タグ 蔡幸娟 が登録されている動画 : 85 件中 1 - 32 件目
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布施明『シクラメンのかほり』台湾語版…蔡幸娟& 施文彬「傷心到何時」
『シクラメンのかほり』は1975年のヒット曲で、北京語版は鄧麗君(テレサ・テン)が77年に「你我相伴左右(sm23549897)」、84年に「我要你為偶(sm23549939)」と北京語で2回カバー(歌詞はほとんど同じ)したほか、江蕾の「夜想曲jがあり、広東語版は甄妮(ジェニー・ツェン)が79年に「情愛是力量(sm24864351)」を出しましたが、台湾語版が出たのは遅くて、92年に江蕙と施文彬がデュエットで歌ってます。
森進一『襟裳岬』北京語版1…蔡幸娟「仍旧一個人」
2005年頃の映像。『襟裳岬』の中国語版(北京語版)は、鄧麗君(テレサ・テン)が「襟裳岬(sm24255576)」、鳳飛飛が「依旧是一個人(sm24255665)」と、台湾の2大歌姫が別々のバージョンでカバーしていましたが、いずれも故人。蔡幸娟が歌っているのは「仍旧一個人」だと紹介されていますが、歌詞はテレサの「襟裳岬」とまったく同じ。蔡幸娟はもともと「沙灘上的歌声」というこれまた別バージョンのカバーを発売していたはず…。まぁこの人の北京語はキレイなので、どのバージョン歌っててもウットリします、ちなみに日本語で歌っている男性は、日本で演歌の修行をした洪栄宏。
五木ひろし『千曲川』台湾語版4…洪栄宏「難忘的河辺」
前半は蔡幸娟が北京語版の「心影(sm24294320)」を、後半は洪栄宏が台湾語版の「難忘的河辺」を歌ってますが、蔡幸娟はかつて日本語の原曲と「心影」とオリジナルの台湾語版「離愁(sm24297287)」を3言語で歌ってたこともあります。
山口淑子『東京夜曲』北京語版1…蔡幸娟「意難忘」
『東京夜曲(セレナーデ)』は日本に引き揚げてきた李香蘭改め山口淑子が1951年に歌った曲。台湾では62年に美黛が北京語版の「意難忘」を歌って大ヒットし、92年にテレビドラマ主題歌として改めて歌ったのが蔡幸娟。
高石かつ枝『南国エレジー』台湾語版1…蔡幸娟「難忘的愛人」
2009年末の映像。『南国エレジー』は高石かつ枝が1965年に歌ったヒット曲。と言っても、いまどき耳にする機会はまずないでしょうが、台湾語カバーの「難忘的愛人」は、67年に尤雅(後に来日デビューして優雅)が歌ったのに続いて、鄧麗君(テレサ・テン)などいろんな歌手が歌い、最近でも蔡幸娟が改めてカバーするなど、今でも台湾ではよく聴く懐メロの1つになってます。それにしても蔡幸娟は明菜やキョンキョンと同じ歳ですが、ずいぶん若く見えますね。
細川たかし『心のこり』台湾語版3…蔡幸娟「錯愛」
日本語と北京語「温馨的回憶(sm22941214)」、台湾語「錯愛」の3本立て。
渥美二郎『夢追い酒』台湾語版07…蔡幸娟「前途不是靠命運」
渥美二郎『夢追い酒』は1978年のヒット曲で、翌79年から北京語の「追夢」や台湾語の「夢追酒」など数々のカバーが出ましたが、82年に「三語一体系列」と称して、蔡幸娟が歌ったのがこれ。日本語のオリジナルと、北京語の「追夢」に続いて、台湾語の「前途不是靠命運」を歌ってますが、蔡幸娟は中森明菜や小泉今日子と同じ歳なので、当時17歳だったはず。。。カセットテープのジャケットには台語(台湾語)じゃなくて、厦語(アモイ語)と書かれているので、シンガポールで発売された??
