キーワード 昭和10年 が含まれる動画 : 201 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)
平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第34回・昭和神聖会と昭和維新
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第33回大本教(その⑦)エスペラント語運動と王仁三郎の入蒙
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第54回・谷口雅春と生長の家(その①)
生長の家の開祖・谷口雅春は、1893年〈明治26年〉11月22日、兵庫県八部郡烏原村東所(現在の兵庫県神戸市兵庫区烏原町)に、新田義貞の血筋を引くと言われた谷口音吉と妻・つるの間に6子のうちの次男として生まれたが、4歳の時に、同じ谷口家の叔父の家に養子として引き取られ、優秀な成績のもと、大坂の旧制大阪府立市岡中学校を出た後、上京して早稲田大学英文科に進むが、女性のトラブルの為に途中退学し、神戸に帰省後、摂津紡績(現ユニチカ)の木津川工場で働き、そこでも付き合っていた遊女から性病を移され、また女性のトラブルで退職した後、紡績工場勤務時代の資本家に搾取される女工たちを見た体験や、性病で一命を落としそうになった体験から社会変革や神霊治療に興味を持ち始めたことがきっかけで、大正7年、大本教の本山である綾部を訪ね、その教えに心酔した上で翌年綾部に移住し、大本信者として入信した。
谷口雅春が大本にいたのは約3年間だったが、大正10年の第一次大本弾圧事件をはさみ、出口王仁三郎の側近の一人として霊界物語の朗読聞き取り記述を手伝ったり、大本系列の愛善新聞の出版局長を行ったりと、精力的にその宗教活動に協力した。
しかし、大正10年世界立替え説と言う、大正10年に世界が滅亡するという大胆な予言が外れ、その煽りがもとで第一次弾圧を受けることになった大本に失望し、一次弾圧事件の翌年の対象11年に大本で知り合い結婚した妻・輝子とともに大本をさることとなった。
その後、同じく大本を脱会した浅野和三郎の主宰する「心霊科学研究会」に一時期席を置いたが、その後は、神戸の養母の家に夫婦で居候しながら宗教雑誌への投稿と自費出版の執筆の日々にあけくれた。しかし、大量の投稿の内容が多くの読者に支持され、とうとう昭和5年には自主出版で月刊誌「生長の家」を創刊し、読者数も急増する中、5年後の昭和10年には宗教団体「教化団体生長の家」を創立し、それが今日に繋がる宗教法人「生長の家」へと発展していくのであった
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第50回・岡本天明と日月神【前編】
岡本天明は、1897年(明治30年)12月4日 - 岡山県浅口郡玉島(現、倉敷市玉島)で豪農であった家に、父岡本藤太郎、母弥栄の三人兄弟の二男として生まれたが、父親が酒造のビジネスに失敗した為に天明が17歳の時に神戸に移転し、その後、上京して明治大学の夜学に通ったが、学費を自分で稼ぐ為に栃木の足尾炭鉱や北海道の炭鉱で働いたが、生活が続かず、東京に戻った後、無一文であった為、神戸まで無銭旅行で帰る事となった。神戸に戻るとたまたま開かれていた大本の神戸講演会に参加し、そのまま大本に入信することとなった。大本に入ると、彼の画家としての美術的才能が認められ、大本が買収した大正日日新聞の美術記者として働くこととなり、その後、同社の系列の金沢の北国夕刊新聞の記者となり、一時期名古屋で大本とは無関係の名古屋新聞の記者となるが、その後、昭和5年1930年に東京に大本の世界愛善新聞社が出来ると出口日出麿の強い勧めで記者として入社することとなり、天明の東京生活が始まった。その後、天明は大本と提携した中国の道教系慈善団体・世界紅卍会にも入会し、フーチーという卜占法を学び、その中で天日津久神が千葉の麻賀多神社の境内で祀られてるという神示を得、同地に向かい、その神社を発見すると同時に初めての日月神示という自動書記現象を体験した。時は昭和10年の大本第二次弾圧事件を過ぎ、既に太平洋戦争末期の昭和19年になっていた。大本で自動書記を行った出口なおは艮の金神が憑依した時も記憶があったが、天明は自動書記が行われた時の記憶は無く、完全に天日津久神に体も意識も乗っ取られた状態で自動書記が行われた。しかし、日月神示は意味不明の文字記号の集合体で天明本人にも解読出来ず、天明の三番目の妻・三典による解析で解読は進むこととなった。天明が大本から独立して「ひかり教会」を創立し、日月神示の示す「大立て直し」の活動を始めたのは戦後2年後の昭和22年1947年になってからであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第37回・大本教と朝鮮半島
