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村田英雄『夫婦春秋』北京語版2…蔡幸娟「我為他祈祷」
「日本式アイドル」が全盛だった1980年代前半の台湾で、なぜか日本の曲のカバーを、日本語・台湾語・北京語の3言語で歌う「三語一体系列」なるシリーズを、シンガポールのレコード会社から黙々と発売していた当時10代の蔡幸娟。しかも選曲が演歌や懐メロなどシブイものばっかりで、キャッチフレーズは東方雲雀(アジアの美空ひばり?)。『夫婦春秋』も日本語の原曲と台湾語版の「人生(sm25246647)」に続いて、オリジナルの北京語版「我爲他祈祷」を歌ってます。
岡晴夫『憧れのハワイ航路』北京語版…蔡幸娟「夏威夷航路」
『憧れのハワイ航路』は1948年に岡晴夫が歌った曲。私は二郎さんが歌ってたのをテレビで観た記憶しかありませんw台湾では50年代に港町・高雄を歌った台湾語版の「可愛的港都」が出ましたが、83年に蔡幸娟が出した北京語版が「夏威夷航路」。原曲は日本人の海外旅行が禁止されていた時代に、ハワイへの船旅に憧れる歌でしたが、「夏威夷航路」は♪懐かしいハワイに、早く帰りたい~♪という歌。当時18歳の蔡幸娟は、1つの曲を日本語と北京語と台湾語の3言語で歌う「三語一体系列」なるシリーズに取り組んでいて、この曲も日本語のオリジナルと北京語版と台湾語版の「可愛的港都」を続けて歌ってます。
霧島昇+松原操『旅の夜風』台湾語版7…蔡幸娟「旅途夜風」
♪は~な~も~、あらしも~、踏み越えて~♪の『旅の夜風』は、1938年の大ヒット映画『愛染かつら』の主題歌。当時日本の統治下にあった台湾でも大ヒットしたためか、戦後「旅途夜風」「旅途慕情」「異鄉情書」「異鄉情思」「欠你一份人情」「情債」などなど台湾語のカバーがいくつも出ましたが、それら中で最もポピュラーなものは、タイトル直訳の「旅途夜風(sm25086007)」。ところが「東方雲雀(アジアの美空ひばり?)をキャッチフレーズにしていた蔡幸娟が83年に歌った「旅途夜風」は、他の歌手が歌った「旅途夜風」とはタイトルは同じでも歌詞が違い、さらに1~3番までは日本語で歌うというもの。蔡幸娟は明菜やキョンキョンと同じ歳なので、当時18歳?
上原敏+結城道子『裏町人生』台湾語版01…鄭進一+蔡幸娟「後街人生」
『裏町人生』は1937年のヒット曲。歌っていた上原敏はニューギニアで戦死しましたが、その後もいろんな歌手がカバーし続けています。戦後、台湾では無数のカバーが出て、台湾語の 「後街人生(sm25009830)」 「懷念初恋時(sm25013709)」「不可做流氓(sm25013725)」「朋友呀免傷心(sm25140511)」「女性的悲哀(sm33115169)」「夜半的酒場(sm25325105)」「異鄉的都市(sm33115187)」「無情的心肝(sm27242311)」「勇敢的女性(sm27242355)」「后街人生(sm26254622)」 「野花的春天(sm26254521)」 「酒女嘆(sm29314367)」 「酒矸仔嫂(sm31078350)」 「琉球山之恋(sm31240412)」 「離開故郷心愛的人(sm32887720)」 、北京語で「秋詞(sm25143725)」などなど…。「後街人生」は、もともと文夏がカバーして、タイトルはそのまま直訳。内容は夜の世界に身を堕した女の歌で、♪私は主のいない野花だから、どこでも咲くの♪。
千昌夫『星影のワルツ』台湾語版1…鄭進一&蔡幸娟「星夜的離別」
『星影のワルツ』は1968年のヒット曲。台湾ではその年のうちに北京語版の「星夜的離別」と台湾語版の「星夜的離別」が出ました。
渥美二郎『夢追い酒』台湾語版07…蔡幸娟「前途不是靠命運」
渥美二郎『夢追い酒』は1978年のヒット曲で、翌79年から北京語の「追夢」や台湾語の「夢追酒」など数々のカバーが出ましたが、82年に「三語一体系列」と称して、蔡幸娟が歌ったのがこれ。日本語のオリジナルと、北京語の「追夢」に続いて、台湾語の「前途不是靠命運」を歌ってますが、蔡幸娟は中森明菜や小泉今日子と同じ歳なので、当時17歳だったはず。。。カセットテープのジャケットには台語(台湾語)じゃなくて、厦語(アモイ語)と書かれているので、シンガポールで発売された??
