タグ カフカス が登録されている動画 : 120 件中 1 - 32 件目
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露軍SU-25攻撃機のロケット攻撃を受けるグルジア兵
Liveleakより転載。2008年8月のロシアとグルジアの「5日間戦争」において、南オセチアの首都ツヒンヴァリ郊外でロシア軍のSU-25攻撃機によるロケット攻撃を受けるグルジア兵。兵士自身が携帯で撮ったものだと思われるが、徐々に近づいてくるSU-25の爆音が恐ろしい。そこから距離を置いてSU-25の方を撮った映像はこちら→sm4785995
仕事辞めてシルクロード横断してみた part6 アゼルバイジャン編
2007年8月中国~2008年1月東欧までの旅を紹介した動画の、アゼルバイジャン編です。 旧ソ連諸国が続いてます。フナルッグ村はなんとなくチベットを思い出しました。牛の糞を燃やすストーブもあったし。/■質問お答え→一般家庭に泊めていただく時、お礼払ってます。仲良くなってよばれたとかならタダでもいいと思うんですが、こちらからお願いしちゃってるので。 ■色々なコメント毎回ありがとうございます(´;ω;`)全部読んでます。part1の冒頭で「一緒に旅する気分でご覧いただけたら」と言いましたが、逆に自分の方が皆さんと一緒に旅してる気分になれて嬉しかったりしてます。/ 前回カザフスタン&ウズベキスタン→sm4155198/次回→編集中/マイリスト→mylist/7515773
MMD Reimu Touhou Marisa, Sakuya Ֆրանսիա Remilia Ոչ հոգում է
MMD Արեւելյան Remilia հինգ ֆրանկի Reimu Marisa, Sakuya No Le ImportaՆերեցեք վատ որակի 日本語和訳 東方MMD 霊夢 魔理沙 フラン レミリア 咲夜でNo Le Importa 画質が悪くて申し訳ございません
BBCによるグルジア軍の戦争犯罪の検証 1
つべより転載。2008年10月28日、BBCのニュース番組「News night」で放映された第2次南オセチア紛争についてのドキュメンタリー。BBCが南オセチアで独自に行った取材と停戦直後にこの地に立ち入った人権団体の情報をもとに、事実上、グルジア軍による残虐行為があったことを認める内容となっています。まあ、西側メディアのこれまでのグルジア一辺倒の報道の方が不自然だったわけですが、それがいきなり姿勢を変えたというのは、実はサアカシュヴィリに対する「用済みフラグ」ではないか?との話もあります。しかし、日本のマスコミからスルーされてるのは何故なんでしょう?続きはこちらで→sm5191332
BBCによるグルジア軍の戦争犯罪の検証 2
つべより転載。sm5156346の続きです。イギリスでこの番組が放映されたその当日に、グルジア大統領サアカシュヴィリは首相を解任。その何日か後には軍の参謀総長を更迭。どうやら敗戦や戦争犯罪の責任を全て彼らに押し付けることで、政権を維持する腹積もりのようです。しかし、この「戦争犯罪」の件は欧米メディアの各所に飛び火しつつあるようなので、日本のメディアでも、その内言及されるかもしれません。果たして最大のパトロンであったブッシュや共和党ネオコンの面々が退場した後の、サアカシュヴィリの運命やいかに?
