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ニコニコ登山祭 ♪♪ 「信仰の山 小方行者山299m」〜 石佛の参道を行く 広島県大竹市
大竹市の信仰の山 小方行者山。標高299m. 今回登山祭に合わせてようやく登山した山。 山頂までと探索で途中までと合わせて2回登ったわ^^;。
初稿は非公開のままだったので修正した上で再うP 長いよ。
場所はgoogleMap記載の玖波行者山の西側の小方にある山ですが、大竹市小方のゴルフ練習場もぐ太くんの西側にある堰堤から登った山。山名Google Mapには出てないね。
南側に亀居城がある。地図上の新幹線の線路あたりよりは南側で記載がない場所。真下に高速が見える。
旧山陽道の間宿・小方にある山で、聞くところでは今も神社を氏子さんが守っておられるそうです。
詳細は不明ながら元々修験道系の山のようですね。
山道が参道で玖波行者に比べ道が歩きにくい部分があったね。ルートはしっかりしている。
小方行者山 広島県大竹市小方 今も地元に守られた信仰の山でした。
撮影 LUMIX G9Pro 足元が悪いので上手く撮れなかった・・。
音楽 ニコニコモンズより ソタカ様 田中芳典様の曲をお借りしました。
広告御礼申し上げます(=^ェ^=)
龍休宗庵様
春乃あさみ ♤様
中華三振様
deco様
しづ様
nopposan様
うつ病女「太陽系デスコ歌ってみた」
廿日市可愛と大竹玖波は幼馴染。他人に興味を示す廿日市と他人に興味がない大竹は相性が悪いと思われていたが廿日市の唯我独尊な一面に大竹はいつも振り回されていた。
廿日市の最近の興味は先日クラスの江田島さんが転校していったきり元気のない呉くんの様子だった。廿日市は呉くんの元気を取り戻させるために大竹を従え走り回る。太陽系は今ダンスルームになろうとしていた。
「ところで恋ってなにかしら!?」
「……知らん」
ご本家:太陽系デスコ/ナユタン星人 sm30469574
mylist/73384700
Voicepeak【フリモメンと行く神社巡り2】 西国街道に御鎮座「黒川 大歳神 社」 〜 広島県大竹市 テスト用(別音声)
フリモメン版 ようつべ用なんだけど テストなんで今週いっぱい公開にしてみます
こういう寺社動画には声はどっちが合うんだろうか?
内容は一緒です^^
広島県の神社巡りその2 広島県西端の大竹市黒川。旧街道西国街道筋に面した神社。
玖波宿と小方間宿(主に一時的休息に使われた宿場)との中間に位置する旧黒川村の鎮守。時代の波に翻弄されながら今も静かに鎮座しています。なかなか良い。
広島岩国道路建設(正式にはバイパス扱いなんだけど、まあ山陽道ね)により大歳の杜を切り開き遷座している。
祭祀は玖波大歳神社さんで兼務
神社案内ガイドはフリモメン(voice peak)さんです。音声案内は最小限にとどめております。
テスト投稿2 フリモメンのご案内による神社参拝記。
できるだけ声を抑え目にしてナレーション重視で調整。
こまめにプロジェクト保存しないとたまに落ちたり、自動保存はしてくれない注意だよん。
趣味的には音楽だけの方が、場所柄 ここだとより静寂の雰囲気はあるかな。
ただ音声が入るとわかりやすい(読むことに集中しなくて良い)
Voicepeak【彩澄りりせと行く神社巡り2】 西国街道に御鎮座「黒川 大歳神 社」 〜 広島県大竹市
広島県の神社巡りその2 広島県西端の大竹市黒川。旧街道西国街道筋に面した神社。
玖波宿と小方間宿(主に一時的休息に使われた宿場)との中間に位置する旧黒川村の鎮守。時代の波に翻弄されながら今も静かに鎮座しています。なかなか良い。
広島岩国道路建設(正式にはバイパス扱いなんだけど、まあ山陽道ね)により大歳の杜を切り開き遷座している。
祭祀は玖波大歳神社さんで兼務
神社案内ガイドは彩澄りりせちゃん(voice peak)さんです。音声案内は最小限にとどめております。
テスト投稿2 りりせさんのご案内による神社参拝記。
できるだけ声を抑え目にしてナレーション重視で調整。
