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シーイーの古都京都巡り065火除天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「火除天満宮」
です。
織田信長が上洛したことで、
京都の町は平穏となっていたし、
足利義昭が追放されたのもあって、
さらに平穏となっているときに、
大宰府から道真の像が、避難してきたことが始まり。
信長・光秀が創建に関わっています。
シーイーの古都京都巡り045市比賣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「市比賣神社」
です。
平安京が作られている最中、
都のフリーマーケットエリアが作られて、
そこに商売の神を祀る神社が創建されたのがはじまり。
近年は京都十六社めぐりの対象神社となってます。
2023年新春参詣
2023年 あけましておめでとうございます。
今年も元日そうそうから、いろんな神社を参拝してきました。
戦争のない良い年になってほしいものです。
さてこそ、例の如く
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
プラスで
・西大路七福社めぐり
をスタコラサッサと実施してきました。
また昨年に精華町さまから「京町セイカ」の公式立ち絵素材を入手したので、
試しにそれを使ってみました。
動画編集をしていると、映像のズレとかが発生し、
予定より投稿がおそくなってしまいました。
一か八かで、去年に搭載させたM2の記憶媒体の側で処理すると、
速いは、ちゃんと作れるわ…と。
それはおいといて…
ニコニコ生放送で、神社・仏閣からの中継の準備は、
なかなか進んでない状況ですが、
牛歩ながら継続して進めておきます。
※各神社の撮影は、沢山の人が参詣なので、
肖像権を踏まえての構図としており、
やむを得ず等で映り込んでいる場合、手を加えております。
シーイーの古都京都巡り043善峯寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「善峯寺」
です。
※京都府に緊急事態宣言が出ている状態ですが、
幸にもシーイー宅のご近所ばっかりのタイミングでもあり。
愛車で30分以内の場所が続いています。
この寺院は平安時代に建立されてます。
室町時代にあった応仁の乱で大破しています。
その復旧は江戸幕府五代将軍の綱吉の時代になってから。
彼の実母(家光の側室)に縁がある寺院という点から、
幕府が主体で大修築されています。
※令和三年八月末時点で、いくつかの建物が修築中となってます。
また、同年八月中旬の大雨により、参道である公道でトラブルがあり、
久しく閉門の状態でした。
シーイーの古都京都巡り079滝宮天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「滝宮天満宮」
です。
菅原道真は讃岐守(現在の県知事に相当)に任命されると、
速やかに讃岐にやってきました。
讃岐国府(現在の県庁に相当)で色々と政治を行います。
道真が寝泊まりの建物(官舎に相当)が、当地にあったそうで、
後に神社へとなったといいます。
色々と伝説が残っています。
シーイーの古都京都巡り075久我神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「久何(久我)神社」
です。
前回の羽束師神社と同じく長岡京の東を鎮護する神社。
速い話、この付近まで長岡京の都だったんです。
大極澱からかなり離れてるし、また内裏からかなり低い位置なので、
水害でが水没したのが、丸見えだったかもしれません。
意図は不明ながら、加藤清正を祀る社殿が末社であるんです。
シーイーの古都京都巡り056晴明神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「晴明神社」
です。
平安時代では、事の吉凶を占う専門の役職(部署)があり、
その人たちは「陰陽師」とよばれてました。
中でも「安倍晴明」はその道に長けており、
時の天皇をはじめ、大臣などは挙って彼の占いを信じました。
そんな彼は1005年(寛弘2年)に天寿を全うしており、
神格化されて、
彼の屋敷が1007年(寛弘4年)に神社に大改造された処になります。
シーイーの古都京都巡り076長洲天満神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「長洲天満神社」