PBS製作のドキュメンタリー「独立を求めるアブハジア」
つべより転載。米国のTV局PBSのニュース番組「The NewsHour with Jim Lehrer」で、2008年8月21日に放映されたアブハジアについてのドキュメンタリー。事実上「ロシアの傀儡」とみなされがちなアブハジアですが、ロシアとの統合を求める南オセチアとは違って、こちらの方は元々独立志向が強かったりします。その背景には、19世紀にアブハズ人の先祖らがチェチェン人らとともに数十年にわたって帝政ロシアと戦い、大幅に人口が減少したという歴史がありました。ただ90年代の紛争では、自治を認めないグルジア中央に対抗するために、ロシア系やアルメニア系住民らと同盟して「独立戦争」を展開することになります。ちなみに、戦前の人口比率はグルジア系と非グルジア系が半々、アブハズ人はその中で17パーセントほどでした。
アル・ジャジーラ「サアカシュヴィリの独占インタビュー」
つべより。カタールのTV局アル・ジャジーラが2008年12月4日に放映した、グルジア大統領サアカシュヴィリへの独占インタビューです。同局のキャスター、ジェイン=ダトンが聞き手をつとめていますが、番組ではサアカシュヴィリが一人で自分の言いたいことを喋りまくっているだけなので、実質、独演会みたいなものですね。自らが引き起こした戦争により、NATOへの仮加盟とでも言うべきMAP(加盟行動計画)加入が認められなかったことについては、「NATOはあんな過去の遺物なんか関係無しに、直に入れてくれるはずだ」みたいな滅茶苦茶なことを言っています。つべのコメント欄は、投稿者の国籍に関わらず、「嘘吐き!」とか「まだ吊るされてなかったのか?」みたいな罵倒と揶揄で溢れていました。参考:sm554085
未加工映像:アブハジア紛争におけるスフミの陥落(1993/9/27)
つべより転載。1993年9月27日、ロシア軍の支援を受けたアブハズ人+アルメニア人+ロシア人の各武装勢力、それに加えて北カフカス山岳諸民族連盟の義勇軍(この中には後のチェチェン独立派の重鎮、バザーエフも居た)、アブハズ系トルコ人(19世紀にトルコに移住したアブハズ人の子孫)の義勇軍、コサック義勇軍といった雑多な勢力からなる連合軍は、グルジア側が保持していたアブハジアの首都スフミに総攻撃をかけ、短時間でこれを陥落させた。現地に督戦に来ていた当時のグルジア大統領シェドヴァルナゼはすんでの所で脱出できたが、グルジア側アブハジア自治共和国の首長は逮捕されて処刑。この後、連合軍は南下してアブハジアの全域を掌握し、20万を越えるグルジア系住民が難民と化すことになる。
ドキュメンタリー「南オセチアへの旅」(2006年)
つべより転載。2006年の冬にEuronewsが南オセチアのオセット人地域とグルジア人地域の双方を取材して作ったドキュメンタリー。少々グルジア寄りではありますが、現在露とグルジアの間で飛び交っている諸々のプロパガンダに比べれば、かなり中立的な内容だと思います。当時、オセット人とグルジア人の関係は大分改善されていましたが、南オセチア政府とグルジア政府の関係はサアカシュヴィリが大統領となった2004年以来、悪化の一途を辿りました。この番組に出てる人の多くは、今回の戦争で命を失ったり難民になったものと思われます。なお、この中でグルジア首相は色々と建設的なことを言っていますが、実際にやったことはツヒンヴァリへの無差別砲撃と軍事侵攻という力技でした。
サアカシュヴィリ狙撃事件の真相
つべより転載。ロシアの国営第一チャンネルが2008/11/30に放映したドキュメンタリー。最近のサアカシュヴィリの政治的立場の急速な悪化と、そんな中で南オセチアとの境界線付近で発生した、ポーランド大統領をも巻き込んだ謎の“狙撃事件”(2008/11/23)。番組では両者の因果関係を追っていきますが、端的に言えば、結局その事件はサアカシュヴィリが苦しまぎれに起こした、自演に近い茶番だったらしい。事件を調査したポーランド国内保安局も「グルジアの自演」との報告書を出し、その内容は現地の新聞でも報道されました。それにしても、グルジア側の仕掛けは穴だらけだったようです。http://www.polskieradio.pl/thenews/foreign-affairs/?id=96704