山田五十鈴『牡丹の曲』北京語版3…蔡幸娟「你愛不愛我」
1980年に15歳でアイドル歌手としてデビューしたはずの台湾の蔡幸娟。その後しばらくはなぜか「東方雲雀」=アジアの美空ひばり?をキャッチフレーズに、日本語と北京語、台湾語の3言語で演歌や懐メロを歌うという三語一体シリーズに取り組んで、81年にシンガポールで出したのが41年のの映画『上海の月』の挿入歌で山田五十鈴が歌った『牡丹の曲』。日本語の原曲と、いろんな歌手が歌っていた台湾語版の「緣投囝仔(sm25437443)」と、オリジナルの北京語版の「你愛不愛我」を続けて歌うというもの。
都はるみ『大阪しぐれ』北京語版3…蔡幸娟「秋的慕情」
『大阪しぐれ』は都はるみが1980年に出した歌ですが、日本以上に演歌ファンが多い台湾ではたちまち無数のカバーソングが出現。台湾語版が「夜雨思情(sm23362981)」「夢中人(sm23363126)」「盲人的心声(sm23367202)」「大阪之雨(sm23367265)」「飮酒消愁愁更愁」「異郷夜雨」に、北京語版が「夜雨(sm23367866)」「秋雨濛濛(sm23367959)」「秋色慕情(sm23367987)」「只要你心裡有我(sm23368011)」と、10種類確認しましたが、他にもまだあるかも。。。蔡幸娟が「秋的慕情」を出したのは82年、つまり17歳の時ですが、低音の声がちょっと苦しそう。
牧村三枝子『みちづれ』北京語版1…蔡幸娟「冬恋」
1978年から80年にかけてロングヒットした『みちづれ』は、台湾でいくつものバージョンにカバーされました。北京語版では陳芬蘭をはじめいろんな歌手が歌った「冬恋」、鄧麗君(テレサ・テン)の「山茶花」、蔡幸娟の「那首愛的歌」、台湾語版は蔡幸娟の「冬恋」と龍千玉の「難忘的旧情」など。で、結局一番浸透したのは、いろんな歌手の「冬恋」です。この映像は蔡幸娟が2006年頃歌った「冬恋」ですが、この人の切なそうな歌声はイイですね。蔡幸娟が16歳の時に歌った日本語&北京語&台湾語のバージョンはこれ(sm23258566)。
霧島昇+松原操『旅の夜風』台湾語版7…蔡幸娟「旅途夜風」
♪は~な~も~、あらしも~、踏み越えて~♪の『旅の夜風』は、1938年の大ヒット映画『愛染かつら』の主題歌。当時日本の統治下にあった台湾でも大ヒットしたためか、戦後「旅途夜風」「旅途慕情」「異鄉情書」「異鄉情思」「欠你一份人情」「情債」などなど台湾語のカバーがいくつも出ましたが、それら中で最もポピュラーなものは、タイトル直訳の「旅途夜風(sm25086007)」。ところが「東方雲雀(アジアの美空ひばり?)をキャッチフレーズにしていた蔡幸娟が83年に歌った「旅途夜風」は、他の歌手が歌った「旅途夜風」とはタイトルは同じでも歌詞が違い、さらに1~3番までは日本語で歌うというもの。蔡幸娟は明菜やキョンキョンと同じ歳なので、当時18歳?
小林幸子『とまり木』北京語版7…蔡幸娟「心中黙黙祝福你」
1番は日本語、2番は台湾語の「少女的心声(sm23614513)」、3番がオリジナルの北京語版「心中黙黙祝福你」という構成。
多摩幸子『乙女心に雨が降る』北京語版1…蔡幸娟「緑島小夜曲」
多摩幸子は1958年に17歳でデビューし、66年に結婚して引退した歌手。『乙女心に雨が降る』はいつの曲か知りませんが、台湾では北京語カバーの「綠島小夜曲」が出て、いろんな歌手が歌い大ヒット。現在でも懐メロの定番としてよく歌われてます。87年に香港映画『監獄風雲』の挿入歌として広東語カバーの「友誼之光(sm25455919)」も作られ、こちらは香港人が卒業式や送別会で歌う曲として定着。
淡谷のり子『雨のブルース』北京語版…蔡幸娟「寒雨曲」
♪窓を開ければ~♪の『別れのブルース』は1937年のヒット曲ですが、『雨のブルース』は翌38年のヒット曲。
小林旭『昔の名前で出ています』北京語版…蔡幸娟「幻影」
『昔の名前で出ています』のカバーは、「流浪之歌(sm27053023)」をはじめ、「昔日的芳名(sm23505953)」「林森北路之夜(sm23506037)」「心酸的祝福(sm23506098)」「浪子情(sm23941974)」「難忘的旧愛人(sm33066607)」 「継続擱流浪(sm31255173)」 と、台湾では少なくとも7種類も出てますが、シンガポールのレコード会社から北京語カバーを出したのが、蔡幸娟。彼女は1980年に15歳でデビューした台湾のアイドル歌手でしたが、「東方雲雀=アジアの美空ひばり」をキャッチフレーズに、日本の演歌や懐メロを日本語と台湾語と北京語で歌うという「三語一体系列」なるシリーズを出し始め、『昔の名前で出ています』も日本語の原曲と台湾語版「流浪之歌」と北京語版「幻影」を続けて歌唱。それにしても「串刺しリンゴ」を手に可愛く微笑むジャケ写が不気味なら、「上まいホ」という日本語の曲も謎w
