タグ 姚蘇蓉 が登録されている動画 : 37 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
黛ジュン『天使の誘惑』北京語版2…姚蘇蓉 「春天在你身辺」
1970年。台湾では鄧麗君(テレサ・テン)が歌ったもう1つの北京語カバー「軽軽一個吻(sm29475500)」も出てます。
エミー・ジャクソン『夢みるマイ・ボーイ』北京語版1…「孩子你聽媽説」
『夢みるマイ・ボーイ』は1965年にエミー・ジャクソンが英語で歌った曲。後に榊原郁恵が日本語で歌ってましたが、台湾では60年代後半に台湾語版の「孩子的夢(sm31135635」と北京語版の「孩子你聽媽説(sm31135681)」が出現。姚蘇蓉は『涙の太陽』の北京語カバー「請你緊緊抱着我(sm26799220)」も歌ってました。
伊東ゆかり『小指の想い出』北京語版1…姚蘇蓉「藍宝石之恋」
♪あなたが噛んだ、小指が痛い~♪は1967年のヒット曲ですが、台湾でセクシー歌唱が一世を風靡した姚蘇蓉が北京語カバー「藍宝石之恋」を歌ったのは69年。タイトルを訳せばサファイアの恋。♪あなたがくれたサファイアのイアリングを、あなたがいなくなっても愛の記念に付けてるわ~♪という感じ。香港では歌詞がビミョーに異なる「藍宝石之恋(sm28873911)」が出てました。
『別れの指切り』北京語版…姚蘇蓉「一寸相思一寸涙」
『別れの指切り』は一体誰が歌っていたのか不明な曲。でも台湾では台湾語カバーの「最後的談判(sm27534589やsm27534655)」「一寸相思一寸淚(sm27534688)」がヒットして、北京語版の「一寸相思一寸淚(sm28821760)」や広東語版の「一寸相思一寸淚(sm28821742)」も出たとか。メロディからすると元歌は韓国かも?はたまた『桜の国に憧れて(sm26965270)』のように、台湾人歌手が日本で歌っていた?
霧島昇+松原操『目ン無い千鳥』北京語版2…姚蘇蓉「我愛晚霞」
『目ン無い千鳥』は1940年の映画「新妻鏡」の主題歌。69年に大川栄策がカバーしましたが、台湾では「春夢不了情(sm26173359)」「男性的悲哀(sm26173372)」「酒女為誰人(sm27306647)」「失恋免悲傷(sm27306677)」「夢中的愛人(sm27704226)」などの台湾語カバーがいろいろ出たほか、北京語版として出たのが「我愛晚霞」。
水原弘『君こそわが命』北京語版2…姚蘇蓉「熱情已冷」
『君こそわが命』は1967年に水原弘がカムバックを果たしたヒット曲。台湾では北京語版の「唯一愛的人(sm27822671)」や台湾語版の「你是我的生命(sm27822630)」も出てます。
北原謙二『夢で泣け』北京語版2…姚蘇蓉「愛与恨」
『夢で泣け』は1966年に北原謙二が歌った曲ですが、台湾ではカバーが何種類も出て、北京語版が「昨夜夢醒時(sm25265431)」と「愛与恨(sm27975590)」。台湾語版が「恨世生(sm25032754)」「夢中的愛人(sm25032841)」「愛甲恨(sm25265469)」「昨暝的夢(sm25036792)」「不幸的愛」「無縁花」。また香港では広東語版の「明日酒醒時(sm25265529)」、中国では北京語版の「夢醒(sm26840675)」が出ました。姚蘇蓉は身をよじって泣くような歌い方で、60年代末から70年代初めに一世を風靡した歌手。台湾では「風紀を乱す」と歌唱禁止処分になり、香港に拠点を移し、戦前の上海の面影を残していた国語時代曲(北京語歌謡曲)を吹き飛ばし、東南アジアでも人気が爆発した人。ハマると病みつきになる歌声です…。現在はマレーシア在住とか。
井上ひろし『雨に咲く花』北京語版…姚蘇蓉「苦恋花」