出口王仁三郎は、昭和10年1921年の第一次大本弾圧事件の後の入蒙以後からの5年間と、昭和10年1935年の第二次大本事件の2年前の1年間のトータル7年間に渡って自らが瞑想の中で見た霊界の様子を綴った
幽界物語全81巻を書き上げた。
大本では、霊界で起きた事件は大本で起き、さらに大本で起きたことは世界で起きると言う雛形論思想があり、故に幽界で起きた事は、たとえそれがいかに荒唐無稽な事であっても形を変えた比喩的な方法で大本、つまり顕界と言われる現実の世界でも形を変えて起こるのだと言う。
その幽界では、スサノオは天界より霊界のコーカサス地方に降臨し、カスピ海より西の中東からヨーロッパにかけての地域を統治していたが、数多くの邪神と戦う為に決意を新たにする為、母神のいる根堅洲国、つまり朝鮮半島に向かったが、その前に姉神のいる高天原、つまり、霊界における古代の富士山である綾部の弥仙山を訪ねたが、姉神天照は弟神が襲撃に来たと勘違いし、弟神スサノオが誠意を示すために姉神天照とカスピ海にて誓約を行う事となった。その後、スサノオは、根堅洲国である朝鮮に降り立ち、その地を長く治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に向かい、その後、オノコロ島と言われる日本列島を治めたと言う。
その霊界でのスサノオと朝鮮半島の歴史を反映するように、顕界、つまり現実世界の歴史では、大本の見解では、スサノオは、朝鮮半島のソシモリ、つまり、牛頭山である伽耶山に降り立ち、江原道を中心として伽耶を含む新羅を長らく治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に移り、日本の国造りに励んだと言う。
大本では、日本の古代国家は朝鮮の伽耶からの移民により成され、日本の皇統も檀君であるスサノオから続くものであり、日韓同祖論に基づく歴史観を持っている。
出口王仁三郎は、霊界で、ユダヤ人、トルキスタン人、コーカサス人、満蒙人、朝鮮人、日本人は同じセム語族に属するとという事実を見ており、一方、アラブ人、ペルシャ人、インド人、中国人はハム語族だとしている。
このセム語族説自体は王仁三郎の、霊界で見たとする妄想であるとしても、現在、日本の古代学者の間でも朝鮮南部の伽耶と呼ばれた地域から日本列島に移民した倭人たちが日本の古代国家を築いたのだというのは定説になりつつある。
しかし、この王仁三郎の霊界物語に始まる日韓同祖論は、その後、大本より派生した多くの平田神道系カルト教団にも引き継がれて行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第35回・第二次大本弾圧事件
1935年(昭和10年)12月8日、警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を急襲した。当局は大本側が武装していると信じており、警官達は決死の覚悟であったが大本の施設をいざ急襲してみると、竹槍一本見つからず、幹部も信徒も全員が全くの無抵抗であった。王仁三郎は巡教先の松江市で検挙され、罪名は不敬罪並びに治安維持法違反。6日間の捜索で5万点の証拠品を押収し、取り締まりは地方の支部や関連機関にも及び、検束や出頭を命令された信徒は3000人に及び、最終的に987人が検挙され、318人が検事局送致、61人が起訴された。
この逮捕の後、特別高等警察の激しい拷問で起訴61人中16人が死亡している。
20名の信者が獄死あるいは発狂したと伝えられ、 異端審問とも言われた。王仁三郎の後継者と目された娘婿・出口日出麿は拷問により精神的異常をていし、王仁三郎は「日出麿は竹刀で打たれ断末魔の悲鳴あげ居るを聞く辛さかな」と辛い心境を詠った。しかし、こうした厳しい取調べにも関わらず転向者は少なく、王仁三郎・すみ夫妻のカリスマと人間性が信者達の抵抗を支えた。内務省警保局長の唐沢俊樹は京都府会議事堂で全国特高課長を集め「大本教は地上から抹殺する方針である」「わが国教と絶対相容れず、許すべからざる邪教」と宣言したが、翌日二・二六事件が勃発して現地視察も祝宴も取りやめとなった。つまり、第二次大本弾圧は226事件をまたいで行われたのだ。