都はるみ『北の宿から』台湾語版1+北京語版3…「無緣何必熟識+勿忘家鄉」
1982年から出た「日本の演歌をオリジナルの日本語と、台湾語と北京語のカバーと、3つまとめて歌っちゃえ」という《三語一体系列》なるシリーズ企画もの。3言語で歌っている蔡幸娟は、当時17歳。82年と言えば、日本では明菜やキョンキョンなど当時17歳のアイドルがわんさといましたが、さすがに3言語で歌える子はいませんでした。ま、早見優なら2言語で歌ってましたけど。。。85~86年あたりに蔡幸娟は香港にも進出して広東語を含めた4言語で歌いますが、さすがに無理があったのか、広東語の歌は数曲でおしまい。
金田たつえ『花街の母』台湾語版4…蔡幸娟「吉他相思」
『花街の母』は台湾語では「媽媽歌星=歌手の母」としてカバーされた曲がヒット。現在もテレビでしばしば歌われていますが(sm22763433)、蔡幸娟が80年代に出していた台湾語カバーが「吉他相思(sm27856743)」。日本語の原曲と北京語版の「我心在飄零(sm27857405)」に続いて歌うという構成。「吉他」とはギターのこと。
金田たつえ『花街の母』台湾語版1…蔡幸娟、鄭進一「媽媽歌星」
2006年の映像。客の前では歳がバレないように、自分の娘を「妹」だと偽って…という内容は日本語のオリジナルとほぼ同じ。ただし「花街の母」ではなくて「歌手の母」という設定になっています。『花街の母』は北京語版に加え台湾語版が3種類カバーされていますが、ヒットしたのはこの「媽媽歌星」。蔡幸娟はかつて北京語の「我心在飄零」と台湾語の「吉他相思」というカバーを出していましたが、今では歌うのはもっぱら「媽媽歌星」。蔡幸娟自身、この2年後には離婚して文字通り「媽媽歌星」となり、女手一つで娘を育てることになります。。。
アン・ルイス『グッドバイマイラブ』北京語版1…蔡幸娟「再見我的愛人」
アン・ルイスの『グッド・バイ・マイ・ラブ』の北京語カバーはもともと鄧麗君(テレサ・テン)がセリフ入り(sm23566489)で歌っていました。蔡幸娟は1980年から歌手をしている(sm22777380)ので、それなりの年齢(中森明菜や小泉今日子と同じ歳)ですが、声が変わらず童顔なので、かなり若く見えます(笑)。ちなみにこの前、家を掃除していたら80年代半ばにシンガポールあたりで買ったと思われる蔡幸娟のテープが出てきましたが、当時はかなりのイモ姉ちゃん(sm22777380)で、おばさんになってからの方が断然キレイですw
金田たつえ『花街の母』北京語版1…蔡幸娟「我心在飘零」
『花街の母』は台湾語では「媽媽歌星=歌手の母」としてカバーされた曲がヒット。現在もテレビでしばしば歌われていますが(sm22763433)、蔡幸娟が80年代に出していた北京語カバーが「我心在飘零」。
渡辺はま子『支那の夜』北京語版2…蔡幸娟「春之夢」
1943年に上海で『支那の夜』を北京語カバーした「春的夢(sm24147600)」は、戦後も香港や台湾、シンガポールなどで多くの歌手が歌い続けましたが、86年に当時台湾で「中国娃娃」のキャッチフレーズで売り出していた蔡幸娟がカバーしたタイトルは「春之夢」。中国語的には「春的夢」よりも「春之夢」の方がしっくりきますが、歌詞は「春的夢」と全く同じ。ちなみに中国娃娃を戦前の日本語に訳すと「支那娘」w。
『乙女の涙』台湾語版1…蔡幸娟+鄭進一「可憐的小姑娘」
謎の曲です…。原曲は『乙女の涙』ということになってますが、いつ誰が歌ったのか不明。原曲タイトルは『姑娘よもう泣かないで』だという説もあります。台湾のテレビ番組では「日本曲」というクレジットが出てますが、実は韓国の曲だとも。いずれにしても、台湾語カバーの「可憐的小姑娘(sm26860848)」や北京語カバーの「心声涙痕(sm26860860やsm26860868)」は台湾や東南アジアの中華圏では有名な懐メロで、香港でも「心声涙痕」「你軽呼我」「台前幕后」と3種類の広東語カバーが出てました。
小林幸子+美樹克彦『もしかしてPARTII』台湾語版1…「愛的表示」
1984年にヒットした小林幸子と美樹克彦の定番デュエット。台湾では台湾語の「愛的表示(sm22900570)」「愛情多一歳(sm25252677)」「假使你若是」「冤家(sm25190934)」と、北京語の「蛻變(sm22902369)」など何種類にもカバーされ、マレーシアでも北京語版の「怎能不珍惜(sm25190795)」がでました。「愛的表示」はもともと泥泥が84年に歌い、台湾語演歌界の女王・江恵もカバーしましたが、この映像で歌っているのは鄭進一と蔡幸娟。