タグ 蔡幸娟 が登録されている動画 : 85 件中 33 - 64 件目
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高峰三枝子『アリラン・ブルース』北京語版1…蔡幸娟「重相逢」
『アリラン・ブルース』は1940年に高峰三枝子が歌った曲。
山田五十鈴『牡丹の曲』北京語版3…蔡幸娟「你愛不愛我」
1980年に15歳でアイドル歌手としてデビューしたはずの台湾の蔡幸娟。その後しばらくはなぜか「東方雲雀」=アジアの美空ひばり?をキャッチフレーズに、日本語と北京語、台湾語の3言語で演歌や懐メロを歌うという三語一体シリーズに取り組んで、81年にシンガポールで出したのが41年のの映画『上海の月』の挿入歌で山田五十鈴が歌った『牡丹の曲』。日本語の原曲と、いろんな歌手が歌っていた台湾語版の「緣投囝仔(sm25437443)」と、オリジナルの北京語版の「你愛不愛我」を続けて歌うというもの。
春日八郎『長崎の女』台湾語版4…蔡幸娟「癡情的女性」
1980年に15歳でアイドル歌手としてデビューしたはずの台湾の蔡幸娟。その後しばらくはなぜか「東方雲雀」=アジアの美空ひばり?をキャッチフレーズに、日本語と北京語、台湾語の3言語で演歌や懐メロを歌うという三語一体シリーズに取り組んで、82年にシンガポールで出したのが63年の春日八郎のヒット曲『長崎の女』。日本語の原曲と、いろんな歌手が歌っていた北京語版の「午夜夢迴時(sm25297659)」と、オリジナルの厦語=アモイ語=福建語=台湾語版の「癡情的女性」を続けて歌うというもの。
並木路子『リンゴの唄』?北京語版3…蔡幸娟「我愛鄉村」
「南都之夜(sm28449811)」は1946年の曲で、戦後台湾で最初に流行った歌謡曲として有名な曲。北京語や広東語でいろいろとカバーされ、台湾では小学校で習う愛国歌、中国では革命歌(sm28450443)にもなりましたが、原曲と言われているのが、戦後日本で最初に流行った歌謡曲『リンゴの唄』(1945年)。♪リンゴは何にも言わないけれど♪の部分を除いたような感じがします。北京語版は台湾のすばらしさを讃える香港映画の挿入歌「台灣小調(sm28449959)」が流行りましたが、その後86年にシンガポールで出たのが「我愛郷村」。歌ってる蔡幸娟は台湾の歌手。
細川たかし『心のこり』台湾語版3…蔡幸娟「錯愛」
日本語と北京語「温馨的回憶(sm22941214)」、台湾語「錯愛」の3本立て。
上原敏+青葉笙子『鴛鴦道中』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟「陳三五娘」
『鴛鴦道中』は1938年の大ヒット曲。上原敏はその後ニューギニアで戦死、青葉笙子は2012年までご存命だったとか…。「陳三五娘」は潮州(広東省東部)や福建の伝統歌劇の題目の一つで、旅の途中の金持ちの息子(陳三)が五娘に一目惚れして、「鏡磨き師」を装って五娘の家に入り込み、高価な鏡をわざと割り「弁償できないから奴隷にして」と家に住み込んでしまう…という話。
金田たつえ『花街の母』北京語版1…蔡幸娟「我心在飘零」
『花街の母』は台湾語では「媽媽歌星=歌手の母」としてカバーされた曲がヒット。現在もテレビでしばしば歌われていますが(sm22763433)、蔡幸娟が80年代に出していた北京語カバーが「我心在飘零」。
金田たつえ『花街の母』台湾語版4…蔡幸娟「吉他相思」
『花街の母』は台湾語では「媽媽歌星=歌手の母」としてカバーされた曲がヒット。現在もテレビでしばしば歌われていますが(sm22763433)、蔡幸娟が80年代に出していた台湾語カバーが「吉他相思(sm27856743)」。日本語の原曲と北京語版の「我心在飄零(sm27857405)」に続いて歌うという構成。「吉他」とはギターのこと。
