タグ 仏教 が登録されている動画 : 1804 件中 1793 - 1804 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
【踊念仏】佛向寺開山忌一向上人踊躍念仏(最初から中盤まで)
山形県天童市の浄土宗佛向寺の開山忌にて毎年11月17日に奉修される、一向上人踊念仏です。踊念仏というと一遍上人が有名ですが、同時期に一向上人も行っていました。4年はじめたのが早いです。貴重なもので、原型を保っているといわれています。これは、昭和17年まで一向派の伝法だったためです。その後も一向上人同行会などで伝次しています。さて、動画は開山忌冒頭から双盤念仏までです。この双盤念仏も貴重なものです。長いですが、ご覧になっていただければ幸いです。ちなみに、浄土宗法式です。エンコードはBeDaiさんにしていただきました。多謝。エンコード:BeDai [user/587032]
逆打ち四国遍路5回目予告
2010年5月26日から5月31日まで。逆打ち遍路の記録。打った札所、38番金剛福寺から29番国分寺まで。マシな写真で予告編(後は出がらし)mylist/20691956
逆打ち四国遍路次回以降予告
逆打ち遍路の記録。65番三角寺から39番延光寺まで(60番横峰寺を除く)本堂の写真いわゆる誰得動画。mylist/20691956
ゆっくりボイスに読経させてみた 7 「清い口」
「梵天勧請」 http://www.nicovideo.jp/watch/nm20372776 で、釈迦は「教えを悟ることができる人」に教えることを決意しました。そして教えたシーンが「転法輪」http://www.nicovideo.jp/watch/nm20335604 です。内容は八正道でした。
しかしこれを理解して実践するのは、迷信深い世の一般人には難しい。それが「梵天勧請」で釈迦が躊躇した理由でした。
では憐れむべき一般人にはどういう対応をしたのか。
例えばバラモン僧の「畜生のごとき稼業」(占い術) に騙されて金を巻き上げられそうな人には、「私こそが聖者だ。信じるならそいつではなく私にしろ」と釈迦は言って救ったのだろうと、うぷ主は思います。
ゆっくりボイスに読経させてみた 6 「梵天勧請」
釈迦の悟った縁起の法は、「絆」 http://www.nicovideo.jp/watch/nm20350253 で述べられているようなものです。それはうぷ主が思うに、「人は弱いから宗教にはまる」ということです。しかしそのようなことを弱い当人たちに言っても、何も始まりません。彼らは目をかたくなに閉じるか、あるいは安易に無神論に走るでしょう。しかし今現在でも、無神論者だったのに突然スピリチュアルやら疑似科学やらに嵌まる人が後を絶たないのは、彼らの「無神論」が無根拠だからです。あるいはその究極の根拠を自分の目で見て納得していないからです。かくもこの法は難しい。釈迦はそのことで最初悩んだのでしょう。
なお、お経に出てくる神と悪魔の言葉は、心の中に生じたいわゆる「天使/悪魔のささやき」だと思ってください。
ゆっくりボイスに読経させてみた 5 「絆」
「思惟」http://www.nicovideo.jp/watch/nm20347621 にて、モノならぬものは考えるなと述べられました。
そのような無根拠な事柄のうちの最たるものは「輪廻」ですね。では釈迦は輪廻についてどう言ったのか。
それが縁起の法則です。
どうして人は来世への生まれ変わりに救いを求めてしまうのか。それは弱い人が苦しい今を生きる(「存在」)ためです。
そして火は油がなければ燃えないように、来世を望む人を存在させる燃料(「取」)があります。
その燃料は、喉の渇き (渇望) が注ぎ足しています。
ゆっくりボイスに読経させてみた 4 「思惟」
「全て」http://www.nicovideo.jp/watch/nm20346626 にて、モノでないものを語る空虚な物言いというのが非難されましたが、ではそれはどういうものかというと、たとえばこの経で語られるようなことです。
「世界は終わる」とか「人は死んでも存在する」とかしないとか、問い詰められれば結局は無根拠です。これを語る人に、じゃあ今ここで証明しろといってもできません。
しかし、これら無根拠な事柄は、宗教としては重要だけれども、実はどうでもいいのです。
これらがどうだろうと、悟りとは関係がない。ならば考えないがよいというわけです。
ゆっくりボイスに読経させてみた 3 「全て」
全てとは、五感と五感で感じるもの + 心 (= 六処) であって
これ以外のものを語る人は、モノでないもの、定義できないもの (avisaya) を語っているだけで
彼の言葉に中身はないのです。
ゆっくりボイスに読経させてみた 2 「無我と言う特性」
「転法輪」 ( http://www.nicovideo.jp/watch/nm20335604 ) で、苦という真理 (苦諦) をあるがままに見よ、と釈迦は言ったわけですが、ではそれはどういうことなのか。
「無常なものは苦だ」「苦であるものは無我だ」と言う見方をせよ、ということです。
なお、無常・無我の「無」は、「~でない」という意味の接頭辞です。「常でない」「我でない」という意味です。
「常は存在しない」「我は存在しない」という意味ではありません。
このお経では、ヒトを構成する五つの要素 (五蘊): 姿「色」、感覚「受」、クオリア「想」、意志「行」、心「識」を一つずつ取り上げて、どれも無我だと述べられます。
ゆっくりボイスに読経させてみた「転法輪」
釈迦は悟りを得たあと、まず、かつての五人の仲間のところに行って、教えを説いた。インドでは有史以来 良君 = 輪っかを回すイメージ なのだそうで、このことを「法の輪を回した」と表現する。
そのときの教えの内容はこう:「人が死後どうなるか、などを考える(邪見)のではなく、苦しみから逃れるにはどうすればいいかを考えなさい(正見)。そして、正見から始まる八つの道を行きなさい」
正見において見るものは、四つの真理、「四諦」のことです。この真理をそのままに見ることを、また「あるがまま」(如) とも言うようです。
なお、このお経は前半が重要で、画面右下にカウンタが表示されるあたりから先は蛇足です。