こまめにプロジェクト保存しないとたまに落ちたり、自動保存はしてくれない注意だよん。
趣味的には音楽だけの方が、場所柄 ここだとより静寂の雰囲気はあるかな。
ただ音声が入るとわかりやすい(読むことに集中しなくて良い)
信仰の里山< 玖波(くば)行者山 展望の行者堂までの山行 >【1分弱登山祭2022 】ガイド音声入
初参加ですよろしく!。
すいません最初に作った数本は要領得ないんでなんか長くなった。
大竹市玖波 江戸時代までは近世の西国街道 広島藩領西端の宿場町として栄えたところ。
この山麓に石鎚本教の教会があり今でも現役の修験道の山です(そこが管理されていると思う)。
やはり寄進とかないと大変なんでしょうね。昔に比べるとだいぶ痛んでいますね。デフレ30年地方の寺社の疲弊はひどいものですよ。
今回は丁塚を見ながら=西山社〜登拝登山道〜禊場〜行者堂までを登った。
ナビゲーター=Siriちゃんです。
通常コースタイムは山頂まで数回登りましたが3〜40分程度と思う。
今回8合目までだがここも木がない分 相当展望が良いです。
ここは昔から駅から近いし眺めがよろしいので結構登ってます
里山散策です。R4.4.24
山は海から程近く急峻に見えるがあややあれ加減ながら意外に登りやすい。登山靴が良いです。
標高は323.5mほどの里山であるが、古来修験の山として知られ今も石鎚本教の行場である。
山頂には頂上社 石鎚神社の祠がある。
主要コースは以下
*西山社(本日のコース)からの参道コース
*石鎚本教の教会・社殿裏から正面を岸壁の下を迂回しつつ上るルート(鎖場は修行用なので使用不可)
*谷和林道から玖波槍(岩峰)へ尾根伝いに灌木が茂る中を抜けるコース、
*西山社を過ぎ憩いの森へ至り途中から玖波槍と行者山の間に抜ける(灌木やシダの間を抜け
る)また黒川地区の大膳川の渓谷沿いに錦龍の滝をへても憩いの森へ入れる。
もし行かれる方がいれば登山ガイドなどよく調べてね。足元良くないところも多いので。
音楽 ニコニ・コモンズ のる様作
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
坂道のカフェ。.*:+☆軽快でおしゃれなピアノソロ
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
玖波 大歳神社と神生(みあれ)石(西国街道 玖波宿の鎮守) 広島県大竹市 記録
広島藩(芸州藩)西端の宿場 玖波(クバ)宿のすぐ近くに、行者山麓の鎮座する。行者山は修験道の山で現在は石鎚神社系の修験道の山である。ハイカーがよく訪れる山でもある。
玖波(クバ)大歳神社=恵川の傍に鎮座し、後ろは行者山がある。鎮守の森がこん森している。
やや山側には山陽新幹線、神社の南には広島岩国道路(山陽自動車道へ接続)の橋脚があり現代と古いものが混在している。
社殿は昭和42年コンクリート再建(拝殿は流造、向拝付瓦葺き、神殿は神明作り銅板葺)昭和20年の枕崎台風以来3度の大きな風水害で痛み再建されたものだ。
社殿は白を基調にしていて造りも自然な感じなので意外に周囲の感じとあっていると思い悪くはない。
また神社の社殿の横には神の降り来る磐座が今も祀られており神生石(みあれいし)として鎮座している。社殿はこの祭祀対象の石を避けて横へのちに建立されてきたものらしい。
ここ玖波と周防の山里=山代地方(今の岩国市になる)の生見は昔から縁が深いようです。御幣が玖波から山代の生見まで飛んでいったというようなお話もの残る。また岩国の堅石明神(御神体の大岩がある)の縁起にもここの神社が出てくるらしい。
玖波(クバ)について余談
この玖波という地区は古くは古代山陽道 遠管駅家が置かれた場所といわれ古代から安芸の国西部のにおける交通の要衝の一つであった。
厳島にも近く瀬戸内の海運の港として、玖波谷へ山から降る道は周防山代など山間部地域から物資の降ってくるルートとして用いられたようだ。現代では役目を終え静かな町でわずか昔の面影を残す。