『雨に咲く花』は1935年に関種子が歌った映画主題歌ですが、60年に井上ひろしがリバイバルして大ヒット。井上ひろしはザ・ドリフターズのメンバーだった人、と言っても『8時だよ!全員集合』が始まる10年前の話で、当時のメンバーは他に坂本九とか。。。
『朝日のあたる家』北京語版1…姚蘇蓉「帯走了我的心」
『朝日のあたる家』は誰が最初に歌ったかわからないアメリカの曲ですが、日本でもちあきなおみや浅川マキ等いろんなバージョンのカバーがありました。台湾ではテレビ布袋戯(人形劇)に登場する大節女(sm27015537)というキャラクターのテーマソングになって有名に。一方、北京語版もいくつか出て、72年に姚蘇蓉が歌ったのが「帯走了我的心」。姚蘇蓉はセクシー歌唱が風紀を乱すと問題になって、台湾政府から一時歌唱禁止を命じられ、香港に拠点を移したこともある人。
柳町洋子『最終夜汽車』北京語版4…姚蘇蓉「何処是帰程」
元歌を歌ってる日本人が謎なら北京語のカバー曲も謎。柳町洋子の『最終夜汽車』ですが、1960年代に台湾でそういう日本語のレコードが売られていて、台湾語カバー「最後的火車站(sm23321991)」と北京語カバー「何処是帰程」や「最後夜快車(sm23322288)」「最後的夜快車(sm26902386)」ができたのですが、日本にそんな歌手はいなくて、元歌は明らかに津村謙(『上海帰りのリル』を歌った人)の『終着駅に灯がともる』。「何処是帰程(sm26902145)」は1970年に台湾の人気歌手だった姚蘇蓉が歌ってましたが、シンガポールやマレーシアの「何処是帰程」は曲やタイトルは同じでも、歌詞がまったく別(sm26902324)です。
ジュディ・オング『涙のドレス』北京語版1…姚蘇蓉「涙的衣裳」
ジュディ・オングの『涙のドレス』は1969年のヒット曲。台湾では北京語カバーの「涙的衣裳」が出ましたが、69年に姚蘇蓉(sm26888341)、70年に鄧麗君(テレサ・テン)(sm26888366)、71年に翁倩玉(ジュディ・オング)本人が歌ったもの(sm26888390)は、それぞれタイトルは同じでも歌詞が丸っきり違うもの。一体ナゼ?
『乙女の涙』北京語版1…姚蘇蓉「心声涙痕」
謎の曲です…。原曲は『乙女の涙』ということになってますが、いつ誰が歌ったのか不明。原曲タイトルは『姑娘よもう泣かないで』だという説もあります。台湾のテレビ番組では「日本曲」というクレジットが出てますが、実は韓国の曲だとも。いずれにしても、台湾語カバーの「可憐的小姑娘(sm26860848)」や北京語カバーの「心声涙痕」は台湾や東南アジアの中華圏では有名な懐メロで、香港でも「心声涙痕」「你軽呼我」「台前幕后」と3種類の広東語カバーが出てました。北京語版の「心声涙痕(sm26860860)」は1970年に台湾の姚蘇蓉が歌いましたが、シンガポールやマレーシアの歌手が歌ってる「心声涙痕(sm26860868)」とは、ほんのわずか歌詞が異なります。
エミー・ジャクソン『涙の太陽』北京語版2…姚蘇蓉「請你緊緊抱着我」
♪ギ~ラ~ギ~ラ、太陽が~♪で始まる『涙の太陽』といえば、安西マリアの代表曲ですが、もとは1965年にエミー・ジャクソンが歌った英語の歌。もっとも作詞も作曲も日本人で、同じ年に青山ミチが歌う日本語版も出ましたが、日本語版が大ヒットしたのは73年に安西マリアが歌ってから。で、67年には台湾で鄧麗君(テレサ・テン)の「涙晒太陽(sm24679229)」と、姚蘇蓉の「請你緊緊抱着我(sm26799220)」という2つの北京語版が出て、その後マレーシアでは「帶走我的心(sm30981443)」も出ましたが、歌詞はどれも同じ。♪な~ぜ、な~ぜ♪の部分を♪Why Why~♪と歌っているので、エミー・ジャクソンのカバーなのでしょう。
いしだあゆみ『ブルーライトヨコハマ』北京語版3…姚蘇蓉「藍夜」
