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【神道シリーズ・シーズン2】第6回・伊勢神道⑥東大寺衆徒たちの伊勢神宮参宮(神宮が仏教の一大拠点となる)
12世紀に入ると真言宗化した東大寺は、平家による焼き討ちの後の復興事業で活躍した東大寺衆徒の重源(ちょうげん)(浄土宗ながら真言宗の影響強く受ける)による伊勢神宮参宮をひきりにそれまで仏教禁忌であった伊勢神宮参詣(参宮)が急速に盛んになり、神宮側もその動きを歓迎し、既に敬虔な仏教徒なっていた神宮宮司の大中臣氏、外宮禰宜の渡会氏、内宮禰宜の荒木田氏はこぞって神宮のみならず自らの菩提寺にも僧侶たちを招いて大般若経をあげさせていました。
さらに元寇の時代になると朝廷と仏教勢力(主に真言宗)との繋がりは緊密化し、朝廷が元寇調伏のために200人以上の真言僧を伊勢神宮に派遣して調伏祈願までさせるようになります。
【ファンタジー武器をゆっくり解説】第二十七回 ヴァジュラ(前編)
【ファンタジー武器をゆっくり解説】ヴァジュラ
ファンタジー世界のアイテム達が幻想郷入り!
第二十七回は「ヴァジュラ」解説、その前編です。
後編 sm37816976
特別 sm37935982
前回「クトネシリカ」 sm36936729
次回「打神鞭」 sm38947148
第一回から sm32118085
広沢山遍照寺の地蔵盆お勤め 2020年8月23日
真言宗御室派準別格本山遍照寺2020年8月23日に境内にて行われました地蔵盆の法要です。
ご近所の町内会地蔵盆を遍照寺境内にて行ったもので、例年はテントを張って子どもたちのも集まってもらうのですが今回は感染症対策で清水町南部の町内会役員さんと法要のみ行いました。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第3回(講師:亀山隆彦)[2020年9月23日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第2回(講師:亀山隆彦)[2020年8月26日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
広沢山遍照寺の精霊送りお勤め2020年8月16日
真言宗御室派準別格本山遍照寺2020年8月16日に境内お堂にて行われた
精霊送りの法要です。生配信したものから法要部分のみを抜き取ったものですが
映像や音声に乱れがあります。作業用BGMにでもして頂ければ幸いです。
【講義アーカイブ】『五輪九字明秘密釈』を読む 第1回(講師:亀山隆彦)[2020年7月22日]
※ この講義のレジュメを配信しておりますので、適宜ダウンロードしてください。
院政期を代表する真言密教僧、覚鑁(1095~1144)には既にまとまった研究がいくつも存在するが、それらは等しくある研究課題を克服できないままと考える。日本仏教史であれ真言密教史であれ、従来の研究は常に覚鑁を一つないし複数の思想潮流の「中途」に位置付け、その観点からしか同僧とその思想の意義を分析してこなかった。
具体例をいくつか挙げておくと、覚鑁は空海没後、荒廃の極みにあった高野山と真言教学を「復興」し、後の真言宗隆盛の礎を作ったと先ず主張される。あるいは鎌倉中期の頼瑜(1226~1304)に先んじて、後の新義真言教学の基礎を樹立したともいわれる。さらに平安「旧」仏教から鎌倉「新」仏教への転換期に生き、それらの橋渡し役となる、法然や親鸞にとっての先駆の役割を果たしたと説かれることもある。今日の古義と新義の両真言宗、あるいは鎌倉「新」仏教を目的地とする道程の途中に、覚鑁のための場が設けられてきた。