今は海が近く国道2号線が走りますが、昔は海側に道が無く廿日市から山越えで鳴川の石畳(遺跡がある)を抜け鉾の峠〜から唐船浜を経て馬試しの山をこえて玖波宿へ入っていようである。今はうま試しの山には隧道が通り玖波宿へ(旧道)また海側はおそらく削られ国道2号が開通している。江戸時代までは山側に旧山陽道が通っていた。
*神社の歴史などは玖波大歳神社サイトと大竹歴史研究会サイトを参照させていただいた。人
なかなか詳しいです。
【夏の瀬戸内の青い海】宮島と本土の海峡 狭隘部 大野瀬戸、西端の下灘〜鳴川海岸
観光では見ない安芸の宮島(厳島)の別の顔。夏の瀬戸内の青い海と島。
1廿日市の大野瀬戸と呼ばれる厳島と本土の海峡の最短部分。島の浜辺は室浜海岸である。
2下灘〜鳴川の海岸 よくマリンスポーツや海釣りをしている人がいる国道2号線沿いの浜辺あ〜宮島の最西端部分を眺める。西側のコンビナートは隣の大竹市の重化学工業のもの。
鳴川を越えると昔でいえば旧山陽道の玖波宿である
国境の小瀬川を見下ろす御社「瀬田八幡宮」 山口県玖珂郡和木町
山口県玖珂郡和木町にある神社。県境の川小瀬川を見下ろす山上にあり、弘治年間にはすでにあったといわれ(記録が焼失し創建の詳細不明)。吉川広正公の時代寛永年間に再興され現本殿は正徳年間に再建である。
本殿=山口県指定重要文化財。
麓には幕末の四境の役(第二次長州征伐)の芸州口の戦いで幕府正規軍VS長州軍の攻防の場所。記念石碑もあり、歴史の舞台でもあった。ちなみにこの先の大竹市の玖波宿は長州軍により灰塵に期した。
県道135号線沿い。御朱印あり。
最後 字幕がうまくできてないですが・・そのままにしときます^^;
西国街道 玖波宿を出て〜黒川へ向けての高台から海の景色 (広島県大竹市)
昔の西国街道は玖波宿を出ると山麓を黒川村〜小方村〜さらに苦の坂をこえ小瀬川河畔の木野へ出ていた。開発が進み山麓は道路と住宅街となり昔の街道筋はわからなくなっている。
ガイドブックなどでは大筋街道沿いの山裾をゆく道を紹介しており、高台なので景色がよく雰囲気も良い。恵川を越え坂を登った病院があるところから海を眺めた様子。
この辺りは廿日市から山陽自動車道沿いに走る、国道2号線の混雑を避ける抜け道になっており意外に車が多い。転々と景色のいい場所がある。
ここを抜けると黒川あたりに出て亀居城北側を抜け大竹駅方面や山越で立戸(途中動物の彫刻が可愛い河内神社がある)から小瀬川河畔の採石場のある場所にでれる(この間見てきたのでまた動画あげます)
信仰の山 玖波行者山 山麓からの風景 広島県大竹市
西国街道玖波宿後にある 行者山 山頂には小祠の石鎚神社がある。現在も息づく修験道の山である。ハイカーも手頃な展望の良い山として多いところ。西国街道散策ついでに玖波谷と河口から眺めてきた。
ここは10回以上登ってる。登りやすいし、岩や、展望、お堂など盛りだくさん。
本当は登りたいんでだけど・・体調崩してから無理なんだよね。
本土側から撮影した宮島(厳島のを眺め)の色々〜 阿品、経小屋山、下灘 夜の月掛かる宮島の山〜
昔の登山の時の写真、最近の阿品海岸からの映像、玖波へ入る手前の下灘(たぶん)海岸から夕焼けと厳島にかかる月。
音楽はのる様の曲を利用させていただいています。KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
晴海臨海公園(宮島海峡を望む海に面した公園)と小方港 広島県大竹市
ローカルスポット。宮島の海峡の西端に面した臨海公園と小方港散策。廿日市のおおの自然観察の森へ森林浴へ行こうとしたが林道通行止めで行けず 大竹に回る。
大竹市玖波の錦龍の滝も通行止めらしいので、国道2号線近くの小方港方面へ。
宮島の隣 阿多多島(牡蠣やはまち養殖などで有名)への航路などが出ている港、漁船なども停泊している。防潮堤では釣り人などもいましたね。
傍には晴海臨海公園があり散策や球技など運動やウオーキングができる デイキャンプも可能らしい。
県がコロナ緊急事態で散策のみおkでありました。瀬戸の島や山が見えて悪くはない。晴れてれば良いでしょうな。海の傍だが木陰がないので夏は暑そうw
