タグ 巨樹 が登録されている動画 : 48 件中 33 - 48 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)
サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。
〜巨樹の風景〜 県天然記念物「津田の大カヤ」巨樹 広島県廿日市市津田 真幡(まはた)神社内
佐伯地区の津田にある真幡神社の社殿に傘を差しかけたようにそびえる御神木。
たまに行きたくなる。久しぶりの参拝記録。
樹高35mもある常緑針葉樹カヤの巨樹。県下同種で最大の木である。
モミに似ているが葉の先や果実の形状がが違う(もみの木=葉は先が割れ、果実は球形)
カヤの木は用材としては碁盤や将棋盤に用いられることが多い木でもある。
また、カヤの木の実は、楕円形で果実は鮮やかな緑の肉質の仮種皮に覆われているが熟すと紫褐色となる。熟すと割れて種子を落とすようです。
種子=食用になり アク抜きをして そのまま炒る、餅につき込みなどなどして食すようです。
また油が多いので、昔は灯火用の油(灯明)や食用油などに使われたといいますが見たことはないですよね。探偵ナイトスクープでお寺に保存された油で天ぷら?したのを見た記憶がある(曖昧だけど)
カヤの実、自体をあまり見る機会がないので初めて見ました。綺麗な色をしている。
2021 真夏
*文化財の詳細は県の広島大百科サイト津田の大カヤの項を参照しています。
<天然記念物ツクバネガシの巨樹と紫陽花> 友田「速田(はやた)神社」R3 広島県廿日市市友田
緊急事態明け今年初めて旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。天気で暑すぎず蒸し蒸しもせずいい日和でした。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種ではおそらく一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで友和公民館が近い(Pあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も一間社流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回4目かな。
今年は緊急事態で錦帯橋の紫陽花や菖蒲の花を見損ねたので紫陽花が見れてよかった。
この日は湿気も少なく紫陽花も満開で、もみじの色も新緑も上々。
令和三年梅雨の合間に
【西国街道 廿日市宿場跡】厳島神主家 桜尾城の鎮守「 廿日市 天満宮 」(二)旧別当寺正覚院と「巨樹 千年楠 」
後半は旧別当寺正覚院と山頂の千年「大楠」など 少しパワスポ編です。*西側の眺め〜鐘楼〜正覚院〜千年楠巨樹〜参道を下る。参道大鳥居近くの今が盛りの蝋梅(2月12日に再度訪れた終わってました)
旧厳島神主家の守護神で、廿日市駅の南側にあり電車からも見える目立つ天神山(篠尾山)
明治後、天満宮と真言宗 正覚院(寺伝では行基開基とも言われ相当古いようです)に分離された。
天神の創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官の中原親能(大江広元の兄)の一族中とも言われるている鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され、桜尾城に着任 天福三年(1233年)笹尾山に荏柄天満宮より守護神として神霊を勧請したものと伝わる。
のち藤原氏は鎌倉末期安芸国へ下向し国人領主化した。
篠尾山は厳島神主家の居城「桜尾城」(三方を海に囲まれていた)の支城の一つであったという。今山は小さくなっていますが・・・。
戦国末期 厳島神主家が滅んだ後も大内氏が祭祀を命じていたらしいですが、大内氏も滅び次第に衰微してしまう。江戸時代の慶安5年町の氏子の寄進がおこなわれ社殿が再興され傍らの神宮寺と共に神仏習合しており「別当寺天神坊」と呼ばれた。のちに新宮神社(下平良)、八幡宮(佐方)も勧請され〜 旧廿日市全域の鎮守・総氏神として続いてきたという。 神社庁、廿日市天神HP縁起参照。
廿日市総氏神 廿日市天満宮(1)(新宮社も勧請されている)sm38258080
新宮神社(藤掛城主が建立した〜下平良の氏神)sm38156694
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社(宮内上組の氏神)sm37969384
桜尾城支城があった藤掛山の広田神社 sm36972757
