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三橋美智也『おさらば東京』北京語版1…蔡幸娟「両相依」
三橋美智也の『おさらば東京』は1957年のヒット曲。北京語版の『兩相依』は60年代から70年代にかけて台湾の姚蘇蓉や鳳飛飛、香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌ってヒットしたとか。
上原敏+結城道子『裏町人生』台湾語版01…鄭進一+蔡幸娟「後街人生」
『裏町人生』は1937年のヒット曲。歌っていた上原敏はニューギニアで戦死しましたが、その後もいろんな歌手がカバーし続けています。戦後、台湾では無数のカバーが出て、台湾語の 「後街人生(sm25009830)」 「懷念初恋時(sm25013709)」「不可做流氓(sm25013725)」「朋友呀免傷心(sm25140511)」「女性的悲哀(sm33115169)」「夜半的酒場(sm25325105)」「異鄉的都市(sm33115187)」「無情的心肝(sm27242311)」「勇敢的女性(sm27242355)」「后街人生(sm26254622)」 「野花的春天(sm26254521)」 「酒女嘆(sm29314367)」 「酒矸仔嫂(sm31078350)」 「琉球山之恋(sm31240412)」 「離開故郷心愛的人(sm32887720)」 、北京語で「秋詞(sm25143725)」などなど…。「後街人生」は、もともと文夏がカバーして、タイトルはそのまま直訳。内容は夜の世界に身を堕した女の歌で、♪私は主のいない野花だから、どこでも咲くの♪。
上原敏+結城道子『裏町人生』台湾語版09…蔡幸娟「后街人生」
『裏町人生』は1937年のヒット曲。歌っていた上原敏はニューギニアで戦死しましたが、その後もいろんな歌手がカバーし続けています。『裏町人生』の台湾語版は何種類も出てますが、蔡幸娟が1982年に出した「后街人生」は、日本語と台湾語と北京語の3言語で歌うというもの。北京語の部分は「秋詞(sm25143725)」と歌詞が同じですが、台湾語の部分は「後街人生(sm25009830)」とは少し歌詞が異なります。蔡幸娟は当時17歳で、アイドル歌手としてデビューしたのに、この年から日本の演歌や懐メロを3言語で歌うシリーズをリリースし続けることに。
佐塚佐和子『蕃社の娘』台湾語版2…鄭進一&蔡幸娟「十八姑娘」
霧社事件(台湾先住民による抗日蜂起事件)の犠牲者の娘・佐塚佐和子(サワ・サッカ)が1939年に台湾で歌った『蕃社の娘』。台湾語版の「黄昏愁(sm23443297)」もありましたが、58年にアレンジを一新した北京語版の「姑娘十八一朵花(sm23443452)」が登場して以来、娘十八花盛りという内容が受けて、台湾語版(sm23443428)、客家語版(sm23443562)、さらにマレーシアでは潮州語版(sm23443587)、香港では広東語版(sm23443632)が次々とできました。この映像の鄭進一&蔡幸娟のコンビは、同じ番組で「黄昏愁(sm23443297)」も歌っていますが、結ばれなかった初恋の思い出を歌う「黄昏愁」に対して、♪若いうちはキレイだが、贅沢言っていつまでもお嫁に行かなかったら、お婆さんになっちゃうよ♪という「十八姑娘」は軽いノリの曲で、歌いやすそうです。
石原裕次郎『夜霧よ今夜も有難う』北京語版1…蔡幸娟「情難捨」
蔡幸娟は1980年に14歳ででデビューした台湾の歌手。当初はアイドル歌手だったものの、シンガポールのレコード会社を拠点に、1つの曲を日本語と北京語、台湾語で歌うという「三語一体」シリーズを出すなんてことをやってた人。『夜霧よ今夜もありがとう』の北京語版は81年に出した曲で、映像はシンガポールのテレビ番組ですが、作詞は自分でやったとか。当時15歳なのに??