西側入り口〜東入り口へ一回りして景色を眺めただけの記録。ストーンアートなどもありました。弥栄ダム建設時に出た岩石を使い市内各所にあるらしい。
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」と桜(5分咲き) 後編(公園南側入り口〜亀居城城跡本丸へ)
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城である。
完成後間も無くわずか3年余りで幕府の命令により破却された城。あまりに大規模な堅城であったのが、災いしたのかもしれませんね。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。
元々は小方白と言われていたが山が亀の甲羅のような形なので亀居と呼ばれるようになった。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程=JR玖波駅で下車〜駅から西へまっすぐに国道2号沿いに進み(この方が早い)〜黒川地区から間の宿(あいのしゅく、休憩などに使われた宿場)小方(おがた)へ入り〜陸橋を越え線路向こうの西念寺横を抜けて城跡公園入り口(松の丸辺り)〜松の丸〜なしの丸、有の丸〜三の丸〜二の丸〜本丸展望所。
小方あたりには古代山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。海側から道はあまり広くなく坂がキツい。山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。北側には山陽自動車道が走る。
南は海、堀を巡らし、北側は急峻な山があり、西は山陽道苦の坂の難所があり要害の地であった。
4月初め再訪したので別に桜満開の補遺編をあげます。
お城歴史的な事項に関しての情報〜 公園掲示板、大竹歴史研究会記事より参照。
福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
補遺編 亀居城 満開の花模様 sm38557402
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」と桜 前編(JR玖波駅〜亀居城公園へ入るまで)
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城。
完成後間も無くわずか3年余りで幕命ににより破却された城。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。現在公園から離れた海側の「妙見丸」には厳神社がある。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程前半部分=JR玖波駅で下車〜駅から西へまっすぐに国道2号沿いに進み(この方が早い)〜黒川地区から間の宿(あいのしゅく、休憩などに使われた宿場)小方(おがた)へ入り〜陸橋を越え線路向こうの西念寺横を抜けて城跡公園入り口(松の丸辺り)まで。小方あたりには旧山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。
道はあまり広くなく坂がキツい。ちょいと長いので分けた。ようつべにあげたものを増補改訂した。
山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。
後編は城跡や桜を散策します。sm38555020
補遺編(満開の時期の様子) sm38557402
浄土宗 知海山 西念寺 追記=調べ直してみた。厳島光明院の運誉上人が破却された亀居城址のあたりに隠棲念仏修行されていたところ。民衆は大変上人を慕い、領民からの嘆願があり上人を尊崇していた領主の福島正則が元和元年(1615年)旧城内にあった圓通寺の建物を寄進して移築し西念寺としたようです。大楠は樹齢は四百年だそうです。
幕末長州征伐のおりは長州軍が占拠し幕府軍により砲撃がありその跡もああるそうです。
大竹歴史研究会記事、西念寺HPより参照。