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm3738415
上平良にある二ノ宮 延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947
周防大島文殊山<大同元年開基>智慧の 文殊堂 黄落の境内〜本編〜(山口県大島郡周防大島町三蒲)
大幅に追加・編集し直した。屋代島(周防大島)にある〜弘法大師開基と伝承される文殊菩薩を祀る文殊堂。文殊山の8合目にあるお堂である。公孫樹(イチョウ)の巨樹や紅葉など晩秋〜初冬は境内は黄金色に埋まる。大木なども多い。山好きな人は結構登ってる山です。
由緒は案内板を参照した。一応山口県では日本三文殊菩薩の一つとされている。
県道106号線を辿ります、途中県道と文殊堂方面への道が分岐している(案内板がある)
また、その辺りに徒歩参道の石段もある。途中駐車スペースもあるので徒歩で行くのもいいでしょう。
現在は松尾寺の奥の院ではなく地域管理の単独のお寺の模様。
もう少し日差しがあればよかったんですがね。
なかなか遠いので懐かしいしいつでも参詣できる様に映像で残しました。
ナレーターはSiriちゃん。
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和
県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
初秋の宮島巡り 「自然歩道 うぐいす歩道を辿り古刹 浄土宗光明院 」まで
秋の宮島散策記その(1)令和二年八月終盤 世界遺産のある島 厳島〜宮島へやってきた。
宮島港を出て左へ行くとすぐの長浜神社入り口あたりで道が分岐する。
右の山側の道路を登る。町並みの背後の山側を紅葉谷まで1、8kmで結ぶ散策路。
これがうぐいす歩道と言われる自然散策路。車道なので、時にホテルや旅館の送迎バスなども通行しますので注意は必要
久しぶりに歩いた。今回は誓真大徳碑(光明院)分岐まで行きここを入る。この分岐のちょい先 うぐいす歩道の山側に楠の巨樹があった。いろいろあるもんですな。
誓真大徳(Seisin Daitoku)=弁財天の琵琶の形から宮島名物杓子を考案して広めたり、井戸を掘ったり民生に尽くした。光明院裏、今はない浄土宗 神泉寺の番僧をされていた。
この後、石碑前から眺めを見た後、光明院前(今回は参拝せず)を降り山辺の古径(昔の参道)に合流して五重塔へ。
うぐいす歩道の光明院・誓真大徳碑方面への分岐は表示が小さいので見落とさないこと。
そのまま真っ直ぐうぐいす歩道を進めば紅葉谷ロープウェー駅の少し下に出る。また途中エスケープして、旅館岩惣の前へ(紅葉谷入り口)降りる道などもある。
人はそこそこ増えましたが、密にならずに観光できます。異様に多い外国人がほとんどいないので静かなもんです。今までが多いにしても程があると思います。これがまあ普通です。コロナが収まり昔くらいに今少し増えればいいんですけどね。程々が肝要。中華発コロナ が治るまでは日本人が戻ってこなければデス。
「曰く 過ぎたるは及ばざるが如し」
厳島、宮島関係映像= https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/82780
<坂と猫の港町> 尾道の寺社巡り(二) 艮神社〜妙宣寺〜御袖天神・大山寺 まで *猫も出ます (=^ェ^=)
コース=艮(うしとら)神社〜妙宣寺〜御袖(みそで)天満宮〜大山寺。御袖天神の参道は大林宣彦監督の尾道三部作〜転校生の主人公二人の心が入れ替わる場面の舞台です。
艮神社=旧村社 旧尾道 最古の神社 楠の巨木群は県天然記念物指定。
妙宣寺=日蓮宗寺院 文和三年(1354年)大覚妙実(元真言僧で、日像上人の弟子。妙顕寺二世)が開基だそうです。本堂は江戸期天明年間再建。幕末広島藩が駐屯し福山藩に備え、尾道を鎮撫した史跡でもある。猫がたくさんいました。
御袖(みそで)天満宮、大山寺(元は神仏習合で旧天神坊だが明治時代以後分離した)石段が大林宣彦監督転校生の舞台。御袖天神は菅原道真が尾道に寄港し残した袖が由来。大山寺は真言宗で西大寺の慶鑁(keiban)和尚が再興した。
寒風にからからなるや絵馬の宮 アーカムハウスダーレス
その(3)〜sm37499235
尾道は歴史も深いところなのでお寺が多くて1日では回りきれませんね。
令和二年巡拝記録集
友田 「速田神社」初秋8月末 再訪 廿日市市友田
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町友田)にある速田神社。お盆過ぎの21日再訪記録。
蝉時雨と猛暑の境内。