です。
尼崎市に鎮座する何気ない天神さんかと思いきや、
道真さんが大宰府下向の折に立ち寄った場所であり、
近隣住民とふれあったエピソードがある箇所。
道真の没後に住民たちの手により建立された、
実は民間が頑張って建立した天神さんでもあったりします。
また尼崎在住のシーイーの親戚も、幾度か寄付をしてるといいます。
残念な事に、阪神淡路大震災や火事など、
平成時代に被害があったものの、民間の尽力により復興を続ける、
現在も民間の力で支えられている天神さんでもあり。
シーイーの古都京都巡り059大将軍八神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「大将軍八神社」
です。
平安京の四方八方を守護の目的で建立された建物になります。
※東西南北は神式で、北東 北西 南西 南東の斜めの方角は仏式の建物だったようです。
その北西が当社だったとの事です。
奈良の都は仏教が主体で、方位も仏式で守られておりました。
例外的に平安京にも用いられたと推察されます。
シーイーの古都京都巡り054六孫王神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「六孫王神社」
です。
2022年の一回目の動画になります。
清和天皇にも沢山の子供がいました。
そのうち六男に男の子が生まれた。
為に「六番目の皇子の系統の孫」から
「六孫王」のあだ名がついた。
最終的に臣籍降下となったので、「源氏」の姓を名乗りました。
彼のフルネームは「源経基」で
武家政権でキーとなる「源」の創設者となりました。
頼朝・義経の先祖であり、
足利家 今川家 新田家 といった源氏の元祖となるので、
当神社では「源氏発祥の地」となります。
シーイーの古都京都巡り051敷地神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「敷地神社」が正式名称ですが、この愛称の方が有名な
「わら天神宮」
です。
創建時期は全く不明ながら、
足利家はこの神社の熱烈な信者になります。
元々は衣笠村にあったそうですが、
現在の左大文字山からさらに奥とか、
鷹峯のさらに奥とか、
高雄からさらに奥とか、
最初の鎮座についても全く不明だったりします。
応永4年
鹿苑寺の舎利殿で棟上げが実施されてますが、
その頃に足利義満がこの地に引越しさせてます。
シーイーの古都京都巡り048長建寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「建長寺」
です。
江戸中期の元禄時代に移設という形で、
創建されて、その担当の武人が命名したお寺です。
境内の湧き水は「伏見名水」に選ばれております。
山門は竜宮門があり、門前の運河に十石舟の昇降場があって、
観光に抜群なポイントにあります。
京阪電鉄の中書島駅改札から300m程・徒歩3分程度なので、
大阪市内・京都市各所からのアクセスも抜群ですよ。
シーイーの古都京都巡り074羽束師神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「羽束師神社」
です。
西暦477年に創建といわれるも、ごく地方神社だったが、
長岡京遷都により都の東側を鎮護するお役目が与えられたことで、
格式が上がったといわれており、延喜式では「大社」扱いとなっており、
乙訓地区の筆頭神社となってます。
シーイーの古都京都巡り061今宮神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「今宮神社」
です。
船岡山からすこし北に鎮座する、
元々は「疫社」があったらしく、それを平安初期に拡張されたとの事。
応仁の乱では、西軍の本陣が目の前ゆえに。大災害となってしまうも、
復興されたのが江戸時代になってから。
徳川家光の側室「おたま」がこの辺りの出身とか、
この神社の氏子だったとか他説があり、
結果的に五代将軍の生母となって、綱吉が修築してます。
※町娘のおたまが将軍の母となった事から、「玉の輿」の語源ともある。
シーイーの古都京都巡り053熊野若王子神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「熊野若王子神社」
です。
2021年の最後の動画になります。
後白河天皇の熊野好きが最高潮のタイミングで、
新熊野神社と合わせて京都に建立された、本家熊野からの勧請。