西国街道を行く 芸州藩 西端の宿場 <玖波宿〜小方間宿跡鍵型の辻を散策する>(2)
大体(ほぼ、大まかに)西国街道散策。西国街道(旧山陽道)は京都から下関までを芸州藩では西国街道とよんだ江戸時代の五街道に次ぐ主要街道の一つ街道。広島城下をでて廿日市宿についで芸州藩の玖波宿は正式な最後の宿場であった。
隣の小方は間ノ宿で(基本休息用に利用され、補完的に収容しきれない場合宿泊なども受け持った)と言われる。
江戸末期、廿日市宿もそうだが玖波宿や小方宿も長州征伐の時、長州毛利藩により攻撃され本陣以下街並みが 灰燼に帰したと言います。再建の古い町並みは建て代わりあまり残っていないですが、小方あたりもいくらか残っている。昭和的な古い町並みがある。
旧黒川村〜小方・間宿入り口には大きく折れ曲がった鍵型の道がある。このあたりから白壁の古い町屋などいくつか見られる。終点は 芭蕉のけごろもの句碑(俳諧愛好家が元禄時代建立)まで。その先は高速インターを作る道路工事が行われつつあった。
ガイドブックを片手に西国街道の道筋(開発等で道筋が消えている部分もあるので景色の良さそうなところを)だいたいその辺という程度で散策ウオーキングして行きました。
大竹方面へ行った折に11月12月に二回くらいに分けて散策しています。
訂正=芭蕉の裘の句碑150回忌記念ですから元禄時代ではなく天保年間建立です。
次は、草津間宿あたりを再訪してみたいですね。
西国街道を行く 芸州藩 西端の宿場 <玖波宿〜小方 付近を散策する>(1)
大体(ほぼ、大まかに)西国街道散策。西国街道(旧山陽道)は江戸時代の街道。広島城下をでて廿日市宿についで玖波宿は芸州藩の正式な最後の宿場であった。
隣の小方は間ノ宿で(基本休息用に利用され、補完的に収容しきれない場合宿泊なども受け持った)と言われる。
江戸末期、廿日市宿もそうだが玖波宿も長州征伐の時、長州毛利藩により攻撃され本陣以下街並みが 灰燼に帰したと言います。町は幕末以後再建された。
玖波の街道筋はすぐ南側は海であった。本陣も大変美しい建物だったようで文人墨客が宿泊したり文化の華が咲いたと言われたが幕末失われた。町家的な古い町並みも今は建て代わりあまり残っていない。
白壁の建物や蔵、高札場跡や共同井戸(行者山の行者が水垢離などもした)などがわずかに風情を残す。
海岸沿いには今は国道2号線がありますが、昔は山側に街道がつけられていた。
今回は映してないが「馬試し」の山が東の宿場入り口にあり(今はトンネルがある)、街並みの中ほどの旧本陣あたりからから山側へ街道は通り(JR線路下を抜け)浄土宗 称名寺前から山裾を西へ抜けていたらしい。
今回歩いたルート=行者山の風景を見ながら駅前〜恵川に出て〜線路を超え、新広島八十八箇所二番霊場前〜川を渡り〜病院のある岡へ上がり(上がり切った所を直進し高速高架の向こう山へ入ると行者山の 西山社がある)〜岡を左折し景色を眺めながら進む。昔の街道筋の道は開発で消えている。
ガイドブックを片手に西国街道の道筋(開発等で道筋が消えている部分もあるので景色の良さそうなところを)だいたいその辺という程度で散策ウオーキングして行きました。
大竹方面へ行った折に11月12月に二回くらいに分けて散策しています。
その二 小方宿へ sm38009566
山陽自動車道の傍の側道から 晩秋の厳島の海峡の眺め 広島県廿日市市
旧山陽道付近〜宮島の眺め。錦帯橋へ行くので、国道2号線から阿品台を抜け旧道に入り〜廿日市市の西にある宮浜温泉を過ぎ、大竹市玖波へ抜ける 迂回路からの眺め。抜け道は狭いのだが車の交通は結構多いです。真後ろの少し上には山陽自動車道が走ります。
この辺は大雑把に言いますと旧山陽道(西国街道)が走っていた場所の近くです。
「大野浦を これかととえばやまなしの かたえの紅葉色に出つつ」 今川了俊
<室町時代初期九州探題の今川了俊がこの辺りを九州へ向かう途中詠んだという歌らしいです
南朝方を殲滅し九州を鎮圧する室町幕府の最高司令官でした>
大野浦駅近くを通過した時よく見えそうな場所から大内氏の門山城跡の山をしたから眺めて写真を撮ったのでまたあげます。昔何回か登山で行きました。