藤山一郎『青い山脈』台湾語版…鄭進一&蔡幸娟「青色的山脈」
『青い山脈』は1949年に流行った映画主題歌で、典型的な懐メロの1つ。台湾でもカバーが出たようですが、タイトルが直訳なら、歌詞もほとんど直訳です。この歌は北朝鮮でも朝鮮語カバーが出てますが、『証城寺の狸囃子(sm23284834)』とか『津軽海峡・冬景色(sm23124913)』とか、台湾と北朝鮮でカバーが出る曲って、シブイですねw
平尾昌章『星は何でも知っている』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟[星星知我心]
『星は何でも知っている』は1958年に平尾昌章が歌ったヒット曲で、台湾では北京語版の「星星知我心(sm24529173)」と台湾語版の「星星知我心」が出現しました。ところが、80年代末にこの映像で台湾語版を歌っている蔡幸娟(女性)が、「星星知我心」という同じタイトルでまったく別の北京語ソングを歌い大ヒットしたため、『星は何でも知っている』の北京語版は台湾ではほとんど歌われなくなってます。さて、台湾語版の内容ですが、ほとんど日本語のオリジナルの直訳そのまんま。
佐良直美『世界は二人のために』北京語版2…蔡幸娟「世界多美麗」
台湾で出た『世界は二人のために』の北京語カバーは「世界多美麗」。ところが鄧麗君(テレサ・テン)が歌った「世界多美麗(sm25112027)」と 蔡幸娟の「世界多美麗」では、歌詞が一部異なってます。サビの部分は同じですけどねぇ。
李香蘭『紅い睡蓮』北京語版1…蔡幸娟「紅睡蓮」
『紅い睡蓮』は1940年の映画『熱砂の誓ひ』の挿入歌。映画の内容はといえば、『支那の夜』と同様に、日本人男性(長谷川一夫)と支那娘(李香蘭)のラブロマンスという国策映画ですが、戦後台湾では純粋な恋の歌になって北京語版の「紅睡蓮(sm25273163)」「黃昏的街頭」や台湾語版の「初戀的小姑娘(sm25273091)」「賣花女之戀」が出てます。
唱歌『汽車』台湾語版…蔡幸娟&方瑞娥「快車小姐」
『汽車』と言っても、♪汽車汽車シュッポシュッポ♪ではなくて、♪いまは山中、いまは浜~♪ってヤツです。私的にはTBSで土曜夜にやってた番組『8時だヨ!出発進行』のOPソングって記憶ですけどw。『汽車』は明治時代から文部省唱歌だったので、戦前の日本統治時代を経験した台湾人は学校で習っていたわけで、戦後、文夏が台湾語の歌にしたのが「快車小姐」。かつて台湾の快車(=急行列車)には旅客サービスの女性(快車小姐)が乗っていて、お茶を注いでくれたりしてましたが、♪4号車の4番座席には、私のカレが乗ってるの♪で、♪汽車が高雄に着いたらお嫁に行くのよ♪がオチw中国の快車にも服務員という女性が乗ってますが、こちらはかなりコワモテですw
『浪花節だよ人生は』台湾語版1中華風…蔡幸娟&鄭進一「愛情像流水」
『浪花節だよ人生は』は日本では多くの歌手が歌って1984年に大ヒットしましたが、中華圏でもカバーがやたらと多く、台湾語版は最もポピュラーな「望月想愛人(sm22836825)」をはじめ「愛情像流水(sm22836473)」「美麗的期待(sm23630147)」「酒場痴情夢(sm23630204)」「堂堂好丈夫(sm23630490)」の5種類、北京語版はマレーシアやシンガポールで出た「盼你回頭(sm23527365)」「美麗的期待(sm23527341)」「教我難忘記(sm23527151)」「愛情像浮萍(sm23527120)」「朋友別介意(sm23915482)」「相思樹(sm23915552)」の6種類…まだあるかも知れません。「愛情像流水」は主に江蕙が歌っていましたが、これは2006年の映像。
並木路子『リンゴの唄』?台湾語版1…蔡幸娟+劉福助「南都之夜」