フランスの哲学者であるルイ・アルチュセール(1918~1990)の言葉を借りれば、覚鑁は常に「目的地」を想定し「前未来形」で書かれる歴史の中で解釈され、その外に出ることは稀であった。このような「目的論的」(teleological)な理解から覚鑁とその言葉を解放し、同僧の思想の全体性・体系性を回復することこそが、本講義の最終的な目標である。
具体的には平安末期の日本仏教界と真言密教の状況を細かく把握した上で、覚鑁の主著ともいわれる『五輪九字明秘密釈』の読解を試みる。『五輪九字明秘密釈』は、非常に複雑な構造を有す文献でありながら、例えばその「密教浄土教」的な主張ばかり強調される等、総体として本書を読む試みはほとんどなされてこなかった。本講義では、まさにこの『五輪九字明秘密釈』を総体として読み、その中に隠された体系を解明すると共に、覚鑁の言葉や思考を規定していただろう深層の「規範」(paradigm)についても分析したい。
【講義アーカイブ】真言密教の哲学 第2回(講師:亀山隆彦)[2020年6月3日]
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歴史学者の黒田俊雄が、顕密体制(けんみつたいせい)と名づける宗教・政治の複合システムの研究を通じて明らかにしたように、いわゆる中世と呼ばれる、平安時代末期から室町時代にかけての日本仏教界の主流は、浄土教でも禅宗でも日蓮宗でもなく、平安初期の空海・最澄・円仁・円珍等により請来された密教であった。
より正確にいえば、中世期の仏教のもっとも一般的な形態は、先行する奈良の諸仏教思想に複雑な密教の儀礼、さらに即身成仏(そくしんじょうぶつ)や法身説法(ほっしんせっぽう)のような密教教学が結びついたものであった。それこそが、前述の「顕」(顕教=南都仏教)と「密」(密教=真言・天台密教)の複合システム、顕密体制である。黒田も強調するように、顕密のそれぞれの教えを一つに編み上げた中世独特の仏教は、国家の護持から皇族・貴族の個人的な祈願に至る様々な局面で、大きな影響力を発揮した。
このような黒田の問題提起は歴史学を越えて、仏教学や日本宗教学にも大きなインパクトを与え、近年は末木文美士を筆頭に、このテーマにアプローチする研究者も増えた。その成果として、平安末~鎌倉~室町期の政治・科学・哲学と深く結びついた、中世日本に独自の密教思想の存在も徐々に明らかになりつつある。このような中世日本仏教に関する最新の研究動向を紹介することが、本講義の第一の目的である。
さらに、中世日本密教に特徴的な思想・哲学として、五蔵曼荼羅(ごぞうまんだら)や胎内五位(たいないごい)といった教えに集約される、独特の身体論が挙げられる。この身体論に関しても、近年研究者の注目を集めているが、その全貌はいまだ詳らかではない。本講義では、中世密教僧の即身成仏、縁起、瑜伽の哲学的言説に加えて、灌頂や修法といった密教儀礼の解釈学を合わせて検討することで、その構造の解明に取り組む。
【講義アーカイブ】真言密教の哲学 第1回(講師:亀山隆彦)[2020年5月27日]
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歴史学者の黒田俊雄が、顕密体制(けんみつたいせい)と名づける宗教・政治の複合システムの研究を通じて明らかにしたように、いわゆる中世と呼ばれる、平安時代末期から室町時代にかけての日本仏教界の主流は、浄土教でも禅宗でも日蓮宗でもなく、平安初期の空海・最澄・円仁・円珍等により請来された密教であった。
より正確にいえば、中世期の仏教のもっとも一般的な形態は、先行する奈良の諸仏教思想に複雑な密教の儀礼、さらに即身成仏(そくしんじょうぶつ)や法身説法(ほっしんせっぽう)のような密教教学が結びついたものであった。それこそが、前述の「顕」(顕教=南都仏教)と「密」(密教=真言・天台密教)の複合システム、顕密体制である。黒田も強調するように、顕密のそれぞれの教えを一つに編み上げた中世独特の仏教は、国家の護持から皇族・貴族の個人的な祈願に至る様々な局面で、大きな影響力を発揮した。
