだ」としています。
今回、発見されたのは、円谷英二監督が昭和10年にカメラマンとして撮影した映画「かぐや姫」のフィルムで、75分の作品を、イギリスへの輸出向けに再編集した33分の短縮版です。
光り輝く竹からかぐや姫があらわれる様子を、フィルムを重ね合わせて映し出す「多重合成」という手法で幻想的に表現したシーンや、ミニチュアの船が嵐に襲われる迫力あるシーンなど、当時の先端的な特殊撮影技術を駆使して製作されています。
公開以降、フィルムの所在が分からなくなっていましたが、当時、現地の日本人などに向けて輸出したイギリスで短縮版が保存されているのが見つかり、国立映画アーカイブが交渉の末、複製を手に入れたということです。
このフィルムは、ことし9月4日と5日に国立映画アーカイブで上映されることになっています。
国立映画アーカイブの大傍正規主任研究員は「若き日の円谷英二が、当時の先端的な技術を貪欲に取り入れている。創作のルーツを知るうえで欠かせないフィルムだ」と話していました。
きりたんの昭和回顧録【昭和10年】
ようこそ! 昭和回顧録へ!
いよいよ二桁突入です!
完全に私事ですが、最近引っ越しをしまして、身の回りの状況がガラリと変わりました。
そのためしばらくの間は、更新間隔が安定しない可能性もあります。
むしろ安定する可能性もあります。
ご了承いただければ幸いです。
では、ごゆっくりとお楽しみください!
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回顧目録 → mylist/70366107
YouTube版 → https://youtu.be/_Vf0Mtn6J_Y
シリーズ一話マイリスト → mylist/69322831
試作品マイリスト → mylist/69322827
更新情報とか質問とかツイッター → https://twitter.com/suzakatsuki
~お借りしたもの~
キャスト:東北きりたん、東北イタコ、琴葉葵
立ち絵:blueberry様(SD東北きりたん、SD東北イタコ、SD東北ずん子、SD結月ゆかり)、りんどう様(ボイロミニキャラ後ろ姿素材)、空どうふ様(口のない東北長女次女立ち絵素材)
背景:Pixabay様
小物類:パブリックドメインQ様
いらすとや様
ジャパンアーカイブズ https://jaa2100.org/index.html
氷都八戸物語 http://hyoto.city.hachinohe.aomori.jp/index.php
BGM:こんとどぅふぇ HiLi様
OP ほいっぷ!インストゥルメンタル
BGM 散歩道、お昼寝まくら、ボクの旅立ち、シーサイド・クッキー、わんわんといっしょ、ゆめものがたり、せまりくるものっ
効果音:魔王魂様
On-Jin ~音人~様
※リンク情報などは、マイリストの説明欄にて補足しています。
【昭和メドレー13単品】ぴにゃの狸囃子【比較あり】【昭和10年/14年】
まず昭和メドレー13を見てくれ→sm38654269
戦前の国産アニメ
塙団右衛門化物退治の巻(無声版:1935年 音声つき:1939年)
の一部の再現トレースものです。
お借りしたものはコンテンツツリーと
リードオルガン まお(はばねら)様
他昭和メドレー単品
音無小鳥【水戸黄門】→sm38637582
デリンジャー【キャッツアイ】→sm38675449
イベント参加作品:mylist/70617180
制作物マイリス→(mylist/25841714)
【西成会津屋】昭和8年創業 たこ焼き元祖の店
会津屋本店
住所:https://goo.gl/maps/wrVxJsR8ZiLo4fQC9
価格:元祖たこ焼き15個 620円
玉子焼き 12個 600円
ねぎ焼 12個 600円
ねぎ玉子焼き12個 700円
元祖ラヂオ焼き12個 600円
ラヂ玉焼き 12個 700円
昭和8年、たこ焼きの元祖、ラヂオ焼(子供のおやつ)の屋台を大阪で始めたのが会津屋。
昭和10年、たこ焼きを開発。昭和11年に、赤幕に白文字の「たこ焼き」のれんが完成。
会津屋はシンプルで旨味のあるジューシーなたこ焼きをソースもかけず、
そのまま食べるスタイル。サイズ自体も小ぶりで、昔ながらのたこ焼きを楽しめます
佐原秋の大祭 ~2年前の本日(10月13日)大楠公山車巡行の折にお受けした諏訪神社の御神札と秋の大祭の思い出と共に、皆様に普く御神徳が降り注ぎますように~
どうしても本日中(日付は替わりましたが)に配信致したく、深夜での配信となりましたもので、スッピンで失礼をしております。
2年前の平成30年10月13日、(社)楠公研究会関東支部の塩原様、丹野様より佐原秋の大祭へお招きを賜り、「一般社団法人楠公研究会特別企画~ユネスコ世界遺産認定・大楠公、小楠公の山車観覧~佐原の大祭」と題しまして、関東支部初の楠公研究会を開催、有難く、参列させていただきました。
この日は折からの雨模様でありましたが、私共が佐原駅に到着した途端に雨が上がり、夕方には今まで見た事の無き美しい夕焼けが現れ、人々を大いなる感動に浸らせました。
東関戸区の皆様からは、『一般社団法人楠公研究会御一行様御歓迎』の垂れ幕を特別なお計らいにてお造りくださり、大歓迎を頂きました。
また、私共の夕食会場であった『呑処すずき』の前に、大楠公山車をお停めくださり、『手踊り』と佐原囃子の節による『桜井の訣別(青葉繁れる桜井の)』を歌ってくださり、感無量でした。
大楠公の山車を曳く『東関戸区』の皆様から、とても温かいご歓待を賜り、皆様のお気持ちに感激と感謝で胸がいっぱいでした。
小森様、菅井様を始め、温かい御歓迎を賜りました東関戸区の皆様に心より厚く御礼を申し上げます。
ユネスコ無形文化遺産指定の佐原の大祭、伝統の山車。
そして、佐原の重要伝統的建造物群保存地区の町並。
大楠公、小楠公の手拭いをお土産と致しました。
この人形は、昭和10年に、恐らくは大楠公六百年祭に際して造られたものと考えられます。
それまでの人形は天狗様であったとか。
昭和10年に大楠公の人形を造られる折に参考にされたのが、湊川神社宝物殿に収められている横山大観の「大楠公像」との事。
横山大観の「大楠公像」も同じく昭和10年に湊川神社に寄贈されているのが、非常に興味深いところです。
確かに、横山大観の大楠公像とお顔がそっくりで、なるほどと思わせられました。
今年はコロナ禍の為に秋の大祭は中止となりましたが、来年こそは、小森様、菅井様を始め、佐原の皆様と必ず再会させていただくべく、秋の大祭に再訪させていただきます。
大変お世話になりました関東支部の塩原様、丹野様、東関戸区の小森様、菅井様、誠にありがとうございました!
今後とも引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
岐阜県赤坂町 矢橋工業青年学校
「岐阜県赤坂町 矢橋工業青年学校」と記された絵葉書8枚です。
現在の岐阜県大垣市赤坂町。青年学校は昭和10年の青年学校令によって設置され、昭和20年の戦時教育令によって授業が無期限停止されました。この絵葉書の青年学校は矢橋工業が設置したものと思われますが、詳細不明です。
動画の内容は以下の通りです。
新築中の矢橋工業青年学校
矢橋工業青年学校・分列式
矢橋工業青年学校・疎開戦闘教練
矢作工業青年学校・合同体操
矢橋工業青年学校・閲兵
金生山より矢橋大理石工場を望む
矢橋大理石工場の内部
矢橋大理石工場原石置場の一部