「南都之夜」は1946年の曲で、戦後台湾で最初に流行った歌謡曲として有名な曲。北京語や広東語でいろいろとカバーされ、台湾では小学校で習う愛国歌、中国では革命歌(sm28450443)にもなりましたが、イントロの出だしを聴くと、なんか日本でも御馴染のような曲…。戦後日本で最初に流行った歌謡曲『リンゴの唄』(1945年)の♪リンゴは何にも言わないけれど♪の部分を除いたような感じがします。作曲した許石は、36年に19歳で日本へ渡り音楽を勉強した人。46年に台湾へ戻って「南都之夜」を作ったとか。
『ツーレロ節』台湾語版2…鄭進一+蔡幸娟「春宵舞伴」
『ツーレロ節』はドリフの歌が流行りましたが、昭和30年代には小林旭が歌い、さらに遡ると戦前に海軍の『シャンラン節』を、芸者歌手の美ち奴がレコード化してヒットしたんだとか。で、その『シャンラン節』は「台湾民謡」だそうで…。でも台湾では『ツーレロ節』は日本の歌ということになっていて、日本と台湾でお互いにルーツをなすり付け合っている状態。『ツーレロ節』の台湾語版は小林旭のバージョンをカバーした軽快な「心心相愛(sm25183182)」がメジャーですが、もう1つのカバー「春宵舞伴」はどのバージョンをもとにしたんでしょう?♪ツーツーレロレロ♪の部分を♪陣陣揺落揺落(ツンツンヨロヨロ=ちょっと踊って)♪と歌ってます。
佐塚佐和子『蕃社の娘』台湾語版1…鄭進一&蔡幸娟「黃昏愁」
♪私のラバさん、酋長の娘~♪で1930年に大ヒットした『酋長の娘』は日本が統治していたミクロネシアを舞台にした歌でしたが、39年の『蕃社の娘』は台湾が舞台。蕃社とは先住民(当時で言う高砂族)の集落のことで、歌った佐塚佐和子(別名:サワ・サッカ)は母親がタイヤル族、父親は日本人の警官で、1930年の霧社事件(高砂族の抗日蜂起事件)で犠牲になった人。作曲した唐崎夜雨は台湾人で、台湾歌謡界の先駆者となった鄧雨賢。つまり『蕃社の娘』は台湾人が台湾で作った歌ですが、日本人として日本語で作った歌ですから、日本の歌ってことにもなるのでしょう。その台湾語版が「黃昏愁」ですが、後に「十八姑娘(sm23443428)」という新たなバージョンが出来て、現在に至るまで歌われ続けています。
『恋の片道切符』台湾語版1…蔡幸娟&鄭進一「無情的火車」
『恋の片道切符』って日本の曲じゃないはずですが、映像冒頭のクレジットで「日本曲」と出ているので、台湾では日本の歌と言うことになっているのでしょう(?)。別れの悲しい歌のはずなのに、♪バイバイバ~イ、故郷バイバ~イ♪という歌詞が軽薄だし、蔡幸娟もなんか楽しそうに歌ってるような感じが…。台湾語の演歌では♪目屎流♪というフレーズがよく出てきて、目屎=涙という意味ですが、北京語や広東語では屎=糞の意味(日本語でも屎尿=しにょう=大便と小便)なので、♪目屎流♪では「目クソを流す」という感じになってしまいます。そのため香港人が台湾語演歌を歌うと、♪目屎流♪をわざと強調してウケてます。
『こんなベッピン見たことない』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟「美姑娘仔」
『こんなベッピン見たことない』は芸者歌手・神楽坂はん子が1953年に歌ったヒット曲。台湾では台湾語カバー「美姑娘仔」と北京語カバー「忘也忘不了(sm26985398)」が出ました
橋幸夫『潮来笠』台湾語版1…蔡幸娟「彼個小姑娘」
たぶん1997年の映像。「彼個小姑娘」はいろんな歌手が歌っているので、誰が台湾語版のオリジナル歌手なのかわかりません。蔡幸娟は1980年に中学生歌手としてデビュー。当初は北京語の歌謡曲を歌い(sm22777380)、一時期は香港で売り出したりしてましたが、80年代末から台湾語の演歌も歌うようになり、さらに同じ曲を北京語、台湾語、日本語の3言語で歌うという「三語一体」アルバムなんてものまで出していました。甘い声が特徴的で、これは今も変わっていません。