タグ 蔡幸娟 が登録されている動画 : 85 件中 1 - 32 件目
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小林旭『昔の名前で出ています』北京語版…蔡幸娟「幻影」
『昔の名前で出ています』のカバーは、「流浪之歌(sm27053023)」をはじめ、「昔日的芳名(sm23505953)」「林森北路之夜(sm23506037)」「心酸的祝福(sm23506098)」「浪子情(sm23941974)」「難忘的旧愛人(sm33066607)」 「継続擱流浪(sm31255173)」 と、台湾では少なくとも7種類も出てますが、シンガポールのレコード会社から北京語カバーを出したのが、蔡幸娟。彼女は1980年に15歳でデビューした台湾のアイドル歌手でしたが、「東方雲雀=アジアの美空ひばり」をキャッチフレーズに、日本の演歌や懐メロを日本語と台湾語と北京語で歌うという「三語一体系列」なるシリーズを出し始め、『昔の名前で出ています』も日本語の原曲と台湾語版「流浪之歌」と北京語版「幻影」を続けて歌唱。それにしても「串刺しリンゴ」を手に可愛く微笑むジャケ写が不気味なら、「上まいホ」という日本語の曲も謎w
『乙女の涙』台湾語版1…蔡幸娟+鄭進一「可憐的小姑娘」
謎の曲です…。原曲は『乙女の涙』ということになってますが、いつ誰が歌ったのか不明。原曲タイトルは『姑娘よもう泣かないで』だという説もあります。台湾のテレビ番組では「日本曲」というクレジットが出てますが、実は韓国の曲だとも。いずれにしても、台湾語カバーの「可憐的小姑娘(sm26860848)」や北京語カバーの「心声涙痕(sm26860860やsm26860868)」は台湾や東南アジアの中華圏では有名な懐メロで、香港でも「心声涙痕」「你軽呼我」「台前幕后」と3種類の広東語カバーが出てました。
森進一『襟裳岬』北京語版1…蔡幸娟「仍旧一個人」
2005年頃の映像。『襟裳岬』の中国語版(北京語版)は、鄧麗君(テレサ・テン)が「襟裳岬(sm24255576)」、鳳飛飛が「依旧是一個人(sm24255665)」と、台湾の2大歌姫が別々のバージョンでカバーしていましたが、いずれも故人。蔡幸娟が歌っているのは「仍旧一個人」だと紹介されていますが、歌詞はテレサの「襟裳岬」とまったく同じ。蔡幸娟はもともと「沙灘上的歌声」というこれまた別バージョンのカバーを発売していたはず…。まぁこの人の北京語はキレイなので、どのバージョン歌っててもウットリします、ちなみに日本語で歌っている男性は、日本で演歌の修行をした洪栄宏。
小林幸子『とまり木』北京語版7…蔡幸娟「心中黙黙祝福你」
1番は日本語、2番は台湾語の「少女的心声(sm23614513)」、3番がオリジナルの北京語版「心中黙黙祝福你」という構成。
並木路子『リンゴの唄』?台湾語版1…蔡幸娟+劉福助「南都之夜」
「南都之夜」は1946年の曲で、戦後台湾で最初に流行った歌謡曲として有名な曲。北京語や広東語でいろいろとカバーされ、台湾では小学校で習う愛国歌、中国では革命歌(sm28450443)にもなりましたが、イントロの出だしを聴くと、なんか日本でも御馴染のような曲…。戦後日本で最初に流行った歌謡曲『リンゴの唄』(1945年)の♪リンゴは何にも言わないけれど♪の部分を除いたような感じがします。作曲した許石は、36年に19歳で日本へ渡り音楽を勉強した人。46年に台湾へ戻って「南都之夜」を作ったとか。
赤い鳥『竹田の子守歌』北京語版1…蔡幸娟「祈祷」
『竹田の子守歌』は京都の被差別部落の子守歌。1971年にリリースされたものの、部落がらみと言うことで日本では永らく放送禁止にされ、B面の『翼をください』が有名に。一方、台湾では翁倩玉(ジュディ・オング)の北京語カバー「祈祷」が大ヒットして、台湾ではジュディの代表曲の1つになってます。作詞した翁炳榮はジュディの父親。映像は2008年に蔡幸娟が歌ったもの。
