タグ 仏教 が登録されている動画 : 1809 件中 1633 - 1664 件目
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中国仏教シリーズ0-16-2 陳 南岳大師 慧思と道綽 末法思想の始まり
北斉武帝の廃仏から、仏教は立ち直って行く、天台宗 浄土宗の思想が徐々に形成されてゆく
中国仏教シリーズ0-16-1 陳 南岳大師 慧思と道綽 末法思想の始まり
北斉武帝の廃仏から、仏教は立ち直って行く、天台宗 浄土宗の思想が徐々に形成されてゆく
「ソラノカケラ」オリジナル曲
あの月の夜。母はほほえみ天国へゆく朝日を見つめ僕は誓った 強く生きようと世間の牙が時にこの羽に風穴を生むそれでも生きてく価値があるよと思える時もある 命は誰のもの? 心届けにゆこう 勇気出して バラバラな世界だけが真実じゃない 君が見捨てるならば その火も消える 誰も特別なんて思えやしない 広がる空の色を 埋めるカケラさ ソラノカケラさ
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-2
この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-1
この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
【鎌倉仏教シリーズ】第69回・曹洞宗⑬永平寺・總持寺巡り2-2
曹洞宗は、鎌倉仏教各派の中でも今日まで唯一派閥分裂していない一宗一派を維持してる宗派ですが、しかし本山を二つ持っている(総本山・永平寺と大本山・總持寺)ユニークな宗派でもあります。これは、開祖・道元の只管打座と生活禅に徹した宗是を貫く総本山・永平寺と、曹洞宗を飛躍的に発展させた「第二の祖」と呼ばれる四代・瑩山の、民間信仰との習合吸収や、大衆への曹洞禅の普及の姿勢が明確に見られる總持寺との違いの中に見ることが出来ます。永平寺は創建以来福井にありますが、総持寺は明治の大火の為、横浜鶴見に移転され今日に至っていますが、旧院も復旧され、現在でも曹洞宗の重要な聖地になっています。
【鎌倉仏教シリーズ】第69回・曹洞宗⑬永平寺・總持寺巡り2-1
曹洞宗は、鎌倉仏教各派の中でも今日まで唯一派閥分裂していない一宗一派を維持してる宗派ですが、しかし本山を二つ持っている(総本山・永平寺と大本山・總持寺)ユニークな宗派でもあります。これは、開祖・道元の只管打座と生活禅に徹した宗是を貫く総本山・永平寺と、曹洞宗を飛躍的に発展させた「第二の祖」と呼ばれる四代・瑩山の、民間信仰との習合吸収や、大衆への曹洞禅の普及の姿勢が明確に見られる總持寺との違いの中に見ることが出来ます。永平寺は創建以来福井にありますが、総持寺は明治の大火の為、横浜鶴見に移転され今日に至っていますが、旧院も復旧され、現在でも曹洞宗の重要な聖地になっています。
中国仏教シリーズ0-13-2 北魏 三武一宗の法難と梁の武帝
中国南北朝時代において、北朝の廃仏と南朝の崇仏皇帝である武帝について前半生
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-4
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-3
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-2
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
【鎌倉仏教シリーズ】第68回・曹洞宗⑫禅とニューエイジ4-1
日本の禅思想は、明治の頃から臨済宗の鈴木大拙らのアメリカ進出で欧米の哲学者や思想家の間で大きな関心が向いていました。ヨーロッパでは、第一次大戦の勃発で西洋哲学の限界を感じた欧州の哲学者たちはポストモダンという脱西洋哲学を模索しましたが、その中心的存在であった構造主義は日本の禅の公案禅に、言葉によるごまかしを続けてきた西洋哲学の欺瞞を超える論理を見出そうとして日本の禅に対する接近を図ります。一方第二次大戦後の50年代のアメリカでは、物質文明の飽和感に嫌気が差した若者たちがビートニック、さらに60年代にはベトナム戦争に反対する若者たちがヒッピー運動を始め、彼らの文明否定の思想は、その逼塞感からの脱却を目指し日本の禅(只管打坐を中心とする禅)に向かいます。
18 / 44A
こんばんわ、先ほど18時過ぎにインターネット喫茶にきて、18番の席で動画を作成する私です、それにしても今日はやけに18の数字が目に付きます。18というのは弥陀の十八願からきているといいます。歌舞伎などではオハコとも言われます。特に日本で縁起のいい数字であります。。。というか私はどんどんお坊さんと化してきています。でも年もとりますし結婚もしたい、天女が天から舞い降りてめでたしなんて、都合良くもいかないですし、街に出会いを求め行かなきゃいけないのですよ。
中国仏教シリーズ0-12-3 南北朝 菩提流支と中国十三宗
菩提流支の持ってきた、唯識経典は法相宗の芽を作り、また曇鸞を導いたことで浄土宗の流れも出来てくる
中国仏教シリーズ0-12-2南北朝 菩提流支と中国十三宗
菩提流支の持ってきた、唯識経典は法相宗の芽を作り、また曇鸞を導いたことで浄土宗の流れも出来てくる