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されているが天王神社だから素盞鳴命と思われる。 ただし由緒書がないので推測ですが速谷神社なら安芸国造系の祖神のはず。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
もし行かれる方がいたら友和公民館が近くにあります(Pあり)
温泉の帰り折角なのでどこか寄りたくてお参りしました今度は涼しい時に行きたいな。
広島県の神社 はつかいち 旧佐伯町 日本の風景 神社動画 御神木 の巨樹がみごと
防長あれこれ〜清流の里 錦町広瀬 市の天然記念物指定 権現山巨樹群 岩国市錦町
清流の錦川に沿う岩国市錦町広瀬の町にある岩国市天然記念物「権現山巨樹群」散策。
錦川清流線の終着駅で古い町。山代地方と呼ばれ毛利藩の官道山代街道が通っていた。
水と山の町。旧国鉄岩日線=錦川清流線(第三セクター)の終着駅。
船津権現山という岡には白山権現が祀られているようで、そこには巨樹群があり現在の岩国市の天然記念物に指定(旧錦町天然記念物)されている。
また、その後背の山は朝霞(あさかすみ)と呼ばれ毛利氏の重臣 渡辺飛騨守が築城していた。飛騨守は、広瀬、河山で5000石を領して山代地方の押さえとされていた。 その居城として朝霞城が築城されていた。今も遺構が残るらしいです。
訂正=後で調べますと渡辺飛騨守が山代広瀬あたりを領したのは関ヶ原以後 毛利が萩へ移されてからのようです。手持ちの山口県歴史散歩によると渡辺飛騨守は、毛利軍の防長攻略の時、山代地方鎮撫に功績があったらしいです。
ここから少し歩くとその墓所もある宝篋印塔があり史跡指定されている。昔行きましたが今回はパスしました・・熱いのでバテバテです^^;
産直市場のおばさんたちに聞くと広瀬あたりは盆地で暑いらしいです。
ピュアラインにしき=国道187号線沿いの道の駅。休息所、売店、セルフレストランがある。
名産の蒟蒻 関係は豊富。ここから少し走ると道が分岐し187号線吉賀方面(六日市の峠にドライブイン山賊がある)と434号線宇佐郷方面(そうず峡温泉、羅漢山、寂地峡)へ分かれている。
友田 速田神社(速田大明神)と広島県天然記念物 ツクバネガシの巨樹 広島県廿日市市友田
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されている天王神社の素盞鳴命と思われる(由緒記載が無いので推定ですが)
拝殿は吹き抜けで、絵馬が多く奉納されている。拝殿右側から本殿そばまでいけますが猛暑前だと地面に苔が生えて足裏の触感がこころもちふわふわします。社殿は小ぶりながら立派なもので雰囲気もよろしいです。また行きたなと思いました。
前回 岩国市美和町阿賀の速田神社へお参りしましたが久々に広島県廿日市の速田神社へ行ってきた
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町の友田)にある。昔の佐伯郡という名称は厳島神主家佐伯氏の名から来ている。
この辺りは津和野街道に沿うように走る県道30号線を廿日市市街から折敷畑〜明石峠(毛利vs大内軍の明石、折敷畑合戦の舞台)を越え少し走ったあたりにある。旧佐伯町ができるまでは友和(ゆうわ)村といったらしい。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
車なら友和公民館で周辺の散策資料をもらい徒歩がいいでしょう。バス利用なら岩組バス停がそばある。ちなみにこの辺に乙丸という広島ラーメンのお店がある一回行きましたがおいしいです。小さめの餃子がよかった。昔々舟入でよく行った、しまいの餃子みたいで懐かしい。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて
山口県美和町阿賀 速田神社 sm37182811
岩国市玖珂 樹齢六百年の巨樹 春日神社の大杉
春日神社のご神木の大杉。岩国市の重要文化財指定。県道136号藤生上久原線の傍らにある巨樹の大杉。道路に沿い笹見川を流れるあたりにそびえる。近くに塔ヶ森の森林公園などがある。
神社は杉の裏の広場にあり小さい鎮守のようでした。
幾度か大きな台風や野焼きの火粉を受け焼けたり空洞化が進んでいるようであるが、保存作業がなされステンレスの結束バンドで固定されているが樹勢は今だ盛んである。
今回で3回目の訪問。 今回は旧山陽道欽明路峠を越え欽明寺方面へ行かず直進し祖生方面へ 行くと県道136号の交点で136号へ入り少しゆくとある。
近くに塔ヶ森があり観音堂や登山ができるようですまだ行ったことがなんですがそのうち。