このような黒田の問題提起は歴史学を越えて、仏教学や日本宗教学にも大きなインパクトを与え、近年は末木文美士を筆頭に、このテーマにアプローチする研究者も増えた。その成果として、平安末~鎌倉~室町期の政治・科学・哲学と深く結びついた、中世日本に独自の密教思想の存在も徐々に明らかになりつつある。このような中世日本仏教に関する最新の研究動向を紹介することが、本講義の第一の目的である。
さらに、中世日本密教に特徴的な思想・哲学として、五蔵曼荼羅(ごぞうまんだら)や胎内五位(たいないごい)といった教えに集約される、独特の身体論が挙げられる。この身体論に関しても、近年研究者の注目を集めているが、その全貌はいまだ詳らかではない。本講義では、中世密教僧の即身成仏、縁起、瑜伽の哲学的言説に加えて、灌頂や修法といった密教儀礼の解釈学を合わせて検討することで、その構造の解明に取り組む。
【般若心経】仏前勤行次第 ~吉祥寺ver~ Shingon Esoteric Buddhism
開経偈から廻向までの読経です。お経を読誦する時の参考になれば幸いです。映像はスマホで撮影したので小さくなってしまいましたが、吉祥寺本堂です。インスタグラムhttps://www.instagram.com/akiyamafudo/?hl=ja
【神道シリーズ】第87回・八百万の神㉜鳥海山大権現(真言と天台の係争の場・鳥海山修験)
鳥海山(ちょうかいさん)は、かつて出羽三山(現在は羽黒山・月山・湯殿山)の一つとして羽黒山、月山とともに数えられたことがありますが、山形県の五山(羽黒山・月山・湯殿山・葉山・鳥海山)の中では標高(2236m)でダントツで最高であり、山麓を含めた面積も他山を圧倒的に凌いでいるにもかかわらず影の薄い存在となっています。
鳥海山は奈良時代から朝廷と蝦夷の戦いの最前線にあり、朝廷は大物忌(おおものいみ)神社(祭神は鳥海山大権現)を建て、仏経的な意味で血穢や死穢を清める意味での「物忌」を願い、殺害した蝦夷の祟りを恐れて鎮霊の為にこの神社を創建しました(6世紀後半・欽明期)。
平安以降は真言宗と天台宗の修験が進出し、両宗派ともに神宮寺や大物忌神社の社僧(神社に常駐する僧侶)として神社の実験を握り、その主導権を両宗派によって明治前まで争い続けました。
明治の神仏分離令で鳥海山修験が禁止された為に鳥海講は衰え、その後消滅の道を辿り、今では大物忌神社そのものは残っているものの、その信仰を支えた修験道の消失で現在は登山地・観光地としてだけ注目されるようになりました。
尾道古寺巡り 国宝の寺 浄土寺 ( 寺院と庭園拝観 ) 広島県尾道市
広島県尾道市 真言宗泉涌寺派 転法輪山 大乗院 浄土寺 多宝塔は国宝指定されている。聖徳太子開基と伝承される古寺。堂内(建物外観のみ撮影可)江戸期の庭園拝観、境内拝観
歴史は古く聖徳太子開基と言われる港町尾道を代表する古刹寺院です
平安〜鎌倉中期まで真言宗高野山直系寺院〜鎌倉時代末期から真言律宗〜江戸時代から真言宗泉涌寺派
本堂ほか諸堂は幾度か焼けており、再建され現存する堂宇は鎌倉時代末期〜室町時代の建築で多宝塔は 国宝指定。
尾道は古来海上交通の要衝で、盛んに船が行き交い商業が栄え、軍事的にも要の地でした。
尾道の大商人の経済を背景に諸堂が再建された。
鎌倉時代末期〜幕府を開いた足利尊氏などとも縁が深く崇敬されたと言われます。
足利義満の武将 九州探題今川了俊も尾道で軍備を整えたと言われるそうです。
二回目の参詣でした。
今回は本堂へお参りし内陣拝観をしました(堂内や方丈内は撮影禁止)宝物館も見学いたしました。本堂や阿弥陀堂の歴史ある諸仏像は素晴らしく迫力ありました。受付の人が詳しく説明してくれます。
珍しいのは阿弥陀堂裏に蓮如上人の揮毫した名号がかけてあったりしました。