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)」里の風景(広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、(山越えで)苦の坂峠を越えますと 広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いにある山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
車載でまず走り。次いで小瀬川沿いに山が迫る木野の里の景観や旧跡を見て歩いた。
木野の渡し場と古い町並み編 sm35994416
2019 早春
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)の渡し場跡」と古い街並み情緒 (広島県大竹市)画質改良
西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、苦の坂峠を越えますと広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いの山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
昔の街並みが少し残る通りや厳島神社、史跡の渡し場など川沿いの山が迫る独特の景観などを見て歩いた。
対岸の小瀬(岩国市)集落にはかつて一里塚などあったらしい。
今は吉田松陰「夢路にも帰らぬ関をうち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」の歌碑が静かに流れる川を見つめている(揮毫は元宰相 岸信介)
この和歌いいですよね。 2019 早春
小瀬からは山道が小瀬峠を越えて岩国の関戸宿へと続いていた。今は新しく車道に変わり狭隘ながら車で越えることもできる 近くに関々バイパスのトンネルもできている。岩国錦帯橋、新岩国駅方面へ行くには近道になっている。
大竹の(JR玖波駅辺り)玖波宿あたりも古い家並みが少し残っているけどここの木野の方が街並みがいいですね。小瀬峠の向こう岩国の関戸へも行きましたがほとんど残っていません。 客神社や吉田松蔭東遊記念石碑、本陣の崩れかけた土塀が往時を偲ばせるだけです。
<秋の電車旅>山陽本線 瀬戸内の車窓風景 前編 (玖波駅手前〜徳山駅まで行きます)改訂版2
山陽本線電車車窓風景 前編 やや高画質化しました。
山陽本線の海などが綺麗なルート 景色の良さそうなところ動画にしてみました。
前編は 山陽本線 広島県西部宮島口の先大野浦駅を過ぎたあたり
玖波駅の少し手前、(宮島との海峡部分)宮島など海の景色が綺麗に見えるあたりから始まります。
〜玖波〜大竹〜和木〜岩国〜南岩国〜通津〜藤生〜由宇〜神代〜大畠まで
岩国駅を過ぎて大畠駅までは海が見えるところも結構あって景色がよろしい。
神代〜大畠駅間が大島大橋や島々が見えて釣り船が浮かび電車に乗ると一番見どころかな。
乗るたびに見入ってしまいます。
大島大橋の映像追加忘れていたので追加しました。旧大畠町(現柳井市)遠崎からみたものです。
駅で云うと柳井港駅から少し東側あたりになります。
注)今川了俊=室町初期の武将。足利義満に仕えた。九州探題(九州の南朝方征伐の総司令官)でした。
後編(大畠駅〜柳井港〜柳井〜田布施〜岩田〜島田〜光〜下松〜櫛ヶ浜〜徳山)=sm34213951
西国街道行く 鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿,〜小方宿(間の宿)へ 総集編
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=廿日市市の西端 大野鳴川〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜〜玖波(くば)宿跡〜黒川を経て
小方(間の宿跡)までのロングバージョン