後に同事件で逮捕・処刑された北一輝は大本と軍部の関係について訊問され、「大本教は邪霊の大活動」と述べて関連性を否定した。しかし、北は第二次大本弾圧の1週間前に王仁三郎にクーデター資金5億円を要求して断られており、しかも大本にも多くの皇道派将校が出入りしていたことから当局は一層大本と北の周辺を厳重に調査を進めていた。
しかし、当局が革新軍部と右翼勢力が大本事件に関係する可能性はなくなったと判断したためさらなる強硬手段を準備していた。
裁判前にも関わらず、政府は亀山城址にあった神殿をダイナマイトで爆破し、綾部や地方の施設も全て破壊、財産も安価で処分し、人類愛善会など大本関連団体も解散や活動停止に追い込まれ、出版物も全て発行禁止処分となった。
西尾幹二の世界 第三回【西村幸祐放送局】
■西尾幹二(にしおかんじ) 評論家
昭和10年(1935)東京生まれ。東京大学文学部独文科卒。同大大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーの研究で知られる。西欧との比較に基づく文化論、教育、歴史など幅広い評論活動を展開している。また新しい歴史教科書を作る会初代会長を務める。著書に『ヨーロッパ像の転換』(新潮社)、『ヨーロッパの個人主義』(講談社現代新書)、『ニーチェとの対話』(講談社現代新書)、『国民の歴史』(扶桑社)、『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)、『三島由紀夫の死と私』(PHP)、『GHQ焚書図書開封』(徳間書店)、『天皇と原爆』(新潮社)他多数。
西尾幹二全集(国書刊行会)
http://www.kokusho.co.jp/np/result.html?writer_id=11491
ブログ「西尾幹二のインターネット日録」
http://www.nishiokanji.jp/blog/
●西村幸祐放送局 http://broadcast.kohyu.jpn.com
●西村幸祐 公式 http://kohyu.jpn.com
●西村幸祐 公式ブログ http://kohyu.jpn.com/blog
●西村幸祐 連絡フォーム http://kohyu.jpn.com/contact.html
NHK-FM 伊集院光の百年ラヂオ 2024年02月18日
幻の鳥・ブッポウソウ!生態放送の歴史
初回放送日: 2024年2月18日
今回は、【生態放送の歴史】と題して、
ラジオで放送された動物の鳴き声の特集です!
▽戦前のラジオで大ブーム!ラジオから
毎日野鳥の声が聴こえるぞ!?
▽正月に鳴り響くコケコッコ~~~!
▽昭和10年、幻の鳥・ブッポウソウに
日本が歓喜!?不可能を可能にした
放送マンの意地
▼ご意見・ご感想は番組ホームページから
お送りください!
出演:伊集院光、礒野佑子
NHK-FM 伊集院光の百年ラヂオ 2023年05月21日
学校放送 〜マイクさん登場〜
初回放送日: 2023年5月21日
今回は、【学校放送】の歴史を振り返り
ながら、貴重な音源の数々をご紹介します。
子どもに戻った気持ちで番組をお楽しみ
ください!
▽超貴重音源!昭和10年、アノ政治家が
語る子どもたちへの訓話
▽大人気!“マイクさん”とはいったい何者!?
▽71年前の仙台でござりす!
▼ご意見・ご感想は番組ホームページの
メッセージフォームからお送りください!
出演:伊集院光、礒野佑子
NHK-FM 伊集院光の百年ラヂオ 2023年09月24日
大人気!“マイクさん”とはいったい何者!?
アンコール 学校放送 マイクの旅
初回放送日: 2023年5月21日
今回は、【学校放送】の歴史を振り返りながら、
貴重な音源の数々をご紹介します。子どもに
戻った気持ちで番組をお楽しみください!
▽超貴重音源!昭和10年、アノ政治家が語る
子どもたちへの訓話
▽大人気!“マイクさん”とはいったい何者!?
▽71年前の仙台でござりす!
▼ご意見・ご感想は番組ホームページの
メッセージフォームからお送りください!