御寺への参道風景、山門、本堂外観などと本堂裏の建物や唐門(方丈側から)方丈の庭〜江戸期に築庭の泉水庭園がメインです。庭園をうまく撮影するのは難しいです。
説明では御本尊から紐が伸び須弥壇前に垂れ下がっている、僧侶は様々儀式ではこれを持ち拝する また、ご開帳時はこれが伸ばされ本堂前で参詣する人々のところまで伸ばされるといいます。
境内伽藍=国宝多宝塔、唐門、阿弥陀堂、護摩堂、子安堂、宝篋印塔、納経塚など
鎮守社丹生高野明神は修復中でした。
*泉水庭園(江戸時代 徳島の隠士長谷川千柳 築庭)で江戸後期作庭とか言われます。
見えにくいですが築山の前側が泉というか池になっている。
サムネは浄土寺 境内庭園と茶室遠望
【神道シリーズ】第62回・八百万の神⑰金毘羅大権現【前編】(真言宗金光院松尾寺とともに始まった金毘羅信仰)
金毘羅さんと言えば、ほとんどその名を聞いたことが無い人がいないと言えるほど有名ですが、しかし、この金毘羅信仰というものは意外と歴史が浅く、17世紀の天正から慶長年間の間であったと言われています。
金毘羅さん(金毘羅大権現)を祀る讃岐(香川県)の象頭山(ぞうずさん)には明治前まで、その信仰の中心をなしたのは金光院松尾寺(まつおじ)という真言宗のお寺で(金光院とは高野山真言宗の系統で、15世末頃から象頭山の別当(地域の管理者)として明治前まで象頭山信仰を支配してました)、その金光院4代の宥盛(ゆうぜい)の時代(17世紀)に形成され、急発展したのでは?とされてます。
金毘羅信仰が始まる前の讃岐(象頭山を含む)は、もともと宗教的に真言宗の支配圏で、三十番神(法華経の守護神)が信仰されていました。
金毘羅信仰は江戸時代になると日本最大の流行り神となり、伊勢講を凌ぐ代参講(お金を出し合って代表者に参拝させる集団信仰)となり繁栄しました。
明治政府は神仏分離策で、象頭山の金光院松尾寺を廃寺にし、強制的に神社化(琴平神社)とし、大物主神を祀神としまし、松尾寺は麓に普門院を作り生き延びましたが、今でも普門院松尾寺は金毘羅信仰や金毘羅祭の中心となっています。
【神道シリーズ】第58回・八百万の神⑮羽黒三山信仰【前編】(真言宗と天台宗の確執の地と八宗兼学の地)
羽黒修験は現在、羽黒山、月山、湯殿山の三山で構成されてますが、16世紀までは羽黒山、鳥海山、葉山の三山で構成されていました。
羽黒三山には、役小角(8世紀初頭)より200年以上早い6世紀前後に崇峻天皇の皇子の蜂子皇子が蘇我馬子の脅威から逃れるために羽黒へ行き、その地で山岳信仰を始めたという伝説がありますが、しかし、これは室町時代(14世紀)になってから作られた話で、実際には不動明王信仰を核とした役小角系雑密の修験道を起源としてると思われます。
平安後期の9世紀以降は、この地は真言宗と天台宗(比叡山)の勢力の覇権争いの場となり、羽黒山、月山、鳥海山、葉山は天台宗の勢力下、湯殿山は真言宗の勢力下と二分されることになります。
羽黒修験は、全国修験道共通とされてる不動明王信仰や十界修行(真言密教の十往心に対応)や擬死再生修行などはもちろんのこと、そこにさらに9世紀に渤海からの漂流者(記録あり)が伝えたであろうとされる大陸の道教祭祀の影響が見られ、ユニークな羽黒修験が形成されています。
明治の神仏判然令で天台系の修験道は羽黒山や月山からの下山を強制され、代わりに羽黒三山神社が作られ、月読命や大貴己神など古事記の神々が政府によって祀られましたが、湯殿山だけは真言宗との繋がりがあまりにも強固で分離できず、今日まで真言宗の一拠点となっています。
明治に政府が無理矢理神社(羽黒三山神社)を作り、古事記の神々を祀ろうと、古くからの伝統を消し去ることは出来ず、今でも信仰対象は羽黒権現・月山権現・湯殿山権現で、祭祀も古代からのままで、国家神道化は失敗したと言えます。
【ゆっくり】徒歩で日本一周part526【九度山→高野】
動画投稿遅れてすいません!