白河天皇が建立の聖護社(熊野社)と合わせると
「京都熊野三山」なるように設定されました。
本家熊野とあわせるように本宮、新宮、那智、若宮があったが、
明治期の大修築で、3つの殿が連続した造りで、
全てがその殿に集約される形となり現在に至ってます。
シーイーの古都京都巡り042乙訓寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「乙訓寺」
です。
古くは推古天皇の祖父「継体天皇」が
一時だけですが都があった場所。
その地に推古天皇が聖徳太子に命じて建立したのが始まりとの事。
長岡京遷都においては、
都のどまんなかにある寺院となるので、
桓武天皇が命じて増強したそうです。
参考文献
・長岡京市史資料集成2 長岡京市の寺社
・シーイーの地元調査メモ
シーイーの古都京都巡り066安井金比羅宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「安井金比羅宮」
です。
今回からレギュラーのオープニングが、
八幡さんバージョンとなり、BGMも 協奏曲「八幡」 となります。
本編は相変わらずの 組曲「天神 第二楽章」です。
金比羅宮と言いながらも、実は寺院の歴史の方が長い処で、
かの中臣鎌足が建立した「藤寺」が始まり。
鎌足の藤好みが発揮され、境内のあちこちに藤があったそうですが、
応仁の乱などで、本殿前の藤棚だけとなってしまいました。
それを見た中大兄皇子(天智天皇)は、
鎌足が藤を好んでいると察したことで、
「藤原」の姓を与えたとの説が、近年出てきました。
明治になって神社となり、
昭和期に「安井金比羅宮」として神社庁に参加より、
本格的な神社となってます。
シーイーの古都京都巡り086下鴨神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「加茂御祖[かも みおや]神社」
です。
下鴨神社 と言う方が馴染みがあるかと。
なんでも紀元前から鎮座との事で、
2100年の歴史がある事になります。
直近では馬場にある「ラグビー神社」が流行との事です。
シーイーの古都京都巡り078菱妻神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「菱妻神社」
です。
前回および直近に紹介の神川神社 久我神社 羽束師神社 と同じく
長岡京の東側と、水害対策として、向神社(現 向日神社)から勧請により建立されるも…
建都中の長岡京の都を壊滅状態にした、葛川(現 桂川)の大洪水で跡形もなくなったらしいです。
前々回の「久我神社」の名前がそのままですが、
桓武天皇・村上天皇の血統である源氏の末裔「久我氏」が周辺を治めており、
久我家が先述の神社の礎石を流用で建立したそうです。
ちなみに女優の久我美子さんは、この久我家の末裔にあたるそうです。
シーイーの古都京都巡り047飛行神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「飛行神社」
です。
明治から昭和にかけて、飛行技術の革新を行った、
二宮忠八さんが、私財と研究施設を投入して、
神社と大改築された場所になり、
しかも初代宮司も二宮忠八さんという、
近代稀な神社になります。
航空技術に関わっていたことから、
航空関係の会社や開発や、乗務員、
宇宙技術に関する会社・団体・技術員などから
かなりの崇拝があります。
特に人工衛星打ち上げが近いと、
その関係者の方々がお参りに来られるのも有名。
京阪 石清水八幡宮駅(旧 八幡市駅)から徒歩数分なので、
石清水八幡宮の参詣と合わせての参拝をお勧めします。
ちなみに、ピカピカした鳥居なので目立ってます。
2022年新春参詣
2022年 あけましておめでとうございます。
元日からいい天気となった京都です。
良い年であってほしいですね。
さてこそ、例の如く
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
をスタコラサッサと実施してきました。
その記録動画としてここに投稿しておきます。
ちなみに今朝起きたら…
体が悲鳴を上げていた事は、言うまでもなし…。
ゆくゆくは、ニコニコ生放送で、神社・仏閣からの中継とかしたいものです。
その準備は時間がかかるかもですが、進めておきます。
※各神社の撮影は、沢山の人が参詣なので、
肖像権を踏まえての構図としており、
やむを得ず等で映り込んでいる場合、手を加えております。