『ツーレロ節』台湾語版2…鄭進一+蔡幸娟「春宵舞伴」
『ツーレロ節』はドリフの歌が流行りましたが、昭和30年代には小林旭が歌い、さらに遡ると戦前に海軍の『シャンラン節』を、芸者歌手の美ち奴がレコード化してヒットしたんだとか。で、その『シャンラン節』は「台湾民謡」だそうで…。でも台湾では『ツーレロ節』は日本の歌ということになっていて、日本と台湾でお互いにルーツをなすり付け合っている状態。『ツーレロ節』の台湾語版は小林旭のバージョンをカバーした軽快な「心心相愛(sm25183182)」がメジャーですが、もう1つのカバー「春宵舞伴」はどのバージョンをもとにしたんでしょう?♪ツーツーレロレロ♪の部分を♪陣陣揺落揺落(ツンツンヨロヨロ=ちょっと踊って)♪と歌ってます。
さとう宗幸『青葉城恋唄』北京語版3…蔡幸娟「飛向你」
蔡幸娟は80年に14歳でデビューした台湾の歌手ですが、アイドル路線には走らず、1つの曲を日本語と北京語、台湾語の3言語で歌うという「三語一体系列」なるシリーズを次々と発表していた人で、キャッチフレーズは「東方雲雀」。雲雀って美空ひばりのこと?このカセットは北京語を「華語」、台湾語を「厦語」と表記しているのでシンガポールで発売されたものですが、台湾語による歌唱はナシ。
藤山一郎『青い山脈』台湾語版…鄭進一&蔡幸娟「青色的山脈」
『青い山脈』は1949年に流行った映画主題歌で、典型的な懐メロの1つ。台湾でもカバーが出たようですが、タイトルが直訳なら、歌詞もほとんど直訳です。この歌は北朝鮮でも朝鮮語カバーが出てますが、『証城寺の狸囃子(sm23284834)』とか『津軽海峡・冬景色(sm23124913)』とか、台湾と北朝鮮でカバーが出る曲って、シブイですねw
『恋の片道切符』台湾語版1…蔡幸娟&鄭進一「無情的火車」
『恋の片道切符』って日本の曲じゃないはずですが、映像冒頭のクレジットで「日本曲」と出ているので、台湾では日本の歌と言うことになっているのでしょう(?)。別れの悲しい歌のはずなのに、♪バイバイバ~イ、故郷バイバ~イ♪という歌詞が軽薄だし、蔡幸娟もなんか楽しそうに歌ってるような感じが…。台湾語の演歌では♪目屎流♪というフレーズがよく出てきて、目屎=涙という意味ですが、北京語や広東語では屎=糞の意味(日本語でも屎尿=しにょう=大便と小便)なので、♪目屎流♪では「目クソを流す」という感じになってしまいます。そのため香港人が台湾語演歌を歌うと、♪目屎流♪をわざと強調してウケてます。
ヒロシ&キーボー『3年目の浮気』北京語版1…蔡幸娟「不知怎麼樣」
1983年のシンガポールのテレビ映像。歌っているのは台湾の蔡幸娟で、80年に中学生歌手として14歳でデビュー。内容は「Gパンを穿いたカッコイイ男の子がこっちを向いたので、どうしたら良いのかわからない」という初恋の歌になってます。なんか70年代のB級アイドル的な雰囲気が漂ってますね。蔡幸娟は30歳過ぎると綺麗sm22752957になりますが。。。
平尾昌章『星は何でも知っている』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟[星星知我心]
『星は何でも知っている』は1958年に平尾昌章が歌ったヒット曲で、台湾では北京語版の「星星知我心(sm24529173)」と台湾語版の「星星知我心」が出現しました。ところが、80年代末にこの映像で台湾語版を歌っている蔡幸娟(女性)が、「星星知我心」という同じタイトルでまったく別の北京語ソングを歌い大ヒットしたため、『星は何でも知っている』の北京語版は台湾ではほとんど歌われなくなってます。さて、台湾語版の内容ですが、ほとんど日本語のオリジナルの直訳そのまんま。