布施明『シクラメンのかほり』台湾語版…蔡幸娟& 施文彬「傷心到何時」
『シクラメンのかほり』は1975年のヒット曲で、北京語版は鄧麗君(テレサ・テン)が77年に「你我相伴左右(sm23549897)」、84年に「我要你為偶(sm23549939)」と北京語で2回カバー(歌詞はほとんど同じ)したほか、江蕾の「夜想曲jがあり、広東語版は甄妮(ジェニー・ツェン)が79年に「情愛是力量(sm24864351)」を出しましたが、台湾語版が出たのは遅くて、92年に江蕙と施文彬がデュエットで歌ってます。
唱歌『汽車』台湾語版…蔡幸娟&方瑞娥「快車小姐」
『汽車』と言っても、♪汽車汽車シュッポシュッポ♪ではなくて、♪いまは山中、いまは浜~♪ってヤツです。私的にはTBSで土曜夜にやってた番組『8時だヨ!出発進行』のOPソングって記憶ですけどw。『汽車』は明治時代から文部省唱歌だったので、戦前の日本統治時代を経験した台湾人は学校で習っていたわけで、戦後、文夏が台湾語の歌にしたのが「快車小姐」。かつて台湾の快車(=急行列車)には旅客サービスの女性(快車小姐)が乗っていて、お茶を注いでくれたりしてましたが、♪4号車の4番座席には、私のカレが乗ってるの♪で、♪汽車が高雄に着いたらお嫁に行くのよ♪がオチw中国の快車にも服務員という女性が乗ってますが、こちらはかなりコワモテですw
佐塚佐和子『蕃社の娘』台湾語版2…鄭進一&蔡幸娟「十八姑娘」
霧社事件(台湾先住民による抗日蜂起事件)の犠牲者の娘・佐塚佐和子(サワ・サッカ)が1939年に台湾で歌った『蕃社の娘』。台湾語版の「黄昏愁(sm23443297)」もありましたが、58年にアレンジを一新した北京語版の「姑娘十八一朵花(sm23443452)」が登場して以来、娘十八花盛りという内容が受けて、台湾語版(sm23443428)、客家語版(sm23443562)、さらにマレーシアでは潮州語版(sm23443587)、香港では広東語版(sm23443632)が次々とできました。この映像の鄭進一&蔡幸娟のコンビは、同じ番組で「黄昏愁(sm23443297)」も歌っていますが、結ばれなかった初恋の思い出を歌う「黄昏愁」に対して、♪若いうちはキレイだが、贅沢言っていつまでもお嫁に行かなかったら、お婆さんになっちゃうよ♪という「十八姑娘」は軽いノリの曲で、歌いやすそうです。
都はるみ『大阪しぐれ』北京語版3…蔡幸娟「秋的慕情」
『大阪しぐれ』は都はるみが1980年に出した歌ですが、日本以上に演歌ファンが多い台湾ではたちまち無数のカバーソングが出現。台湾語版が「夜雨思情(sm23362981)」「夢中人(sm23363126)」「盲人的心声(sm23367202)」「大阪之雨(sm23367265)」「飮酒消愁愁更愁」「異郷夜雨」に、北京語版が「夜雨(sm23367866)」「秋雨濛濛(sm23367959)」「秋色慕情(sm23367987)」「只要你心裡有我(sm23368011)」と、10種類確認しましたが、他にもまだあるかも。。。蔡幸娟が「秋的慕情」を出したのは82年、つまり17歳の時ですが、低音の声がちょっと苦しそう。
石川さゆり『津軽海峡・冬景色』北京語版2…蔡幸娟「黄昏的海辺」
金瑞揺(ヨーヨー)、林慧萍(モニク・リン)、楊林(ダイアナ)など、「日本式アイドル」が次々とデビューしてブームを巻き起こした1982~83年頃の台湾。80年に15歳で一足早くデビューしていた蔡幸娟は、声やルックスは可愛いし、デビュー曲は「夏之旅」というアイドルソングだったし、ブームに十分乗れるはずだったのに、なぜか「日本の演歌を、日本語と北京語と台湾語で歌う」という三語一体系列なるシリーズ物に黙々と取り組み、キャッチフレーズは「東方雲雀」って、目標は美空ひばり?でも、そのおかげで蔡幸娟は一時のアイドルにはならず、現在でも活躍中です。
牧村三枝子『みちづれ』北京語版2+台湾語版1…「那首愛的歌/冬恋」
日本語の歌をたくさん歌っていたのに、なぜか日本ではほとんど知られていない蔡幸娟。1981年に出したこの曲は「三語一体系列」と称して、日本の演歌を日本語と北京語、台湾語で歌うという企画の一環。明菜やキョンキョンと同じ歳だというから、この時、蔡幸娟はまだ16歳ですよ。。。最近の蔡幸娟が歌った別バージョンの北京語版「冬恋」はこれ(sm23258406)。日本の演歌の台湾語カバーソング集→mylist/42416634
牧村三枝子『みちづれ』北京語版1…蔡幸娟「冬恋」