シーイーの古都京都巡り087出雲大神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「出雲大神宮」
です。
丹波一宮という格式 かつ 元祖の「出雲神社」。
江戸時代の庶民に流行した「出雲参り」の目的地。
ここ数年の日本史研究では
「ヤマト政権の出雲討伐の場所」
とか
「国譲りの場所」
という説が出てきている場所になり、
神社周辺には古墳がいくつかあるほどです。
最寄りの駅からのアクセスはお世辞にも「便利」とは言えないので、
公共交通でお越しの際は、
JR山陰本線や路線バスの時刻にご注意を。
シーイーの古都京都巡り082飛鳥田神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「飛鳥田神社」
です。
横大路に鎮座なので、数回前に紹介の「横大路田中神社」からすぐだったりします。
西暦653年に創建ということで、
京都市内でもトップクラスの古さになります。
桂川の真横なので、水害被害はそれなりにあったと思われますが、
これと言った被害記録や、水害が元での修築などの情報は乏しく、
具体的な事は謎の状態です。
あとがき
紹介にあたり、極力直近の写真にしようと7/29か7/30に撮影を予定していましたが、
去る7/28に身内の不幸により黒不浄となりて参拝できなくなり、
2016年に撮影したものを使用しています。
シーイーの古都京都巡り062祇園神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「祇園神社」
です。
明治になって改名されたのが「八坂神社」にて、
こちらの呼び方がオーソドックスですが、
登録上では「祇園社」のために、タイトルを「祇園神社」としております。
かなり前となりましたが、コラムでも紹介した
「京都五社めぐり ~四神相応の京~」
の対象神社としてはラストになります。
記紀には「祇園精舎の牛頭天王を祀る疫社」と記述があり、
桓武天皇はこの文言から「祇園社」と命名したようです。
当社が主催のお祭りが「祇園祭」なのは、言うまでもなく、
現在も疫病退散・無病息災の意図があるのは、
まさに「疫社」がベースゆえの事になります。
有名な西口の楼門をくぐると、元祖の「疫社」がすぐあって、
その裏手(奥)に本殿がある造りとなってます。
楼門から両脇に参道が別れる仕組みは、
青龍が蜷局を巻いている姿を踏まえたとも言われております。
建立の後は、天皇家・公家・武家からの崇拝があり。
各幕府も修築や寄進を行っている神社になります。
また、全国にある「祇園神社」および「八坂神社」の総本宮になります。
シーイーの古都京都巡り046墨染寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「墨染寺」
です。
平安時代の初期に建立の「貞観寺」というのが元祖らしいですが、
応仁の乱で消失しております。
復旧されたのが、豊臣秀吉の晩年の時であり、
秀吉の実姉の「とも」が出家し入った事から、
日蓮宗に改宗されたのと、豊臣家の菩提寺となっております。
独特のグラデーションカラーをもつ
「墨染の桜」
はこの寺院の名物であります。
挿入BGM
「幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~Border of Life~」
作曲 zun 様
シーイーの古都京都巡り021水火天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第六段
「スイカ水火天満宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その5。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・六玉稲荷
ほかいくつか
醍醐天皇は菅原道真を太宰府の責任者とする降格人事を実施。
太宰府で道真が亡くなると、京都では天変地異が続発。
大臣の藤原時平が急死したり、醍醐天皇の皇子が若くして亡くなったり、
挙句に、十和田湖で火山が大爆発し、日本国中に灰が降った。
禁裏でも民衆も「道真のタタリや~!えらいこっちゃ~!」と騒ぎ、
道真の鎮魂のムードが高まった。
そんな時に比叡山の僧正である「尊意」が、
「私の自宅で供養しましょう。」
言ってくれたので、
「水火の社」の社号と
「天満自在天神宮」の神号を用意して祀ったのが始まり。
つまり「道真=怨霊」の方程式が確立した処になります。