『ブルー・ライト・ヨコハマ』は1969年のいしだあゆみのヒット曲ですが、台湾では北京語カバーがいくつか出て、鄧麗君(テレサ・テン)の「寂寞的花季(sm23323895)」や欧陽菲菲の「我為你而來(sm25181518)」など。他に当時セクシー歌唱で大人気だった姚蘇蓉が歌ったのが「藍夜」。姚蘇蓉は歌い方が退廃的すぎると台湾政府によって歌唱禁止処分にされ、香港に拠点を移していた人。香港では広東語版の「新的一天新希望(sm23298896)」も出てました。
松山恵子『お恵ちゃんの婦系図』北京語版1…姚蘇蓉「我為你痴迷」
松山恵子の『お恵ちゃんの婦系図』は1959年のヒット曲。台湾では台湾語カバーの「真情放祙離(sm26536808)」「經過一年後(sm26536883)」「心砕夢也醒(sm32733857)」と、北京語カバーの「我為你痴迷(sm26537380)」が出てました。姚蘇蓉は60年代末から70年代にかけてオーバーな歌唱法で一世を風靡した台湾の歌手。あまりの色気に台湾政府から放送禁止どころか歌唱禁止処分になり、一時期香港へ活動拠点を移したほどの人。
ちあきなおみ『喝采』北京語版2…姚蘇蓉「一片相想」
ちあきなおみの『喝采』は、台湾でも73年に鳳飛飛がタイトルや内容がそのまま同じの北京語版「喝采(sm26289672)」を歌って大ヒットしましたが、同じ年に「一片相思(sm26294779)」「愛你永不変」や、歌詞が違う「喝采」など北京語カバーが他にもいくつか出て、これらは忘れ去られた存在に…。姚蘇蓉は60年代後半から70年代前半にかけて身をよじって涙を流して歌う「オーバー唱法(sm24185307)」で一世を風靡した歌手。あまりに退廃的だと台湾政府から芸能活動が禁止され、一時期香港に活動を移していたほど。
神戸一郎『十代の恋よさようなら』北京語版1…姚蘇蓉「満天星斗的晩上」
『十代の恋よさようなら』は1957年にヒットした神戸一郎のデビュー曲。台湾では台湾語版の「可憐恋花再会吧」「悲情的相思」が出てますが、1970年に台湾で出た北京語カバーが「滿天星斗的晚上」で、オーバーな歌唱で当時大人気だった姚蘇蓉が歌ったもの(sm26049259)。その後マレーシアで出た同じタイトルの北京語版(sm26049355)もありますが、歌詞が一部違ってます。
塩まさる『九段の母』北京語版4…姚蘇蓉「教我怎麼不恨你」
森進一『女のためいき』のカバー「負心的人(sm24185307)」や、城卓矢『骨まで愛して』のカバー「恨你入骨(sm24224928)」など、女の恨み節を涙を流しながら身をよじって熱唱する姿で一世を風靡した姚蘇蓉。その歌いっぷりが「風紀を乱す」と台湾政府から「歌唱禁止処分」となり、一時は香港へ活動拠点を移したほどですが、73年に歌ったのが、戦死した息子のお参りに靖国神社へ向かう1939年の母の歌『九段の母』のカバー。しかし結局、♪どうしたらあなたを恨まずにいられるか教えて~♪という女の恨み節になってしまいました。
森進一『襟裳岬』北京語版5…姚蘇蓉「照顧我吧!愛神」
『襟裳岬』は1973年の大ヒット曲ですが、台湾では「襟裳岬(sm24255576)」「依旧是一個人(sm24255665)」「仍旧一個人(sm22780233)」「沙灘上的歌声(sm24256466)」「照顧我吧!愛神(sm24256504)」「迎接好春天(sm32613050)」などのカバーが出て、パチモノの「我不辜負你(sm24255739)」まで出現しました。そのうち現在もポピュラーなのは鄧麗君(テレサ・テン)と鳳飛飛という台湾の2大歌姫が歌った76年の「襟裳岬」と78年の「依旧是一個人」ですが、一番最初に出たのは73年の「照顧我吧!愛神」。タイトルを訳せば、「愛の神様、面倒見て!」で、森進一のデビュー曲『女のためいき』のカバー(sm24185307)を大ヒットさせた姚蘇蓉が歌っていましたが、あまりヒットしなかった模様。彼女のオーバーな歌唱法もイイカゲンに飽きられた?