プーチン、サアカシュヴィリについて語る
つべより転載。2008年12月4日、ロシアの国営放送ではプーチンが生放送で国民の疑問に答えるという恒例の特番が放映されましたが、その中で、8月にグルジア紛争の件で仏大統領サルコジと会見した際に発した「サアカシュヴィリの睾丸を縛って吊るし上げてやる!」という発言は事実か否かと(婉曲的にですが)尋ねた視聴者がありました。それに対する答えがこの部分です。質問自体にはユーモアで応じつつ、グルジア紛争の開戦責任はグルジアの現政権=サアカシュヴィリが負うべきこと、アブハジア・南オセチアとグルジアの再統合は有り得ないこと、そうした事態をもたらしたサアカシュヴィリはグルジア人自身の手で裁かれるべきこと、などを淡々と語っています。対するサアカシュヴィリの言い分についてはsm5492407参照。
イスラエル製クラスター爆弾を使用するグルジア軍
つべより転載。2008年8月の南オセチアでの戦争で、ロシア軍がクラスター爆弾を使用したのは既に広く知られた事実ですが、実はグルジア軍の側も大量に使用していました。この映像でグルジア軍が使っているイスラエル製のロケット自走砲「MK-4 GRAD LAR-160」のロケット弾には、数十発の「M85」子爆発体が内蔵されていたとのこと。なお、人権監視団体Human rights watchの調査によれば、その一部は何故かグルジア人の村に着弾し、最低でも3人が死亡していたそうです。これに対し、グルジア当局は「我が軍のクラスター弾は不発の時は自壊するような安全装置付き!断じて違う!」と反論。でも収集された不発弾にはそんな機能は無かったそうで...なお、sm4743414はこれの夜間版。ソース→http://www.iht.com/articles/2008/11/05/europe/06cluster.php 参考sm5473134
みんなで歌おう!アゼルバイジャン國歌(日本語訳付き)
アゼルバイジャンの国歌に日本語訳を付けてみました。現行のアゼルバイジャン国歌は、元々はロシア革命の混乱に紛れて独立したものの、短命に終わったアゼルバイジャン人民共和国(Azərbaycan Xalq Respublikası :1918~1920)のために作られたものでしたが、1991年にソ連が崩壊した際に、往時の国旗(青・赤・緑の三色旗)とともに新生アゼルバイジャン共和国の国歌として採用されたという経緯があります。歌詞の中に出てくる戦争云々の話は、件のアゼルバイジャン人民共和国の時代にガラバグ(カラバフ)地方の領有をめぐって発生した隣国アルメニアとの戦争や、首都バクーでの共産主義勢力との抗争のことを指していると思われます。
グルジア国防省の戦意高揚PV
つべより。UP主は昨年しばらくの間グルジアに滞在していたのですが、TVのCMの合間にはこの手の政府広報が手を変え品を変え、頻繁に流れていました。とにかくTVでの大統領と軍の露出度は尋常ではなかったという記憶があります。このPVは過去に「外敵(アラブ人やトルコ人などのムスリム)を撃退した英雄の精神は現在のグルジア軍に受け継がれているのだ」みたいなことを言いたいらしい。ちなみに、実際の中世のグルジア王国は他民族国家であり、その軍勢にはアルメニア人やらオセットなどの異民族、異教徒もたくさんいました。こういうのは民族主義者の願望でしかありません。
<ロシアの長渕>ガズマーノフ「Сделан в СССР(俺はソ連製)」
つべより転載。「ロシアの長渕」アレーク=ガズマーノフの愛国ソングです。作られたのは大分前ですが、最近のグルジアでのゴタゴタでその歌詞が一挙に生々しく感じられるようになってしまいました....。なお、こっちのクリップはもっとアレです→sm4832470。