中国仏教シリーズ0-12-1 南北朝 菩提流支と中国十三宗
菩提流支の持ってきた、唯識経典は法相宗の芽を作り、また曇鸞を導いたことで浄土宗の流れも出来てくる
【鎌倉仏教シリーズ】第66回・曹洞宗⑩豊川稲荷(密教との習合)2-2
曹洞宗は5代宗主・峨山の時代から廃寺となった密教系の寺や民間信仰の神社などを次々と曹洞宗の寺として吸収していきましたが、この豊川稲荷もその一つで、もともと真言宗のお寺だった歓喜寺(豊橋市)を曹洞宗法王派の東海義易が曹洞宗のお寺に改宗させ、さらに豊川に移転したことに由来します。豊川稲荷の正式名は、円福山 豊川閣 妙厳寺と言い、曹洞宗のお寺ではありますが、今日に至るまでその守護神(本尊は千手観音)である吒枳尼天が「お稲荷」さんとして有名になっており、日本三大稲荷の一つと呼ばれています。
中国仏教シリーズ0-10-2 五胡十六国 鳩摩羅什本格的な経典と教義の広まり
格義を持って、仏典を語る時代は天才鳩摩羅什三蔵の時代により終焉を迎える。大混乱の中華において、泥の中に蓮の花が咲く
中国仏教シリーズ0-10-1 五胡十六国 鳩摩羅什 本格的な経典と教義の広まり
格義を持って、仏典を語る時代は天才鳩摩羅什三蔵の時代により終焉を迎える。大混乱の中華において、泥の中に蓮の花が咲く
中国仏教シリーズ0-9-2東晋 釈道安における格義否定
仏教公伝以降、中華では老荘や儒教の用語を持って仏教用語を説明していましたが、中国も公伝から200年以上たち、本格的な仏教理解を求める世となってゆく。
中国仏教シリーズ0-9-1 東晋 釈道安における格義否定
仏教公伝以降、中華では老荘や儒教の用語を持って仏教用語を説明していましたが、中国も公伝から200年以上たち、本格的な仏教理解を求める世となってゆく。
中国仏教シリーズ0-8-1 西晋~東晋 広がる格義仏教 東晋と五胡十六国
後漢末より、道教の神々の仲間として奉られた仏の教えが、道教や儒教の用語を持って解釈されてゆく
【鎌倉仏教シリーズ】第64回・曹洞宗⑨澤木興道(昭和の原点回帰)2-2
明治生まれ(1880年)の澤木興道は、生涯寺を持たず、財産も持たずに全国を行脚し、ひたすら道元の只管打坐(しかんたざ)、つまり、ひたすら座禅を組み、生活の中にも禅を活かしていく道を選び、学生(駒澤大学)たちにも座禅を教え、禅学の必須科目として座禅を加え、戦後東京オリンピック(1964年)の翌年(65年)まで生存し、明治・大正・昭和を生きた興道は生涯そのスタンスを変えず、道元禅への原点復帰を訴えてきました。
【鎌倉仏教シリーズ】第64回・曹洞宗⑨澤木興道(昭和の原点回帰)2-1
明治生まれ(1880年)の澤木興道は、生涯寺を持たず、財産も持たずに全国を行脚し、ひたすら道元の只管打坐(しかんたざ)、つまり、ひたすら座禅を組み、生活の中にも禅を活かしていく道を選び、学生(駒澤大学)たちにも座禅を教え、禅学の必須科目として座禅を加え、戦後東京オリンピック(1964年)の翌年(65年)まで生存し、明治・大正・昭和を生きた興道は生涯そのスタンスを変えず、道元禅への原点復帰を訴えてきました。
【鎌倉仏教シリーズ】第62回・曹洞宗⑦面山瑞方の古規復帰運動2-1
日本曹洞宗の両祖・道元、瑩山の時代から離れると、その勢力拡大が広がるにつれて曹洞宗の宗是や規則が寺々でバラバラになり、住職継承のしきたりも総本山永平寺や大本山總持寺の認可(嗣法)を無視するようになり、曹洞宗としてのアイデンティティーが崩壊しようとしていました。そこで江戸時代中期になると、卍山道白や面山瑞方による古規復帰運動が起こり、曹洞宗は再び統一され、これが今日まで続く「曹洞宗は無派閥、ひとつ」という「一派一流」を形成することになります。
中国仏教シリーズ0-5 後漢 安世高と支婁迦讖 上座経典と大乗経典
本格的に中国に渡ってきた仏教経典 安世高と支婁迦讖の持ってきた経典が後の中国史に与えてゆく影響とは?
中国仏教シリーズ0-4 後漢 中華 仏教公伝 迦葉摩騰と竺法蘭
後漢の永平10年(67年)に伝説では仏教が中国に渡ってきた伝説と当時の仏教信仰について
【鎌倉仏教シリーズ】第61回・曹洞宗⑥卍山道白と宗統復活運動2-2
道元(開祖)、懐弉(二代)と続いた只管打坐、生活禅を軸とする曹洞宗の教えの法統は、4代瑩山以降、密教や民間信仰、あるいは念仏を採り入れたりと、教義の多様化と混乱を招くようになり、それが、嗣法(しほう)という、師から弟子へ教えを伝授された証明書伝授の在り方も寺々で異なり、さらに住職(お寺のトップ)が他の寺へ移動した際にさらにその嗣法が混乱し、曹洞宗が宗派として瓦解する危機に陥ってた江戸初期から中期(赤穂浪士事件の頃)に、この曹洞宗の宗統復古の為の改革に乗り出したのがこの卍山(まんざん)道白です。改革は寺社奉行への直訴という命がけの試みが必要でした。
【鎌倉仏教シリーズ】第60回・曹洞宗⑤鈴木正三(仁王禅と念仏)2-1
曹洞宗の歴史の中で唯一得度の後も俗名で貫いた僧侶こそが鈴木正三(しょうさん)で、正三は、万民徳用と言って、すべての人が世の為に実用的に役に立つことをしなければ仏教の意味がないという立場を取り、曹洞禅に念仏を採り入れ、気迫と心を込めて念仏を唱えながら禅を組み、作業をする仁王禅を訴え、大衆の中にこれを広めた。開祖道元さえも「ただの暇人、仏教には無縁の者」と言い捨ててしまうほどの独自思想を持ったユニークな禅僧でした。