出演:伊集院光、礒野佑子
東方昭和伝 第十六章「昭和維新への道」第三幕:二・二六事件へ
本章のモブ役ですが、妖忌は荒木貞夫、こーりんは真崎甚三郎、霖之助は渡辺錠太郎です。鈴木貫太郎の家の画像は高橋是清邸のものです。鈴木邸は終戦時に焼かれてしまいなかった…
※訂正:34分30秒頃「日米合同対支財団の定義」と「仏ソ相互援助条約」で昭和10年が1930年となってますが、1935年の間違いです。
第一幕sm12970865 第二幕sm12970891 次章「帝都激震(前編)」sm13171699
貴志康一『日本スケッチ』『日本組曲』より(1934)
貴志康一(明治42年/1909年-昭和12年/1937年) 指揮:貴志康一 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 昭和10年録音 『交響組曲「日本スケッチ」』(昭和09年/1934年) ① 市場 00:00 ② 夜曲 03:05 ③ 面 11:40 ④ 祭り 16:20 『日本組曲』(昭和09年/1934年) ③ 道頓堀 26:00 ⑤ 花見 32:43
西尾幹二の世界 第一回【西村幸祐放送局】
知の巨人、西尾幹二の全存在が明らかになりつつあります。
厖大な著作を完璧に網羅するこの全集は、人々を知性の冒険と感性の探究に誘ってくれます。
20代のデビュー当時の研ぎ澄まされた評論から、70代後半を迎え、なお新しい分野に挑戦し続ける現在の著作まで、西尾氏の闘う知性の全容が、この全集に集積されているのは言うまでもありません。
この企画では、その巨大な知と感性の森に分け入り、混迷する現在の日本に、これからの座標軸と私たちの立ち位置を明らかにする探検のお手伝いができればと思っています。(西村幸祐)
■西尾幹二(にしおかんじ)評論家
昭和10年(1935)東京生まれ。東京大学文学部独文科卒。同大大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーの研究で知られる。西欧との比較に基づく文化論、教育、歴史など幅広い評論活動を展開している。また新しい歴史教科書を作る会初代会長を務める。著書に『ヨーロッパ像の転換』(新潮社)、『ヨーロッパの個人主義』(講談社現代新書)、『ニーチェとの対話』(講談社現代新書)、『国民の歴史』(扶桑社)、『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)、『三島由紀夫の死と私』(PHP)、『GHQ焚書図書開封』(徳間書店)、『天皇と原爆』(新潮社)他多数。
西尾幹二全集(国書刊行会)
http://www.kokusho.co.jp/np/result.html?writer_id=11491
ブログ「西尾幹二のインターネット日録」
http://www.nishiokanji.jp/blog/
日本統治時代の内地旅行をボロボロ日本語で語る【VOICEROID 紲星あかり、ついなちゃん】
1935年(昭和10年)4月、67歳の台湾台中人張麗俊(チョウレイシュン)が内地旅行しに行きました。旅の一部始終は彼の日記に記されて、今読んでも当時の旅を追体験できます。台湾北部の基隆から船で九州門司に上陸してから熊本・大分・広島・大阪・兵庫・京都・愛知・東京・栃木などところを巡っていた。名所を探訪したり、工場を見学したり、博覧会を回ったり、名人に会ったり、突発的な事件が起きたり、20日以上の長期旅行の期間中に喜怒哀楽なんでもありました。今回はこの旅を振り返りたいと思います。
今回は台詞の文字数が漫画一冊の量を超えて、手の疲れ具合が仕事みたいになってしまいました……
●動画リンク:
Youtube→https://www.youtube.com/watch?v=UMizzAp2EWs
Niconico→https://www.nicovideo.jp/watch/sm40879917
●立ち絵、挿し絵:
SD役ついな(しのびぃ~さん)
いらすとやさん
國立台灣大學圖書館數位典藏館台灣舊照片資料庫
國家文化記憶庫
臺灣記憶Taiwan Memory - 國家圖書館
臺灣驛站之旅
長崎大学附属図書館(中央図書館)
国立国会図書館
●音楽、効果音:
Temptation(Chris Haugenさん)
●検索用タグ:台湾、日本統治時代、張麗俊、水竹居主人日記、林熊徵、許丙、許瑛子、新竹・台中地震、近海郵船、大和丸、大阪商船、蓬莱丸、佐藤吉治郎、榊原辻太郎
|ボロボロ日本語シリーズ|
mylist/69207343
【ゆっくり朗読】 ドグラ・マグラ 0010
ゆっくり朗読『ドグラ・マグラ』其の10。祭文歌や例の論文などが纏められた書類まで。参考程度にと、刊行当時の昭和10年と、本書内時代の大正14~15の貨幣価値を調べてみました……が、正確なのが無かったので近い年代をば。日銀のFAQで見ました昭和2年の1円は、平成15年でいう580円だそうです。しかし昭和2年は金融恐慌が起きた年でもあり、その上本書内容に近い大正12年には関東大震災も起きております。一応、ソースは定かではありませんが、大正7年の1円は、(2007年)現在の1750円という話も有りますが、なかなか正確な数値を掴むことはできませんでした。不完全燃焼でスイマセン。あ、次回から投稿アカが変わります。 前⇒sm16817245 次⇒sm16817507 最初⇒sm16695849 マイリスト⇒mylist/30200029
【ゆっくり朗読】 ドグラ・マグラ 0009
ゆっくり朗読『ドグラ・マグラ』其の9。祭文歌の概要説明まで。いまさらですが、本書の背景をば。本書が刊行されたのは1935年、昭和10年1月に夢野久作が10年以上かけて構想・執筆されました。昭和10年1月と言えば、エルヴィス・プレスリーが誕生した年月でもあります(浜村淳も同様)。その時代にこの小説が誕生していたという事を加味すれば、より一層この小説の深みを味わえると思います。 前⇒sm16817193 次⇒sm16817338 最初⇒sm16695849 マイリスト⇒mylist/30200029
佐原秋の大祭 ~2年前の本日(10月13日)大楠公山車巡行の折にお受けした諏訪神社の御神札と秋の大祭の思い出と共に、皆様に普く御神徳が降り注ぎますように~
どうしても本日中(日付は替わりましたが)に配信致したく、深夜での配信となりましたもので、スッピンで失礼をしております。
2年前の平成30年10月13日、(社)楠公研究会関東支部の塩原様、丹野様より佐原秋の大祭へお招きを賜り、「一般社団法人楠公研究会特別企画~ユネスコ世界遺産認定・大楠公、小楠公の山車観覧~佐原の大祭」と題しまして、関東支部初の楠公研究会を開催、有難く、参列させていただきました。
この日は折からの雨模様でありましたが、私共が佐原駅に到着した途端に雨が上がり、夕方には今まで見た事の無き美しい夕焼けが現れ、人々を大いなる感動に浸らせました。
東関戸区の皆様からは、『一般社団法人楠公研究会御一行様御歓迎』の垂れ幕を特別なお計らいにてお造りくださり、大歓迎を頂きました。
また、私共の夕食会場であった『呑処すずき』の前に、大楠公山車をお停めくださり、『手踊り』と佐原囃子の節による『桜井の訣別(青葉繁れる桜井の)』を歌ってくださり、感無量でした。
大楠公の山車を曳く『東関戸区』の皆様から、とても温かいご歓待を賜り、皆様のお気持ちに感激と感謝で胸がいっぱいでした。
小森様、菅井様を始め、温かい御歓迎を賜りました東関戸区の皆様に心より厚く御礼を申し上げます。
ユネスコ無形文化遺産指定の佐原の大祭、伝統の山車。
そして、佐原の重要伝統的建造物群保存地区の町並。
大楠公、小楠公の手拭いをお土産と致しました。
この人形は、昭和10年に、恐らくは大楠公六百年祭に際して造られたものと考えられます。
それまでの人形は天狗様であったとか。
昭和10年に大楠公の人形を造られる折に参考にされたのが、湊川神社宝物殿に収められている横山大観の「大楠公像」との事。
横山大観の「大楠公像」も同じく昭和10年に湊川神社に寄贈されているのが、非常に興味深いところです。
確かに、横山大観の大楠公像とお顔がそっくりで、なるほどと思わせられました。
今年はコロナ禍の為に秋の大祭は中止となりましたが、来年こそは、小森様、菅井様を始め、佐原の皆様と必ず再会させていただくべく、秋の大祭に再訪させていただきます。
大変お世話になりました関東支部の塩原様、丹野様、東関戸区の小森様、菅井様、誠にありがとうございました!