南オセチアに出現したチェチェン人の特殊部隊「ヴォストーク大隊」
つべより転載。第二次南オセチア紛争に従軍中のチェチェン人の特殊部隊「ヴォストーク大隊」。1990年代半ばの第1次チェチェン戦争の際、彼の地には伝統的な氏族組織に根ざした大小さまざまの軍閥が出現したわけですが、第2次のそれでは独立派と仲違いして寝返る勢力が現れました。この「ヴォストーク大隊」も元々はそうした軍閥スリム=ヤマダーエフの私兵で、ロシアに下ってからはロシア連邦軍のGRU(参謀本部情報総局)直属の特殊部隊として、逆に独立派を血祭りにあげるようになります。今回の紛争で投入されたのは、恐らくグルジア軍がゲリラ戦を展開した場合、これを掃討するためだったと思われますが、結局、出番は無し。兵器や物資を鹵獲しただけでした。
世界の音楽コレクション(アルメニア編)
世界各地の音楽をアップロード。今回は、アルメニアのドゥドゥク演奏です。曲が終わると次の動画に飛ぶようにしましたので作業用BGMとして聴きたい方でも大丈夫です。世界の音楽コレクション一覧はこちらから→mylist/3925706 ※画像はあくまで対象エリアのイメージであって必ずしも曲と関係あるわけではありません。
グルジアン・ダンス -ナイフ投げ-
Youtubeより転載。歌とワインと黒海(力士)が自慢のグルジアの伝統舞踊です。ナイフを投げながらのダンスは後半から。
深夜のツヒンヴァリ市街にBM-21で無差別攻撃をかけるグルジア軍
つべより転載。2008年8月8日の午前2時~未明にかけて、グルジア軍が南オセチアの首都ツヒンヴァリの中心部~南部を標的に多連装ロケット砲BM-21「グラート」を撃ちまくっているところです。何だか大仕掛けの花火のようですが、寝込みを襲われた市民たちの間には死傷者が続出しました。先の戦争でのグルジア軍の戦略は全般にgdgdだったわけですが、特にこういうのは徒に非戦闘員の犠牲者を増やし、相手側の抗戦意欲をかきたてるだけですから、本当に意味がわかりせん。戦後は彼らを「自国民」として統治するつもりがあるなら、尚更です。さらには、わざわざロシアのメディアに格好のプロパガンダのネタを提供したということでもあります。ダメダメですね。この攻撃で町がどうなったかはsm4733212参照。
グルジア警察の音響兵器
つべより転載。2007年11月に起こった大規模な反大統領デモの参加者に対して、グルジア警察が音響兵器を使っている映像。米軍がイラクで使っているものと同じらしい。音響兵器についての詳細はこちらで→(http://wiredvision.jp/news/200808/2008082119.html)、(http://wiredvision.jp/archives/200403/2004030801.html)。この兵器の発する間抜けな音は、警察の特殊部隊の被っている防護面がどこぞのネズミにしか見えないのと相まって、どこかのどかな印象を受けるのですが、この後デモの参加者で聴覚障害を訴える人が続出したそうです。怖いですね。
アブハジア方面に鉄道輸送される露軍戦車
つべより転載。2008年8月、鉄道でアブハジア方面に輸送されるロシア軍の戦車。アブハジア国内では、ロシア国境から首都スフミまでの路線は大分前から復旧しており、普通に旅客便も走っている。そこから東はここ十数年もの間廃線同然になっていたが、グルジア側の言い分では既にこちらも修復され、アブハジアーグルジア国境まで軍需物資を運べるようになっているというが、事実か否かは不明。
ツヒンヴァリに進軍するロシア連邦第58軍
つべより転載。待ち伏せ攻撃を排しながら、南オセチアの首都ツヒンヴァリに向けて南下中のロシア連邦第58軍。撮影者は従軍していたロシアのTV局「NTV」の撮影班で、この映像自体はニュースに加工する前の素材だと思われる。
民間人を狙撃するグルジア軍
2008年8月8日、ツヒンヴァリ市の南端に達したグルジア軍。兵士の一人が遠くを歩いていた地元民を呼び止めようとするが、逃亡。兵士は直ちに狙撃するが、外れたので装甲車が追いかけていって機銃をうちまくる。 なお、装甲車はトルコ製の「コブラ」と呼ばれるもの。側面などにはグルジア語で「ポリツィア(警察)」と書いてある。