本日は高野山に行きましたー
本日のルート → https://drive.google.com/open?id=128-Lmdm_sOMBYAka_rncri7vz685QCQk&usp=sharing
次 → sm34618731
前 → sm34607195
関西(京都入りまで)のルートです → ar1721774
徒歩で日本一周のマイリスト→ mylist/64359427
徒歩で日本一周番外編のマイリスト → mylist/59556268
前作「鉄道で日本一周」のマイリスト→ mylist/37605489
ツイッター https://twitter.com/kotatu_travel
宮島「亀居山放光院 大願寺」daiganji gomataki 厳島大仏不動明王 柴灯護摩祈願法要のひと小間
宮島 大願寺の護摩供養 この後火渡りが行われます
毎年11月3日13時から護摩がたかれ 14時から火渡りがあります
大願寺は江戸時代までは 厳島神社他の寺社の修復などをつかさどる大寺だったと申します。
神仏分離、廃仏毀釈の愚策で多くが失われ・・僧坊跡を本堂に現在も存続しています。
厳島神社に祭祀されていた市杵島姫=本地仏の弁財天を祀るお寺です。
【神道シリーズ】第20回・天神信仰(真言密教僧(道賢)によって広まった御霊信仰)神道関係無し①
【神道シリーズ】第20回・天神信仰(真言密教僧(道賢)によって広まった御霊信仰)神道関係無し①
日本の御霊信仰は、8世紀の聖武天皇の時代の長屋王の変や9世紀の桓武天皇の時代の早良(さがら)親王事件などの第一期御霊信仰と、菅原道真の大宰府左遷での憤死のよる
菅公(道真)御霊(怨霊)に始まる第二期御霊信仰の二期に分かれます。
第一期での鎮霊は雑密の法相宗の僧侶たちによってなされ、第二期になると真言宗の僧侶たちによってなされてます。
第一期では朝廷内だけでの御霊信仰でしたが、第二期の道真の御霊信仰は、吉野峯真言修験僧の道賢(どうせん)が自らの臨死体験を綴った「道賢上人冥途(めいど)記」の中で蔵王菩薩が現れ、道賢を道真の御霊である大政威徳天に会わせられ、そこで地獄の煉火の中で苦しむ藤原時平や醍醐天皇の姿を見せられた上で(道賢)に「日蔵」という名前を与えてもらった、という話が書かれています。
この逸話は朝廷のみならず農民を中心とする民衆の間にも広く広まり、自在天神、大富天神などの名で全国に広まります。
その天神信仰は御霊信仰を越えて農民の田歌や田楽にも影響を与え今様(いまよう)歌として広まり今日に続いていきます。
これが元の色?貴重な仏像修復したら地味に
鎌倉時代に作られた貴重な仏像の修復する前と修復した後の画像だ。どっちが修復前だろうか。
淡い色をまとった仏像と色鮮やかな仏像。普通に考えれば色鮮やかな方が修復されたものだと思うのだが、実はこれ反対で、淡い色の方が修復後だった。こちらの仏像も同じ。右側が新しくなったものだ。栃木県鹿沼市にある医王寺には鎌倉時代に作られた12体の仏像十二神将像がある。今回、寺ではこの12体を3年かけて修復した。一見、劣化したようにも見える十二神将像だが、実はこの姿こそ製作当初のものだという。つまり、鮮やかな色はこれまでの補修によって変えられたものだったのだ。この十二神将像、3月23日から2日間にわたって特別に公開される。
【散策物語】那谷寺を散策 2017Autumn ~石川県小松市~
初めてお邪魔した那谷寺でしたが途中でカメラのバッテリー切れ
真言宗信徒がWisdom of the Worldをサンスクリットで歌うそうです
ネス大好きサヴァン症候群の彼による、MOTHER "Wisdom of the World"サンスクリット語訳だそうです。
彼の発音は、IASTでのca=チャをカと発音し、jñā, jnaをジナーと発音するなどの特徴があります。