最後は、春の大杉から136号線を走り途中 笹見川沿いに田園を走った田んぼの真ん中おそらく農道にて。
一面の緑の田んぼから玖珂盆地の山の景色が綺麗なので撮影。鞍掛合戦(毛利軍が後の蓮華山城から攻め下ったという)の舞台の二つの山 鞍掛山と蓮華山が見えた。
微調整して再アップ
【巨樹巡り】岩国市天然記念物 「 楠一丁目のクスノキ巨樹群 」の新緑
岩国市の楠町一丁目 門前川の堤にあるクスノキの巨樹群。堤防の上に11本の巨樹が並ぶ様は壮観。清流の錦川がこの辺りで井堰を境に東の今津川、西側に流れる門前川に分かれて行く場所。
楠のあるあたりは二つの川の間で形成された三角州である(川下地区と呼ばれているそうです)
岩国領主 吉川広正 公が現在の楠町1丁目付近に隠居所を作るため万治元年1659年堤防を改修した時かそのすぐ後に植えられたと言われているらしい(他の説もあるようです)1661年館は完成している。
吉川広正公=岩国第二代岩國領主、吉川広家の長男、毛利秀元に代わり一時 長州藩の執政や藩主毛利綱広の後見なども勤めた。
クスノキの巨樹=11本あり一番大きな巨樹で目通り5、65メートル、高さ30メートルある。
門前川の井堰は渡る人がちらほらいます。今度歩いてみたいなと。
現在は神社周辺の樹上には、白鷺(サギ)の群れが営巣しておりけたたましい鳴き声がこだまする。糞で下の神社が真っ白。東側の方はサギの巣が少なかった。
神社ですがyahoo地図や岩国に詳しいブログの紹介では「海原神社」となっていた。
錦帯橋の花菖蒲を見学したついでに 錦川沿いに走り日帰りで行ってきました。
<島根県の神社>巨樹の「赤穴(あかな)八幡宮」と頓原ラムネ温泉へ 島根県飯石郡飯南町赤名/頓原
島根県飯石郡飯南町(旧赤来町と頓原町が合併して生まれた町)旧分国では出雲国になる地方
頓原のラムネ温泉へ行く途中に道の駅赤来高原の至近にある古い神社があり参拝してきた。
なかなかいけないところなので温泉へ行く途中参拝 記録として作成。 2019.6
この辺りは赤穴荘とよばれて国人領主 赤穴氏により赤穴城が築かれていた。
山陰の雄 尼子氏の尼子十旗の一つとされた城。備後方面をもにらむ場所にあり大内軍や山陰攻略の毛利軍との間で戦いが行われている。
旧郷社 赤穴(あかな)八幡宮
社殿創建は770年と言われ(実際はもっと古いらしいが詳細は不詳)る古社。
元は松尾神社と号したが、石清水八幡宮の荘園となり赤穴別宮が置かれ松尾神社も統合されていき
赤穴八幡宮となる。賀茂神社系の祖神神話も残り
賀茂神社系の祭神(別雷神等)と八幡信仰系(神功皇后や仲哀天皇、応神天皇)の祭神が祀られている。
特筆するのは境内だが田舎なのですが荒れているわけでもなく自然で素朴な感じですが、巨樹が多い特に大元杉(夫婦杉)は樹齢1000年以上で社殿奥に二本ある。巨樹好きにはたまらないところである。
ここよりさらに国道54号線を進んだところに由来神社というのがあるがここも巨樹の杉があるそうです(帰りにうっかり通り過ぎちゃいました)
この後 頓原地区まで行き道の駅で、中国山地の一部で伝統的によく食べられていたワニ(鮫)をいただきまして〜ラムネ温泉へ入湯して帰りました^^写真を少し。
源泉は今は飲めないそうです(明治時代には炭酸水として売ってたらしい)泡がしゅわしゅわついて、効果大です 小さな温泉ですけど おすすめ。
修正完了。
廿日市市 県天然記念物 津田の大カヤをたづねて 桜満開の境内
樹齢3000年の大虫のしだれ桜を見た帰りに県道30号線 沿いで名所を回ってみました。
帯かけ明神(岩倉明神)の巨石
岩倉という地名の由来となった磐座〜重なり岩が印象的。県道からも見える。
色々神秘的な伝説がある(岩が落ちてもまた元に戻ったとか、宗像から宮島へと向かう市杵島姫が岩に帯をかけたという伝説もある)受験生が絵馬を最近は奉納してる。
県天然記念物 津田の大カヤと真幡神社の桜
広島県指定天然記念物 巨樹 津田の大カヤの木 神社の拝殿を見下ろす大きさ。幹も大きくすごい。
桜の花は初めて鑑賞。明るい境内に満開の様はいいですね。
津田八幡神社
旧佐伯町で廿日市市津田の 地元 氏神様 八幡さんですね。初のお参り。田舎は赤瓦の拝殿多いなあと思う。なかなか立派です。拝殿に入ってお参りする。熊ん蜂が居ましたw
津保美堂
地元の和菓子屋。ドライブがてら買いに来る方も多い。揚げパンやいろんな地元銘菓もある。
名物は大きな二重焼き(今川焼き、回転焼き)餡は自家製。あとクリームもある。
今回は休みでしたので画像は師走の頃のもの。リアル案山子がよく出てます。
大虫しだれ桜は しだれ桜めぐり動画をできたらまたあげました。
あと大虫への険道車載作成中。