グルジア国歌「თავისუფლება(自由)」
グルジア(საქართველო)の国歌「თავისუფლება(自由)」です。グルジアではソ連邦からの独立以降、グルジア民主共和国時代の国歌が使用されていましたが、薔薇革命後の2004年に国旗・国章と共に現在のものに改められました。スキマ動画→mylist/2329218
アゼルバイジャン國歌(アコースティック・ギター版)
つべより転載。アゼルバイジャン人のミュージシャンがギターを弾きながら國歌を独唱しています。普通のものはこちら→sm8201849。
アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国国歌
Youtubeから拾ってきました。まるでバザールのようににぎやかな国歌です。
グルジア軍撤退直後のツヒンヴァリ観光
つべより転載。グルジア軍撤退直後の南オセチアの首都、ツヒンヴァリの街並みです。8月7日の深夜から9日まで続いたグルジア軍の砲爆撃により、主だった建物はほとんど破壊されてますね。西側のメディアでさんざん非難されたロシア軍によるグルジア本土爆撃が、実は軍事拠点やレーダーを標的としながらも精度が悪いため周辺の民間人まで巻き沿いにしてしまう、といった性格のものであったのに対し、こちらは深夜に市外の中心部に無差別攻撃を行なうという、明らかに大量の非戦闘員の犠牲を前提とした軍事行動でした。どちらも無意味な人殺しである点では同じですが、一方が残虐行為として騒がれるのに対し、他方が「死者の数が誇張されてる」くらいにしか話題にされないというのはどうかと思うのです。
乱心するサアカシュヴィリ
Youtubeより転載。先の戦争で、防弾チョッキを着用してゴリまで督戦に来たグルジア大統領のサアカシュヴィリ。西側メディアの目の前で突然走り出すなど、奇妙な行動を取り始める。うろたえる部下たち。南オセチアへの無謀な攻撃を命じたのは正気を失っていたからだという噂があるのですが、案外本当かもしれません。無駄死にした兵士や難民らが気の毒です。※追加情報:映像は8月10日ごろ撮影。空爆の被害を視察に来ていたサアカシュヴィリは、何かの物音をロシア軍機の爆音と勘違いして走って地面に伏せ、SPらもそれに倣ったとのこと。でも飛行機など飛んでいなかった。やはりご乱心。ちなみに、この時点ではロシア軍はまだゴリに到達していません。悪しからず。
ツヒンヴァリ市の境界標識を破壊するグルジア軍
つべより転載。ツヒンヴァリに侵攻中のグルジア軍が、南オセチア政府が建てた「ツヒンヴァル(ツヒンヴァリのオセット名)」市の境界標識を装甲車で倒しています。 sm4641196と同じものらしいのですが、こちらはカラーで鮮明です。戦車じゃなくてBTR-80装甲兵員輸送車でした。サーセン。
戦う南オセチア兵
つべより転載。2008年8月11日、ツヒンヴァリに向けて南下するロシア軍がその3km手前のアチャべト村でグルジア軍の伏兵に遭遇し、反撃しているところ。兵士らは腕に白い腕章を巻いているので、南オセチア軍の兵士か民兵だと思われる。
アル・ジャジーラ「独立国家・南オセチアの現状 1」
つべより転載。2008/12/17、アル・ジャジーラで放映された南オセチアの現状についてのドキュメンタリーです。現時点でロシアとニカラグアの二国しか承認していない独立国家・南オセチアですが、アル・ジャジーラの取材班はそれがいかに財政と安全保障の面でロシアに依存しているか、また、国際的な支援が専らグルジアにむけられ、この地の一般人がいかに困窮しているかなどを明らかにしていきます。ちなみに、南オセチアのロシアへの依存は1990年代以来のことで、今に始まったことではありません。ただ、政府の閣僚にロシアの役人が入ってくるなど依存がさらに強まったのは、2004年にサアカシュヴィリが軍事紛争を再燃させたからだと言われています。続き:sm5620191