アーササム・アナーヤム、サトヤン・アプノーヤンという歌い方でインドの牛乳屋さん(伝説の狩野英孝さん 50TAの歌)を思い出します。
映像は1:13から自宅でスプーン曲げ、2:00から阿字観の真言宗寺院で坐禅や護摩焚き。3:12からは同じ映像や音声の繰り返しになってること注意でふ。
歌詞のデーヴァナーガリーこ↑こ↓http://bokundahiko.blog.fc2.com/blog-entry-63.html
投稿者コメントで、ぼき校訂ローマ字を載せます。
【納経印めぐり】真言宗十八本山を巡ってみた 後編
2017年春、小豆島遍路のお礼参りも兼ねて、真言宗の各宗派の大本山を巡る「真言宗十八本山」を巡ってみました。後編は京都市内。祭事中の東寺や醍醐寺などに行きます。
でも今回初登場の寺院は9寺院中2寺院だけだったりします。
2017年にっぽん「ふるさと」風景の旅
マイリスト→mylist/58074233
#21(真言宗十八本山前編)→sm31331899
#23(西日本島巡りの旅 春編)→sm31338210
【納経印めぐり】真言宗十八本山を巡ってみた 前編
2017年3月6日の善通寺参拝から和歌山港に到着したあとの行程と、散発的に行った真言宗十八本山をめぐる旅行をまとめました。前編は和歌山、奈良、大阪、兵庫の各府県が中心となります。
2017年にっぽん「ふるさと」風景の旅
マイリスト→mylist/58074233
#19(小豆島お遍路の満願)→sm31174798
#20(善通寺参拝を含めた)→sm31320184
#22(後編/京都市内の十八本山)→sm31334014
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・仏教関係者座談会6-1
約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
(TAS) 星のカービィ2 100% 43:13.847
去年作ったhttp://tasvideos.org/2841M.htmlに大きなミスがあったのに公開後すぐ気づいていましたがやる気がなくて今まで放置してました。ラスボスで1秒ちょっと更新してます。
sm563447と比べると18997F(約5分4秒)、sm3521699からは5352F(約1分25秒)更新しています。
bk2→http://puu.sh/pvVwv/58e4cf8c5c.bk2
追記回数→56729
6/18追記→画面が白黒なのはBizhawkで作っているためです。前TASではVBAを使っていてSGBカラー対応でしたがBizhawkは対応していませんでした。lsnesは対応していましたが当時は不安定で描画もおかしかったので使っていません。海外版と色は無関係です。
痛車のお祓いに行ってきたよ! @豊橋市賀茂町-城照山 加納寺-
豊橋市賀茂町にある城照山加納寺へクルマのお祓いをしてもらいに行ってきました!クルマのお祓いは1万円~-城照山 加納寺-豊橋市賀茂町字比丘尼谷85TEL:0532-88-5186http://www.tees.ne.jp/~kitannntees/ceremony.html
真言宗 妙法寺を訪ねる(Short take radio12)
今日は秋の真言宗 妙法山を訪ねてみました。大自然の中にある真言宗のお寺です。優しい感覚のするお寺で、見ていて気持ちがいいです。
成田山系の御護摩とかで読んでいる、内容の多くです。2分の2。
成田山など、不動護摩の御祈願時に、読誦している御次第で、
お経や御真言などの、多くを読みました。
ご祈願中に何を読んでいるのかの参考や、お経の類を聴きたい時に、どうぞ。
合掌
成田山系の御護摩とかで読んでいる、内容の多くです。2分の1。
成田山など、不動護摩の御祈願時に、読誦している御次第で、
お経や御真言などの、多くを読みました。
何を読んでいるのかの参考や、お経の類を聴きたい時に、どうぞ。
合掌