フランク永井『雨の国道七号線』北京語版…蔡幸娟+余天「相見不如懷念」
『雨の国道七号線』は1959年の曲。台湾では台湾語カバーの「悲恋的公路(sm27835900)」「彈吉他的人(sm27835949)」、北京語カバーの「相見不如懷念(sm27836021)」が出てます。
渥美二郎『忘れてほしい』台湾語版3…蔡幸娟「你我初恋時」
1980年に15歳でデビューした蔡幸娟。82年頃から台湾でも「日本式アイドル」が次々とデビューすると演歌路線に転向して、日本の演歌を日本語+北京語+台湾語の3言語で歌うというシリーズに取り組むことに。『忘れてほしい』も日本語の原曲と北京語版の「原諒我吧心上人(sm25099282)」に続いて、オリジナルの台湾語版「你我初恋時」を歌ってます。
山口淑子『東京夜曲』北京語版1…蔡幸娟「意難忘」
『東京夜曲(セレナーデ)』は日本に引き揚げてきた李香蘭改め山口淑子が1951年に歌った曲。台湾では62年に美黛が北京語版の「意難忘」を歌って大ヒットし、92年にテレビドラマ主題歌として改めて歌ったのが蔡幸娟。
『こんなベッピン見たことない』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟「美姑娘仔」
『こんなベッピン見たことない』は芸者歌手・神楽坂はん子が1953年に歌ったヒット曲。台湾では台湾語カバー「美姑娘仔」と北京語カバー「忘也忘不了(sm26985398)」が出ました
パティ・キム『離別(イビョル)』北京語版1…蔡幸娟+賀一航「寄語白雲」
『離別(イビョル)』はパティ・キムが1972年に歌った代表曲。89年の紅白では日韓2ヵ国語で歌ってました。作曲した吉屋潤は韓国人ですが、50年代から60年代にかけて日本で活躍したジャズのサックス奏者。で、二人は夫婦だったのですが、72年に離婚して発表したのが『離別(イビョル)』だったという次第。台湾で出た北京語カバーが「寄語白雲」ですが、歌詞は76年に香港で出た北京語カバー「離情(sm27618739)」とほぼ同じ、正確に言うと1文字違うだけ。
二葉百合子『岸壁の母』北京語版3…蔡幸娟「懷念您!媽媽」
『岸壁の母』は1954年の歌謡浪曲で、シベリアに抑留された息子の帰りを舞鶴港の岸壁で待ち続ける母親の歌ですが、台湾では北京語の「母親的思念(sm23488849)」と、台湾語の「爸爸在哪裡(sm23488371)」「媽媽的心(sm23488809)」「思念故郷的媽媽(sm30747759)」「媽媽的一封信(sm24052304)」「爸爸叼位去(sm27601030)」「媽媽在哪里(sm27880119)」、シンガポールには北京語の「微風飄來濛濛雨(sm24052252)」などのカバーソングがあります。「懷念您!媽媽」が出たのは1982年。
佐良直美『世界は二人のために』北京語版2…蔡幸娟「世界多美麗」
台湾で出た『世界は二人のために』の北京語カバーは「世界多美麗」。ところが鄧麗君(テレサ・テン)が歌った「世界多美麗(sm25112027)」と 蔡幸娟の「世界多美麗」では、歌詞が一部異なってます。サビの部分は同じですけどねぇ。
牧村三枝子『夫婦きどり』北京語版2…蔡幸娟「相見歓」
蔡幸娟は1980年に台湾でアイドル歌手としてデビューしましたが、82年から演歌歌手に転向。日本の演歌を日本語と北京語と台湾語で歌うという「三語一体」シリーズなるものを、台湾とシンガポールで出していました。そんな82年に歌った「相見歓」ですが、『夫婦きどり』の北京語版は鄧麗君(テレサ・テン)も「恩愛夫妻(sm26312284)」を出していて競作に。テレサ亡き後、蔡幸娟の甘い歌声はテレサに似ていると言われて、よくテレビで鄧麗君のカバーを歌ってますが、さて、どうでしょう?