シーイーの古都京都巡り084粟田神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「粟田神社」
です。
京都から伸びる「東海道」の玄関が「粟田口」であり、
その玄関先に相当する神社になります。
その立地から、源義経などの参拝履歴があります。
シーイーの古都京都巡り057,058大黒寺と金札宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「大黒寺(薩摩寺)」
と
「金札宮」
です。
※今回から本編BGMが編曲のバージョンとなりました。
いつかはフルオケにしたいものですがね…。
このお寺と神社は、公道を挟んでお向かいさんという立地なのと、
直近の歴史で関係があったので、多層建てでの紹介です。
大黒寺(薩摩寺)は、
戦国時代の猛将「島津義弘」が建立したお寺で、
すぐ西側に島津家の京屋敷(薩摩藩の屋敷)があったのもあって、
島津家の家臣団やその配下の人達を弔う意図で建立。
金札宮は、
奈良時代に創建説と、平安時代に創建説がある神社で、
室町末期に、伏見城の築城で城内に移設され、
伏見城落城の後に現在地へ移設されてます。
大黒寺の建立時期に移設されているので、
その鎮守社の意図があったかもしれません。
幕末では、
「鳥羽伏見の戦い」で、薩摩・土佐連合軍が、
大黒寺に集結し、金札宮で先勝祈願をして出陣。
明治維新の後に、西郷隆盛によって
幕末の殉死者を弔う墓碑が大黒寺に建立という歴史を持ってます。
シーイーの古都京都巡り014平安神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平安神宮」
の紹介になります。
名前から平安時代に創建と勘違いされてる方がおられますが、
明治時代に創建された神社になります。
平安京遷都1100年という記念でもあり、
神社と合わせて、武道館や動物園も建設されました。
明治時代に創建ということで、国宝指定はなく、
重要文化財や登録有形文化財の建物になります。
シーイーの古都京都巡り085神明神社と鵺大明神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「神明神社」と「鵺[ヌエ]大明神社」
です。
鵺大明神社については、創建のプロセスが物語が主体なのと、
その物語で神明神社と密接な関係があることから、
二箇所を同時紹介としています。
平家物語にも記述がある「源頼政」は、
「ヌエ退治」をしたという伝承があり、
その伝承が元で作られているのが「鵺大明神社」です。
頼政は、坂田金時(幼名 金太郎)の主である「源頼光」の玄孫にあたり、
武に長ける一族のため、鵺退治に抜擢されたとも。
※伝承によっては、頼政自身がヌエにトドメを刺すもの、
配下が刺すバリエーションがあり、この動画では前者を採用しています。
シーイーの古都京都巡り080徳島眉山天神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「眉山天神社」
です。
神社史では江戸後期に創建なんですが・・・
多方面の文献を読むと、戦国時代末期に創建と思われる節が見えます。
なんせ秀吉が行った「北野大茶会」に関する記録にも、
この神社に関する情報と思われるものがあるんですよ。
何よりも藩主の蜂須賀氏は、羽柴の与力(豊臣家臣団)の筆頭ですからね(笑)
シーイーの古都京都巡り030養源院
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「養源院」
です。
山号は「南叡山」
開山が「成伯」で戦国大名の浅井家に縁がある方で、
開基が「浅井茶々」となり、
まさに「浅井家の菩提寺」と言えるお寺です。
成伯が延暦寺の僧であったため、建立当時は天台宗のお寺でしたが、
昭和期に浄土真宗に改宗されてます。
大坂の陣の後は、徳川秀忠の正室である浅井江(徳川江/崇源院)が、
豊臣秀頼、姉の茶々および浅井家先祖の供養をすべく、
江戸幕府主体での法要が大々的に行われました。
まもなくに火事で焼失しますが、
江が秀忠に懇願して再建されました。
再建には解体された伏見城の廃材がリサイクルされて、
伏見城の戦いで戦死した、徳川方の将兵の血が多数付着しており、
主に天井板に使われている事から、「血天井」の異名があります。
この件は、
大河ドラマ「葵 ~徳川三代~」の第37回で、
秀忠と江の夫婦の会話に出てきております。
上述の通り徳川家の先祖に当たる事から、
葵の御紋の使用が許可されております。