今後とも引き続き、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
きりたんの昭和回顧録【昭和10年】
ようこそ! 昭和回顧録へ!
いよいよ二桁突入です!
完全に私事ですが、最近引っ越しをしまして、身の回りの状況がガラリと変わりました。
そのためしばらくの間は、更新間隔が安定しない可能性もあります。
むしろ安定する可能性もあります。
ご了承いただければ幸いです。
では、ごゆっくりとお楽しみください!
sm38733383 ← 前 次 → sm38901207
回顧目録 → mylist/70366107
YouTube版 → https://youtu.be/_Vf0Mtn6J_Y
シリーズ一話マイリスト → mylist/69322831
試作品マイリスト → mylist/69322827
更新情報とか質問とかツイッター → https://twitter.com/suzakatsuki
~お借りしたもの~
キャスト:東北きりたん、東北イタコ、琴葉葵
立ち絵:blueberry様(SD東北きりたん、SD東北イタコ、SD東北ずん子、SD結月ゆかり)、りんどう様(ボイロミニキャラ後ろ姿素材)、空どうふ様(口のない東北長女次女立ち絵素材)
背景:Pixabay様
小物類:パブリックドメインQ様
いらすとや様
ジャパンアーカイブズ https://jaa2100.org/index.html
氷都八戸物語 http://hyoto.city.hachinohe.aomori.jp/index.php
BGM:こんとどぅふぇ HiLi様
OP ほいっぷ!インストゥルメンタル
BGM 散歩道、お昼寝まくら、ボクの旅立ち、シーサイド・クッキー、わんわんといっしょ、ゆめものがたり、せまりくるものっ
効果音:魔王魂様
On-Jin ~音人~様
※リンク情報などは、マイリストの説明欄にて補足しています。
【日韓併合前後の朝鮮⑤】朝鮮の飢餓とコメ不足は日本が救った
当時の新聞には、日本から朝鮮へ米を送っていたという記事がある。1935年(昭和10年)8月21日東亜日報:「日本内地払下米 朝鮮へ逆移入 政府米払下を要望」とある。
第1回『本来の「豊かさ」とは?』ねこささやなぎの閑話休題 season11「文化」についてふんわり考える(全4回)
語られざる日本文化を問い直し、日本人の本質に迫る小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIAL 日本人論』の発売を機に、ここで「文化」について考えてみよう!
といっても肩ひじ張った考察ではなく、あくまでも自分の生活実感などから「ふんわり」考えるというのが今回のコンセプト。
第1回は、3月26日の笹さんブログ「民俗学の資料から。」をきっかけとして語り始める。
https://www.gosen-dojo.com/blog/45954/
今の感覚では昔の家具と思われている「ちゃぶ台」だが、実は昭和10年代くらいまではまだ家庭に定着していなかった「未来の家具」だったことなど、普通の生活の歴史の中にも意外なことはいっぱい。
特に近年激変したのは通信手段。今ではスマホで何でも済ませてしまうが、ちょっと前までは「手紙」だった。
確かに便利にはなったのだろうが、それは「豊か」になったと言えるのだろうか?