野村雪子『初恋ワルツ』台湾語版1…蔡幸娟「初恋」
野村雪子の『初恋ワルツ』は1954年のヒット曲。台湾では60年代に紀露霞が台湾語と北京語の両方でカバーしていましたが、北京語版(sm26264132)は鳳飛飛が改めて歌い、台湾語版は蔡幸娟が88年に改めて歌った模様。歌詞の内容は北京語版も台湾語版もほぼ同じ。蔡幸娟は80年に15歳でデビューし、北京語のアイドルソングを歌っていたのに、2年足らずで台湾語や日本語、北京語で演歌を歌う路線に転向。現在でも3つの言語で歌い続けている息の長い歌手。
上原敏+結城道子『裏町人生』台湾語版09…蔡幸娟「后街人生」
『裏町人生』は1937年のヒット曲。歌っていた上原敏はニューギニアで戦死しましたが、その後もいろんな歌手がカバーし続けています。『裏町人生』の台湾語版は何種類も出てますが、蔡幸娟が1982年に出した「后街人生」は、日本語と台湾語と北京語の3言語で歌うというもの。北京語の部分は「秋詞(sm25143725)」と歌詞が同じですが、台湾語の部分は「後街人生(sm25009830)」とは少し歌詞が異なります。蔡幸娟は当時17歳で、アイドル歌手としてデビューしたのに、この年から日本の演歌や懐メロを3言語で歌うシリーズをリリースし続けることに。
多摩幸子『乙女心に雨が降る』北京語版1…蔡幸娟「緑島小夜曲」
多摩幸子は1958年に17歳でデビューし、66年に結婚して引退した歌手。『乙女心に雨が降る』はいつの曲か知りませんが、台湾では北京語カバーの「綠島小夜曲」が出て、いろんな歌手が歌い大ヒット。現在でも懐メロの定番としてよく歌われてます。87年に香港映画『監獄風雲』の挿入歌として広東語カバーの「友誼之光(sm25455919)」も作られ、こちらは香港人が卒業式や送別会で歌う曲として定着。
菊池章子『支那むすめ』台湾語版1…西卿+蔡幸娟「広東花」
1938年に渡辺はま子が歌った『支那の夜』がヒットすると、中国の情景を歌った曲がブームになり、40年の『支那むすめ』もその1つ。ところが30年以上経って台湾で「誰もが知ってる歌」になったのが、台湾語カバーの「広東花」。「広東花」は70年代に最高視聴率97%という大人気だったテレビの布袋戯(伝統的な人形劇)雲州大儒侠の登場人物の1人で、「広東花」が登場する時にテーマソングとして流れる曲に。このテレビ布袋戯は主要人物ごとにテーマソングがあって、苦海女神龍(『港町ブルース(sm23275611)』)、冷霜子(『盃(sm23499078)』)、恨世生(『夢で泣け(sm25265469)』)、大節女(『朝日のあたる家』)などなど。
橋幸夫『潮来笠』北京語版2…蔡幸娟「尋覓」
「日本式アイドル」が次々とデビューしてブームを巻き起こした1982~83年頃の台湾。80年に15歳で一足早くデビューしていた蔡幸娟は、声やルックスは可愛いし、デビュー曲は「夏之旅」というアイドルソングだったし、ブームに十分乗れるはずだったのに、なぜかシンガポールのレコード会社で、日本の演歌や懐メロを、日本語と北京語と台湾語で歌う」という三語一体系列なるシリーズ物に黙々と取り組むことに。『潮来笠』も日本語の原曲と、オリジナルの北京語版「尋覓」と、台湾語版のヒット曲「彼個小姑娘(sm22763249)」を続けて歌ってます。「尋覓」とは探すの意味。
淡谷のり子『雨のブルース』北京語版…蔡幸娟「寒雨曲」
♪窓を開ければ~♪の『別れのブルース』は1937年のヒット曲ですが、『雨のブルース』は翌38年のヒット曲。
李香蘭『紅い睡蓮』北京語版1…蔡幸娟「紅睡蓮」
『紅い睡蓮』は1940年の映画『熱砂の誓ひ』の挿入歌。映画の内容はといえば、『支那の夜』と同様に、日本人男性(長谷川一夫)と支那娘(李香蘭)のラブロマンスという国策映画ですが、戦後台湾では純粋な恋の歌になって北京語版の「紅睡蓮(sm25273163)」「黃昏的街頭」や台湾語版の「初戀的小姑娘(sm25273091)」「賣花女之戀」が出てます。
三橋美智也『おさらば東京』北京語版1…蔡幸娟「両相依」
三橋美智也の『おさらば東京』は1957年のヒット曲。北京語版の『兩相依』は60年代から70年代にかけて台湾の姚蘇蓉や鳳飛飛、香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌ってヒットしたとか。
大津美子『ここに幸あり』北京語版1…蔡幸娟「幸福在這裡」
大津美子の『ここに幸あり』は1956年のヒット曲。北京語版のタイトル「幸福在這裡」はそのまんまの直訳。