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
玖波宿=安芸国最後の宿場(隣の小方の休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みをまだ残している。
間の宿(あいのしゅく)=正規の宿場本陣などがいっぱいの場合、脇本陣などへ宿泊をさせたそうです。
厳(いつき)神社=厳宮(ごんのみや)大明神と呼ばれた古社。かては福島正則の亀居城本丸あたりにありましたが廃城となり妙見丸跡に遷座された。城が忘れさられても社は今に残りました。
その昔、厳島のお島周り式(島を回り七つの浦の神社で神事をする)御烏喰式(おとぐい)式というのがあり養父崎で団子を筏で流し神烏(おがらす)が取りに来るんだそうですが現れない場合は、厳宮(ごんのみや)出しといいこの宮の前まで船で漕ぎ出して拝したと言います
前の動画と玖波宿のところが被りますが、宿場と間の宿の相補的関係があり振り返りながら1本にまとめました。
西国街道行く 四郎峠〜鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿
西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=宮内から四郎峠〜中山の疣観音(今川了俊歌碑)〜JR大野浦(今川了俊歌碑)をいくつか紹介して鳴川手前まで車載。
廿日市市の西端 大野鳴川(なるかわ)〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜(からふねはま)〜玖波(くば)宿跡へ
大野向原あたりからさらに山へいくあたりから残念社(長州征伐の時、幕軍伝令で長州軍に撃たれた依田半蔵を祀る)経由の古道(四境の役の古戦場)ですがで山道でもありパスしてます。寂しい古戦場を一人では歩きたくないもんな。
山を超えた場合、鳴川手前の団地のあたりに出てきます
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
唐船浜(とうせん浜)=太閤秀吉がこの浜で外航船を作らせたとか言われます。
玖波(kuba)宿
安芸国最後の宿場(隣の小方(ogata)=休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みを一部まだ残している。
史跡「遊撃隊陣営」跡 大梅山通化寺(黄檗宗) 岩国市周東町上久原西午王ノ内
大梅山通化寺(つうけいじ)は寺伝によれば 大同二年(807年)弘法大師創建とされる真言宗寺院でしたが、後年 曹洞宗に変わるが衰退した。
境内に阿川毛利氏の祖である吉川元春次男の繁沢元氏(玖珂郡午王ノ内他に領す)の墓所があり
二代元景のとき毛利輝元は毛利姓に復させ長門の国豊浦郡の阿川、滝部などへ領地替えとなるが午王ノ内など一部所領は残る。
阿川毛利三代の毛利宮内少輔就方(くないしょうゆなりかた)は 京都萬福寺より高僧を招き黄檗宗に 改め寺院を再興す。この辺の事情は古道ひとり旅さんのHPを参照させてにさせていただきました。
幕末 高杉晋作の奇兵隊に触発され、来島又兵衛が創設した諸隊「遊撃隊(軍)」がここ通化寺に駐屯し陣営になっていました。資料館に遺品や高杉晋作の詩草稿などあるそうです(未見)
また庫裡の横に伝雪舟築庭の石庭が残る。
岸信介決起顕彰碑と云うのもありました(公職追放の岸さんが巣鴨のムショから出所しこの地で再決起の声を上げた記念碑)漢詩の石碑です。揮毫された石碑がありますけど、安倍総理も岸さんの決起や維新の志士を見習って国益になるよう働いて欲しかったですが残念。結局デフレは抜け出せず国益も守れず地方も国も衰退するのだろう。高杉晋作に喝されちゃいますよね。
寺は一時は無住職の状態が続いたそうですが現在は本山からご住職が赴任されている模様。本堂もかなり痛み、名勝の庭もそうとう荒れている。建物自体は木造ではありませんね。
禁門の変で先鋒突撃したのが遊撃軍だそうですな その後再編され遊撃隊となり長州征伐(四境の役)での戦闘〜元治の乱(功山寺挙兵以後の内乱)〜戊辰戦役と転戦活躍したが維新後に体制が変わり冷遇を嘆き諸隊の反乱に200名以上が参加して崩壊していく反乱もなんとか鎮圧されて終わる。