戦え!!新戦艦高千穂 ウォーシッフガンナー2
航空戦艦『伊勢』『日向』(光人社NF文庫)の中で紹介されていた架空戦艦『新戦艦高千穂』を再現してみた。設定は全長200メートルだが、とても納まらないので長門と同じ船体を使用。艦載機は水上偵察機と攻撃機で計16機となっているがこれも無理、偵察機『瑞雲』1機のみとした。昭和10年代の冒険小説『新戦艦高千穂』は現在パール文庫より読みやすいように表記変えされ刊行されている。そんな高千穂に攻撃の激しいステージ(キューバ海域)で戦ってもらう。参考資料:航空戦艦『伊勢』『日向』(光人社NF文庫)『新戦艦高千穂』パール文庫 mylist/44191564
尾瀬―山小屋三代の記 1984/04 by 後藤 允 (著)【アラ還・読書中毒】長蔵小屋に暮らし尾瀬を守った平野家の記録・水力発電(ダム)、道路建設計画を阻止。今の風光明媚は努力によって維持されてきた
平野長蔵 親子三代はつつましく
自然と共生する道を探してきた
四県の県境に尾瀬はある
水郷
願わくばあるがままの尾瀬の姿を維持したい。
長蔵・柚物乱獲、水力発電と激しく戦う 60才
二代目、長英·.明治36年~山守
三代目、長靖(ちょうせい)
自動車道陶止 三平峠で凍死 36歳
戰争
学者が実は賛成して(武田久吉)
利根発電:群馬県側を買収
県は道路建設
環境庁長官が歩いて、止めた
首一枚つながった
昭和10年 尾ヶダム計画
長英 出征
昭和46年大石長官
沼山も今はバスでしか入れない
鳩待峠も同じく
大石長官:国立公園にドライブウェイが通るのは良く無い。
国立公園の自然保護行政は弱い面があった。
田中角栄通産相
村は推進、国に散らばっている保護派を
尾瀬の自然を守る会
尾瀬の自然はかろうじて破壊から最後の一線で守られた。
マイカー規制:沼山峠側がゆるやか
後記
58年から3ヶ月74回の連載
「尾瀬 ひとと自然」
三代90年
東京の「江古田」植物化石層
長靖君とは高校以来の友人だった。
次男:大学生の時に水死
長男:北海道新聞に勤めるも、尾瀬に帰る。
お父さん以上に尾瀬を愛している。
沼渡船
尾瀬の熊はめったに襲ってこない
(熊目撃情報があった)
---------------------------------
Twitter
覗いてみてください
https://twitter.com/machigoma
【西成会津屋】昭和8年創業 たこ焼き元祖の店
会津屋本店
住所:https://goo.gl/maps/wrVxJsR8ZiLo4fQC9
価格:元祖たこ焼き15個 620円
玉子焼き 12個 600円
ねぎ焼 12個 600円
ねぎ玉子焼き12個 700円
元祖ラヂオ焼き12個 600円
ラヂ玉焼き 12個 700円
昭和8年、たこ焼きの元祖、ラヂオ焼(子供のおやつ)の屋台を大阪で始めたのが会津屋。
昭和10年、たこ焼きを開発。昭和11年に、赤幕に白文字の「たこ焼き」のれんが完成。
会津屋はシンプルで旨味のあるジューシーなたこ焼きをソースもかけず、
そのまま食べるスタイル。サイズ自体も小ぶりで、昔ながらのたこ焼きを楽しめます
E-6甲ラスト 鳳翔さんと龍驤ちゃんで水上打撃S勝利
決戦支援のダメージがいまいちでもラストダンスを一発クリア!
やはり一航戦(昭和10年時)は格が違った!!
今回は運が良かっただけだけど、
前回冬イベに比べて、編成に遊びを入れられる分
今イベの難易度が良心的なのは間違いないと思う。
ブラック企業めいた艦隊名は艦これRPGの大惨事表に全責任がある。
「映画」 丹下左膳余話 百萬両の壺 (昭和10年製作) 11/12
昭和10年製作の映画です。
前→sm9672710
次→sm9673190
映画マイリスト→mylist/17568861
戦え!!戦艦大和計画時 計画符号A-140A1 ウォーシップガンナー2
戦艦大和の計画案のひとつ、『A-140-A1』を設計してみた。大和の計画案は昭和10年3月10日から昭和12年3月末の間にA-140からA-140-F6まで実に24種の計画案が出され、実際の大和はA-140-F6計画に基づいて建造された。主砲は計画段階では、防諜上の問題から40センチとされていた。参考資料:『戦艦入門』光人社 『戦艦大和』双葉社
【劇場版】のらくろ二等兵「教練の巻・演習の巻」(昭和10年/1935年)
なんてこったい、普通に面白いじゃないか
#0:00~ 教練の巻
#5:00~ 演習の巻
「映画」 丹下左膳余話 百萬両の壺 (昭和10年製作) 10/12
昭和10年製作の映画です。
前→sm9672481
次→sm9673019
映画マイリスト→mylist/17568861
「映画」 丹下左膳余話 百萬両の壺 (昭和10年製作) 7/12
昭和10年製作の映画です。
前→sm9671877
次→sm9672292
映画マイリスト→mylist/17568861