1978年から80年にかけてロングヒットした『みちづれ』は、台湾でいくつものバージョンにカバーされました。北京語版では陳芬蘭をはじめいろんな歌手が歌った「冬恋」、鄧麗君(テレサ・テン)の「山茶花」、蔡幸娟の「那首愛的歌」、台湾語版は蔡幸娟の「冬恋」と龍千玉の「難忘的旧情」など。で、結局一番浸透したのは、いろんな歌手の「冬恋」です。この映像は蔡幸娟が2006年頃歌った「冬恋」ですが、この人の切なそうな歌声はイイですね。蔡幸娟が16歳の時に歌った日本語&北京語&台湾語のバージョンはこれ(sm23258566)。
高石かつ枝『南国エレジー』台湾語版1…蔡幸娟「難忘的愛人」
2009年末の映像。『南国エレジー』は高石かつ枝が1965年に歌ったヒット曲。と言っても、いまどき耳にする機会はまずないでしょうが、台湾語カバーの「難忘的愛人」は、67年に尤雅(後に来日デビューして優雅)が歌ったのに続いて、鄧麗君(テレサ・テン)などいろんな歌手が歌い、最近でも蔡幸娟が改めてカバーするなど、今でも台湾ではよく聴く懐メロの1つになってます。それにしても蔡幸娟は明菜やキョンキョンと同じ歳ですが、ずいぶん若く見えますね。
都はるみ『北の宿から』台湾語版1+北京語版3…「無緣何必熟識+勿忘家鄉」
1982年から出た「日本の演歌をオリジナルの日本語と、台湾語と北京語のカバーと、3つまとめて歌っちゃえ」という《三語一体系列》なるシリーズ企画もの。3言語で歌っている蔡幸娟は、当時17歳。82年と言えば、日本では明菜やキョンキョンなど当時17歳のアイドルがわんさといましたが、さすがに3言語で歌える子はいませんでした。ま、早見優なら2言語で歌ってましたけど。。。85~86年あたりに蔡幸娟は香港にも進出して広東語を含めた4言語で歌いますが、さすがに無理があったのか、広東語の歌は数曲でおしまい。
内山田洋とクールファイブ『中の島ブルース』北京語版…蔡幸娟「伊人何處」
『中の島ブルース』ってクールファイブの歌かと思っていたら、最初に歌ったのは秋庭豊とアローナイツだったんですね。北海道の炭鉱の社内バンドだったそうで。。。で、その北京語カバーの「伊人何處(あの人はどこに)」は、1980年に鄧麗君(テレサ・テン)が歌ったのが最初。この映像で歌っている蔡幸娟は当時、中学生でありながらドサまわりの歌手をしていましたが、「客からよくリクエストが来て歌ってた」そうな。台湾語カバーには、洪栄宏の「情難断」や、蔡小虎の「愛河恋歌(sm23066037)」、蔡一紅の「溪頭之恋」など、何種類もあるようです。
『浪花節だよ人生は』台湾語版1中華風…蔡幸娟&鄭進一「愛情像流水」
『浪花節だよ人生は』は日本では多くの歌手が歌って1984年に大ヒットしましたが、中華圏でもカバーがやたらと多く、台湾語版は最もポピュラーな「望月想愛人(sm22836825)」をはじめ「愛情像流水(sm22836473)」「美麗的期待(sm23630147)」「酒場痴情夢(sm23630204)」「堂堂好丈夫(sm23630490)」の5種類、北京語版はマレーシアやシンガポールで出た「盼你回頭(sm23527365)」「美麗的期待(sm23527341)」「教我難忘記(sm23527151)」「愛情像浮萍(sm23527120)」「朋友別介意(sm23915482)」「相思樹(sm23915552)」の6種類…まだあるかも知れません。「愛情像流水」は主に江蕙が歌っていましたが、これは2006年の映像。
橋幸夫『潮来笠』台湾語版1…蔡幸娟「彼個小姑娘」
たぶん1997年の映像。「彼個小姑娘」はいろんな歌手が歌っているので、誰が台湾語版のオリジナル歌手なのかわかりません。蔡幸娟は1980年に中学生歌手としてデビュー。当初は北京語の歌謡曲を歌い(sm22777380)、一時期は香港で売り出したりしてましたが、80年代末から台湾語の演歌も歌うようになり、さらに同じ曲を北京語、台湾語、日本語の3言語で歌うという「三語一体」アルバムなんてものまで出していました。甘い声が特徴的で、これは今も変わっていません。
アン・ルイス『グッドバイマイラブ』北京語版1…蔡幸娟「再見我的愛人」
アン・ルイスの『グッド・バイ・マイ・ラブ』の北京語カバーはもともと鄧麗君(テレサ・テン)がセリフ入り(sm23566489)で歌っていました。蔡幸娟は1980年から歌手をしている(sm22777380)ので、それなりの年齢(中森明菜や小泉今日子と同じ歳)ですが、声が変わらず童顔なので、かなり若く見えます(笑)。ちなみにこの前、家を掃除していたら80年代半ばにシンガポールあたりで買ったと思われる蔡幸娟のテープが出てきましたが、当時はかなりのイモ姉ちゃん(sm22777380)で、おばさんになってからの方が断然キレイですw
ピンキーとキラーズ『恋の季節』北京語版1…「恋愛季節」
この動画で歌っているのは蔡幸娟と鄭進一。鄭進一は「森進一に声が似てる」と芸名を付けた台湾語演歌歌手で、弟も鄭進二という名でデビューしたことがあります。