境内を見ても遊撃隊顕彰はさすが山口という感じです。郷土の英雄なんだろうね。
四境の役ではまあ筆者の故郷 藝州藩は国境近くの玖波宿や廿日市宿などが長州藩に焼き討ちされた方で革命戦争とはいえやや複雑な気持ちですな。
八十八箇所めぐりも弘法大師開基だからでしょうか。金毘羅さんや双鶴岩なんてのもあるらしいので行ってみたい気はしますが道はどうなんでしょうか不安。
秋に紅葉したらまたのぞいてみたいですが・・いまだ再訪できず。
幕末関連〜 長州藩 勤皇僧 月性和尚の寺 sm38735846
【秋の電車旅 JR山陽本線 瀬戸内の車窓後編】柳井市=大畠駅〜周南市=徳山駅まで
山陽本線電車車窓風景 後編 サムネは、夕暮れの大畠駅あたり
大畠駅〜徳山駅へ向かいます
〜大畠〜柳井港〜柳井〜田布施〜岩田〜島田〜光〜下松〜櫛ヶ浜〜徳山
大畠〜柳井間 光〜下松間は海や島がいいですね。
元来は岩徳線側(距離が短い)が本線でしたが沿岸部の町が発展し海側のルート出来本線化しました。
徳山までは1080円くらいで岩徳線のお値段に合わせてあり(下松駅で下車しますと高くなります)
のどかな風景や美しい海、工業地帯いろんな顔見せます。
徳山=旧燃料工廠があり出光の工場や化学工場などがある。古くは毛利家の支藩徳山藩でもありました。
日露戦争の参謀長で台湾総督児玉源太郎の故郷でもありあます。古社遠石八幡宮や児玉神社などもありまた動物園もあったりします。商店街は寂れてしまっています。
電車は、大畠駅を出て柳井まで行くここら辺は海なども見えて景色もよろしいです。
柳井〜田布施〜島田までは内陸部を通る。
光駅〜下松駅あたりも海やが見えて景色がいいですね。
徳山駅は新しくなりツタヤとコラボした民間委託の図書館ができている。スタバもできました^ - ^
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前編は 山陽本線 広島県西部宮島口、前空〜大野浦を過ぎたあたりの家の少ない玖波駅へ至る宮島など海の景色が綺麗に見えるあたりから始まります大島大橋の手前がいい景色です。
〜玖波〜大竹〜岩国〜南岩国〜藤生〜由宇〜神代〜大畠まで
前編 手直し終わりやや高画質化して再うPしました(海が綺麗です) sm35982786
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series
東方光鉄翼 ~KNIGHT WING~ part9
さて、今回からストーリーが動き出します。
今回miusがあるシーンがあるけど許してくだしあ;
ちなみに忍者の技、「天限突破」は、限界を突破するって感じの技なので一応漢字はそのままにしております^^
万玖波先輩、宣伝ありがとうございます!
次回⇒sm27272158
東方光鉄翼=mylist/51584484
山陽本線を旅してみた 岩国~広島②【玖波→宮島口】
宮島口まできました。宮島にもよりたかったんですが時間が、そのまま広島に向かいます。
sm18659359→玖波→大野浦→前空→宮島口→sm19015716
収録:2011年7月22日 13:51 糸崎行き モハ115-1034
山陽本線を旅してみた 岩国~広島①【岩国→玖波】
岩国で乗り換え、岩国から広島までむかいます。今回乗った編成はC43編成です。
sm18512186→岩国→和木→大竹→玖波→sm18879622
収録:2011年7月22日 13:51 糸崎行き モハ115-1034
【けんけん動画】広島県道201号線《玖波停車場》
山陽本線の玖波駅(広島県大竹市)への100m足らずの短い停車場線県道を走った動画です。●撮影日:2009/ 6/27●BGM:SAMさん(SAM Free Music:http://sam-free.com/)◆うpリスト mylist/3800890・mylist/7640224・mylist/11057064・mylist/13240610