渡辺はま子『支那の夜』北京語版2…蔡幸娟「春之夢」
1943年に上海で『支那の夜』を北京語カバーした「春的夢(sm24147600)」は、戦後も香港や台湾、シンガポールなどで多くの歌手が歌い続けましたが、86年に当時台湾で「中国娃娃」のキャッチフレーズで売り出していた蔡幸娟がカバーしたタイトルは「春之夢」。中国語的には「春的夢」よりも「春之夢」の方がしっくりきますが、歌詞は「春的夢」と全く同じ。ちなみに中国娃娃を戦前の日本語に訳すと「支那娘」w。
佐塚佐和子『蕃社の娘』台湾語版1…鄭進一&蔡幸娟「黃昏愁」
♪私のラバさん、酋長の娘~♪で1930年に大ヒットした『酋長の娘』は日本が統治していたミクロネシアを舞台にした歌でしたが、39年の『蕃社の娘』は台湾が舞台。蕃社とは先住民(当時で言う高砂族)の集落のことで、歌った佐塚佐和子(別名:サワ・サッカ)は母親がタイヤル族、父親は日本人の警官で、1930年の霧社事件(高砂族の抗日蜂起事件)で犠牲になった人。作曲した唐崎夜雨は台湾人で、台湾歌謡界の先駆者となった鄧雨賢。つまり『蕃社の娘』は台湾人が台湾で作った歌ですが、日本人として日本語で作った歌ですから、日本の歌ってことにもなるのでしょう。その台湾語版が「黃昏愁」ですが、後に「十八姑娘(sm23443428)」という新たなバージョンが出来て、現在に至るまで歌われ続けています。
小林幸子+美樹克彦『もしかしてPARTII』台湾語版1…「愛的表示」
1984年にヒットした小林幸子と美樹克彦の定番デュエット。台湾では台湾語の「愛的表示(sm22900570)」「愛情多一歳(sm25252677)」「假使你若是」「冤家(sm25190934)」と、北京語の「蛻變(sm22902369)」など何種類にもカバーされ、マレーシアでも北京語版の「怎能不珍惜(sm25190795)」がでました。「愛的表示」はもともと泥泥が84年に歌い、台湾語演歌界の女王・江恵もカバーしましたが、この映像で歌っているのは鄭進一と蔡幸娟。
金田たつえ『花街の母』台湾語版1…蔡幸娟、鄭進一「媽媽歌星」
2006年の映像。客の前では歳がバレないように、自分の娘を「妹」だと偽って…という内容は日本語のオリジナルとほぼ同じ。ただし「花街の母」ではなくて「歌手の母」という設定になっています。『花街の母』は北京語版に加え台湾語版が3種類カバーされていますが、ヒットしたのはこの「媽媽歌星」。蔡幸娟はかつて北京語の「我心在飄零」と台湾語の「吉他相思」というカバーを出していましたが、今では歌うのはもっぱら「媽媽歌星」。蔡幸娟自身、この2年後には離婚して文字通り「媽媽歌星」となり、女手一つで娘を育てることになります。。。
菅原都々子『憧れは馬車に乗って』台湾語版…「快楽的馬車」
鄭進一+蔡幸娟。香港で出た北京語版は「有心不怕遅(sm30963842)」。
五木ひろし『千曲川』台湾語版4…洪栄宏「難忘的河辺」
前半は蔡幸娟が北京語版の「心影(sm24294320)」を、後半は洪栄宏が台湾語版の「難忘的河辺」を歌ってますが、蔡幸娟はかつて日本語の原曲と「心影」とオリジナルの台湾語版「離愁(sm24297287)」を3言語で歌ってたこともあります。
石原裕次郎『夜霧よ今夜も有難う』北京語版1…蔡幸娟「情難捨」
蔡幸娟は1980年に14歳ででデビューした台湾の歌手。当初はアイドル歌手だったものの、シンガポールのレコード会社を拠点に、1つの曲を日本語と北京語、台湾語で歌うという「三語一体」シリーズを出すなんてことをやってた人。『夜霧よ今夜もありがとう』の北京語版は81年に出した曲で、映像はシンガポールのテレビ番組ですが、作詞は自分でやったとか。当時15歳なのに??